- 1 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2010/09/12(日) 21:18:15 0]
- 一千年に及ぶ繁栄・衰退を誇ったビザンツ帝国史について語るスレの亡命政権です。
基本はsage進行。バルバロイは適当に無視して下さい。 現代トルコ・ギリシャの話はできるだけ他所でやってください。 ニカイア帝国がログを復活させたらそのうちひっそりと滅亡します。
- 301 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/10/28(金) 04:34:02.24 0]
- >>296
いやブルガリアは危険でしょ ラテン帝国初期にあの辺りのギリシャ人が比較的すんなり支配下に入ったのはブルガリアの脅威があったからだし エピロスもブルガリアにボコされて帝都奪還レースから脱落するし ミカエル時代もコンスタンティン・ティフがキプチャクのベルケと結んで1264年にトラキアに侵入してくるし、 その後もシャルルのシチリア王国と同盟するし(ミカエルが姪を送ったあとは関係が改善するが)
- 302 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/10/30(日) 09:09:07.30 0]
- >>299
躾の悪いボランティアが略奪したり、放火したり、領土分捕ったりしてきたら、 協力仰いだうんぬん関係なしに迷惑以外の何物でもないだろw 第4回十字軍は、半分は帝国の自爆なんだろうけど。頼った相手が悪過ぎた
- 303 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/01(火) 23:05:10.02 0]
- 経済危機に倦んだ元イスタンブル在住のギリシャ人に帰郷の流れ
www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20111031_055416.html > 経済危機により、トルコでより良い未来を探しているのはギリシャ人だけではない。ギリシャへ大きな希望を抱いて > 移住した元イスタンブル在住のギリシャ人(ルーム)らも、移住から何年も経てトルコへ帰郷し始めた。 > 元イスタンブル在住のギリシャ人らは、イスタンブルのギリシャ正教会総主教座やギリシャ系各協会を頼り、 > 出生地に戻った場合仕事や家を見つけることが出来るか否か調べている。さらには、イスタンブルの > ギリシャ系新聞社に手紙を送り、情報を集めている者もいる。
- 304 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/02(水) 01:36:02.08 0]
- >>303
トルコ人からすればクルド人以上に面倒な連中だろうな。
- 305 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/03(木) 12:16:28.00 0]
- 正直、正教に対するトルコ政府の扱いは国際的に非難を浴びるべきものだと思うね。
- 306 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/03(木) 13:46:33.62 O]
- ルームって呼び方が面白いな
今でもよくも悪くも東ローマの末裔扱いなんだね
- 307 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2011/11/03(木) 14:02:23.38 0]
- >>306
ビザンツ帝国が存在した当時、西欧諸国はその国をギリシャ人の国だとして、 ローマの末裔と認めなかったけど、中東諸国は最後までルームと呼んでた。 トルコで彼らをルームと呼ぶのはその名残なんだろうけど、今も昔も中東は、 ビザンツ帝国をローマ帝国の後継として認めてるということなんだろうね。
- 308 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/03(木) 20:26:38.54 0]
- ギリシャが国家破産したら、劣ったヨーロッパ人として生きるよりも、
栄光あるルームとして中東世界の一員として生きたほうが幸せなんじゃね?
- 309 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/03(木) 20:41:58.09 0]
- >>308
まるで中東の仲間になればギリシアでも優等生になれるかのようなものいいですねw
- 310 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/03(木) 23:30:49.60 0]
- ギリシア自体が中東への楔として列強に作られた国なのに。
- 311 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/04(金) 00:24:11.19 0]
- >>310
そもそも古代ギリシャの都市国家自体中東の文明に影響されて文明化したものなのにw
- 312 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/04(金) 01:57:18.69 P]
- 中東の王政がギリシアの古代民主政治に影響与えたとか初耳
- 313 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/04(金) 10:51:23.57 P]
- そもそもギリシアの古代民主主義って日本で言えば中世の国人一揆とかと変わらねえんだけど
- 314 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/04(金) 13:57:21.06 0]
- ビザンツ時代はギリシャ本土は既に辺境だった。
マウリキオス帝からコムネノス朝いたる帝国は、 カッパドキア人やフリギア人とかの帝国だった。 ギリシャ本土は属州エジプトとかと同じく、 支配されているだけの地域だった。
- 315 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/04(金) 21:09:11.10 0]
- >>313
お前ちょっとは十部族制とか勉強して来いよ
- 316 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/05(土) 00:39:12.67 0]
- >>314
釣れねえなあ
- 317 名前:世界@名無史さん [2011/11/05(土) 02:54:14.25 O]
- >>309
なれないなれない。 中東の産油国のほうが遥かに金持ち。
- 318 名前:世界@名無史さん [2011/11/05(土) 08:19:28.59 O]
- 黒歴史になってるけどビザンツ時代にはイスラム教に改宗した皇帝もいたし、とりあえず中東の一員でいいんじゃない?
