- 1 名前: ◆kuriu7uP3. [04/02/09 18:38]
- セピアな思い出。感傷的な気持ちにさせてくれる話をうp汁!!みんなでしみじみ泣こうじゃないか!!
- 309 名前:大人になった名無しさん [2005/07/09(土) 14:39:35 ]
- 幼稚園の頃、両親が離婚。
女手ひとつで、俺と弟を育ててくれた母。 USJができた年の夏休み、母が俺たちをUSJに連れてってくれた。 内心 俺は、交通費+入場料×3を出してくれた母に遠慮してた。 アトラクションは2時間待ちでつらかった。 けど、3人でわーわーきゃーきゃー言って、すんげぇ楽しかった。 お昼ご飯は、園内のレストラン。 一番安いもので1200円もした。 やっぱりこういうとこは高いな。 母は『好きなん食べよ』と言ってくれたけど、 結局みんな1200円のカレーを食べた。 園内の地図を見てワクワクしてる母に感謝した。 ほとんどのアトラクションを制覇した俺たちは、 帰りの電車で爆睡。 土産を抱えて寝てる母に感謝した。 母子家庭で家計だってつらいのに、 俺たちを連れていってくれたことがほんとに嬉しかった。 大げさかと思うからしれんが、涙が出るほど嬉しかった。 『連れていってくれて、ありがとう』と言うと 『また今度も行こな』と言った。 今度は俺が連れて行ってあげるからな。
- 310 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/07/10(日) 06:12:09 ]
- >>309
いい母ちゃんといい息子だね。 きっとあなたのお母さんはあなたがいてとっても幸せだと思う。 あなたはお母さんがいてとっても幸せだと思う。 家族ってそういうのがいい
- 311 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/07/10(日) 07:33:19 ]
- >>308
そもそもボクシングにローなんて無いしな
- 312 名前:大人になった名無しさん [2005/07/12(火) 03:07:04 ]
- 俺が小学生5年生の時の話。
俺と兄(6年生)は近所の少年野球のチームに入っていた。 俺は6年生主体のチームの中に、一人だけ5年生で試合に出してもらっていた。 その年の冬に6年生にとっての最後の試合があった。 その試合では兄がなぜか異常なほど調子が良くて、3打数3安打。 最終回裏、うちのチームは2-3で負けていた。2アウト三塁の場面でバッターは兄。次のバッターは俺。 チームの誰もが、兄がなんとかしてくれるだろうと思っていたら、相手はなんと敬遠をしてきた。 完全に俺はナメられていた。ものすごく悔しかった。絶対打ってやろうと思った。 …しかしあえなく三振。ゲームセット。 試合後、あまりの悔しさに涙をこらえながら一人で木陰に座っていた。 するとそんな俺の様子を察してか、兄と6年生数人が来て 「ええ試合だったが。ドンマイドンマイ。」 と言ってなぐさめてくれた。その瞬間、今までこらえていた涙があふれ出てきた。 先輩達よ、ありがとう。
- 313 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/07/13(水) 00:12:35 ]
- >>248-250
これ何回か見た事あんだけど、それでも駄目だわ。・゚・(ノД`)・゚・。 残された方も辛いだろうけど、嫁と子供を残して逝く方も辛かったろうな 一目でも子供の顔見たかったろうな、とか色々想像してしまう 奥さんと娘さんには強く生きてほしい、ってか2chすんなやww まあ、ある意味強く生きてんのか
- 314 名前:大人になった名無しさん [2005/07/13(水) 21:57:55 ]
- 工エエェェ(´д`)ェェエエ工
- 315 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/07/15(金) 05:54:02 ]
- 高校に入って一番最初に出来た友人。
俺とは全く違うタイプの男だった。 俺はスポーツが好き、外で遊ぶのが好き、車やバイクが好き。 友人はスポーツが苦手、漫画や本が好き。 それでも何故か意気投合し、バカ話で盛り上がりいつまでも笑い合ってた。 お互い、大学進学が決まった頃、友人に相談を持ちかけられた。 「俺、自分を変えたいんだよ。熱くなれるような趣味持ちたいし、アカ抜けたい。」 確かにそいつはアカ抜けてないし、周りからみればオタクっぽかったかもしれない。 そこで、俺は美容室を教えたり、ヘアカタログを貸したり、車の本を貸してあげた。 そいつは少しずつだがファッションに気を使うようになり、行動的になった。 親の車ではあるが手を加えたり、バイトして原付を買っては自慢するようになった。 大学に入ると、友人はバイクサークルに入り二輪、大型二輪と相次いで免許取得。 大型バイクを購入し、ツーリングの話を楽しそうに俺に話してくれた。 メカニックの知識も俺なんか足元に及ばないまでになってた。
- 316 名前:315 mailto:sage [2005/07/15(金) 06:21:15 ]
- 2年ほど前のある日、友人から1通のメールが来た。
「癌の一種に侵されちまって、入院することになったよ。 発見が早かったから、治療で何とかなるみたい。留年しちゃうかもしれないけどね。」と。 それから何度かお見舞い行ってはお互いの近況報告をした。 友人は検査でナースに裸を見られる恥ずかしさや治療の方法、 薬の副作用で髪が抜けて丸坊主にしたことをユーモアたっぷりに話してくれた。 それだけでなく、一人暮らしをしてる俺の心配までしてくれてどっちが病人か分からないくらいだった。 しばらくして、また1通のメールが来た。 「俺、金色のファルコになるわ!」 俺には何の事だか分からなかったが、聞けば北斗の拳の片足が義足のキャラらしい。 北斗バカだった友人の精一杯の強がりだったと思う。 右足を切断することになって、未練が残らないようにその日のうちにバイクを売ったことも後から聞いた。 五体満足で生活している俺にはバカなメールを返して笑わせてあげることしか出来なかった。 笑ってくれたかどうか分からないが、同情するよりも笑わせてあげたかった。 義足をつけてリハビリをしていても、 「俺の義足、かっこいいんだぜ。今度見せてやるよ。」 と、リハビリの辛さや足を失った辛さなんて感じさせないメールをくれた。
- 317 名前:315 mailto:sage [2005/07/15(金) 06:45:53 ]
- しばらく見舞いに行けないまま時が流れた。
ある日、仲の良い同級生数人で見舞いに行こうという話が持ち上がった。 しかし俺は、他に用事が入っていたため、見舞いには行かなかった。 その日から3日後、夢に友人が出てきた。何をする訳でもなく笑いあう夢だった。 次の日の夜、友人の親から連絡が入った。 息を引きとったこと、葬儀の日程の連絡だった。 俺は頭が真っ白になると同時に最後に見舞いに行かなかったことを悔やんだ。 迎えた葬儀の日、最期の御花入れを促されたが、俺には出来なかった。 見舞いに行かなかった自分を悔やみ、涙が溢れ、最期の別れなんてしたくなかった。 今思えば、友人は別れを告げに夢に出てきてくれたのだと思う。 それなのに、俺は別れを交さなかった。 今年の夏は、見舞いに行かなかったこと、最期の別れを交さなかったことを謝りに墓参りに行こうと思う。 そして、「バカ話でもしながら酒飲もう」と友人と病室で交した約束を数十年後に果たしたい。
- 318 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/07/16(土) 04:15:41 ]
- >夢に友人が出てきた。何をする訳でもなく笑いあう夢だった。
笑わたい、とメール送る友人だったから共に笑えて幸せだったんだよ それが一番したかったんだよ
- 319 名前:大人になった名無しさん mailto:age [2005/07/26(火) 12:14:25 ]
- いい話ばっかりだ・・・
あげときます
- 320 名前:大人になった名無しさん [2005/08/28(日) 05:13:50 ]
- あ
- 321 名前:大人になった名無しさん [2005/08/31(水) 23:29:39 ]
- 俺、中学の時ばーちゃん死んだんだけど、ばーちゃん、じーちゃんのことすごく愛してたんだろうな
じーちゃんが先に死んだせいか「早く死にたいじーちゃんのとこに早くいきたい」ってよく言ってた 俺ばーちゃんのこと大好きだったから毎日会いに行って「俺の結婚式でて嫁さんと曾孫みるまで死んだらダメ!」って言ってた 結局じーちゃん死んでから二年後にばーちゃんも死んだんだけど、 葬式の時、俺宛てに手紙があって読まれたんだけど、ただ一言「○○約束守れなくてごめんね」 泣いた。人前で泣くのは恥ずかしいって思ってたけど号泣した。 結婚式、披露宴にじーちゃんとばーちゃんの席をつくった。 明日、結婚します。近くで観ていていてください。 貴方達のような夫婦になりたいです 携帯から長文スマン
- 322 名前:大人になった名無しさん [2005/09/01(木) 00:36:11 ]
- おまいらなぜ俺を泣かす話ばかりするんだ?
- 323 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/01(木) 02:40:26 ]
- 父の葬儀があった。もう年だし、悲しくもなく淡々と取り仕切っていた。
数年間はずっと病気続きだったが、工務店を経営しており、たくさんの職人さんを抱えてた事もあった。 葬儀に子供の頃に見覚えのある職人さんが来てくれた。何十年も出入りはしてなかったが。 父より年上で80近いだろう。礼服ではなく、失礼だがこぎれいとは言えない格好だった。 香典袋ではなく封筒にくしゃくしゃの千円を包んでくれた。 「親方にはお世話になったんですわ。偶然聞きつけたのも縁が続いてる証拠ですわ。」 その時、心のたがが外れた。涙が止め処なく流れた。そして心からありがたいと言う気持ちになった。 改めてお礼にあがった。掛け金を払ってなくて年金は無いらしい。作業場の下働きなどで何とか家賃1万 の生活を支えていた。ずっと一人暮らしだという。失礼ながら生活保護を勧めたが、静かにこう話した。 父に会う30年前まで月50万稼いでたと、でも全てが悪銭だったという。 父は汗をかいて稼ぐ事を教えてくれたといってくれる。おかげで人間として生きる事が出来たと。 それで十分、いつか人知れず死んでしまうかもしれないが、満足のいく人生なんですよ、と。 この人の高邁な生き方に感動し、私の知らない父の生き方を知ることができた出来事だった。
- 324 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/01(木) 21:05:58 ]
- 泣いた
幸せになれよ
- 325 名前:大人になった名無しさん [2005/09/03(土) 21:45:39 ]
- black.ap.teacup.com/yoko-takase/152.html
- 326 名前:大人になった名無しさん [2005/09/03(土) 23:32:44 ]
- >>294>>296
お前、ほんまもののひきこもりだろ? そろそろ学校行ったらどうだ? とりあえず犯罪おこすなよw
- 327 名前:大人になった名無しさん [2005/09/06(火) 00:32:57 ]
- 高校生の時から毎年のように親戚が次々にガンとかで亡くなっていった。
毎年葬儀や法事に出席しなくてはならなくて、その間に小学生の時から かわいがっていた愛犬も死んでしまい、追い打ちをかけるように2人の叔父が 3ヶ月の間に立て続けに末期ガンで亡くなってしまった。 専門学校を卒業する頃には心も体もボロボロになっていった。 それでどうにも体調が悪く、心療内科に通う日々。 ある時風邪をこじらせてしまい、かかりつけの心療内科が家から遠いため 近所の内科を受診した時に医師に 「心療内科に通っていて別の薬を飲んでいるんですが」と言ったら 「だったらウチの病院に来ないでそっちの病院に行ったらいいだろう!」と怒鳴られ 別の病院でも同様に医師に「ふ〜ん、アンタ精神病か」とひどいことを言われて医者不信になった。 先月のこと、精神的に追い詰められて吐き気で食べ物が食べられなくなって 夜中に具合が悪くなって家で倒れてしまい母に「救急病院行こう」 って言われたんだけど別の医者にかかるとまた怒られると思って「いいから・・・」 って言ったんだけど無理やり行ったこともない救急病院に連れて行かれた。 これ以上医者で嫌な思いはしたくない!って思ってたら そこの救急病院の若い男の先生がすごく優しかった。 事情を話したら「うんうん、大丈夫」って一生懸命聞いてくれて、 点滴されてる最中も他の急患で忙しいのに見に来て優しい言葉をかけてくれて 涙が止まらなかった・・・ こんな優しい先生いるんだと思った。 今度また診てもらいに行きます。
- 328 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/06(火) 00:40:20 ]
- >>327
>近所の内科を受診した時に医師に >「心療内科に通っていて別の薬を飲んでいるんですが」と言ったら >「だったらウチの病院に来ないでそっちの病院に行ったらいいだろう!」と怒鳴られ >別の病院でも同様に医師に「ふ〜ん、アンタ精神病か」とひどいことを言われて医者不信になった。 つーかこの医者たちひどくね? 患者に言う言葉じゃないな。 早くよくなれよ>>327
- 329 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/06(火) 00:44:57 ]
- >「だったらウチの病院に来ないでそっちの病院に行ったらいいだろう!」と怒鳴られ
これはまぁわかる。 色んな薬服用してもマズイし。 >「ふ〜ん、アンタ精神病か」 これは死ね
- 330 名前:大人になった名無しさん [2005/09/06(火) 08:25:09 ]
- 別にそんなんでいちいちショック受けてたら生きていけねーだろ。
折れなんて就職面接で「無駄に歳食ってるな。」とか 彼女いるのかいないのか、いた事あるのか執拗に訊かれた挙句 「その歳までいないならどっか問題あると思った方がいいぞ」とか言われたり。 ま、そんな人生だよ。
- 331 名前:大人になった名無しさん [2005/09/06(火) 09:31:15 ]
- ここの人たちはいい人がいっぱいいますね
- 332 名前:大人になった名無しさん [2005/09/06(火) 09:40:15 ]
- >>331いい人だけではこの世のなか生き抜くのは
ムツカシイです
- 333 名前:大人になった名無しさん [2005/09/06(火) 18:45:55 ]
- そうですね
- 334 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/07(水) 10:01:22 ]
- 前編
俺が小2ぐらいだったか、同じクラスの女子(以下Aちゃん)と仲が良いって言うか・・・まぁ手をつないで帰ってた位しか思い出せんのだが やっぱり小学生、手をつないでる所を見て笑われたりしたらすぐ離してその女子の事を嫌いと言っていたのだが、二人になるとまたつないだりしていた。 Aちゃんはクラスでもムードメイカーでいつも明るかった、可愛かったし人気も有ったと思うんだが未だになぜ俺と付き合って居たのか分からない、 やっぱりガキだからそのAちゃんにちょっかいなんか出してくる奴もいた(まぁ複数の方が多かったが) でパンツめくりとセオリーなのをされたみたいでAちゃんは怒るどころか泣いてたから そのちょっかい出した奴と口喧嘩したんだが途中で切れて(俺が)まぁ喧嘩したよ、俺が勝った(その頃は泣かしたら勝ち)けど夜に何故かそいつの親が来て謝させられたけど、あまり憶えていない でその次の日にAちゃんに呼ばれて(家に)唇にキスをされた(そこの部分もあまり覚えていないんだよクソッ)そのあとは普通の学校生活、何も無いと思ってた・・・
- 335 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/07(水) 10:04:14 ]
- 後編
1ヶ月ぐらい立ったか、普通の1日普通の午後だと思ってた、 昼休みが終わって、掃除も終わって、午後の授業だと思って席に座ってたら、あれ・・・Aちゃんが居ない?イヤな予感がした(でも予感といっても怪我でもしたのかな位だったけど) 担任の先生「・・・Aちゃんがお家の事情で引っ越すことになりました・・・ 女の先生だったので先生も半泣きで話した、そしてAちゃんが入ってきて、涙で顔をぐちゃぐちゃにして教室に入ってきた、それを見て女子はみんな大泣き、男子はみんなキョトンとしてた そしてAちゃんが一言ったんだが俺は聞き取れなかった、そして女子がAちゃんに集まって何か話してAちゃんが教室から出て行った・・・ で、俺は訳が分からなかった、家に帰って母がAちゃんから電話の留守電あんでーって言われて聞いた、一言泣きそうな声で、ありがとう は?は?意味が分からなかったのが、更に意味が分からくなった、次の日学校では普通の1日、その俺は次の日学校をサボった、でもその次の日は休まなかった 2ヶ月立ってAちゃんに手紙を送ろうって事になった(自由参加で)俺は送らなかった、だって送るのは皆女子だったから、 もうそのあとAちゃんは皆の記憶の中から消えていって、話題にも出なくなった、・・・合いたいよ・・・でも会えない、ヤベ思い出したら泣けてきた、もうこれ以上描くことないし、描けない どうしてるんだろAちゃん・・・・
- 336 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/07(水) 15:38:40 ]
- は?は?
- 337 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/07(水) 23:50:46 ]
- >>334-335
言いたいことはうっすらわかるが ( )の多用とおかしな改行と変な日本語で伝わりにくい部分が多いぞ。
- 338 名前:大人になった名無しさん [2005/09/08(木) 19:56:52 ]
- 保守age
- 339 名前:大人になった名無しさん [2005/09/08(木) 20:28:07 ]
- 大した話ではないですが、語らせてください。
僕にとって一番大切なのは友達だ。 恋人よりも友達のほうが大事と思ってしまうくらいに・・。 そう思うようになったのは僕が中2の時。 中2の夏・・当時僕はいたづらばっかりやって、友達とバカな事をやって、やんちゃの盛り だった。先生にもよく怒られた。それでも毎日が楽しくて仕方がなかった。 そんなある日、僕は親から「半年後に転勤することになったから」と告げられた。 僕は反対もしなかった。 僕は転校することを誰にも言わなかった。言わなかったじゃなくて言えなかったんだと 思う。僕は強がっていた。 そして半年が経過し、引越しの時期が近づくと僕はとてもセンチメンタルな気分になっていた。 3学期最後の日、僕はだまって引っ越すつもりだったし、先生しか引っ越すことを知らないだろうと思っていた ので、一人で学校中を歩き、思い出の詰まった場所を一つ一つ見て回った。忘れないようにと・・。 そして学校で、先生が成績表を配り終わった後に、先生が僕に「これクラスのみんなからのプレゼントだ」 といわれて、丁寧に包装されたものを渡された。クラスのみんなから中を開けてと言われたので、 中を開けると、中には厚紙に僕への一人一人のメッセージが書いてある寄せ書きをもらった。 実話みんなしっていたのだ・・。僕だけが誰も知らないと思い込んでいた。 僕は初めてみんなの前で泣いた。声も上げてないたのでとっても情けなかったと思う。 友達や先生が慰めてくれた。僕は転校しても絶対に何があってもみんなを忘れないと誓った。 今では寄せ書きは僕の宝物になっている。あの頃のみんな元気にしているかな? きっとまた会えると思って日々暮らしています。 長文すいません。
- 340 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/08(木) 21:07:42 ]
- >>334-335
あれだ。 一度文章書いたら1日寝かせろ。 で、翌日もう1回読め。 そこから更に添削した方がお前にはいいと思うぞ。
- 341 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/09(金) 00:10:18 ]
- 最近の若いヤツらの文章力に泣けましたよ。
- 342 名前:大人になった名無しさん [2005/09/09(金) 12:30:32 ]
- あれはわしが小2のころのことだったかのう。
そのころわしは同じ級にいたあるおなご(以下細木数子)と仲が良かったんじゃ。 と言っても、今となってはお手手つないでランデブー程度しか覚えとりゃせんがのう。 二人で帰るところを同級の奴に見られてからかわれることもあった。 そんなときゃ「好きなんかじゃくぁwせdrftgyふじこlp;@」なんてごまかして、 二人になるとまたつなぐ、なんてこともあったかのう。かわいいもんじゃろ。ヒャッヒャッヒャ。 数子は明るい子での。ほんに可愛い子で、わしなんかにはもったいないくらいのおなごじゃった。 人気もあったと思うんじゃが、よくちょっかいをかけられていた。まあ子どもなんてそんなもんじゃ。 あるとき、パンツめくってオマンチョぺろりなんぞという不貞な輩がおっての。 強気な数子もその時ばかりは泣き出してしもうた。 わしはそやつと口喧嘩になったんじゃが、ついカッとなって何でもありの取っ組み合いになった。 今で言うヴァーリトゥードちゅうのか?殺したら勝ちってやつじゃ。 どっちが勝ったかとな?わしが今ここにおるんじゃからわかるじゃろ?あ、ここはまずいからカットで頼むぞい。 なんか夜に奴の親がチェーンソー持って乗り込んできたんじゃが、よく覚えとらん。 で、次の日に数子に呼ばれてな。家にじゃよ家に。初めて口づけっちゅうのをしたな。 その先?勘弁してくれ、さっきから婆さんがこっちにらんどるじゃろがwwwwwwwwww でもその後は特にどうということもない普通の学校生活にもどったんじゃ。 ……今と同じような時間が永遠に続くと思えるのが若者の特権なんじゃなあ。
- 343 名前:大人になった名無しさん [2005/09/09(金) 12:31:06 ]
- 1ヶ月くらい経ったかの、その日も普通の1日、普通の午後じゃ。
昼休みも掃除も終わって、5時間目の準備のために教室で座っとったら、数子がおらんことに気付いた。 さっきまでおったのにな。 そのとき、虫の知らせというのか、寒気がした。ブルっとな。 あんな気分がしたのは、そのとき以外では一回しかない。1945年の3月10日じゃ。 ……なんのことかわからんのか?まったく最近の若いモンはものを知らん。狂おしくググれ! 脱線したな、すまんすまん。 担任の先生がとつぜん授業前に言ったんじゃ、数子が家の事情で引っ越す、と。 若いおなご先生じゃったからな、先生も泣いとった。 すると数子が入ってきたんじゃが、なんか水晶玉抱えてるんじゃ。 それ見て女子ドン引き、男子キョトン。 数子はなんか言ってたと思うんじゃが、よく聞き取れんかった。なんか改名、とか地獄、とか聞こえたかの。 わしには何がなんだかさっぱりじゃったよ。 家に帰ったらわしのママン、じゃない母に「手紙がきてるわよー」って渡されたのが分厚い封筒。 中には、なんか知らんがわしのこれからの人生が事細かに書かれててな。全く意味がわからん。 次の日は学校に行けんかった。その次の日になってやっと逝けた、じゃのうて行けたんじゃが、 みんな何事もなかったようにしてるんじゃ。拍子抜けしてな。 わしもすぐ数子のことを忘れてしもうた。 それ以来ずっと数子のことは忘れておったんじゃが、最近になってテレビに数子と同姓同名の占い師が出てるのを知ってな。 先月60年ぶりに数子からの手紙を読んだんじゃ。 ……凍りついたよ。そこに書かれてるのは、一言一句わしの人生そのものだったんじゃから。 わしはあわてて手紙の最後をめくった。 日付は2005年9月9日になっとってな、そこにはこう書いてあった。 「押入れの中かr
- 344 名前:大人になった名無しさん [2005/09/09(金) 12:33:08 ]
- >>342-343
本人ではないですが、>>334-335を分かりやすく書き換えました
- 345 名前:大人になった名無しさん [2005/09/09(金) 23:04:42 ]
- なかなか面白いです。
イメージが数子じゃ別もんだけど。
- 346 名前:大人になった名無しさん [2005/09/10(土) 08:43:49 ]
- ある日彼女が学校から帰り、自宅のあたりまで来た時のこと。誰かが彼女の自宅に入っていくのが見えました。
弟か外出していた母が帰ってきたのだな、と彼女は思ったのですが家に着くと玄関の鍵は閉まっていました。 しばらくして帰ってきた弟に、さっき一度帰ってきたかと尋ねましたが、知らないという答えでした。 彼女は不思議に思ったものの、見間違いだったのだろうと思うことにしました。 しかし、それから彼女は家の中でたびたび妙なものを見ることになったのです。 夕飯時のことです。彼女が居間にいて、台所を見ると、炊事をしている母親の後姿が見えたのですが、 何と母親が二人いるのです。彼女が驚いていると、そのうちの片方がくるりとこちらを振り返りました。 それは母親ではなく、顔に目鼻がなく、口だけのものが笑っているのでした。 またある日のこと。彼女の母親は自宅で洋裁教室を開いており、足踏み式のミシンが置いてある部屋がありました。 夜遅くその部屋からミシンを踏む音が聞こえてきたので、まだ生徒さんが残ってるのかな、随分遅いなと思って 彼女は部屋を覗き込みました。すると一台のミシンに女性が向かっているのが見えました。ただその様子は普通ではなく 首と腕をだらりと下に垂らしたまま、足だけめちゃくちゃな勢いでミシンを踏んでいるのです。 しばらく様子をみているとその女性がくるりと振り向きました。またあいつでした 今度はそれはすっくと立ち上がったかと思うと、Aさんに向かって走り出してきたのです。 彼女は急いで自分の部屋に逃げ込んだそうです。
- 347 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/10(土) 13:26:06 ]
- 346
オカ板へのゴバクですか??
- 348 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/13(火) 01:32:52 ]
- 小学2年の時、腹膜炎で入院した。重篤な状態になり、医者も見離した。母親はずっと看病してくれていた。
なんとか命は取り留めたが、苦しくて苦しくて八つ当たりを繰り返した。 「元気になったら何が食べたい、カレー?ハンバーグ?アイスクリーム?」 「何にもいらない!あっちいけ!死んでしまえ!」こんな状態がひと月くらい続いた。 なんとか元気になって退院できたが、あの時の母の辛さを理解できたのは情けない話、ここ最近の事だ。 子供の死、これ以上残酷な事は無い。しかし、何とか生きのびる事ができた。 嫌な事も多いが、生きのびれた事、それだけでまんざらじゃない人生だと思っている。
- 349 名前:大人になった名無しさん [2005/09/13(火) 18:04:21 ]
- >>348
答えたくないならいいんだけど、母親は 今どうしてるの?
- 350 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/14(水) 00:34:23 ]
- >>349
姉が嫁ぎ、親父が死に、俺と二人で暮らしている。別に普通に暮らしている。 そのときの事など、いろいろ感謝してるが、口に出す事無く淡々と暮らしてる。 こんなところでしか言えないのが情けないのだが。
- 351 名前:大人になった名無しさん [2005/09/23(金) 04:18:09 ]
- 中学1年の時のこと、女子体育の女の先生(当時50代くらい?)
がメチャクチャ厳しい先生だった。 先生が来るまでに体育係の指導のもと、先生が決めた柔軟体操メニューと ラジオ体操やっておかないと激怒されてその時間は説教で終わるなんてこともあって しかもその先生は口も悪くてみんな恐れてた。 私は教科の中でも特に体育が苦手だったからマラソンでビリになったり 鉄棒ができなかったりプールで泳げないと怒られると思ってビクビクしていた。 バレーボールの授業の時、腕が痛くて両手で相手のボールを打ち返せなかった。 それを見ていた先生「うわ〜怒られる・・・」と思っていたら 笛を鳴らして「今日はちょっと早いけど体育はこれで終わり」 と言って体育倉庫から柔らかい大きいゴムボールを持ってきた。 「今日はこれからこれでバレーをやります」と。 何が始まるんだろう?と思っていたら先生が私に近づいてきて笑顔で 「これなら打てるでしょ?痛くないからこれで練習してみなさい」 と言われてまだ授業終わりのチャイムが鳴ってないのに私のためにみんなを巻き込んで練習させてくれた。 先生は「これは授業に関係なく遊びだから」と言っていた。 怒った印象しかない先生だっただけに意外だった。 あと先生は夏のプールの時、1人泳げないでバタ足している私を見つけて いろいろと泳ぎの指導を丁寧にしてくれたり、他の授業の時も 「ちゃんとできなくてもいいから、やってごらん」と言ってくれたり 恩師は誰かって聞かれたらこの先生しかいないと思う。
- 352 名前:大人になった名無しさん [2005/09/24(土) 12:08:28 ]
- 家出同然で九州から上京したんだけど
いつも母だけが電話してきてた。 でも母がある日 「お父さんが電話しろっていっつもいうから電話しとるとよ」 デキ婚することになっても何も言わなかった。 九州に挨拶にいく前に籍をいれたいなんて 到底考えられんことを旦那が逝っても なにも言わなかった。 兄が「なんで怒らんの父さん!」と怒るくらい 何も言わなかった。 ただ、「あいつが幸せになるんならいいけん」 だけで。 旦那と義父母と一緒に九州に挨拶にいったときも 待ち合わせの店の庭園の前で一人で立って待ってた。 普通なら店の人が庭園のなかを案内してくれるのに。 手を怪我して仕事もしない、身障者認定もしてもらわない そんな宙ぶらりんな父に就職のことを言われて 大げんかして家出した。 でも父は今は身障者認定もしてもらって 少しずつだけど小遣い程度は稼いで 私にだって買わなかったようなおもちゃを 私の娘に買ってくれる。 「昔はよくメロン買ってきたよな、 あいつに送ってやろう」って 小遣いはたいて高そうなメロン2コも送ってきた。 しかも母さんの名前で。 どう見たって父さんの字なのに 何していいかわからんから とりあえず孫つれてまた九州帰るよ。
- 353 名前:大人になった名無しさん [2005/09/26(月) 23:04:30 ]
- 今から15年くらい前のこと。
母方のおばあちゃんの家は同じ市内にあって車で30分ほどの所にあって 年に数回家族で遊びに行っていた。 その日も家族で遊びに行っていて、夕食の後大人たちは酒タイムになった。 私が父に「明日学校早出だから早く帰ろう」というと、酔った父が 「何言ってんだ、夜はまだこれからだ!お義兄さん呑もう!」と言って全然聞いてくれず 母も話が盛り上がったのか「大人の話に子供が口を挟むな」と言って怒ってきた。 妹は遊び疲れて寝てしまい、怒りも最高潮に達した私は「もう帰る!」 と1人で帰ることを決意、おばあちゃんちを飛び出した。 心配したおばあちゃんが玄関前まで出てきて「○○ちゃん暗いし夜は危ないから戻ってきてー!」 って言ってたんだけどキレてたから1人で帰ってやることしか頭になく 1時間かけて家に歩いて帰った。 間もなく母と心配した従姉たちが車で家まで駆けつけてきたんだけど 従姉の前で酔った親父に「恥かかせやがって」と殴られ、 母にも「子供のくせに1人で大きくなったような顔して!」とビンタをくらった。 何も悪いことしてないのに!!!とその時は思った。 その後おばあちゃんが泣きながら電話してきた。 「○○ちゃん無事でよかった〜おばあちゃん心配したのよ〜」 私もその時「しまった!おばあちゃん泣かせた」と思い 泣きながらおばあちゃんに謝った。 おばあちゃんはそれから3年後くらいに亡くなった。 従姉と叔父のの配慮で「あの時は私たちも夜まで引き留めて悪かったし」 ってことでその時のことはなかったことにされて、おばあちゃんにちゃんと謝れなかった。 おばあちゃん、あの時は悲しませてしまって本当にごめんなさい。
- 354 名前:大人になった名無し3 mailto:sage [2005/09/27(火) 00:25:27 ]
- オレは小学生の頃、祖父が大嫌いだった。
理由は、祖父の家に行くたびによく痛い思いをしていたからだ。 その小学生高学年になってくると、知識がつき オレは虐待されていたんだ、と思うようになっていた。 だから、中学校に入っても、祖父の家は敬遠していた。 それから何年か後、関西淡路大震災(だったかな?)があった年に 祖父が入院したと聞いた。親からは胃潰瘍だと聞かされていて、大丈夫だと思っていた。 だから一度も見舞いへは行かなかった。 むしろ、ザマァミロっていう気持ちもあったかもしれない いや、正直、そう思っていた。そしてその翌年に、祖父が亡くなった。 胃潰瘍じゃ死なないと思っていたから、先ほど述べたとおり見舞いへは行ってなかった。 後に親に祖父は癌だったと聞かされ、オレはショックを受けた。 だが、やはり嫌いに思ってた節があったせいか 『あぁ、そうか…それで…』と思っていた。 悔やみや惜しみの気持ちなどまったくなかった。 嫌いだったからだろうか、 死に目には会えなかったが遺体を目の前にしても涙は出なかった。 葬式の日にももちろん涙は出なかった。 そうして、火葬し、骨は祖父の生前の意思どおり、川へ流した。 それらが終わった後に、家へ帰った。 やっと終わって清々したと思い、布団に入り、眠ろうとした。 だが、その日はなかなか寝付けなかった。 起きたら、目元が張り付いたような感触があった。 どうやらオレは泣いていたらしいと気づいたのだが、祖父のために泣く必要など無い、と 気だるい感じがしながらも高校へ行った。だが、気だるい感じではなく 事実、体調を崩していたようで、授業中に意識を失ったみたいだった。 もう学校が終わってから気づいたら保健室だったのだが、その間に過去の夢を見た。 子どもの頃…小学校の頃の自分の夢だった。自分のしてんからではなく 客観的な視点からだったが。 その頃のオレはやんちゃだった。 だからよく階段から落ちたり、タンスにぶつかって上のものが落ちてきたりなど そういうことがよくあった。いつも痛い目にあった後に祖父が近くにいたから オレは祖父のせいにして祖父を恨んでた。 だが、その夢で、祖父が近くにいたのは、オレをタンスの上にあったハサミや 階段から落ちそうになったオレを体を張って庇ってくれていたんだった。 その夢を見て保健室で目覚めた時、オレは自覚なしに涙を流していた。 今はもういないけど、今ではもう祖父の…いや、じーちゃんのこと大好きだからね ただ、もうちょっと逝くのは待ってほしかったな… 『ごめんなさい』と『ありがとう』と『大好き』を言いたかった… 長文、乱文、失礼しました。
- 355 名前:354 mailto:sage [2005/09/27(火) 00:28:27 ]
- 追記
ハサミは裁縫箱の中にあった糸きりバサミです。
- 356 名前:大人になった名無しさん [2005/09/30(金) 04:18:41 ]
- やさしい気持ちありがとう
- 357 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/30(金) 16:30:10 ]
- 両親が共働きで、4つ上の兄貴も小学生だったから、小さい頃俺は母方の祖父母に世話してもらってた。
朝、親が出勤する時に車で実家に行き、夜に親が仕事終えて帰ってくるまで祖父母に面倒見てもらうって いう風な感じで。 ホントに優しくてさ、祖母は毎日俺の好きなカレーだのババロアだの作ってくれて、祖父にもよく遊んで もらったし全然怒られた記憶無いんだ。二人とも年なのに幼稚園まで自転車で送迎してくれたりして、 祖母はヒザの持病持ってたのに俺がヒザの上に座ったりしても全然嫌がんないの。たまに叔父が帰ってきて 一緒に遊んだりゲーム買ってもらったりとにかくあの家が好きで、小学校に入学しても家に帰らないで実家 帰ってたくらいだった。ちょっとした事情で俺も小学校から自分の家に直で帰るようになったんだけど、 それでもちょくちょく遊びに行った。ゲームしてお菓子食ってワガママ言って、今思うとよくこんなガキを 相手にしてくれたと思う。【続く】
- 358 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/30(金) 16:50:08 ]
- 祖母が死んだのは俺が小4の時。子供だったからか両親はそれほど深刻な状況だったことを教えてくれて
なかったので、突然な感じがして涙も出なかった。悲しいけど何がなんだか分からないっていうか。後で 聞いたら本当に壮絶な闘病生活だったみたいで、母は恐らくそれを俺に見せないために敢えて言わなかった のかと思う。でも、数えるほどしか見舞いに行けなくて、今思ってもとてもやるせない気持ちになる。 祖父は俺が中3の時死んだ。風呂にはいるのも用を足すのも命がけだったという戦地から生き延びた祖父は、 我慢強いというのか何というのか、苦痛を伴う自覚症状が出ているのにも関わらず誰にもそれを言わずに、 片目が見えなくなり体も弱くなった。それに加え祖母が逝ってから来た叔父の馬鹿嫁が家を開けっ放しにし、 祖父の飯もろくに作らず、すっかり衰えた祖父はそのまま病気で逝ってしまった。おまけに俺は部活の 終わった後に居残り練習してたせいで、死に目に立ち会えなかった。あと一本早いので帰ってれば間に 合ったのにさ。しかもその部活は後でやめてしまったし、祖父には合わす顔がない。 大好きだったあの家には、もう祖父母はいない。叔父夫婦には子供もいないし、放っておけばこの家も 叔父夫婦が死ねばただの廃屋になる。 だから決めた。さんざん世話になっておきながら、ワガママばっかり言って、祖父母両方の死に目にも 会えなかった俺。兄貴みたいに友達もいないし運動も別にずば抜けて良いわけじゃない俺。そんな俺が 今から出来ることは、あの家を俺が守ること。兄貴が婿に行ったから父方の実家も継がなきゃいけないが そんなこと関係ない。2つの家を俺が守る。そのために勉強して絶対会計士の資格取って家守れるだけの 金持ちになる。気休めかもしれないけど、今更祖父母に対しての償いにはならないけど、それでもやる。 あの家は俺が守る。絶対。
- 359 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/30(金) 17:02:45 ]
- 泣ける話でも感動誘う話でも何でもないし、なんかすごい読みづらい文章になってしまった…
俺の文才の無さがひしひしと伝わってくるなorz でもまぁあれだ、親や祖父母あるいは兄弟に何か恩返しがしたいなって思ってる人が、この汚い 文章読んで「こういう奴もいるんだな」って事でなんか感じてもらえるといいな、と思ってます。 俺はもう居ない人への恩返しだから、もし達成しても何の返事もないし喜んだ顔も見れないけど、 まだ自分の近くに居る人ならいくらでも恩は返せるよ。模試そういう人居たらすぐ行動起こして ほしいな、些細なことからでいいからさ。 最後に、この駄文読んでくれた人有り難う。
- 360 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/09/30(金) 23:49:15 ]
- 大変だと思うけど、頑張れよ
- 361 名前:大人になった名無しさん [2005/10/01(土) 13:09:37 ]
- 誰にでも昔から仲のいい奴っているだろ?
俺が初めて友達の中でいなくなっちまったのが、そいつだった。 小学校の頃から一緒で色々馬鹿やってきた仲だった。そんな俺らでも、運命には逆らえなかった。 中学を卒業して違う高校になっちまって、俺らも高校でいろいろ忙しくて、なかなか会えなかった。 ある日、久しぶりにそいつに会った、ずっと会ってなかったのに、今までと変わらなかった。 でもそれがそいつと会ったのが最後になっちまった。事故だった。 しばらくして、引越しする事になって、家のものをまとめてたら、ゲームボーイのポケットカメラが出てきて、 久しぶりに電源入れてデータ見たら、みんなで撮った写真が出てきて、そんなかにそいつがいたんだよ。 もーそん時はマジで泣けたね、親がいるから涙なんて流せなくて必死にこらえてたね。 まあその当時のデジカメだったねポケットカメラって。意外なもんが思い出になったなって思ったよ、そん時。 ありがとな、つまんない事聞いてくれて。それと話し方が素直な話し方じゃなくて。
- 362 名前:大人になった名無しさん [2005/10/01(土) 22:55:53 ]
- 当時、私には色々悩みとかがあった。将来に関わったりするようなすごい重要な悩みではなかったが、
あまり精神面の強くない私とって、他の人からすれば小さな悩みかもしれないがけっこうこたえていた。 私には一人の友人がいた。その友人は問題解決の案を出したりしてくれるわけではないが、 いつも私の話を聞いてくれた。時には何時間も。彼女も私なんかに悩みを打ち明けてくれたり、 何度も一緒に街へ出かけてくれたりもした。彼女といた時間は本当に楽しかった。 一方的に思っていただけかもしれないが、いつしか私にとって彼女は親友と呼べる存在になっていた。 だけど別れの時は来てしまった。彼女は長い間海外へ行くことになってしまった。 成田へ向かう電車の中、また将来会えるしいつでもメールや電話ができるから何も悲しむことはない。 その時は悲しみはみじんにも感じていなかった(気がする)。 性格のいい彼女には私以外の友人がたくさんいて見送りには何人も来ていた。 私とその友人達とは深い関わりもなかったため私はその友人達と話す彼女とあまり話すことができなかった。 ただ彼女が荷物を預け終えゲートをくぐろうと背を向けた瞬間「本当にもう行ってしまうんだ」と感じ、 私は彼女の名前を呼んだ。そして今までため込んでいたものが一気にあふれ出した。私は泣いていた。 そして、ありがとうと言いたかったが泣きながらではとても言うことができなかった。 すると彼女は涙声で私のことを抱きしめてありがとうと言ってくれた。 違うよ。本当にありがとうを言いたいのは私のほうなんだよ。 しばらくぶりに彼女の声を受話器で聞く。 また会えたね。
- 363 名前:大人になった名無しさん [2005/10/02(日) 13:46:26 ]
- ほとんど読んだ…涙がとまらなぃょ・゚・(ノД`)・゚・。
- 364 名前:大人になった名無しさん [2005/10/02(日) 17:31:59 ]
- 泣けないけど・・・いい思い出なので書きます。
私が中学3年の頃、やたらと“○○さん(私)かわいいね”と言ってくる男子がいました。 当時私は姉御肌というか・・・男勝りのところがありました。 当然付き合ったことなどなく、あまり女子として見られていませんでした。 どうせからかってるんだろう。 数日も経てばそのうちその男子(以後A)も飽きるだろうと思っていました。 でも1週間・・・1ヶ月・・・とAは毎日“かわいいね”を連発。 正直、こんなに続くとは思ってませんでした。 そのうち飽きるさ・・・と自分に言い聞かせ、私はAを無視し続けました。 その後もAは“かわいいね”と言い続けて来ました。 ガマンも限界に達してきましたが、とりあえず無視。 それでも“かわいいね”発言は毎日のように続きました。 そしてついに卒業式。 そう、この日までずっと言い続けてきたのです。 それも今日で解放される。 卒業式が終り家に帰ろうとしたとき、またAが“かわいいね”と言ってきました。 今日で最後だし・・・と思い私はAに聞きました。 私「私のことからかって楽しかった?」 するとAは A「ほんとのこと言ってただけだよ」 と言いました。 コイツはまだ私のことをからかうのかと思い呆れました。 私「もういいから。お疲れさん」 と私が言うと、Aは A「まったく・・・○○さんは疎いなぁー」 と言いました。 異性と付き合ったことがない私は始め何を言ってるのか分かりませんでした。 私「何が?」 A「もう・・・俺がどんだけ“かわいい”って言ってたか分かる?」 私「??」 A「はぁ・・・もういいや・・・」 私「もういいって?何が?」 A「・・・○○さん、ホントに“かわいいね”」 いつもとは違うトーンでAが言いました。 その時、初めて私は気付きました。 毎日言い続けてきたのはAの愛情表現だったのだと。 そして A「じゃーな!高校行っても頑張れよ!」 と走り去ってしまいました。 私「A・・・カッコいいよ」 最後に私はそう呟きました。 あれ以来Aとは会っていません。 二度と戻らない青春・・・付き合ってればよかったな。
- 365 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/02(日) 20:25:53 ]
- うーんヽ(´ー`)ノ
いいねぇ 青春
- 366 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/02(日) 23:30:14 ]
- (゜Д゜)ゴルァ!
kandouii.sakura.ne.jp/flash/gorua.htm
- 367 名前:大人になった名無しさん [2005/10/03(月) 04:54:07 ]
- このスレ(てか板自体)初めて知りました…。
1から全部読んだけど、ほんとにどんだけ泣いた事か。・゚・(ノД`)・゚・。ウエエェェン みんな思いやりと感謝の気持ちを忘れずに頑張って生きっぺなー!!
