- 1 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2010/09/12(日) 21:18:15 0]
- 一千年に及ぶ繁栄・衰退を誇ったビザンツ帝国史について語るスレの亡命政権です。
基本はsage進行。バルバロイは適当に無視して下さい。 現代トルコ・ギリシャの話はできるだけ他所でやってください。 ニカイア帝国がログを復活させたらそのうちひっそりと滅亡します。
- 566 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/22(日) 19:59:23.08 O]
- >>565
あなたの言う国力が純粋なGDPや財政状況、あるいは軍事力を指すのならば、それはリーリエ氏が否定している。 ただ、歴代皇帝の軍事的成功で築いた威信でもっていたコムニノス朝としては、 マヌイル帝の敗戦はまさに痛手だね。勝ってりゃ、マケドニア朝の再現もあったと思う。 イコニオンを奪回すれば、セルジューク朝の勢力は大幅に後退せざるをえないし。
- 567 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/22(日) 21:57:45.14 0]
- そもそもセルジューク朝と戦わず仲良くしてたらどうなっただろう
- 568 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 01:41:39.02 0]
- >>567
そもそもセルジューク朝にビザンツと仲良くする必要性がない
- 569 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 06:48:08.54 0]
- むしろイタリアに侵攻せずにセルジューク朝との戦いに力を入れていれば
西欧との関係もこじれなかった。 マヌエルには足元の小アジアを固めて欲しかった。
- 570 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 09:04:29.46 0]
- そもそもユスティニアヌスがイタリアに侵攻せずにササン朝との(ry
- 571 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 10:26:16.13 0]
- そもそもトライアヌスがダキアに侵攻せずにアルサケス朝との(ry
- 572 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 11:16:44.17 0]
- >>568
サンギー朝やダニシュメント朝、十字軍国家をビザンツが動かしていたから、そうとも言い切れない。 一度はコンスタンディヌポリスまでスルタンが自ら外交に行ったこともあるわけだし。 このあたりがマヌイル帝の絶頂期だったんだろうな。
- 573 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 11:27:59.80 0]
- そもそもアッバース朝のコンスタンティノープル遠征あたりを機会にビザンツがムスリムに改宗してれば
セルジューク朝と仲良くできてお互い東西に延びて幸せになれた
- 574 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 11:30:52.50 0]
- あ、アッバースじゃなくてウマイヤ朝時代だった。失敬
- 575 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 16:40:43.11 0]
- アッバース革命ならぬビザンツ革命が起きる予感♪
- 576 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/23(月) 16:44:32.74 O]
- ウマイヤ朝はアラブ人だけ免税だし改宗したくならない
正統カリフなら
- 577 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/04/24(火) 00:07:13.86 0]
- >>566
ミュリオケファロンの戦い自体はそんなに大きな負けではなかったと最近は言われてるからね。 ただ、あなたの言うように外交的にはマヌエル1世の威信を大きく傷つけることになってしまったね。 彼はローマ帝国の皇帝としての権威を国際政治の舞台で利用することで、ビザンツ帝国の再興に、 努めてたから、ルーム・セルジューク朝への敗北はそういう意味では大きい。まぁ、それでも彼は、 外交的影響力を維持することを諦めなかったようだけど。そもそも、彼のこのような外交政策自体、 結果としてあまりにも多くの敵を作りすぎるものになってしまってるのであまり良いものではないね。 >>567 実際、マヌエル1世も初期はルーム・セルジューク朝と普通に友好関係を保ってたよ。 彼は基本的に西欧のほうに関心を大きく持ってたからね。それでも、やはり隣国なので、 次第に対立を深めることになっていき、とうとうミュリオケファロンの戦いで敗れてしまった。
- 578 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/24(火) 22:38:50.43 0]
- パレオロゴス朝もアンドロニコス2世とか抜いたらそれなりにできる人はいるけど争いが多すぎてその度にセルビア、オスマンに付け込まれてしまったんだよね
最後の三人は時代が違えば活躍出来ていただろうに もうあれじゃどうしようもない
- 579 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/24(火) 23:45:00.44 0]