で、その後に互いにも同胞を多く抱える隣国どうしでトルコ=ギリシア(キプロス含む)連合共和国として、 EUに再加盟すれば西欧列強国にも一目置かれて馬鹿にされずに済むだろうし。…
- 319 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/05(土) 11:11:10.93 0]
- ヘラクレイオスか。>ムスリム皇帝
それはともかく、ビザンツ時代のギリシアが辺境の田舎ってのは間違ってないだろ。 アカデメイアが閉鎖して以降、オワコンになりアテネなんて完全に荒廃しきってたんだから。
- 320 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/05(土) 14:05:10.47 0]
- テッサロニキはコンスタンティノープルに次ぐ帝国第二の都市だったとされるので、
ビチニアのニコメディアやカッパドキアのカエサレアよりも大都市だったらしい。
- 321 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/05(土) 16:08:59.40 0]
- >>319
オワコンは言いすぎだと思うよ。 コンスタンス帝の遠征のときみたいに、イスラーム勢力の伸長後は コリントスやアテナイは艦隊基地としての重要性が増したんじゃ >>320 テッサロニキは皇帝の滞在地で宮殿も建設されたし、シルミウムの荒廃・失陥後は イリュリクム道管区とマケドニア管区の首府でかつ大司教は東イリュリクム全体を管轄下に置いてたしね。 それと後期ローマ〜ビザンツ期で、地域としてのギリシアっていったら属州アカイアやテマ・ヘラスが 置かれた地域を指すかと
- 322 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/05(土) 16:23:43.26 0]
- >>319
井上先生の本を100回読みなおしてこい ネットde真実はいらんのや
- 323 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/05(土) 17:45:07.95 0]
- 風呂と水道と集会広場がなくなればオワコンかよwwwwww
- 324 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2011/11/05(土) 19:06:23.64 0]
- >>319
ヘラクレイオスがイスラームに改宗したなんて初耳なんだけど。 イスラーム勢力に負けただけで改宗してはなかったと思うけど、 何かソースでもあるのかな?それとギリシャと言っても地域の、 違いはあると思うよ。アテネは田舎だったけど、テッサロニキは、 それなりに発展してたし、ギリシャ全部が辺境とは言えないなぁ。
- 325 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/05(土) 19:35:08.24 0]
- 帝国後期ともなると、モレアの中心地ミストラが
コンスタンティノープルをも凌ぐ繁栄を見せてるな。 帝国滅亡後もミストラの繁栄は続いたが、 皮肉にもギリシア独立戦争がミストラを滅ぼしてしまった。 そして、それからはアテネの時代が始まるわけだ。
- 326 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/06(日) 16:52:08.95 0]
- >>320
サロニカが第二の都市と呼ばれるがあれも半分嘘らしいな。 第二の都市となったのも別に爆発的な発展を遂げたわけじゃなく アナトリアの諸都市がトルコ人の侵入で失われていったからだそうで。 コンスタンティノープルの繁栄とやらもまた悪い仕方の反映で 何か取れたわけでもなく 特別な製品や技術があって金儲けできたわけでもなく 産業技術が発展し続けたわけでもなく 地方から物資や金や穀物を搾取しまくって繁栄していただけだからな そりゃ落ちぶれてトルコ人に征服されるわけだよ。
- 327 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/06(日) 18:31:13.39 0]
- マルクス史観乙
- 328 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/07(月) 16:11:11.01 0]
- よく行く書店の一つに、
ビザンツ時代のイコンが展示販売されててびっくりした。 60万円くらいで買えるんだな。
- 329 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/07(月) 17:39:00.35 0]
- どこだよそこ、買いに行くわ
ローマのテルミニ駅正面のコイン屋にはいくつかビザンツのフォリス銅貨があったな コンスタンティノス8世の銅貨が6000円くらいだったと記憶している
- 330 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/07(月) 23:53:36.54 0]