- 368 名前:大人になった名無しさん [2005/10/04(火) 00:00:55 ]
- 良スレage
- 369 名前:大人になった名無しさん [2005/10/04(火) 01:57:28 ]
- 私の母方のおばあちゃんは生前兄嫁にイジメられていた。
うちの妹が小さかった時おばあちゃんちに泊りに行って 兄嫁がおばあちゃんをイジメているのを目の当たりにして「おばあちゃんが死んじゃう〜」って 泣きながら家に電話してきて母が車で迎えに行ったこともあった。 私が高校生の時、おばあちゃんはガンで亡くなってそれから3年後 兄嫁夫婦はおばあちゃんちを勝手に売り払って引っ越してしまった。 それを知ったのは転居通知ハガキが来てからで、母は実家が無くなったと毎日泣いていた。 でも私の思い出の中にはおばあちゃんちは今でもあるし、おばあちゃんも その家にまだいるように思えて仕方なかった。 でも先月、私が夜中に急に具合が悪くなって母に車で市民病院まで連れて行ってもらった時のこと。 帰りに母が遠回りしているのに気づき、周りは真っ暗だったけどよく見ると見慣れた風景。 おばあちゃんちに向かう道だった。 母は敢えて夜におばあちゃんちがどうなったのか見届けたかったみたいだった。 私はなるべく見ないようにと下を向いていたけどチラッと おばあちゃんち跡に大きいマンションが建っているのが見えた。 母は寂しそうに「変わっちゃったねぇ・・・」と言った。 私は、もうおばあちゃんちもおばあちゃんもいないんだ・・・と涙を堪えながら母に 「うちの近所もだいぶ変わったじゃん仕方ないよ」と言った。 でも心の中にはまだおばあちゃんちがあっておばあちゃんもいるように思ってます。 おばあちゃんそれでいいよね?
- 370 名前:大人になった名無しさん [2005/10/10(月) 14:31:05 ]
- SE・PI・A
- 371 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/10(月) 16:29:13 ]
- ソイヤ!!
- 372 名前:大人になった名無しさん mailto:age [2005/10/12(水) 23:39:55 ]
- ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄
∧( ´∀`)< 感動age ( ⊂ ⊃ \______ ( つ ノ ノ |(__)_) (__)_)
- 373 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/13(木) 10:43:58 ]
- 弟の友達の話。
高校2年だった弟の同級生A君は、お調子者だけど明るくて良い子だったそうだ。 ある時A君は休み時間の教室でバク転をしたらしい。 しかし見事に失敗。 皆が笑う中、頭をしこたま打ち付けたA君も苦笑いしながら 「いてー」と立ち上がった。 が、次の瞬間、突然A君は倒れた。 A君が居た教室は専門科目を勉強する特別教室で、床がアスファルト。 すぐに近くの総合病院に搬送され治療が開始された。 1日経ち、2日経ち…。 だけどA君の脳の浮腫は退かず、意識が戻る事は無く7日目に彼は死んだ。 その間、彼の両親は一度も面会に来なかったらしい。 聞けば彼の両親はA君が幼い頃に離婚し、二人共A君を引き取る事を拒んだ。 だからA君は小さい頃から施設で育ち、高校にも施設から通学していたそうだ。 普段の彼からは想像つかない過去だった。 最期位は両親にも看取って貰いたいと、学校・病院・施設が 一生懸命両親を説得したそうだ。 だが両親はそれを拒否し、遺骨になってしまった我が子を抱く事すらしなかったそうだ。 結局お墓にも入れて貰えなかった彼は、施設の方で埋葬された。 A君はどんな気持ちで見ていただろうか。 彼に何の罪があったのだろう。 親の都合で振り回される為に生まれて来たわけじゃないのに。 悲しいやら悔しいやら腹が立つやら…。 8年経った今でも涙が出る。
- 374 名前:大人になった名無しさん [2005/10/14(金) 03:39:04 ]
- >>373
許せん・・・天誅。
- 375 名前:大人になった名無しさん [2005/10/14(金) 17:26:04 ]
- >>373
ヒドイ親だな ご冥福をお祈りします・・・(-人-)
- 376 名前:大人になった名無しさん [2005/10/14(金) 23:18:01 ]
- 親の愛を知らずに逝ってしまうなんて・・・悲しいね。
- 377 名前:大人になった名無しさん [2005/10/15(土) 02:39:06 ]
- 昔起こった身内の話でも書こうかと思います。
こんな文章を書くのは苦手なんですが…頑張って書きたいと思います。 泣けるかどうかもわかりませんが…; 私の祖父母の話です。 7月上旬、高校2年だった私は夏休みに「母の祖父母の家に行きたい!!」 …と母にワガママを言って1ヶ月ほど祖父母の家に行くことになった。 丁度お墓参りの時期でもあり、墓参りのついでに遊びに行こうか。 そんな話を私と母で話していた。 祖父母の家に行くのだから事前に電話で伝えておこうということで電話をかけて話した。 祖母と私は夏休みの話で盛り上がっていると突然、祖母が急に 「…母さんは今、そこに居る?」というので「居るよ。今かわるね。」 と言って母にかわった。 いつもなら明るく話しているのに今回は暗く、「…うん。…うん。」としか言ってなかった。 30分も経って電話を切った母に私は「何の話?」と聞いてみた。 「家に来てから話すって言ってたから…わかんないわ。」と言った。 どんな話なんだろうか気になったが今は行きたい気持ちだけだったので気にしないでいた。 そして祖父母の家に行き、笑顔で迎えてくれた祖父母。 「これから一ヶ月楽しむぞ!!」と思っていた。 10日ぐらい過ぎたある日の真夜中。 トイレに行きたくなって布団から起きあがり、向かう時にリビングの電気がついてることに気づいた。 気になった私はおそるおそる近づいてトイレに行くことすら忘れ、壁に耳を当てた。 声でリビングには祖父母と母が居ることがわかった。 一体何の話なんだろう…と思った私は一生懸命聞こうと思ったがトイレに行きたい願望があるのか 我慢が出来ず、仕方なくトイレに行って寝ることに。 時計を見たら3時を過ぎていた。 夏休みの1ヶ月は美味しいレストランにつれてってもらったり、高級な寿司を食べに行ったりなどをしたり 「これが欲しいっ!」とか祖父母に色々とワガママを言っていろんな物を買ってもらった。 とっても楽しく過ごせた1ヶ月だった。 夏休みも終わりに近づき、8月下旬に我が家に帰宅。 学校の準備等用意していたらあっという間に学校が始まった。
- 378 名前:大人になった名無しさん [2005/10/15(土) 02:40:06 ]
- 続き
9月の始めの土曜日。 私の部屋に突然母が入ってきた。 「…息子には一応、話さないでと言われたけど…孫だし……。……。」 「…何の話?」 と、口を濁らせた母におそるおそる尋ねてみた。 「今から話すことは心の中にしまっておいてね。…祖父母の話なんだけど……」 母の話によると7月中旬に祖父が働いている会社の金融関係の人が自殺したらしく、 その金融関係の人が最後に会ったのが私の祖父だと言うのだ。 何故、自殺したのかまではわからないが祖父は会社の人達に 「お前があいつを殺したんだ…お前が悪いんだ!」と攻められ、精神的にとても堪えているとのこと。 金融関係の人は莫大な借金を抱えていたらしく、その借金を全て祖父が払え!…ということになった。 その後、祖父は会社から仕事を一切もらえなくなり、平社員以下の存在になってしまった。 しかし会社側は「お前はまだ必要な存在なんだ。」ということで仕事がないのに会社に通っていた。 しかももうすぐて定年退職だと言うのに退職金さえもらえなくなってしまった。 退職金全額と老後の生活のための貯金を少し崩して借金返済に当てたという。 給料も平社員と同じぐらいの値になり、将来ちゃんとした老後が送れるだろうか… そんな時に私が祖父母の家に来てしまったのだ。 私は夏休みのことを振り返っていた。 …私のためにいろんな物を買ってもらった。 結構高い物までも「いいよいいよ。それぐらいおじいちゃんとおばあちゃんに任せなさい。」 と言って買ってもらった物もある。母曰く、 「孫には…優しいおばあちゃんとおじいちゃんで居たいからそう振る舞ったんだよ。 金銭的な問題があるけれど孫には楽しい思い出を作ってもらいたい。 美味しい食べ物を食べてもらいたい。例え、老後がどうなったとしても…」 聞いてる途中に私の目から涙が流れていた。 私の目の前に祖父母に買ってもらった物が置いてあった。 こんなことなら…ワガママを言わずに買わなければよかった……!! そんな気持ちで一杯だった。 その日はそこからずっと泣きっぱなしだった。 母はずっと話をしていたが聞こえもしなかった。心に罪悪感が残った。
- 379 名前:大人になった名無しさん [2005/10/15(土) 02:41:07 ]
- それから1ヶ月が経って10月。
祖父母が自殺してしまった。 理由はやはり借金の問題。…金銭的な問題だった。 自殺する前に書いたと思われる遺書にこんなことが書かれていた。 「孫と過ごした最後の夏休み、とっても楽しかった。 あの夏休みがいつまでも続いてくれればよかったと何度思ったことだろう。 最後に孫宛のメッセージを書いておきます。 最後に私たちに楽しい思い出を作ってくれてありがとう。最高の夏休みだったよ。」 涙が溢れてきた。止まらなかった。 夏休みの時、どうして気づかなかったのだろう。 もう取り戻すことも出来なくなってしまった。 おばあちゃん、おじいちゃん、私も楽しかったよ。 いつか…またいつか会えることを楽しみにしてるからね。 最後までこの文才のなさがわかるような長文を読んでくれた人、有り難う。
- 380 名前:---- mailto:sage [2005/10/15(土) 10:19:56 ]
- 道路(公道・私道の別を問わず)を駐車場代わりに使うことについて、少し、思うことを述べさせて頂きます。
【きちんと駐車場を借りてらっしゃる方々へ】 皆さんは駐車場代として、幾らくらい払ってらっしゃいますか? 仮に毎月5千円としましても、年間6万円ですね。 駅から近いところに住んでらっしゃる場合、地域にもよりますが、毎月2万円、年間24万円くらい払っている方もいらっしゃることと思います。 さて、道路に我が物顔で、車を毎日置いている方は、近所にいらっしゃいませんか? 彼らは、堂々と犯罪を犯し、年間6万円から24万円くらいのお金を浮かせているのです。 もしも、かれらの年収があなたと同じだと仮定すると毎年6万円から24万円くらい(もしかしたら、それ以上に)あなたより贅沢な暮らしをしているわけです。 あなたと同じ年収なのに、犯罪を犯すことによって、です。腹が立ちませんか? 当然、腹が立ちますね。 しかも、近所にそういう方々が大勢いらっしゃいますと、結構、通行の邪魔だったりもします。 そういった方々を懲らしめる唯一の方法、それは、地道な通報です。 自分の家の近所で、そういう車両を見かけたら、出来る限り警察に通報し、彼らを懲らしめ、駆逐しましょう。 皆さんの力で、日本の道路を綺麗にしましょう。
- 381 名前:go ◆9t7kTNKxEE mailto:sage [2005/10/15(土) 22:37:57 ]
- >379さん
御祖父母様のご冥福お祈りいたします。 実は、私の今の状況もそんなもんです。 もう、どうしょうもなくなっちゃたのね。 これから最小限で生きていくために先週から身の整理を始めてるんです。 父が生きていた頃、週末の家族での外食や 誕生日に母がくれた、ちょっと不似合いなジャンバー・・・大切な思い出になりました。 これから寒くなる季節、ありがたさが身にしみます。 自分のお金で買った物は、未練なくリサイクルショップに出しました。 別れた男が買ってくれた物も、連絡を取るのも悪いので処分しました。 でも、手作りの不細工なマスコット人形だけはまた大事にしまってあります。 だって、その不細工さが私に似てるんですよ。 がらんとした部屋でね、ひざを抱えてると 小さかった頃、中高生の頃の これからの不安とかなく 将来の希望とかさ、夢中になってたスポーツや友人との会話も いい思い出さ。 で、やっぱり 最後は家族と過ごした暖かい思い出なんだよね。 もっと父に「おとうさん」と言ってやさしくしてあげれば良かったとか ほんと、しみじみそう思う。 だから、もう少しこれから頑張ろうって気になってるんだ。 379さん、笑顔で迎えてくれた御祖父母さんの願いは379さんが 正しく生き抜いてくれる事だと思うのです。 そうそう、お母さんにもやさしくして下さいね。
- 382 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/16(日) 03:02:27 ]
- 。・゚・(ノД`)・゚・。
379さんにも381さんにも幸せが訪れますように。 381さん、きっと良い方向に向かう日がある、と信じて強く生き抜いて下さい。
- 383 名前:go ◆9t7kTNKxEE mailto:sage [2005/10/16(日) 07:30:10 ]
- おはよー
>382さん ありがとうです、気持ちは前向きに考えて頑張って生きます。 さっき、近所の朝市に行って野菜なんかを、いっぱい買ってきました。 帰りに同じアパートのおばあちゃんが、重たそうにハクサイやダイコンを 抱えていたんで手伝ってあげてね 少しおしゃべりしたんです。 「姉さん、引越しするのかい?」 「業者が荷物運んでたけど?」 まだ、当分ここに居るつもりなんですけどね・・・・引越しするかもしれません。 会社がね、倒産状態なんです。(ほんとは夜逃げ倒産みたいでした) 「ありゃー、・・・・若い人もたいへんだねぇ」 「はぁー助かったよ、ありがとう」 おばあちゃんに、何回もお礼言われて 嬉しかったの。 ちっちゃい背中丸めて、ニコニコしてね こっちまでニコニコ照れ笑い。 冷たい手を握って暖めてくれたような気分だよ。
- 384 名前:382 mailto:sage [2005/10/16(日) 07:49:39 ]
- ああ、いいなぁ、
go ◆9t7kTNKxEEさん、何か、幸せになるのが 上手な人みたいだ。良かった。 幸せ不幸せって物理的な物はもちろんあるんだけど、 心が感じる物だと、私は思います。 383のカキコ、嬉しかったよ〜
- 385 名前:go ◆9t7kTNKxEE mailto:sage [2005/10/16(日) 12:49:42 ]
- お昼はサラダに、野菜の煮物です。
なんとかおかずは、一週間買わずに済みそうです。 返済を約束した数人の人が来て、全額とは行きませんが 分割の一部をお支払いしました。 その中で、一番お金に厳しい方が月1万の返済を 来年まで待ってくれました。 そして、どこか住み込みで働くかもしれないと話しますと 万が一、月の返済が難しい時には連絡を入れなさいと言われました。 こんな状況の中の私を信じてくれる態度に ありがたくて涙が出そうです。 下の階に住んでいる、今朝のおばあちゃんが階段の掃除をしていました。 私に、「何かあったら大声出すんだよ」って言ってくれました。 何人も、入れ替わり人が来るから不審に思って心配してくれているんだろうね、 だって、階段なんか竹箒で掃かないよね。 車売ったり、保険解約の手続きなんですよ、ってウソ言っちゃった。 ごめんねおばあちゃん、そしてありがとう。。
- 386 名前:大人になった名無しさん [2005/10/16(日) 22:45:43 ]
- go さんは他にご家族はいらっしゃらないのですか?
- 387 名前:go ◆9t7kTNKxEE mailto:sage [2005/10/17(月) 03:38:09 ]
- やっぱり、なんだかんだいっても 夜 は 怖 い です。
これからどうなるんだろう? こんな事考えて、眠れない毎夜より 早く、明日の休みはどこに行こうかな なんて考えながら寝たいです。 >386さん 家族ですか・・・ 家族は、これから作っていくのが希望なんですけどね 稀に叶う望みで、希望っていうぐらいだから捨てちゃいけませんよね。 母は、どこかで生きていると思います。
- 388 名前:大人になった名無しさん [2005/10/17(月) 12:35:56 ]
- >go
正直スレ違い&どうでもいい。 よそでやってくれ。 -セピアな思い出再開-
- 389 名前:go ◆9t7kTNKxEE mailto:sage [2005/10/17(月) 20:20:12 ]
- ごめんなさい。
- 390 名前: ◆wWrlZojXFA mailto:sage [2005/10/18(火) 06:41:06 ]
- Y⌒''''|'"⌒`⌒⌒'ー、_/ 》
\ γ;;;;;ノ..;;;) / / ,,,γ;;;;,,…../ ::::::::::*:: ∞〜 プーン ::::::::::::::::::::::::::::: ,.-ヽ. . |..名| (;;;;;;;;;;;;;;;;;;人_(\!((^i_/ヽ、::*::: } :::::::::::::::::::::: ____,;' ,;- i. .. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|..科| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | /*-'' ̄ :;; ̄''- i リ :::::::::::::::::: ,;;'" i i ・i .. |..田| _____ | ソ r(:;;:),,、i r(;;;;;;)、 | | ∞〜 プーン ::::::::::::::: ,;'":;;,,,,,, ;!, `'''i;. |..歯| [ 生ゴミ ] リ i ;;;;;;;; | :::: | | ::::::::::: ,/'" '''',,,,''''--i. |..科|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ プーン } <ヘ :;;;;; ノ ::: /;; > i ::::::::: ;/ .,,,,,,,,,,,,,,,,, ;i'⌒i;. l____.| ヾM/ ヾM/ 〜∞| |:::l:;;;;;*`;;ー;;`ヽ: l::::| | ::::::: i;" ___,,,,,,, `i". |l l ll| //ヽ~\//ヽ\... ノ ヽ:::;;;;; l l===ュヽ ::/ リノ ::::::: i; ,,;'""" `';,,, "`i_____|l l ll|__| | . | 彡ノ ソ;;*::;;; -;;;;-'、,:::/| / ::::::: | ''''''i ,,,,,,,,,, `'--''''" _| | ヽ__/ヽ__./ { 彡 |;;;;; \.;;;;;;;;;;/ | ( ::::::: |. i'" "; ..;;,,゙゙';;;''‐*-..;;,,,,,,,;;;;;;,,,,,,....-‐-‐''~,;;,, ::::::: |; `-、.,;''" ,,,,,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,,,,,,.... :::::::: i; `'-----j
- 391 名前:大人になった名無しさん [2005/10/19(水) 02:29:01 ]
- 私が小6の冬のできごと。
私には血の繋がりはないんだけど、赤ん坊の頃からよく面倒みてくれたりどこかに遊びに連れってくれたりするおばちゃんがいたんだ。 おばちゃんとおじちゃんが大好きで「お母さん」「お父さん」ってよんでたんだ。 小6の私は「お母さん」の家でゲームしてたんだ。電話が鳴って「お母さん」が出てなにやら話してたどうやら私の母かららしい。 「お母さん」は何故か声が震えてて泣きそうになってた。 私は構わずゲームをしてた。電話を切って「お母さん」がこういった。 長文スイマセン続きます。
- 392 名前:大人になった名無しさん [2005/10/19(水) 02:43:42 ]
- 「お母さん(私の母)がねちょっと用事があるからしばらく〇〇(私)の事頼むって」
私「…また家出か」私の家は少々複雑、というか母は父が嫌いで家出をするのが多々あった。 「お母さん」は 「だから今日はパジャマ家からもってきなさい宿題とランドセルも」 私「うんそうする」「お母さん」は泣きそうな声で喋ってた。そんなの素知らぬ振りでまたゲームを再開した。ゲームの画面に映った「お母さん」はエプロンで目をふいてた。 私「服とりにいってくる」 外に出て私は泣いた血の繋がりはないのに私の為に泣いてくれた「お母さん」 血の繋がりはないけれど本当の母の用に接してくれた。 「お母さん」が本当のお母さんならなぁ…と何回も思った。 今でも娘の用に可愛がってくれる「お母さん」 いつか恩返しがしたいと思う。 ありがとう「お母さん」
- 393 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/19(水) 18:38:55 ]
- >>391
「お母さん」が電話切って「長文スイマセン続きます。」って言ったのかとおもた
- 394 名前:大人になった名無しさん [2005/10/19(水) 21:47:33 ]
- ハゲワロスwww
- 395 名前:大人になった名無しさん [2005/10/20(木) 08:50:15 ]
- ワロタw
- 396 名前:大人になった名無しさん [2005/10/21(金) 22:24:05 ]
- サンマの塩焼きジュウジュウ 大根おろしショリショリッ
炊き立てご飯パカッフワッ ポン酢トットットッ… ハムッ ハフハフ、ハフッ!!
- 397 名前:大人になった名無しさん [2005/10/22(土) 03:09:01 ]
- ↑???
- 398 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/22(土) 04:17:21 ]
- 鼻水が出るので鼻にティッシュ詰めて読みました…
鼻の穴が広がったら恨みますよ…
- 399 名前:大人になった名無しさん [2005/10/27(木) 12:22:36 ]
- あげ
- 400 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/27(木) 18:00:56 ]
- 昔、3歳下の弟とSFCのサッカーゲームをしていた。
リビングの大きなTVで、仲良く試合してたっけ。いつもオレが勝ってた。 弟は悔しそうに、時には泣きながら、「もう1回、もう1回!」とせがんできたもんだよ。 ほとんど2Dに近いゲームで、キーパーなんかあり得ないプレーしてた。 もちろん、選手の顔なんてみんな同じ。 あれから数年経って、何度か引っ越した。 高校生、中学生となって、もちろん部屋は個別に持ってた。 でも、2階のオレらの部屋にはTVのアンテナ端子がなくて、1回からケーブルを引っ張ってオレの部屋に1つだけTVを置いてた。 弟は頭が良くなくて、親がTVを部屋に置かせなかったんだ。 ゲーム機もPS2を繋いでて、(PSは引越しの時に廃棄)オレのいない時間に、弟はオレの部屋でゲームしてた。 その内、オレに彼女ができた。あまり長くは続かなかったけど、オレは都合がいい時はいつでもオレの部屋に呼んでた。 もちろん、弟はどんなに暇でもPS2ができない。 だから、弟はリビングで、偶然見つけたSFCを引っ張り出して、古臭いゲームをしてたらしい。 そしたら弟は、不定期にPS2で遊ぶよりもSFCをやる方が楽しいと思ったのか、ずっとリビングで遊ぶようになった。 そんな感じで4ヶ月くらい過ぎたのかな、オレは彼女と別れて、寂しかった。 弟はそんなオレを横目に、久しぶりにPS2で遊んでた。 しばらくして、弟はリビングからSFCを持ってきた。 「兄ちゃん、久しぶりにコレやらない?」 弟が持っていたのは、例のサッカーゲーム。 まだ持っていたのか、なんて言いながら、オレは1Pを手にする。 弟はその性格からか、ファールが多いのだが、それでもオレは圧勝する。 でも、確かに弟はうまくなってた。 「ちきしょー、めっちゃ練習したのになぁ・・・」弟は悔しそうな表情。 お前はいつまでたってもヘタだなぁ、と言いながらも、オレは弟にひどいコトをしていたな、と反省していた。 数日後、オレは弟のために中古でウイイレ7を買ってきた。 弟は最初、すげーリアルだ、とか言ってたけど、その内またSFCを取り出して、またあのゲームを起動する。 「兄ちゃん、もう一回やろ、次は勝つからさ」 そうして弟は、またオレに負けて悔しがる。 でも、そんな弟を持って、オレはすごい幸せだな、って感じた。
- 401 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/27(木) 22:23:31 ]
- 弟はわかってるなぁ
弟にエミュ教えてやれよ、泣きながらうんこ漏らしてよろこぶぜ
- 402 名前:大人になった名無しさん [2005/10/28(金) 08:49:11 ]
- >>400
正直何が泣けるのかわからん。 無理やり泣ける方向に持っていこうとしてるがお前も弟もただの馬鹿かと・・
- 403 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/28(金) 10:37:34 ]
- >>402
>>400は続きを書いてくれる筈。
- 404 名前:400 mailto:sage [2005/10/28(金) 22:27:16 ]
- >>402
少なくともオレ自身は心が張り裂けそうな思いをしたよ。 文句一つ言わずに、オレらの空間をそっとしておいてくれた。 弟は友達の家に行ったりもせずに、ただSFCをしていたんだよ。 今までウザいなぁって思ったりしてたけど、実際はオレの方が迷惑かけてた。 兄として、人間として失格だな、って思った。そしたら、何かこみ上げてくるものがあったんだよ。 身近な存在がどんなに大切か今さらわかった気がした。オレはバカだよ。 昨日書き込んだ後に、無性にサッカーゲームがしたくなった。 オレは弟を誘ってみたけど、弟はSFCを1階の引越し用段ボールにすでにしまっていた。 話によれば、定期テストの勉強があるらしい。 オレは前期期末考査が終わって一息ついてる時期だから、実際何かして遊びたいのだが、弟は自ら誘惑に負けないよう、ハードを封印したらしい。 何だかんだ言って、オレたち兄弟の生活パターンはかなり変わってきてる。 一緒に遊ぶなんて、かったるいというよりも、時間の関係でかなり厳しい。 昔は短気で、大声で泣き叫んで、ケンカしたらすぐに親に助けを求める、そんな弟だった。 今じゃオレのこと気遣ってくれただけじゃなくて、自分のなすべきことを理解して、自分1人で計画立てて過ごしているみたいだ。 「だって兄ちゃんが!」という捨てゼリフももう聞けないのだろう、ケンカもほとんどしなくなるだろう。 でも、暇ができたら、また弟と遊んでやりたいな、って思う。オレにとってはたった一人の兄弟だもん。 ・・・今、弟がわからない問題を質問しにきた。今日のレスはこのくらいにしておきます。
- 405 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/28(金) 22:39:45 ]
- >>402
別に泣かなきゃいけないスレじゃなくね? 「セピアな思い出。感傷的な気持ちにさせてくれる話」って1に書いてあるし 俺は兄弟で朝から晩まで遊んでた頃を思い出してなんかじーんときたけど
- 406 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/10/29(土) 04:41:58 ]
- 夏休み目前にして妹が死んだ。
みんな「明日から夏休みなのに」 と言いながら泣いていた 中学3年生、人生まだまだだったのに やっと一年間が過ぎ居なくなってから二度目の誕生日が来る 悲しいよ毎日考えるし、会いたいよ ダメだろうが無理だろうが 会いたいよ 会いたいよ
- 407 名前:大人になった名無しさん [2005/10/29(土) 07:08:41 ]
- イ`
- 408 名前:大人になった名無しさん [2005/10/29(土) 23:08:55 ]
- あなたの場所から
私が 見えたら きっと、いつか 会えると信じ生きていく…。 頑張れ。負けるな。
- 409 名前:大人になった名無しさん [2005/10/31(月) 02:59:03 ]
- 中学2年の時クラス替えしてから急にみんなから避けられるようになった。
理由は不明、いきな「臭い・汚い・宇宙人」と言われた。 小学校の時から仲が良かった子も私と仲良くするとイジメられるからって離れて行った。 女子はシカトが多かったけど、男子はあからさまにイジメてきた。 朝学校に行くと机の上に汚い雑巾や他のクラスの男子のカバンが置いてあり。 「汚ねぇ〜菌がうつる〜w」「それ誰のカバン?盗んできたんだろ?」 それを見た女子はあざ笑っていた。 そんな中、一緒のクラスになったA君他数人の男子は優しくしてくれた。 他の子はプリント配る時「汚いから」ってわざと私にだけ配ってくれなかったりしたのに A君達は分け隔てなく配ってくれた。 私とぶつかると「うわぁ汚ねぇ!」って言われたのにA君達はイスとかがぶつかると 「ごめんね!痛くなかった?」と言ってくれた。 運良く3年のクラス替えでもA君と同じクラスになれた。 修学旅行の時なんか「荷物持とうか?大丈夫?」って気遣ってくれた。 中学卒業して10年くらいになるけど、A君のことまだ好きです。
- 410 名前:大人になった名無しさん [2005/11/02(水) 00:23:30 ]
- 保守
- 411 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/11/02(水) 00:56:25 ]
- >>409
自分は人をいじめたことがあるだけに、文章を読んで本当に泣きそうになりました。 自分の話ですが、小学校低学年の頃、N君というクラスメイトがいました。N君の家は、見た感じとても裕福とはいえず、着ている服も汚れていました。 自分は、友達といつもN君をからかっていたと思います。 ある日の学校帰り、いつものように友達と、N君をからかいながら帰っていると、N君の家の前を通りました。するとN君が『ちょっと待ってて』と言いました。 『母親にチクるのかな・・・』自分はそう思いました。少し時間が立って、N君は戻って来ました。『ウチでとれた柿、食べてみて』N君がそういうと、自分達に柿を渡してくれました。 当時は意味が分からず、もらったその柿さえも、自分は気持ち悪がっていたと思います。しかし、今思うのは、N君への感謝と懺悔。どれだけ言っても、許されることはないでしょう。
- 412 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/11/02(水) 00:58:30 ]
- >>409
こんなとこで語ってないで、とっとと告白汁!ヽ(#゚Д゚)ノ┌┛Σ(ノ´Д`)ノ
- 413 名前:大人になった名無しさん [2005/11/02(水) 16:59:27 ]
- 小学校に上がる前だと思う。
ある朝目を覚ますと隣で寝ている兄以外、家に人の気配がなかった。 家中を見て回るが、誰もいない。 不安になって兄を起こそうと声をかけ、肩をゆするが目を覚まさない。 どんなに激しく揺り動かしてもぐにゃり、ぐにゃりとするばかりで死んでいるかのようだ。 私は怖くなって家の外に出た。 雨が降っていて薄暗かった。家の周りを泣きながら歩き回ったが、家の外にもまったく人の気配はなかった。 泣きながらまた家に帰りぐずぐずしていると、ふいと両親が現れた。 「どこにいってたの」と聞いても答えてくれず、 「お父さんはここにいるよ」「お母さんはここにいるよ」と答えるばかりである。 訳が分からなかったが、とにかく両親は戻ってきて私は安心した。 と、そこに兄が現れた。兄の顔を見た私は息を飲んだ。 そこにいた兄は兄ではなかった。背格好は似ている。 しかし昨日までの兄、さっきまで隣で寝ていた兄と顔が全然違う。目つきがきつい。 鼻が細く高い。ほほがこけている。髪がぺたんとしている。 あの不思議な朝のようなことはあれが最初で最後だったが、 兄自体はそれからもずっと兄とは思えない男の子のままだ。
- 414 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/11/03(木) 10:39:22 ]
- >>413
なんか怖い
- 415 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/11/03(木) 11:40:49 ]
- >>414
元はオカ板だからな
- 416 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/11/07(月) 22:26:40 ]
- ゲリクソの音
ぶぶぶぶぶぶびーーーーーイイイイィィッィイ!!ブリッ!!ブバブビビイビビ!!!ビ!! ビビイイビ!!ブ!!ビ!!!!プス〜〜〜。ブブ!!ブビビビイビイイイイ!!ブババババ!!ポチャン・・・・ ビビビ!!ブブブビビ!!
- 417 名前:大人になった名無しさん [2005/11/17(木) 00:29:32 ]
- あ
- 418 名前:大人になった名無しさん [2005/11/17(木) 04:39:30 ]
- >>415 ちょ、ちょっと
セピアってオカルトから、派生した板なんですか?
- 419 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/11/17(木) 07:24:50 ]
- >>418
>>414がオカ板の 不可解な体験、謎な話〜enigma〜 からの古いコピペ
- 420 名前:大人になった名無しさん [2005/11/20(日) 02:00:38 ]
- もう10年くらい前になるけど、中学の時、俺には好きな子がいた。
けど、いっつもふざけあいながら、心の奥そこにある好きだって気持ち を伝えることができなかった。 卒業式の朝、その子が制服のボタン欲しいって言ってきた。 でも、俺は恥ずかしいから卒業式終わってから渡すと言って、ごまかして そのまま、渡さずじまいだった。 その日から、その子に会うのが後ろめたくなってしまった。 そして何年か前に同窓会があったんだけど、俺はその時に久しぶりに その子にあった。 俺は、昔の事をいろいろしゃべったんだけど、ボタンの事を謝ろうと 考えるばっかだった。 「ほら、覚えてる?卒業式の事。。(中略)。。ボタン渡しそびれてごめん」 俺はうつむいたままだった。でも、その子は次のような事を言ったんだ。 ↓
- 421 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/11/20(日) 09:31:40 ]
- 続き
「このハナクソ野郎!」と。
- 422 名前:大人になった名無しさん [2005/11/20(日) 11:47:58 ]
- 高校のときずっと好きだった娘に告白しようとコンビニから電話した。
「…あ、あのさ。ちょっと出てこれない?」 「え〜なんで?」 「いや、あのさ、ちょっと話したいことあってさ」 「あ、もしかして、告白しようとしてる?」 「ち、ちがうよなにいってんの?」 で電話切った後このチキン!って声が聞こえてもいっかい電話。 「あああのさ、やっぱ出てこれない?」 「え〜お母さんがダメって言ってるし」 「…待ってる!来てくれるまで何時間でも待ってる!」 死ぬほど恥ずい台詞を言った後結局腹へって帰った。 今でも思い出すと泣ける。
- 423 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/11/21(月) 00:05:45 ]
- 消防の頃。
その学校に転校してきたばかりの俺は、わからない事があり(内容は忘れた)、近くにいたNさんに尋ねた。Nさんは親切に教えてくれた。 後で知ったんだがNさんは知的障害があり、みんなからからかわれていた。 Nさんと話したのはそれきりだった。 俺は大学を卒業し、知的障害者の施設に就職した。勤務体制がきつかったせいか、必死に毎日をこなしていて、精神的にも肉体的にも参っていた。 そんなある日、施設内を歩いていたら、「あのぅ…」と俺に声がかかった。振り向くと、そこにはおそるおそる俺に話しかけるNさんがいた。
- 424 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/11/21(月) 00:31:58 ]
- (Nさん続き)
「○○君よね?」と聞かれて、「うん。Nさんだよね?」と俺が言うと、Nさんは満面の笑顔になった。そのまま他愛もない話をした。Nさんは俺が関わる機会のない棟に入寮しているらしい。 その時は、覚えいてくれたのが嬉しいくらいだった。 その後、一年たたないうちに俺はその施設を辞めた。世話になった上司達も「ここの勤務体制はひどい。自分も辞める。君も若いんだから、考えた方がいい。」 そして、教員を目指しますというたて前で、職場を去った。 実際は教員になりたいわけじゃなかった。ただ目標を失ってしまっていた。 施設を辞めた次の年の正月、年賀状の中にNさんからのモノがあった。 「あけましておめでとうございます。おげんきですか?わたしはげんきです。○○くん、りっぱなせんせいになってください。N」 すごく汚い字で力強く書かれてあった。 Nさんの優しさと、今の自分の情けなさに涙がこぼれた。 その後実際に講師を数年勤めた。 そして今俺は、福祉の資格取得のため勉強している。
- 425 名前:424 mailto:sage [2005/11/21(月) 00:34:44 ]
- なんかよくわからない文になってしまいました。
スレ汚しスマソ。
- 426 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/11/21(月) 06:22:04 ]
- >>425
まぁ、ガンガレ。 Nさんも幸せならいいな。
- 427 名前:大人になった名無しさん [2005/11/22(火) 01:42:38 ]
- もう今となっては3年前の話です。
父親の経営する会社が潰れて○億の借金抱えました。当然実家も車も何もかもが競売に。 今まで上流とまではいかないが、まぁ裕福な生活をしてたんでドン底に突き落とされたって感じがしてた。 うちは今では珍しい7人家族で兄弟五人のうち、俺が長男。下はまだ全員学生で家にまともなお金を出せるわけもなく、 やっとの事で見つけた物件は4Kの一軒家。 前は一人一人部屋もある大きな家だったから小さな家になったけれど、 家族がどこにいるのかすぐ目で見ることが出来るようになった今の家は俺的にはすごく温かかく感じた。 でもな〜、実際に現実や責任を背負ってたのは父親一人だった。だからある日突然、蒸発しちゃった。 バイト中に母さんから着信あってその時は出れなかったんだけど休憩の時に電話してビックリしたというか 本気で目の前が真っ白になった。父さんの会社が倒産したって聞かされた時よりもショックだった。 家に帰って下の兄弟達が寝た後に母さんと話をした。でも話してもしょうがないし、とりあえず今は明日の ご飯を食べられるように頑張ろう・・。口少ない会話の中で決めたたった一つのこと。 もうそれしか話す事なんて無かったわ。 でもさ、その晩に限って全然眠れねーの。明日も10時からバイトあるってのにさ。 そんであまりにも眠れなくてトイレに向かったら母さんがトイレの隣にある風呂場にいた。 何やってんだろ・・・なんか不安になって静かに母さんの後ろに近づいたら 母さんがタバコ吸いながら泣いてやんの。ゴホゴホ言いながらさ。 母さんがタバコを吸っている姿を見たのは生まれて初めてだしタバコは苦手で俺が吸ってると煙で 喉が痛くなるっていう母さんがタバコをだよ・・・それを見て寝床に戻って1時間位号泣してた。 父さんの責任を今度は小さな体した母さんが一人で抱えようとしている事。父さんと結婚してからずっと 専業主婦してた母さんにとってこれからの事とかお金の事は相当なプレッシャーだったんだと思う。 そして56年目にして初めてタバコを吸う程にストレスが母にのしかかっているっていう現実。 何も出来ない自分の無力さに、とめどなく流れる涙を抑えられなかった。 結局タバコ吸ってるのを見た事を母さんに告げてタバコはその場で没収。 そして家族の為にも俺と母さんが柱になって頑張らなきゃって、そんで健康には気をつけようって約束をしました。 そもそもタバコ買う為に無駄金使ってんじゃねーよって感じだしw 三年経った今も相変わらずとんでもねぇ貧乏だけど、母さんから没収したマイセンは捨てずに今も大切に取ってある。 いつかまたドン底に落ちたら、今度は俺と一緒に泣きながらそれを吸おうって約束したから。 俺もタバコなんて吸ってる金ないし、健康の為にも辞めたし今は会社員として働いてる。 貧乏になってすんげー学んだ事ってたくさんあった。家族がいてくれる幸せとか、お金の事。 兄弟も頑張ってバイトして少しずつ家に金を入れてくれてる。 きっと昔のままだったら絶対に感じられなかった「家族の絆」って奴なのかもな。 今までしてた生活にはもう戻れないけれど、今の生活してからの方が充実した毎日を送れてる気がするし。 それに既に底辺に落ちただけに、これ以上底辺に落ちる事も無い分、これからは這い上がっていけるんだって、 そう思うだけで何か頑張れる気がしてる。 最後に、コレ読んでくれてどうもありがと。俺なんかの人生経験だけど少しでも皆さんの活力になってくれたらいいな と思って書き込みさせて頂きました。
- 428 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/11/22(火) 07:23:14 ]
- >>427
電車の中で少し泣いちゃったじゃないか…。・゚・(ノД`)・゚・。 がんがれ!超がんがれ!!
- 429 名前:大人になった名無しさん [2005/11/22(火) 07:38:47 ]
- たしかに貧乏な方が家族の絆が強くなることはあるな。小さい頃は貧乏で家も小さかったが、いい思い出として思い出すのは当時のことばかり。
- 430 名前:大人になった名無しさん [2005/11/22(火) 14:36:58 ]
- >>427
若いお前さんは底辺に落ちたんじゃない、ただしゃがんだだけだ。 ……その方が高く飛び上がれるぜ! 歳考えずしゃがんじまったら足腰痛くてそのままのオヤジより
- 431 名前:大人になった名無しさん [2005/11/23(水) 23:50:27 ]
- 昔、寮がある中高一貫の学校に行っていた。
中二の時の担任が厳しい先生だった。悪餓鬼だった俺は怒られまくったし、反抗しまくった。嫌っていたし、嫌われていただろう。中三になってもうるさかった。誉められた覚えはない。 そして卒業式が近いある日。俺は高校は別のところにいくことになっていた。 卒業式のリハを終えたら、その先生が遠くへ転勤なさるとみんなに告げられた。 ショックだった。なんかしらないけど寂しかった。この学校に来てもこの先生に会えないって思った。 そして卒業式。なんとか涙をこらえて卒業式も最後のホームルームも終了。あとは先生や友達に別れを告げるだけ。その先生のところへ行った。 泣いた。もうわんわんと泣いた。なんか急に悲しくなった。自分のために忙しいはずなのに一時間も説教をしてくれた先生。反抗してなにひとつ言うこと聞かなかった自分を最後まで真剣に怒ってくれた先生。 感謝の気持で一杯だった。 先生は「そんな泣かんでもええやん」って言いながら抱き締めてくれた。 今になって気付いたけど、全部その先生の言ったとおりになった。 先生、今俺なんとか目標持って勉強する気になった。先生いなきゃほんとのだめ人間だった。あのとき泣いてばかりで言えなかったけど、本当にありがとう。 下手&携帯からの読みにくい文章&全く泣けないつまらないチラシの裏スマソ
- 432 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/11/24(木) 00:03:13 ]
- 小学校の時、足の悪い子がいて、ひょこひょこ歩くのが滑稽でみんなでからかうようになった。
野球なんかでもわざと取れないところにノックして、転ぶのを見て笑ったり。 でもその子はいつもニコニコしてて何も感じてないようだった。 でも、その事が先生にばれてみんなこっぴどく怒られた。 その子の親に謝まりに行った時、その子はいつもと違って泣きじゃくりながら、 「遊んでくれるだけでいい、笑われてもからかわれても遊んでくれるだけでいい」って。 それを聞いてお母さんは泣き出し、俺たちも自分たちの情けなさに泣き出してしまった。 彼の気持ちを考えると、ごめんなって言うのがやっとだった。
- 433 名前:大人になった名無しさん [2005/11/26(土) 04:18:14 ]
- 泣きすぎて頭が痛い。寝る。ノシ
- 434 名前:sage [2005/11/29(火) 01:25:46 ]
- 小学校最後の夏、卒業アルバムの製作で
1ページにそれぞれの似顔絵を描きこもう、っていう企画があった。 大体の奴は自分で自分の似顔絵を描いていたが、そんな中俺がひそかに思いを寄せていた女の子が友人Kのところにやってきた。 何でもKに彼女の似顔絵を描いてもらいたいらしい。 特に絵がうまいって訳じゃないKは、彼女が去ってから 「お前が描けよ。」 と図画工作5の俺に彼女分の用紙をまわしてきた。 ガキだった為にその辺の察しがつかず 「いいよ。」 と軽く請合う俺。 自分の似顔絵の何倍もの時間をかけて完成させるとその足で用紙を届けに行った。 一瞬の沈黙の後、教室から走り去る女の子。 きょとんとしつつも慌てて追うK。 状況を理解したのは教室に一人残されてからだった。 俺作・彼女の似顔絵は、細かく細かくちぎってから捨てた。 あれからもう10年経つが、今だ小学校の卒業アルバムは平常心で開けない。
- 435 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/11/29(火) 01:27:49 ]
- 思い出したら悲しすぎて名前をsageちゃったよ・・・・゚・(ノД`)・゚・
- 436 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/11/29(火) 20:26:06 ]
- Kが悪いんだから良いじゃん。
- 437 名前:大人になった名無しさん [2005/11/29(火) 23:06:10 ]
- >>434
なんか…やるせない気分になったよ
- 438 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/11/30(水) 00:57:26 ]
- Kが悪いとかそういう問題か…?
