- 1 名前:世界@名無史さん [2014/08/30(土) 14:52:13.04 0.net]
- 一千年に及ぶ繁栄・衰退を誇ったビザンツ帝国史について語りましょう。
基本はsage進行。バルバロイによる荒し、煽りは適当に無視して下さい。 現代トルコ・ギリシャの話はできるだけ他所でやってください。 前スレ 【栄光の】トレビゾンド帝国総合スレ【東ローマ】 awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284293895/
- 846 名前:世界@名無史さん [2020/11/02(月) 09:17:32.27 0.net]
- たとえコンスタンティノス11世の時代に滅亡を免れたとしても遅かれ早かれビザンツは滅んでたと思うがな
長くはもたない状況だった
- 847 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/02(月) 11:36:19.07 0.net]
- ミカエル8世はベスト5に入れてもいいかな
コンスタンティノープルを奪回したし、 シャルル・ダンジューの野望も打ち砕いた
- 848 名前:世界@名無史さん [2020/11/02(月) 13:44:26.23 0.net]
- >>814
逆によくそこまで持ったな 室町幕府みたいな 状態で滅びそうでなかなか滅びなかった 超高齢でガタガタのお爺さんみたいだ
- 849 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/02(月) 14:39:13.48 0.net]
- 滅亡直前のコンスタンティノープルは衰退と人口減少が進み、
テオドシウスの城壁内の市街地にはいくつかの集落が散在し、 皇帝はなかば廃墟と化した宮殿の一角で生活するありさまだったとか 逆にジェノヴァ人居留区ペラは繁栄していた
- 850 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/02(月) 21:44:41.68 0.net]
- アレクシオス1世がワースト2?
十字軍を呼ぶなど衰退の決定的要因作ったから
- 851 名前:世界@名無史さん [2020/11/02(月) 21:52:12.51 0.net]
- ミカエル8世自体はなかなかの名君なんだが、
肝心のビザンツ帝国自体がもう彼の治世にはボロボロに衰退しきってて、 輝きをあまり感じられないのが残念だ
- 852 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/02(月) 22:18:36.80 0.net]
- パライオロゴス朝ルネサンス期には、西欧の影響のためか、立体的な浮彫が
製作されている ビザンツ帝国が滅亡しなければ、正教美術にも別の発展があったかもしれない
- 853 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/03(火) 01:44:48.06 0.net]
- >>818
アレクシオスは十字軍など読んでいないよ、傭兵に依頼をしただけ それをウルバヌスが勝手に十字軍に仕立て上げただけ 要請の内容は、西欧側とビザンツ側では食い違っていて 「十字軍の依頼」と主張しているのは教皇側 十字軍派遣の伏線は、むしろ1054年の教会の東西分裂にある そもそも西欧の傭兵はバシレイオス二世も雇っていたから 傭兵の要請が衰退の要因になるのならバシレオイス二世もワースト入りだろう
- 854 名前:世界@名無史さん [2020/11/03(火) 02:25:11.25 0.net]
- 第一回十字軍の頃はまだ中東に行ってたし、あまりビザンツ衰退の決定打っぽさは感じないな
- 855 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/03(火) 09:21:07.27 0.net]
- 第四回十字軍は、最初エジプトのカイロを攻撃する予定だったんだよな
だけどヴェネツィアに対して契約金を支払うことができなくなったので、 エンリコ・ダンドロは、ザ
- 856 名前:ラの奪還に協力すれば支払いの延期を認めるという
提案をした コンスタンティノープルに十字軍を導き入れたのはビザンツ帝国の内紛 [] - [ここ壊れてます]
- 857 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/03(火) 11:21:00.91 0.net]
- セルジューク朝のアルプ・アルスラーンも
ファーティマ朝を倒す為にエジプト遠征の途上だった ファーティマ朝はきっかり百年も延命した
- 858 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/03(火) 13:44:28.99 0.net]
- 十字軍は、最初はセルジューク朝に征服されたパレスチナに向かったはずなのに、
