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基礎論なぜなにスレッド その{φ,{φ},{φ,{φ}}}



1 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/01/20 16:53]
ちょと見ない間に前スレ消えちゃったので新スレ立てます。

基礎論なぜなにスレッド
cheese.2ch.net/math/kako/970/970523340.html
基礎論なぜなにスレッド その{φ,{φ}}
science.2ch.net/test/read.cgi/math/1014140987/l50(dat落ち)
数理論理学 基礎
science.2ch.net/test/read.cgi/math/1035210795/l50
フォン・ノイマンVSアラン・チューリング
science.2ch.net/test/read.cgi/math/1009039204/l50

185 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/10 20:22]
>>184
君、マツシンが某掲示板で「出来の悪い学生の誤り」って、
云われたことって実は今君がいってること、つまり>>179
だって知ってたかい?(笑)

つまりね、君がマツシンなんだ。わかる?
よりにもよって、自分が馬鹿にしているマツシンと
同じことを自分で主張してたなんてまったく笑っちゃうだろ?

186 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/10 20:24]
まったくわらっちゃうよな。匿名君は。
一階述語論理しか書いてない日本語の基礎論の本だけ読んで
全て分かった気になって、あの生半可のマツシンと全く同じ
間違いを堂々と口にしてるんだからね。ああ、おかしい(笑)

187 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/10 20:31]
>>184こそ古臭いんじゃないかな?
最近じゃ、小野さんの論理の本だって二階論理の意味論くらい書いてあるよ。
二階論理は主構造に関しては完全性を満たすように公理化できないともあるよ。

いい加減、自分の無知と強弁を認めたらどうかな?
ここで突っ張りとおすと、マツシンどころかエムシラ、ヤマジンの道を
つき進むことになっちゃうよ。Kitty Guyなんていわれたくないだろ?

188 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/10 21:11]
相変わらずお元気ですね、179に書いてあることにつきています。
ただ同じことをマツシンがいえばそれは「わかっていない」って
ことになりますな、それは中味がないからですな。

189 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/10 21:20]
>>184
>だから179に書いてあるじゃない。
>>188
>179に書いてあることにつきています。

179のうち
「standard-model は各人によって定められているわけで」
「(standard modelは)形式化されないところでのものを
 さすのが普通だと思う。」
「通常、standard model は数学者各人がもち、
 ある程度の共通認識をもてる対象として
 数学に存在している」
は”マツシンと同じく”、中身のない誤り。

190 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/10 21:32]
>>189のつづき

>>179で唯一数学的に意味のある個所はここだけ。

「基礎論に詳しい方のなかには、
 standard model が集合論の中で
 一意に定義されたものであるという
 人もいるようだが、それは数学を
 集合論のなかに形式化すれば、
 standard model の定義はそれになる、
 ということであって」

君は口にしていないが、これは
transitive set model
のことを云いたいのかな?

ただ、ここでtransitive set modelがstandardであるという
「根拠」を考えた場合、二階論理に頼らざるを得ないんじゃ
ないかな?例えば濃度について考えるためには、二階論理に
よらざるを得ないよ。一階論理ではいくらでも「ゴマカシ」
がきくことは知ってるよね?

191 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/10 21:41]
>>179=>>184=>>188の匿名君は、一階論理によることができない場合
「個々人の中にある形式化されないもの」とかいう精神的なものとして
宗教に逃避せざるを得なくなるわけだけど、それじゃエムシラと何ら
かわるところがないよね。

そうじゃなくて、二階論理による「述語についての限量」という考えで
ある程度説明できるところに数学としてのもっともらしさがあるわけで
そこを蔑ろにしてはいけないよね。

192 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/10 21:53]
一階の論理であり、二階の論理であり、形式体系 syntax と
semantics の区別をが大切、とくに、この区別を syntax の
なかですることがゲーデルの第二不完全性定理と関係があり
semantics の中ですることが 179 にあること。
二階の論理を持ち出したからといってそれらが解決するわけでは
ない。そう思うのはマツシンモデルにおけるマツシン論理。
訂正184の「ほぼマツシン論理にちかい」というのは日本語として
おかしい。「限りなくマツシン論理にちかい」というべきであった。

193 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/10 22:39]
>>192

君、文章が崩壊してきてるよ(笑)
syntaxと、semanticsの区別をsyntaxのなかでするとか
semanticsのなかでするとかって何がいいたいの?

いっとくけど二階の論理をもちだしたから
ゲーデルの不完全性定理を乗り越えられるなんて
誰も一言もいってないよ。むしろ、不完全性定理は
二階の論理のsyntaxとsemanticsの関係が、
一階の論理とは違うものであることを示している
といってるんだけど、何でそれがわからないかな?

君の云ってることこそ、かつての一階論理マンセー
といってた頃のマツシンと同じなんだけど(笑)
そういえば、無矛盾性とかモデルとかに異様なほど
固執するのもかつてのマツシンとまるっきり同じ。



194 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/10 22:46]
あのさ、>>192はいままでどんな勉強したの?
なんか云ってることがつぎはぎだらけで
一貫性がみられなくておかしいんだけど。


195 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/10 22:50]
ほんとマジでおかしいよ。>>192

196 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/10 22:53]
>>194 >>195
興奮しているのはわかるが、二度も書かなくていい。

197 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/10 23:20]
>>186-187
>一階述語論理しか書いてない日本語の基礎論の本だけ読んで

>最近じゃ、小野さんの論理の本だって二階論理の意味論くらい書いてあるよ。

そうそう。原因はともかく、少なくとも日本においては一時期
2階論理に関する資料が極端に少なかった時期があるよね。君もそ
う思うでしょ?

その時期のテキストで論理の学習をした世代は、2階論理になじみ
がないと思う。ふるい、古くないの発言が出ている以上、このよう
な意味で、「2階算術になじみのない世代」という世代の問題はあ
るとお考えなわけですね。



198 名前:1億円ください mailto:sage [03/03/10 23:30]
>>186
>まったくわらっちゃうよな。匿名君は。

え、君の自作自演じゃないの(笑)?君もなー。

誰が何を言ってるかわからないんじゃ議論にならないよ。熱弁を振る
いたいのならば、仮コテぐらい付けてくれない?せっかくの書き込みが
意味ないよ。

199 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 01:05]
>>196
訂正。三度も書かなくていい。

200 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 01:53]
ゲーデルの不完全性定理を理解したいのですが、
前原「数学基礎論入門」とスマリヤン(高橋訳)
「ゲーデルの不完全性定理」とでは、みなさんど
ちらがお勧めですか?それぞれの長所・短所を合
わせて教えて頂けると幸いです。

201 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 03:12]
>>200
やっぱ、スマリヤンでしょう。

202 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 07:00]
>>199
1つにまとめられる書き込みを3つにするのはマツシンの特徴。
ときどき2つあるいは4つであることもあるが3つが圧倒的に多い。

203 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 07:42]
>>197

匿名をいいことに他人事で語るかい?
まあ、いいか。>>179>>184>>188>>192
トンデモぶりは記録されたわけだし。
「マツシン叩きがマツシンになる」ことの好例だね。




204 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 07:51]
>>200
>ゲーデルの不完全性定理を理解したいのですが

何でもいいから読んでみな。

205 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 09:47]
どうも>>179は感情的になっているので、
頭を冷やしていただくために、議論の
発端である>>79までさかのぼってみよう。