- 439 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/11/30(水) 04:48:24 ]
- 消防から厨房にかけての記憶。
家の近くに父方のばーちゃんがいる母屋があったので 消防の頃からそっちの家も自分ちみたいによく行ってた。 当時ラジコンブームの最後位で、俺も御多分に漏れずハマッてた。 でもラジコンやった人なら知ってるだろうけど、 あれは消防が欲しいと思ってすぐ買える値段じゃない。 両親はラジコン買ってくれた方だけど、 凝り性だった俺はすぐにノーマルに満足出来なくなった。 いいモーターとかパーツとか改造するのにスゲェ金かかった。 で、ばーちゃんの財布に手つけた。 お宮参りの金とかだったんだろうな。 ばーちゃんの部屋忍び込むんで棚の扉開けると、 古臭い金縁の財布にはいつも1万円札が入ってた。 それを繰り返し繰り返し…、総額はいくらになったかも分からない。 で、俺は到底消防や厨房では手に入らないような物を手に入れて喜んでた。 たまに友達と一緒に走らせれば、高い輸入のモーター見せびらかして 自慢気に薀蓄たれたりする日々だった。 でもそんなのが続く訳ない。 ついに親父にバレた。 俺は当然ボロボロになるまで怒られ、ばーちゃんに謝りに行った。 もう何を言われても仕方が無かった。 どうすれば許されるのかすら考えることも出来なかった。 でもばーちゃんは 「知ってたよ。でも、ばーちゃんからは絶対言うまいと思ってた。 だって○○ちゃんは必ず自分から言ってくれると思ってたからね。」 って言って笑った。 …マジかよ。 何でそんな言葉かけてくれるんだ。 ばーちゃんが死んで随分経つ。 でも俺はあの罪を償っていない。 ばーちゃんが本当は何を思ってあんなこと言ったのか、 本当の事は分からない。 だから晩年病院のベッドで寝たきりのばーちゃんにも 合わせる顔がなくて、2回見舞いに行ったかどうかだ。 その時やっと、ばーちゃんが入れ歯だったって知ったぐらいだ。 俺はあの頃どうするべきだったんだろう。 どうすればちゃんとばーちゃんの顔を見る事が出来たんだろう。 今なら仕事して稼いだ金を返せるのに。 あれから10年以上経ったけど、この思いが引っかかって未だに取れない。
- 440 名前:age [2005/12/01(木) 06:38:49 ]
- age
- 441 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/12/01(木) 10:41:01 ]
- このスレは、読むと「開けちゃいけない」と奥の方に押し込んでおいた記憶とか引きずり出されてくる。
- 442 名前:ピザでも食ってろニート mailto:どうだ、泣けるだろう [2005/12/02(金) 10:14:40 ]
- 昔テレビの実況板であまりの悪口雑言のひどさに泣けました。
- 443 名前:大人になった名無しさん [2005/12/02(金) 21:09:25 ]
- >>439
俺も似たような経験あるよ。昔の人って、独特の芯の強さがあるよね。
- 444 名前:大人になった名無しさん [2005/12/03(土) 03:26:13 ]
- 中学校のとき中途半端な別れ方をしちゃってそれからまったく口を利かなくなっちゃった人がいた。
高校もたまたま同じで、でも話すことはなかった。 それでも、もっと時間がたって、大人になって、同窓会とかなんかで久しぶりに会って、 あの頃のこととか笑って話せるようになったらいいなーとか勝手に思ってた。 笑って話しかけてみようって思ってた。 卒業して1年も経ってないのに死んじゃった。 急〜に。 来年成人式なんだよ。きっとタイムカプセルみんなで開けるんだよ。 きっとみんなで集まって飲んだりするんだよ。 後悔はしてるけどあなたの分まで一生懸命生きるから!!!!!!! 見られてても恥ずかしくない生き方するから!!!!!!! だから上から笑いながらみててみて。
- 445 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/12/18(日) 07:24:20 ]
- どうしようもない話なのですが、セピアな思い出書かせていただきます。
大学生時代、私にはお付き合いしている女性がいました。 しかし、モテない私は、彼女ができたという事に舞い上がっていたため、 (むこうは、俺に惚れてるから、こっちから別れを言わない限り大丈夫) と暴君になり、喧嘩(といっても一方的に私が怒る)をするたびに 「もうおまえとは、別れるよ。」と言い、彼女をいつも泣かせていました。 付き合って4年目ぐらいのちょうど今ごろの時期に母親から、 「お父さんが倒れた。入院したから今すぐ帰っておいで!」 と電話が来ました。 当時の私は、本当に性格が捻じ曲がっていたので、父親とも折り合いが悪く、 何年も口をきいていなかったので 「俺は行かない。」と意地を張っていました。 その場にいた彼女が、「お父さんが大変なら帰らなきゃダメだよ!」 と必死に説得しましたが、 私は、「うるさい!人の家の事に口を出すなよ!帰れ!」 と終電もとうになくなっているにもかかわらず、部屋から追い出してしまいました。 最低な私は、彼女を部屋から追い出したにも関わらず、 のうのうとベッドに入り、寝てしまいました。 朝、新聞を取りに行こうとしたら、ドアの外に彼女が座っていました。 寒さで疲れきった声で、「お見舞い行こう。行きにくかったら一緒に行ってあげるから。」 と言ってきましたが、私は、 「口出すなって言ってるだろ!もう、オマエみたいな女とは別れる!」 と言い捨て、新聞を取り、自分だけ部屋に入ってしまいました。 彼女はしばらくドアの前にいましたが、私が、 「そんなとこにいると俺に迷惑がかかるんだよ!帰れ!」 とドア越しに怒鳴ると彼女は帰って行きました。 彼女が帰ってから、内心、「どうしよう…実家に帰った方がいいかな…でも…」 と不安になりましたが、「やっぱ、行かない。」と帰りませんでした。
- 446 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/12/18(日) 07:25:20 ]
- 次の日、外出しようとドアを開けるようとする、彼女がいました。
「お願いだから、お見舞いに行こう。お父さんと仲直りできなくなっちゃうかもしれないんだよ…」 と説得して来ました。 しかし、私は、開けようとしていたドアを閉め、 「オマエはもう彼女じゃないんだから来るな!」 と怒鳴り、追い返してしまいました。 次の日も、次の日も来ましたが、私は、 (どんなにひどい事をしても大丈夫。どうせ本当には別れないし。) と追い返していました。 4日目くらいに彼女がアパートに来た時、私は、 「もう二度と顔も見たくない。毎日毎日来て、他の部屋の人にも迷惑がかかるだろ!」 と怒鳴ると、彼女は泣きながら走り去ってしまいました。 そんな状況でも、(まぁ、ほとぼりが冷めた頃に連絡すりゃいいだろ…) などと横柄に考えていましたが、その次の日、彼女はアパートに来ませんでした。 横柄な私は、本当に来なかった彼女に腹が立ちました。 (もう絶対、俺からは謝らない!)と理不尽に怒っていました。 そしてその次の日、彼女がアパートに来ました。 しかし、昨日来なかった事に怒っていた私は、 「昨日来なかったんだからもう来なくていいよ!俺、他に付き合ってる子いるし。」 と嘘を言ってまた追い返しました。それ以来、彼女は来ませんでした。 私は「ま、いっか。新しい彼女探そう!」とモテないのに痛い勘違いをし、 4年付き合ったにも関わらず、簡単に清算してしまいました。
- 447 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/12/18(日) 07:26:26 ]
- 結局、見舞いは行きませんでした。父親も無事退院したし、新しい彼女もできず暇なので、
正月、実家に顔を出しに戻りました。 母親が彼女の事を聞いてきました。 「××ちゃんは元気?アンタは全然見舞いに来なかったけど、××ちゃんお見舞いに来てくれたのよ。 おいしい手作りのお菓子とお手紙まで持ってきてくれて。」 と言ってきたので、いつ見舞いに来たの?と聞くと、 彼女が毎日見舞いに行くように私に説得をしに来てたのに1日だけ来なかった日でした。 頭が真っ白になりました。真っ白になりながらも母親から、手紙を受け取り読みました。 「■■(私の父の名)さんへ 体調はだいじょうぶでしょうか?今日はいきなり来てしまいすみませんでした。 今、お父さんと○○が話をしていないというのは知っていますが、○○も心配しています。 ○○は、意固地になってしまう所があるので、きっと切り出しにくいんだと思います。 本当は、人に気遣いをしてくれる優しい人です。非力ですが、私もお父さんと○○が 仲直りできるよう応援します。そして、またみんなでお寿司を食べに行きましょうね。」 これを読んでたら、毎日追い返されて、ひどいことも言われたのに来てくれた彼女の優しさ… その優しさを当たり前の物だと思い込んでた自分の愚かさ… いろいろな事が頭を駆け巡り、自然と涙が出てきました。 これは、謝らなきゃと連絡をとろうとしましたが、電話には出てもらえませんでした。 数日後、ポストに手紙が入っていました。 「付き合った当初は優しかった○○君(私の名)も最近は、私のせいでイライラさせちゃってるね。 私がキチンとしてないから、どんどん○○君が変わってっちゃったんだよね。 本当にごめんなさい。こんな私と4年間も付き合ってくれてありがとう。」 これを読んだ時、涙が溢れると同時にあの時間はもう戻ってこないと痛感しました。 そんな私も現在では、妻と子供と3人で仲良く暮らしています。 人づての話ですと、彼女も幸せな家庭をもっているそうです。 あの頃と違い、今では妻の尻に敷かれています。 毎年、今ぐらいの時期になると思い出すので書き込んでしまいました。長文スマソ
- 448 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/12/18(日) 19:40:30 ]
- アホが・・・
- 449 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/12/18(日) 20:03:52 ]
- >>447
おれは2ちゃんでもめったに書かないが、 氏ね なに電話で誤ろうとしてんだよ。 直接行って会ってくれるまで。ドアのとこで待ってればいいじゃんかよ。 彼女がしたみたいに。
- 450 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/12/18(日) 20:17:00 ]
- ちょっと胸糞
- 451 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/12/19(月) 07:45:15 ]
- >>447
449の言うとおりだと思う 横着で横柄な人間だな いい彼女だったな
- 452 名前:大人になった名無しさん mailto:age [2005/12/22(木) 01:14:46 ]
- >>447
これはひどいage
- 453 名前:大人になった名無しさん [2005/12/22(木) 07:40:20 ]
- >447は稀に見る糞人間
- 454 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/12/22(木) 19:12:51 ]
- >>447 そのウチ逃げるより先に不幸が回ってくるぞ( ̄ー ̄)
- 455 名前:大人になった名無しさん [2005/12/22(木) 19:28:56 ]
- >>447
ポカーンでやんす
- 456 名前:大人になった名無しさん [2005/12/24(土) 01:20:22 ]
- 糞野郎登場で盛り上がって参りました
- 457 名前:大人になった名無しさん [2005/12/24(土) 02:08:35 ]
- ワロスqqqq
- 458 名前:大人になった名無しさん [2005/12/24(土) 15:55:15 ]
- 同じく糞かもしれないけど書いてみる。
去年の12月24日に、親戚のおばさんが亡くなった。 その日家族と出かけて、欲しいもの買ってもらっておいしいもの食べて、その日幸せだった私は面倒だった。 というのも、おばさんの葬式は雪道を車で2.3時間かかる場所で行われていたから。 そして、おばさんがアルツハイマー病だったから。 去年の夏が最後に会ったときだった。子供と接する仕事に就いていたおばさんからは、兄と比べられまくった。 自分と同じ文系だとか頭が天井向いてる(空想好きって意味だと親は言ってた)と言われたもんだから天井を見つめていた。 なにより、母が電話先でおばさんを「やっかいもの」のように話しているのが、一番嫌煙させた理由だった。 次の日、葬式の会場に到着すると親戚一同が集まっていた。中には私の知らない人も多かった。 一緒に住む人も、伴侶も子供もいなかったおばさんは、寺に多額の寄付をしていた。 おばさんの広い自宅の中央に、棺に入ったおばさんを見た。それをみて、母は泣いた。 やっかいものみたいに聞こえたけど、そうじゃなかったのかな、とそのとき初めて感じた。 おばさんは今にも目を開いて、話し出しそうだった。 葬式本番では、おばさんを「恩師」という生徒(といってもおばはん)の姿も見られた。 会場の天井を見上げたら、寄付が寄せられた人々の名前が連ねられていた。 私は同じ世代の女の子と少し話をしたり、小さい子と少し遊んだ。 葬式会場は寺と連結してて、寝泊りもできるようになってたのでそこで寝た。 楽しみにしていたラジオを聞きながら。知らんおっさんが酒飲んで大騒ぎしてたうえ、枕が固くて寝れなかった。
- 459 名前:大人になった名無しさん [2005/12/24(土) 15:56:26 ]
- 翌日、少し離れた火葬場に移動。食べ物や飲み物が振舞われた。
私は少し手をつけて、そのあとはMDで曲を聴いてた。母と母の姉妹が隣で話していた。 私はそのときはじめて、尋ねてみた。おばさんと自分の関連について。 おばさんは、おばさんの母親の連れ子だったらしい。今で言うと再婚だろうか。 結局再婚相手との間に子供は生まれず、連れ子はおばさんひとりだけだったという。 私はなかなか理解出来なかったけど、その時代ではよくあることだったと聞かされた。 つまり、生活の苦しさから逃れるために結婚した、お世話になった、ということ…だと思う。 母を含む姉妹は、おばさんを自分達の姉として一緒に暮らしていた。けど、後々それは嘘だったと言われたらしい。 母方のおばあさん、おじいさんは私が生まれる前に死んでいたから、うまく理解できなかった。 けどそれが、おばさんにとって苦しいことだったというのはわかった。 私は耳を塞ぎたくなって、母の話を途中でMDに摩り替えた。ヘッドフォンで聞かないようにしてしまった。 母親いわく「おばさんは自分の代で終わらせたかったんだ」という。 初めて人の骨を見た。今まで見る機会がなかった。 私は人間の臓器とか、ちょっとでも見るとビビってしまうタチだけど、骨は、白くて綺麗だと思った。 骨を箸でつかむと、思っていたより軽かった。骨はもっと、重たくて固いものだと思っていた。 おばさんは、新聞に載ったり天皇から賞をもらうくらい偉業を達成した人で 私の家にはその写真と、プレートが和室に置いてある。 私はおばさんに天井向いてるとか言われて、お前は国語はできるけど数学とかは出来ないって見事に図星つかれた。 今伝えられるなら伝えたい。血は繋がってなくても「私は文系なのは、おばさんからの遺伝のせいだ」って。 本当は今日、一回忌だったのに塾があっていけなかった。親がそっちを優先させた。 手を合わせることは出来ないけど、学校に合格したら会いにいきたい。謝りたいこともあるから聞いて欲しい。 糞スレスマソ
- 460 名前:大人になった名無しさん [2005/12/24(土) 21:21:28 ]
- 951:名無しの心子知らず :2005/12/13(火) 23:42:07 ID:am/jWCGZ
すごくいい卒団式だった。 うちの息子は小2から世話になってたけど下手っぴで、6年生が10人いるから出場は代打要員。 強いチームなので、誰かが怪我や病気でも 試合にはうまい5年生2人が出るばかり。 ちっとも試合にでれなくて 正直辞めさせようかと悩んだけど、続けさせて良かった。 式で作文を読んだ時に、『夏の大会で監督が1度だけセカンドで使ってくれて嬉しかった。 だからどうしてもヒットを打って監督の期待に応えたかった。』と息子が言うと監督ぼろ泣きで 『代打ばっかりで悪かったな。それでも腐らずに頑張ったお前は偉い。 中学行ってもその根性があったら絶対大丈夫。レギュラーになれよ、今度は負けるな。』 って言ってくれた。 何故かチーム1の活躍選手が貰えるMVPの盾ももらった。 他の6年生が、うちの息子にあげて欲しいと言ってくれたそうだ。 息子よ、かあちゃん泣きすぎて酷い顔だったろーな。でも今晩くらい泣かせてくれ。 実はいいチームだったじゃん。野球団よありがとう。
- 461 名前:大人になった名無しさん [2005/12/26(月) 15:03:25 ]
- 455…お前見たいなアホ見た事無いわ!
- 462 名前:大人になった名無しさん [2005/12/26(月) 15:17:32 ]
- スマヌ…445でした
- 463 名前:大人になった名無しさん [2005/12/26(月) 22:36:37 ]
- ↑天に唾吐くってやつか
- 464 名前:大人になった名無しさん [2005/12/26(月) 23:03:12 ]
- 445大人気だなw
- 465 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2005/12/31(土) 19:35:58 ]
- 445は糞だけど458は全然糞じゃないと思う。
むしろイイコだと思う。
- 466 名前:大人になった名無しさん [2006/01/13(金) 20:29:40 ]
- 年あけから随分と経つのに
俺が新年初のカキコかよw
- 467 名前:大人になった名無しさん [2006/01/14(土) 00:11:43 ]
- 新年2番目ノシ
このスレ大好きなんだけどなかなか人来ないのね。
- 468 名前:大人になった名無しさん [2006/01/14(土) 01:09:26 ]
- 三年前の年の瀬、市内の総合病院の四人部屋で父親の介添えをしておりました。
父親は大腸がんの末期で麻薬系の鎮痛薬の影響で意識朦朧、夜になると徘徊を くりかえし、完全看護のはずが、添い寝を病院から依頼され徹夜がつずいてい ました。そんな中ある晩父親がまた夜中起き上がり徘徊をしようとし、それを 抑えようとして、父親を羽交い絞めするような状況になりました。たのむ、い い加減に静かに寝てくれよ。心のなかでさけんでいました。 同室で不機嫌そうな寝返りをうつ他の入院患者、何度もナースコールで呼び出 した看護婦、彼ら他人の目を気にしての所以です。 何度目かの押し問答のあと父親が突然、たのむよ、たのむよと二回私に叫びま した。私にはいまだに父がなにを頼んだのか理解できません。それが私が聞い た父の意味のある最期の言葉でした。
- 469 名前:大人になった名無しさん [2006/01/14(土) 01:37:46 ]
- その晩の後、父は急におとなしくなり、呼吸も浅く、ほとんど半覚醒
の状態になり、付き添いもかなり楽になりました。ただし癌の進行に 伴い、腸閉塞が進み、腸液?の逆流が起こり口内に吐しゃ物がたまり 、自分が様子を見ながら、口内の吸引を定期的に看護婦さんにお願い しておりました。 ちょうど大晦日の深夜、テレビからは紅白、行く年来る年と番組が 流れつずけていました。そのころには個室に移っており、なにかやた らと時間がゆっくり静かに流れていくようで、現実感がまったく無か ったのをおぼえています。 何度かの吸引を依頼したあと少しうたた寝をしたようです。突然の うめき声で目を覚ましてはじめて自分が寝ていたのに気がつきました。 一瞬で何が起こったかわかりました。 ベッドの上には吐しゃ物を喉につまらせ窒息した父親がよこたわって いました。
- 470 名前:大人になった名無しさん [2006/01/14(土) 02:07:57 ]
- 父の目は遠くを静かに見つめたままでした。とても穏やかな眼差しで
した。それからは全て機械的にてきぱきと作業は進みました。家族や 親族に連絡をとり、医師が死亡診断を行い。死亡時刻の確認がおこな われました。朝の四時でした。ばたばたと駆けつけてきた母、妻、姉 叔父叔母。みなが泣いていました。泣いて父を送っていた。 そんな中、私は涙が湧いてきませんでした。ただ呆然として、やまし さ、恐怖にとりつかれて泣くことができませんでした。 喉を詰まらせ窒息し、意識が薄れつつある父親。その横で異変に気が つかず寝ている息子。自分が愛して育てたはずの息子が、死につつあ る自分に手を差し伸べようともしない。父の無念さを思うと最後の別 れをすることも、まして父のために涙を流すこともできませんでした 。 三年たってますますあの時の情景が鮮明になり、頭から離れません。 父の苦しげな、一瞬のうめき声が耳に残ります。 おりにつけ、頭のなかでオヤジごめん、オヤジごめん、このリフ レインが続くばかりです。一人になるとあの時出てこなかった涙が 今になってやたらと出てきます。
- 471 名前:大人になった名無しさん [2006/01/14(土) 02:55:08 ]
- 突然失礼いたします。
お金を稼ぐことが大変なことなのは私も存じておりますが、 そんな私が発見した最新の4月更新の情報を お送りしたいと思います。 情報は新しいほど貴重ですよね。 貴方様もお嫌でなければご覧になってください。 どなたにもできるお仕事です。PCがあれば完全自宅でできます。 今かなり勢いにのってます。 明日から「入金祭り」になります。 私は昨日だけで55,500円の振込みがありました。 詳細はhyde0917@mail.goo.ne.jpまで空メールをしてください。 ウソだと一言で済ますのは簡単ですが、見るだけ見てください。 自動返信で情報をお送りします。きっとお役に立ちます。 では失礼いたしました。
- 472 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/01/14(土) 03:05:58 ]
- >>471
全仏が泣いた
- 473 名前:大人になった名無しさん [2006/01/16(月) 11:11:35 ]
- 看病に疲れうたた寝をしている息子をどうして恨んだりできようか。
息子よ、ありがとう。あとをよろしく頼む。 今は何一つ苦しいこともないが、ただひとつ、お前が自分を責め続けていることだけがつらい。 ようやく苦痛から開放されたのだよ。 お前が気づこうが気づくまいが、遅かれ早かれ父は逝ったのだ。 息子よ、わが身を責めるな。 前を向け。 父君の代わりに言わせてもらった。
- 474 名前:1/1 [2006/01/17(火) 18:48:42 ]
- 女子グループが小さな本を手に午後の優雅なひとときを楽しみ、
二人のダメ男子が意味もなく恐縮して縮こまる… 数十分が経過しても、この緊迫した状況は相変わらず続いていた。 僕はどうにかして自分達のスタンスを守ろうと 友達に小声で話しをかけ、ぎこちなく会話は再開。 しかし同世代の異性がすぐ隣りにいるとなるとそちらが気になって落ちつかない。 まぁ無理はない…青春を疾走するその他大勢の男子だ。 どこのクラスにも必ず存在する 女子と縁がなくてバカをやるしかない集団の一員にとっては、 この世の女性すべてはいくらあがいても決して手の届かない女神にみえていた。 僕はテーブル上の数ある書物の中から一冊を手にし、 ページをパラパラとめくって読んでいるフリをしつつ、 ブラウンヘアの彼女をずっと眼で追っていたよ。 水棲動物の生態に関して綴られた手元の文体は眼中になく、 友達のくだらない話もまったく耳に入らずに僕の全集中力は彼女へと向けられていた。 退屈なイルカなんかよりも、未知のあの子のことが知りたい。 遠目でみる本に囲まれた彼女もすごく素敵だったなぁ… 少なくとも、僕が在校している学校にはこんな綺麗な女子生徒はいない…(暴言 そのときさ…女子グループが腰の高さくらいの 小振りな本棚の裏側を覗き込んだんだ。 動作から察するに、裏側になにか落ちているようだった。 僕達も気になったけど近づく勇気なんて微塵もない。 女子グループはその‘ある物’を見下ろしながらしばらく談義し、 このテーブルコーナーをあとにした。 女神達が去ったことを嘆きながらも、僕達は即座に椅子から立ち上がり マッハ7の速さで本棚へ駆け寄って壁に顔を押し当てると、 そこには相当使い込まれた裸の白い消しゴムが落ちていた。 僕は本棚に吸い込まれるように腕を限界まで伸ばして拾い上げ、 無言でテーブルへと戻り、所々黒づんだその消しゴムを ブラウンヘアの彼女の落し物なのだと勝手に結びつけて 自分の筆箱の中に大事にしまった。。。 決して彼女に手渡してお近づきになる為の きっかけづくりに筆箱に保管したわけじゃないんだ… 女性陣は誰一人、筆記用具なんて持ち込んでないから 消しゴムを落とすはずがない。 それを承知で大切に持ち歩いていた… 彼女の私物だと想い込みたかっただけさ…ほんと、子供の想像力は偉大だww それに‘度を過ぎた執拗な蒼い行為’はこれだけでは終わらなかった… 僕は彼女が座っていた椅子を自分の物と取り替えたんだ… ほかのイスと判別がつくように、たまたま学生鞄の中に入ってた キャラ物のシールをイスの裏側に貼って目印にしてさ… 友達は突っ立って一部始終を冷ややかな眼で見ていたよ…ww 僕の羞恥な行為に呆れたんだな。
- 475 名前:2/2 [2006/01/17(火) 18:49:40 ]
- この出来事のあと、単身でも図書館へ通う頻度が大幅に増えたけど
彼女と逢ったのはこれが最初で最後。 あの麗しいブラウンヘアを拝めることは二度となかった… 他校だったのが最大の難点だったな…一人ロミオ&ジュリエットさ。 でも彼女への想いは慕うばかりで、 結局、新しく筆箱を買い替えるまでの数年間、 消しゴムはずっとシャーペンの片隅に添えてあったよ。。。 筆箱を開ける度に古書の香りとともに彼女を想い出し、ぼやける淡い恋に馳せていた。。。 多分、家のどこかにある学生時代の筆箱を探せばまだ中に入ってると想う。 あの頃の気持ちと一緒にジッパーで封じられているのさ。。。 学生時代は今の僕からは想像もつかないくらいにとても活発で、 友達とバカ遊びをしつつも何度か女性に密かな恋心を抱いたけど、 実らせたことなど一度もない…可愛そうな恋達ばかりさ… これじゃあロミオ&ジュリエットのような美しいラヴストーリーではないな… 見込みのない一方的な恋心だ…そう、僕はまるで現代に生きた孤独なウェルテルさ。。。 意中の女性が自分の前では見せたことのないような笑みを浮かべて ほかの男と楽しく会話しているのを樹木の影から覗き、 男女二人が自分を置き去りにして輝いてゆく瞬間を指を咥えながら見上げるんだ。。。 過去もこれからもずっと片想い人生だよ…僕は本当に恋愛に奥手なのさ。。。
- 476 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/01/17(火) 22:46:10 ]
- なんかポエムみたいだ。楽しく読ませてもらった。
どうでもよいが名前欄の番号の振り方が変。
- 477 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/01/17(火) 22:47:18 ]
- 変だなw
どっちも完結してるw
- 478 名前:大人になった名無しさん [2006/01/18(水) 23:45:33 ]
- 1/2がないなんて……泣ける
- 479 名前:大人になった名無しさん [2006/01/19(木) 10:14:13 ]
- >473
全米が泣いた、おまいの優しさに。
- 480 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/01/24(火) 06:02:43 ]
- 473
素晴らしい。 涙が止まらない。
- 481 名前:大人になった名無しさん [2006/01/27(金) 14:02:39 ]
- うちの父親は癌で亡くなったけど、最後は頭が壊れてしまったなぁ。現在と過去がごっちゃに
なってた。 私はちっちゃい頃から父さんが大好きで、結婚して子供を産んでからも、しょっちゅう孫を見せに 行ってた。5歳になった孫と私の区別が付かず、頭を撫でながら私の名前を呼んでいた。 いよいよダメだというとき、私が人目も憚らずに泣いていると、父さんが意識を取り戻し、泣いている 私を見て、ちっちゃい頃と同じように優しく微笑んでくれた。それから母さんを呼んで、イチゴを 食べさせてやれと言っていた。大好きなイチゴで泣きやんでいたのは5歳の頃の私だよ、父さん。
- 482 名前:大人になった名無しさん [2006/01/27(金) 16:43:17 ]
- 最後のときに人生の一番幸せだった頃に戻っていたんだろうな・・・。
。・゚・(ノД`)・゚・。
- 483 名前:大人になった名無しさん [2006/01/27(金) 20:33:28 ]
- 去年の六月母親が癌で亡くなりました 去年の二月頃体が怠い おしっこの色が烏龍茶みたいな色してるって言って来て病院行って視て貰って来なよと俺は言い多分疲れから体調が悪いと思ってたら即入院って事になり俺はショックと寂しさで一杯になりました
- 484 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/01/31(火) 03:40:40 ]
- >>482
五才の時が一番幸せで後は不幸だったのかw カワイソス
- 485 名前:大人になった名無しさん [2006/02/01(水) 03:03:51 ]
- おまえわざと書いてんだろ
- 486 名前:大人になった名無しさん [2006/02/04(土) 07:47:38 ]
- 小学校のとき、私立の中学校を受験しようとしてた。
背が低くて虐められっ子だったため、違う環境に行きたかったという大分下らない理由だったし、 遊びたい盛りで勉強の意味なんて何もわからなかった俺は受験勉強を全然やらなかったんだな。 6年生のときに行っていた塾では成績が悪くて、これではダメだみたいな話も出ていたようだ。 それでも算数とかが無駄に得意だったせいか、特にばあちゃんが随分期待してたみたいなんだ。 俺の母は子供の頃に両親を亡くしていて、6人いた兄弟だけで生きてきたという過去がある。 そういう背景もあって、夫の母親という存在には強いプレッシャーやら、複雑な感情があったんだろう。 ある日、あまりにも勉強をしない俺を叱った母は「あんたがもし中学校に合格できなかったら、私は家を 出て行かなくちゃならなくなる」、そう言って泣き出してしまった。子供だった俺にはその意味は 分からなくて、その場をどう過ごしたのかは憶えていない。今考えるとちょっと思い詰めすぎじゃないか なんて思うわけだが、辛い思いをさせてしまったなと、ふと思い出して、書き込んでみた。 結局俺はいいところではなかったけど何とか中学校に滑り込み、一流と呼ばれる大学院を修了すろところまできた。 挫折もあったが、就職先も、母が知人に自慢してくれて全然構わないようなところに決めることができた。 父も母も祖母もまだまだ健在だ。あからさまに言葉にはしないけど、俺への愛情をとても強く感じる。 俺がどんな息子かにはよらない、無償の愛情だ。 俺がこの先どこまでいけるかはわからないが、こんな話を思い出すと、辛くてももっと頑張ろうと思えるんだ。 早く子供を見せて、母親におばあちゃんになる気持ちを味あわせてやりたいものだ。ま、相手はいないけどねorz
- 487 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/02/07(火) 03:56:00 ]
- 太平洋戦争のときのパラオに住む老人の回想
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。 「あそこでみんな死んでいったんだ……」 沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。 太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。 老人は村の若者達と共にその作業に参加した。 日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。 やがて戦況は日本に不利となり、 いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。 仲間達と話し合った彼は代表数人と共に 日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。 それを聞くなり隊長は激高し叫んだという 「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」 日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。 裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。 船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。 村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。 しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。 そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。 先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。 その瞬間、彼は悟ったという。 あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。
- 488 名前:大人になった名無しさん [2006/02/17(金) 21:32:43 ]
- どうしても言いたくて。
お父さん、ラーメン最後まで食べることができなくてごめん。 無理して食べようとした私に「無理するな」って優しく言ってくれたね。 その日の直後、急に事故で逝ってしまった・・ 当時小3の私はすごく自分を責めたよ。ラーメン最後まで食べなかったから 死んじゃったんじゃないかって。 それから15年・・ この前お兄ちゃんとご飯食べに行った時、私また最後まで食べられなかった。 そしたらお兄ちゃんが「無理するな」って・・ そのときすごく泣けてきて、なんでか理由はわからなかったけど その時のこと思い出したんだね、無意識だったけど。
- 489 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/02/17(金) 22:38:48 ]
- >>488
おまいはわるくないよ (つД`)
- 490 名前:大人になった名無しさん [2006/02/18(土) 03:29:14 ]
- >>488
自分を責めるな お父さんは488が心の綺麗な人に育ってくれて 嬉しいと思うよ
- 491 名前:大人になった名無しさん [2006/02/19(日) 04:40:06 ]
- >>487
いい話や
- 492 名前:大人になった名無しさん [2006/02/22(水) 19:23:03 ]
- つc-docomo.2ch.net/test/-/alone/1134730209/307
- 493 名前:大人になった名無しさん [2006/02/23(木) 04:56:54 ]
- なにこのスレ
涙で画面が見えません
- 494 名前:大人になった名無しさん [2006/02/23(木) 07:49:06 ]
- 2chは本当にさ、大切なものに気づかせてくれるところだな
近頃の女子高生は自分にとって本当に大切なものとか 自分がどれだけ幸せかとか人に対しての接し方などもう一回学び直して欲しいと思う 女子高生だけじゃないが最近の10〜20代はもう猿みたいに本能で動きすぎてると思うし 17高3の俺が言えた口じゃないんだがな・・・・・
- 495 名前:大人になった名無しさん [2006/02/28(火) 08:07:06 ]
- 「いつまでも綺麗で元気」と評判だった祖母が、私が高校3年の時に急に胃癌にかかりました。
年頃だった私にとって過保護と言える程可愛がってくれる祖母を多少疎ましく感じていた時期でした。 痛みを訴えないので実感がわかなかった上に 大学受験前で非常に精神不安定だった私は正直心からの心配はできていませんでした。 しかし、ふっくらしていた祖母の頬が次第にこけていき、一人でトイレに行くこともできなくなり、 遂に食事すらまともにとれなくなくなり、 気丈だった祖母の口から「痛い」「苦しい」の言葉が漏れるようになりました。 流石に心配しましたし、「部屋に一人きりで寂しいだろうから暇があったら話をしに行ってあげてね」と母に言われましたが イメージからかけ離れていく祖母に戸惑ってしまい うまく接する事ができませんでした。
- 496 名前:大人になった名無しさん [2006/02/28(火) 08:08:13 ]
- 美大受験の為に絵の予備校に通っていた私は、ある日課題で写真の模写をしました。
目が印象的な見知らぬおばあちゃんの写真でした。 その課題で今までとれなかったAの評価を貰い、帰宅後興奮気味に両親に伝えました。 2人共大喜びで「おばあちゃんにも教えて来なさい」と言い、 私も喜んでくれるだろうと思ったので軽い足取りでその絵を持って部屋へ向かいました。 祖母はいつも通りベッドに寝ていました。 「ただいま!」と挨拶をして、良い成績をとった事を伝え、その絵を見せました。 すると祖母は「凄い凄い」と言いながら急にぼろぼろ涙をこぼし始めました。 「こんなに良い表情の絵が描けるなんてもう絶対大丈夫だよ。 良かったね。良い絵だね。」と泣きながら言います。 普段泣き顔なんて見せない人なのでちょっと吃驚したし 照れくさくって「そんな大げさな」と言いましたが内心幸せでいっぱいでした。 父が絵を部屋に貼ろうか?と提案しましたが 「見たらまた泣いちゃうよ」と祖母は笑って断りました。
- 497 名前:大人になった名無しさん [2006/02/28(火) 08:10:18 ]
- 祖母は私の受験の合否を知る前に息を引き取りました。
大きな痛みもなく呆けることもなく眠るような最期でした。 その後私は無事志望の大学に受かり今に至ります。 母曰く優しい祖母は自分の体の事よりも私の受験の心配をしていたそうです。 有難うおばあちゃん。大好きでした。
- 498 名前:大人になった名無しさん [2006/02/28(火) 16:15:40 ]
- 「合格本当におめでとう。これからもたくさん勉強していい絵をいっぱい描いてね。
そしてあなた自身の人生を楽しんでね。見守っているからね。」 たぶんおばあちゃん、そう伝えたかったと思ってね。 いや、余計なことごめん。
- 499 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/02/28(火) 19:47:39 ]
- うん、余計だから書くなよ。
- 500 名前:大人になった名無しさん [2006/02/28(火) 22:14:23 ]
- 俺は消防の頃から筋金入りの野球少年だった
一応選抜みたいなのに選ばれたし、厨房のころも県の優秀選手賞みたいのも貰った。 高校入学も野球で行けた。自信もあった。自分は十分通じると思った。 しかし、練習はきつかった。そして周りは自分よりも上手い奴がたくさんいた。 俺のポジションは捕手だったが球も受けさせてもらえず、毎日走らされたり 寮の雑用ばっかやっていた。俺のプライドはズタボロに傷ついた。自分の一番自信があったものが通じないのが これほど辛いものだと思わなかった。やがて俺は非行に走った。練習にも参加せず、毎日友達の家にいったりしていた。 やがて野球部を辞めさせられ、退学した。俺は野球をやることを諦めた。 それから俺は何もせず、二年がたった夏、新聞を見ると、俺たちの学年だった奴が乗っていた 立派に「強豪」と言われていた。そしてキャプテンのメッセージを見ると 「今まで、三年間、死ぬ気で練習してきました。辛くて辞めていった人たちもいるけど、その人たちにも僕達の野球を見て欲しい」 そう書いてあった、俺は準決勝まで勝ち進んだら見に行こう。そう思った そして見事、準決勝まで勝ち進んだ。俺は見に行くことにした。 試合は始まっていた2−2白熱した試合だった。俺の母校の奴が守備についてる時、たまたま俺の方を向いた そしたら利き腕である右手を上げ俺の方に拳を見せた。その時に俺は何故か涙が出た。 覚えててくれてうれしいとか、もう一回野球やりたいとかそんなんじゃなかった。 ただ涙が出た。結局泣いてるのが恥ずかしくてすぐ球場を出て行った。チームは負けた。 それからしばらくたった今、俺は一応それなりに金をもらえる社会人になった。 もしあの夏がなかったら俺はダメな大人になっていただろう。
- 501 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/02/28(火) 22:21:42 ]
- うーん切ない
- 502 名前:大人になった名無しさん [2006/03/05(日) 17:35:58 ]
- エリカの死の設定を、勝手に想像し、泣きますた。
イリウス「エリカ!大丈夫か!?」 エリカ「…イリ…ウス…?」 イリウス「ごめんな、エリカ。オレが、未熟だったせいで、お前に、こんな目に遭わせて…!」 エリカ「…ううん、いいの…。私が…、イリウスを守りたかったから…。」 イリウス「そんな…、どうして…!」 エリカ「…イリウスにだけは……、死んでほしく…なかったから……。」 イリウス「え…?」 エリカ「私は…もう何も失いたくなかった…。イリウスを失いたくなかった…!」 イリウス「エリカ…。」 エリカ「…ごめんね…。心配かけて…。」 イリウス「謝るのはオレのほうだ。オレが未熟だったばかりに…!」 エリカ「…もう…時間がないの……。最期に……一言だけ言わせて…。」 イリウス「…最期、だと…?」 エリカ「みんなに…、イリウスに出会えて…、私は…幸せだった。できることなら… 私は、もう一度…生きたい…。イリウスと…一緒に生き続けたい…!」 イリウス「エリカ…!ごめんな、ずっと一緒にいられなくて…!」 エリカ「大丈夫だよ…。離れ離れになっても…、私は…イリウスのそばにいてあげるよ…。」 イリウス「エリカ…。」 エリカ「もう行くね…。母上やユミナが待ってる…。」 イリウス「待ってくれ!まだ話したいことがたくさんあるんだ!」 エリカ「イリウス…、強くなって…。私のぶんも……、生きて……。」 イリウス「エリカ!!もう少しだけ一緒にいてくれ!!」 エリカ「ありがとう……。私……最高に幸せだよ……。」 イリウス「エリカ!待ってくれ!!エリカ!!!」 エリカ「さよ…な……ら……。」 イリウス「エリカーーーーーー!!!!」 …思いっきり脚色しました。でも泣けると思います。
- 503 名前:大人になった名無しさん [2006/03/06(月) 02:03:39 ]
- ( ゚д゚)ポカーン
>>502 悪いけど読むに耐えられん文章やなw
- 504 名前:大人になった名無しさん [2006/03/06(月) 15:33:51 ]
- ( ゜д゜)ポカーン
- 505 名前:大人になった名無しさん [2006/03/07(火) 20:22:40 ]
- >>500
切なくなった
- 506 名前:大人になった名無しさん [2006/03/10(金) 12:32:45 ]
- 電車は全席女性優先!健康な男は立ってろ
「私、すごくいいこと思いついちゃったんですけど、 電車は全席、女性と病人と老人を優先にしたらどうでしょう。 健康な男は立ってろよ。。。みたいな事明言して。 座ってれば痴漢にあう確率も低いし、その位ハッキリ決めないと、どうせ譲り合い出来ないんだから! 女性専用車両よりもこの方がよくない???」 hobby7.2ch.net/test/read.cgi/train/1139274996/l100 life7.2ch.net/test/read.cgi/lifesaloon/1129086652/l100 money4.2ch.net/test/read.cgi/employee/1133847378/l100
- 507 名前:大人になった名無しさん [2006/03/11(土) 21:15:19 ]
- あ?