到着してみたらファーティマ朝の支配下に戻っててファーティマ朝を攻撃することになってしまった 殴り合いの喧嘩の助っ人に入ったら、間違って庇う方を殴ってしまったみたいな ファーティマ朝が統治していたころは、聖地巡礼旅行が普通にできていたから 第一回十字軍でも後のフリードリニ二世のような人が指揮していたら、ファーティマ朝との 間で無血交渉ができたかも知れない
- 859 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/03(火) 22:13:12.51 0.net]
- どっかの本で、ラテン帝国作られて、滅ぼしたけど失ったものも
大きかったとあったな
- 860 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/03(火) 22:34:23.11 0.net]
- 10世紀初め、コンスタンティノープル総主教のニコラス・ミスティコスは、
イスラムのあるアミールにこう書き送っている 「この世界には二つの最高権威があります。ひとつはイスラム教徒のもの、 もうひとつはローマ人のもので、世界はこれらの権威から放たれる輝かしい 光で満ち満ちています」 一方、ビザンツ帝国は、西欧に対し常に優越感、軽蔑、不信感をもって接してきた この意識の差は、ローマ教会に対するコンスタンティノープル教会の高飛車な 態度となって現れ、1054年、これに不満を抱いたローマ教皇の使節は、 コンスタンティノープル総主教に破門状を叩きつけた
- 861 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/04(水) 01:06:45.42 0.net]
- そんなビザンツも15世紀に入る頃には西欧に文明力も追い越されてしまうんだよなぁ
建築様式ですら一部西欧式のものを取り入れる始末 歴史ってものはホントどう動くか分からない
- 862 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/04(水) 09:19:05.83 0.net]
- >>828
このスレとは直接関係がないけど、前近代に、日本がいずれ中国を追い越すと 考えた者はいなかっただろうな
- 863 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/04(水) 18:46:37.01 0.net]
- 東ローマとササン朝ペルシャではどちらの方が文化水準が上だったの?
まあどちらとも軍事力ではイスラムに敵わなかったわけだけど古代ローマとゲルマンを見ても分かる通り文化水準と軍事力は別だからな
- 864 名前:世界@名無史さん mailto:Sage [2020/11/05(木) 13:04:57.32 0.net]
- シミュレーションゲームがあるとするやん?
信長の野望みたいなさ 自分が君主としたら どこの時代が一番簡単? 反対に1453年は無理ゲーだけどどの時代が やりごたえありそう? (こんなん聞いても分かってくれるかな?)
- 865 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/06(金) 02:58:18.69 0.net]
- >>831
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%9A%87%E5%B8%9D%E4%B8%80%E8%A6%A7 東ローマ帝国の皇帝一覧 このスレに来る他の方が遥かに知識も豊富で詳しいと思うけど・・・ 私見では「一番ラクチン」って言うならコンスタンティヌス大帝とかユスティニアヌス大帝とかじゃないの? 難易度考慮せず「やりごたえ」っていうなら ユリアヌス、ヘラクレイオス、バシレイオス2世あたりでは
- 866 名前:世界@名無史さん mailto:Sage [2020/11/06(金) 07:57:55.47 0.net]
- 浮気相手に殺害された皇帝はやりがいあるな
- 867 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/06(金) 10:31:36.44 0.net]
- 逆になりたくない皇帝といえば、アンドロニコス1世とかユスティニアノス2世
とかかな
- 868 名前:世界@名無史さん mailto:Sage [2020/11/06(金) 20:05:31.63 0.net]
- アレクシオス1世がやりごたえありそう
ロマノフ率いる主力中の主力が壊滅し、 移民族の侵略が続き、政治は乱
- 869 名前:れ
財政は破綻しつつあった状況から開始だな それにしても24歳で将軍はすごいな コムネノス系は有能な人物多い [] - [ここ壊れてます]
- 870 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/07(土) 18:33:01.96 0.net]
- ビザンツには両眼をえぐり取る、舌を切断する、鼻削ぎの刑に処す、去勢する、
などの残酷な刑罰が途中から出てくるけど、あれはオリエントの影響なのかな
- 871 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/07(土) 23:18:01.29 0.net]
- 残虐さで1000年ももったのかな?