>2階論理だと完全性定理が成立しないというのは、
>どういう意味でしょうか?
>それは、2階の部分を部分集合全体で解釈する、
>いわゆる standard modelに限れば完全性定理は成立しませんが、
>そうではないものもいれれば完全性定理は成立しているのではないですか?
>L. Henkin: Completeness of types, J.S.L. (1950) 81-91
>general model という枠組で完全性定理が証明されています。

これに対して>>82では、二階論理の本来の意味論は
standard modelであり、それに対して、Henkinの
general modelは一階論理の意味論にあわせたもので、
non-standardなものであるといっているわけである。

206 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 10:03]
>>205
>>82に対して、>>83の「強制法による結果は無意味か?」と
>>84の「cut-eliminationは無意味か?」という反論?があるが
これに対しては>>85>>82の主張が、これらの技法による結果を
ただちに無意味とするものでないことを暗に述べている。

また、>>86で述べているのは、cut-eliminationが形式化された
推論系に対する議論であるから、それと対応するgeneral model
を用いるのは妥当であるが、我々が二階論理において理論を
表現する場合には、推論系による証明能力まで考慮しているわけ
ではなく、本来の意味論で考えているわけだから、完全性を
満足させるために無理矢理general modelを考えるのは、
本末転倒であるといっているわけである。

これに対する>>90の反論は、どうみても、二階論理の
推論系(syntax)と、モデル(semantics)が、それぞれ
別個のものであることを無視して、論理といえば、
推論系のことであり、モデルは推論系の都合に
合わせればいいのだといわんがばかりである。

真の誤解は、論理=推論と考えることにある。

207 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 10:25]
>真の誤解は、論理=推論と考えることにある。

このような発言に対して、それではM_SHIRAISHIのRLと同じだ、
という反論があるだろうが、そうではない。

論理が推論ではない、からといって、例えば
「「ならば」の意味が間違っているから、
 ゲーデルの不完全性定理は間違っている」
とかいう荒唐無稽な結果を支持することにはならない。

M_SHIRAISHIが「ならば」と「不完全性定理」に
着目したこと自体は悪くないが、その結果としての
RLに関しては、残念ながら見るべきものはない。

208 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 10:35]
マツシンに関していえば、某掲示板においては
>>90と同様の推論至上主義に凝り固まっていた。
その意味では、この誤解はマツシン固有のものではない。
(ここではネットにおける振る舞いの問題については置いておく)

どうも数学板ではマツシンの「誤解」が明確になされることなく、
自分の「常識」に反する主張を、マツシンの誤解、とする行動が
まかりとおっている。
しかし、実際には、その常識は、マツシンと同じ「迷信」であり
やっていることも、感情的反応に走っている点で、自分達が
批判しているものとそっくりになってしまっている。
まさに同じ穴のムジナである。

209 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 10:44]
閑話休題。本題に戻ろう。

ところで、論理は推論ではない、といったからといって
「摩訶不思議な術によって、あらゆる命題の真偽が分かる」
などということを主張しているわけではないことを重ねて
主張しておきたい。

そうではなく、論理の「意味」を考えるということは、
その意味を明らかにする手段の有無とは独立であると
いうことである。

例えば二階論理上の自然数論のモデルが同形だという定理は
自然数論の命題の真偽判定手続きとは無関係に示されるのである。
デデキントは決して曖昧な直感的議論を行ったわけではない。

210 名前:1億円ください mailto:sage [03/03/11 11:39]
>>203
>匿名をいいことに他人事で語るかい?

なんか勘違いしてないか?197=198 であって、私が書いたのですが?
他人の投稿だから他人事として語るんですけど(苦笑)

それよりも、君は、>>197 で言っているような世代の問題はあるって
思ってるよね、という内容のほうに答えてもらえないでしょうか?

僕は以前、この手の世代の話題を出したら、誰かにそんなものはない、
的にあしらわれたんだけど(笑)、ある時期の日本語テキストで
2階述語論理に触れているものはすくないという印象は捨てがたいんだよね。

君も同じような印象を持っているようだから聞いてるだけなんですが。


211 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 11:55]
>>210

世代の問題ではなく地域の問題だよ。
日本はロジックでは辺境の地なんだよ。

日本で数学基礎論といえば昔は竹内の証明論だったわけですが
それは単純に時期がどうこうというより、辺境である日本の
特殊な事情があるわけ。

212 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 12:01]
>>210>>79=>>179なのかい?

違うなら、別の話題を振るのは遠慮してくれよ。興味ないから。

213 名前:1億円ください mailto:sage [03/03/11 12:19]
>>211
同意。まあ、竹内先生が日本の logic の代表者であった世代の問題でも
ある(僕はそちらを強調した)ので、「日本という特殊な地域でのある
世代の問題」が正確じゃないかな。

前原先生が亡くなったときの数学セミナーの追悼記事で、
往時のモデル論軽視の風潮が忍ばれる回想記事があったよね。
今手元に数セミがないのでわからないが、誰の記事だったっけ?
持ってない?

そろそろ、日本の logic 史もある程度まとめる時期だよね。はやくしないと
証人が死んでしまう(苦笑)





214 名前:1億円ください mailto:sage [03/03/11 12:31]
>>212
信じる信じないは勝手だが、おれはこのハンドルを定めてから、ミスを除いて
このハンドルで書き込んでるよ。

俺もまねしようかな。>>91 = >>211 = >>212 かね?発言が少々矛盾してないか?

215 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 12:36]
>>200
その質問にマッチするスレを紹介しましょう。

前原本
science.2ch.net/test/read.cgi/math/1043852921/l50

スマリヤン本
academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1024981591/l50

この2スレを読んでみては。


216 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 13:21]
>>214
>信じる信じないは勝手だが

信じよう。

>>91 = >>211 = >>212 かね?
>発言が少々矛盾してないか?

それをいうなら>>89>>210
ニュアンスが違うだろ。

>>89は世界的レベルの話で
>>210は日本ローカルだと
思ったわけさ。

217 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 13:28]
>>213
>そろそろ、日本の logic 史もある程度まとめる時期だよね。
>はやくしないと証人が死んでしまう(苦笑)

G.T氏ですか?(をひをひ)
もっとも、logic史を総括するなら、
Xデーの後のほうがいいかと(笑)

218 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 14:21]
二階の論理を持ち出さないと standard, non-standard の区別が
できないと思っているのは錯覚。大体、数学をしているとき、
だれも一階だ二階だなどと気にしない。つまり自分がいるところ
がすべてである。それでなにも気にしなければ形式論理など無関係。
ところが哲学関係あるいは論理学のみって人たちは妙にうるさくいう。
しかし、論理なんて数学以外のところではそんなに複雑なものを使う
わけではない。そこで部分集合の関係した命題がいかに複雑で直感
からほど遠いものだということを知らない。それでどうもエムシラ
モデルとマツシン論理の域からそれほど遠くないところで終わって
しまうってことなのだろうか?