- >コンスタンティノス8世の銅貨
うわ、微妙。いっそイサキオス2世とかアレクシオス3世並に突き抜けていれば・・・。
- 331 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/08(火) 02:01:09.25 0]
- よりにもよってコンスタンティノス8世か……
何もしなかった、という一点において突き抜けてるといえば突き抜けてるけどさ
- 332 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/09(水) 12:16:22.03 0]
- まぁ、何もしようが無いんだけどな。
若いころは独裁者の兄貴が好き勝手にやってたし。
- 333 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/09(水) 21:54:53.61 0]
- むしろ政治に意欲があったらアンゲロス兄弟よろしく内戦になってただろ、単独皇帝だったのなんてほんの数年だし
コンスタンティノスはあれでいいと思うぞ、バシレイオス含め後継者がいなかったのがダメなだけで
- 334 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/10(木) 13:24:53.40 0]
- ニコニコ大百科のビザンツ帝国の記事が異様に充実してて感動した。
というか、あの記事を書いたの絶対このスレの人間だろw
- 335 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/16(水) 00:46:25.65 0]
- 東海大学出版のビザンツ帝国史が高いんだけどおおおおおおおおおおお
- 336 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/21(月) 20:14:53.87 O]
- >>335
おいくら?
- 337 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/23(水) 20:32:40.69 P]
- 2万近くするがな
- 338 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/23(水) 20:52:19.05 0]
- なにをいまさら?
- 339 名前:世界@名無史さん [2011/11/24(木) 23:27:29.91 0]
- ビザンツ研究は欧米では盛んだし、ネットでも英語で多くの記事やサイトや論文がある
プロコピウスの戦史や秘史だってネットで読めるし、wikipedia英語版見るだけでもいろいろ情報漁れる
- 340 名前:世界@名無史さん [2011/11/25(金) 14:26:19.14 0]
- >>324
ギリシャ系ユダヤ人の出身地が一番多いのもテサロニキですよね。やっぱり一番都会だったのですね。 >>293 ビザンツのライバルは、何の史観を中心にするかで着目する相手が違うでしょうね。 正教史観ならトルコだが、ユダヤ陰謀史観なら元々ビザンツ領だったベネチアがなんでビザンツと対立する事になったのかが一番気になる。 いや、陰謀史観なしの世界史でもそこは一番重要な方でしょうね。 キリスト教東西分裂以来のバチカンとビザンツとベネチアの関係の変化が現在までの西洋史の基調を成すと思います。 逆に遊牧民や民族移動中心史観だと全てのビザンツ周辺民族が対象となるだろう。トルコ系(セルジューク、オスマン、ハザール、ブルガール)、 スラブ系(セルビア、ウクライナ、ロシア)、ゲルマン系(ランゴバルド、バンダル、フランク、ノルマン)、アラブ人、クルド人、アルメニア人、ロマ等々。 結局、ローマ帝国滅亡後に地中海の全沿岸を再統一した国家はアラブ、トルコ、ナチス・ドイツ、米ソ含めて現在までない。
- 341 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/25(金) 19:04:02.74 0]
- もう全部ライバル
- 342 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/25(金) 19:09:26.31 0]
- 地理的にしかたないね
- 343 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/25(金) 19:36:35.71 0]
- >>340
トルコなんか終わりのほうのチョイ役じゃん 最盛期のマケドニア朝含め、数世紀にわたって殴りあったブルガリアが一番だと思うぞ
- 344 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/25(金) 22:05:52.21 0]
- オスマン帝国にとってはライバルはどうみてもハプスブルグ帝国とペルシャ帝国だし、東ローマにとっては一応は神聖ローマ帝国がライバルだったんじゃないかな?