- >>578
フニャディが頑張ってくれれば、まだ目はあったのになあ
- 580 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/28(土) 22:14:08.50 0]
- あ
- 581 名前:世界@名無史さん [2012/04/29(日) 17:44:38.86 O]
- 十字軍は帝国の寿命を縮めたと言われるが、十字軍が無かったらもっと早く滅亡していただろう。
- 582 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/29(日) 22:17:33.27 0]
- 十字軍がなかったら、
少なくともブルガリア・セルビアの台頭 エピルスの分離とそれに続くアルバニア人の独立 ボスニア・クロアチアをハンガリーに奪われる などがもっと緩慢に進んだから、早くに滅亡というほどでもないような if話は厳禁だけどなあ
- 583 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/29(日) 22:48:47.45 0]
- 厳禁ではあるけど、ラテン帝国が無かったら・・・とは思う
まあどちらにしろ生き残るためとはいえプロノイア制に移行して地方分権が進んで皇帝権力が弱まった時点で 東ローマの強みは消滅してたし遅かれ早かれ滅亡はしただろうけどね むしろその場合はもっと情けない終わりかたしてたかもしれんからこれでよかったのかもとは思う
- 584 名前:世界@名無史さん [2012/04/29(日) 23:43:35.07 O]
- 初期の十字軍がルーム朝を叩いてパレスチナに領国を建てて防波堤になった所迄は帝国に有益だった。
- 585 名前:世界@名無史さん [2012/04/30(月) 03:36:00.95 0]
- jpddl.com/manga/92863-deiggggyigyiye-ggggeggg-zeigyigg-zhyeeziye-z01-19i.html
- 586 名前:世界@名無史さん [2012/04/30(月) 10:26:34.47 O]
- 何故西欧はギリシアより発展したのか。
- 587 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/04/30(月) 20:58:20.49 0]
- >>583
>プロノイア制に移行して地方分権が進んで皇帝権力が弱まった時点で プロノイア制でもコムネノス朝みたいに上手く貴族との連合を保っておけば、 それなりの国力を維持することは可能だと思うけどね。同様に十字軍だって、 アレクシオス1世みたいに上手く利用すれば、必ずしもビザンツ帝国にとって、 悪いものにはならない。まぁ、ラテン帝国が滅亡を早めた面は否めないけど。 >>584 アレクシオス1世にとって十字軍は予想外の出来事であり快く思わなかっただろうけど、 結果的にはそれを上手く利用してビザンツ帝国に有益な存在にすることに成功したね。 まぁ、第4回十字軍の頃にもなると流石に有害な存在としか思えなかっただろうけどね。
- 588 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/30(月) 21:41:57.33 0]
- 第四回とかイェルサレムに行く気ないだろ
- 589 名前:3代100年 [2012/04/30(月) 22:14:11.31 O]
- >>587
有能な皇帝を輩出した 小胸乃巣の一族だからこそイスラム、現地十字軍、 西欧十字軍との駆引きを 有利に進められたと思う。
- 590 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/30(月) 22:50:46.62 0]
- ラスカリス、パレオロゴスとはいったい
- 591 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/02(水) 10:42:39.44 0]
- ifになっちゃうが、奇跡的に十字軍・ブルガリア・セルビア・セルジュークを
ねじ伏せることに成功しても、東からモンゴルさんがやって来る以上 そんなに明るい未来にならなさそうな気がするw
- 592 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/02(水) 12:09:03.54 0]
- >>591
更にモンゴルをしのいでもティムールが襲ってくるw
- 593 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/05/02(水) 17:14:09.38 0]
- >>589
コムネノス朝は基本的に有能な皇帝が多かったからね。 特にアレクシオス1世やヨハネス2世は優秀だったから、 十字軍などとの駆け引きも上手くいったんだろうね。 >>590 パレオロゴス朝もそれなりに有能な皇帝はいたけどね。 マヌエル2世なんて生まれる時代が良かったら名君と言われてるし。 >>591-592 史実では、ビザンツ帝国にとってモンゴル帝国やティムール帝国よりも、 ブルガリア帝国やセルジューク朝なんかのほうが厄介だったろうけどね。 モンゴル帝国はミカエル8世のおかげでそれなりに上手く扱うことができてたし。 ティムール帝国なんて史実ではむしろビザンツ帝国にとって天佑みたいになってる。 オスマン帝国がアンカラの戦いで敗れたおかげでビザンツ帝国はわずかながら延命した。
- 594 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/02(水) 17:27:59.68 0]
- 50年だけ