219 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 14:38]
>二階の論理を持ち出さないと
>standard, non-standard の区別が
>できないと思っているのは錯覚。

R.Montagueが、以下の文章でいっているよ。
Set theory and higher order logic.
Formal systems and recursive function, pp131-148.
North Holland, Amsterdam

220 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 14:42]
>大体、数学をしているとき、だれも一階だ二階だなどと気にしない。
>つまり自分がいるところがすべてである。
>それでなにも気にしなければ形式論理など無関係。

普通の数学者が論理を意識しなくても結構だが、
standard modelは論理において明確に決められた
専門用語なんだよ。君が知らないだけ。

「自分がいるところがすべて」とかいう発言は、
マツシンというより、エムシラの域に達してるよ(笑)

221 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 14:51]
>ところが哲学関係あるいは論理学のみって人たちは妙にうるさくいう。

君が鈍感なんだよ。

>しかし、論理なんて数学以外のところでは
>そんなに複雑なものを使うわけではない。
>そこで部分集合の関係した命題がいかに複雑で
>直感からほど遠いものだということを知らない。

君さ、論理に敏感だっていうなら、数学的帰納法で
二階論理で述語の全称化をするのと、一階論理で
任意の述語について全部公理にしちゃうのとの
違いに気づいてほしいね。

つまりね、後者のスタイルでは、
一階論理の中で書ける述語しか、
しばれないんだよ。

222 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 14:53]
>それでどうもエムシラモデルとマツシン論理の域から
>それほど遠くないところで終わってしまうってこと
>なのだろうか?

君が一番のデムパだよ(笑)

223 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/11 18:17]
>222
つまりエムシラモデルとマツシン論理の域に限りなく近い人と
デムパの議論ってことだね。



224 名前:223 mailto:sage [03/03/12 07:42]
192 のデムパの議論は筋があることの説明をしてみよう。
「syntax のなかでsyntax と semantics の区別をする」というとき
もちろん2つの syntax を同じ意味でとってはおかしくなる。通常 syntax と semantics の区別というとき、それは普通の数学を考えるのと同じく形式化
されていないところで考えている。
171 にある表現可能性というのは semantics と syntax をつなぐ関係で
ある。この関係の成立の証明がどのような形式体系で実行できるかをみて
これを形式体系(syntax) で実行した結果を使うと第2不完全性定理がみち
びかれる。一方、普通の数学を考える場をカント−ルユニバ−スのような
ものと思い、これが semantcis と思えば 179 のような説明になるだろう。
standard というのは公理化するとき想定した1つあるいはいくつかのもの
をいい、そうでないものを non-standard というのが普通の数学のなかで
の使い方であり、数理論理学のなかでもそんなものだろう。

デムパであろうがエムシラモデルであろうがマツシン論理であろうが、
問題は数学的に面白い定理が証明されれば数学としてはよいわけで、それが
なければ、いくら力こぶをいれても数学的には意味がない。逆にいえば、
間違っているか間違っていないかより、結果的に数学的に面白い定理が証明
されるほうが重要だろう。


225 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/12 09:51]
224(=192) がデムパであることの証明をしてみよう。

まず、はじめに、

>171 にある表現可能性というのは
>semantics と syntax をつなぐ関係である。

君のいう表現可能性はこれかな?

「<自然数上のk項関係(述語)R(n_1,…,n_k)のTにおける表現可能性>
 ・R(n_1,…,n_k)が成り立つときにはT |- φ(n_1,…,n_k)
 ・R(n_1,…,n_k)が成り立たないときにはT |- ¬φ(n_1,…,n_k)
 を満たす論理式φ(x_1,…,x_k)が存在する」

つまり、君は表現可能性=決定可能性と考えるわけね。
奇妙な理解だね。

>この関係の成立の証明がどのような形式体系で実行できるかをみて
>これを形式体系(syntax) で実行した結果を使うと
>第2不完全性定理がみちびかれる。

あのね、T |- φ(n_1,…,n_k)とかT |- ¬φ(n_1,…,n_k)とかいうのが
そもそもTという形式体系からφ(・・・)とか¬φ(・・・)が証明できる
ということをいってるんだよ?

で、これと第二不完全性定理(つまりTでCon(T)が証明できない)
との関係を君はどう理解してるのかな?

226 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/12 10:04]
次に
>一方、普通の数学を考える場をカント−ルユニバ−スのようなものと思い、
>これが semantics と思えば 179 のような説明になるだろう。

179の説明とはこれかな?

「基礎論に詳しい方のなかには、standard model が集合論の中で
 一意に定義されたものであるという人もいるようだが、それは
 数学を集合論のなかに形式化すれば、standard model の定義は
 それになる、ということであって、形式化されないところでのものを
 さすのが普通だと思う。」

もしかして、前段の第二不完全性定理云々も、この主張も
「standard modelは形式化できない」ということをいいたい
のかな?
(それなら、むしろ第二より第一不完全性定理だと思うんだが
 もしかして、君、無矛盾性と完全性を混同してる?)

あのね、modelを定義するのと、modelを"構成"するのは違うよ。
君がいってるのは、
「modelを、形式的体系によって"構成"できない」
ってことでしょ。

そうじゃなくて、「modelとは・・・なものだ」という定義はできるんだよ。
それでその定義に従って、一階論理では完全性が成り立つが、
二階論理はそうではないとかいう議論はできるわけだよ。

上の区別が出来てないってことは、
形式的体系の意味も、完全性定理の意味も
分かってないってことだよ。

227 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/12 10:19]
さらに
>standard というのは公理化するとき想定した
>1つあるいはいくつかのものをいい、
>そうでないものを non-standard というのが
>普通の数学のなかでの使い方であり、
>数理論理学のなかでもそんなものだろう。

それは完全に無知による独断の誤り。

君が今までに何がstandard modelかについての
説明を目にしてこなかったからといって、そこから
直ちに「ああ、standardって個々人の想定したもの
なんだ」ということにはならないよ。

濃度について説明してみよう。
一階論理上での集合論で可算モデルが存在するのは
「実際は自然数と対象領域の間に一対一対応が存在するけど
 その対応は一階論理の中では表現されないからOK」
ってことでしょ。
で、二階論理でそれが通用しないのは、
「実際には存在するけど」という可能性を
述語に関する全称化で排除しちゃったから。

228 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/12 10:36]
ところで

>数学的に面白い定理が証明されれば数学としてはよいわけで、
>それがなければ、いくら力こぶをいれても数学的には意味がない。
>逆にいえば、間違っているか間違っていないかより、
>結果的に数学的に面白い定理が証明されるほうが重要だろう。

それって君の誤りの言い訳かい?

君が、この誤りと関係なく、数学的に面白い定理を証明していたとしても、
この誤りの「罪」を免れることにはならないよ。

そもそも、本当にそう考えているなら、君は自分の仕事をするべきで
自分が何の知識も持ち合わせず、何の実績もあげられない場所で
力こぶをいれて自分の信条を語っても意味がないだろう。

しかも、その信条は数学的に間違った思い込みに根ざしている。
君に、エムシラやマツシンを馬鹿にすることなんてできないよ。


229 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/12 10:55]
とにかく>>223クンは、以下の基本的誤解を正してね

1.形式的体系で決定可能な述語として表すことが
”モデルを形式的体系として表すこと”と思っている誤り
2.「命題かその否定のいずれかが証明可能」という完全性と
「命題とその否定のどちらも証明されることがない」という無矛盾性を
混同する誤り
3.モデルの定義と構成を混同する誤り

特に1、2、はマツシン以前だね。

230 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/13 07:14]
まあ滔々と書いてはいらっしゃるし、妙に2階論理を振り回す以外、まあそう
変なことを書いているわけではないのだが、理解力に難があるようで(とはいえ
イマイの爺さんよりははるかにましだが)デムパの筋がわかるまでにはなって
ないようだ。これ以上説明しても無理だろうが、なかに真面目に勉強している
人もいるかもしれないから、225 に関するところだけ説明しよう。
もちろん、semantics と syntax をつなぐ関係というのは同値という意味では
ない。述語 R の表現可能性ということだが、不完全性定理に関し、この概念を
使う R は原始帰納的述語である。さてこの述語の主語となる自然数というのは
どこにあるものか?ということを考える。すると、これは自分のものを考えて
いる場にあるものだと気づく。つぎに述語 R からどのように論理式 phi をつ
くるかということ、そして第2不完全性定理の証明でこの表現可能性が成立し
ていることを論理式で書くことを考えれば、R に何らかの論理式が対応してい
ないとそのようなことが実行できないことがわかる。
このような背景で自分のものを考える場の自然数というのが自然数論の
standard model の自然数であると考えられるということになる。

231 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/13 07:57]
>>230
君の書いてることは変。

君のいう「(syntaxによるsemanticsの)表現可能性」とは
「決定可能性」のことなのね。でも普通そういうひねくれた
誤解はしないよ。

で、君はもしかして原始帰納的でない述語は
論理式として書き表すことができないとか
思ってるわけじゃないだろうね?