ああ、いいんじゃない
- 508 名前:大人になった名無しさん [2006/03/13(月) 15:02:01 ]
- >>506
だめだ。身体が不自由、老人、乳幼児を連れてる人の優先はいいだろう。 女はどうかな?図々しい女がそれこそ独占するに決ってる。 そう、お前みたいな女こそやりそうだ。
- 509 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/03/21(火) 00:04:48 ]
- >>506
いいかお前の大切な人が毎日通勤する電車なんだぞ? お前の愛した息子もいつかは立つ事になるんだぞ まわりまわって自分をくるしめるんだぞ
- 510 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/03/27(月) 13:52:48 ]
- 俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。 この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、 良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。 こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、 やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。 あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。 父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。 一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。 でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、 その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。 当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、 「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。 星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。 でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。 突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。 いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。 同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。 それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。 高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、 「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。 そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。 結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。 でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。 良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。 心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。
- 511 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/03/27(月) 14:35:55 ]
- >>510
なんて素晴らしいトーチャンなんだ。そしてお前も。
- 512 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/03/27(月) 15:40:42 ]
- >>510
全アジアが泣いた
- 513 名前:大人になった名無しさん [2006/03/27(月) 18:54:08 ]
- >>510
映画化決定
- 514 名前:大人になった名無しさん [2006/03/27(月) 23:08:40 ]
- すまんマジでジーンときた。 ありがとう
- 515 名前:大人になった名無しさん [2006/03/28(火) 10:51:32 ]
- いい話ですね。星型のにんじん、感動しました。あたたかい関係っていいですね。510さんもそのお父さんも本当に仲がいいんですね。すばらしい。
- 516 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/03/28(火) 10:56:58 ]
- 510の人気に嫉妬
- 517 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/03/29(水) 22:03:03 ]
- >>510
2ちゃんで初めて感動して泣いた。
- 518 名前:大人になった名無しさん [2006/03/30(木) 03:03:40 ]
- 。・゚・(ノд;)・゚・。
ちがうもん 感動じゃないもん >>510の人気に嫉妬してるだけだもん 。・゚・(ノд;)・゚・。
- 519 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/03/30(木) 18:13:08 ]
- >>510
素敵だ…!
- 520 名前:大人になった名無しさん [2006/03/30(木) 20:23:21 ]
- >>510
全フィリピンも泣いた。 いい親父だな。
- 521 名前:大人になった名無しさん [2006/03/30(木) 21:39:11 ]
- 俺こういうの書くの下手だから意味わかんなかったらごめんな。
俺は物心ついた時から両親がいなかった。親父の浮気が原因でお袋と離婚して 親父は浮気相手と一緒にどっかに行ってしまった。お袋は離婚のショックから立ち直れずおかしくなってしまった だから俺は親父の親であるじいちゃんとばあちゃんに育てられた。 じいちゃんとばあちゃんは俺にとっては親みたいな存在。一緒に後楽園も行ったし、授業参観も来てくれた。 テストの点が良かったり。部活で活躍するとうんと誉めてくれたり、悪いことしたらいっぱい叱ってくれた 俺はじいちゃんとばあちゃんが大好きだった。でも中学生の時ばあちゃんが死んだ。 死ぬ寸前まで俺の高校受験を心配してくれた。高校に合格したのをばあちゃんに報告した2週間後、ばあちゃんは死んだ。 俺は悲しかったし、大泣きしたけど、じいちゃんは泣かなかった。ただ、「ありがとう」って言ってずっと下を向いてた それから、高校生活も順調だったし、毎日が楽しかった。 やがて、高校を卒業して、就職が決まり、同僚と結婚。子供もできてじいちゃんは「ひ孫が見れた」と凄く喜んでた。 でも、じいちゃんは徐々に元気がなくなってきていた。年取ったせいか、目がしょぼしょぼして腰が曲がり 寝たきりになってしまった。でもある日、じいちゃんが急に元気になって息子と遊んだり 散歩に出た日があった。俺も嬉しくなって、じいちゃんと一緒にその夜は酒を飲んだ。 その時、初めてじいちゃんが泣いた。「立派になったなあ〜」といいながらじいちゃんが泣いた。 俺はじいちゃんが泣くのははじめて見て驚いた。 ばあちゃんが亡くなったも、就職が決まった時も、俺の結婚式の時も、一度も泣かなかったじいちゃんが泣いた。 だけど、次の日じいちゃんが亡くなった。あんなに元気になったから、ショックだった。 遺書が書いてあった。すっごい素っ気ない遺書だったけど、照れ屋なじいちゃんらしい内容だった。 「正雄、ありがとう。私は幸せでした。これからも夫婦仲良く、末永くお幸せでいてください。お願いします。」 じいちゃん!俺は幸せだ。息子は俺の影響で野球やってるし、嫁はじいちゃんが教えた肉じゃが作れるようになったよ 俺はじいちゃんみたいに立派な親になれるか解からないけど、頑張ってやってみるよ。 ありがとう、じいちゃん。
- 522 名前:大人になった名無しさん [2006/03/31(金) 14:51:40 ]
- >510
いい話だ。
- 523 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/03/31(金) 18:36:03 ]
- >>521
泣いた…
- 524 名前:大人になった名無しさん [2006/03/31(金) 19:44:14 ]
- >>510
>>521 感動した・・・
- 525 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/04/02(日) 08:39:57 ]
- 母が死んだとき
..::::::::::::: :::::::::: :::::::::::: ::::.. ..::::::::::::: ::. . ... . 〜 _lL_ロ_l ̄l_л/l_ ∧ ∧ おかあさんおそいなぁ (・∀ ・) ┳ ┐ (∩∩) ◎┻━◎ ::::::::::. " "" ::::::::::::. ::: ::::
- 526 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/04/02(日) 16:06:58 ]
- >>521
ドラマ化決定
- 527 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/04/02(日) 16:08:24 ]
- 最近の子供ってカブトムシとかクワガタって興味あるんだろうか。
そんなに昔じゃないんだけど私が小学生のときはホントにそういうの好きで 夏休みとかよく探しに行ったっけ。 ずいぶん本も読んだし、それなりに工夫して飼ってたんだけど、本格的に幼虫から そだててみたりもしたんだけど失敗ばかりしていつのまにか見向きもしなくなった。 高校生のころ家の畑に放置してたかやぶきの中からカブトムシのサナギが出てきて 感動した。私はそれをなんとか成虫にさせようと空き缶のなかにいれて埋めてあげた。 しばらくして掘ってみたらなんか角が思いっきり曲がってたけど見事に成虫になってた。 私はうれしくなってそれを飼う事にした。一匹じゃ寂しいだろうといっぱい仲間を増やした。 そしていつの間にか30匹ぐらいになったんだけどやっぱりその一匹が一番のお気にでした。 しばらくしてそのカブトムシの頭部断裂の変死体が転がっていた。 つまらなくてスイマセン。
- 528 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/04/02(日) 16:39:53 ]
- >>527
良かれと思ってやったことが裏目にってのはあるな。 子供のころはそういうのわからないからしょうがないよ。(´・ω・`)
- 529 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/04/02(日) 22:18:00 ]
- 俺も保育園のころ干上がりそうな水溜りにいるオタマジャクシ捕まえて発泡スチロールで飼ったの思い出した
太陽の光いっぱい浴びたほうがいいと思って庭先においといたら猫に食べられてた。・゚・(うД`)・゚・。
- 530 名前:大人になった名無しさん [2006/04/03(月) 20:58:52 ]
- 中学校の後半で喧嘩して
10年間話してないやつとこの前あって居酒屋で飲みながら話した 何故か胸のもやもやが無くなったよ・・・・・
- 531 名前:大人になった名無しさん [2006/04/22(土) 20:01:37 ]
- >>521
不覚にも目から汁が出た
- 532 名前:大人になった名無しさん [2006/04/22(土) 23:13:23 ]
- 今週の水曜におばあちゃんが入院した。最近仕事が忙しくて全然あってなかったんだけど、ベッドの上で見たお婆ちゃんは、凄い痩せ干そってた。会いたかったよ来てくれてありがとうって泣きながら言われた。病室でたあと元気なお婆ちゃんを思い出して泣いてしまった。
- 533 名前:大人になった名無しさん [2006/04/22(土) 23:15:54 ]
- 今からでもお婆ちゃん孝行できるかな。何か思い出に残ってお婆ちゃんが喜ぶ事をしてあげたい。もっと長生きして欲しいです。お婆ちゃんはやく元気になって下さい。
- 534 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/04/23(日) 15:31:41 ]
- いつのまにか久しぶりに実家に帰ったんだ。5年ぶりくらいかな。10年ぶりのようなきもする。
昔はあんなに威厳がありおっかなかった親父がなんか小さくなっててびっくりした。 最近はもう定年退職してなんどか倒れたりして寝たきりなんだという。 しばらく実家でのんびりしてたんだけど3日目ぐらいに同じく帰省してた兄貴がなんだか帰るっぽい。 なんか向こうかえったらサラリーマン辞めて美容師になるとかならないとか。昔はおっかなかった兄貴だけど 自分の夢もってて少し尊敬してたりした。そんな兄貴を両親は一番期待してるんだよ実は。俺なんかより。。。 誰かがいなくなる朝ってのはなんであんなに悲しくて寂しいの?兄弟多いから何度もそんな思いしてきたが 何年たってもやっぱりなんか寂しいもんですな。 そしてその日の朝兄貴が早めに起床して身支度している姿を俺は寝たふりしながらこっそり見てたりした。 すると隣の部屋もなんかドタドタうるさいんだ。そしたらいきなり音楽が鳴り出した。どうやら武田鉄矢の 「声援」のようだ。しかし歌が余命いくばくもない親父だった。どうやらカラオケしてるらしい。くさい、くさすぎる。 でも結構うまいなーなんておもいながら俺は起きて泣きながら手拍子してた。
- 535 名前:大人になった名無しさん [2006/04/24(月) 15:41:22 ]
- 俺一ヶ月前ようやく貯金が貯まったからPSP買ったんだ。
で、PS版の「英雄伝説V 白き魔女」をやって以来、ずっとやってみたかった「ガガーブ3部作」 をプレイしたんだ。専門スレで「3→4→5→3の順番が一番泣ける」ってレスがあったから、 その通りになるよう、4からプレイしてった。 で、4クリアして5をプレイしてたら、3に出てきた白き魔女「ゲルド」の正体が判ったんだよね。 その後、5クリアした後で3に入ったわけよ。 もう、泣きまくったさ。ゲルドの正体知ってるから、PS版のときはなんでもなかったシーンでも泣けたよ。 そして、ラストシーンを改めてみて、人前なのにぼろぼろ泣いた。ホントに泣いた。 幼稚園児くらいの歳の頃から暗殺者に命狙われながら生活して、それでもひねくれることが無かった。 それどころか自分には全く関係のないのに、他所の人達に危機が迫ってると知るや否や、 必死に警鐘を鳴らすために旅に出る。その旅路も決して楽なものでなく、時には蔑まれ、 時には石を投げられて、挙句の果てには人々に迫る危機の要因の一人である男に殺される。 それもたった、僅か18才の時点で。 なのに魂だけの存在となっても優しさは決して薄れず、危機を回避するためにゲルドはある行動をした。 とても悲しくて、とても切なくて、そして と て も 優 し い 行 い だ っ た 。 もう「感動」とかそんなもの超越してた。頬に雫が溢れ流れるのをとめれなかった。 そして思ったんだよ。「俺、一体何してるんだろ」って。半ニート状態の生活してて、つまらない事で悩んでて、 「自分探し」に馬鹿みたいに没頭してて。凄く情けなかった。「変わりたい、いや、変わらなきゃ」って思った。 今では自分の目指す夢に頑張って辿り着こうと努力してる。そして、ゲルドクラスまでは無理かもしれないけれど、 彼女みたいな素晴らしい人間を目指そうと思う。 ゲルド、本当にありがとう。貴女から教わったもの、貰ったもの、一生手放さずに大事にしていくからね・・・・・。 そして伝えていくよ、俺が思う「本当に大切なもの」を・・・・・・・。
- 536 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/04/25(火) 17:44:04 ]
- >>535
キモい
- 537 名前:大人になった名無しさん [2006/04/26(水) 23:19:02 ]
- 俺はガキの頃から夢があった
『野球選手』だ。野球が死ぬほど好きで毎日野球をやっていた だけど、家庭環境が最悪で、親父が暴力振るったり、大麻に手を出したりなどで 入っていた野球チームを辞めさせられた。高校は入れたけど、野球はやれなかった クラスでも、同じ中学の奴に家庭環境ばらされて、省かれて、常に一人だった。 だけど、そんな俺にいつも声をかけてくれた人がいる。当時担任だった、S先生だ。 S先生はいつも俺の話を聞いてくれたり、お袋が忙しい時は一緒に飯食ったりもしてくれた。 若くて、弱そうで、情けないっぽい先生だったけど俺は大好きだった。 ある日俺は何気無く、先生に野球の話をした。そしたら先生は『お前はやれるならずっとやっていたいぐらい野球がすきか?』 って聞かれて、俺は頷いた。先生はそうか・・・って感じだった。 ある日、学校に課題を忘れた時に職員室の前を通ったら、S先生の大きい声がした。 なんだろうと覗いてみたら、S先生が野球部の顧問の前で土下座していた。 何かしちゃったのかなって盗み聞きしてみたら・・・ 『○○(俺)は凄く野球が好きなんです。彼は心から野球をしたがっています、勝手かも知れませんが○○を野球部に入部させてやってください!』 って言ってたんだ・・・もう俺おお泣きで、どうしていいかわかんなくなって職員室のドア開けて 先生にもういいよ・・・先生ありがとうって言ったんだ。それでも先生は土下座をやめない。 『こいつに思い出を作らせてあげてください』って。。俺は思わず何で赤の他人にここまでできんだよ!って先生を怒鳴っちまった そしたら先生は『その歳で夢を諦めんな!野球やりたいんだろ?』こう言われて俺もいっしょに野球をやらせてくださいって必死で頼んだ そしたら顧問がOKしてくれて、俺は晴れて野球部に入部できた。レギュラーにはなれなかったけど 凄く満足できる三年間だった。S先生がいなければこんな満足できなかったし、きっと学校も辞めていたと思う。 S先生は白血病を煩っても、悪化して、もうこの世にはいないけど、先生が死ぬほど好きだ 野球できない時は運動音痴なのに一緒にキャッチボールしてくれたり、ノックもやってくれた。 先生、本当にありがとう、俺の人生で一番の恩師だよ。
- 538 名前:大人になった名無しさん [2006/04/27(木) 14:21:21 ]
- >>537 あり得ないぐらいイイ先生だが、先生にそこまでしてやろうと思わせたのは
>>537 もイイ子供だったんだろうさ。 いつか誰かに返せるといいな。
- 539 名前:大人になった名無しさん [2006/04/27(木) 18:53:17 ]
- >>537
おまいは恵まれてたんだな 俺の前に現れるセンコーは自分の事しか考えてないクズばっかだったよ
- 540 名前:534 mailto:sage [2006/05/05(金) 07:58:48 ]
- ・・・という夢をみた。
↑これ最後に書くの忘れてた。
- 541 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/05/05(金) 12:26:01 ]
- >>537
おまえは子供つくったら 自分の子供だけは幸せにしてあげなよ
- 542 名前:大人になった名無しさん [2006/05/06(土) 22:02:43 ]
- >>538,539,541
537だがありがとな・・・俺今大学3年生で教師目指してるんだ S先生を超えるような教師になりたい!!つっても家計が火の車でお困りもんな訳なんだが
- 543 名前:大人になった名無しさん [2006/05/08(月) 09:55:31 ]
- みんなセピアをかかえてるんだね。
- 544 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/05/08(月) 19:40:53 ]
- 俺は中学時代、クラスでは地味な存在だった。中2の頃は存在を忘れられるほど地味で、
家に帰っても1人でテレビやゲームや勉強ばかりしていた。 そんなある日、友達がある歌のコンサートに出ると言っていたので、俺も派手な人間になろうと思い、 俺はそのコンサートに参加した。そのコンサートで、俺は大洋のユニホームを着て大洋の応援歌を歌った。 そして俺は席へ戻ると、後ろには3人の若そうな女性がいた。その女性は俺にこう言った。 「あなた、ひょっとして大洋ファンですか?」 俺は思わずそうですと答えた。その女性3人は、幼稚園の先生だった。 地味で人と話すことが滅多にない俺だが、俺はその幼稚園の先生と気が合い、色々と話をした。 だが当時は中3。またその先生に会いに行きたいが、毎日補習と家庭教師の先生による勉強で その先生に会える余裕なんかなかった。俺はせっかく年齢の差もなく話せる人と出会えたのにと残念な 気持ちでいっぱいだった。 それから4ヶ月。俺は受験勉強に必死になっていた。その先生の事はほとんど頭になかった。 そんなとある日、受験勉強の骨休めという事で俺は秋祭りに参加した。
- 545 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/05/08(月) 19:49:53 ]
- その秋祭りには、俺の学校の同級生も来ていた。だが地味な俺は誰からも「よお!お前
来てたのか!」と言われなかった。すると、後ろから女性の声がする。誰かと思って振り向くと、 4ヶ月前に会った幼稚園の先生だった。俺はすっかり忘れていたのに、彼女達は俺のことをしっかりと 覚えてくれていた。勿論、俺が大洋ファンだという事も。 俺は早速その先生と以前のように色々な話をした。虐められやすく、担任の先生からも色々悪口を言われ、 気が弱かった俺にとって神様のような存在だった。 俺はおもわず「実は明後日中間試験なんですよ。でも誰も応援してくれないんですよ」と話したら 「そうなんだ…。中間試験、頑張ってね」と答えが返ってきた。 今まで女はおろか、男からも「テスト頑張れよ」と言われたことのなかった俺にとって、その言葉はいつまでも 俺の心に残った。俺は帰って必死に勉強し、点も上がった。 だがどうやってこの結果をあの先生に報告しよう?と悩んだ俺はふと親の手紙を見ていたら、その先生の 電話番号が載っていたので、俺はそこに電話して、中間試験の結果を伝えた。 先生は「よく頑張ったじゃん」 俺は嬉しかった。だがこの時、親はいなかった。
- 546 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/05/08(月) 19:58:03 ]
- そして運動会。運動が苦手な俺は、練習で人一倍頑張ったが、それでも他の人を抜く事が出来なかった。
全校リレーの練習の時だ。俺のつけていたたすきが下にずれて足に引っ掛かり、そのまま横転した。 全治三週間の打撲だった。体育教師は早速俺を保健室に連れて行った。 だが、他の生徒は「なんだよあいつ」とニタニタ笑っていた。 俺は学校が終わると、右ひじが痛いにもかかわらず、その先生に電話をかけた。 「運動会、見に来ますか?」 その先生は「はい」と答えた。 だが俺は運動会に出るためには打撲を一日でも早く治さなければならなかった。 当然練習の間は、俺は黙って見学して、「おー白組どうしたんだ?赤組強いなあ〜」と 独り言のように言っていた。俺は白組だった。小学校6年、中学2年間の俺の運動会の勝敗は8勝1敗。 今回も勝ってその先生(これからはH先生とする)に自分の勇士を見せたいと思った。 だが、肘を曲げるだけでも痛みが走った。
- 547 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/05/09(火) 21:44:01 ]
- イミフ
- 548 名前:大人になった名無しさん [2006/05/21(日) 17:31:33 ]
- ageてみるか・・・。
- 549 名前:大人になった名無しさん [2006/05/22(月) 22:31:59 ]
- 僕ね、付き合っても長続きしないんすよ。それにはきっと理由があって。
でもあんまり言いたくなくて。 んー、やっぱりちょっと話したいのかな。 昔にね、付き合ってた子がいて。 特にすごい好きだったわけでもなくて。 何度も喧嘩して、別れて、戻って、別れて、また戻ってみたいな事を繰り返してて。 なんだかんだ割と長く続いてたのかな。 それで、ある時喧嘩したんですよ。 なんで喧嘩したのか覚えてないくらいくだらない事だったんだけど。 でもそん時はもう許せなかったんだ。 別れようって。 同じ事の繰り返しだなって。 それで会って別れを告げようと思ったから呼び出したんすよ。 いつも会っていた近くの公園に。 ちょっと早めに着いたから、どうやって切り出そうかなって考えながら待ってたんです。 どんくらい待ったのかな。 全然来なくて。 電話しても電波が届かないし。 あぁ、もう会いたくないのかな、なんて思いながら帰ったんですよ。 で、家に着いたら母親が 「彼女の親から連絡があったよ」 って言い出して。 なんだろ? って思いながら、電話したんですけど留守電で出なくて。 親子揃ってばっくれかよ笑 って思いつつその日は寝て。 で、次の日の朝に母親が 「あんたに電話!」 って起こしてきたんで寝ぼけながらも出たんですよ。 そしたら 「事故で死んだんです。」 って言うんすよ。 「何言ってんすか?笑えないですよ。」 て僕も切れ気味で答えて。 でもほんとだったんすよ。 ドラマみたいで、漫画みたいで、よく出来た映画みたいで・・・ 寝巻きで彼女ん家行って。 そしたらホントに死んでて。 月並みだけど、今にも起き出しそうなくらい綺麗な顔でさ。 別れようとしてたんだから、別に恋人じゃないんだからな! って思いながら。 でもね、彼女は最後まで僕の恋人だったんですよ。 電話で別れようなんて彼女には言ってなかったから。 僕の中でね、時間が止まってるんですよね。 誰と付き合っても、何をしてても。 僕の中では別れてるつもりだったから。 別に後ろめたさなんて感じる必要なんてないんだけどね。 あの時、変にいい奴ぶって呼び出さないで電話で別れを告げてたらなぁ、って。 そしたらお互い恋人がいて、いい思い出になってて、たまに笑い合って、懐かしいねって・・・。 だからね、誰か僕の時間を取り戻してくれる子現れないかなって思うんすよ。 甘いのかな。 自分の中で吹っ切らなきゃいけないんだろうけどさ。 今まで話した事なかったし、何より胡散臭すぎる話だから。 でもいつかホントに好きな子が出来て、この話も知ってて、それでも大切で、愛せる人が出来たら・・・ 一緒に墓参りに行きたいな。 そしたらやっと 『モトカレ』『モトカノ』 の関係になれるんじゃないかな。 ちょっと暗い話でごめんなさい。
- 550 名前:大人になった名無しさん [2006/05/23(火) 16:11:34 ]
- あげてみるか
- 551 名前:大人になった名無しさん [2006/05/31(水) 08:21:58 ]
- 小学校の時
下駄箱のところで体育帽ひろったら 「うろじんしのまく」って書かれてた 誰のかわからなかったし不気味な名前だったから ゴミ箱に捨てといた
- 552 名前:熊野慎二郎 mailto:sage [2006/05/31(水) 09:18:02 ]
- それは俺のだ。勝手に捨てるな。
- 553 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/06/09(金) 18:24:12 ]
- 夏に帰ったとき、知り合いの居酒屋で親父と進路の話になった。法学部だったんだが、全く別のことが面白くて、その道に進みたいと言う俺に、「お前は法律家になりたくて大学いったんだろ!!」とさとされたが、反抗期みたいに言い争いになって…店を飛び出した。
それが真面目に親父と交した最期の会話になるとはミジンも思わなかったし、考える訳もなかった。 死ぬ前の日吐血をして緊急入院した。 周りも、お袋すらも死ぬなんて思ってなかったし、実際に死ぬ三時間前まで仕事の会議をしていた。 ただ、一日もたたずに逝ってしまった。 謝ることも、親父の言う通りだなと話すことも、二人で一緒に杯を交すこともできなくなってしまった。 たぶん親父の体が精神についていけなくなったんだと思った。肝、腎機能不全を起こしていても入院すらしなかった人だ。少しは分かっていたのかもしれない。 半年後、その居酒屋に行ったとき、大将に「遺言」と言うべき言葉を残しているみたいだが、果たして今、聞ける人間なのか。正直分からない。 長文、駄文スマソ
- 554 名前:大人になった名無しさん [2006/06/09(金) 20:29:22 ]
- 皆さんのレスを見てて思い出がよみがえってきたんで書かせてもらいます。
中学校に入学して一年が過ぎ、初めてのクラス替え。自分は人見知りが激しくてあまり周りの人と話せなかった。そのときの自分の前の席にI君がいた。 I君は転校生でさらに一番端の前の席だったので話せる相手は自分くらいしかいなかった。だけど後ろの席の人と友達になってしまったのでI君は誰とも話さないでいつも一人だった。それでもしばらくすると少しずつ話しかけてくるようになって仲が良くなってきた。
- 555 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/06/09(金) 20:44:23 ]
- 改行狭くてしかもageてしまってすみません…
三年になる頃には学校でよく話したり一緒に家で遊んだりするようになっていた。 夏休みに入ったばかりのある日、突然プレゼントと言ってメールで好きだったマンガのキャラの携帯用の待ち受けを送ってくれた。そのときはいい待ち受けが無かったので初期のままにしていたのでとても嬉しかった。 それからまたしばらく過ぎて夏休みの真ん中くらいになったある日。部活が休みだったので他の友達の家で遊んでいた。 そのとき突然携帯に電話が来た。 お母さんからだった。何事だろうと思いながらも電話に出ると、I君と同じクラスのN君が海で溺れて意識不明だというニュースが流れてる、という話だった。
- 556 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/06/09(金) 20:57:57 ]
- とても動揺して周りの人にもその話を言うとあまり仲の良くなかったA君が「俺、I君は嫌いだから死んでも別にいい」と言った。
言葉を失った…。I君は一部の人からはあまり好かれていなかった。たまにイタズラがエスカレートして嫌がらせのようなことをすることもあったからです。 すぐに家に帰ると、お母さんが泣いていた。
- 557 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/06/09(金) 21:28:25 ]
- 「さっきニュースでN君は助かったと言ってたけど、I君は…」と言われた。まだ人の死というものがよくわからなかったので頭が真っ白になっていた。
数日後、葬式が行われた。棺桶の中で眠っているかのようだったI君の顔を見た瞬間、死というのはこういうことなんだと思った。涙が止まらなかった。 今でもあのときもらった携帯の待ち受け画面を見るとI君との思い出が浮かんでくる…。 長文・駄文で失礼しました。I君が天国で楽しく暮らしていることを願います…。
- 558 名前:大人になった名無しさん [2006/07/06(木) 09:37:09 ]
- 良スレage
- 559 名前:大人になった名無しさん [2006/07/06(木) 18:03:16 ]
- >>557
全米が泣いた
- 560 名前:大人になった名無しさん [2006/07/07(金) 23:24:11 ]
- >>150
- 561 名前:大人になった名無しさん [2006/07/08(土) 00:23:43 ]
- >>391
- 562 名前:大人になった名無しさん [2006/08/06(日) 21:11:09 ]
- ほす
- 563 名前:大人になった名無しさん [2006/08/09(水) 20:21:57 ]
- 幼稚園の卒園間近に、
卒園後すぐに引っ越すことになり、皆と同じ学校に通うことが出来ないことがわかった。 んで、まだ幼稚園児なので感情とかも 全然乏しかったのに、卒園式の日にそのことを先生を通じて皆に話したら、 最後に式が終わって門の前でゴチャゴチャしてる時、 友達が「またどこかで会えたらいいね」って、言って、泣いてくれた。 続いて先生もお別れの言葉と別に、自分の為だけに、違う言葉を掛けてくれた。 そこで幼稚園児ながらに感動して自分も泣いてしまった。 その後、見知らぬ土地の見知らぬ小学校に入って、入学式の時、 その幼稚園から、また自分一人の為だけに祝電が来た。 不安とかも吹っ飛んだ。 親が先生から祝電をもらって来て、 今も宝物として大切に保管しています。 長文スマソ
- 564 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/08/10(木) 08:18:53 ]
- >>563
幼稚園の先生GJ!! よかったないい先生に恵まれて
- 565 名前:大人になった名無しさん [2006/08/11(金) 03:58:42 ]
- 私は2人姉妹の長女で妹とは2才違いだけど、
生まれた頃から妹のほうがデカくて、幼稚園生の時は よく妹のほうが「お姉ちゃん?」と言われることがあった。 小学校に入ると体も小さくて痩せてて健康診断では ローレル指数がいつも「痩せすぎ」だった。 体が小さいのに加えて極度の偏食だったせいもあると思う。 男子とかにたまに「お前妹のほうがデカいんだろ?」とか 「やーいチビのガリガリ!」とバカにされたけど気だけは強かったため反論していた。 学校で保護者会や個人面談があると必ずうちの母だけが 教室に1人呼び出されて担任と話していることがよくあった。 「アンタは昇降口で待ってなさい」と言われたので素直に待っていると、 教頭や校長までが担任を交えてうちの母と何か話している様子だった。 まだ小さかった私は「何話してたの?」と母に聞くと 「ほら、アンタひどい中耳炎やって耳の聞こえが悪いから 先生に前の席にしてくださいって相談してたのよ」と。 それにしてはなんで校長や教頭までが?と思っていた。 つい最近、なんでうちの母が呼び出されていたのか知った。 確かに私は中耳炎がひどくて片耳の聴力がほとんどないけど 実はそんなことではなく、クラスの何人かの母親から担任に 「○○ちゃんが、ちょっと異常に痩せすぎている、 食事を与えられてなかったり虐待されているのではないか? 見ていてとてもかわいそう・・・」 と報告があり、母に事情を聞いていたのだそうだ。 そんな事実は全くなかったけど、その年齢の平均体重を 大きく下回っていたり「痩せすぎ」だったのを保健の先生も 気にしていて、事が大きくなってきたので校長らにも報告、 それで「虐待の事実があるなら児童相談所に通報しなければならない」 みたいなことをうちの母が聞かれていたそうなのだ。 結局、幼稚園からの親友のお母さん方からそんなことはないと 証明されたのだけど、そんなこととは全然知らず・・・ 今では身長も155あり(友達はもっと小さい)、 体重も人並・・・以上あるw 最近になって知ってうちの母があらぬ疑いをかけられ 本当に申し訳ない気持ちでいっぱい、お母さん苦労をかけてごめんなさい。
- 566 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/08/16(水) 20:13:10 ]
- チラシ裏すまん。
こないだ亡くなったばあさんの遺品整理をしていたら、ばあさんが生前毎日 つけていた日記(の保管分)がでてきた。 家族でパラパラめくって、こんなことまで書いてる〜なんて笑っていた。 内容はほとんど仕事(農作業)のことだったけど、そのほかの内容を読んで ばあさんの苦悩と忍耐にだんだん切なくなってきた。 仕事(農作業)のこと、爺さんに暴力を振るわれ泣いたこと、 親父の独身時代とお袋との出会い、俺が生まれたときや、闘病生活のこと。 150pの小柄な婆さんに、爺さんの平手打ちが常だったらしい。親父は子供の頃から それを目の当りにしている。俺は実際には見たこと無かったけど。 結婚後、半世紀近く夫の暴力に耐え(←親父談、止めにはいると逆上してさらに婆さんに当たるらしい)、 昼も夜もくたくたになるまで働いた母親だったそうな。 去年婆さんが倒れ、入院→手術となったとき、癌の大元は切除したものの、 すでに全身に転移で手遅れだったらしい。 盆前、朝早くにお袋から「婆さんにまだ意識があるうちに会ってくれ」と言われ 仕事を欠勤し急遽帰省した。 病室の婆さんを見たとき、酸素吸入器をつけてやっと生きている状態だった。 ベッド横に附けられた採尿バッグの中は紫色の尿が入っていた。 足や手は冷たく赤黒い、聞けばもう血液が通ってないとのこと。 蚊が鳴くよりもかすかな声だったけど、そんな状態になりながらも「ありがとうな」 と俺に言ってくれた。 「ばあちゃんの顔見に来ただけじゃん……」 婆さんの手を握り、人目も憚らず23にもなる俺はボロボロ泣いた。 仕事が忙しいのもあり、その夜の新幹線でトンボ帰りをしたが、その途中で 婆さんが息を引きとったと連絡が入った。 長崎に住む叔父(親父の弟)も俺と入れ違いに夜、婆さんの顔を見に帰省して その15分程後に亡くなったらしい。 体中の痛みと爺さんから解放されたんだな、よかったな婆さん。 あの世でいい人見つけて幸せになってください。 俺、また実家に帰ったときに近況報告するから。本当にお疲れ様でした。
- 567 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/08/17(木) 01:27:26 ]
- >>566
。・゚・(ノД`)・゚・。
- 568 名前:大人になった名無しさん [2006/08/19(土) 18:48:24 ]
- 中学の時ずっといじめられてるやつがいて
休み時間になったら急いで走って便所にかくれて 家に帰ったらいじめた連中が遊びに来てその繰り返しが3年間延続いて ・・・10年ぶりだろうか そいつあったけど今度は職場の奴にいじめられてるだもの 泣ける!
- 569 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/08/23(水) 00:31:35 ]
- 保守
- 570 名前:大人になった名無しさん [2006/09/03(日) 02:48:50 ]
- ここホント良いよな
- 571 名前:大人になった名無しさん [2006/09/03(日) 03:33:20 ]
- スレ違いだったらごめんなさい。
今日は祖父の命日です。 祖父と言っても父方の方で 父さんが6歳の時に交通事故で亡くなってしまったので 私は当然だけど会った事がない人なのですが 早くに亡くなってしまったので「父親との思い出があまりない」といつも父さん言っています。 でも、1つだけハッキリと覚えている事があるそうです。 夏に縁日で肩車をしてもらったそうです。 殆どの記憶は朧気な中で40年以上経った今でもこれだけはハッキリと。 そしてその2ヵ月後に祖父は轢き逃げでこの世を去りました。 父さんの中では最初で最後の楽しかった父親との思い出なんだそうです。 さっきまで父さんと一緒にテレビを見ながら他愛の無い話をしながら チューハイを飲んでいました。 そうしたら、ふと父さんが 「●●(本名)も、もう飲める歳になったんだよなぁ。早いなぁ。」 と言ったので思わず泣きそうになるのを堪えてました。 父さん・・・本当は自分の父親とこうやって飲みたかったんだろうな。
- 572 名前:大人になった名無しさん [2006/09/03(日) 04:13:44 ]
- >>571
バッカ! 無茶苦茶いい話やないか!
- 573 名前:大人になった名無しさん mailto:Sage [2006/09/03(日) 18:00:19 ]
- こんなあたたかい話が世界中に蔓延してくれれば世界は平和で幸せになれると私は思いました。 2チャンにもこんなあったかいとこがあったんですね。 566さんの話マジ泣きしました。
- 574 名前:大人になった名無しさん [2006/09/03(日) 19:41:14 ]
- 泣けてきた。・゚・(ノД`)・゚・。
- 575 名前:大人になった名無しさん [2006/09/04(月) 00:11:22 ]
- 3日に「祖父の命日」を書いた者です。朝、仏壇に手を合わせてきました。
会う事の出来なかったおじいちゃんへ 父さんの成人式どころか今度の1月で私が成人式です。 貴方のことはモノクロの数枚の写真と祖母の話でしか知りませんが とっても子供思いだったと聞いています。 その心は貴方の息子にしっかりと受け継がれていますよ。
- 576 名前:大人になった名無しさん [2006/09/04(月) 18:16:44 ]
- オレの母親には姉と兄がいた。姉の方は今年おばあちゃんになった。
兄は23歳の時、大工さんをしていて、屋根から転落して亡くなった。 その6年後オレは生まれた。 オレが成長するにつれて、母親や、ばあちゃんが、死んだ母の兄の小さい頃にそっくりだと言う。 オレは高校卒業したら大工さんになると親に言った。反対はされなかった。 オレは今大工の世界でがんばっている。 まだ覚える事ばかりだ。そんなオレも今年23歳になる。 母親やばあちゃんには、どんな風に映ってるんだろうか・・・
- 577 名前:大人になった名無しさん [2006/09/04(月) 18:21:40 ]
- 小さい頃、母ちゃんがパートで留守中火遊びしてたらカーテンに燃え移って家が燃えた。
助かった俺に母ちゃんは、 「一人にしてごめんね。よく一人で逃げたね。家の代わりはあっても、 アンタの代わりはどこにもいないからね。」って泣いて誉めてくれた。 いつもパートで家にいなくて寂しかったけど、 母ちゃんに心から大切にされていることが良くわかった。 絶対親孝行するから期待しててな、母ちゃん。
- 578 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/09/04(月) 22:22:01 ]
- >>576,577
あんたら、いい人間に育ったなあ
- 579 名前:大人になった名無しさん [2006/09/05(火) 09:56:56 ]
- >>576
ええ話やんけ。がんばれよ!
- 580 名前:大人になった名無しさん [2006/09/05(火) 10:21:35 ]
- くたばれ(笑)
- 581 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/09/05(火) 20:04:00 ]
- >>580はツンデレ
- 582 名前:大人になった名無しさん [2006/09/12(火) 11:39:11 ]
- >>546はそれで終わりなん?
- 583 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/10/01(日) 03:20:59 ]
- スイマセン、このスレ見ていて辛抱堪らなくなりましたので、私もカキコさせて頂きます。
それは私が中学1年生の春、小学校に進学したばかりの妹が『お兄ちゃん、あたし○○ちゃん(友達の女の子)からドラえもんのマンガ貰ったぁ♪』と嬉しそうに言ってきました。 小学校に入学してから出来た友達、その友達からのプレゼントは妹にとって大変嬉しかった様です。 何気にその「ドラえもん」の単行本を手に取って見てみると、鉛筆で元の持ち主であるその友達が以前書いたのでしょう。 覚えたての平仮名でこう書いてありました。 『おとうさん、だいすきです。 おかあさん、だいすきです。』 私は当時まだ中学1年生の子供でしたが、妹にこのマンガの本をその友達の女の子に返してくる様に言いました。 妹は折角貰ったマンガなのにと残念そうな顔をしました。 あれから20年近く経ちましたが、その妹の友達である女の子が結婚した時、それは彼女にとって、またその両親にとっても大切な宝物になるだろうと私は思います。 長文及び駄文大変失礼致しました。
- 584 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/10/03(火) 22:54:50 ]
- 小学校6年の時俺には好きな子がいた。今年成人式に出る俺の20年の人生の中で
一番好きになった女の子かもしれない。 あれは多分夏休みのちょっと前くらいだったと思う。友達数人の強引な 進めで俺はその子に電話で告白することになった。今から8年くらい前だから まだ携帯なんてそんなに普及してないし、自宅に直接電話することになる。 さんざん渋ったあげく俺はその子に電話し、告白した。緊張で何て言って 告ったのか覚えてない。けど返事はOKだった。それから毎日学校へ行くのが 楽しみで仕方なくなった。 まぁでもそこは消防だし、休みでもその子が俺んちに来て漫画読んだり いろんな話したりでデートらしいデートなんてした記憶はない。 けど俺はすごい幸せたった。 彼女から夏休み明けに転校すると言われるまでは。 それから俺は彼女とあんまり話さなくなった。何話して良いかわかんなかった し今考えると本当バカなんだけど彼女がウチに来ても居留守を使ったりしてた。 覗き穴から覗いたときの彼女の悲しそうな顔は今でも鮮明に覚えてる。 そんな俺を見てた友達はしびれ切らしたしたらしく彼女の家に行って来い と無責任に言った。奴らにしてみりゃ興味本位だったと思うけど 今思えばまぁ多少は感謝してる。俺はほぼ無意識に彼女のお気に入りの 漫画だった魔法陣グルグルを5冊持って彼女の家に走った。 インターホンを鳴らすと彼女の母親が出てきた。 「あ、あの○○(自分の名前)ですけど××(彼女の名前)さんいますか・・・?」 「あら、ちょっと待ってね、××〜○○君が来たわよ〜。」 ちょっとビックリしたような彼女の声が聞こえた後、彼女が玄関に出てきた。 「これ、あげるよ、転校した学校でも元気でな。」 そう言ってグルグル5冊を渡す。彼女は驚いて俺を見た。彼女の目は赤かったと思う。 「ありがと・・・○○君も元気でね。」 少し震えた声で彼女が言った。 何を思ったのかわからないが俺は握手を求めるように手を出した。 彼女は俺の手を握ってくれた。初めて触った彼女の手はすごく小さくて 暖かかった。 夏休みが明けると彼女はほどなく転校していった。俺に置きみやげを置いて。 あれから8年経つけどグルグル1〜5巻が抜けた本棚と彼女が俺にくれた ミサンガを見るといつも思い出す俺の甘酸っぱい思い出です。
- 585 名前:sage [2006/10/06(金) 21:17:18 ]
- >>584
こういう学校の青春系話はマジだめだ・・・ ちょいと話変わりますが俺の話。見難くてすみません。 高校に入学した時、小学校の幼馴染のDと再会しました。 Dは小学2年の頃友達になり、何度か同じクラスになったりして、一番の楽しかった6年生でも同じでした。 当時の俺達の担任が、凄く(いい意味で)イカれていて面白くて、俺とDとその担任3人でいつもクラスを 盛り上げ、この三角形のやり取りが俺の小学校での一番の思い出です。 だから、Dとはそれで凄く仲良くなったし、委員会とかも同じでいつも遊んでいました。 Dは早くからバスケをしていて、小学校では小さかったけど運動神経抜群でした。 勉強はちょっとできる程度で、それが得意な俺が教えてやったりしていました。 俺は、中学を地元じゃなくて、理由も無く少し離れた進学校に行ってました。そのせいで、 小学校の頃の友人らとは離れてしまって、中学時代はあまり付き合いはありませんでした。 帰宅途中や夏祭りとかでたまに会っても、挨拶程度になっていました。 Dはバスケを続けていました。県内のバスケ部の俺たちの代、それだけでなく市内の先輩後輩の代でも Dの名前を知らない奴はいませんでした。選抜にも選ばれていました。俺の学校でも、バスケ部の間で Dのことを知らない奴はいなかったし、Dのチームは案の定全国レベルまで行ってました。 結局中体連は全国一歩手前で負けたそうですが、Dは選抜チームでも有名でした。 俺の中学校から8割は受験する、俺の高校は、県内一の進学校でとてもレベルが高いです。 俺もオヤジの勧めでそこを受け、ギリギリラインで行きました。 そこで、Dと再会しました。Dは、その学校でトップになれるほど頭もよくなっていました。 バスケも、Dは180cm近くになり、一年からスタメンに選ばれ、活躍していました。 二年になった今、Dはキャプテンになっています。そのチームは、他県からも注目されるほど強豪になってます。 Dと再会し、昔の話もしたし、一緒に帰ったりもしましたが、遠いところにいるような気がしました。 人望も厚く、運動もでき、勉強もできる。到底かなわないなーと思っていました。でも、凄くいい奴です。 俺は今、その高校を自主停学し、海外の学校に通ってます。自分の意志で決めて、単身こっちに来ました。 その高校についていけなかった現実逃避かもしれません。でも、そんなことはどうでもいいんです。 こっちに来てから、友人から知らされました。Dが、バスケの国体に選抜されたそうです。 海外にいたから余計分かりました。国体という選手の凄さが。 離れてみてから分かりました。あいつがどんだけデカイやつだったか。 俺も自分を変えようと頑張ってるのに、あいつはどんどんデカくなってる。 現在進行形であいつは進んでます。それに追いつこうと俺も必死です。 たいしたオチは無いけど、俺が色々教えてたチビがこんなに大きくなってしまった事に ああ、もうあの頃のDとは違うんだな・・・と感傷に浸ってしまいます。 つまらない話ですけど、読んでくれてありがとう。長文駄文失礼しました。
- 586 名前:585 mailto:sage [2006/10/06(金) 21:55:22 ]
- >>584のあまりの甘酸っぱさに名前でsageてしまった。
っていうか若干すれ違いな気もしますが、勘弁してください
- 587 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/10/06(金) 22:17:08 ]
- 漏れが19歳の時、母が病気で入院した。
それまで一度も病気をしたことがなかった母なのですぐに良くなると思ってた ・・・が2週間ほどして父が漏れにこういった『母はもう助からない』 癌だった。中学・高校(中退)時代ぐれて暴走族だった漏れは家にも寄り付かず 家族の交流もほとんどなかった。 見舞いに行った次の日母は亡くなった。 葬式で親戚が集まる中涙は見せれないという若い変なツッパリ意識の中だった。 棺おけの蓋を閉めるので思い出の品を一緒に入れてやろうとなり 妹と母のタンスの中を整理していたら鍵のかかった箱が見つかった。 ガキだった漏れはダイヤでも入ってるのかも^^・・と思ってあけてみると そこには漏れが幼稚園児時代に母に書いた手紙や手作りのお守り、 修学旅行で沖縄に行った時にお土産で一番安いからとの理由で買った¥300の花の香水、 初めてのバイトでもらった給料のなかからやった¥5000が封筒に入ってた。 こんなのわざわざとっとかなくても・・・と思うと同時に思いっきり涙があふれてきた。 それから死に物狂いで働いて父と半分ずつ出して母の墓を立てた。 あれから早18年、父ももういい年になってきた・・ 相変わらず会話は少ないし合う機会もあまり無いが親孝行したいと思います。 (親孝行したい時に親は無し) 運命・寿命とさめてた漏れも最近になってやっと分かってきた
- 588 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/10/07(土) 01:35:49 ]
- ガンバレ
- 589 名前:大人になった名無しさん [2006/10/09(月) 10:07:50 ]
- 今日Y市内を走っているバスに乗ったら、俺の座っている横に立っていた女の
子(消防高額念位)が、ハ・クションとくしゃみをしたと同時にブビィーと音 がした後鼻が曲がりそうなくいら臭いウンコ臭がしてきた。多分、その女のが 子ウンコを漏らしたに違いない。その子の格好は、Gパン・ジャンパーで悪臭 発生後俺と同じく3つ目の停留所で降りていった。俺は、尾行を開始した。 すると公園のトイレに入って行ったので俺もついて行くと 個室に入ったので音を聞いていた。カサカサ紙でシリ拭く音や 「うんうん ぶりー」と音が聞こえたので俺はすかさずとびらを開けてやった。 すると尻回りウンコちゃんだらけの若い小学生女がこっちを向いて尻を出したまま逃げようとしたので 個室に押し込んでやった。 「おじさん何も悪いことしないからね。わー臭いウンコちゃん漏らしたのか?」と言って 拭いてやった。肥タンゴのようなくさいにおいに逝ってしまった俺は「もういいよ」と言うのを無理矢理 手を引っ張って「このままではまだくさいから・・・そうだおじちゃんが舐めてあげよう」と言って 思い存分味わいつつお尻を舐めてやった。トウモロコシのカスがあったりして「トウモロコシ食べたのか? そのまま出てるよ」と言って口の中に入れて味わって食べた。最後は肛門に指を突っ込んでウンコを ほじくり出して指を舐めた。
- 590 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/10/09(月) 21:09:47 ]
- 気持ち悪い、しね
- 591 名前:大人になった名無しさん [2006/10/10(火) 03:29:28 ]
- なんでこここんなに過疎ってるの?