- 345 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/25(金) 22:36:41.75 0]
- ほとんど直接衝突ないじゃん
フリードリヒ1世の十字軍遠征のときはビザンツも冷や汗かいたろうがそれくらい 西方で勝手にローマ帝国名乗ってる蛮族にすぎない
- 346 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/26(土) 00:16:05.69 0]
- マヌエル1世がヴェネツィアとグルになって、ロンバルディア都市同盟に資金援助してなかったっけ
で、報復でバルバロッサがルーム・セルジュークをこっそり支援 結果は同じ1176年にレニャーノとミュリオケファロンで両帝とも敗北。
- 347 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2011/11/26(土) 06:13:41.76 0]
- >>346
確かに、マヌエル1世の時代のビザンツ帝国はイタリア政策などを巡ってフリードリヒ1世の、 神聖ローマ帝国と敵対してたね。でもその時期を除けばあまり大きな対立はなかったかな。 まぁ、オットー1世が最初に神聖ローマ皇帝になった時はいくらかの抗議をしただろうけどね。
- 348 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/26(土) 14:22:11.85 O]
- オットー1世とは南イタリアで戦争状態じゃなかったっけ?
- 349 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2011/11/26(土) 19:48:56.80 0]
- >>348
あれ、そうだったっけ?ローマ皇帝戴冠云々を巡って争ったことがあったのは、 知ってるけどそれとは別に南イタリアでも対立してたのかな。まぁ、でも確かに、 ビザンツ帝国と神聖ローマ帝国が対立するとしたら、イタリア政策関連のことも、 当然あるだろうからね。後にフリードリヒ1世と対立した時もイタリア関連だったし。
- 350 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/11/28(月) 20:39:27.60 0]
- ♪ジュリーがライバル
- 351 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2011/12/09(金) 19:22:22.52 0]
- 「スレが全部消えた?ログ復旧するだろうし洒落で立てちゃえ♪」
と思ってスレタイ変えたらそのまま残ってて申し訳ない
- 352 名前:世界@名無史さん [2011/12/21(水) 23:33:27.50 0]
- デモ最下層
- 353 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/01/18(水) 02:29:42.08 O]
- ティムール「オスマントルコ?フルボッコにしてやったよ。ついでに捕まえたスルタン、何故か死んだ。オスマントルコ滅亡だな」
ビザンツ帝国「…え???え?…ひょっとしてチャンス?」 状態だったの?
- 354 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/01/19(木) 22:37:48.63 0]
- 確かティムールに「サンキュー、これからも誼結ぼうぜ!」的な手紙送ってた
- 355 名前:世界@名無史さん [2012/01/22(日) 18:58:00.11 0]
- 河出の図説 ビザンツ帝国はトレビゾンド帝国関連の写真もわりと多いな
en.wikipedia.org/wiki/S%C3%BCmela_Monastery g.co/maps/ac7f5 スメラ修道院はえらい崖に張り付いた修道院だが、帝都から35kmばかり 内陸にある 黒海沿岸だけの国とは言っても幅数十kmぐらいはあるようだ。 面積も1万〜3万km2ぐらいはあるかなあ?
- 356 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/01/22(日) 20:39:38.03 0]
- >>353
実際、それでビザンツ帝国の寿命が50年のびた訳だしね。 もしティムールが来なかったら多分コンスタンティノープルはその時に陥落してた。
- 357 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/01/25(水) 23:39:29.14 O]
- ティムールがその気になったら当時のコンスタンティノープルは
指先一つで陥落だった気もする。 元々ティムールはオスマントルコと和平したがってたし
- 358 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/01/26(木) 09:35:59.94 0]
- ティムールの時だけでなくモンゴルのおかげで
ビザンツ帝国の寿命はかなり伸びたみたいだね。 モンゴルがホラズム帝国を滅ぼさなかったのならば、 ホラズムはアッバース朝やルーム・セルジューク朝、 トレビゾンド帝国やニカイア帝国を征服したはず。 ラテン帝国からコンスタンティノープルを奪うのは、 おそらくブルガリアだったはず。 パレオロゴス王朝がまるごとなかったかもしれない わけだよね。
- 359 名前:世界@名無史さん [2012/01/26(木) 18:51:03.75 0]
- >>354
ゲームの蒼き狼と白き牝鹿でも (シナリオ4、明帝国初期、ティムール帝国創成期の時代) 開始1年目でオスマン帝国(ゲーム中ではオスマン=トルコ表記)が コンスタンティノープル陥落させるのは可能なんだよね そしてCPUでほおっておくとビザンツがトルコ滅ぼすことも度々あるし
- 360 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/01/28(土) 21:57:19.93 0]
- ティムールの本命はあくまでも明だもん。
同じムスリムのオスマン帝国とガチで戦いたがるワケないじゃん。
- 361 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/01/30(月) 19:42:28.53 0]
- 俺もバシレイオス2世みたいに禁欲的な人になりたいです
- 362 名前:世界@名無史さん [2012/02/01(水) 19:57:41.02 0]
- >>358
ホラズムがそこまで西方に領土を拡大できる理由がよく分からない。 そういう計画あったの? またモンゴルが強いといってもああもあっさり滅亡させられる国力と 当初友好的だったモンゴルの使節をあっさり殺害する外交センスでは 大帝国を作れるとは思えないけど。
- 363 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/02(木) 02:05:23.69 0]
- ホラズム・シャーは、モンゴルとの戦争以前にアッバース朝と敵対していて、
1217年バグダード遠征を試みていた。この遠征はクルド人の奇襲で失敗した。 アッバース朝のカリフがモンゴルに使節を送ったので、モンゴルの偵察を 警戒したホラズム・シャーは使節を殺害した。 ホラズム・シャーは、唯一チンギス・ハンが自分と互角と考えた勢力であり、 戦えば負けるかもしれない相手なので、友好関係を築こうとした。 ホラズム・シャーはアッバース朝とクルド人、ルーム・セルジューク朝など 西方のイスラム諸国と敵対しており、さらに西のビザンツ諸国と十字軍諸国 にも戦禍が及ぶ事も充分ありえたのではないだろうか?