誠に残念ですが、それは完全な誤解。
自然数論の中で表現可能な述語は、
原始帰納的述語に限らない。

ところで君はどの本を読んでそのような奇妙な誤解に至ったのかい?

232 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/13 08:09]
ああ、分かったよ。前原の本を読んだんだね。

いいかい、君のいう「表現可能」は、前原の本では
「強い意味で表現可能(p154)」となってるんだ。
それに対して、論理式として書けるという意味の
表現可能は、それ以前のp114に定義されている。

なぜ、このような概念を導入したか、といえば、
それは第二不完全性定理が、無矛盾性という、
証明手続きに関係した性質についての証明だから。

233 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/13 09:44]
>>232
>論理式として書けるという意味の表現可能は、
>それ以前のp114に定義されている。

おっと違った。p101の定義7.1には
君のいう「表現できる」と同じ定義
があるな。

ただ、ここの定義の問題は議論の本筋に影響していない。
君は第二不完全性定理がどうこういってるが、それは
完全性定理にまつわる一階と二階の違いとは関係がない
ということ。わかるかな?



234 名前:132人目の素数さん [03/03/13 10:17]
命題などを記述する際に、われわれは記号を使うわけだが、それらの記号の
数は特に決まっておらず、有限個であるとしているようだ。
 今狽ニいう記号が含まれていない場合に、それを新たな記号として追加
しようとしたとすれば、その狽ェ何を意味する記号であるかを、それまで
の記号で説明しなければ、無定義用語・記号になってしまう。
逆にいえば、xは掛け算、+は加算、9は8の次、、、、などと
それ以前の記号のセットだけで新しい記号の意味を説明して付け加えた
ものだと考えれば、その説明自身に現われる記号は既定義でなければ
ならないわけですよね。そのようなことが可能な最小の記号の組とは
どのようなものでしょうか?
 そもそもなんらかの情報を伝えるのですから、記述用記号は1種類
ではだめで少なくとも2種類なければだめですが、果たして2種類だけ
あれば、それで任意の数学的概念を、自己完結して記述できるんだろう
かというのが僕の疑問です。たしかに計算機では二進数あるいは二状態
のみをつかって通信ができますが、たとえばアスキー記号の定義自身は
その外部で通信するもの双方が暗黙の了解で共有しているとみなすなら、
実は記号はアスキー表の分だけはあらかじめ既定義であるということに
なりそうです。数学の記述に十進数を使うのなら、すくなくとも数字の
記号としては10通り用意せねばなりません。すると二進数で数学の
命題や記述をすれば記号の種類を減らせるのです。このようにして、
最小だが、それをベースにして任意の数学命題をきちんと定義を追加して
拡張しながら記述できるようになるためには何種類の記号・符号が
必要なのでしょうか?

235 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/13 10:26]
>述語 R からどのように論理式 phi をつくるかということ、
>そして第2不完全性定理の証明でこの表現可能性が
>成立していることを論理式で書くことを考えれば、
>R に何らかの論理式が対応していないとそのようなことが
>実行できないことがわかる。

ああ、なるほど。君は以下の比較がしたかったわけね。

論理式Phiと述語Rとの対応。
syntactical: 前原の定義7.1(ただし完全ではない)
semantical: 個々人の心の中

僕が批判しているのは、後者のsemanticalな対応
について、全く心の中の出来事だといいきってしまって
いるところ。

例えば、君はDedekindが、自然数はcategoricalだと
証明したことを「全くナンセンス」だと思ってるのかい?





236 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/13 10:40]
>>234

そもそも、記号は意味を記述しているんだろうか?(笑)
理論はそれを理解する主体を必要とする。

ただそのことがただちに
「二階論理では完全性定理が成り立たない」
という主張をHenkinモデルまで持ち出して
拒絶する理由にはならないよ。

237 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/13 12:01]
>234
記述したものをどう読むかということとの組で考える話だと思う。
またブランクを文字と思うかということもある。
まあこういったことはあるが、Turing 機械に関するところでよく
知られていることはテープ上のブランク B と 1 で十分ということ。
だから2つっていうのかな?

238 名前:山崎渉 mailto:(^^) [03/03/13 12:53]
(^^)

239 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/14 02:12]
マツシン(=松本真吾)のガキが、一丁前づらしてゴトクを並べてるのは、ここか?

240 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/14 07:13]
このような人の書き込みは多いし、まあもっとすごいのはいくらでも
あるが、それらしいことを書いているが数学としてわかっているわけ
ではないということが顕著になっているので指摘しておこう。
171 の表現可能性に関することである。これはこのスレッドでの書き込
みにあるように semantics と syntax とつなぐ概念で、不完全性定理
では大切な概念である。171 の記述は semantics における x_i と対応する
syntax の numeral が同じ記号となっているが印刷物では間違わない
ように違う字体の文字あるいは下線、上線などを使う。しかし、これは
その定義を意味あるものとして理解しようとすれば、これ以外の理解はで
きないものである。
さて 225 でこれをコピーした人はこれが決定可能性と関係があるという
解釈を展開する。決定可能性というのは言葉は「肯定あるいは否定が証
明できる」という意味、あるいは「無限個の命題があるとき、その真偽
を決める、定まった手続きがある」という意味である。いくらなんでも
第一の意味では受け取れないであろうから第二の意味で解釈したのであ
ろうと思う。しかし、その理解も想像を絶する。まあ相手がデンパだと
思っているということで割り引いて話を進めるが、232,233,235に至り、
ほぼ正しい理解に到達したらしい。
この前原本は、ゲーデルの原論文の内容とそれほど違いはないの
は著者がいってるとおりで、上記の概念は不完全性定理の証明がわかって
いる人は当然理解していることである。つまり、この書き込みをしている
人は全くこれを理解していなかったのだ。そしてなおかつ、不完全性定理
についての見解を披露し続けてきていたわけである。

241 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/14 07:50]
>>240

>>224で云ってることが>>232-235のことなら、
まさに決定可能性のことだよ。

><自然数上のk項関係(述語)R(n_1,…,n_k)のTにおける表現可能性>
>・R(n_1,…,n_k)が成り立つときにはT |- φ(n_1,…,n_k)
>・R(n_1,…,n_k)が成り立たないときにはT |- ¬φ(n_1,…,n_k)
>を満たす論理式φ(x_1,…,x_k)が存在する

は、個々の数値に対して「肯定あるいは否定が証明できる」
φとして表現できるといってるわけだからね。

で、224はそうできないφは
「述語を表現していない」
といっているんだろう?それがデムパ。

まあ、前原本しか読んでいないのであれば分かりようがないな。

242 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/14 08:01]
>>241について、補足説明しよう。
前原のいう"形式的な表現"は、決定可能性によるものであるが、
それのみが意味を確定するわけではない。

ところでゲーデルの原論文及び前原本では
「自然数論における非決定命題の存在」
を示すことが目的である。そのレベルにおいては
一階と二階の論理の違いは問題にならない。

ここでいっているのはデデキントによる自然数論の範疇性証明と
非決定性命題の存在が、二階論理において
「どのようなモデルでも真ではあるが、証明不可能な問題がある」
ことを結論することであるから、議論の力点は非決定性命題よりも
自然数論の範疇性にある。

243 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/14 11:22]
>>240は辻下・角田の主張をどう理解しているのだろうか?