始皇帝の秦は15年しかもってないけど残虐さは同じくらい
- 872 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/08(日) 09:00:12.10 0.net]
- >>833
ニケフォロス2世とか?
- 873 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/08(日) 12:39:24.85 0.net]
- >>836
オリエントの影響もあるらしいけど、それまでなら処刑だったのを命までとらなくなった というのはキリスト教の影響らしい
- 874 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/08(日) 12:40:58.02 0.net]
- 命まで取らなくなったから反乱が増えた、という側面もあるが
- 875 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/08(日) 14:16:22.47 0.net]
- 残虐な刑罰が目立つな
- 876 名前:世界@名無史さん [2020/11/09(月) 01:02:42.38 0.net]
- 目を潰すのは基本的に反乱だっけ?
普通は殺さないとまた反乱されるから殺されても仕方ないところを、あえて生かすとなると目を潰さないと反乱を防げないからってことだろうか
- 877 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/09(月) 05:54:20.82 0.net]
- グロい話はええわ。
この帝国はどこまで儲かってたん?東西交易の中心に都があったから それなりに関税収入も入ってたんやろ?
- 878 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/09(月) 07:42:55.28 0.net]
- 絹織物も、最初はビザンツでしか作れなかったんじゃなかったっけ?
- 879 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/09(月) 08:13:26.13 0.net]
- 西欧で作れなかったが西アジアでは普通に作れてた
イスラム帝国でもマシュリクでは作れてた アンダルシアとかマグリブではどうだったか知らんが
- 880 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/09(月) 09:16:45.29 0.net]
- ビザンツ帝国には、それなりの輸出産業があった。
コンスタンティノープルは絹織物や工芸品、バルカン半島のトラキアは農産品、 マケドニアは鉄・刺繍・ベーコン・チーズ、ギリシアはラコニアの大理石、 小アジア西部はワイン・油・米・紫衣・スペルト小麦(家畜の飼料)、 その他の小アジア沿岸部は農産品、内陸部は織物や動物の皮を生産していた。
- 881 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/09(月) 14:47:36.09 0.net]
- ビザンツ帝国は、外国人の交易をコンスタンティノープルに限って行わせ、
彼らの滞在期間は3か月以内とし、輸出入とも10%という高い関税を支払うことを 義務づけていた この原則を、アレクシオス1世が放棄した
- 882 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/09(月) 21:48:51.18 0.net]
- なるほどな、かなり儲かってるな
輸出にあたって、海上ルートがエーゲ海と黒海だけというのがコンスタンティノープルの弱点だな。 アナトリア半島は確保したいよな。道理で遠征繰り返すわけだ。
- 883 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/09(月) 22:30:14.70 0.net]
- バシレイオス2世は、死後に何万もの金貨からなる財宝を残した
ノミスマ金貨は品位が安定していたのでバルト海から紅海にいたる 広大な地域で本位通貨になっていた この時期のコンスタンティノープルは世界一の市場だった
- 884 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/09(月) 23:13:41.00 0.net]
- >>8
西欧主義の身勝手かと思ってたが ビザンツをローマと認めちゃうと、そのローマを倒した共同体(イスラム)がダニエル書の予言の成就と重なるから ローマと関係なくする動きや東ローマ帝国の過小評価につながってるのかなとおもた
- 885 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/09(月) 23:50:06.35 0.net]
- ビザンツの歴代皇帝見たけどみんな金持ちの割には質素だね
コインしか顔がわからんのはあほくさと思った。
- 886 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/10(火) 06:49:12.36 0.net]
- 12世紀にフライジングの司祭オットーは、「帝国移転の論理」を用いて、
世界を支配する帝国が、古代ローマ帝国から東ローマ帝国、カール大帝の フランク帝国を経て、最後にオットー大帝の神聖ローマ帝国に移転したという 説をとなえた 西欧人がビザンツを否定するようになるのは、やっぱり近代になってからじゃ ないのかなあ
- 887 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/10(火) 19:47:15.82 0.net]
- ユスティニアヌス帝は地中海世界の彩光を目指して大遠征をおこなったが、
征服地で重税を課した。 結果、ローマの再興に幻想を抱いていた民衆は幻滅してしまった。 あげく、ニカの乱では数万の民衆を虐殺するわ 名建築のアヤソフィアを建てさせたことは歴史に残るが 名君かは微妙に?がつく
- 888 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/10(火) 21:33:20.50 0.net]
- >>846 ビザンツはどこまで水産資源を活用してたの?