- 595 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/02(水) 17:57:04.81 0]
- パレオロゴス朝は有能無能以前に内乱多すぎ
- 596 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/05/02(水) 17:57:55.57 0]
- >>594
まぁ、確かにたった50年程度の延命だけどね。 アンカラの戦いでオスマン帝国は大ダメージを被り、しばらく混乱したけど 結局しばらくしたら国力を回復し、コンスタンティノープルを陥落させるにいたった。 マヌエル2世はアンカラの戦いで混乱に陥ったオスマン帝国のスルタン争いに介入し、 ビザンツ帝国を延命させることに成功したけど、これも結局はあまり長く続かなかった。 息子のヨハネス8世も同じことをやろうとしたけど逆にオスマン帝国の圧迫を強めてしまったし。
- 597 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/05/02(水) 18:05:35.20 0]
- >>595
内乱自体は他の王朝でも多かったけどね。確かにパレオロゴス朝はとりわけ多い。 祖父と孫の2人のアンドロニコスが争ったり、カンタクゼノス家のヨハネス6世が現れたりと、 とにかく内乱が多い。それがビザンツ帝国の国力を衰退させることになったと言えそうだ。 もっとも、パレオロゴス朝に限らずビザンツ帝国では皇帝を巡る争いはかなり多いんだけど。
- 598 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/02(水) 22:25:39.54 0]
- 皇帝気に食わなきゃぶっ殺して俺がなってやるー
ってのは古代ローマ帝国からの伝統だから仕方ないのかね まあそれが滅んだ要因でもあるなら有る意味本望だろうw
- 599 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/05/02(水) 23:27:15.53 0]
- >>598
ある意味、実力さえあれば誰でもクーデターを起こして皇帝になれたという点では、 実力主義という見方もできなくはないのかも知れないね。しばしばビザンツ帝国では、 皇帝権力がかなり強かったと言われるけど、だからこそ皇帝の地位は不安定でもあった。 下手したらクーデターによって廃位される危険性を常にはらんでた訳だからね。
- 600 名前:世界@名無史さん [2012/05/03(木) 11:51:38.11 O]
- 600ゲトー
- 601 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/04(金) 23:17:58.79 0]
- 規制
- 602 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/10(木) 21:29:00.42 0]
- アンドロニコス
- 603 名前:世界@名無史さん [2012/05/12(土) 19:02:18.26 O]
- バシレイオス二世が貯めた富をまともな目的に使ってほしかった
- 604 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/14(月) 17:56:35.28 O]
- >>603
弟君が政府支出として市民に還元したじゃないか。 ケインズ政策だよ。
- 605 名前:世界@名無史さん [2012/05/21(月) 19:09:36.54 O]
- ビザンツ帝国スレは滅亡しました
オスマンさんありがとう
- 606 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/21(月) 19:29:10.07 0]
- ビザンツは永遠に不滅です!
ってことで、コンスタンティノープルを奪還した国が 正式なローマの継承国な。
- 607 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/21(月) 19:53:07.74 0]
- オスマンから主権を奪ったケマルのトルコがローマ継承国…?
- 608 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/21(月) 22:38:55.96 0]
- イスラム教徒はノーカウント。
カトリックも侵略者。 東方正教会のみ可。
- 609 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/22(火) 11:41:03.61 O]
- じゃあ、スラヴ人かギリシア人か。
- 610 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/22(火) 16:44:15.22 0]
- オスマンをぼこぼこにしたロシア帝国
- 611 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/22(火) 19:44:37.49 0]
- ローマ帝国の後継者はギリシャだけ
今のギリシャは亡命帝国みたいなもの。コンスタンティノポリス奪回!
- 612 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/22(火) 22:19:31.82 0]
- 小アジアも奪還だ
- 613 名前:世界@名無史さん [2012/05/22(火) 22:53:13.58 0]
- 日本は室町、江戸と地方分権が進んで発展したのに
なぜビザンツは衰退したの? 実はプロノイア時代は地方が進歩した時代だったとか?