244 名前:基礎論 mailto:sage [03/03/14 15:14]
「表現可能性」や「強い意味での表現可能性」なんかの定義は
明確に書かれていることが多いですけど、
例えば、第一不完全性定理では自分自身の証明不可能性を「意味する」命題の存在が示される
と言う場合の「意味する」可能性についてはあまりはっきり書かれていない気がします。
つまり、自然数上の述語Rを意味する論理式の定義可能性ということを考えると、
プレスバーガー算術などでは、自分自身の証明不可能性を「意味する」論理式が定義されないがゆえに、
定義可能な文の範囲では、証明も反証もできないものが存在しない、
つまり証明論的に完全ということではないでしょうか?

自然数上の述語を意味する論理式の定義可能性を単純に「定義可能性」と呼ぶことにして、
次のように整理してみました。

245 名前:基礎論 mailto:sage [03/03/14 15:15]
<自然数上のk項関係(述語)R(n_1,…,n_k)のTにおける定義可能性>
・R(n_1,…,n_k)が成り立つ ⇔ N |= φ(n_1,…,n_k)
を満たす論理式φ(x_1,…,x_k)が存在する

<自然数上のk項関係(述語)R(n_1,…,n_k)のTにおける表現可能性>
・R(n_1,…,n_k)が成り立つ ⇒ T |- φ(n_1,…,n_k)
・R(n_1,…,n_k)が成り立たない ⇒ T |- ¬φ(n_1,…,n_k)
を満たす論理式φ(x_1,…,x_k)が存在する

論理式φのゲーデル数を[φ]と表記し、
自然数上の述語
Pr(n)
⇔ nは論理式(φとする)のゲーデル数であって,「Tにおけるφの証明」のゲーデル数が存在する.
を表現する論理式をPr(n)とする

<自然数上のk項関係(述語)R(n_1,…,n_k)のTにおける強い意味での表現可能性>
・R(n_1,…,n_k)が成り立つ ⇒ T |- φ(n_1,…,n_k)
・R(n_1,…,n_k)が成り立たない ⇒ T |- ¬φ(n_1,…,n_k)
・T |- φ(n_1,…,n_k) → Pr([φ(n_1,…,n_k)])
・T |- ¬φ(n_1,…,n_k) → Pr([¬φ(n_1,…,n_k)])
を満たす論理式φ(x_1,…,x_k)が存在する

246 名前:基礎論 [03/03/14 15:33]
このような理解で問題ないでしょうか?

247 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/14 15:49]
>>244
>第一不完全性定理では自分自身の証明不可能性を
>「意味する」命題の存在が示されると言う場合の
>「意味する」可能性についてはあまりはっきり
>書かれていない気がします。

「第一不完全性定理では」はいらないでしょう。
前原の本では、第二不完全性定理でも、はっきり
書かれるわけではないから。

前原の本ではモデルについては論じていないし、
論じたとしても一階論理のモデルでは、逆に
論理式の意味に不確定性が生まれる。
辻下・角田の両氏の「数学における不定性」は
数学を一階論理上の公理系として考えるなら、
当然出てくる考えである。

しかし(二階論理の妥当性はともかくとして)
我々は数学を考える際に、実に無意識に二階の
定式化を用いているし、その意味で考えた場合
には自然数というものは一つに決まってしまう。
自然数は、群や位相のようにもともと不定な
抽象構造とは違うんですよ。

248 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/14 16:03]
>>245
><自然数上のk項関係(述語)R(n_1,…,n_k)のTにおける定義可能性>
>・R(n_1,…,n_k)が成り立つ ⇔ N |= φ(n_1,…,n_k)
>を満たす論理式φ(x_1,…,x_k)が存在する

君はこれをどう理解するの?

例えば>>179>>230は左辺のRも、右辺のNも
「頭のなかにあるもの」
「自分のものを考えている場」
といってるわけだよね。
でも、それだけなら、デムパと同じ主張だよね(笑)


249 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/14 16:11]
>>248

ところで、Tにおいて定義不可能な述語も当然あるよ。
例えば、T中の論理式の真偽なんていうのはTでは定義不能。

つまり、Tの中のどんな式φを持ってきても、
Tの中の論理式のゲーデル数に対して真偽を
割り付けるような述語とは一致しないってこと。

250 名前:基礎論 mailto:sage [03/03/15 02:20]
>>247
すいません、誤解しやすい書き方でしたが、その引用の部分は
>例えば、
>「第一不完全性定理では自分自身の証明不可能性を「意味する」命題の存在が示される」
>と言う(ような)場合の「意味する」可能性についてはあまりはっきり書かれていない気がします。
ということです。あくまで例えとして「」内の文章を取り上げたので、別に限定する意味はありません。

>>248
自然数上の関係Rなんかは、便宜的に言葉で表記していても、実際指示しているのはその内容であって、
φ(n_1,…,n_k)のような形式的な、解釈なしではその表記自体しか指示しない式とは
区別されるものではないですか?
数学の立場では、算術の標準モデルNの存在は自明の前提としているので、
当然、関係Rもアプリオリに存在するものとしておいて、
後はいかにそれを「意味する」論理式を理論Tにおいて構成するかが問題で、それは
・R(n_1,…,n_k)が成り立つ ⇔ N |= φ(n_1,…,n_k)
が成り立つ論理式φ(n_1,…,n_k)を定義できるかどうかということになるのではないですか?



251 名前:基礎論 [03/03/15 02:26]
>>249
自分自身の証明不可能性を意味する文を定義できない理論なら、
不完全性定理を回避できるということになりますよね?

252 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/15 07:05]
>>250

内容って何?
「数学の立場では、算術の標準モデルNの存在は自明の前提としている」
って本当?
標準モデルの存在は、自明の前提じゃないよ。
関係Rもアプリオリに存在すると考えるべきではないよ。

>>251
必ず回避できるわけではないよ。
逆に、決定可能な理論では、自分自身の証明可能性を意味する文を
定義できないってこと。なぜならそんな文は決定不能だから。
実は>>249の定理(タルスキーの定理)も
「自分自身が偽である」を意味する文が存在すると
矛盾することを利用して体系自身の真偽定義が
常に不可能であることを示している。

