- 1 名前:名無しヒーリング mailto:sage [2020/02/20(木) 22:16:29.18 ID:/zyFiel0.net]
- ※前スレ
【悟り】マインドフルネス瞑想法 【霊覚】<No.2> https://fate.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1553616618/ マインドフルネス瞑想法 <No.3> https://fate.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1576915381/
- 546 名前:名無しヒーリング [2020/03/20(金) 13:02:48.92 ID:mhuyJAfy.net]
- ティク・ナット・ハンのセルフコンパッション(慈悲の瞑想)
https://youtu.be/Cq8MePQ_uUk 言うまでもなく自分に向けたもの ジョン・カバットジン博士による慈悲の瞑想 https://m-ini.com/loving-kindness_meditation/#i-7 これも自分のことからはじまる チベット仏教にはトンレンという慈悲の瞑想に近い瞑想法がある ダライラマ十四世も、トンレンを毎日行なっていると言われ、 自身も 「この瞑想は、現実に他者を助ける効果があるかないかはともかく、 私の心に安らぎを与えてくれる。 私はより実践的になることができ、その恩恵は計り知れない」 と述べている。
- 547 名前:名無しヒーリング [2020/03/20(金) 13:03:25.15 ID:mhuyJAfy.net]
- 真言宗・四無量の瞑想
四無量心観とは、慈悲喜捨の四つの心の状態を実現するべく修める瞑想法です。 (中略) まず、「自分自身が安楽であれ」などと想い願ったその次に、最も親しみある人・愛する人を 具体的に想い描き、慈・悲・喜を修める対象としていきます。 (以下略) www.horakuji.com/dhyana/anuyoga/simuryousinkan.htm
- 548 名前:名無しヒーリング [2020/03/20(金) 13:04:30.87 ID:mhuyJAfy.net]
- パオセヤドーはこう書いている
慈心観(Mattaa-Bhaavanaa Bhaavanaa Bhaavanaa) 一、 自分自身(atta) 二、 好ましい人(piya) 三、 中立(愛憎のない人)者(majjhatta) 四、 怨敵(verii) 初めて修行を開始するとき、修行者は自分自身と自分が敬愛する人を対象に、慈心観の修行をする。 仏陀はかつて、以下のように述べた。 「sabbaa disaa auparigamma cetasaa nevajjhagaa piyatara-mattanaa kvaci Evam piyo puthu attaa paresam Tasmaa na himse paramattakaamo」 「たとえ人が、あらゆる(十の)方向に向かって一生懸命に探しても、他人を愛する程度が、自 分を愛するよりも深い人を見つけることはできない。同じような理由から、十の方向にいるすべ ての衆生は、他人より自分自身を愛するものであり、故に、自分自身が安楽であるようにと願う 人は、他人を傷つけてはならない」(増支部−1―75)。 故に、自分自身をもって他人と比較するために、および修行者の心が柔和になり、善く和むよ うに、修行者は先に自分自身に対して、慈愛を養成しなければならないのである。 修行者は以下の四つの意念を養成することによって、目的に到達することができる。 一、 願わくば、私に危難の無きように(aham avero homi) 二、 願わくば、私に精神的苦痛のないように(abyaapajjo homi) 三、 願わくば、私に身体的苦痛がないように(aniigho homi) 四、 願わくば、私が平安で楽しくあるように(sukhi attaaanam pariharami) もし、修行者の心が柔和で、善く和やかで、寛容で思いやりがあるとき、他人への慈愛を育て るのは難しくない。故に、修行者が自分自身に対して養成する慈愛は強く、力のあるものでな ければならない。このことは非常に重要なことである。修行者の心が柔和で、善く和やかで、ま た他人に対する同情心と寛容の心を備えるようになったとき、他の衆生に対する慈愛心の養 成を始めることができる。
- 549 名前:名無しヒーリング [2020/03/20(金) 13:05:10.03 ID:mhuyJAfy.net]
- 「sabbaa disaa auparigamma cetasaa nevajjhagaa piyatara-mattanaa kvaci
Evam piyo puthu attaa paresam Tasmaa na himse paramattakaamo」 「たとえ人が、あらゆる(十の)方向に向かって一生懸命に探しても、他人を愛する程度が、自 分を愛するよりも深い人を見つけることはできない。同じような理由から、十の方向にいるすべ ての衆生は、他人より自分自身を愛するものであり、故に、自分自身が安楽であるようにと願う 人は、他人を傷つけてはならない」(増支部−1―75)。 自分に慈悲を向けられない人がそれ以上に他者に慈悲を向けられるわけがない だから慈悲の瞑想は自分への慈悲から始める
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