- 774 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2009/07/24(金) 21:40:46 ID:C2+8rho/0]
- >>773
かなり長くなってるから端折るけれども、 >せまい意味での「芸術」の話ではないですよ。 狭い意味での芸術、という前提が、そもそもにしてあなたの勝手な設定なんでは?という話では? 誰も「近代的な意味での芸術が、プラトン以来である」なんてことは最初から言っていないし、 近代的芸術が近代に始まったのも、そりゃ当り前の話だってわけで。 自分が言ったのは、芸術家が超越的な価値を持ったのは、って話で、 近代的な価値を持ったのは、って話じゃないんだよ。 そこを無視して話を進めるから、いつまでたっても話がかみ合わない。 >教育・修行機関でもあった工房が主催者の名のもとでブランドとして機能していたのであり >ある特定の個人の作家が作品を作ったということに価値が見出される近代的な形の >制作活動とは異なったような形で形で、作品が作られ消費されていたことに言及しないと片手落ちでしょ。 工房は独立に作家の名前を看板にしてたけどな。暖簾という意味では価値を持ってたよ。 近代的な意味での「個性」を前提にしていないという意味ではそうだけれど、 それも「近代的個性」やら「近代的芸術」を前提にして語っている片手落ちに見えるのでしょう? これは反論になっていないよ。 >今ならば芸術表現として認められるようなシスティナの裸体画が 当代からして美的な傑作だと言われていたということをお忘れか?有用性だけで判断されてたわけじゃ人だけどなあ。 やっぱり、ここでもあくまで「近代的概念」でモノを見ようとする欠陥が出てる。 当代の人達がこれを美しいとも崇高とも感じなかったとでも?
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