253 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/15 07:34]
>>244
「意味する」ということの数学的定義はないと思います。
あっ、これは248でデンパといわれている答えです、えへへ。
無矛盾性を意味する論理式、といったとき当然それは閉論理式です。
さて閉論理式を構造で解釈すれば真か偽となる。さて、例えば自然数論
の無矛盾性を意味する論理式、それは読んでいられる本にも書いてあると
思いますが、その論理式を standard model で解釈したら真なので
しょうか、偽なのでしょうか?もちろん真なのだ!という根拠はなんで
しょうか?それは、普通の自然数の集まりに対して成り立つと思うこと
を公理化したから、そのはずだと信じているということしかないのでしょう。
もし、ちゃんとした根拠があるなら、無矛盾性を証明する必要は感じなかっ
たでしょう、model があるのですから矛盾はおこらないからです。
無矛盾性を意味する論理式、といったときロッサー文はその中にはいって
いるのでしょうか?たぶん普通ははいっている感じで使われている言葉で
はないかと思います。ゲーデルの論文での無矛盾性を意味する論理式を
無矛盾であることを自然に書いた論理式と呼んでいる表現を見たことが
ありますがこれだって自然に書くとはなにか?という問題があります。





254 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/15 07:35]
>>245>>250
ご存知と思いますが、普通(デンパの普通ですが)自然数上の k 項関係
(述語)といえば、N の k 直積の部分集合のことです。つまり
R(n_1,...,n_k) は順序対 (n_1,...,n_k) が集合 R に属するという意味
です。アプリオリにあるというのは、素朴集合論の意識なのだと思います
が数学では普通でしょう。書かれている最初の同値関係は、T における
定義可能性といわず、N (+,*,< なども書くほうが正確)における定義
可能性というのが普通かと思います。T よりも構造できまる概念だから
です。(スマリヤンの訳本では構造がでてこないせいもあり、表現可能の
方に定義するという言葉を使っていますが、構造 N を持ち出すなら
これが普通でしょう。)
また 240 に numeral という言葉がでていますが、表現可能性では右の論
理式のなかの n_i は [n_i] と書いておく方がよいと思います。強い意味
での表現可能をいっているとき T で phi と Pr([phi])の同値性に関して
n_i がなんだかわからない表現となっています。ここは自分がなんのつも
りで書いているかじっくり考えるべきところで、なんの本かしらないが、
定義が書いてあれば記法に気をつかってあって当然なところなのでよく見
てください。

>>244>>251
、、、である論理式がないが故に、証明論的に完全だ、という言明は
すこし変でしょう。不完全性定理の前提条件をみたさない論理体系は論理
的に完全だというわけではないからです。不完全性定理を回避できる
というのは、論理的完全性が成立するという意味なのでしょうか?
むしろ、不完全性定理の前提条件をみたす論理体系かどうかを問題とする
ことが意味あることかと思われます。この不完全性定理の成立条件は
過去に様相論理に関係したものなど色々研究はあるようですが、よく
知りません。

255 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/15 10:32]
>>253
>「意味する」ということの数学的定義はないと思います。
>あっ、これは248でデンパといわれている答えです、えへへ。

つまり、君はモデル理論は数学ではないといってるわけね。
そりゃデムパだな、わはは。

>さて、例えば自然数論の無矛盾性を意味する論理式を
>standard model で解釈したら真なのでしょうか、偽なのでしょうか?

"standard modelが存在するなら"、それは真です。

>もちろん真なのだ!という根拠はなんでしょうか?

ここで、私は"standard modelが存在するなら"と書きました。
つまり、無矛盾性はstandard modelの存在に還元されます。
自然数論のstandard modelならば、それはみな同形である
ということと、自然数論のstandard modelが存在するという
こととは違います。

つまり、
「(無矛盾であれば)真であるが証明不可能な式がある」
という場合、無矛盾性の証明は必要ないわけです。

256 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/15 10:47]
>普通の自然数の集まりに対して成り立つと思うことを公理化したから、
>そのはずだと信じているということしかないのでしょう。

それは
「一階論理では完全性定理が成り立つが、二階論理では成り立たない」
という議論とは無関係です。

一階であろうが二階であろうが、絶対的なモデルの保証などはありません。
その意味で「数学的世界の存在」が信仰だというのは正しい。

しかし、私はmodelの存在証明をしようとしているのではないのです。
modelが存在するなら、それはみな同じだ、という主張は、
modelの存在とは無関係に示される数学的な結果だと
いっているのです。
このmodelの同型性と存在の議論を区別しない誤りこそが
某氏が某掲示板でおかした誤りなのです。

257 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/15 10:56]
>無矛盾性を意味する論理式、といったとき
>ロッサー文はその中にはいっているのでしょうか?

はいっているでしょうね。

>ゲーデルの論文での無矛盾性を意味する論理式を
>無矛盾であることを自然に書いた論理式と呼んでいる
>表現を見たことがありますがこれだって自然に書くとは
>なにか?という問題があります。

その件については、それを書いた人に聞いてください。
私はそのような主張は致しておりません。

2つの表現が、自然数論(のstandard model)では
同じことを意味しているからといって、自然数論の
中でそれを証明できるとは限りません。
ゲーデルとロッサーの無矛盾性表現の違いは
そのようなものと理解しています。

258 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/15 11:27]
>>254

スマリヤンの本では、あなたのいう定義可能は
単に「数論的」といってます。

定義可能性のポイントはずばり"論理式で書けるかどうか"です。
もちろん、論理式で書けない述語が存在するから、このような
ことを考える必要があるわけです。

259 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/15 14:45]
>>258

>スマリヤンの本では、あなたのいう定義可能は
>単に「数論的」といってます。

正確には言及可能(expressible)というべきだった。(p8)

それからスマリヤンも、前原の意味で表現可能(representable)
といっている。(p18)


260 名前:横レス mailto:sage [03/03/15 17:06]
訳者あとがきにちょこっと書いてあるね。

261 名前:基礎論 mailto:sage [03/03/16 01:01]
>>252
>内容って何?
田中 編・著『数学基礎論講義』P25にある
「構造にとっては,指し示された関数(または関係)自体に意味があるのであって,
どんな記号でそれを示すかは言語の問題である」
という所の「指し示された関数(または関係)」のことです。
前原 著『数学基礎論入門』P98〜100
の中でも頻繁に「内容的な〜」という表現が出てきたので、「内容」という表現を使いました。

>「数学の立場では、算術の標準モデルNの存在は自明の前提としている」
>って本当?
『数学基礎論講義』P29で田中さんもそういうことを言っていますし、
そうしなければ数学自体が展開できないのではないですか?
>>253の中での
>model があるのですから矛盾はおこらないからです。
という論法自体、モデルの存在をアプリオリに仮定しているから可能なことですよね?

>標準モデルの存在は、自明の前提じゃないよ。
>関係Rもアプリオリに存在すると考えるべきではないよ。
もちろん、数学の立場を離れればそれは当然だと思います。
ただ、それを自明の前提として論を進めるか、そこを問題視するかは
数学と哲学の線引きということになるのではないですか?
実は自分は文系で、後者の方が専門に近いのでそのへんはよくわきまえてるつもりです。
確かに+関数の存在を懐疑する議論や、はては命題論理の推論規則さえ懐疑する議論もありますね。

262 名前:基礎論 mailto:sage [03/03/16 01:02]
>>254
>ご存知と思いますが、普通(デンパの普通ですが)自然数上の k 項関係
>(述語)といえば、N の k 直積の部分集合のことです。
ところで、自然数上の k 項関係Rはその特性関数χ_R:N^k → {0,1}
つまり、N の k 直積の要素のうちからRの部分集合となる各要素に真理値Tを対応させる操作
と「しばしば同一視」されるそうですが、この「真理値」というものの扱いがよく分かりません。
自然数のうち、0と1が真理値の役割を兼ねるということなのでしょうか?
『数学基礎論講義』P25で、田中さんは0項関係{()}が真理値定数TまたはFと見なせる
と書いていますが、この0項関係としてのTやFと
特性関数においてN^kの各要素が対応させられる定数、即ち0変数関数としての1や0とは
どのように関連するのでしょうか?