トルコ地域は魚食べないから聞いてみたい
- 889 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/10(火) 22:18:54.63 0.net]
- >>854
つ「イスタンブール名物鯖サンド」
- 890 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/10(火) 22:20:51.21 0.net]
- ビザンツの商人が扱った交易品は、ワイン・油・塩魚・奴隷・東方の香辛料・織物・
衣服・壷・貴金属などだった
- 891 名前:世界@名無史さん [2020/11/10(火) 22:32:44.34 0.net]
- 今のトルコ人がトルコ文化に染まった元ギリシャ人というのは本当なのだろうか
- 892 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/10(火) 22:36:57.49 0.net]
- 古代の小アジアには、リュカオニア人とかフリュギア人とか、
さまざまな民族がいたけれど、彼らはビザンツ時代にはどうなっていたのだろうか ギリシア人に同化されていた?
- 893 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/10(火) 22:54:10.24 0.net]
- アナトリア東部ユーフラテス河国境に接するカッパドキアは
完全にギリシャ化しておらず住民の多くがアルメニア人だった ロマノス4世はカッパドキア出身なのでマンジケルトの戦いでは ギリシャ人将兵らが戦場から勝手に退却した
- 894 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/10(火) 23:06:16.54 0.net]
- ユーフラテス河の東西にカッパドキアとアルメニアに
アルメニア人が分布していたわけだね セルジューク朝はユーフラテス河を国境にして アルメニアをセルジューク領にして東ローマと 講和しようとしたけどロマノス4世は拒否した ギリシャ人諸将はこの講和を歓迎したけど ロマノス4世を説得出来ず戦場で裏切った
- 895 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/10(火) 23:14:03.46 0.net]
- 昔のアルメニアはユーフラテス河で東西に分断されていた
近世のウクライナがドニエプル河でポーランド領とロシア領に 東西に分断されていたのに似ている
- 896 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/10(火) 23:18:43.82 0.net]
- マンジケルトで戦ったビザンツ軍の中には、トルコ人傭兵もいたのだとか
- 897 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/10(火) 23:23:35.08 0.net]
- 黒海北岸にいたトルコ系ペチェネグ人の傭兵
- 898 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/11(水) 03:34:45.69 0.net]
- ローマ帝国が東西分裂したばかりの時にはアルメニア人以外にも
イサウリア人やケルト系ガラチア人とかが小アジアにいた その後バルカンにスラブ人が移住してくるとバルカンから ギリシャ人が小アジアに避難してきて小アジアのギリシャ化が促進した トルコ人が小アジアに移住してくるとギリシャ人はバルカンに避難して かなりスラブ化していたギリシャ本土が再ギリシャ化した
- 899 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/11(水) 09:16:04.60 0.net]
- ビザンツではテマ制がうまく機能しなくなったので、徴兵制をやめ、
傭兵を雇うための租税を徴収する方向に転換した 傭兵の中にはヴァリャーグ人、フランク人、ノルマン人、ペチェネグ人、 ブルガール人、アルメニア人などがいた
- 900 名前:世界@名無史さん [2020/11/11(水) 13:09:58.17 0.net]
- ギリシャの火の原材料はどこから輸入?
硝石って火山国にしか取れないから 火山国多い日本から輸入してた?