他板の類似スレ盛況なのに?
- 592 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/10/21(土) 02:54:00 ]
- …一応保守sage。
- 593 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/10/29(日) 22:27:10 ]
- >>474
この人ツボ
- 594 名前:大人になった名無しさん [2006/11/10(金) 18:16:06 ]
- 泣いた。本当に!
www5.diary.ne.jp/user/522880/ 11/8の日記は泣いた!
- 595 名前:大人になった名無しさん [2006/11/10(金) 18:17:27 ]
- 泣いた。本当に!
www5.diary.ne.jp/user/522880/ 11/8の日記は泣いた!
- 596 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/11/12(日) 20:48:46 ]
- ここ見てたら死んだじいちゃん思い出した。
私が中学の時に、じいちゃんが胃癌で入院。 特に弱っている様子も見せず、見舞いにいけば普段と変わらないじいちゃんで、必ずうちら孫の為にお菓子を買って用意してくれてた。 しばらくしてじいちゃんは退院して家に戻ってきた。でも一ヶ月ぐらいでまた再入院。 それ以来、私たち孫は一切見舞いに連れていかれなくなった。 ある時、親から『今からじいちゃんの病院行くけど、今回はアンタも来なさい。』と言われ、一緒に行く事に。 病院に行くまでの車の中で『じいちゃんに会っても泣くな』だの『アンタは内孫の長女だから、今回は特別連れてくんだからね。他のいとこ達には内緒だよ。』だの言い聞かせられた。 大人の言ってる事がイマイチ理解できないまま病室に入ると、『誰?』っつーぐらい変わり果てたじいちゃんの姿に衝撃を受けた。 色黒だった肌は青白く、骨と皮だけになってしまったじいちゃん。 私の姿を見ると少し笑って『おぉ‥来たのか‥』と、聞き取るのがやっとぐらいの声で言った。 その途端、一気に涙が溢れた。 泣いちゃいけないと思うほど、ますます涙が出まくった。 そこで大人達の言っていた事をやっと理解した。 病室を飛び出して、トイレで泣いていると 大叔母がやってきて『アンタにはちょっと辛かったね。』と。 顔を洗って病室に戻ると、じいちゃんはいつもの様に用意していたお菓子をくれた。 涙をこらえるのが精一杯で、あとの事は憶えていない。 それから一週間位して、じいちゃんは息を引き取った。 葬式で私は泣かなかった。 いとこ達からは『泣かないの?冷たいね。』と言われたが、私にとっては最後に会ったあの時の方がはるかに悲しかったからだ。 いまだに他のいとこ達には、あの時の事を言ってない。 内容がアレな割に、長文ですいません。
- 597 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/11/14(火) 06:07:25 ]
- 最近ばーちゃんが肺がんで死んだんだ。
思い出して泣いた…
- 598 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/11/20(月) 17:42:23 ]
- 誰もが一度は耳にしたことがあるだろう童謡の1つに、「あめふり」ってのがある。
僕は子供時代、その歌が嫌いで嫌いでたまらなかった。 小学校にあがる少し前、母は僕の入学式に出席することができないままこの世を去った。 車での買い物の帰り道、大型ダンプと正面衝突をして、ダンプの運転手ともども即死だった。 覚えているのは人の大きさをした大きな布の膨らみと、 それにすがりつきながら「痛かったろう、痛かったろう」と大声で泣き喚く父の後ろ姿だけ。 あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかい うれしいな ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン ちょうど事故で母が死んだ日も、路面が滑りやすい雨の日だった。 この歌が雨の日の給食時間に放送で流れると 保育園に迎えに来てくれた優しい母の顔を思い出し、僕は耳をふさいだ。 その日もそんな雨の日で、ごたぶんに漏れず給食時間の放送からはあの歌が流れていたと思う。 朝の天気予報では晴れマークが出ていたので、傘を持ってくるのを忘れた僕は、 下校のときのことを想像するたび憂鬱な気分になっていた。 母の件のせいにするつもりは毛頭ないけれど、その頃の僕はおせじにも可愛い子供ではなかった。 当然友達なんかいないから傘に入れてくる人なんかいるはずないし、 父は仕事で今日も遅いから、まさか僕の傘のために仕事を抜け出して迎えに来てくれるはずもない。 むしろ当時の僕は本当に可愛くなくって、「もし父がそんな風に迎えに来てくれたとしたら、一体どんな顔をしたらいいんだろう」 なんていう風に、子供らしくないネガティブな悩みかたをしていたのを覚えている。 でもそんな悩みなんかもとから不必要で、結局父が迎えに来てくれることはなかった。 当然だ。片親で子供一人を学校に通わせるのは今思えば楽なことではない。 大工であった父はその日も屋根の上で雨に濡れながら家族のために必死に働いていたんだろう。 どんどん強まっていく雨足と、ぽつりぽつりとクラスメイトが減っていった薄暗い教室は、今思い出しても寂しい気分になる。 一度寂しいと思うと、その寂しさはどんどん膨らんでいくもので、そんな時に母の顔を思い出してしまった僕はもうどうしようもなかった。 もしお母さんがいてくれて、傘をさして迎えにきてくれたら、この雨もどんなに楽しいだろう。 そう考えたとたん、涙がぽろぽろこぼれてきて、僕はまだクラスメイトもちらほら残っている放課後の教室で泣き出してしまった。 それに気づいたクラスメイト達も何事だとこっちをうかがいはするが、もちろんなぐさめてはくれない。 やりきれなさと寂しさで胸がいっぱいになっていたところへ、担任の先生が声をかけてくれた。 当時僕の担任の先生というのは結構なお年の女性の方で、杉本先生といった。 ぽっちゃりした体型と人懐っこい笑顔に派手めな眼鏡で、生徒からはおばあちゃん先生なんて呼ばれていたけど、 本人はむしろその呼び方に愛着を感じているらしく、微笑みながら応対していたように思う。 どしゃ降りの雨がふる教室のなかで、小学校2年生の子供が泣きじゃくりながら事情を説明する言葉なんて、一体どれだけ聞き取れただろうか。 先生は膝をおって同じ高さまで顔をもってくると、僕の背中を優しくさすりながら「そうね、そうね」と独特の九州なまりであいづちを打ってくれていた。 僕がやっと泣き止むと、杉本先生は僕に「そんなら先生と一緒に帰ろうか」というと、やっぱり派手めな赤いチェックのはいった小さな傘を差し出した。 途中杉本先生の家にあがらせてもらい、色んな話をした。「今度から雨の日は先生と一緒に帰ろう」と言ってくれたのが、僕は嬉しくてたまらなかった。 なんだかんだで恥ずかしさも伴い、一緒に下校したのはそれっきりだったけど、僕はそれからは雨がそれほど嫌ではなくなっていた。 杉本先生、お元気にしてらっしゃいますか? 僕は今年、夢だった教師になることが出来ました。 先生のことを思い出したのも何かあるのかも知れない、なんていう言い訳を抱えて 実家に帰省した折にはご挨拶に伺わせて頂きたいと思っています。
- 599 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/11/20(月) 22:16:38 ]
- >>598
(つД`)・゚・。
- 600 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/11/20(月) 22:28:13 ]
- >>598
これが本当の話かとまず疑ってしまう程、俺は汚れてしまった。 けど、これが架空の主人公だとしても、その結末に惜しみないココロからの拍手を送りたい気分だ。
- 601 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/11/20(月) 23:00:33 ]
- >>598
立派な教師になるんだよ。最近の子供は不遇な子が多いから・・・・。
- 602 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2006/11/21(火) 00:49:22 ]
- ええ話や・・・
まるで感動系のギャルゲーのようだ
- 603 名前:大人になった名無しさん [2006/11/21(火) 16:48:19 ]
- >>602
・・・・ギャルゲー・・・
- 604 名前:大人になった名無しさん [2006/11/27(月) 21:29:33 ]
- 泣けた…ありがとう。
- 605 名前:F ◆DmBzJffhoY mailto:age [2006/12/15(金) 10:57:43 ]
- ペット ロスのお方のために 霊訓です。参考にしてください。私の友人もマンションでコーギーを
突然(キンシ)に飼い始めました、だって帰って来たのよ あの子が(ホンマカ)でした。御両親も公認とか? シルバーバーチの霊媒です。 貴方の愛獣が亡くなった後に貴方が どうすべきか? 疑問にお答えし又 本当の供養を書かせてください。 愛猫が死んだら 捨て猫2匹拾いましょう! ある日貴方は出会えるはずです あの子に そっくりとは、いかないんだけども何故か あの子にです! 1匹死んだら又1匹拾いなさい 明日から 貴方が老いるまで・・・・ 愛犬が死んだら 保険所へ貰いに行こう 3年後に! それでもいいし 介護犬 盲導犬の育成に 募金でもいいので お願いします。 きっと 貴方は、出会うでしょう 貴方の愛犬のあの子です。 きっとですよ! 全ての動物へ 貴方に出会えて良かった しかし 悲しい位怖い思いを抱いた 動物が 多々おります お願いです 貴方のお庭には、実のなる木を植えてください (都会のベランダでもいいそうです。霊医アトスより 代打Fでした。 貴方に愛がられたから霊界の利益は少ないのですよ! 哀れなペットこそ 霊界では、高級霊のペットとして可愛がられます。霊媒Fは、モルモットを ベランダにだし元々そこに鉢植えしていた毒草にて死なせてしまいました。 哀れなり 彼女は、同じ苦しみをと夾竹桃の葉を 何枚か食べてた 愚か者です。 そんなことでは、そのモルモットは、救われない 何故なら彼の目的は、人間の役に 立つ事だからです。 そして今同じペットロスに苦しむ人間のために 書いております。 あのモルモットにとってもこれ程の供養はないでしょう! シルバーバーチ 代打Fでした。
- 606 名前:大人になった名無しさん [2006/12/20(水) 03:03:17 ]
- 思い出したら泣けてきて、
誰かに聞いて欲しくて書き込むことにしました。 もう二人とも成人したというのに、 何年ぶりかに、昨日お姉ちゃんとくだらないことで喧嘩をした。 苛々して近くにあった机に八つ当たりしたら手の指がちょっと切れた。 血が出たのでバンソーコーはってたらふと思い出したことがある。 まだ私が6歳のとき。 よくお姉ちゃんと、お姉ちゃんの友達と一緒に、 みんなで自転車に乗ってよく遊んでた。 ある日いつものように自転車で遊び終わって帰って来て、 私が自転車を片付けようとすると、私の自転車のタイヤに赤いものがついてた。 私は赤いものを見たら、血だと思い「血がついたー!!」と泣いた。 家に入っても私はまだぐずって、その日はずっといじけていた。 次の日、またお姉ちゃんと出かけようとすると、 お姉ちゃんが「おいで」と呼んだ。 呼ばれて行ってみると私の自転車が置いてあった。 そして、昨日私が血だと騒いだ赤いものがついていた自転車のタイヤに バンソーコーがはってあった。 お姉ちゃんが「自転車怪我しちゃったでしょ、だけどもう大丈夫だよ。」 ってなでなでしてくれた。 私はそれで安心したんだけど、 今考えればお姉ちゃんは私が騒いだとき 「こんなの拭けばいい」とか言わなかった。 「うるさい」とも叱らなかった。 私が血だと思って泣いたことに、対処してくれたんだ。 もし私に妹がいたら、お姉ちゃんみたいに出来ただろうか。 他のお姉ちゃんは、同じことを思いついただろうか。 お姉ちゃんはいつだって私と向き合ってくれていたんだって思う。 指にバンソーコーをはりながら、 お姉ちゃんにひどいことを言ったことを後悔した。 お姉ちゃんが大好きだよ。 いつもわがままばっかり言ってごめんね。 ちっとも大人にならなくてごめんね。 お姉ちゃんに謝りに行こう。
- 607 名前:大人になった名無しさん [2007/01/15(月) 02:19:57 ]
- >>606
3Pしませんか?(*´д`)アハァン…
- 608 名前:大人になった名無しさん [2007/01/15(月) 03:34:57 ]
- 父と母が離婚してから8年の歳月が経ち、私は父の住む東京に行った。
何の連絡も無しに突然の訪問だが、8年もあいた歳月で私は連絡する言葉が見つからなかった。 ただ一目見たい。 それだけの為に行った。かつて私の家族が住んでいた街に行き、そのご近所さんに挨拶をした。 私の父の住む場所を知っているなら教えて下さいと言うと。 快く承諾をしてくれたが 「そう言えば最近見ないね…」 と言ってアパートの場所まで案内してくれた。 念の為父が住むアパートの部屋の隣人に聞いてみた しかしそのアパートの隣人は 「今年の4月くらいかなぁ?この部屋で亡くなったよ」 と言うのだ。 私は耳を疑った。 「このアパートね。壁が薄いから咳払いでもすぐに聞こえるんだ。でも、その日は何も聞こえなかったよ」 頭の中が真っ白になった。 ようやく私の頭が整理出来た時、向かった場所は警察署。 「4月頃に亡くなった○○の娘です。」 偶然、その父の事の担当の刑事がいた。 目の前に出されたのは分厚いファイル 「ちょっと見ない方がいいかもしれないけど…」 と言葉を詰まらせながら見せられたのはたった2ページの父の情報。 ほんの数枚の遺体の写真。 71年の人生をたった2枚の紙で締めくくられている父を見た時、涙がこぼれ落ちた。 アパートの部屋で亡くなった父の周りにはゴミが散乱していたが その中に私の写真立てに飾られた私の写真があった。 涙が止まらなくなり言葉を詰まらせていると刑事さんが 「職業柄か土地柄か、貴方みたいな人はたくさん見て来てるけど、変な事だけは考えないでね。貴方は亡くなられたお父さんの娘さんなんだから…」 その言葉に少し救われた。 偶然なのか父は私の誕生日の2週間後に亡くなっていました。 私が未成年と言う枠から外れてすぐに…
- 609 名前:大人になった名無しさん [2007/01/15(月) 04:44:33 ]
- 高校の頃、初めてフェリーの旅に出た
何処までも続く海 遠くに見える陸地 何もかもが新鮮だった 新しいものがつかめると思った 海から見るものは全て新鮮で感動を呼ぶものだった 海に沈む夕日も船の上からだと全然違う 飛行機や新幹線と違い時間もゆっくりと過ぎてゆく 初めての船の旅 夜は月と星が輝いていたな・・・・ そんな空を見ながら色んな友達や家族、出会った人達の事を思い出してた 何故か人って環境が違う場所に行くと心も変わるみたいだね 本当に2ちゃんねるが閉鎖ならば 新しい旅をする感覚で、また何処かへ行ってみよう 過去の約束 それは 「自分の居場所を見つける事」 僕にとって2ちゃんねるは嫌な場所もたくさんあったけど このセピア板は本当にいろんな思い出や心のお話を聞かせてもらって感謝してる 多分、この2ちゃんねるで出会った言葉は一つのセピアの思い出として 残るんだろうな・・・・ このまま存続するなら笑っちゃうけどさ まっ色々な思い出を聞かせてくれてありがとうな。 泣ける話では全然なくてごめんな でも、ここでの思い出は大切にしたいんだ・・・ さよなら・・・
- 610 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/01/15(月) 11:53:22 ]
- 24歳にもなって処女。
男性経験どころか付き合った事すらない… そんなにブスではないんだけどな。
- 611 名前:ふう ◆Fuu/6Lut5I mailto:sage [2007/01/15(月) 19:29:22 ]
- >598さん、
幼い時に、母に亡くなられたら辛いよね。 俺が小4ぐらいの時かな、クラスの子と喧嘩して 相手がひっくり返って、おでこに怪我をしたんだよな。 夕方になって、相手の子とお母さんが文句を言いに来て 中1のねえちゃんと謝ったけどさ。 子供相手に怒っても気が済まないお母さんが、最後に残した一言。 「だから、母親のいない家の子はだめなんだ!!」 この言葉はキツかったなぁ。 母の思い出と、寂しさが一気に出てきて、しゃくりあげて泣いたもん。 「大丈夫、ねえちゃんがお母さんだからね」って抱きしめてくれた。 まぁ、そのねえちゃんも泣いてたんだけどね。 きっと、歳頃になりかけた少女のねえちゃんの方が、 もっと悲しかったんだろうな。
- 612 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/01/16(火) 17:50:10 ]
-
ちょうど去年のこの日にさ、友達なくしたんだ あれからちょうど3年前だ ちなみに私は女です Aは笑顔が似合う子でさ、いっつもニコニコニコニコしてて、よくボケるし、よく突っ込むし、友達が多い子でまさか死ぬなんて思わなかった 私が3年前なんて言ったらまだ高校生で、今日はAの誕生日だった 友達からいっぱいのプレゼントもらって「持って帰れないよ〜」なんて言ってたのを覚えてる 3年前の今日の夜に、Aのお母さんから電話あって、交通事故で即死。って聞いた みんなのプレゼントを汚さないように、大事に抱えていたらしい 泣いた そしたらさ、その日の夢にAが出て来たんだよ Aが仲良かった子全員のところに挨拶しに行ったらしい みんな「夢にでてきた」っていってた 仲が悪かった先輩んとこにも、ちょっとしか喋った事のない大人しい子んとこにも めちゃくちゃいっぱいの人んとこ回ったんだなぁ 内容は人それぞれだったから聞けなかったけど、夢を見た人達はほとんど目が覚めたら泣いてたようだ 友達なかせんなよ… お葬式には人が馬鹿みたいにきてた 友達多かったもんなぁ みんな号泣 ここまで泣かせる奴もいないよ 3年たったいまでも、お墓にはたくさんの人がきてる 最近、Aが死んだ時見た夢を思い出した 「うちね、これからはみんなと一緒にいられないの。でもね、うちはいつまでも隣にいるから、辛い時も隣に居るから、忘れないで。誕生日プレゼント、ありがとう。めちゃくちゃ大切にするね!じゃあ、本当のばいばい。今までありがとう、大好き。」
- 613 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/01/29(月) 23:33:24 ]
- セピアな思い出。
思い出の中の光景は、いつも 夏だ。 俺は 田舎育ちだったから、行動範囲には 田んぼや 山や 草っぱらしかなかった。 真夏の 頭のてっぺんが チリチリ焼けるような 日差しの中で 帽子もかぶらずに 走り回ってた。 虫捕り網を 振り回して 近所のガキたち と奇声を あげながら。 川で 魚を すくったり 貝をとったり 川えびをとったり。 あのころ 家のまわりは 俺たちガキの 王国だった。 日が暮れるまで 遊び回って かあちゃんに 怒られた。 クソガキだった俺も 今じゃ オヤジになり、 故郷には 母親が ひとりで暮らしている。 今 実家のまわりには 家が 建ち並んでいるそうだ。 昔は クワガタや カブト虫が いっぱい捕れた山も 宅地造成のために 木が 刈られ コンクリで固められた。 俺たちが 駆け回った 草っぱらには ホームセンター が 出来、夏には 一匹 何百円かで クワガタや カブト虫を売ってるらしい。 俺は もう 何年も 実家に 帰れずにいる……
- 614 名前:大人になった名無しさん [2007/01/30(火) 23:27:07 ]
- なぜ帰れないの?
帰ったら?顔を見せるだけで親孝行だと思う
- 615 名前:大人になった名無しさん [2007/01/31(水) 14:59:19 ]
- 476 :ほんわか名無しさん :2006/03/29(水) 02:18:58 0
4月から大学生です。 でも、前期で第一志望を落ちてしまって、後期試験で第二志望の大学に行くことになりました。 今日は手続きがあって、電車で甲府まで行きました。 家を朝6時過ぎに出て、最寄りの駅に思ったより早く着いてしまって、ホームに行ったらもう電車がホームに止まって発車を待っていました。 電車に乗って待っていたら車掌さんがいたので、「この電車八王子行きますか?」と聞いたら親切に教えてくれた。 で、「朝早いねぇ。八王子に遊びにでも行くんかい?」と聞いてきたので「いえ、今年から大学に入るんで、甲府まで行って手続きしてくるんですよ」 と言ったら、「おぉ、それはそれはおめでとうございます!」と言ってくれた。 発車まで時間があったので話はすすんで、私は第一志望に落ちたことがひっかかっていて「でも行きたい大学があったんですよ。。。」と言ったら、その車掌さん。 「うーん。でもその大学に行くことになったのも運命だいねぇ♪ 第一志望じゃなくても、あなたが選んで受けたんじゃないんかい? あぁあの大学行きたかったなぁ。。。って大学生活を始めるよりも、これも運命だから4年間を楽しむぞ!って思って行った方が、卒業する時に「4年間本当によかったなぁ。」と思えるよ! そんで4年たったら、ひとまわり成長してまたこっちに帰っておいで」と言ってくれた。 八高線の車掌さん。 あなたのおかげで、胸を張って入学式に行けそうです。
- 616 名前:大人になった名無しさん [2007/02/01(木) 20:56:11 ]
- 僕のひいばぁが死んで、今日でちょうど3年たちます。
僕のひいばぁは気が強い人でばあちゃんや母さんとよくケンカをしていた。 まだ小学生低学年だった僕は、そんなひいばぁが少し怖かった。 でも、ケンカしてない時はとても優しくて、ひいばぁが栽培していた ミカンとかを一緒に食べたり、散歩に行ったりと楽しかった。 でも、年をとるごとにだんだん身体の調子が悪くなっていって、 3年前の今日、亡くなった。89歳だった。89年って長いよね。 人の死を初めて感じた時のショックはでかかったなぁ・・・ 火葬場でアレ、なんていうんだろう・・・機械みたいなのに入れられて、 骨と灰になって出てきたときは何とも言えなかった・・・ 偶然かもしれないが今日、私立高校の入学試験がありました。 試験の出来が良かったのは、ひいばぁのおかげかもしれない。 県立高校の試験が終わったら、ゆっくりと墓参りしたいと思った。 長くなってスンマセン。
- 617 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/02/03(土) 09:57:12 ]
- 大往生ならいいんじゃないか。
人の死は、人を成長させると思う。
- 618 名前:ボン [2007/02/09(金) 16:43:50 ]
- 初めて2chに書き込みします。
私は去年の4月に短大に入りました。 医療秘書の資格を取りたかったので兵庫の田舎カラ上京して大阪へと引越しました。 親は受験間近まで…いや、おとんゎ私が合格しても反対してたと思う。 おかんは私のしたいことはさせてくれたからしかたなしって気持ちがあったんだと思う。 親が反対したのは、まずうちがお金なくて借金かかえてるぐらいだから これ以上お金使ってほしくなかったってのが一番。 おとんは私が一人娘だから、女を都会に出すのが嫌だったみたい。 それでも親は『がんばれよ』って言って私を大阪に行かせてくれてん。 でも11月のある日−。 私は同じクラスの女の子に呼び出された。 私は前から自分のHP持ってて、そこの日記に愚痴を書いたのをみて その子らがキレた。 そりゃキレるだろう。 だってその子らの悪口みたいなんのネタみたいにして書いたんだから。 言い訳っぽくなるが、私は学校でのつらかった事も嫌なことも誰にも言えずにいた。 だからどこかで解消する場所がほしかった。 その解消する場所が私のHPの日記だった。 そこしかなかったから私は学校でのつらかったこと、いやなことを書いたつもりだった。 でもそれが書けば書くほど悪口になってた。 呼び出された時ゎ1対1だったのだが途中から違う子がきて2対1で話した。 周りには高校生も通っている場で私はどなられた。 『しばくぞぼけ』 怒鳴られてもしかたないって思って、私はただ謝った。
- 619 名前:ボン [2007/02/09(金) 17:17:09 ]
- 結局はしばかれずにすんだのだが、2人の女の他に後ろに4人もあっちの味方みたいなのがいた。
私はその時わけわからず家帰って泣き叫んだ。 でもその時ゎ無性に腹立った。 相手にも自分にも。 なんで私が愚痴ったらいけないのかって気持ちでいっぱいだった。 愚痴るところがそこしかないんだもん。 ってかなんで教えてもいない私のHPを他人が知ってるんだ? いろんな気持ちが混じって涙になった。 その時、おかんから電話がかかってきた。 『もしもし?最近学校どう?』 こんなときに学校のこととかきかないで。 私『うーん…しんどいわぁ。』 おかん『なんだ?学校そんなしんどいんか?』 私『なんだろーな…うちの学校みんな授業まじめに聞かなくてやーみんな寝てやんの。そんなやつばっかで環境わるすぎる!!』 おかんに「しばかれていやな目にあった」なんていえるわけないから 明るく振るまって嘘ついた。 それでもおかんは学校でどうしてるか聞いてきた。 『毎日通ってるか?』『がんばれてるか?』『勉強大変か?』 私は『毎日通ってるよ。一応資格はちゃんと取りたいからがんばってるよ』 って明るく振るまった。けど私は学校は楽しくないってことをつい愚痴ってしまう。 そしたらおかんからこんなこと言い出した。 『だったらあんた、学校切り上げるか?』 びっくりした。 『は?なんで?切り上げても…』と言う私に対しておかんは話を進めた。 『あんた最近声おかしいから心配して毎日電話してたんや。そりゃあな、学校がんばって行ってほしいで? でもおかあさんは別に無理して短大行ってほしくないで。おかあさんは資格とってくれたらそれでいいから。 通信でもして資格とりぃや。お父さんもあんたが学校辞めること別に反対せんやろうから。おかあさんがちゃんとお父さんに言っておくから。』 私は静かにただ泣いておかんお話を聞くことしかできなかった。 『切り上げたい。』 もう頭の中で決まってた。だから切り上げたいといった。
- 620 名前:ボン [2007/02/09(金) 17:26:11 ]
- 結局それをきっかけに私は学校をやめ、
今では通信でがんばって医療秘書の資格を取るために毎週土曜日通っている。 おかん、ちゃんと医療秘書の資格とって、資格とったら地元の病院でちゃんと働いて そのお金でおかんとおとんを幸せにするから。 だから待ってて。 私は高校ん時いっぱいおかんに反抗した。 口も全くきかなかったり、口きいても私は暴言を返したりいやな態度とるだけだった。 でもおかんは私を救ってくれた。 わがままでごめんなさい。 いまだにありがとういえなくてごめんなさい。 いつになるかわからないけど結婚式あげるときちゃんと気持ち込めてありがとういうから それまでゎ私の面倒みてください。 すこしずつ親孝行しようって考えてるから。 だから見守ってて。
- 621 名前:大人になった名無しさん [2007/02/10(土) 01:29:42 ]
- >>620
無駄に長い。「ゎ」とかいらねぇよ。きもい。
- 622 名前:大人になった名無しさん [2007/02/10(土) 10:01:46 ]
- これからもお母さん大切にしてあげてね。今ボンさんがそう思ってるのならお母さんにも伝わってるはずやから。
- 623 名前:彗星さん [2007/02/10(土) 15:53:05 ]
-
俺も昔お母さんには、迷惑かけたからなー。親孝行頑張れよ!
- 624 名前:大人になった名無しさん [2007/02/11(日) 01:23:21 ]
- 小学5年生の頃だ。雪国育ちだった俺はその日学校行事のスキー教室に参加していた。
俺の親父は俺を幼少からスキーに連れて行って色々しごいてくれた。 手前味噌な上、後々起こったことを考えると言うのも憚られるのだが、当時の俺はそんじょそこいらの小学生以上のスキーの腕を持っていた。そう思いたい。 その日。真っ白な雪が真っ赤な血で染まった。 原因は俺の転倒事故。突然目の前に現れたスキー客を避けようとして障害物に激突、傾斜の強い坂をそのまま50メートル以上転がり落ちたのだそうだ。 事故の瞬間のことは今でもはっきりとは思い出せない。いや、忘れている方が良いのかもしれないけど。 全身打撲と各部位の脱臼。骨折。左目の下の頬に外れたスキー板が激突して出来た裂傷。学校始まって以来のさんさんたる行事事故だったらしい。 すぐに病院に運ばれ、手術を受けた。手術は実に8時間におよんだらしい。 そして気が付いたのはそれからずっと後のことになる。俺は事故から一ヶ月後の3月に目を覚ました。このときの両親の顔は今でも忘れられない。 でも、地獄が始まったのはここからだった。 頸椎捻挫により傷ついた脊椎から分岐している左腕の神経は手術でつなぎ合わせても感覚系に大きな障害を残していた。 初めの一ヶ月は触るだけで脳天まで響くような激痛が走った。それでも動かさなければ回復の可能可能性が消えてしまうからと、リハビリで無理矢理動かし続けていたのだ。 そのせいで当時の俺は随分とナーバスになっていた。顔に残った大きな傷に、何一つ思い通りに動かなくなった四肢。小学生の精神を追い込むのには十分すぎた。 でも、そんな俺にずっと話しかけてくる奴が居た。同じ部屋で長いこと入院しているのだというそいつとうち解けあうのにそれほど時間はかからなかった。 そいつは俺の弱音を受け止めてくれた。泣き言を聞いて慰めてくれた。元気がないと笑わせてくれた。 俺からそいつにしてやれたことは何一つ無い。彼が一方的に、それでいて親身になって俺を励ましてくれた。 ある日、俺がリハビリから帰ってくると部屋からそいつの姿が消えていた。 後になって知ったことだが、彼は末期の小児ガンだったのだそうだ。本来ならすぐにでも集中治療室に入るべきところを、「つらくて苦しんでいる、僕の最後の友達をおいてはいけない」と言って拒否していたそうだ。 泣いた。本気で泣いた。久しぶりに自分のこと以外で涙を流した。 あれから何年が過ぎただろう。今年成人式を迎えた俺の左腕は動く派動くけれども後遺症で一切の感覚を失っている。 一般生活を送っている今でも俺の傷ついた神経はいつその機能を全停止してもおかしくない。 俺はあいつに命をもらうことで此所までこれた。痛みを感じられなくなった左腕を抱えた俺は切に思う。 自分の痛みを感じられないだけ、他人の痛みを分かち合って半分を受け止めてあげよう。 今でも顔によぎっている大きな傷。鏡を見るたび思い出す。俺に生きることの大事さを教えてくれた、あいつのことを。
- 625 名前:1/4 mailto:sage [2007/02/11(日) 05:21:11 ]
- 今から数年前の秋――高校三年の体育祭。
うちのクラスは運動神経いい人が多く、毎年「獲得得点全学年総合一位」の 有力候補と言われていたが、あと少しというところでいつもその栄冠を逃していた。 (うちの学校の体育祭では、良い順位を取るごとにポイントが加算され、 最も高得点だったクラスは閉会式の時に表彰される) 受験生とはいえ、高校最後の体育祭。 やはり「全学年総合一位」という有終の美を飾りたい一心で、 みんな勉強の傍ら、各競技の練習に励んでいた。 いつもひかえめで、ちょっと困り顔で柔らかく笑うYくん。 普段ののんびりした言動からは想像できないが、クラス一、足が速かった。 彼は男子数人でのリレーとクラス対抗リレーのアンカーに抜擢された。 すみません、つづきます。
- 626 名前:2/4 mailto:sage [2007/02/11(日) 05:22:12 ]
- 体育祭当日。
うちのクラスは順調に勝ち進み、得点も次々に獲得していった。 Yくんの参加する男子のリレーも始まり、みんな固唾を飲んで見守る。 走者トップの状態でアンカーYくんにバトンが渡って、 きっと誰もがうちのクラスの一位を予想したと思う。 しかし、最後のカーブ。 Yくんは白線を踏んでしまい、派手に転倒。 次々に追い抜かれ、結果は最下位。 「ごめん、転んじゃった」とか言いながらいつもの柔和な笑みをと思いきや、 Yくんは今まで見たこともない険しい表情をしていた。 ゴールと同時に、持っていたバトンを地面に叩きつける。 Yくんが塾の帰り、密かに走って帰って特訓しているのを皆知っていた。 その際、足に専用の砂袋を巻いているのも、皆知っていることだった。 だからこそ、誰も彼に声を掛けることができない。 普段からは想像できない初めて見る怒りの姿に、皆圧倒されていたのもあるが。 審判の先生さえ圧倒されて、地面に転がったバトンをなかなか拾えなかった。 Yくんは片足を少し引きずりながら、一人どこかへ行ってしまった。
- 627 名前:3/4 mailto:sage [2007/02/11(日) 05:26:27 ]
- 最終競技であり、体育祭最大の目玉でもある学年クラス対抗リレー。
それが始まる直前に、険しい表情のままYくんは戻ってきた。 そして、高校生活最後のリレーが始まった。 二位の状態で、ついにアンカーにバトンが渡された。 Yくんは裸足で一位の選手を追う。 話の腰を折って悪いけど、私は学校行事というものが大嫌いで、 本当は「全学年総合一位」もどうでも良かった。 口では「絶対優勝目指そうね!」とか何とか言っていたが、 「たかが学校行事に、この人達なに熱くなってんの?」と冷め切っていた。 当時の性悪さには我ながら呆れる。 だけど、この時だけは違った。 転んだ時に擦りむいた足で必死に走るYくんを見て、 気付けば声の限りをつくして応援していた。 高得点獲得チャンスの男子リレーで無得点だったため、 「全学年総合一位」の夢はもう断たれていたのだが、 そんなものは関係なく、ただYくんのために応援した。 皆も必死に彼の名前を叫んでいて、初めてクラス一丸というのを感じた。
- 628 名前:4/4 mailto:sage [2007/02/11(日) 05:28:26 ]
- 最終カーブを曲がり、ゴールまでの直線に入る。
皆が見守る中、前走者を追い抜き、見事Yくんがゴールテープを切った。 順位は当然、堂々の一位。 その瞬間、グラウンドに響き渡るほどの歓声があがった。 私達のクラスだけではなく、先ほどのYくんの様子を見た他学年の生徒たちも どうやら見守っていてくれたらしい。 Yくんはクラスの皆に揉みくちゃにされながら、 いつもの困り顔ではなく、本当に嬉しそうに笑った。 結局「全学年総合一位」は駄目だったのだが、素晴らしい思い出を貰った。 過去12年間の学生生活で一度もなかった嬉し涙も流した。 Yくんが今どうしているのか知らないけれど、 私の高校生活最後の思い出に華を添えてくれて、本当にありがとう。 泣ける話じゃなくてごめん。 長文失礼しました。
- 629 名前:大人になった名無しさん [2007/02/11(日) 06:04:38 ]
- 高校最後の夏の全国高校野球大会地方大会のお話。
俺の家庭は小学校時代に親が離婚し母子家庭だった。 でも親父は大の野球好きで小さい頃は毎日のようにキャッチボールをしてくれた。 俺は親父が本心では大好きだった。本当は離婚なんてしてほしくなかった。 だけど親父は遊び人だった為、母に物凄い苦労を掛けていた。そういうところを見てると むかついた。ある日、中1くらいの部活の帰りに、町でぱったりと親父とあった。 親父は「おう○○(←俺の名)!野球頑張ってるみたいじゃねーか」と言ってきた。 が、その日は部活で嫌なことが有りイライラしていていたんだとおもう。 俺は親父に「2度とあんたの顔なんか見たくない」と言い、走って帰った。 それ以来ぱったりと親父を見なくなった。そうあの日までは・・・。 時は過ぎ話は高校生活最後の甲子園を掛けた最後の夏 俺の学校はレベルでいうと5〜10年に一度甲子園に出る程度のレベル 俺はエースで、俺の学校はその年甲子園出場の期待が大きかった。 みんなの期待や重圧が物凄く圧し掛かった。だが頑張って勝ち進み 準々決勝まで勝ち上がった。あと2回勝てば甲子園という所だった。 結果は投手戦で試合は進んだが9回サヨナラ負けだった 皆その瞬間泣きじゃくりしばらく放心状態だった。俺はマウンドから立てなかった でもそのときは涙は我慢していた。それでも監督などが元気をつけてくれて 何とか球場を出れる状態になった。 球場の外には格選手の応援に来てくれたおじちゃんやおばちゃん身内の 人たちでわんさかしていた。俺はエースとして負けた申し訳なさがありさっさと 帰りたかった。その時だった。どこかで見覚えのある顔の親父が俺の名前を呼び 「○○!最高だったぞ!よく頑張ったなお疲れ様」と言った。 そう。それはあれ以来あっていない俺の親父だった。その瞬間我慢していた 涙が漫画みたいにあぶれだした。俺がどこの高校とかも伝えてないのに何でわかった んだろう。ずっと影から見ていてくれてたとおもうと泣けた。 その後何事もなくバスに乗り地元に帰った。それ以来親父には会ってない。
- 630 名前:ペット(家族) [2007/02/11(日) 12:51:17 ]
- ペット愛の話。
俺の実家は、「悲しい」とか「暗い」とかそういう言葉とは、 無縁のかなり明るい家庭だった。あれは俺が高校3年の時、動物好きの母が犬を飼いたいと いいだした。妹は大喜び。俺も内心、新しい家族ができると内心うれしかったが、 クールな兄貴を装い「いいんじゃね」とそっけない感じの返事をした。 ただ唯一、反対とは言わないまでも乗り気ではなかったのが父。今、思えばその理由がわかった 気がする。 数日後、かわいらしい真っ白の子犬が家にやってきた。母と妹は 「名前は何がいいかな?」「子犬だから家の中でいいでしょ?」等、うれしそうに 話していた。 名前は「ゲンタ君」に決まった。
- 631 名前:ペット(家族)2 [2007/02/11(日) 13:00:28 ]
- ゲンタはとても元気がよく起きている間は常に動き続けているような性格だった。
妹はゲンタの写真を撮りまくり部屋中に飾っていた。 母も俺らが学校にいっている間、ゲンタとの散歩を散歩を楽しんでいた。 俺も余の可愛らしさに自分の鼻とゲンタの鼻を誰も見ていないくっつけたりして遊んでいた。 なんだかんだ言っていた父もこっそり大人になった時のゲンタの犬小屋をこしらえていた。 ゲンタは・・・本当の家族だった。 でも、悲しみは突然やってきた。俺のせいで・・・
- 632 名前:ペット(家族)3 [2007/02/11(日) 13:25:59 ]
- あれはゲンタが家族になって1ヵ月が立とうとしていたころ、
俺は車の免許をとる為、教習所に通っていた。家が田舎のため教習所行きのバスに乗るには 車で送ってもらわないといけなかった。(国道から10キロ離れている) いつものように母が「M(俺)、そろそろいくよ」と声をかけてきた。 ふたりそろって玄関で靴を履いていると、ゲンタがシッポをふりながら奥から出てきた。 「ゲンタ君もいっしょにいこうか」と母が言うと、ゲンタをだっこして助手席に載せた。 俺は、後ろに座って可愛らしく助手席に座っているゲンタと、うれしそうに運転する 母を、微笑ましく見ていた。 バス停は反対車線にあったので母はUターンしようとしてたが俺は「いいよ、ここでとめて」と 道路脇に停車させた。 車の後ろはスライド式のドアなので、俺は車がきていることも確認せずに勢いよくドアを 開けた。 助手席に座っていたゲンタが、さっきまでの大人しさが嘘のように車から飛び出した。 その瞬間・・・ ゲンタは後ろから追い越そうと猛スピード来ていた車のタイヤの下敷きになった。
- 633 名前:ペット(家族)4 [2007/02/11(日) 13:46:15 ]
- 本当に一瞬の出来事で何が起きたかわからなかった。ゲンタを引いた車は走り去った。
(たぶん引いた事すらきずいていないだろう) 目の前で無惨な姿になっているゲンタを呆然と見下ろしていた。 『ゲンタ!!」 悲鳴にも似た声で叫ぶ母。 母はあきらかに即死であろうゲンタに「家に帰ろうね」「痛かったね」と 話しかけながら抱き上げると車に乗り走り去った。・・・ 俺は呆然としながらバス停まで歩いてベンチに座った。 座ったとたん涙が溢れてきた。 「俺のせいだ」「俺が車が来ていることを確認しなかったから」 まったく身が入らなかった教習所の帰り道は10キロを歩いて帰った。 家に着くと明らかに悲しみにつつまれた空気がただよっている。ただ父だけが 明らかにムリをしてテレビを見ながら笑っていた。 母は台所にいた。 「ゲンタは・・・?」 と聞くと 「助からなかったよ・・・M、歩いて帰ってきたの?電話くれれば迎えにいったのに」 俺「ごめん」 母「何が・・・?しょうがないよ事故だから、Mのせいじゃない」 俺「妹は?』 母「部屋に閉じこもってる・・・謝ったけど返事はなかったよ」 俺「母さんのせいじゃない。おれが謝ってくる」 俺は妹の部屋の前で立ち止まってノックをした。
- 634 名前:ペット(家族)5 [2007/02/11(日) 14:12:15 ]
- 扉越しに涙声で
妹「何?」 俺「母さんのせいじゃないんだ・・・俺が・・・」 妹「いいよ、誰のせいでもないの解ってる母さんにも謝っといて」 俺「・・・わかった」 その日の夕食、暗い雰囲気を打ち消すように父が 父「いつまでもメソメソするな!!笑ったほうがゲンタも喜ぶ!」 と明るい父らしい言葉で家族を元気づけた。 たぶん、父は遅かれ早かれ先に逝くゲンタへの悲しみが家族を暗くするのをわかっていた のだろう。 10年経った今では元の明るい家族を取り戻している。でもまだ 妹の部屋にはゲンタの写真と物置小屋には使われる事のなかった犬小屋がある。 実家に帰るたびに思い出す俺のセビアな悲しい思い出。
- 635 名前:ペット(家族)お詫び [2007/02/11(日) 14:16:49 ]
- ごめん仕事中に描いたから誤字脱字だらけ。
でも、実話だからゆるしてください。
- 636 名前:大人になった名無しさん [2007/02/11(日) 14:19:26 ]
- >>630-634乙
漏れの家でも犬の死に二度ほど遭遇している 死をもって生きていることの大切さを学べたのでよかったと思う 命あるものは、いつかは死を迎える この事実を体験できたと思う
- 637 名前:ペット(家族)お詫び2 [2007/02/11(日) 14:24:04 ]
- あと変な文章になってるwww
すいません。
- 638 名前:こー [2007/02/11(日) 18:32:42 ]
- 私は当時犬を飼っていた。タロという犬で 幼稚園のときからずっと飼っていて
大切にしていた犬がいた。 そんなある日 私は母と2人で旅行に行って 旅行先の映画館で映画を見て感動して帰ろうとした時 母の携帯が鳴った メールだ。 母は画面を見るなり「はっ・・」と息を呑んでいた 私は気になってそっと画面をのぞいてみた 父からだった 「今日夕方タロが亡くなりました」 寿命だったらしい。 私は頭が真っ白になった。 母は画面を見つめながら涙をこらえていた 私は見なかったふりをして明るく 「じゃあ行こっか」 といって映画館を出た でも
- 639 名前:こー [2007/02/11(日) 18:52:41 ]
- 瞬きをするともう涙があふれそうだった
我慢しながらアイスクリームを食べていた でも母はそんな私に気づいたのか 「どうしたの?」と聞いてきた 私は最初 「なんでもない」と 笑いながら答えたが ついにはこらえきれなくなって 泣いた。 さっき画面を見てしまったことを言おうとしたが 号泣しすぎてうまく話せない 母はすべてを悟ったみたいで 一緒に泣いた。 人がいっぱいいるのに 2人で思いっきり泣いた。 旅行から帰ってきて まっすぐにタロのところに行った。 もう父がお墓に埋めたらしかった。 いつもいるタロの姿はそこにはなく しんと静まり返っていてうちじゃないみたいだ。 タロは大好きな海の砂浜に埋めたんだって。 父と一緒にいつもの海に行った 砂浜の奥の岩のそばに こんもりともりあがった所があった 父は「そこだよ」と言った 私は手を合わせて 泣いた。 何で、何で という思いがあふれでてきた まだ信じられないよ、タロ。 いつもの元気でうるさいタロはどこいったの? 私がいつもタロのところに行ったらうるさいくらいにほえて喜んでたじゃない。 何で私がいないときに逝っちゃったの? 最後の顔くらい見たかったよ、タロ。 でも寿命はいつかくる。しょうがないね。 タロだって、わざと私がいないときを選んだかもしれないんだよね。 最後にいっぱい遊んであげられなくてごめんね。 これからもずっと 私のそばにいてね。 私を守ってね。 私の中でタロは永遠に生き続けてるからね。 タロも私のこと忘れないでね。 さようなら。
- 640 名前:大人になった名無しさん [2007/02/11(日) 20:51:29 ]
- >>630>>638
たかが犬の話でこんなに・・・(つД`)・゚・。
- 641 名前:ごめんな ポチ… [2007/02/11(日) 21:20:06 ]
- 俺が中学の時…
親が、何回も小犬が家に来るので、 親「遠くに置いてきて」 言われて、家から自転車に乗せ、ある公園までいったんだけど… 可哀想で、家の近くまで連れてきてしまった。
- 642 名前:ごめんな ポチ2 [2007/02/11(日) 21:27:13 ]
- 親には、
俺「〇〇公園に置いてきた…」 って言ってご飯を食べたんだけと、すぐにまた犬が戻ってきて 俺「〇〇公園に置いてきたはずなんだけど…」 親「?……おかしいね?犬の面倒みれる?」 俺「か、飼っていいの?」 て嬉しそうに言ってた…
- 643 名前:ごめんな ポチ 3 [2007/02/11(日) 21:32:04 ]
- 兄弟も居たけど、一番喜んでたのは、言うまでもなく…
一年位が過ぎ、運命の朝がやってきた… あまりにも、朝から吠えるので、親が紐から解き、犬は、犬は走りだした…
- 644 名前:ごめんな ポチ 4 [2007/02/11(日) 21:42:54 ]
- ポチは、一番楽しい時間を過ごしていたと思う…
家に戻ってくると、美味しそうに、水を沢山飲んでた… 少したつと、吐きだし、横に倒れた… 全員「ポチ!!」 居てもたってもいれず、駆け寄るが、かなりやばそう。 俺「病気連れていって!」 言ったが、親が、分かったでもそれまで… て言った
- 645 名前:ごめんな ポチ 最終回 [2007/02/11(日) 21:50:11 ]
- とうとう、痙攣をしてしまった!