- 614 名前:世界@名無史さん [2012/05/22(火) 23:03:41.94 0]
- >>613
モレアスとかはそうかもね。
- 615 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/23(水) 00:01:55.75 0]
- 条件が違うからじゃないかな
周囲を海に囲まれて外部勢力との接触が少なく発展に時間をかけられた日本と、 文明と民族の十字路に居を構えて周辺勢力との軋轢に力を割かなければいけないビザンツ帝国では。
- 616 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/23(水) 05:28:30.78 0]
- 異民族の流入の有無が大きいな。
弥生時代以来、ほとんど流入のない日本や 中世初期には異民族の流入が止まった西欧は 例え弱体化する時代があってもいずれ立ち直る。 ところが、ビザンツのように疫病・戦乱で弱ってる時に 異民族に大量流入されると土地をそのまま乗っ取られてしまうんだ。
- 617 名前:世界@名無史さん [2012/05/23(水) 08:35:02.90 O]
- 四方敵だらけだからな
- 618 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/23(水) 12:25:43.24 0]
- トルコ人、セルビア人、ブルガリア人
- 619 名前:世界@名無史さん [2012/05/23(水) 21:01:17.55 O]
- 暗殺と陰謀に向けるエネルギーを別の所に使うべき。
- 620 名前:世界@名無史さん [2012/05/24(木) 18:55:28.20 O]
- アンゲロスwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
- 621 名前:世界@名無史さん [2012/05/25(金) 14:39:29.02 0]
- 改めて地図を見ると、バルカン半島キツいな。
ルーマニア平原が黒海沿岸低地やカスピ海沿岸低地を通じて 中央ユーラシアの草原地帯と完全に繋がっとる。 遊牧民がコンニチハしてくるわ。
- 622 名前:世界@名無史さん [2012/05/25(金) 15:38:04.71 O]
- アナスタシウス一世は追っ払たのに
- 623 名前:世界@名無史さん [2012/05/25(金) 19:44:54.30 O]
- >>621
もともとギリシア人も中央アジアの蛮族だったが、 例外的・奇跡的に更正した。
- 624 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/26(土) 09:52:51.67 O]
- >>622
むしろ毎年のように侵入されて首都の西に長城築くことになったりヴィタリアヌスに反乱起こされたりしたけどね
- 625 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/26(土) 10:22:01.42 0]
- 【植民】ギリシア語圏・ギリシア文化圏【移民】
awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1334936888/l50
- 626 名前:世界@名無史さん [2012/06/02(土) 22:12:42.74 O]
- もうこのスレも駄目だな
- 627 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/04(月) 01:42:55.32 0]
- 誰もがそう思ったその時、カルタゴから英雄の名を持つ男が・・・
- 628 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/07(木) 17:28:17.96 0]
- すっごぉ〜いッ!
何回も失策しながらも皇帝をやめないッ、イサキオスーッ! なんという低脳 なんという浅知恵 まるで猿ですッ! 飛び出したのは…アレクシオス! ぬけたァーッ、単独走ですッ! 華麗だ、相変わらず華麗な裏切りっぷりッ! 滅亡! やったァー、コンスタンティノポリスを滅亡させましたァーッ!! アレクシオス「やったなイサキオス、またまた僕らのコンビで勝負を決めたな!」 イサキオス「うん! アレクシオス、見事だったよ、君の謀反は!!」 アレクシオス「ありがとう! だがイサキオス、君の愚策あっての滅亡さ!!」 イサキオスはアレクシオス5世によって殺される予定! かたやアレクシオスは依然として生き続け娘婿の足をひっぱり続けます! この東ローマ帝国崩壊ももこの二人あっての快挙! まさに我が国の汚点!! カリギュラより最悪です!!