- 364 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/02(木) 02:08:43.68 0]
- 言うてあの辺ってシュメールとかのメソポタミア文明の時点からどうしようもない不毛地帯になってたよね
- 365 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/02(木) 02:38:14.51 0]
- この使者殺害ってのがキモなんだよな
当時のモンゴルの使者ってスパイもいいところ、日本に来た使者も夜な夜な宿所抜け出していろいろ調べていたらしいし で、切ったらそれを口実にして攻め込む
- 366 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/02(木) 05:34:29.25 0]
- 日本場合は日本の事をよく知らない支那人が使節だったけど、ホラズムの場合は
自国出身の商人らが使節だったから、彼らがおのおの故郷に戻る事を口実に隅から 隅まで調べ回られてしまうよね。 この裏切り者達は自国に何故侵略者を招こうとしたのだろうかね?おそらく、 殺されるのトルコ人だけで自分達の同胞までが虐殺されるとは思いもよらなかった のだろうね。 チンギス・ハンは金帝国征服が最優先なので、短期間でホラズム遠征を終了する為に 大量虐殺を遂行したのじゃないのかな? ホラズム遠征以前、西夏やカラ・キタイの征服ではモンゴルは大量虐殺はしていない。 金帝国はチンギス・ハン個人と関係なくモンゴルの仇敵であり、よくある復讐だよね。 金帝国滅亡後にオトラル事件が起きたのならば、商人達が望んだようにモンゴルの 支配下でもサマルカンドやメルブが繁栄し続けたのかもしれないね。
- 367 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/02(木) 16:47:36.21 0]
- チンギス・ハンに使えていたムスリム商人らは、ホラズム・シャーも金帝国を
狙っていると吹聴して、チンギス・ハンの警戒心を煽っていたが、おそらく、 ホラズム側は対アッバース朝が最優先だったと思われる。 チンギス・ハンは、ホラズムと西夏のせいで、自ら金帝国に止めをさせなく なった事を怒り、ホラズムと西夏で大量虐殺をしたのだろう。
- 368 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/07(火) 02:45:07.07 0]
- 2月公開のトルコ映画『Fetih 1453 』
www.youtube.com/watch?v=U8raYASyito 27秒ごろにコンスタンティノス11世やヒッポドローム
- 369 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/07(火) 03:06:18.51 0]
- いまでもトルコ人には永遠の地獄がもたらされればいいと思ってるわ
- 370 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/07(火) 21:39:44.11 0]
- ビザンツオタにとって、トルコ人とエンリコ・ダンドロは親の仇以上に憎い相手なんだろうなw
- 371 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/07(火) 21:44:56.91 0]
- 第四回十字軍がなければビザンツが残り続けたかな?
