- 687 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2009/07/24(金) 15:28:17 ID:am61ZKyh0]
- すでにNGにしているか、読んでいない人の方が多いと思うけれど
一応、なぜこんな一見どうでも良い話を長くしているか書いておくと >>646という極めて個人的な「クリエイター」観に対して コメントした>>648 に対し 過去の権威を根拠として>>649で持ち出し、自分の見解を正当化しようとしたが その過去の事情として書かれたものが、端的に間違っていたので、それにつっこんだというわけ。 中途半端な理解に基づく話を、事実であるかのように引用し 自分の単なる感想の根拠にする、これは一番たちが悪い。 現在のクリエイターがどうふるまうべきか、については そのように中途半端に歴史を引かなくとも語ることができます。 あるいは、歴史を参照するのであれば、 アカデミーなどの例を引いているような形で、 より具体的な例を引かないと個別の事例の役には立ちません。 >>682 > 一般に美学史はこのあたりから話を始めるってのは、どんな書籍でも大体そうだぜ? その時代から始める、ということと その時代が直接の起源であるということの区別もつけられない方なのでしょうか? > 新プラトン主義的な解釈だ、とあなたは述べるけれども、 > >そもそもプラトンにおけるイデアとしての「美」は、今の「美」とは違うし > 時代時代によって価値の具体的内容が異なるのは当たり前だし、それをトートロジーだと言ってんだよ。 「価値」という言葉で何を意味しているのか今一つ不明瞭ですが 言語学的な意味で、語のその時代における意味を意味しているのであれば 価値が違う語を比較し、同じだというにはそれなりの手続きが必要です。 もし、その「美」という概念が自明であると前提し、日常的な意味での価値(値打ち)の話をしているのであれば そもそも「美」という概念の内実が違っていて、連続しているとすることが端的に間違い。 > 芸術の超越的な価値と、個性や天才という狭い概念がごっちゃになってるんじゃね? ごっちゃにしているのは、あなたでしょう? まず、そもそもプラトンにおいて「≪芸術の≫超越的な価値」なんて存在しません。 彼の用語方における限りでの「美の価値」は存在します。 その内実が、その後の新プラトン主義的な伝統の中で変化していったことは、普通に教科書にも書いてあるはずですが。 あなたは、おそらく「芸術の超越的な価値」が自明なものとして 歴史を超えて存在しているという前提から話を進めているのでしょうが プラトンにはそうした概念は存在せず、プラトンにそうした概念を見出した人たちが後世にいただけです。 >「近代以前に芸術家には全く価値がなかったの?」 このような質問を発したいのであれば、そこで使われている「芸術家」でどのような人々を念頭に置き (当時、たとえばartistaと呼ばれていた人たちのことなのか、それとも彼らの名称ではないのか) 「価値」という語で、どのような種類の価値を念頭においているのか、誰にとっての価値を念頭においているのか 限定してください。 そこまでしなければ、歴史を典拠に持ち出しても 現在の自分の主張を正当化するための恣意的な引用にしかなりません。
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