- 629 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/11(月) 12:03:30.89 O]
- >>628
それを見ていつも思うんだ。 どちらも1世の方はまともなのに、ってね。
- 630 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/11(月) 22:17:13.22 0]
- こいつらは無能なくせにやる気あるから困る
- 631 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/14(木) 18:28:43.85 0]
- しかし、このアンゲロス・ブラザーズは現代の欧州王室の大半にとってご先祖様なんだぜ
子孫からすれば、アンゲロス・ブラザーズよりアレクシオス1世やテオドロス1世の 末裔と呼ばれた方が気分はいいだろうがw
- 632 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/14(木) 20:36:04.60 0]
- >>613
12世紀以降のビザンツは地方分権による経済損失をまかなう為に銀行制度の発達と 遠距離貿易を主眼に置くようになっていた。実際にビザンツの使節は東南アジアにまで 達しており、スマトラ島でもビザンツのコインが発見されている。 ただしこれらの政策は「王室がユダヤ教に改宗した」との噂の元ともなり、長期的には 貴族層の離反を招くことになった。
- 633 名前:世界@名無史さん [2012/06/15(金) 21:38:19.30 0]
- バシレイオス2世は、ヨハネス1世ツィミスケスの路線を継いでファーティマ朝打倒を何故行わなかったのだろう?
ヨハネス1世の代でメソポタミア北部を占領。さらに翌年にはシリア・パレスチナへ遠征し、 ダマスカスなどのシリア諸都市やナザレなどのパレスチナ地方を占領、エルサレム郊外にまで兵を進めている。 ヨハネス1世は、アルメニア王アショット3世に対し 「全フェニキア、パレスチナ、シリアはサラセン人の軛から解放され、ローマ人の支配を認めた」と書き送っているぐらいだ。 この頃が東ローマの最盛期なので、エルサレムはもちろん、シナイ半島まで突き進んで一気にエジプト侵攻も出来たと思う。 約100年後の十字軍はそれをやっているわけだし、この時期にパレティナやエジプトまで占領しておけば、東ローマの最盛期 はもっと続いていたかもしれない。
- 634 名前:世界@名無史さん [2012/06/15(金) 23:56:42.61 O]
- 下手に政権を潰せば
イスラム原理主義のテロ に苦しめられるからな。
- 635 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/16(土) 06:21:59.50 0]
- 帝都のすぐそばにブルガリアが健在であり、中東遠征どころではなかった。
- 636 名前:世界@名無史さん [2012/06/16(土) 08:08:32.55 0]
- >>634 それは今の話だろ?この時代にはハマス・ヒズボラ・アルカイダの様な
原理主義団体は無いぞ。暗殺者集団は居たかもしれないが… >>635 バシレイオス2世が、つぶしてるだろブルガリア。 それに東ローマのメソポタミア北部・シリア・パレスチナへの遠征では 十字軍と違い住民の大量虐殺の話しが、あんまり無いな。 それに東ローマがこの時点でパレスチナ・シナイ半島・エジプトを押えておけば、 食料・香料・胡椒の供給地として活用出来るし、同じキリスト教国が占領してるので、 ローマ教皇や西欧諸国は、大義名分的に十字軍はやり難い、と思う。
- 637 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/16(土) 09:06:18.82 0]
- ファーティマ朝自体が、アッバース朝とかに比べて神秘主義的狂信的であり、
現代の原理主義政権のルーツみたいな存在。 バシレイオス2世は長期戦の末1018年にようやくブルガリアを征服した。 それから間もなく1025年にバシレイオス2世は崩御した。 バシレイオス2世がバルカンを放棄、カッパドキアのカエサリアに遷都した のならば、シリア・エジプトのみならず、アルメニア・イラクをも征服して、 東ローマの本土であるアナトリアの守りはより強固となったかもしれない。