>、、、である論理式がないが故に、証明論的に完全だ、という言明は
>すこし変でしょう。
「理論の任意の文について,それ自身かその否定のいずれかが証明可能」
であることが証明論的完全性の定義ですから、
算術の理論の内部で自身の証明不可能性を意味する文が定義できない場合には、
プレスバーガー算術のように「理論の任意の文について,それ自身かその否定のいずれかが証明可能」
つまり証明論的に完全であることも「可能である」と言うことは許されませんか?

263 名前:基礎論 [03/03/16 01:03]
>>259
<自然数上のk項関係(述語)R(n_1,…,n_k)がTにおいて言及可能(expressible)>
・R(n_1,…,n_k)が成り立つ ⇔ N |= φ(n_1`,…,n_k`)
を満たす論理式φ(x_1`,…,x_k`)が存在する

<自然数上のk項関係(述語)R(n_1,…,n_k)がTにおいて表現可能(representable)>
・R(n_1,…,n_k)が成り立つ ⇒ T |- φ(n_1`,…,n_k`)
・R(n_1,…,n_k)が成り立たない ⇒ T |- ¬φ(n_1`,…,n_k`)
を満たす論理式φ(x_1`,…,x_k`)が存在する

ということでいいですか?



264 名前:基礎論 mailto:sage [03/03/16 01:08]
訂正
>>262
>つまり、N の k 直積の要素のうちからRの部分集合となる各要素に真理値Tを対応させる操作

つまり、N の k 直積の要素のうちからその部分集合Rを構成する各要素に真理値Tを対応させる操作



265 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/16 07:12]
>>262
数学では(デンパの数学ですが)、機能として同じものは同一視するという
ことが頻繁にされます。例えば、その議論のなかで同一視によって概念が
異なってこない限り、同型な群は同一視されます。ですから、真理値という
もの、この場合、T、F ですが 0,1 でなく 5,9 でもいいわけです。
命題論理のモデルとしてブール代数が現われるのも同じように考えればよい
のではないでしょうか?この場合は、真理値の全体がブール代数となっている
わけで、強制法ではブール代数に真理値をもつモデルを構成するようですが
集合論の研究者がなにか特別な論理を駆使しているようには思いません。
数学的対象としての論理の真理値というものと、普通にものを考えるときの真
とか偽とのつなぎは各人がするものだと思います。これだけだと数学の社会は
成立しませんから共通認識という超越的な言葉でまとめているというのが
179 のデンパの考えです。(エムシラモデルとマツシン論理って面白いです
よね、御本人たちは面白くないかもしれませんが。)
証明論的完全性についての言明で訂正されたものは、的確だと思います。もっとも
デンパに的確だといわれるのは少し問題かもしれませんが。
>>263
259 ではありませんがスマリヤンの本の言葉使いは 254 で引用したので書きますが
この関係のことは、p.150 以降にもあります。ただ 254 に書きましたがデンパは
あまりきいたことのない言葉使いです。

266 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/16 10:59]
>>263

任意の数の集合Aに対して、H(n)∈T⇔n∈A
が成立するときに限って、HはAを言及するという。

また、総ての数nに対してn∈Aであるときに限って、
H(n)が体系Lで証明可能であるとき、述語Hは
集合Aを表現するという。
(さらに、総ての数nに対してn∈Aであるときに限って、
H(n)が体系Lで反証可能であるとき、述語Hは
集合Aを反表現するという。)

>>263の述語Rを集合A、論理式φを述語Hとし
Nの代わりに真理集合Tを考えればよい。

267 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/16 11:09]
>>265

スマリヤンの本を持っているのなら、ぜひp174〜179の
”第X章 証明可能性と真理性に関する一般概念”
を読んでいただきたい。

スマリヤンは、ゲーデルに関する3つの定理の証明のうち
第U章のタルスキの定理の証明が簡潔で分かりやすいと
いっているが、この定理及び証明が忌避される理由として
真理集合が数論では言及可能でないために、証明が数論上で
形式化できないことを挙げている。

しかし、第X章では、この真理集合が前原ファンのデムパ君
の考えるような心理主義的基礎しか持たないものではなく
それなりの数学的背景を持っていることを、述べている。
(p176〜の数論の真理性に関する論評を読まれたい)

268 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/16 13:58]
>>265
>集合論の研究者がなにか特別な論理を駆使しているようには思いません。

「モデル」というものを考えるためには、言及可能な世界に
踏みとどまっては居られない。>>265もそれには気づいている
から、その問題点を解消するために
>数学的対象としての論理の真理値というものと、
>普通にものを考えるときの真とか偽とのつなぎは
>各人がするものだ
という心理主義に飛びついた。さらに
>これだけだと数学の社会は成立しませんから
>共通認識という超越的な言葉でまとめている
という社会主義(?)に至っているというわけだ。

でもそれはナイーブなデムパ的発想。
集合論は一階論理のような総てを対象として考える発想には馴染まない。
「言及可能性」で集合全体を式表現へ流しこめるわけではないし、
流し込めないものを、単純に切り捨ててしまえばいいというわけでもない。
そして、言及できない集合まで含めて、二階論理(高階論理)で自然に
解釈した場合、一階論理の解釈とは違ったものになるのはむしろ当然。

ところで数学板で語られる「マツシンの誤り」は
言及できないものを切り捨て、言及できるものが
総てだという発想を指す。

このような発想は、辻下=角田のスコーレムの
パラドックスに基づく議論やヴィトゲンシュタイン的
な検証主義に陥る可能性がある。

269 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/16 14:17]
>>261
>>「数学の立場では、算術の標準モデルNの存在は自明の前提としている」
>『数学基礎論講義』P29で田中さんもそういうことを言っていますし、
>そうしなければ数学自体が展開できないのではないですか?

数学を展開するのに「数学的世界」の存在を前提しているというのは本当だろう。
問題は、その「数学的世界」がそのまま「標準モデル」というわけではないということ。

田中一之氏が著書で標準モデルをどう”定義”しているかは知らない。
もし、明確な記述がないとすれば、この議論に関して彼の記述の引用は
前原氏のそれと同様、意味がない。

270 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/16 14:32]
>>標準モデルの存在は、自明の前提じゃないよ。
>>関係Rもアプリオリに存在すると考えるべきではないよ。
>もちろん、数学の立場を離れればそれは当然だと思います。

いや、数学の立場に立てばこそ、自明でないと考えるべきだ。
なぜなら「標準モデル」は素朴な「数学的世界」そのものではないから。

数学と哲学の線引きをするためには
哲学だけでなく数学の知識を必要とする。

君は、
>自分は文系で、後者の方が専門に近いので
>そのへんはよくわきまえてるつもりです。
というが、哲学しか知らないのであれば
そのへんはまったくわきまえようがない筈である。

271 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/16 14:35]
>>270
もちろん、「標準モデル」の数学的定義を知った上で、
その哲学的意義を考えることはできよう。
(数学的に定義されているからといって、
 哲学的に妥当であるということにはならない)

272 名前:基礎論 mailto:sage [03/03/16 16:31]
>>265-266
分かりました。ありがとうございます。

>>269-271
>田中一之氏が著書で標準モデルをどう”定義”しているかは知らない。
>もし、明確な記述がないとすれば、この議論に関して彼の記述の引用は
>前原氏のそれと同様、意味がない。
『数学基礎論講義』P29にはこうあります。
「Nをゼロ0を含む自然数の集合とし,+と・をN上の和積演算,Sを後者関数(S(x)=x+1)とする.
このとき,次の類型(2,2,1,0)の構造を算術の標準モデルという:
(構造)N=(N,+,・,0).
(構造)Nは数学的に自明な構造であり,その存在を問題視するような哲学的議論は本書とは無縁である.
我々にとって問題なのは[構造N_Nで真となる文の集合]Th(N_N)であって,
これは算術的に定義できない集合であることが知られている.」

田中さんは標準モデルNは「数学的に自明な構造」と言っていますが、
それは素朴な「数学的世界」そのものではないんですか?