親「変な物を食べたのかな?」 俺は何とか助けようとしたが…ダメだった… ごめんな、俺がちゃんと、遠くに置いてきてれば…
- 646 名前:大人になった名無しさん [2007/02/12(月) 00:27:15 ]
- 意味がわからなかったのは私だけ?
- 647 名前:大人になった名無しさん [2007/02/12(月) 02:35:01 ]
- 意味が無いんだからしょうがないよ
- 648 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/02/12(月) 05:06:50 ]
- もしあの時、ちゃんと遠くの公園に置いてきたら、
もっといい人に拾われて一年ぽっちで死ぬことは なかったかも、という後悔だとオモ でもね645の家に来られて良かったんじゃないかな。 ノラだと保健所行き、とか、敵に食われて、とか 車にひかれて、ということの方が多いんだもの。 たった一年間でも、優しい人たちに可愛がられて幸せだったと思うよ。 ありがちだが、とりあえず貼っておく www5.ocn.ne.jp/~select/Rainbow.html
- 649 名前:大人になった名無しさん [2007/02/12(月) 20:00:07 ]
- 648さん
返事ありがとうございます 20年位前ですが、本当に後悔してます。 今はもう生き物は飼えなくなりました…
- 650 名前:大人になった名無しさん [2007/02/12(月) 21:40:52 ]
- >>649書き込み乙
私も同じような経験があります。 飼っていた猫が春先にネズミを捕まえてきて、それを食べて口から泡を吹いて死んでしまいました。 ネズミは毒餌を食べて死にかけていたのでした。猫もその毒でやられたのです。 喜んでネズミを捕まえて来たので、ネズミを取り上げることができずに後悔しています。 ペットが死んだ悲しみより、一緒に暮らした楽しかった日々を大切にして欲しいな。 普通は人間の方が長生きをするので、いつかはペットの死に遭遇することになります。 それは、仕方の無いことです。ペットの死を見届けられるのは、私たちが長く生きた証なのですから。
- 651 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/02/13(火) 02:08:07 ]
- >>649
648です。私は今まで何匹もの動物たちと暮らしました。 そしてその数だけ別れを経験しました。 飼い方が未熟で知識が無くて、今なら助けてやれたのに、 その頃の自分が助けてやれなかった子たちも たくさんいます。その子達のことを思うと申し訳なさでて 一杯になります。
今飼っている子たちも、私の身に余程のことがない限り 私より先に死にます。その事を思うとたまらなくなります。 でも私はこの子たちと共に暮らしている今の日々を 生涯の思い出として持ち続けるでしょう。 もちろん去っていった子たちのことも同じように 生涯持ち続ける大切な記憶です。
辛い記憶も楽しい記憶も、私が生涯持っていくことのできる 大切な財産だと思っています。
- 652 名前:北斗と南斗交わる時 [2007/02/13(火) 05:30:53 ]
- 自分が生まれて物心ついた時から一緒に育った犬・・・
雑種だったが、真っ白でかわいかった。 自分が小さい頃、悪ガキで小便かけたりひどいこともした、 そのせいか、小さい頃はあまりなついてくれなかった。 家の犬は変な性格で、知らない人が来たら居なくなっても10分ぐらいずっと吠えてたり、 車が通ると、すごい興奮してものすごい暴れながら吠える。 そのせいで、壁に特攻して飛び出た釘に鼻がジャストミートして血が噴き出した事もあった。 滅多に散歩行かなかったけど、そのたまに行く散歩のときはものすごい力で引っ張って、 見事鎖が手から抜け出したこともあったな・・・。 俺も大きくなって、小さな頃みたいに嫌がらせとかしなくなって、すごくなつく様になってくれた。 仕事に行く時、帰って来た時、尻尾を振ってこっちにずっと遊んでくれと言わんばかりに アピールして来た。それで、俺は1,2回撫でて、仕事行ったり、家に入っていった。 俺が21歳の時、夜中家の犬が変な声出して泣く様になった。 心配で見に行くと、横になりながら手足をばたばたさせてもがいている。 恐らく立てなくて、辛かったんだと思う。 飯も前ほどの食欲が無いし、散歩に連れてっても、前みたいに引っ張って歩かないし、 車が来てもさほど吠えなくなった。 俺と親は、「まぁ、19年も生きてるから、そろそろ寿命だな」と頭では割り切ってた。 それに、夜あの泣き声聞いて、あの姿見ると、正直楽にしてあげた方が幸せなのかもと思った。 そして、数日後仕事から帰って来たら、死んだと聞かされた。 俺は「まぁ、犬で19年も生きたんだからすごく長生きしたな。」と言った。 そしたら、家の親父が「いや〜・・・俺も分かってたんだけど、涙でちゃったな〜」 以外だった、家の親父はぶっきらぼうで、泣くとかそんな男じゃなかったから・・・。 そうこう話して、自分の部屋に入った俺も、泣いてしまった。(我慢してたんだけど) 今まで、散歩に滅多に連れて行かなくてごめん。 小さい時、ふざけていじめてごめん。 もうちょっと、かまってあげなくてごめん。 19年間、家を守ってくれてありがとう。 ずっと鎖つながれた範囲の中で飼い主以外の人間は吠えて、車にも吠えて。 ずっとその狭い範囲の中で番犬としての役目を毎日毎日やってくれたね。 毎日、同じ場所で退屈で苦痛だっただろう?ごめんな、ダメ飼い主で。 そんなダメ飼い主に文句も言わずけなげに役目をやってたお前は、立派な番犬だった。 ありがとう。 親と俺は、話会ってもうペットは買わないことにした。 正直、お前の死は家族みんな辛すぎた。 それに、家の番犬はお前だけだから。
- 653 名前:大人になった名無しさん [2007/02/13(火) 09:45:24 ]
- 日本語でオケ
- 654 名前:大人になった名無しさん [2007/02/13(火) 14:20:17 ]
- うちにもコロという名前の雑種の犬がいました。
長い白と茶の毛がふわふわしてる犬でした。 私が学生の頃、学校から帰ってくる時間になると毎日、 通学路が見える場所に座って遠くから歩いて来る私を待っていてくれる利口な犬でした。 それから10年程たち、家族は引っ越さなければならなくなりました。 それは庭の狭い小さな家でしたが、もちろんコロも一緒です。 しかし遊ぶ庭が無く、17才という年令もあって 引っ越してから間もなくして、コロは足腰が弱り歩けなくなってしまいました。 しだいに目も白内障になり、耳も遠くなりました。 そして人間の認知症と同じでしょうか、朝晩の区別がつかず夜中に大声で吠えるようになりました。 狭い住宅地では苦情が来た事も一度や二度ではありませんでした。 しかし外でしか生活した事のない犬を狭い借家に上げるわけにもいかず、どうする事も出来ませんでした。 それから半年後の寒い冬の日、コロはひっそりと息を引き取りました。 18才の誕生日目前でした。いろんな気持ちが入り交じって、涙が止まりませんでした。 翌日焼き場に行きお焼香をし、最後のお別れをして火葬の厚いドアが閉められた時、目に浮かんだのは、帰りを待っていてくれたあの姿。 待ち遠しくソワソワし、一点を見つめていたあの姿。急ぎ足で帰った通学路。 コロ本当に心からありがとう。安らかに。
- 655 名前:大人になった名無しさん [2007/02/13(火) 22:45:10 ]
- >>654
全米が泣いた
- 656 名前:大人になった名無しさん [2007/02/13(火) 22:59:24 ]
- >>654
泣いた
- 657 名前:大人になった名無しさん [2007/02/14(水) 03:35:41 ]
- 友達の娘が今年小学校に上がる。
それで友達から入学準備の話を聞いていたら自分が小学校に上がった時のことを思い出した。 真っ赤なランドセルは、父方のおばあちゃんが買ってくれました。 子供だったからランドセルってだけで嬉しくて価値なんかわからなかったけど あとで親に聞いたら本牛革を使って職人が1つ1つ手作りした 10万強の高級なものだったらしい。 私は2才下の妹よりも背が低く、体も小さかったので ランドセルを背負って見せた時には、いつもは大人しく物静かなおばあちゃんが 「ランドセルが歩いてるみたいだよ〜カバン負けしちまうよ〜かわいいねぇ」 と、いつになくはしゃいで嬉しそうに笑っていたのが印象的だった。 中学の制服もおばあちゃんが一緒に行って買ってくれた。 サイズ合わせで試着してみるとおばあちゃんは本当にうれしそうだった。 高校の入学式の日には、おばあちゃんが早朝から用意していたらしく 家に炊きたてのお赤飯が届いた、すごくうれしかった。 専門学校に進学した時も、トリマー(犬の美容)の学校なのに 叔父さんが「ばーさんの髪も切ってやってくれよw」と言うと おばあちゃんは「バカ!犬の床屋さんなんだよ〜」 叔父さん「あぁ〜そうかぁw」と一緒に笑っていた。 思い出すのはおばあちゃんの笑顔。 今度、友達と子供と遊ぶんだけど、自分が小学校に上がる時のことを思い出して泣いちゃいそうだ(´・ω・`)
- 658 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/02/14(水) 16:06:02 ]
- 追いかけ続けた夢
30年かかったよね。14の時に吉田拓郎の歌を聞いてぶっ飛んで、「俺もシンガーソングライターになるんだ」って 心密かに思い出してから30年やっとデビューにこぎつけたよね。 長かった。本当に長かった。途中色んな回り道をしたけど、底辺にはいっつも歌があった。 だから生きてこれたといっても過言ではない。 小学校二年生の時に、物心ついた時からの(生まれつきかな?)慢性の中耳炎で水泳が出来ない僕の為に両親がギターを買ってくれた。 子供用の小さなものだった。右用を弦を張り替えて左で弾いていた。そのときにちゃんと習っておけばよかったんだけど、 自己流で適当に歌謡曲なんかを弾いていた。今思うとクラッシックをきっちり習っておけばよかったと思う。 中学に入ってから通信教育でフォークギターの勉強をする。今は無き「エレック」だ。それである程度のフォークの基礎は学んだ。 ステレオを買ってもらい、たまたま初めて買ったLPが姉の影響でサイモンとガーファンクルだった。感動した。何度も何度も聞いた。 そのあといよいよビートルズの洗礼を受けた。もう感動のしまくり、世界にはこんな音楽があるんだってもう感動の嵐だった。 どの曲を聴いてもいい。特に俺は左利きだったので、ポールの影響をモロにうける。 そして中学2年の夏、同級生が吉田拓郎のテープを持ってきてくれた。拓郎のことは「結婚しようよ」なんかでしっていた。 そのテープに入っていたのが「おきざりにした悲しみは」だったのである。イントロを聞いてぶっ飛んだ。すごいの一言だった。 「俺も拓郎のようになる」って心に誓った。 高校に入ってビートルズ好きが集まってバンドを組んだ。もちろん俺はポール気取りだったので迷わずベースだった。 文化祭なんかでよくやった。ベースを弾きながらの「オールマイラビング」本当に好きだった。今も当時の左用のベースが残っている。 今、どんな音がするのか一度聞いてみたい。津の楽器屋さんにたまたま左用のベースがあったんだよね。今となっては貴重な一本である。 大学に入って何故か空手に興味を持ち空手部に入部する。 しかしその流派はいわゆる寸止めで実際に身体に当てたら反則というルールだった。 これじゃあ強くなれないっていうんで、退部して京都市内の空手の道場を探していたら、 高校時代から憧れていた極真会館の芦原道場があった。 けんか十段芦原秀幸である。憧れの人だった。ためらわずに入門する。それからは空手、空手の日々である。 でも、そんな中でも歌は作っていた。そして、いよいよ昇段審査が近づいたある日、 俺がリーダーでやっていた大学の拳友会のコンパの2次会で初めてディスコなるところへ後輩達と行った。 そこである女性と運命的な出会いをした。そのディスコでいわゆるナンパした女性と毎日会うようになり関係を深めていった。 空手の練習なんてどっかへ飛んじゃった。そして結局昇段審査を目の前にして空手を捨てた。女と空手で女を取ったのである。 純粋だった。今考えると十分両立は出来たと思う。でも、当時は両立は考えられなかった。でも、その女性とも結局別れることになった。 普通ならそこでもう一度空手に戻るところなのであろうが、空手に対する張り詰めた糸のようなものが切れてしまっていたために、 空手の修行の日々に戻ることは難しかった。結局最後は歌しかなかった。歌は作り続けていた。 学校を出てからいろんなバイトをした。正社員もしくはサラリーマンには絶対にならないって心に決めていた。縛られたくなかったから。 いざ歌のほうでゴーサインが出た時にすぐに対応が出来る体制をとっていた。だから生活は苦しかった。金銭的には本当に苦労した。 欲しいものも買えずに悔しい思いもした。でも、歌のためだって思ったら我慢できた。 でも、そういう苦しさのなかから出来た歌がほとんどだ。普通にサラリーマンをやっていたら絶対に出来なかった歌が出来た。 2002年9月25日。CD全国発売開始、本当のスタートはこれからだ。持っているものを100%出して思いっきり歌うだけだ。 今となってはそれが俺に出来る唯一のことだからね。
- 659 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/02/14(水) 16:45:49 ]
- 山の頂上で邪悪な気配がする
王さまに命じられて、頂上へ探索に行くことになった勇者(主人公) 城門に行くと、王さまが呼び寄せた6人のお供 戦士、僧侶、魔法使い、盗賊、狩人・・・一人足りない 次の町の宿で待っているとの事 勇者はこの中から3人選び次の町に進むことにした(あとの2人は別行動) ここで組んだパーティによって、この後のシナリオが変わったり、 次の町で待っているもうひとりのキャラが変わる。 流れとしては スタート→ダンジョン→町(休憩所)→ダンジョン→休憩所→ダンジョン・・・休憩所→山の頂上 休憩所でシナリオに沿ったイベントが起きたり、パーティの入れ替えができる
- 660 名前:大人になった名無しさん [2007/02/14(水) 22:31:04 ]
- アゲ
- 661 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/02/17(土) 17:18:35 ]
- 俺は阪神大震災で彼女を奪われた。
付き合い始めた頃の俺は社会人で、彼女は高校を卒業し、 神戸の大学に進学が決まり地元を離れることになった。 付き合っても直ぐに遠距離恋愛になってしまったが、 彼女が長期休校の時はいつも地元に戻ってきてくれたので 普段会えない分を補うくらい、いつも会うようにしていた。 そんな付き合いも2年程続いたが、ある日突然彼女から別れを告げられた。 地震が起こる1ヶ月前のことだった。理由は、遠距離であるために、寂しかったことが原因だった。 色々話し合い二人とも納得して別れたが、それからも、お互い電話をかけたりして続いていた。 地震が起こる1週間前に彼女から復縁したいと電話があり、俺もやり直すことにした。 すると彼女が連休に俺に会いにくると言い出したので、 「もう直ぐ大学が冬休みに入るからわざわざ帰らなくても」と言うと、 「もう会えなくなってしまうかも」と言ったので、俺も連休は暇だし、一緒に過ごすことにした。 2日間一緒に過ごし、大学の試験が近いので友達と勉強する約束をしてた彼女は、 別れ際「帰りたくない」と言っていた。俺は「約束は守らないと」と言って 彼女を最終の新幹線で神戸に送り出したのが最後の姿だった。あの時、引き止めておけば。 翌朝、地震の振動で目が覚めた。しばらくするとテレビで地震のことをやっていた。 彼女のところへ電話をしても繋がらない。だんだん不安になり、方々に連絡を取ってみたが 彼女の安否が分からない。彼女の実家にも連絡が無い。神戸に行きたくても入れない。 生きていることを祈りながら、連絡を待った。が、だめっだった。 彼女の下宿先は全壊し、下敷きになって発見された。うつ伏せで寝ていたのだろう、 天井の大梁が後頭部へ直撃だった。即死だそうだ。 俺が地震で目が覚めたときには、彼女は天国に行ってしまったことになる。 彼女の亡骸が地元に帰ってきたので会いに行った。眠っているようだった。 幸い、火災にもあわず、とてもきれいだった。 彼女の母親から遺留品の中に俺宛の手紙があったので受け取った。 俺が見送ったあの日、下宿に戻った彼女が最後に書いた手紙。 再会を喜び、これからの2人のこと前向きに綴った手紙。 やりきれない思いが俺の中を駆け巡った。 彼女に出会わなければ、こんなにつらい思いはしなかったかも知れない。 彼女に会えたおかげで、これからもがんばれると今は思っている。
- 662 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/02/24(土) 14:17:15 ]
- 定期点検
- 663 名前:いまさらだけど [2007/02/26(月) 11:56:07 ]
- 私の家は田舎なので、昔は飼い犬を散歩させる以外に鎖を外して自由に遊ばせてあげたりしていました。
その当時飼っていた犬が元気がないので、久しぶりに鎖を外して自由にさせてあげたのですが、普通1時間くらいで戻ってくるのにその日は戻ってきませんでした。 その犬は翌日近くの栗林で冷たくなっていました。自分が死ぬところを飼い主に見せたくなかったんでしょうか。 その後しばらくたって、小学校1年生の娘が犬が欲しいと言い出して、近くの動物愛護センターから豆柴の雑種らしき子犬をもらってきました。 メスなので、避妊手術することもかわいそうなので、散歩する以外は犬小屋の鎖につないでおきました。 誰にでも良くなついてしまうため番犬としては不向きでしたが、ちっちゃくて、頭が良くて、その上美人(犬)でした。 写真もたくさん撮りました。娘・息子・家族全員。車に乗せてドライブも。 ある日、性器のから血が出始めて自分でなめるようなことをやり始めたのですが、生理だと思って特に気にしていませんでした。 しばらくして、あまりにも長く血が出ているので動物病院に連れて行ったところ癌だと言われました。 もう手遅れで、手術もできない状態でした。 日に日に体力が落ちて歩き回ることもなくなり、性器が破裂したようになり、ただれて血というか汁というかひどい状況になってしまい、見るに堪えない状況になってしまいました。 それでも私たちが行くと賢明にしっぽを振り、差しだした手をなめようとするのです。 ある夜、子供が寝た後夫婦で話し合って安楽死させることを決めました。 次の日、子供たちが学校に行っているうちに、獣医の手により筋弛緩剤が注射されチビは静かに目を閉じました。 裏のお墓の片隅に埋葬し、学校から帰ってきた子供たちには、鎖を解いてやったらまだ帰ってこないといっておきました。 その後も何で帰ってこないのと娘が心配していたのですが、「メスだから彼氏ができて住み着いてしまったんじゃないの」なんて適当なことを言ったり。 もう3年もたちますが、チビは幸せに死んでいったのでしょうか。時々チビが静かに目を閉じていくところを思い出します。 私たちは良い飼い主では無かったでしょうね。痛かったでしょうね。辛かったでしょうね。でも、許してくれますか。私たち馬鹿な飼い主のことを。
- 664 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/02/26(月) 15:51:21 ]
- 両親へ
もう俺が原因の喧嘩はやめてくれよ二人ともよぉ! 施設に戻ってやるから、おまえら仲良くやれや
- 665 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/02/28(水) 10:57:32 ]
- 年寄りの犬が吠えるのは目と耳が悪くなって寂しくて怖くてで鳴いてるって聞いた
- 666 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/02/28(水) 18:09:13 ]
- 俺が中1だったころの話。
T=俺 K=親友(クラス違う) JとN=クラスメイト(まあまあ仲いい) ある日、体育でバスケをやっていた。Jは、バスケで足をケガしてしまい、立つのもやっとというかんじだった。 その日は、みんな「大丈夫?」などといってJのことを心配していたが、次の日からはみんなそのことを忘れていた。 俺も、あまりJのことを心配していなかったから、Jは足をケガしていることなんて忘れていた。 数日後、教室の端のほうで下をむいて突っ立っているJがいたから、俺は 「なーにボーっとしてんだよ!!」と、冗談で軽くJを突き飛ばした。 すると、Jの足はまだ完治していなかったため、Jはその場でくずれおち、近くにあった机で頭を打った。 Jは「いてえ」としか言わなかったから、頭にケガはしていないだろうと思ったが、よく見ると、Jの頭から血が流れていたのが分かった。 俺が、ヤバイと思ったころには、近くにいた担任が気づいていて、そばにいた。 担任が「どうした?」と言ったら、Jは「Tが……いきなり押し倒した!!!」とクラス中に聞こえるくらい大きな声で言った。 その後、Jの頭から、血が止まらなかったためJは病院へいった。 俺は、担任、副担任、学年主任、教頭の4人から廊下でひどく怒られた。 給食前、先生たちの説教はやっと終わり俺は教室にむかった。そのとき俺は、下をむいて、しょんぼりしていた。 いつも、俺が先生に怒られて教室にもどると、クラスメイトたちは 「何怒られてるの〜バッカじゃ〜ん」とか「どんまいどんまい」などといって励ましてくれるのだが、その日は違った。 Jは結構クラスで人気が高かったためか、俺が教室に入ってくるなりクラス中の奴ににらまれた。 遠くのほうで、「T最低じゃん」という女子の声も聞こえた。俺はそれは気にしなかったが、 一番ズキンときたのは友達だと思ってたNの「T最悪!もしJが死んだらアイツ殺人犯だな!」の一言だった。 俺は、大好きな給食を一口も食べなかった。というか、食べれなかった。 給食が終わって昼休み。俺はいつも、JやNとその友達、俺の親友のKと運動場でサッカーをしていた。 NかJが、「T〜サッカーしようぜ」と誘ってくれるのがとても嬉しかったが、その日は誰も誘ってくれなかった。 俺は教室の隅にぽつんと1人立っていた。教室内には、俺と数人の女子しかいない。 ふと運動場をみると、Nたちが楽しそうにサッカーをしていた。そこに、Kも入ってきた。 「ああ、きっとNは俺の悪口をいっているんだろう。どうせKも、Nたちの仲間なんだな。」俺はそう思って、運動場を見るのをやめた。 こんなに寂しい昼休みはなかった。俺はただ、教室のすみっこで1人立っていた。 いったん終了。
- 667 名前:大人になった名無しさん [2007/02/28(水) 18:10:19 ]
- 続き。
すると、俺の教室にサッカーボールを持ったKが入ってきた。Kは、俺が怒られたことを知らない。 Kは持っていたサッカーボールをわざとらしく俺のほうにころがし、「T!とってとって」と言った。でも俺はそんな気分じゃなかったから、 とりもせず、口を開きもせず、ただ下をむいて立っていた。ふと顔をあげるとKと目があったから、俺は思わず目をそらし、Kに背中をむけた。 俺は、怒られたりしたときに、全く関係のない奴に「なんかあったの?」とかしつこく聞かれるのが一番キライだった。 Kはそれを知っていたのか、何も俺に聞かなかった。 そして、Kは持っていたサッカーボールを俺の背中にぶつけて、「ねーあそぼー!」と言った。 俺はとても嬉しかったが、素直に自分の気持ちを言うことができず、「Nたちと一緒にサッカーやってこれば?」と言ってしまった。 しかしKは、「あそぼーよー。2人でサッカーしよ!!」と言った。俺は何も言わなかった。 それからKはずっと俺の背中にサッカーボールをぶつけて「あそぼー」っと言ってきた。 俺は何も言わず、あふれてきそうな涙を必死に我慢していた。
- 668 名前:大人になった名無しさん [2007/02/28(水) 22:45:43 ]
- >>663
安楽死は難しいですよね。 苦しんでいる姿を見れば早く楽にしてあげたいと思うし それでも懸命に生きようとしている命の火を吹き消してしまうのは残酷にも思えるし。 その子を本当に愛していて出した答えなら間違ってはいないと思うし、チビも幸せだったのだと思います。
- 669 名前:大人になった名無しさん [2007/03/01(木) 16:36:18 ]
- 6年生の頃だった
体も声も大きな幹也君は、頭がよく 曲がった事が大嫌い 流石に学級委員だけの事はあるが、少々お人よし…つまり単細胞だった 一方、すなお君は…直ですなおと呼んだような気もするが…まあいいや、そんな事 事の発端は すなおが幹也の単細胞ぶりに気がついたことから始まった 当時透明ボンドを手のひらに出して乾かすと大人のパックみたいにペローンと はがれるのが おもしろくて流行った そのうち すなおが空気を混ぜて透明ボンドを手のひらで作ると 唾みたいに見える事を発見した 続く
- 670 名前:大人になった名無しさん [2007/03/01(木) 17:05:47 ]
- 続き
早速 すなおは、いそいそと制作にかかった なるほど上手い でも今更そんな事して…誰もが思って見てた すなおは、唾に見える空気入り透明ボンドをおもむろに幹也の机の上に 置いた 幹也が来た (すなお)幹也くーんごめんよー (幹也) なんだよー?と警戒しつつ例の大声で… (すなお)幹也君の机の上に唾はいちゃったんだ (幹也) えーーっ!!… ほんとだ きったねーなー おまえ拭けよなー (すなお)幹也君 自分の雑巾で拭いて (幹也) なんだよー あったま来るなー…なんでオレがこんな事 しなくちゃなんねーんだよー… ブツブツいいながら幹也は雑巾で拭いた 唾は ポロッとそのまま落ちた もう我慢の限界である みんな吹き出した すなおが涼しい顔でネタばらしを始めた このあとは 針金みたいな すなおが 幹也くん ごめんよー と、くりかえしながら逃げた 顔をまっかにしながら てめー 待てよこらー と、追いかける幹也 幹也くんに追われてちょっと嬉しそうな すなおだった
- 671 名前:大人になった名無しさん [2007/03/01(木) 17:31:12 ]
- また ほとぼりのさめたころ
朝早く すなおが上機嫌で登校してきた 当時めずらしかった食品サンプルだった 本物そっくりなウインナーパンだった 珍しくて へえーなんて感心しながらみんなの手を一周した また 遅刻ギリギリで幹也が来た あわてて それ は、しまわれた 放課後幹也が あー腹減ったなー と、大きな声で言った すなおは おもむろに例のものを出した 幹也くん食べる? たじろぐ幹也に すなおは平然と言い放った 幹也くんの為に持ってきたんだよ まずいんじゃねー? こんなもん持ってきたら、先生におこられるんじゃねー? じゃいらないの? すなおがもうひと押しした んじゃ いいか まあ おまえの善意だし…じゃ遠慮なく… ん? 固いなー うん 昨日買ったからね 硬くなってたかも…ごめんね いや…いいんだよ こういうのは気持ちだからなー ガブッ・・・??? すなお…? それ おもちゃだよ たべられないんだよ てめー すなおー オマエ名前ばっかりすなおだけど ちっともすなおじゃねーんだよー 誤りながらもニヤニヤして逃げるすなお 赤鬼の形相で追いかける幹也 最後にはボコボコにされながらも幸せそうなすなお いつもの教室の景色だった
- 672 名前:大人になった名無しさん [2007/03/02(金) 01:50:13 ]
-
僕と彼女は小学校から中学まで一緒だった。 僕は小学校から彼女の事が好きだった。 いつも軽口を言い合い、彼女といると楽しかった。 中学二年生ぐらいに何度か告白しようとした。 でもいつも勇気が出なくて言えなかった。この関係を失いたくなかったから しかし中学卒業の時に僕は彼女に呼び出された。 そして僕は彼女に告白された。 まさに奇跡だと思った。僕は嬉しくて飛び上がりそうになったけど、付き合う事は出来ないと答えた。何故なら僕は美容師になるために大阪の職業訓練校に行く事になっていたからだ。 彼女はそれでもいいと言った。僕は髪が切れる様になったらこの街に帰って来て君の髪を切ると約束した。 彼女はそれまで待ってますと微笑んだ。 それから四年間、僕と彼女は連絡を取り合い続け、他愛もない話、辛かった話、失敗した話。電話や手紙でやり取りを繰り返した。 僕はどんどん彼女を深く好きになって、早く逢いたいと必死に練習した。 そしてとうとう故郷、彼女の居る街に帰る日が後半年に迫ったある日、一本の電話が僕宛に入った。 それは彼女が危篤で有ると言う電話だった。 その日の内に僕は休みをとり、飛行機に乗って彼女の元へ向かった。(なんでこんな事に、生きてくれ)初めて神様に祈る様な気持ちだった。 病院に着いた時、 入り口で彼女の母親が迎えてくれた。 そこで僕は彼女が死んだ事を知った。間に合わなかった。崩れ落ちそうに地面が揺れた様な気がした。 白血病だったらしい。半年前から発病したのだと言った。 僕に心配かけまいと黙っていたらしい。 僕は涙とショックを堪えて歩くのがやっとでまるででも何故か現実感がなかった。 霊安室の扉を開くと、ベットの上に綺麗に横たわる彼女が居た。 久しぶりに近くで見た彼女の髪の毛は薬の副作用で髪が所々しか生えて居なかった。 思わず彼女の頭を撫でた時に、彼女の母親は彼女は毎朝僕に切って貰うのだと言っては微笑んで、みっともなくてもずっと剃らなかったと教えてくれた。 僕は鞄からハサミを取り出して1番太い髪の束を取り出して半分切った。 隻を切ったみたいに堪え切れない涙が零れた。 後から後から溢れて来る涙を抑え切る事が出来なくて大声で泣いた。 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった。息が詰まって頭がぼーっとして指先が痺れた。 こんなに待っててくれたのに僕は何もしてやれなかった。気付いてさえあげられなかった。 悔しさと寂しさ自分へのいかり。いろんな涙が出た。 そしてあの日言えなかった。君が好きって言葉を言った。 鳴咽でよく聞こえなかったかも知れないけど。 ずっと好きだったんだって。 今は愛してるって。 たくさん言った。 あれから僕はずっと一人ぼっちでいる。 だって彼女より愛せる人なんて何処探したっていやしないから。 なんかみっともなくて情けないな俺。
- 673 名前:大人になった名無しさん [2007/03/02(金) 01:51:24 ]
- 僕と彼女は小学校から中学まで一緒だった。
僕は小学校から彼女の事が好きだった。 いつも軽口を言い合い、彼女といると楽しかった。 中学二年生ぐらいに何度か告白しようとした。 でもいつも勇気が出なくて言えなかった。この関係を失いたくなかったから しかし中学卒業の時に僕は彼女に呼び出された。 そして僕は彼女に告白された。 まさに奇跡だと思った。僕は嬉しくて飛び上がりそうになったけど、付き合う事は出来ないと答えた。何故なら僕は美容師になるために大阪の職業訓練校に行く事になっていたからだ。 彼女はそれでもいいと言った。僕は髪が切れる様になったらこの街に帰って来て君の髪を切ると約束した。 彼女はそれまで待ってますと微笑んだ。 それから四年間、僕と彼女は連絡を取り合い続け、他愛もない話、辛かった話、失敗した話。電話や手紙でやり取りを繰り返した。 僕はどんどん彼女を深く好きになって、早く逢いたいと必死に練習した。 そしてとうとう故郷、彼女の居る街に帰る日が後半年に迫ったある日、一本の電話が僕宛に入った。 それは彼女が危篤で有ると言う電話だった。 その日の内に僕は休みをとり、飛行機に乗って彼女の元へ向かった。(なんでこんな事に、生きてくれ)初めて神様に祈る様な気持ちだった。 病院に着いた時、 入り口で彼女の母親が迎えてくれた。 そこで僕は彼女が死んだ事を知った。間に合わなかった。崩れ落ちそうに地面が揺れた様な気がした。 白血病だったらしい。半年前から発病したのだと言った。 僕に心配かけまいと黙っていたらしい。 僕は涙とショックを堪えて歩くのがやっとでまるででも何故か現実感がなかった。 霊安室の扉を開くと、ベットの上に綺麗に横たわる彼女が居た。 久しぶりに近くで見た彼女の髪の毛は薬の副作用で髪が所々しか生えて居なかった。 思わず彼女の頭を撫でた時に、彼女の母親は彼女は毎朝僕に切って貰うのだと言っては微笑んで、みっともなくてもずっと剃らなかったと教えてくれた。 僕は鞄からハサミを取り出して1番太い髪の束を取り出して半分切った。 隻を切ったみたいに堪え切れない涙が零れた。 後から後から溢れて来る涙を抑え切る事が出来なくて大声で泣いた。 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった。息が詰まって頭がぼーっとして指先が痺れた。 こんなに待っててくれたのに僕は何もしてやれなかった。気付いてさえあげられなかった。 悔しさと寂しさ自分へのいかり。いろんな涙が出た。 そしてあの日言えなかった。君が好きって言葉を言った。 鳴咽でよく聞こえなかったかも知れないけど。 ずっと好きだったんだって。 今は愛してるって。 たくさん言った。 あれから僕はずっと一人ぼっちでいる。 だって彼女より愛せる人なんて何処探したっていやしないから。 なんかみっともなくて情けないな俺。
- 674 名前:大人になった名無しさん [2007/03/02(金) 01:55:28 ]
- 二重で更にダメっぷり発揮スマソ。
- 675 名前:大人になった名無しさん [2007/03/03(土) 22:53:19 ]
- 674は、ダメじゃないさ
充分いいヤツだよ 死なれると生き残った方はつらいよな 相手はきれいな思い出だけ残して 自分はどんどん年を取る 生きていくと醜いこともたくさんあるけどそれが生きることだと思う もしかして・・いや絶対彼女が生き続けていたら、醜い言い合いや修羅場も あっただろう それが生きる事だから 前向きに生きれ
- 676 名前:大人になった名無しさん [2007/03/04(日) 00:56:36 ]
- >>674 つらい経験しましたね。忘れる事は出来ないかもしれないが、乗り越える事は出来る。
軽々しく言うつもりは、 ないが、頑張ってね >>675 あなたのレス読んだ、こっちまで励まされ た気になりました。 まだ、世の中棄てたもんじゃないわ オレも頑張る!