- 901 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/11(水) 16:52:13.24 0.net]
- >>865
ロシア人傭兵「さんざん世話になった俺たちを無視するな」
- 902 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/11(水) 17:18:27.67 0.net]
- ロシア人傭兵 = ヴァリャーグ人
- 903 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/11(水) 20:35:07.24 0.net]
- じゃあスウェーデン人は?
- 904 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/11(水) 20:55:04.95 0.net]
- スウェーデン人もヴァリャーグ人だな
- 905 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/11(水) 22:32:46.58 0.net]
- 陸上で傭兵を雇う
- 906 名前:セけでなく、海軍力も、法外な商業的特権と引き換えに、
ヴェネツィア人に委託してしまう [] - [ここ壊れてます]
- 907 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/12(木) 08:59:21.11 0.net]
- ロマノス4世がセルジューク朝と講和せずにマンジケルトで戦ったのは
兵の大部分が戦利品目当ての外国人傭兵だったからでもある ロマノス4世は第二のアレクサンドロス大王になると称して イスラム世界に攻め込む為に大軍をかき集めた フランク人やノルマン人やペチェネグ族らはイスラム世界の富に憧れ 略奪する事を夢見て傭兵となったので講和するわけにはいかなかった もし戦わずに講和したら傭兵らは東ローマで略奪しかねなかった イスラム世界の都市を攻める為の投石機や破城鎚を操作する作業員が 野戦で足手まといになった事も東ローマ軍の敗因のひとつだった
- 908 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/12(木) 11:04:37.96 0.net]
- 中世人にとって、戦争というのは基本的に経済的行為なんだよな
戦争による財貨(動産)の獲得が主な動機 ヴァイキングがイングランドや西フランク王国を恒常的に略奪してまわったのも、 アッバース朝から商業交易その他の形で西欧に流れ込み、フランク王国に蓄積された 富をねらってのことだった
- 909 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/12(木) 11:33:38.91 0.net]
- ○○ケルトという地名はアルメニア語
本来はあのあたりまでアルメニア文化圏なんだよなあ
- 910 名前:世界@名無史さん mailto:Sage [2020/11/12(木) 13:05:22.58 0.net]
- 難しいこと聞くかもしれないけど
日本の中世の政権運営方法をビザンツに 輸出はできるのかな? 鎌倉幕府から明治まで800年 武家政権が続いたわけだけど その土台になるのは御恩と奉公 という将軍と御家人の主従関係なんだけど ようは御家人は将軍から自分たちの社会的地位 や領土を認めてもらうかわりに滅私奉公的に 幕府にために尽くすというものだけど これどう?ビザンツでも通用する? 幕府に問題が起きたら「いざ鎌倉へ」なんだけど ビザンツに問題が起きたら「いざコンスタンチノープルへ」というキャッチフレーズで。
- 911 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/12(木) 14:07:15.70 0.net]
- >>874
マラズギルトはむしろアルメニアの中心部 ディヤルバクル近郊のエルガニの現存最古の記録がアルメニア語で その後の歴史で現マラティアくらいまでがアルメニア圏と考えられる
- 912 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/12(木) 14:20:36.21 0.net]
- ヘレニズム時代にコンマゲネ王国という国があったけど、あれもアルメニア人の国?