273 名前:基礎論 mailto:sage [03/03/16 16:39]
構造N_Nは、言語Lの構造Nを
自然数の集合|N|の各要素nに対応する定数記号n*を全て含む言語L_Nに拡張したものです。



274 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/16 17:07]
>次の類型(2,2,1,0)の構造

この意味が分かりません。


275 名前:基礎論 mailto:sage [03/03/16 17:41]
訂正
>>272
>(構造)N=(N,+,・,0).
(構造)N=(N,+,・,S,0).

>>274
(構造)Nの類型(2,2,1,0)というのは、
(構造)Nの領域N上の関数や関係の元数(n変数関数なら元数n、m項関係なら元数m)
を順に並べたものです。
つまり(構造)Nでは2変数関数+、2変数関数・、1変数関数S、0変数関数0があるので、
類型(2,2,1,0)ということです。


276 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/16 20:25]
>>275

なるほど、了解しました。

277 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/18 07:03]
しかし、妙な展開になったなあ。
デンパの普通が 272 に書いてある田中一之著「数学基礎論講義」に
書いてあることと同じみたいにみえるなぁ。そうすると田中一之さん
てデンパなのかな?東北大学の先生ですよね、まあ大学の先生がデンパ
ってことは、ヤマジンのこともあるからな。
そのデンパ論議はおいておくとして、数学としては standard model
が 272 に書いてあるものとすると 180 以後、というよりも、82 以後
滔々と2階論理でどうのこうの、それは違う、あれはおかしいっていって
いる人の説、特に 270 ってのは何なんだってことになるね。267 で
スマリヤンの、、、も笑っちゃうよね、240 にある概念はその本の
p.150 にほぼそのまま書いてあるのだから。240 の指摘どおり数学的な
ところは理解していないんだろうな。
デンパの結論:
何かと2階の論理という言葉をまじえて滔々と持論を展開されている方
がいますが、デンパの目からみますとエムシラの2階のベン図とマツシン
論理を足したように見える。まあ2で割らなかっただけ誉めていると受け
取っていただきたい。彼等だって進歩をしているから2で割らなければ
ならないかもしれない。
この方、以前述べたようにそうおかしいことを述べているわけではないが、
他人がどう考えようと干渉する必要のないところに割り込んでくること、
また、数学的に押えるべきところは押えないという特徴がある。その意味
で、足す前の2つとそう変わるところはない。
つまり、疑似数学の使い手なのだ。

278 名前:まおまお mailto:sage [03/03/18 11:28]
何やら詳しい人のresponseが途絶えちゃって、つまらんねぇ。
楽しく読んでたのに・・・。単に、忙しいのか?

>>277
>デンパの普通が 272 に書いてある田中一之著「数学基礎論講義」に
>書いてあることと同じみたいにみえるなぁ。
同じにみえますね。しかし、「各人によって定められている」とまで
言えるものなんでしょうか?

>そうすると田中一之さんてデンパなのかな?
そういうモンでもないでしょ。
議論を切り上げて、途中から話を始めているという解釈じゃ駄目なの?

>まあ大学の先生がデンパってことは、ヤマジンのこともあるからな。
その話は、別スレがよろしいかと(笑

279 名前:まおまお mailto:sage [03/03/18 11:29]
>>272
>田中さんは標準モデルNは「数学的に自明な構造」と言っていますが、
>それは素朴な「数学的世界」そのものではないんですか?

盲目的ならばまあ、ナイーブと言って良いんでしょうが。
著者が盲信しているかどうか、ここから断言できますかね。
やっぱり、ただ議論を切り上げてるだけなんじゃないの?

恐らく、「その存在を問題視するような哲学的議論は本書とは無縁である」
っていう部分のハナシなんだと思うのですが。
ここでの「哲学的」ってのには、あまり深い意味はない思うな。哲学って
言葉、いいかげんなcontextで使われることが多くないですか?
(高校程度の数学のみを対象とするような議論においては、教養の数学くらい
でも、十分に「哲学的」かも)

280 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/18 11:39]
>>278
まおまおさん、こんにちは!
デンパですが、以前、質問のスレッドで選択公理に関する濃度のことを
書いたとき、まおまおさんにえらく誉められて、そんなんじゃないですって
書けなくなっちゃたことがありました。ここに書いておきます、
「そんなんじゃないです」

281 名前:まおまお mailto:sage [03/03/18 12:29]
デンパさん、こんにちは!
・・ていうか、あなたがいわゆるデムパであるようには見えませんが(w
何れにせよ、頭が良い人達の議論ってのは、(どっちが正しいにせよ)
読んでて楽しいっす。

ところで、詳しい人はあなたに議論で打ち負かされて(??)、退散
してしまったのですか? それとも単に忙しいだけなんでしょうか。
私の知識&脳力(?)では、判断つきかねるんですが。

282 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/18 14:56]
電波野郎の相手なんか、してらんねぇってことなんじゃないの

283 名前:基礎論 mailto:sage [03/03/18 15:05]
>>279
>恐らく、「その存在を問題視するような哲学的議論は本書とは無縁である」
>っていう部分のハナシなんだと思うのですが。
>ここでの「哲学的」ってのには、あまり深い意味はない思うな。哲学って
>言葉、いいかげんなcontextで使われることが多くないですか?
「哲学的」な方が専門に近い自分から見ると、その言葉はウィトゲンシュタイン−クリプキの
クワス算の話なんかを意識して書いてるように思われたのですが。
こういう哲学の領域まで遡っていると、数学の議論が展開できないから、
ここに哲学が扱う問題と数学が扱う問題のの線を引いておくということではないでしょうか?
それとも、「Nの存在を問題視する」議論もまた、数学の内部にあるのでしょうか?




284 名前:基礎論 [03/03/18 15:30]
ところで、以前の話を蒸し返すようですが、

@「理論の任意の文について,‘その理論のすべてのモデルにおいて’真であればそれは証明可能」
…意味論的完全性

A「理論の任意の文について,それ自身かその否定のいずれかが証明可能」
…証明論的完全性

Aというのは、「理論の任意の文について,あるモデルで真であればそれは証明可能」
ということと同値なので、意味論的完全性と証明論的完全性の関係を簡単に言うと、
前者は後者の十分条件ということでいいでしょうか?
それが、二階論理上で展開する場合は必要十分になるということで。

285 名前:132人目の素数さん mailto:sage [03/03/18 17:13]
>>281
デンパに議論で負けたということではないと思います。
261−272 の基礎論さんのコンビネーションブローが見事に
急所に当たったってとこじゃないでしょうか。デンパをおかしい
といい、振り向きざま 270 で基礎論さんをぶっとばそうと
したところ、自然に振り出した 272 がカウンター気味にはい
ちゃったって感じかな。殺意はないから、過失致死罪だな。
実刑にはならないだろうってとこでしょうか。








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