- 677 名前:大人になった名無しさん [2007/03/05(月) 13:55:27 ]
- 子供の頃、夏休みになる度に母方のばあちゃんちに遊びに行ってた。
ばあちゃんちは、車で2時間くらいの山の中の集落。 じいちゃんはとっくに死んでて、一人暮らし。近くにおばちゃん夫婦が住んでて面倒見てた。 俺が遊びに行く度に、ばあちゃんは喜んでくれて、あれこれご馳走してくれた。 俺専用のおもちゃ箱が置いてあり、プラスチックの野球セットとか虫かごとかが入ってた。 「すぐ遊べるようにおもちゃ洗っといたよ〜」ばあちゃんはニコニコしながら言ってた。 すぐ裏手が山だったので、カブトムシなんかもたくさんいて、ばあちゃんちは結構お気に入りの場所だった。 でも、それも小学校高学年まで。 学校の友達と遊んでたほうが楽しいし、まして中学に入れば部活もあったし、 自然とばあちゃんち訪問は夏休みの行事から消えていった。 最後に入ったのは小5のときだったと思う。 そんなのが寂しかったのか、夏休みが近くなる度にばあちゃんから電話が掛かってきてた。 母親から「たまに顔見せて来いって」とも言われてた。 その度に「う〜ん」と生返事をし、やり過ごしていた。少しわずらわしくもあった。 毎年、そんな感じで中学、高校の夏休みを過ごし、おれは大学生になっていた。
- 678 名前:大人になった名無しさん [2007/03/05(月) 14:25:17 ]
- >>677の続き
大学3年の夏休み。8月になったばかりの昼頃。 だらだら寝てた俺は、母親から叩き起こされた。ばあちゃんが亡くなった。 その日、おばちゃんがばあちゃんちを訪ねたところ、台所で倒れていたらしい。 なくなったのは前日の夜。くも膜下出血との事。 ばあちゃんの遺体が夕方病院から戻るとの事で、母親と妹の3人でばあちゃんちに向かう。 車は俺が運転した。なんか、現実感がない。ぼーっとしている。 母親は助手席で黙りこくっている。妹は後ろで泣いていた。 夕方頃、ばあちゃんちに着いて遺体と対面する。 10年ぶりくらいの対面。でも、ばあちゃんは冷たくて、白くて、小さい。 泣き出す母親と妹の横で俺はやっぱりぼーっとしてる。頭に靄がかかった感じ。 涙は出てこない。(おれって冷たいのかな?)そんなことを思ったりしてた。
- 679 名前:大人になった名無しさん [2007/03/05(月) 14:59:16 ]
- >>678の続き 連投ごめん
なんとなく居たたまれなくなって、庭に出てみる。 庭の隅にある、ばあちゃんの納屋。子供の頃、よくここで遊んで怒られた。 中に入ってみると、いろんなものが置いてある。 全部、埃まみれ。この埃の匂いは子供の頃と変わらない。 足元に俺のおもちゃ箱を見つける。 プラスチックのバット、ボール、虫かご、ミニカー・・・ 「?」・・・次の瞬間気付いた。 これ、ひとつも埃が付いてない! 慌てて、箱を抱えておばちゃんのところへ駆け出す。 「おばちゃん、これ・・・?」 おばちゃんは最初怪訝な顔をしてたけど、俺の聞きたいことに気付いて 「それねぇ、ばあちゃんが毎年、夏になると洗ってたのよ。 Mちゃん(俺)がいつ来ても遊べるようにって・・・。 もう、そんな年じゃないよって言ったんだけど、きかないのよねぇ。」 おばちゃんは泣いたような、笑ったような顔だった。 初めて泣いた。 もう、箱を抱えて、座り込んで大声で泣いた。 10年もばあちゃんは俺を待ってた。 俺のおもちゃを洗いながらずっと待ってたのに 「遊びにおいで」何十回もばあちゃんは言ってたのに。 なんでこんなに人は人のことをこんなに想い続けられるんだろう? そして俺は、そんな想いを、こんな風に形にして目の前に出してもらわないと分からない。 自分が本当にくだらなくて、愚かな人間に思えた。 ばあちゃん、ごめんなさい。 いつでも会えるんだから、と後回しにしてた。 ばあちゃんがいることが当たり前だと思ってた。 それが、ずっと続くことが当たり前だと思ってた。 ばあちゃん、ほんとにごめんなさい。
- 680 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/03/05(月) 17:47:00 ]
- 俺も祖母孝行しないとな・・・
- 681 名前:大人になった名無しさん [2007/03/05(月) 18:59:08 ]
- >>675>>676
ちゃんと読んでくれてありがとう。 すぐに前向きにはなれないが、しっかり今出来る人生を生きる事が彼女への償い?って言うとおかしいけど、そんな気持ちです。 スゲー嬉しかった。ありがとう
- 682 名前:大人になった名無しさん [2007/03/05(月) 20:59:01 ]
- >>681
のような椰子が家庭を持つべきである あせらず探せ きっと神様がぴったりな伴侶を用意してくれているはず なぜならここに祈ってる675がついているから 彼女できたら知らせろよ みんなで一緒に祝おうな(^Д^)
- 683 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/03/05(月) 21:04:59 ]
- 同棲を始めて間もない夏の日、仕事中の彼氏から電話が。
大はしゃぎで「猫飼うぞ!」。 仕事場の人が子猫を拾って、それを私達が飼うことになったんです。 大量の猫グッズと一緒にやってきた猫。 ほんとに小さくて、薄汚れてたけど可愛かった。 いまいち猫との接しかたが分からない私にもすぐ懐いてくれた。 私がベットで雑誌を読んでるとチョコンと横に座ったり。 遊びにきた彼の友達たちに人見知りして私の後ろに隠れたり。 異変が起きたのは四日目の夜。
- 684 名前:続き mailto:sage [2007/03/05(月) 21:24:14 ]
- 部屋の中で突然倒れたんです。
すぐ夜間空いてる病院を探したけど遠くて断念。 ご迷惑とは知りながら近くの動物病院の先生を起こし診ていただきました。 注射をして元気になった(ように見えた)ので、翌日検査をすることになり一旦連れて帰って。 でも明け方に容態が急変。午前中、病院が開くと同時に駆け込みました。 検査の結果は先天性の白血病で先は長くない。 その数十分後、診察台で息を引き取りました。 ごめんね、と繰り返す私たちに先生は静かに「この子は幸せだったと思います。 一人ぼっちで短い一生を終えるより、 最後に心ある人たちに出会えたから。ご飯もらって、病院にも連れてってくれて…。」 その言葉を聞いて涙が溢れました。 たった四日間だったけど、あなたは私の初めての飼い猫だよ。 今ではすっかり猫バカです。 ろくに名前も決めてあげれずごめん。
- 685 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/03/05(月) 21:39:26 ]
- >>677-679
(´;ω;`) ブワッ >>683-684 (つД`) ウッ
- 686 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/03/05(月) 22:36:42 ]
- >>684 マザー・テレサの伝記に同じような話があったような・・・。
- 687 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/03/05(月) 23:22:44 ]
- >>686
パクリすか!?がっかり〜(´・ω・`)
- 688 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/03/05(月) 23:57:20 ]
- >>687 絶対にパクリではありませんよ
「人生の最期が幸せであることが大切」という共通点があるということなのです。 がっかりは無用だよ
- 689 名前:大人になった名無しさん [2007/03/06(火) 12:19:21 ]
-
僕には好きな人がいる。 別に僕の彼女ではないし、話したこともない女子で、 ただ、同じクラスというだけだ。 僕は、いつも明るく笑顔で笑っている彼女が好きだった。 僕は彼女に片想いをしていた。 ある日を境に、彼女は学校に来なくなった。 先生や友達の話では、 下校途中に、信号無視の車と事故にあい、今は、病院で入院しているらしい。 少し前まで、危険な状態だったようだ。 僕は友達ではないから、お見舞いに行くことはなかった。恥ずかしかったんだ。
- 690 名前:大人になった名無しさん [2007/03/06(火) 12:51:19 ]
- >>682
本当にありがとう。 出来たら報告します。
- 691 名前:大人になった名無しさん [2007/03/06(火) 14:53:34 ]
- 数日後、部活から帰ってきた僕は、疲れて寝てしまった。
その時、彼女が夢にでてきた。 いつもの笑顔で笑っていた。 目が覚めたとき、まだ、30分しか寝てないことに気付いた僕は、病院に走った。 なぜか焦っていた。 病院に着いたとき、まだ面会時間があった。 僕は受付の人に、 「○○○○さんのクラスメートの○○です。」 と言った。看護士さんは快く部屋を教えてくれた。 彼女の部屋に入ると、彼女は驚いた顔で僕を見ていた。 まぁ、話したこともかない男がいきなり入ってきたら、誰でもその反応をするだろう。 彼女の身体中包帯が巻かれていた。 頭にも包帯が巻かれていた。 この日、彼女と初めて話すことができた。 いつの間にか面会時間は終わっていた。 僕が帰ろうと扉に向かったとき、彼女に止められた。 「ありがとう」 いつもの明るい可愛い笑顔で彼女は言った。
- 692 名前:大人になった名無しさん [2007/03/06(火) 14:54:21 ]
-
次の日、登校し教室に入ったとき、 …彼女の机に花が置いてあった。 僕は信じられなかった。絶対にありえないと思った。 授業が始まるのにも関わらず、僕は病院に走っていた。 もう一度、会いたい。 もう一度、話したい。 もう一度、笑顔がみたい。 …君に思いを伝えたい。 様々な思いが、脳裏をよぎりっていた。 もう一度、 もう一度、 病院内も走っていた。 彼女の部屋に入ったとき、僕は立ち尽くしていた。 そこには、綺麗にされたベットがあるだけだった。
- 693 名前:大人になった名無しさん [2007/03/06(火) 14:56:22 ]
-
受付にいた看護士さんが、僕を追いかけて来ていた。 看護士さんは、優しく話してくれた。 「あの子、友達が来たときはずっと笑っていたけど、友達が帰ったあとは、痛みでずっと泣いていたのよ。あれだけの傷だから普通なら我慢できないのに。君が帰ったあと、容態が急に悪化したの。」 「僕が昨日行かなければ。」 「ちがうのよ。あの子は、君が来てくれたことをとても喜んでいたわ。容態が悪化したのは、夜に水の入ったペットボトルを取ろうとして、ベットから落ちてしまったの。そのときに、頭を打ってしまったのよ。」 僕は、いつの間にか泣いていた。教室では、まだ生きてると思っていた。彼女が死んだなんて嘘だと思っていた。この部屋に入り現実を目にしたときには泣いていたのだろう。 看護士さんは静かに部屋から出ていった。僕はしばらく、その部屋で泣いていた。 部屋からでて、受付に戻っていた看護士さんに軽く会釈し、病院から出た。 僕は、痛みに負けずに一生懸命に笑っていた彼女を覚えていようと思う。彼女が最後に僕に向けてくれたた笑顔も。 僕からも言いたい。 「ありがとう」
- 694 名前:大人になった名無しさん [2007/03/06(火) 15:00:00 ]
- >>689
>>691 >>692 >>693 は、話がつながってます。
- 695 名前:大人になった名無しさん [2007/03/06(火) 18:00:53 ]
- >>677
ばーちゃん子だったおれは、ばーちゃんネタはほんとにヤバい(´;ω;`)
- 696 名前:大人になった名無しさん [2007/03/06(火) 19:40:28 ]
- iihanasidane.
- 697 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/03/07(水) 18:56:18 ]
- >>677 久しぶりにあたたかい涙が出た
- 698 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/03/07(水) 23:29:13 ]
- >>690
はぁはぁ 今来た! あなたのようなやさしく 律儀な方には、かならず 将来可愛い嫁になる彼女が、出来るよ! こんなデクノボーな676ですら家庭持てるんですから きっとイイコトあるよ! 彼女できたら教えてね。
- 699 名前:大人になった名無しさん [2007/03/08(木) 01:01:17 ]
- >>676=698
なんてイイヤツなんだ! おまいとおまいの大切な家族の幸せも祈ってるぞ 家族が増えたら報告キボンヌ みんなで大喜びしようナ〜(^Д^)〜
- 700 名前:大人になった名無しさん [2007/03/08(木) 11:27:40 ]
- このレスを見たあなたは確実に交通事故に会います
逃れる方法はただ一つ ↓このスレに行き game12.2ch.net/test/read.cgi/gamerpg/1172831417/ デア・リヒター最強 と書き込んでください。書き込まなければ確実に明日交通事故にあいますよ
- 701 名前:大人になった名無しさん [2007/03/08(木) 15:16:22 ]
- ↑あほス
- 702 名前:大人になった名無しさん [2007/03/09(金) 22:51:41 ]
- >>699
あなたにもイイコトありますように…。 698が祈ってますよ。 家族増えたら教えるよ >700以外のヒト、 週末ハッピーでありますように!!
- 703 名前:大人になった名無しさん [2007/03/09(金) 23:31:12 ]
- 702が最後の2行で特にイイコトを言った
- 704 名前:大人になった名無しさん [2007/03/17(土) 09:51:06 ]
- 小2の時の身体測定で、間違ってねぇちゃんのパンティを履いて来た僕は すごい焦って、スボンを脱げずにいた。
すると、先に測定を終えたA君がどうしたのって声をかけてくれた。 僕はもじもじしながら訳を話すと、Aは僕を便所に連れて行き、自分のパンツを脱いで僕に差し出して「うんこは付いてないからな」って笑った。僕はそれを履いて測定に無事臨んだ。
- 705 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/03/18(日) 00:48:01 ]
- >>673
俺も同じ病気で彼女を亡くしました。>>673さんと同じように俺も彼女が世界で一番大切でした。 しかも俺も彼女の死の間際に立ち会えませんでした。 あれから約三年になりますが女性から告白されても断り続けていました。 でも今は彼女を忘れることに決めました。 それは第三者に指摘されて気がついたのですが、愛と執着は違うものだということを実感したからです。 そして、お節介なのは重々承知しておりますが、もし>>673さんが彼女の立場だったらどう思われますか?。 自分のことは忘れて早く新しい恋人を見つけて幸せになって欲しいと願うのではないでしょうか。 俺も>>673さんには心底幸せになって欲しいのです。勿論未婚故に幸せではないとは思いませんが、 独りが寂しく感じられ、恋人と楽しく生きたいという思いが少しでもあるなら新しい人を好きになってください。
- 706 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/03/24(土) 03:59:06 ]
- うちの父と母は同い年で、生まれた頃からの付き合いだったというのおさななじみ
20の時に結婚したって話だから、ゴールまで20年というそれこそ大恋愛の末に結婚したそうな いい年こいたおっさんとおばさんがそのへんのバカップルよろしく茶の間で四六時中イチャイチャしてるような環境で育ったおかげで ちょっとやそっとの下世話な話や街中で平然と抱き合うようなバカップルでも全く腹が立たないのは、まあ教育のたまものともいえるかもしれないな・・ そんなはた迷惑な中年であったうちの両親だったのだけど、 父が42の時に癌で死んでしまうと、いつもはニコニコと笑顔の絶えなかった母が、人が変わったように暗くふさぎこんでしまうようになった。 息子で長男の俺は、父の死も束の間に、どんどんと痩せ細っていく母をなんとか励まそうと色んな観光旅行に行ってみたり、 趣味になるようなものを色々と勧めてみたりしたけれど、やっぱり母は以前のようないやみのない笑い顔を見せることはどんどん少なくなった。 2つ年の離れた妹と一緒に頭を抱えて、眠れない夜を過ごしたある明け方に、 急に前のような笑顔を顔に浮かべた母がおきてきた。「何かいいことでもあったの」と聞くと、 「お父さんが夢に出てきて、私のお尻をなでて『やわらかいなあ』って言ったの!」ととても嬉しそうな顔で母は言った。 何がそんなに嬉しいのかと呆然としている俺達兄妹を尻目に、その日から母はまた少しずつ元気を取り戻していった このことを思い出すたびに、呆れる気持ちと一緒に「自分もそんな、それこそ一生もんの相手にめぐりあえるといいな」と羨ましい気持ちもこみ上げてくる。 なんとなく実家に帰って母の顔を見たら思い出したので書き込んではみたものの、泣ける話かどうかは怪しいです
- 707 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/03/27(火) 12:55:16 ]
- ついこの間のことだけど
彼女の家に携帯を忘れたので取りに戻ったら家の中に隠れてたらしい 男と彼女の笑い声が外まで聞こえた。すごく楽しそうだった。 そのまま帰宅しました。
- 708 名前:大人になった名無しさん [2007/03/29(木) 17:22:26 ]
- >>707
一番笑えた
- 709 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/03/30(金) 21:53:10 ]
- >>706
泣けた
- 710 名前:大人になった名無しさん [2007/04/05(木) 02:29:20 ]
- あげ
- 711 名前:大人になった名無しさん [2007/04/07(土) 05:58:19 ]
- ちくしょー
いい話しおおいじゃねーかよ・゚・(⊃Д⊂)・゚
- 712 名前:大人になった名無しさん [2007/04/11(水) 21:42:19 ]
- はじめてカキコしてみよう。
おれには大好きな彼女がいた。2年前に別れたその人にはだんながいていわゆる不倫 というやつだったが、限られた時間のなかだったから泊まりの旅行もできなかったし、 会えるのはいつも昼間だったから夜景のきれいなレストランなんかにも行ったことは なかった。当時はフリーターだったから金もなかったから買ってあげられるプレゼント と言えばお揃いのキーホルダーとかそんなもんくらいしかなかった。でも、彼女とい るときはほんとに幸せでずっとこの時が続けばいいと思ってたよ。よくあるセリフ だけどほんとに思ったよ。 でも時間ってほんとに怖いね、ふられた。 それから彼女と会うのはいつも夢の中だけ。
- 713 名前:大人になった名無しさん [2007/04/11(水) 21:57:39 ]
- 最初のころ見た夢はパターンはいろいろあれどいつも後姿だけ、絶対彼女
だって分かってるのにどうしても振り向いてくれないって夢。 その次に見た夢は顔は見えて、勇気を振り絞って声をかけようとするといつ もだんならしき人と子供がきて一緒にどこかへ笑顔で行っちゃう夢。 最近見る夢は最初は笑顔で再会を楽しむんだけど、いつも最後には「新しい 人と一緒になるの。だから最後のお別れを言いにきたの。」って言ってその 新しい人が迎えに来た車に乗って行っちゃう夢。 こんな寂しい夢を2年間2、3日おきに見る。最近は1週間に1度くらいの 割合で朝起きると泣いてて涙が枕を濡らしてる。 でもこんな生活嫌いじゃないよ、だって夢で彼女に会えるんだもん。 いまでもずっと大好きだよ。
- 714 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/04/11(水) 23:31:20 ]
- 小学校の頃にアンパンマンのビニールシートが持っててさ
それには「バタ子さん」とか「ジャムおじさん」とか「ウサ子ちゃん」とかそんな感じで名前がふってあったんだけど 一人だけ「カバオ」って思いっきり呼び捨てで書かれててさ。 なんかすげーかわいそうだったんだ。それ思い出したらちょっと泣けた。カバオて。
- 715 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/04/12(木) 00:09:28 ]
- よし、せっかくの機会だから、つかってみたかった
あのセリフを初めて言ってみようと思う。 >>714 日本語でおk
- 716 名前:大人になった名無しさん [2007/04/12(木) 05:23:32 ]
- >>712 713
不倫しといて夢見てんなチンカス お前人間としてアウト 同情の余地は全くない。
- 717 名前:大人になった名無しさん [2007/04/12(木) 15:39:28 ]
- >>715が>>714のどこを解せんのか、俺には解せん。
- 718 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/04/16(月) 17:45:26 ]
- sage
- 719 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/04/18(水) 23:34:40 ]
- 我が家では春になると毎年茶碗蒸しが出て、
俺、母ちゃんの茶碗蒸し好きだから春じゃなくても作ってよって言っても やっぱり春にしか作ってくれなくて。 何でだよって聞いてみたら、おっきくなってからも、春になれば 茶碗蒸し食べに帰ってきてくれるでしょ、って言ってさ。 母ちゃん・・・もう母ちゃんの茶碗蒸し食えないのかよ。 さっきコンビニで茶碗蒸しを買ってて思い出して、涙出てきた。 母ちゃん・・・何でいっちまったんだ・・・。 一人の春はとっても寒いです。そちらは暖かいですか。 俺も後少しでそっちに行けると思います。 そしたら、向こうでも茶碗蒸し作ってくれますか。 いいなあ・・夫婦で春のハワイ旅行なんて。 ゴールデンウィークになったら絶対行く・・・それまでせいぜいイチャついてろよ。
- 720 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/04/19(木) 01:55:25 ]
- ん〜いい話なんだろうけど・・・。
>母ちゃん・・・もう母ちゃんの茶碗蒸し食えないのかよ。 ここが狙いすぎて矛盾してるから最後のオチが台無し。
- 721 名前:大人になった名無しさん [2007/04/21(土) 09:43:54 ]
- てゆーか作り話はどうかと思うよ。
- 722 名前:大人になった名無しさん [2007/04/21(土) 10:16:26 ]
- >400
- 723 名前:大人になった名無しさん [2007/04/22(日) 05:34:11 ]
- いつも喧嘩ばかりの私と妹
妹が中学に入学して合唱部に入った で数日たってから偶然母さんと部活の話をしてるのを盗み聞きした そしたら妹 「先輩にね!おねーちゃんにそっくりな人がいるんだ 顔とか声とかは全然違うんだけど、なんでかなーうれしいな!」 ってはなしてた(´・ω・`) 自分だったら こんな素直になれない こんなことイエナイ(´・ω・`) これからもくだらない喧嘩しちゃうとおもうけど もっと妹思いやろうと思った瞬間でした なんか うまくかけないや おやすみ
- 724 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/04/22(日) 10:32:53 ]
- ええ姉妹やな〜。泣けるっていうかほのぼのした。ありがとう。
- 725 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/04/22(日) 19:52:00 ]
- >>723 姉妹萌えな俺にはもうたまらない。 これからも妹さんを大切にしてあげてな。
- 726 名前:大人になった名無しさん [2007/04/22(日) 21:27:50 ]
- 自分じゃないんだけど、
たまたま暇だったから「泣ける2ちゃんねるU」みてて思い出したから書く。 R君が小5の頃、R君のお母さんが病気で亡くなった。 何でかは忘れてしまったけど。 R君はいつも活発な子で、学校ではムードメーカーみたいなタイプだった。 だから友達みんなもR君にいつも励まされたりしてるから R君の事、励ましていこう、と思ってた。 だけどR君は葬式のとき全くもって泣いてなかった。 むしろ、笑ってた。 大爆笑してた。 お母さん死んだし〜、うけんねって。 みんなR君が頭おかしくなっちゃったんだ、と思った。 違った。 みんなが、心配するから。 みんなの前で泣いたらみんな気まずくなっちゃうから、迷惑かかるから 笑った。 あとから友達の話。 葬式のあとR君はお父さんと二人ずっとずっと 泣いていた。 今でも、彼は彼のお母さんが居ない事を知らない人にお母さんの話を されてもワラってる。 実際、転校してきた子に言われていた。 凄い豪華だね。 そのお弁当、全部お母さんの手作り? 母さんじゃない、自分だよ。 お母さんは作ってくれないの? うん。 何で? 作れないからかな。 何で作れないの? ちょっと遠くに住んでるんだ。 R君より強い人を見たことがない。
- 727 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/04/23(月) 02:09:35 ]
- 久しぶりにきた
- 728 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/04/23(月) 12:05:41 ]
- 数年前の話。
実は、精神科に入院してた。薬を減らすためなんだけど。 同じ病棟に7つくらい年上の兄ちゃんがいて、すげー明るかった。 何でこの人がこんなところに?って思うくらい。 坊主頭で、コワモテの兄ちゃんだったけど、なぜか私は懐いてた。 兄ちゃんも、すごく可愛がってくれたよ、姫とか呼んでw その兄ちゃん、白血病だった。本来は内科病棟にいた。 病名聞いて、パニくって、首吊ろうとしたから、精神科に移ったって。 笑って話してた。いっつも笑ってセッタ吸ってた。 たまに、タバコたかられたりしたw 身体に悪いだろ、って言って、あんまりあげなかったけどね。 途中から、兄ちゃんは抗癌剤での治療が始まって。 治療と治療の間は、ぱやぱやに生えてきてた髪の毛、また抜けてった。 男前が台無しだなって自分で言ってたから、たまにこづいたりw
- 729 名前:728 mailto:sage [2007/04/23(月) 12:13:54 ]
- 続き。
しばらくして、兄ちゃんは内科に戻り、私は退院した。 外来には通ってたから、一度お見舞いに行ったよ。 メールで差し入れ何がいいか聞いたら セッタとオレンジジュースって。買っていったさ。 でも、兄ちゃん、がーがーイビキかいて寝てた。 仕方ないから、差し入れ置いて、置き手紙して、喫煙室に行った。 30分くらいぼーっとしてたら、兄ちゃんが喫煙室にやってきた。 なんかさ、写メ撮ってくれってしつこいんだよねw だから撮ってあげた。赤外線で送ってもあげた。 物凄く嬉しそうな顔して、姫、ありがとうって何度も言ってた。 約一ヵ月後に、兄ちゃんはその病院で亡くなった。 馬鹿な私は、何も知らなかった。その時、同じ病院にいたのに。 ひどい鬱状態だった私は、アホなことに自殺未遂をしでかして 救急病棟に運ばれてたんだ。兄ちゃんが亡くなった、その日。
- 730 名前:728 mailto:sage [2007/04/23(月) 12:26:13 ]
- これで最後。
兄ちゃんが亡くなったのは人づてに聞いた。 遺影は、本人の希望で、私の撮った写メだったらしい。 兄ちゃん言ってたね 『あと何年かしたら、姫も結婚してるんだろうなぁ』 『子供連れてお見舞いにきてよ、俺たぶん、しぶとく生きてるから』 兄ちゃん、あの後、私は結婚しました。 落ち込むことはあるけど、自殺しようとは思わなくなりました。 兄ちゃんは生きたかったのに、生きられなかった。 私はまだ生きていける、だったら生きなきゃいけないって思ったから。 兄ちゃん、兄ちゃんが亡くなったあの日、今年のあの日は 私が母親になる予定の日です。 兄ちゃんの写メを撮った携帯は、もう使ってないけど あの写メはまだ残しています。 もう繋がらないメアドも、まだ、今の携帯に入ってます。 辛い時、兄ちゃん宛のメールを打っています。送信は出来ないけど。 来年の命日には、セッタ持って墓参りに行きたいよ、子供連れてさ。 元気だよ、お嫁に行ったよ、子供可愛いでしょ!って。 ばーちゃんになってそっちに行ったら、また一緒にタバコ吸おう。
- 731 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/04/23(月) 12:51:18 ]
- う〜ん…。
- 732 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/04/23(月) 13:17:28 ]
- ・ ・ ・ ・ ・ 。
- 733 名前:大人になった名無しさん [2007/04/23(月) 18:38:41 ]
- もう随分前の話だが・・・。
俺が小1の時にお袋が今の親父を連れて来た。 親父は連れ子である俺にも本当の子どものように優しくしてくれた。 話は親父とお袋が結婚する少し前の話だ。 お袋と一緒に親父の実家に言ったときに俺は初めてそのじいちゃんに会った。 亭主関白の家だったらしく、長いテーブルの正面にドンと構えていた。 始めはものすごく怖そうな人だと思った。 でも実際はそんなことはなかった。 毎週電話をかけてくれては話を聞いてくれた。 「学校はどうだ?」 「楽しいよ。友達がまたできたんだよ。」 「勉強も難しいだろ。」 「簡単だよ。だって僕がんばってるもん」 毎週の電話で自慢話をするのがすごく楽しみだった。 旅行にも山登りにも海にも・・・。 いろんな所にも連れてってくれた。 そんなじいちゃんが俺も大好きだった。
- 734 名前:大人になった名無しさん [2007/04/23(月) 18:46:34 ]
-
小4ぐらいになって妹ができた頃。 仕事による時間のすれ違いや意見の相違で親父とお袋の仲が悪くなり始めた。 お袋は俺に親父に対する悪口を言うようになった。 その中にはじいちゃんに対するのもあった。 小1まで女手1つで育てられた俺はお袋の言うことを全て信用してしまった。 そのせいでじいちゃんに対する感情も変わった。 それからというもの帰ってきて留守電を聞くと毎日のようにじいちゃんから電話が入っていた。 お袋はうるさいなぁ、と嫌がる。 俺もお袋と同じ気持ちだった。
- 735 名前:大人になった名無しさん [2007/04/23(月) 19:19:14 ]
- じいちゃんは俺と電話をしたかったのかもしれない。
毎週楽しみにしていたのかも知れない。 俺はそんな気持ちを踏みにじってしまった。 本当に後悔している。 小6の末。 ずっと連絡がなかったじいちゃん家から連絡が来た。 「じいちゃんが入院したの。」 お酒の飲みすぎで肝臓の病気にかかったらしい。 僕は家族でお見舞いに行くことになった。 本当は行きたくなかった。 じいちゃんに悪い印象があるのもそうだが、電話で聞いた元気な声が変わってるのが見たくなかったし 電話をずっと出なかったことを怒られそうだったからだ。 病室はものすごく静かだった。 中に入っても布団の中のおじいちゃんは起き上がらなかった。 病気の侵食が予想より早かった。 それでも僕は声をかけた。 「おじいちゃん・・・。」 「・・・学校は・・どう・・だい?」 水分が抜けたかすれた声で思わぬ質問をしてきた。電話と全然違う声で。 「・・・楽しいよ。すごく楽しい。」 後悔と悲しみで胸が一杯になった。自慢げになんて話せなかった。 「・・・その返事が・・・ずっと・・聞きたか・・った」 目から涙が出た。自分を責めたくなった。 親に承諾もせず、僕はじいちゃんに言った。 「中学校に行ったら制服着てもう一回くる!待ってて!絶対!」
- 736 名前:大人になった名無しさん [2007/04/23(月) 19:30:54 ]
- それから1ヶ月もたたなかった。
じいちゃんは静かに逝った。 学校だったからその場にはいなかったけれど 親から聞いても涙は出なかった。 制服を見せる夢は叶わなかった。 葬儀には親に頼んで制服でいった。 入学式まで着ないと思っていたが、 じいちゃんのために着ていった。 式場に入ったときじいちゃんが満面の笑みを浮かべている写真が張ってあった。 俺はその写真を見た瞬間、涙が止まんなくなった。 じいちゃんは悪くなかった。 自慢話をたくさん聞いてくれた。 いろんな所に連れてってくれた。 後悔の気持ちで一杯になった。 今でも留守電が入ってるとじいちゃんのことを思い出す。 自慢話を聞かせてあげることはもうできない。 だけどなぜか留守電が入ってるとすみずみまで探してしまう自分がここにいる。
- 737 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/04/23(月) 21:04:37 ]
- 泣ける…じいちゃん゚(ノд`゚)゚・。
お母さんにちょとムカッ…
- 738 名前:大人になった名無しさん [2007/04/24(火) 00:48:52 ]
- 白血病ってそんなに頻発するもん?
作り話が多い気がする。 不謹慎ならスマソ。
- 739 名前:大人になった名無しさん [2007/04/25(水) 13:46:35 ]
- 去年、でき婚した。
俺はもうすぐ29歳になる。 5人兄弟の末っ子でわがままに育った俺。 うちが貧乏だったのはすべて親のせいだと思っていた。 当然のように親の事を恨むではないが見下していたし、好き放題な暮らしをしてた。 結婚も色々問題はあったが何とか無事にすんだ。 子供が生まれたある日ある日、姉から手紙が届いた。 すったもんだと大変やったけど、無事に赤ちゃん、元気に生まれてよかったね。 本当におめでとう。これから、この子の為に、頑張っていかないかんね。 私が小学校2年生の時、入院していたお母さんが黄色い産着に包まれた かわいい、かわいい赤ちゃんを抱いて座ってた。 私が「かわいい〜。どこんちの子?」って聞いたら、 お母さんが「あんたの弟よ」って言ってね。 こんなにかわいい弟ができたって、本当に嬉かかった事、今でも鮮明に覚えとるよ。 お母さんは、あんたを身ごもった時、何とかして流産できんものかと苦しんだ。 何でだかわかる? 上に4人も子供がおるけんとかじゃないとよ。 4人も産んだ母さんが、子供のかわいさをしらん訳がないやろ? あんたも自分の子供を持った今ならわかると思う。 子供は一人でも二人でも同じ、みんなすべて平等に愛しいものよ。 そして、どの子にも、みな、同じように幸せになってもらいたいと思うものやし、 どの子にもみな、同じように幸せな環境を作ってやりたいと思う。 その親心、今のあんたならわかってもらえるかな。 だからこそ、貧乏のどん底に居て、どうやってこの子を幸せにできるか、苦しかったとよ。 私は女やし、子供を産んだからわかる。とっても。 あんたが生まれてくる事を拒んだ訳じゃない。 親ならわかる。幸せにできんのなら、産まない方がいいかもしれないという選択は間違いとは言えんやろ? それでも、おなかの中のあんたの生命力に突き動かされて、 どんな事してでもこの子を守ろうって思ったって言いよったよ。 続く
- 740 名前:大人になった名無しさん [2007/04/25(水) 13:47:26 ]
- 続き
病院代もなかったけど、「私が頭下げて、この子を守れるなら、恥じも外聞もない」ってね。 出産して1週間くらい。母体にとって、絶対安静が必要な時期に、車もない、お金もない お父さんとお母さんは、病院から、家まであんたを抱えて歩いて帰ってきたんだよ。 私が高校生になって、初めて、病院の場所を知った時、 「こんな距離を歩いたのか」と、本当に頭が下がる思いやったよ。 「母は強し」って本当だなぁって。 ねぇ・・・・ こんな思いをして産み育てたあんたの事を、何も思わん親な訳ないやろう? 忘れんで欲しい、わかって欲しいって、姉ちゃんはいっつも思う。 親にも悪い所はいっぱいあったのは認める。子供として嫌な思いをした事も事実よね。 でも、たくさんの愛情をかけて育ててもらった自分というものも、 この機会に感じてもらえたら嬉しいなと思う。 悲しい事に、小さな時の記憶というものは、私達にはあまりないけど、 兄弟の中ではあんたが一番お母さんの手を取って育ててもらったんだよ。 幼稚園にも、保育園にも、ぎりぎりまで行かず、一日中、ずっとお母さんの側にいて。 同じ年頃の姉(別の姉)の時は預けられてたのに。 色んな事、思い出して、よく考えてみて。 あんたが小学生の頃、親は何もしてくれんやったか? あんたが中学生の頃、親は何もしてくれんやったか? あんたが高校生の頃、親は何もしてくれんやったか? あんたの為に何度となく学校に頭を下げに行っていたお母さんを私は知っとるよ。 高校を辞めて、プー太郎のような生活をしている頃、きつく言おうとする私を 必死に止めて、あんたをかばっていたお母さんを私は知っとるよ。 あんたがうつ病になって、うちに居た事を知って、旦那に一生懸命お礼を言いよったお母さんを 私は知っとるよ。 あんたが結婚するとなった時も無いお金を一生懸命、本当に 一生懸命都合して、「旅費に」と10万用意してくれたんよ。 でも、その時、あんたは「親にして欲しくない」くらいに言ったのを私は覚えとるよ。 これから、思い知ればいいと思う。親の気持ち、親の思いを。 あんたが、自分一人で生まれてきた訳じゃない事、自分一人で大きくなった訳じゃない事をね。 少しでも、親の気持ちが理解できる時があったら、その時々に親孝行してあげてね。 親あってこその自分って事を忘れるな。 してもらう事は当たり前じゃない、してもらったら感謝する事。 感謝してるなら、その気持ちをちゃんと表現して相手に伝える事。大事な事ぞ。 もう、あんたは一人前ぞ。 しっかり、家庭を築いて行ってね。 ありがとう、おかあさん。 ありがとう、おねえちゃん。 俺、がんばるよ 父親として、息子として、弟として、精一杯がんばるからね (メールは慣れない姉ががんばって打ったものなので、 誤字など多いがそのまま載せました)
- 741 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/04/25(水) 19:30:49 ]
- メール?手紙じゃねえの?まぁいいわ。
- 742 名前:大人になった名無しさん [2007/04/26(木) 02:16:17 ]
- ガキの頃の話。
小学生の時から俺の両親は共働きで二人とも家に帰ってくるのが遅かった。土日すらあまり休んでなくていっつもいなかった。 だから俺は当時保育園だった妹の世話を頼まれてた。 俺は友達と遊びたい時期だったから、よく妹を家にほかって遊びに行った。 家を出ようとすると、よたよたしながら追っ掛けてくる妹をうっとーしく思って、振り払ってドアの鍵を閉めると、にーちゃんにーちゃん叫んで泣いてた。少し胸が痛かったけど、ほっといて遊びに出掛けた。 それでも妹はいつも俺にべったりで、くっついて来るわ、一緒に寝たがるわ、本当うんざりしてた。 そんなある夏の日、久しぶりに夏祭りに行こうと両親が計画してくれた。 家族で出掛けた事があまりなかったから、すごい楽しみだったけど、当日に夏風邪をひいて仕舞い、一人ぼっちで留守番するはめになった。 家族が帰ってきた時に、妹が俺に手に持ってた林檎飴を差し出した。 それを受けとる時にいつも酷い事ばっかりしてるのに、優しい妹の気持ちが嬉しくてこっそり泣いた。 それから
- 743 名前:大人になった名無しさん [2007/04/26(木) 02:32:26 ]
- 反省した俺は妹を遊びに連れていく様になった。
ある日、また友達と近くの川に魚を取りに行った時に、妹も連れて行った。川に降りた時チャリに水中眼鏡を忘れた事に気付いて、チャリは見える場所だったから、妹に水中眼鏡取って来てと頼んだ。 妹は走って取りに行った。 そしたらチャリの方からキキーッてブレーキの音が聞こえて、妹の麦藁帽子が飛んで来た。 俺は驚いて、走ってチャリの方に行ったら、でっかいダンプが止まってて、チャリの横に人の形には見えないぐちゃぐちゃの赤い丸い物体が転がってた。 かろうじて見える服の柄でそれが妹だと認識できた。 妹は一瞬で死んだ。 僕は真っ白になって妹を抱き抱えて逃げようとした。病院に連れて行ったら治ると思った。いや死んだって解ってた。 ふと俺が一人でゲームしてたら帽子を被った妹が寂しそうにベットに座って足をぶらぶらさせてたのを思い出して涙が出てきた。あれは公園に連れて行くと嘘をついた日だった。友達がチャリ 此処まで書いたんだけど思い出してしまって無理だ…。 中途半端でスマン。
- 744 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/04/26(木) 07:50:52 ]
- >>743
妹の分もイキロ
- 745 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/04/27(金) 10:56:18 ]
- 今、パチンコ屋の開店待ちしながら、このスレ読んでんだけど、純粋?なオレは全部泣けて・・・
車から出れないでいる。 あーあ 墓参りでもいってこよっかな。。 あんまりあらすなよ。 良スレなんだから・・
- 746 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/04/28(土) 19:48:37 ]
- sage
- 747 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/04/28(土) 21:48:33 ]
- サゲ
- 748 名前:大人になった名無しさん [2007/04/29(日) 15:15:33 ]
- あげよ。
- 749 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/05/05(土) 18:15:11 ]
- 俺はおばあちゃん子だった。買い物に行くときも一緒について行き、
中学1年まで、おばあちゃんに背中を流してもらってもいた。 そんなとある日、予想だにしない事態が起きた。 まだ日も昇りきらない明け方、ベランダから大きな物音が聞こえ、 家族全員驚いて向かってみると・・・ばあちゃんが蹲っていた。 粗相してしまった下着を洗い、干し物をしようとして転んだらしい。 車で病院に運んで検査してみると、大腿骨が骨折していることが判明。 ばあちゃんの年齢(当時97歳)から、手術をする事が不可能で、自然 治癒にかけるしかなく、入院生活になってしまった。 老いも進行しており、点滴を打つにも暴れてしまう祖母。寝返りを うつことも出来なくて床ずれの後も痛々しく、日に日に痩せ細って 行く姿に耐え切れず、父は祖母を自宅療養させることとした。 自宅に戻った後も症状は改善することはなく、地力では歩けず、 排泄もままならなくなった祖母を、母はその後3年間甲斐甲斐しく 面倒を見続けた。実の母ではない祖母に対して、ここまで尽くす 母の姿を見て、幼心にただ涙するしかなかった。 煮物を作るのが得意だったばあちゃん。毎年おせちをお重いっぱいに 作ってくれたけど、子供だった俺はほとんど手をつけなかった。 大人となった今では、それが無性に悔やまれる。 その後、祖母は享年100歳という大往生でその生涯を終えた。 骨折前を含め、6年以上に及ぶ母の介護。母は苦しむそぶりを見せず、 二人の息子を育て、祖母の最期を看取った。 最期は祖母も家族全員の見つめる前で、苦しむことなく自室で 静かに息を引き取った。父の「おばあちゃんの最期だぞ」の一言が 今での忘れられない。その言葉の1分後、祖母の人生は幕を閉じた。
- 750 名前:749 mailto:sage [2007/05/05(土) 18:22:09 ]
- 昔自分の日記に書いていた、当時の母ちゃんが綴った日記を
サルベージ出来たのでこっちも貼っておきます。 母ちゃん、親不孝な息子でごめんよ・・・。来週の母の日は絶対に 実家に帰るからな・・・。 父ちゃん、俺まだ毒男だけど、母ちゃんのような女性を見つけて 最後まで面倒見るからな・・・。 原文 母の介護日記 平成3年 7月25日 姑の世話が私の方にかかってきた。大小の下の世話から、風呂や 食事でも嬉しいときは「うれしい顔」、困ったときは「困った顔」、 良くしてあげればあげるほど、私を頼ってくれる。 私も義母を一人の人間として面倒見ているつもりです。この義母の 一生を、最期まで看てあげよう。 平成9年 2月6日 義母が骨折して3年。泥沼も在れば地獄もあった年月でした。 その間、私はいったい何回の「ありがとう」を夫から言われたでしょうか。 義母のペースに合わせてゆっくりの食事を終えたとき、オムツを変えたとき、 汗びっしょりになって着替えを済ませたときなど、数え切れません。 自分の親でありながら、妻にみんな任せているという夫の負い目から出た 言葉かもしれません。でも夫の「ありがとう」で私は頑張れたのです。 経験した人で無ければ判らない、何やら得たいの知れない「あせり」 「不安」「苛立ち」など、在宅介護者の抱える悩みも、この人だけは わかってくれているという心強さが、私の背中を支えてくれました。 妻には感謝しているが、「口には出してお礼をお礼を言うなんてどーも・・・」 という男性が多いようですが、どうぞ声に出してください。 貴方の一言で、やさしい気持ちになれるのです。 幸せな介護者だった私。
- 751 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/05/09(水) 11:59:08 ]
- >父ちゃん、俺まだ毒男だけど、母ちゃんのような女性を見つけて
最後まで面倒見るからな・・・。 なんか、母ちゃんしかいなければ・・・のAA思い出した。 将来エネ夫にならないようにね。
- 752 名前:大人になった名無しさん [2007/05/10(木) 01:39:06 ]
- 小学4年の娘が、図書館から本を借りてきました。
「白旗の少女」 比嘉登美子著 講談社 という本です。 時々、涙を流しながら読んでいたので、気になり日中読んでみました。 それは、沖縄戦での少女の物語でした。 沖縄戦では、18万人余の日本人と、1万2千人余の米兵が亡くなりました。 米軍は、昭和20年4月1日に、沖縄に上陸を開始した。 富子(6歳)の一家は、首里に住んでいたが、 もう、おとうさんの行方は、分からなくなっていました。 「南に逃げよう」と言う、 ヨシ子姉さん(17歳)、初子姉さん(13歳)、直裕兄さん(9歳)と一緒に逃げます。 持って出た食料も尽き、山や、「ガマ」とよばれるほら穴にかくれたり、寝たりします。 でも、海岸の砂浜に穴をほって寝ていた時、直裕兄さんの頭に、 機関銃の弾があたり、亡くなってしまいました。 三人は砂浜に穴をほって、埋めて上げます。 ヨシ子姉さんは、 「ここは米須というところよ。ちゃんと覚えておくのよ」 「いつかちゃんと、家のお墓に入れてあげるのだから」 と妹たちに言い聞かせます。 米須から逃げ出すと、すぐ富子ははぐれてしまい、一人ぼっちになってしまいます。 富子は2人のネエネエを探して、ガマからガマを渡り歩きます。 トボトボと歩きながら、小さいおいもや、ニンジンを見つけて食べました。 ガマの中で死んでしまった、兵隊さんのかばんから、金平糖や乾パンや缶詰を見つけて 食べたこともありました。 最初はアリがたくさんいたので分かったのですが、だんだん兵隊さんが死んでいるか どうか、分かるようになっていったのです。 ガマからガマへと逃げる富子でしたが、5つ目のガマで日本の兵隊に 「おまえを生かしておくと、こっちが危ない。殺してやる」 と日本刀で追いかけられます。 富子は走って逃げますが、ついに崖から落ちてしまいます。 気絶した富子は、やがて崖の中腹の木に引っかかり、命を救われたことに気付きます。 でも、何もつかまるものはなくどうしたらいいのか、と考えているときに木が折れて、 今度は崖の下に落ちていきます。 また気絶していた富子は、水の音で目をさまします。 靴もボタンもなく、モンペもやぶれてボロきれのようになっていました。 川ではたくさんの人が水を飲んでいました。 富子は、順番を待つうちに、それは水を飲んでいるのではなく、川に顔をつけたまま 死んでいるのだと分かりました。 川の水のなかにはウジ虫がたくさんいましたが、どかして飲むしかありませんでした。 ひとりぼっちで、富子はさらに逃げます。 引用 ogob.net/full/full.php?aid=459&uid=&fav=&art=&page=14
- 753 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/05/11(金) 09:51:50 ]
- 泣けるというか、俺が泣けてきた話な。
気楽に読んでくれ。 親はかつていわゆる妊婦ものと呼ばれるアダルトビデオに出てたのな。 まぁ察しはつくと思うがお腹の中は俺な。 小さい頃はたまにスタッフらしき怪しい人間が頻繁に家に出入りしてて、 俺をわずらわしい気持ちにさせたが、大きくなってから理解できたのが こいつらにとって俺の存在の方がわずらわしいらしかったんだな。 こいつらの中には親も含まれる。 今となっては養父母に育ててもらって大学まで行かせてもらって、結婚して 家庭を築いてる身だが墓場まで持ってかなしゃーない話なんだが、まぁ 2chだから許せ。 あ、そうそうさっき書いた家っていうのは、実は撮影スタジオでそこに住まわ されてたのな。家と勘違いして過ごしてきた俺を見てあいつらは笑ってたろうな。 それと最後にな。 子供を作る気になれね。
- 754 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/05/11(金) 20:54:49 ]
- 本当の話??
