- 409 名前:こじらせ大先生(ウサじゃない方のウザい人) [2020/03/15(日) 22:46:43.20 ID:OHslVL+e.net]
- 406はほぼほぼ正しいし、そう思っていてもマインドフルネスにはなるだろう
涅槃とはアサンカタ=形のないもの 生滅する対象、サンカタ=形あるものとして涅槃が対象になることはない そこまでは一致すると思うが しかし、アサンカタの観察者を観ることは出来る パオ森林僧院の瞑想では実際はそのようにしていて、パオ修了者の山下良道はそれを観たと公式に言ってる アサンカタを見ることが出来るのはアサンカタのみ つまり、サンカタとして対象にはならないが、アサンカタの涅槃はアサンカタの涅槃自身を見てる そういうことになる この説明は今の世界では立場は弱いが 自分の体験からもそうとしか思えないので支持している 今年に入って、テーラワーダでは知らない人の居ないある有名な経典で 山下氏が言っているその事について仏陀が触れていることを見つけた アサンカタの観察者はアサンカタの自分自身を見ている 涅槃は涅槃を見ているということを これは、ある単語の語義を良くある意味Aでのみ捉えるとわからないし ネットで探しても意味Aで捉えてるものしか見つからない しかし、その言葉には別の意味Bがある その意味AとB両方が起きるのが、涅槃が涅槃を見るということなんだ 殆どの仏教者は意味Bを知らないか無視しているが、実際に起きることは意味Bでもある パオではその意味Bの解釈から生滅滅已の涅槃を見ている心、アサンカタの心を見る ということをやっているに違いないのだが(でなかったら涅槃を見ている心を見よとは言わない) これは名無しさんが言うことではなくパオセヤドーなり山下氏なり 信頼されうる人の口から明言されないと説得力無いだろう その様に捉えた時に何が起きるのか試せる人も居るだろうと思うので 名無しの自分はそのことを書いている そこで起きていることが家の造り手を見るということだし、色即是空空即是色ということだし 苦の滅ということが起きるということ 繰り返し言ってきたがこれは菩薩に見ることの出来るもので 煩悩を滅尽した阿羅漢の悟りではないよ だからこそマインドフルネスが成り立つ そうでなかったらマインドフルネスは阿羅漢だけのものということになる 苦集滅道の道なのだから
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