- 638 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/16(土) 11:22:56.50 0]
- ユスティニアヌスのときみたいに領土はでかいけど国力ないよってなりたくなかったんだろ
- 639 名前:世界@名無史さん [2012/06/16(土) 15:57:28.79 0]
- なんかシリアってアッバース朝の頃からアンティオキアやアレッポなどの
重要な商業都市があって、東ローマと取ったり取られたりって感じがする。 シリアのアラウィー派もイスラム教というよりはキリスト教とイスラム教の シンクレティズム(混合宗教)と言った感じで、シリアの住民は東ローマと イスラム帝国双方に気配りした感じ。 バシレイオス2世の父親のロマノス2世が、バシレイオス1世のような勇敢さを 持ってもう少し長生きしていれば、彼の代でブルガリアを征服出来ていただろう。 そうなれば、バシレイオス2世も中東方面にもっと注力出来ていたに違いない。 東ローマが、エジプトを占領出来たらメチャクチャおいしいよ。大穀倉地帯だし、 この時期には珍しい蜂蜜が大量にあるし、塩も取れる。>>636が言う香料・胡椒 だけじゃない。 エジプト産の小麦大麦や蜂蜜や香料は、西欧諸国に高く売れるから、ユスティニ アヌスのイタリア半島再占領時みたいに無人地帯や荒地を占領するのとは全然 意味が違ってマジで金になる。 この時点で東ローマはイタリア半島南部を保持しているのでギリシャ人海運商が 直接ベネチィアやジェノバ、ラベンナにエジプト産品を売り込めるから東ローマ の領土の拡大と言うよりも、もろにギリシャ人海運商の経済的利益になる。 弱体化したアッバース朝は、エジプトやパレスティナの奪回には動かないだろうし イラン人政権のブワイフ朝も距離が有りすぎるので、直接の軍事衝突にはなり難い。 エジプト産品を陸運で中東に輸出しても金になる。シナイ半島からアラビア半島や エチオピアや東部アフリカなどへ海運で輸出も出来ただろう。 東ローマが11世紀にエジプトやパレスティナを再占領出来たら、ローマ時代の様に 地中海貿易を席巻出来るかもしれないし、ヘラクレイオス帝以前の様に政府による 食糧配給も復活出来て「パンとサーカス」も提供出来る様になったかもw
- 640 名前:世界@名無史さん [2012/06/16(土) 16:19:25.80 0]
- >バシレイオス2世がバルカンを放棄
そうなるとバルカン半島は誰が制圧するの?セルビア人?ブルガール人? >シリア・エジプトのみならず、アルメニア・イラクをも征服して、 >東ローマの本土であるアナトリアの守りはより強固となったかもしれない。 ズィアール朝やブワイフ朝、セルジューク朝あたりとパレスティナ、ヨルダン、イラクの取り合いになるな。 たしかにそうなるとセルジューク朝はアナトリアまで侵入するのが大変そうだ。
- 641 名前:世界@名無史さん [2012/06/16(土) 17:06:47.58 O]
- エジプト文明はギリシア文明の母体だから、
エジプトはヨーロッパの元祖と言えるな。
- 642 名前:世界@名無史さん [2012/06/16(土) 21:18:55.66 0]
- >>639
蜂蜜は、古代ローマの頃から欧州でも量は少ないが生産している。 もっとも西欧域内だけでは生産が追い付かないので中東から蜂蜜を輸入は当然している。 エジプトは、紀元前3000年ごろから蜂蜜の産地で、中世でも作っており有力産地だが、独占的な生産者とまでは言えない。 むしろ当時のエジプトは、砂糖の独占的生産地であって西欧と中東双方に輸出販売して莫大な利益を上げていた。 インドと東南アジアが、古代からサトウキビから砂糖を作っていたが、これは希少品かつ 貴重品と言う事もあり、形状もシロップ状の糖蜜で、貴重品過ぎて医薬品扱いだった。 病人に滋養強壮薬として、使用されていたらしい。 そんなこんなで、とてもじゃないがインドや東南アジア産の砂糖や糖蜜は、 中東や西欧までには商品として流通して来ない。 当時の西欧ではサトウキビの栽培も不可能だし、技術水準でも、砂糖の製造が全然無理。 事実上、中世では砂糖をエジプトは独占して生産していたし、 その他にも当時としては貴重品である綿花の大生産地でもあった。
- 643 名前:世界@名無史さん [2012/06/17(日) 00:46:55.40 O]
- エジプトには異端が
多かったから揉める のが嫌だったとか?