- 913 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/12(木) 15:00:43.47 0.net]
- そうだろうね
- 914 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/12(木) 18:28:22.98 0.net]
- アンドロニコス2世の時代にはアルモガバルスと呼ばれたカタルーニャ人傭兵も
雇っていたな
- 915 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/12(木) 22:47:16.94 0.net]
- >>785
無理。 第一、日本の御恩と奉公は、幕府からの対価と幕府への義務が曖昧すぎる。 日本のような単一民族で、物事をあいまいにできる人種ならできるだろうが、 ビザンツはいろんな宗教や人種がいるんだ。忠誠心もまばら。 どんな価値観が混ざっても、義務と報酬を明確に紐づけてあげないと、 いくら働いても報酬はこれだけ、一方でちょっと働いてたんまり報酬という 不公平な扱いがあっちこっちに出てきて、不満が爆発するに決まっている
- 916 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/12(木) 22:48:54.99 0.net]
- 間違えた。
>>875ね
- 917 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/12(木) 23:26:31.48 0.net]
- トルコ人が小アジアを制圧したころ、西からは、ノルマン人が南イタリアの
ビザンツ領に侵入しはじめ、1071年には最後の拠点バーリが奪われる。 そして、1080年代になるとノルマン人の首領ロベール・ギスカールが アドリア海を渡ってバルカン半島に入り、コンスタンティノープルを目指すようになる この時期のビザンツは西にも東にも敵を抱えていた
- 918 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/13(金) 08:14:24.94 0.net]
- >>872 そんなことがあったのか・・・
ロマノス4世って皇帝で捕虜にされた前代未聞の馬鹿と思ってたけど違ったのね 東ローマのダメ皇帝列伝とかに載ってないから、なんでかな?と思ってたけど そういうことか。
- 919 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/14(土) 00:11:47.11 0.net]
- この王朝は本当に王族同士での殺し合いが多すぎる
アレクサンドロス大王の時代を除けばギリシャの全盛期を作り出したとも言えるが 個人的には三人賢帝を選ぶなら、 ユスティニアヌス1世、ミカエル8世、マヌエル2世だと思う 最後の皇帝三人はやった事や考え方を見ると凄く現実的で穏やかでしたたかな人物 マヌエル2世、ヨハネス8世、コンスタンティノス11世は 別の時代に生まれていればかなり勢力を拡大したと思うしさぞ名君だったと思う 特にマヌエル2世が当時最大の脅威だったオスマン帝国を 存命中は表面上はあくまで友好的に接しながら何度も離間を仕掛けて 自分の意のままに操っていたというのはかなりのもんだと思う もっとも狡猾なギリシア人ってのはマヌエル2世の方が相応しい
- 920 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/14(土) 00:26:57.98 0.net]
- そういや暗殺も好きだけど本当この国、目潰し大好きだよね
何かあるとすぐ目を狙ってくる
- 921 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/14(土) 10:48:20.37 0.net]
- >>885
五体満足でないと皇帝になれなかったんだっけ?
- 922 名前:世界@名無史さん [2020/11/14(土) 11:27:42.94 0.net]
- 目潰しは反乱できなくするためではないかな
主に反乱した人がされたみたいだし 命を奪わないだけ慈悲深いという認識だったのかも
- 923 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/14(土) 12:36:18.23 0.net]
- 反乱しても命を取られるわけではない、ということで反乱が増加した、という見立てもある
- 924 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/14(土) 13:24:41.59 0.net]
- 東ローマカラテにおいては目潰しは基本技……
- 925 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/14(土) 14:59:12.86 0.net]
- 鼻削ぎの刑もあったな
- 926 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/14(土) 15:58:03.56 0.net]
- すいやせん
東ローマ帝国が滅亡してローマ帝国が滅亡したと考える学者と 西ローマ帝国が滅亡してローマ帝国が滅亡したと考える学者とで2つに割れるって 本当ですが?それぞれの学者の言い分について教えてください
- 927 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/14(土) 15:59:56.50 0.net]
- おじゃましますか?
- 928 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/14(土) 22:16:44.12 0.net]
- 西方教会と東方教会では、実は東方教会のほうがキリスト教本来の姿に
近いんじゃないのかなあ キリスト教はもともとパレスチナで生まれた宗教だし、 新約聖書はギリシア語で書かれているし
- 929 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/15(日) 12:25:25.81 0.net]
- >>892
安尾「おじゃましますか?」
- 930 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/15(日) 23:23:37.97 0.net]
- >>891
西じゃないですかね? ローマ帝国は 東ローマはギリシャですから
- 931 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/16(月) 02:06:58.53 0.net]
- 西ローマなんて、ダニエル書に粘土とか書かれた部分だろ
- 932 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/18(水) 23:39:06.56 0.net]
- >>885
東ローマの捕虜になったブルガリア兵大多数の両目を潰した後,片目だけ潰した 残りの連中に連れ帰らせたんだっけか
- 933 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/20(金) 12:51:20.49 0.net]
- どうして第4十字軍にあんなにあっさり落とされたんでしょうか?