もしもただトルコに滅ぼさせるだけだったらビザンツの遺産はさらに減っていただろうし かといってヴェネツィアがビザンツの崩壊を早めたのは間違いない事実だし…
- 372 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/07(火) 22:13:05.03 0]
- ぶっちゃけ帝国はエンリコ爺ちゃんがカチコミかける前から既に
空中分解フェイズに突入してるし、時間の問題だったと思う 十字軍が来なかったら、ブルガリアのカロヤンあたりに血祭りにあげられたのでは
- 373 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/08(水) 02:04:34.08 0]
- >>370
フォカスとアンドロニコス・ドゥーカスの方が、ビザンツオタに憎まれているだろう。
- 374 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/08(水) 20:36:36.90 0]
- オスマン帝国もビザンツ帝国も好きな俺は異端何だろうか
- 375 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/08(水) 21:24:53.30 0]
- パレオロゴス家の末裔ってイギリスとかイタリアに居るらしいね
凄いな
- 376 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/02/08(水) 22:58:36.58 0]
- >>374
僕も両方好きだよ。ビザンツ帝国もオスマン帝国もどっちも歴史の面白い国だと思う。
- 377 名前:世界@名無史さん [2012/02/09(木) 01:53:47.68 0]
- anime.2chnet.net/Venus-to-MAMORU/Venus-to-MAMORU-1.html
- 378 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/09(木) 01:59:53.93 0]
- 当時ビザンツを滅ぼしうる勢力、ラテン人やブルガリアやセルビアやオスマン帝国の中ならオスマンに滅ぼされて良かった
ビザンツに並びうる偉大な帝国だったし、裏切り者のラテン人よりは明確に敵であった異教徒のほうが良い 「枢機卿の四角帽を見るくらいなら、トルコ人のターバンのほうがマシである」
- 379 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/09(木) 11:25:06.09 O]
- マヌイル大帝がミリオケファロンを難無く抜けて、イコニオンに突入していれば……
- 380 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/02/09(木) 20:58:17.34 0]
- >>379
根津由喜夫氏はミュリオケファロンの戦いもそこまで酷い負けじゃなかったと言ってるけどね。 ただ、あの敗北の後からビザンツ帝国が再び衰退していったのも事実なんだよね。 ルーム・セルジューク朝の力を切り崩せなかったのは痛手だったかも知れない。
- 381 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/09(木) 21:04:29.67 0]
- 首尾よくミリオケファロンを切り抜けられても、調子に乗って東に進軍したら
隙を狙って西からノルマンやヴェネツィアが乗り込んできそうな気がする
- 382 名前:世界@名無史さん [2012/02/09(木) 21:05:10.73 0]
- 塩野七生
「ビザンツなんて何の魅力があるのよ? 精々、ユスティニアヌス1世を妻のテオドラが後押しした時期にちょっと盛り返しただけで 後は約1000年間大した役割も果たさなかった弱小国家じゃない!」
- 383 名前:世界@名無史さん [2012/02/09(木) 21:18:06.62 0]
- >>382
それは余りにも酷い勘違いだ。 東ローマ帝国は偉大だ。
- 384 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/02/09(木) 21:22:10.06 0]
- >>381
そもそもマヌエル1世はずっと西側にばっか目を向けてたからね。 ルーム・セルジューク朝も攻めたけど神聖ローマ帝国やヴェネツィアなどのほうが、 マヌエル1世にとってはより大きな敵対勢力だっただろうし。 あまり東にばかり目を向けるとそれらの勢力に付け入れられるかも知れないね。
- 385 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/09(木) 21:47:19.81 0]
- 敵作りすぎだよなマヌエル1世はwお友達はベーラ3世ぐらいじゃないかな。
皇帝の没後、手のひら返しされちゃったけど 先帝ヨハネス2世はそこのところ上手くやってたのは流石だ
- 386 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/09(木) 21:55:46.79 0]
- >>382
これ、本当に塩野さんが言ったの?いくらなんでもちょっと信じられないんだが。
- 387 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/09(木) 22:33:35.23 O]
- まあお塩は口ではっきり言わなくっても、
ローマ人の物語最終巻で地図見せてそういうことにしたいこと言っちゃったしな
- 388 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/09(木) 22:34:28.50 O]
- 387修正
言っちゃったしな→示しちゃったしな