- 644 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/17(日) 06:47:48.63 0]
- >>639
ロマノス2世が長生きしようがしまいが、軍を指揮するのはニケフォロス・フォカスと ヨハネス・ツィミスケスらなのだから、対ブルガリア戦は史実通り長期戦となり、 彼の代ではブルガリアを完全に征服する事が出来なかったであろう。 >>640 あの当時バルカン半島を制圧するのは当然ブルガール人では? 後世のポーランドとリトワニア、カスチラとアラゴンのように、 東ローマとブルガリアが統合されるのが理想的であろう。
- 645 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/17(日) 10:00:38.98 0]
- >>639
セルジューク朝がシリア・エジプトの奪回に動くと思われる。 アルプ・アルスラーンは当初、1071年に異端ファーティマ朝を 倒してエジプトを征服しようとしていたされる。 ロマノス4世のおかげでファーティマ朝はさらに100年生き延びた。
- 646 名前:世界@名無史さん [2012/06/17(日) 11:13:52.59 0]
- >>643
コプト教とギリシャ正教は、確かに仲が非常に悪い。 ヘラクレイオス帝のエジプト陥落時にはコプト教徒は、 侵攻前からイスラム側に通じていてエジプト侵攻を手助けしてる。 そういう意味では、東ローマによるエジプト奪回後は、イスラム教徒よりもコプト教 とギリシャ正教のトラブルがエジプトの治安維持の障害になりかねない。 だがギリシャ正教は、皇帝教皇主義なので皇帝の方針次第でコプト教徒とのトラブル回避の可能性も大きい。 >>644 自分の意志で前線にロマノス2世に出て来れば違うだろ。ロマノス2世がヤル気が無いから ニケフォロス・フォカスとヨハネス・ツィミスケスが軍の指揮を取らざるを得ない面もある。 >>645 マラズギルト(マラーズギルド)の戦いだっけ?東ローマ軍の方が数が多かったのに… この戦いに東ローマが負ける事で十字軍のもとになったし、東ローマ弱体化の第一歩にもなった。 しかも東ローマは、身内の裏切りで負けた。既に帝権が弱体化していたのかね? 史実ではセルジューク朝は、エジプトは占領していない(出来なかった?)が、シリアやパレスティナには侵攻してきた。 セルジューク朝が、バシレイオス2世の死後なので、東ローマとセルジューク朝の力関係がパラレルになっている感じ。 東ローマとしては、海軍の強化やギリシャの火やロケット砲などの重火器や西欧の傭兵をかき集めてシリア-パレスティナ間の 防衛線を固めるしかないだろう。 マラズギルト(マラーズギルド)の戦いの様にならない為に傭兵や士気の低い軍団や裏切りそうな奴は事前に野戦軍から外すべき。
- 647 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/17(日) 13:02:24.88 0]
- ロマノス4世ディオゲネスは、第二のアレクサンドロス大王とならんと、
セルジューク朝の本拠地ホラサーンを目指しての遠征だったので、 マラズギルトの会戦前にアルプ・アルスラーンと講和しなかったらしい。 アルプ・アルスラーン自身はエジプト征服を望んだが、新たな牧草地を 欲したトルコ遊牧民らと、イランからトルコ遊牧民を追い払いたかった ニザーム・アル・ムルクらはアナトリア征服を望んだ。
- 648 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/17(日) 14:08:03.81 0]
- くぁw背drfgtひゅjきおlp;:@」「
- 649 名前:世界@名無史さん [2012/06/17(日) 14:54:49.05 0]
- >ロマノス4世ディオゲネスは、第二のアレクサンドロス大王とならんと、
>セルジューク朝の本拠地ホラサーンを目指しての遠征だったので、 一寸ピントがずれた目的意識だな。 ホラサーンなんて、ギリシャやアナトリアから場所は慣れすぎだし、第一補給が続かないだろ。 それよりもアルメニアやシリア、パレスチィナの防衛とエジプトの制圧の方が大事だと思う。 その方が金になるしね。晩年のバシレイオス2世の様にシチリア島征服を行うべきだろ。 それが成功すれば、イタリア半島への発言力も格段に強まるし、チェニジアの再征服も準備できる。 >アルプ・アルスラーン自身はエジプト征服を望んだが、 エジプトの方が、金になりそうだもん。 色んな珍しい物の大生産地だし、西欧やアフリカとも貿易出来るし。
- 650 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/17(日) 23:59:35.52 0]
- >>646
マラズギルトの戦いでは東ローマ軍の方が数が多かったが、 東方の都市を攻略する為の城攻め部隊など、野戦では足手 まといとなってしまう者が多かったとされる。 セルジューク朝軍は、当初は遊牧民軍だけで東ローマ領へ侵攻、 一方アルプ・アルスラーンはマムルーク軍でエジプトへ向かったが、 遊牧民軍が東ローマ軍に敗退したので、アルプ・アルスラーンは エジプト遠征を中止、マムルーク軍を主力とする精鋭で東ローマ軍 と対戦したされる。
- 651 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/18(月) 09:13:06.82 O]
- >>641
理由になるか?