はるかに弱体化した最終決戦の時もオスマン帝国相手に粘ったのに いくらフランク騎士のほうがトルコ騎兵よりも接近戦が得意で攻城戦には有利とはいえ、 20万の大軍+大砲相手に1万人で2か月も耐えた都市が、大帝国の国力があるのに 烏合金欠騎士団相手に2週間で陥落するなどということがあるでしょうか
- 934 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/20(金) 13:37:18.53 0.net]
- >>857
そもそもトルコ人の定義がトルコ語を話すムスリムだからな 当然改宗したギリシャ系の子孫も多い
- 935 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/21(土) 11:23:53.89 0.net]
- ビザンツ帝国は、黒海に国営養魚場をふんだんにもっていたため、
コンスタンティノープルの労働者はしょっちゅうキャビアを食べていた
- 936 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/25(水) 08:00:21.63 0.net]
- 11世紀半ばのビザンツでは、商人出身の新興中産階級が元老院に入れるようになったが、
1081年に、アレクシオス1世コムネノスが即位し、土地所有貴族が実権を握ると、 商人出身者は元老院から追放され、元老院議員の商業活動も禁止された もしビザンツが商人に対してずっと開放的であり続けたら、この国の歴史も 変わっていたのかなあ…
- 937 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/25(水) 15:48:37.69 0.net]
- 西欧からやってきた十字軍もビザンツの捕虜となった時は目を潰されちゃったんだろうな・・・
それはともかく現在のギリシャ料理やトルコ料理ってその本元はビザンツ料理なんかな? イスラム圏で広く食されてるケバブは違うかもしれんけど
- 938 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/25(水) 17:11:31.45 0.net]
- トルコ料理のヨーグルトの多用とかは遊牧民文化の特徴だと思う
- 939 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/26(木) 01:41:22.67 0.net]
- >>902
>西欧からやってきた十字軍もビザンツの捕虜となった時は目を潰されちゃったんだろうな・・・ 犯罪者でもないのに目つぶしなどされない 十字軍は犯罪者集団に近かったから、そういう素行の悪いやつらは目つぶし刑にされたかも知れないが 捕虜は原則捕虜交換された 1014年のブルガリア軍との決戦での目つぶしは現在では伝説だと考えられているそうだ
- 940 名前:世界@名無史さん [2020/11/30(月) 19:52:27.66 0.net]
- コンスタンティノープルだけになってもローマ帝国を名乗ったビザンツは台湾だけになって中華民国を名乗る台湾みたいなもん?
- 941 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/30(月) 22:20:02.86 0.net]
- >>905
末期のビザンツではギリシア人意識が生まれていた 自分たちを「ヘレネス」(ギリシア人)と自称し、 ギリシア古典文化の復興も行われた
- 942 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/30(月) 23:17:00.88 0.net]
- ローマじゃなければ聖書の予言が達成されないから
神がそうさせたんだよ
- 943 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/12/02(水) 23:35:25.06 0.net]
- モンゴル帝国が攻めてきたとしたら守り切れる自信あった??
- 944 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/12/04(金) 19:07:31.67 0.net]
- コンスタンティノープルとかビザンツ都市の城壁は
石と焼き煉瓦で造られていたから簡単に陥落しなかったはず 華北や中央アジアとイラクの城壁は日干し煉瓦製が多く 見かけによらず脆かった
- 945 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/12/04(金) 19:21:10.13 0.net]
- 河北は内部が版築、外装が焼成煉瓦ではないか?
- 946 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/12/04(金) 23:28:23.13 0.net]
- 明の時代に華北の城壁も焼き煉瓦になった
二度とモンゴルに征服されない為にした イランは煉瓦を焼く薪が貴重なので モンゴル征服も日干し煉瓦だった インド人が火葬するのに古代イランの ゾロアスター教が火葬を厳禁したのは 砂漠なので薪が貴重だからだろうね
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