- 389 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/02/09(木) 23:35:01.75 0]
- >>385
ルーム・セルジューク朝、神聖ローマ帝国、ヴェネツィア共和国、シチリア王国など、 かなり色んな国と敵対してるからね、マヌエル1世は。外交戦略が好きな皇帝だったから、 それでも彼の時代はなんとかやっていけたんだろうけど彼の死後は一気に衰退してしまうし。 長期的に見れば彼の外交政策はあまり良い結果を残さなかったと思う。
- 390 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/10(金) 23:47:13.01 0]
- 帝国本土だったアナトリアのかなりの部分を奪われたままだったのだから、
マヌエル1世は対ルーム・セルジューク朝に専念すべきだったよね。 ユスティニアヌス1世ではなく、やはりバシレイオス2世を手本とすべき状況 だったはず。
- 391 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/11(土) 00:26:10.19 0]
- 周辺世界がいろんな意味で「ローマ帝国」の時代とは変わってたもんね
- 392 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/11(土) 00:34:32.81 P]
- 戦争しながらよしなにやってたセルジューク相手に本格的な武力制圧なんてできるはずないだろ
どれだけつながり深かったと思ってんだよ
- 393 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/11(土) 01:45:48.77 0]
- 広大な領土であった「ローマ帝国」の時代とは違い、「コムネノス朝」の時代
には属州がなくアナトリアとバルカンはともに本土だった。 「ローマ帝国」の時代ようにダキアやブリタニアように捨ててもいい属州が コムネノス朝にはもはやなかった。
- 394 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/02/11(土) 06:27:18.83 0]
- >>390
彼はどちらかというと西欧のほうに目を向けてたからね。 まぁ、シリアやキリキアのほうにも遠征して一定の成功は収めてるから、 全く東側に興味がなかった訳でもないんだけど。 内政に関しては結構西欧かぶれにみえるところがある。 >>391 だからこそ、彼はローマ帝国の威厳を保とうとして積極的な外交政策に乗り出したね。 国際政治の場でリーダーシップをとることが彼の基本方針だったらしいし。 >>392 確かに途中までビザンツ帝国はセルジューク朝となあなあな関係を築いてたからね。 むしろ、マヌエル1世がそれを壊してしまったと言えなくもない。 >>393 なるほど、だからどの領土も守るために多方面に外交政策を展開して、 そのせいで敵を作りすぎたと言えなくもないか。 かつてのローマ帝国の頃とはもはや事情が違いすぎるからね。
- 395 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/11(土) 19:20:26.06 0]
- >>380
根津先生がそれ書いてたのは『ビザンツ 幻影の世界帝国』だっけ。 兵力や国力の損害自体は痛手じゃないけれど、"不敗神話"が崩れたのは政治的にマズ過ぎるでしょ。 せめてもう一度どこかでルノー土下座に匹敵する大勝利を挙げることができたら、 しばらくは帝国に直接手を出そうとする動きは無かっただろうけれど……。
- 396 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/02/11(土) 19:39:42.30 0]
- >>395
そう、その本。最初、タイトルだけ見てビザンツ帝国の通史かと思って読んでみたら、 マヌエル1世しか書いてなくて驚いた覚えがある。まぁ、わりと面白かったけど。 不敗神話が崩れたのもマズいけどそもそもルーム・セルジューク朝を敵に回したこと自体、 政治的には失敗のような気がしなくもない。それまではそれなりに平和的関係だったからね。 まぁ、マヌエル1世はイタリア遠征なんかにも失敗してるから不敗とは言いにくいんだけど、 軍事的な失敗以前に外交に力入れすぎて逆に敵作りすぎたほうが悪影響大きかったと思う。
- 397 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/02/11(土) 19:40:27.56 0]
- ×逆に敵作りすぎたほうが悪影響大きかったと思う。
○逆に敵作りすぎたことのほうが悪影響大きかったと思う。
- 398 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/11(土) 19:47:10.74 P]
- それっぽいことそれっぽく言うだけの糞コテ死ねよマジで
- 399 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/12(日) 15:32:56.72 0]
- 一つの敵と決着をつける前に、前の味方を敵に回して、次の味方作っちゃうからなぁ
対バルバロッサを見据えた外交戦略の一環で、イングランド王ヘンリー2世や フランス王ルイ7世、ハインリヒ獅子公とも手を結ぼうとしてたな。 雄大すぎるだろw地中海大戦でもおッ始めるつもりだったのかw>マヌエル1世
- 400 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/12(日) 16:24:47.03 0]
- まあガチ大戦ではなく、外交成果で大国っぷりをアピールしたかったようではあるようだが
本人の外交戦略や対処能力が不足していた 中途半端に国力が伴っていたのもマヌエルを勘違いさせた一因だな
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