- 652 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/18(月) 12:44:58.34 0]
- エジプトって他地域の勢力圏(ヒクソス・ギリシャ・ローマ・アラブ・トルコ・フランス・イギリス)に入ってもある程度自律性を保っている。
それだけ経済力があるし、完全屈服させきれない地域なんだよ。 完全支配下に置くにはスーダンあたりでナイル川を紅海に流して全土を砂漠化させないとだめだろうな。
- 653 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/18(月) 13:01:03.28 0]
- そうなると紅海西岸までサハラ砂漠となり、地中海沿岸以外は支配する価値がない地域になってしまう。
- 654 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/18(月) 13:55:06.88 0]
- >>653
だから支配する価値のない地域にしないと完全征服できないのさ。
- 655 名前:世界@名無史さん [2012/06/19(火) 17:19:46.27 0]
- >>634
イスラム圏は軍事とそれに伴う数学などだけ異様に発展していた。 キリスト教は平和を説いているので軍事力・技術では絶対にイスラムに勝てない。 ビザンツの鼻削ぎ落としや目潰しなどの後継者つぶしもヨーロッパ固有のもの でなくアラブやトルコの影響。
- 656 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/19(火) 19:41:27.31 0]
- じゃあ十字軍の何処が平和か説明してもらおう
イスラムに散々酷いことしてあげくのはてには同じキリスト教徒まで
- 657 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/19(火) 19:46:38.92 0]
- チンピラゴロツキ集団以外の何ものでもないね
- 658 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/19(火) 19:50:05.66 0]
- >>655
>ビザンツの鼻削ぎ落としや目潰しなどの後継者つぶしもヨーロッパ固有のもの >でなくアラブやトルコの影響。 それアラブやトルコよりむしろペルシア文化
- 659 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/21(木) 06:35:25.12 0]
- >>657
ローマ教皇お墨付きのチンピラゴロツキ集団だな
- 660 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/25(月) 08:03:06.61 0]
- 異端と異教徒が全滅すれば真の信仰とキリストの御名のもと平和になるよ
- 661 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/25(月) 19:23:07.07 0]
- すぐに神学論争やお家騒動で分裂、外部勢力を呼び込んでまた危機に陥るよ
- 662 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/26(火) 01:45:47.57 0]
- ビザンチン外交を繰り返して全世界の宗教がオーソドックスで統一されても正教化したトルコやベネチアが襲ってくるだけな気がする。
- 663 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/26(火) 09:31:02.54 0]
- まあトルコが正教だったらセルジューク朝支配下のバグダードのカリフ程度には
コンスタンティノープルの皇帝も残してくれるかもね
- 664 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/26(火) 09:35:46.07 0]
- トルコが正教なら単純にセルジューク朝東ローマ帝国が爆誕するだけじゃないの?
頭すげかわって。
- 665 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/26(火) 20:11:43.40 0]
- アナトリアはトルコ・イスラム化せず、トルコ人らもゴート族やフン族、
ペチェネッグ人、ワリヤーグらと同じくギリシャ・ビザンツ化しただろうね。
- 666 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/27(水) 21:46:48.89 0]
- >>664
>>665 トルコ人の気質から行ってレバント制圧した時点でコプト派が旧教に救援求めて正教対旧教の十字軍が発生する気がする。 正教徒の血で埋まるエルサレムとか報復で旧教徒の血で染まるローマとかありそう。
|
![](http://yomi.mobi/qr.gif)
|