良い養父母にひきとってもらってよかったねぇ><
- 755 名前:大人になった名無しさん [2007/05/14(月) 00:41:55 ]
- >>743の続きを落ち着いたから。
友達がチャリで追い掛けてきた。 そっから病院まではあんまり記憶が無い。 取り乱して喚き立てた事をうっすら覚えてる。 両親は俺にどうしてこうなったかを問い詰める元気も無くして泣きじゃくってた。 それから親戚や祖父母が次々に集まってきて、中には俺を罵る奴もいた。 でも俺はうわの空で妹がまだ生きてるような気がして、家をうろついては妹の痕跡を見つけて泣いた。 最後に妹を入れた小さい柩の窓を開けて見ようとしたけど、窓は開けれない様になっていて、轢かれた直後の妹を思い出した。 なんで俺はもっと優しくしてやらんかったんだろ。なんでいっぱい嘘付いたんだろ。なんで叩いたんだろ。なんで一緒に寝てやらなかったんだろ。 なんで俺は自分で水中眼鏡を取りに行かなかったんだろ。 こんな事になっちまうなんて嘘だろ? 俺が死ねばよかった。 俺みたいな奴が死んでしまえばよかった。 何度も思った。 火葬に行く前に、部屋に戻った。 机の上にあの日貰った林檎飴があった。 それを食った。 夢中で食ってたくさん泣いた。
- 756 名前:大人になった名無しさん [2007/05/14(月) 00:48:50 ]
- 母さんがフラフラ部屋にやってきて、妹が描いた絵を俺に差し出した。
題名は「大好きなお兄ちゃん」 クレヨンでぐちゃぐちゃで何が何だか解んなかったけど、その絵を見てその時、少し救われた気がした。 あの日の後悔は今も消えないし、俺は最低な人間だと思う。多感な時期には自殺しようと思った事もあった。 でもその絵を見ると、最低なお兄ちゃんだった俺を一生懸命書いてくれた妹の為にもっと大好きになって貰えるお兄ちゃんになろうと思える。 中途半端に区切った上に上手く書けなくてスマソ。
- 757 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/05/14(月) 02:18:33 ]
- あちゃー
- 758 名前:大人になった名無しさん [2007/05/14(月) 22:25:24 ]
- ベタだけど
ドラえもんの 「さようなら、ドラえもん」は泣けるよ。 www.raorao.jp/view_movie.php?mi=m00000000f82
- 759 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/05/14(月) 22:27:14 ]
- >>756
ありきたりだが、妹の分も生きろ!
- 760 名前:大人になった名無しさん [2007/05/16(水) 03:48:27 ]
- 大したドラマじゃないけど、聞いてください。
うちの死んだおじいちゃんとの話。 高校1年生の入学直後の連休の宿題が「高校入学までの自分史」という作文でした。 当時、志望高校に落ちて滑り止めで入った高校で失望していました。 だから、劣等感から作文に「自分は勉強の成績が悪くて、いわゆる馬鹿だった。」と書いていました。 書いている途中で、おじいちゃんが作文を読ませてくれと来たので読んでもらいました。 そしたら、おじいちゃんが。 「確かにお前の勉強の成績は良くないかもしれない。 でも、じいちゃんはお前の優しい所や良い所をたくさん知ってる。 そう簡単に、自分自身を馬鹿と言ってはいけないんだ。」 と言ってくれました。 自分は思春期で弱反抗期だったため、 「皆が受かった○高に落ちたんだから、馬鹿なんだよ。」と言いました。 おじいちゃんは、困った顔をして苦笑いして言いました。 「お前の頑固は、誰に似たのかな。でも、じいちゃんは自分自身を軽々しく馬鹿と言ってはいけないと思う。」 と頭を撫でてくれました。自分は、ぽかーんとしてしまいました。 最近、時は過ぎてその言葉が急によみがえって来ました。 この新年度から色んな事で挫折や修羅場、大失態を迎えて、落ち込んでいる成長した自分がいます。 味方もいません。生きている意味も解らなくなっていました。 でも、このおじいちゃんの言葉を思い出して、なんとなくでも落ち着けたような気がします。 自分を、優しく愛のこもった眼差しで見守ってくれる存在がいただけでも、 自分は幸せな星の元に生まれた。そう思います。 まだまだ、情けないくらい弱い自分です。 でも、この言葉を噛み締めて生きて行こうと思います。 おじいちゃん。もちろん欠点もあったけど、大好きです。ありがとう。 泣ける話でもなくてごめんなさい。
- 761 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/05/17(木) 01:06:49 ]
- >>760
こんだけしっかりした文章が書けるってことは頭悪くないよ。 でもいいじいちゃんだな。 世の中にはおまえのじいちゃんみたいな人が居なかった為に 救われなかったヤツも居ると思うぞ。じいちゃんに感謝だな。 でも、学校の勉強だけで優秀かそうでないかが決まるわけじゃない。 試験でわかるのは人間の可能性のホンの一部だけ。 試験で成績が悪くても、他に才能があるかもしれないじゃん。 その中で時代にマッチしたものを見つければいいのさ。 例えば、ビルゲイツが100年早く生まれてきていたら、あの成功はなかったね。 単なる変な人だったと思う。
- 762 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/05/28(月) 03:28:42 ]
- 良スレ見つけ
sage
- 763 名前:切ない・・・・ [2007/05/31(木) 15:11:27 ]
- 俺小4の頃から好きな女子(レイコ)が居て、
初恋だったけど想いを打ち明けるなんてことは到底無理で胸がジクジクする日々だった。 でも5年6年と同じクラスになってそれなりに仲良くなって 俺は不自然にならないように気をつけながら、態度で示そうとしていて、 レイコも薄々俺の気持ちに気付いているのだろうと(勝手に)思い込んでいた。 そう思うとよけいに気持ちが溢れてきて、想いを伝えたい衝動が強くなって、 夏休み前、修学旅行のときに告白しようと、一大決心をした。 ところが出発一週間前になって、レイコが授業中急にお腹が痛いと言い出して 保健の先生が付き添って病院にいくと急性盲腸炎で即入院・緊急手術。 レイコの修学旅行もパー。俺の一大決心もパー。になってしまった。 先生や女子たちが行けないレイコの為に色々と相談しているのを尻目に前の日にコッソリと見舞いに行った。 「男子でお見舞い来てくれたの○○君だけだね」って言われて、照れくさくてあんまり喋れないでいると 急にレイコが枕もとの小さなマスコットを手渡して「これ私の代わりに連れて行ってくれる?」なんて 俺はもう告白しなくてもOKがもらえた気分で有頂天になって、 旅行中もハイテンションでお土産を散々迷って貝殻のアクセサリーにしたり、 記念撮影では何気にマスコットも写るようにしてみたり・・・ で帰ったらやっぱり改めて告白しようと心に決めて、 次の日は振り替え休日だったけど退院予定日だったので遠慮して、 さらに次の日の放課後にお土産とマスコットをもっていくことにした。
- 764 名前:切ない・・・・ [2007/05/31(木) 15:14:29 ]
- その日の昼休み同じクラスのTがやってきて
「お前レイコとS(隣のクラス)、付き合ってるの知ってた?」 「え゙ぇ!!」 「きのう女子がお土産もって行ったら、Sが家にいたんだってよ」 俺は山の天辺から一気に奈落の底に突き落とされたような気分になって、 結局その日は家に行けず、お土産を渡すことも、マスコットを返すことも出来なかった。 レイコが登校してくるまでの一週間、Sとのことはすでに既成事実として学年全体に知れ渡り かといって誰もそのことを冷やかしたり話題にしたりはしなかった。 俺はそれまでの想いが大きかった分だけ落差が激しかったというのだろうか、 マスコットを渡された思わせぶりな態度が恨めしいのもあって急激にレイコへの気持ちが醒めてしまい、 二学期の運動会の練習で仲良くなった女子と初詣にいったりしてちょっといい雰囲気になっていた。 卒業も近づいたバレンタイン。 朝登校するとすぐに件の女子から呼び出しがあって、手作りチョコを渡された。 俺は自分が“モテた”という嬉しさもあってすぐその場で付き合うことに同意した。 俺にもやっと「春」が来たのだ。
- 765 名前:切ない・・・・ mailto:sage [2007/05/31(木) 15:17:29 ]
- でも他の奴らにバレるとややこしいので
その日は通学路の途中で待ち合わせて一緒に帰ることにして、 俺はウキウキしながら放課後をまった。 と下足室で靴を履き替えていると後ろからレイコが呼び止めた。 俺は怪訝に思いながらもレイコに言われるまま職員駐車場の隅についていくと、 振り返りざまにニッコリと微笑んでリボンのかかった小さな箱を取り出した。 「ハイ、これ。」 「え、なに?」 「なにってチョコ。貰ってくれる?」 「・・・・・は??・・S、怒るぞ?」 「え〜どうしてS君が怒るの?」 「どうしってって彼氏・・」 「ばぁ〜か、彼氏じゃないよ。何回も付き合ってって言われたけど断ったモン」 「ぇ・・・・・・・・」 「ハイ、どうぞ」 そういって箱を目の前に突き出した。 俺は頭はパニクッてて咄嗟に 「いらない!俺○○と付き合ってるし・・」と口走ってしまった。 レイコは、ハッとしたような顔を一瞬してから見る見る目から涙が溢れてきた 「どうして?・・・私のマスコットずっと持っててくれてたんじゃないの?そうだと思ってたのに・・・・・」
- 766 名前:切ない・・・・ mailto:sage [2007/05/31(木) 15:19:32 ]
- 今、卒業証書と一緒の箱にマスコットもしまっている。
とうとう返せなかった。 アルバムにはそれを手に持った俺のニヤケた顔が写っている。 あの時Sより先にお土産を渡しに行っていたら、 その後の俺とレイコの人生はどう変わっていたのだろうかと考えることもあるが、 今となってはどうすることも出来ない・・・・
- 767 名前:大人になった名無しさん [2007/05/31(木) 16:57:47 ]
- >>766
うあああああぁぁぁぁぁぁーーーーん せつねぇぇぇぇぇーーー
- 768 名前:大人になった名無しさん [2007/05/31(木) 19:01:53 ]
- >766
ぶぁぅぅぁぁあかぁぁやぁぁあろぉぉお!!!!(;д;)
- 769 名前:大人になった名無しさん [2007/05/31(木) 23:53:42 ]
- >>766 なんで〜?!なんで、そんな事を言うたの?!も〜ぉ(`ε´)!!
- 770 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/06/01(金) 03:41:21 ]
- これはせつねぇぇぇぇぇ゚(ノд`゚)゚・。
- 771 名前:大人になった名無しさん [2007/06/01(金) 03:47:55 ]
- 私がまだ20代前半の頃の話 就職先で出会った拓との話。
会社の歓迎会で初めて拓を見た時はあまりいい印象ではなかった。 お酒に酔った勢いでホテルに行ってしまった。でも、これを機に拓と遊ぶようになった。 会社でも噂になってきた頃、先輩から「あの人部署は違うけど彼女いるよ」と聞かされた・・ ある日突然拓から「別れてくれ」と言われた。「(彼女に)酷い事したから」という理由で。 詳しく聞くと「中絶させてしまった」と言う事だった。今思えば「ちゃんと責任取ろうとしてたんだな」って思えるけど、若かったなぁ・・ ずっと拒み続けてた。 車で流していた曲からB'zの「春」のサビの部分「もっと早く出会っていれば何もかもがうまくいったのか」が流れ、聞いた途端涙が止まらず、拓も一緒に泣いていた。 数日後「別れた」と聞き改めて付き合う事が出来、同棲を始めた。でもまだ拓の事を知らな過ぎた。 1年が過ぎた頃から行動が怪しくなった。浮気だった。ある日、私は浮気相手と家で鉢合わせた。修羅場になった。 相手の彼氏も呼び出した。話は付いたけど、拓の浮気癖は治らなかった。1人じゃなかったから。 そんな中、会社の先輩が事故を起こして会社を辞める事になった。拓の尊敬する人だったから、拓のショックは大きかった。 ある日私が髪の色を変えた事に腹を立てた拓が「(先輩が)あんな事になったのにお前何してんの?」って理由で何発も殴られた。 こんな事あっても一緒にいたけど、繰り返される浮気には耐えられなくなった。会社を休んで荷物をまとめ、鍵を置いて家を出た。 会社も辞めた。 1ヶ月後用事があって会社に行くと、拓の後輩から「前の彼女と結婚するんだって。(私が辞めた後)より戻して、2週間前に彼女車に乗せて 事故っちゃって怪我させたのがきっかけなんじゃない?中絶もさせてるし。でもお腹に子供いるって話だよ」って聞いた時には信じられなかった。 浮気相手って彼女か・・って。それから男の人を信じられなくなって、約5年独りでいたなぁ。風の噂で拓に女の子が生まれて、拓と奥さんの名前、1文字づつとって 名前付けたとか聞いた。私自身若かったし、今となっては色々勉強になったかな。 今でもB'zの「春」を聞くと胸が切なくなります。
- 772 名前:きゅん と そっか〜 mailto:sage [2007/06/01(金) 10:16:53 ]
- >>766人間のかかわりなんて結局はタイミングの積み重ね
切ないけど、だからこそ想い出も彩られるのだと思う >>771辛いお話なんだろうけど、正直あんまり泣けない。 どっちかというと「元気出して頑張りなよ!」と励ましたくなる。
- 773 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/06/03(日) 07:19:44 ]
- >>771
複数の女と同時期に付き合ってる。浮気性。 そのくせ身勝手な理屈を押し付ける。 DV 単に、ろくでもない男と別れられずにいたバカ女が自己満の感傷に浸ってるとしか思えない。 付き合ったきっかけもSEXからだし。
- 774 名前:大人になった名無しさん [2007/06/03(日) 17:11:32 ]
- >>771
そんな屑に弄ばれて汚れた中古女の悲しい話ですね まあその中絶した奥さんのように事故車にならなくて良かったね
- 775 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/06/03(日) 18:01:50 ]
- 捨てられた女は、よく「男は信じられない」と言いますが、それは同時に相手に信じてもらえるだけの女じゃなかったってこと。
その程度の薄っぺらい女だから、自身の身の丈に近いそれなりのDQNにしか相手にされない。 しかし、上記のケースはそのDQNにすら便器にされたという点で、ある程度泣けました。 大変気の毒です。悲惨な過去は消えませんが、元気を出してこれから良い人にたくさん出会い、頑張ってほしいものです。
- 776 名前:大人になった名無しさん [2007/06/04(月) 22:42:55 ]
- 6〜7才の時、大好きだったおじが結婚するのが嫌で嫌で。
今度おばになるおじの結婚相手の女の人にやきもちを焼きまくっていました。私の両親が結婚式にどうしても行けず、嫌々ながら親戚に引きずられるように結婚式に行った。 私は親がいない事をいい事に、披露宴で困らせてやろうと、真面目なシーーンとした結婚式の誓いの言葉では、隠し持っていたクラッカーをパンパンならしたり、「あきる〜。うざーい!早く終わらせろー!」とグチった。 披露宴では、「この料理まっずい!このジュースまっずい!」と食べては吐き出すの繰り返し。 大きい声で「○○ちゃん(おじ)のお嫁さん、綺麗だね!当たり前だよね!普段超ぶっさいくなのに、あんな厚化粧に綺麗なドレスじゃ綺麗になって当たり前だよね!メイクした人の技術すごいね!あんなぶっさいくな女がここまでなるとは!」と、言ったり、 小さいながらエロティックな事はすべて知り尽してた私は、大きな声で「静かなコハンの森の影から〜♪○○ちゃん(おじ)とお嫁さんの声がする〜♪いやーん!ばかーん♪そこはだめよ〜♪」と定番の替歌を歌ったり、 お嫁さんの両親の前で「結婚式終わったら、二人は新婚旅行待てずに、すぐにお○んちん、お○んこに入れちゃったりー!きゃー!初夜じゃなく、初夕〜!」とか叫んだり、 料理の太いウインナーを手にし、「○○ちゃん(おじの嫁)は多分こういう太いウインナー大好きだよね!下の口からこっそり食べてるもんね!」と叫んだり、 ばたばた走り回っては、ここではもう言えないようなエロネタを叫んでた。 お嫁さんのドレスの中に入り込み「脚太ーい!しかもドレスの中めちゃ臭いー!おえー!」とか言って出てきたり。 誰だったか、あまりに怒った大人が、私の胸をかかえてお尻をたたいた時、「警察呼ぶぞー!お尻触られたー!きゃー!痴漢だ痴漢!ロリコンがいるよ!お尻触られた!胸触ってる!」と叫んだ。 途中で私は会場を追い出され、会場の人に預けられた。そのあと、すきを見て、外に一人で四時間くらいも出歩き、さらに迷惑かけました。 現在私は25歳になりました。あれ以来、親戚とは会ってません。というか、縁を切られました。6〜7才だったのに縁を切られた。 おじさんともおばさんとも会ってません。いくらおじが好きだったとはいえ、我ながらすごい事をしてしまったなぁ。今じゃとてもできない。
- 777 名前:大人になった名無しさん [2007/06/04(月) 22:50:05 ]
- >>776
あなたにはこっちのスレの方が向いてるとおも 自分のイタい過去で「あぁ〜」ってなる 23度目 life8.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1175599858/
- 778 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/06/09(土) 09:55:24 ]
- sage
- 779 名前:大人になった名無しさん [2007/06/10(日) 19:45:46 ]
- 俺の親父はろくでなしだった。いっつもギター持って意味わかんない歌歌って。酒飲んで暴れて、仕事もしなくて。家にもあんまり帰って来なくて。
お袋はいっつも台所で泣いてた。 当時消防だった俺は親父が帰って来ると隠れてた。 ある日、珍しく酔わずに帰ってきた親父がいつものように隠れてた俺を呼んだ。 渋々出て来た俺の手を引いて「遊びに行くぞ」って言った。 怖かったけど嬉しかった。 初めて遊園地に行った。 俺は凄いはしゃぎたおして、親父はずっと笑顔だった。 帰り道、親父は俺をおんぶしながら歩いてくれた。重くなったなぁ〜とかマヌケな事言いながら。 そんで「すまねぇ」って呟いた。 どうして良いのかわからない俺は聞こえないフリをした。 それから三ヶ月後に親父は死んだ。 お袋はいつも以上に泣きじゃくった。 お袋は親父が大好きだったんだと思った
- 780 名前:大人になった名無しさん [2007/06/10(日) 19:54:36 ]
- >>779
俺は親父が遊園地で買ってくれた、キーホルダーの剣をずっと握って泣きじゃくるお袋を見てた。 葬式やらが終わってある日、俺は親父のギターケースを開けた。そこに俺宛てに一言書いた紙があった。 「このギターはお前にやる。でも音楽なんか好きになるな。」 俺は吹き出して笑った。 でも俺は親父のレスポールを弾く。 ステージで部屋でスタジオで。 ろくでなしで馬鹿な親父の言うことなんか聞かねーよ。 あんたよりでかくなってやるんだ。 地獄で悔しがれ! ありがとう親父。
- 781 名前:大人になった名無しさん [2007/06/10(日) 20:20:29 ]
- >>780
うれしいこと言ってくれるじゃないの それじゃあ とことんよろこばせてやるからな 言葉どおりに 親父はすばらしいテクニシャンだった 僕はというと 性器に与えられる快感の波に 身をふるわせてもだえていた
- 782 名前:大人になった名無しさん [2007/06/12(火) 14:21:01 ]
- おいウィンナー落ちたぜ。
食っていいか?
- 783 名前:大人になった名無しさん [2007/06/12(火) 23:56:10 ]
- 泣けるかどうか分からんのだが、一つ。
もう10年ぐらい前になるんだが、国語科でかなり気さくな先生(以降恩師)いたのな。 その先生が突然夏ごろに学校来なくなったのよ。理由は病気で静養中だと。 代役の先生の授業はつまらんかった。もう、恩師の先生が偉大すぎて。 「今日はあっついのー!こんなんで授業やっても頭に入らんわ!今日はやめじゃ、やめ!」 と言ってガハハと笑いながら授業潰したりした。授業中に冷たい飲み物振舞ったりしてくれた。 で、調子にのって悪い事して、先生の注意をふざけて聞き流してたら 「このあほう!口で言うても分からんなら、どついたる!こっちゃこい!」 で、口論+つかみあいになった挙句、その生徒が「帰る」とか言い出したのね。そしたら先生 「おーう!さっさといんでしまえ!そん代わり単位落として留年させたるけんな!」 とか何とか言って、時には厳しく、ときには優しくで、生徒に好かれてる先生だったのよ。 で、恩師の先生と同期の先生に「先生はどうしたんですか?」と訊いてみたわけ。 ○○病院に入院してるよ、との事だった。このとき結構ショックだったね。 何故かって、そんな大病してたのか、っていう衝撃が大きすぎたから。
- 784 名前:大人になった名無しさん [2007/06/13(水) 00:18:56 ]
- >>783ラスト三行の話をしたら
今度の休みに、突撃しようぜwwwって流れになった。 同期の先生から病院も病室も教えてもらってたから。 クラスの皆で出し合って買った、お見舞いの必需品、果物盛り合わせと花束。 それを引っ提げて迷惑にならないようにクラスの数人で突撃。俺もこの中にいた。 恩師の先生の個室に辿り着くと、こんこん、と病室をノックした。 中からかすかな声ながらも「どうぞー」と聞こえたのでいつものくせで「失礼しまーす」とか言ってしまった。 先生は驚いてたね。「おーお前ら、なんでこんなとこにきたんや?」って言ってたし。 でも何より驚いたのは俺ら。先生の姿が変わりすぎてた。 すっかり痩せこけてて、どこか弱弱しい感じを受けた。 そんな姿見たもんだから、つい、うるっ、ときちゃったんだ。 先生はそういうとこに敏感だから、「どうしたんやー何泣いとるんぞー」とか笑いながら言うもんで 「だって、先生、ついこの間まで全然元気やったやん。」って思わず漏らしちまった。 「うーん、まあなーでもわしかて人やがな。ロボットちゃうから病気もする。まあ、死にはせんって」 正論だな、とは思ったけれど、先生そんな体じゃ説得力ないって・・・ 「それに、お前等の担任持てただけでもわしは幸せモンや、楽しかったでー」 この言葉でもう涙がツツーッって流れたね。 「いちいち泣くなやー。涙なんてのは大切な物失った時だけに流すようにせんかー。それ以外はわろとけ」 俺らからすれば先生が大事なんじゃないか・・・この言葉でもう号泣。 「生徒に慕われる先生か・・・憧れやったがまさかこんなはように実現するとはなー・・・」 俺は生徒のむせび泣く声の中で、嬉しげな先生のその言葉を今でも良く覚えてる。
- 785 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/06/17(日) 10:01:26 ]
- sage
- 786 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/06/20(水) 04:29:44 ]
- 心が病んでる時、このスレに来ると優しい気持ちになれる。
みんな、ありがとう。
- 787 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/07/01(日) 09:46:30 ]
- sage
- 788 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/07/05(木) 22:48:08 ]
- 小学4年の時の思い出。
当時の仲良しグループの中の一人がある日突然転校することになった。 その話を先生から聞いて、理由を本人のA君から問いただした。 理由は所謂家庭の事情というやつで、父子家庭だったA君の父親が再婚し、 結婚相手の連れ子と新しい家庭を築く為にA君だけ祖父母の所に 引き取られることになったらしい。 その経緯を仲間の前で涙ぐみながら話してくれたA君を見て、 子供ながらに「なんて大人は勝手なんだ!」と憤りを感じた。 そして、俺達でA君をなんとか助けよう!大人はあてにならない! とその場にいた友達4人でA君救出作戦が開始された。 そこで話し合いの結果、A君を父親と一緒に住まわせるには法律の力に 頼るしかないという結論に達した。 法律といえば図書館だ、ということでA君を含めた5人で近所の図書館に向かった。 顔なじみの受付のちょっと可愛いお姉さんに「法律の本はどこにありますか?」 と質問して「あそこのコーナーだよ。どうしたの?みんな恐い顔して」 「ちょっと、ね」4人は真剣そのものだった。A君は少し申し訳なさそうにしていた。 早速みんなで手分けして分厚い本を読み漁るのだが、所詮小学生に理解出来る訳がなかった。 それでもA君を助けたい一心で、なんかいい法律はないかと探した。 結局何の進展もないまま閉館の時間がきて、それぞれ家路につくことに。 みんながっかりしながらトボトボと歩いていたが、A君が 「ありがとう。じいちゃんばあちゃんと仲良くやっていくから大丈夫」 と精一杯の笑顔を見せて言ったので、みんな泣いた。A君も泣いた。 今思えば、法律の本を見てどうするつもりだったんだろうと思うけど、 そのときは本気でなんとかなると思っていたなぁ。
- 789 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/07/05(木) 23:34:44 ]
- 最近、スーパーの入り口すぐにスイカとかを
並べられてあるのを見かけるようになったけど、 スイカを見ると思い出すことがある。 自分が小学生の頃、すげー暑い真夏日に 友達とみんなで必死こいて遊んでた。 そしたら、ハット帽かぶった、ヒョロヒョロのじいちゃんが、 網に入ったでっかいスイカを、ヨロヨロしながら一人で運んでた。 たまに日陰に入って、汗を拭いたり、休憩したりしながら、 すげー大変そうだった。 あんまり可哀相だったから、友達と二人でそのじいちゃんに、 自分達が家までスイカ運びます、と申し出た。 じいちゃん最初は遠慮したんだけど、 結局、自分達の申し出を受け入れた。 そこから家は歩いて10分ぐらいのところで、 団地の2階か3階ぐらいだった。じいちゃんは満面の笑みで 「ありがとう、ありがとう、本当に助かったよ。」と、 何度も何度もお礼を言った。自分達も素直に嬉しかった。 だけど、じいちゃんが家のドアを開けた途端、奥から 「じいちゃんマジおせぇよ!使えねぇなぁ、ホント」と、声が聞こえ 自分達と同じぐらいの歳の子供が出てきた。多分、孫。 汗だくのじいちゃんを見ても、お礼の一言も言わないで スイカを持つと部屋の奥に入っていった。 じいちゃんは自分達に「ごめんなぁ、ありがとう」と 悲しそうな表情で言った。自分達は何とも言えなくて 頭だけ下げて、階段を急いで降りた。 帰り道、小学生の少ない語彙じゃ自分らの気持ちを 伝え合うこともできなくて、二人でちょっとだけ泣いた。
- 790 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/07/06(金) 23:12:37 ]
- >>788
A君ふくめて、そのうちの誰かは弁護士などの法律家になったのかい?
- 791 名前:大人になった名無しさん [2007/07/09(月) 16:35:45 ]
- 俺の実体験じゃないけど、とあるスレで見つけてきたのでコピペ。
俺は数ヶ月前、腹を下してて、学校のトイレにかけこんだのよ。 それはもう今こそ!といわんばかりに漏れそうだった。いつ流れ出てもおかしくない状況。 それで、個室までは間に合ったのよ。しかしそこからだ。 学校のトイレは和式が大半だよな?まあ俺が住んでるのが田舎だからなのかもしれんが。 まあ、そんな事はどうでもいいね。で、個室に入った俺は個室の鍵を閉めて 焦りながらズボンとパンツ下ろして、やったわけだ。 そしたらどうだ。便器にピーンとサランラップ張ってあるのね。もう俺涙目wwwいやまじで。 使用禁止とかじゃないんだよ? このときに改めて思ったよ。人災ほど怖ろしい物はないって。 あと下痢ももう嫌だね。体質だからどうにもならんとは思うけど。
- 792 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/07/09(月) 20:19:25 ]
- 小学生の時に病院で1ヶ月くらい入院した。
大部屋だったのでメンバーの入れ替わりが激しく色んな人と話した。 でも途中入ってきた同じ年くらいの女の子とは全く話さなかった。 恥ずかしさもあったしすぐに向こうが退院してしまったからだ。 3月に病院でひな祭り会みたいなのがあったんだけど僕は検査で出れなかった。 しかしその子が応援メッセージ入りのひな祭りカードみたいな物を僕に作ってきてくれた。 今度勉強教えてね、とも書いてあったがその後も結局話すことはなかった。 たったそれだけの繋がりだったが手術前で凄く励まされて嬉しかったので今でも時々思い出す。 ただその子の名前と顔が思い出せず、カードも見つからないのが残念…
- 793 名前:大人になった名無しさん [2007/07/10(火) 02:52:46 ]
- 0ノ9ノ5ノ0ノ4ノ0
- 794 名前:大人になった名無しさん [2007/07/10(火) 12:05:05 ]
- ちょっと前の話。
勤務する会社の商品に問題が発生、物流センターでリコール作業を行なうことになったんだ。 人材派遣会社から人夫を20名程依頼し、俺以外は会社が用意した作業服に着替え、朝の9時から単純作業。 昼休みになり近くのラーメン屋に移動。人夫の大半が学生orフリーター風の中、一人だけ40歳位の男性がいた。 皆が日替わり定食やラーメンセットを食べてる中、その人だけが焼飯(¥350)単品だった。 夕方になり、作業が終了。その人、私服が背広でネクタイ〆て帰って行ったんだ。 俺が思うに最近リストラされて家族に言えないから普段通り背広で出勤してるんだろうと思う。 作業は3日続いたんだけど毎日背広姿だった。ちゃんと黒いブリーフケース持ってたし。 そんな事も忘れた二ヶ月程後の日曜日、遠方のジャスコで彼を目撃。ゲームコーナーで娘サンとベンチに座って 自販機で買ったアイスクリームを食べてたよ。嬉しくも悲しくも秋の夕暮れ時の出来事でした。
- 795 名前:大人になった名無しさん [2007/07/11(水) 21:54:25 ]
- >>3-4
ぐ、偶然だ!!!! これ僕、今日2ちゃんの笑える話が載ってるまとめサイトで見たばかり!!! 元ネタがこの板だったとは
- 796 名前:大人になった名無しさん [2007/07/18(水) 23:12:45 ]
- ドイツから帰国して早一年になる。
二年間ドイツの大学の修士かで勉強していて修士を取ってちょうど一年前に帰ってきた。 最初の半年は地獄だった。 理解できない授業、冷たいドイツ人の視線、なれない文化、友人なんかいない 毎日帰りたいと思っていた。 ある日本屋で授業の合間の時間つぶしをしているとき、すごく顔が整った美青年が僕に声をかけてきた。 彼はドイツ人と日本人のハーフで医学を専攻している学生だった。(以下J) Jは日本にも住んでいたことがあり、ドイツ語日本語両方とも流暢。 その後僕らはカフェに行った。彼の話は面白かったが、僕はそれ以上に彼の容姿にずっと気がいっていた。 彼の顔はすごく美形で体もたくましかった。 僕は日本にいるとき彼女がいた。 ウクライナ人で日本でモデルの仕事をしている18歳の少女だった。 それまで僕は自分は白人の少女しか愛することができないロリータだと悟っていた。 しかしそこで僕はもう一人の自分に気づくことになったのだ。 むろん彼はバイセクシャルだった。 彼は僕のためなら何でもしてくれた。人の本当のやさしさに出会えた。 今東京のビルに囲まれながら遠く離れたドイツのJのことを思っている。
- 797 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/07/19(木) 01:21:53 ]
- アッー
- 798 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/07/19(木) 18:41:38 ]
- 高校2年の夏休み。近所に住む幼馴染みが泊まりに来た。
両親が法事かなにかで旅行に行くので3日間だけウチであずかることになってた。 小学生のころはいつも一緒に遊んでいたのだが中学に入ってからはクラスも別に なったこともあり、あまり話さなくなってた。 ウチの両親が出かけると、久しぶりに二人っきりだと特に話題も無く、なんとなく 気まずい空気が流れていた。 すると突然「○○くん(俺の小学生の時のあだ名)さぁ、キスとかしたことある?」 とか言い出した。「1組の女子と付き合ってるって噂聞いたことあるけど・・」とも。 「付き合ってなんかいないさ。俺、あいつの事好きでもなんでもないし。」って答え たら、「じゃあ、キスしたことないんだ?」と からかうような口調で聞いてくるから 少しむかついて、「そういうお前こそあるのかよ!」と怒鳴ってしまった。 そうしたら、しばらく無言で下向いてるから「すまん、大声出したりして、ゴメン」 と謝ったら、小さな声で言ってきた「・・・してみる?」俺はびっくりして「えっ?」 と聞き返したら、「キス・・・・してみる?」と今度は俺の目をまっすぐに見つめて はっきりと言ってきた。そして、急に俺に抱きついてきてキスをしてきた。 その後はよく覚えていないけど、二人で抱き合ってウチの両親が帰ってくるまで ずっと舌をからませていた。 その後そいつと付き合うことになって、休みのたびに映画観たり、買い物に行ったり、 いつも一緒にいたような気がする。そうなると自然と体の関係を持ちたくなったけど どうしても最後までは許してくれなかった。そのかわり「ごめんね、これで我慢して」 と言っていつもフェラしてくれた。俺も何回かフェラしてやった。
- 799 名前:大人になった名無しさん [2007/07/19(木) 22:37:11 ]
- >>796,798
何で急に同性愛スレになってんの 二話続けてホモ話なんて
- 800 名前:大人になった名無しさん [2007/07/20(金) 03:54:38 ]
- ツマンネ なにこの流れ
- 801 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/07/22(日) 23:41:53 ]
- ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ mixiデビュー!(0) ┃ ┃ 今日は僕の誕生日です!(0) . ┃ ┃ みなさんはどう思いますか?(0) . ┃ ┃ あけましておめでとう!!(0) ┃ ┃ 最近めちゃくちゃ落ち込んでいます…(0).. ┃ ┃ マイミクの皆さ〜ん!お知恵拝借!(0) ..┃ ┃ 手首切りました…(0) . .┃ ┃ 家にある睡眠薬全部飲みました…(0) .┃ ┃ 皆様にアンケートです(0) ┃ ┃ mixiプレミアム入っちゃいました!!(0) .┃ ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
- 802 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/07/23(月) 19:46:39 ]
- 単身赴任していた父は、父の父、つまり私のおじいちゃんが亡くなると2週間程だろうか。長い休暇を取った。
やることは山積みで、死んで3日くらいは葬式やら会場やらの手配で忙しくしていたし 祖父の一人暮らしの部屋を片付けたり届けを出したりいろいろ大変そうだった 祖父が死んだのは3月9日。その数日前には私の高校受験があった。 もしかしたら…おじいちゃんが受験と重ならないように、お父さんが卒業式に出られるように 計らってくれたのかもしれない…と密かに思っている。 父の長い休暇もいよいよ明日で終わるという日、家族でスーパー銭湯に行った。 私が風呂から上がると、すでに父はビールとつまみで一杯やっていた。 軽食スペースの真ん中に置いてあるテレビから、映画の宣伝が流れた。アメリカのクレイアニメだった。 「おじいちゃんが生きてたら、○○(私)と兄ちゃんと一緒に観にいってたかもなぁ」 父は、そう呟くと、顔をゆがめることもなく、目からポロっと涙を流した。 肩にかけたタオルで、まるで風呂上りに顔を拭くみたいにして、涙をぬぐっていた。 私は初めて、お父さんがそんな風に泣くところを見た。 まるで遠くを眺めるみたいな瞳からこぼれてきた涙は、大人の涙とは思えないほど自然体だった。 おじいちゃんに、ディズニーの映画に連れていってもらったことがある。 中1か2くらいだった。お兄ちゃんと一緒に行った。 ちょっと照れがあったけど、グッズを買ってもらったり、カツを食べに行ったりした。元気だった頃。 映画が好きなおじいちゃんっていうのが、センスが良くて好きだった 昔は警察で、殺人事件の捜査をしてたっていうおじいちゃんが、めちゃくちゃかっこよくて好きだった。 父の弟、私のおじさんが困った人で、おばあちゃんも困った人で、お父さんは今も大変そうだ。 あの日見た穢れない涙が、お父さんの脆さを語るようで、いつか折れてしまわないか不安だ。 不精なもんで、仏壇に手を合わせることも滅多にないけど、今日はちゃんと向かいあおうかな うん、別に泣けないですね、ごめんね
- 803 名前:大人になった名無しさん [2007/07/25(水) 14:41:02 ]
- いや、いい話・・・
お父さん大事にね。
- 804 名前:大人になった名無しさん [2007/08/11(土) 02:40:17 ]
- 祖父も祖母も物心ついた頃には居なかった。
ペットも親が駄目だって言うから昆虫すら飼った事ない。 友達も居なかった。 だから身近な人や生き物が死んだという経験もない。 俺がどんなに辛い時も理解してくれる人もかばってくれる人も居なかった。 恋だってしたかったけど、それすらない。 うるさいという理由で音楽再生機器も買ってもらえなかった。 テレビもNHKくらいしか見せてもらえなかった。 ゲーム機も玩具も買ってもらった記憶はない。 小遣いも貧乏だから無かった。 そんな自分だから流行にも疎く虐めの対象になった。 学校なんか行きたくなかったけど行かないと殴られるから行った。 行っても虐められたから変わらなかったんだけどね。 そんな自分から見れば暖かい思い出があるおまいらが羨ましいよ。 俺には何もない…。 そんな自分でも五体満足に産んでくれたカーチャンには感謝する。 現在うつ病で心配かけてごめんよ。 ずっと我慢してきたのに身体がいうこと効かなくなっちゃったよ。 自分にも何かいい思い出欲しかったけど、もう無理かな?
- 805 名前:大人になった名無しさん [2007/08/11(土) 03:03:17 ]
- これからだよ。
これからしたいことや、思い出つくればいいのよ。
- 806 名前:大人になった名無しさん [2007/08/11(土) 21:19:56 ]
- >>804
あまりの悲惨さに泣けた でもセピアでもなんでもないだろ
- 807 名前:まつけん mailto:sage [2007/08/12(日) 05:49:12 ]
- よかったら聞いてください。
bubble6.2ch.net/test/bbs.cgi
- 808 名前:大人になった名無しさん [2007/08/16(木) 00:23:42 ]
- 祖母の家の庭には、小さな桜の木がありました。観賞用ではなく、身を食べるための小さな木です。
祖母は、さくらんぼが好きだと言った私のためにその木を植えてくれたようで、遊びに行く度、『●●ちゃんの好きなさくらんぼ、来年はなるといいねぇ。なったらおばあちゃんと●●ちゃんとで食べようね』と言っていました。 ところが、さくらんぼは何年経ってもならないのです。 最初は楽しみにしていた私も、次第にどうでもよくなってしまっていました。 その祖母が、今年亡くなりました。ちょうど桜の花の散った頃です。 私が駆けつけたとき、祖母の横には小さな箱が置いてありました。なんだろうと思って開けると、中身はさくらんぼ。まだ青っぽい実と、小さなメモが入っていました。 『●●ちゃんの好きなさくらんぼがやっとなりました。うれしいね』と書いたメモが。 それを見て、泣きました。 青っぽいさくらんぼは、ひとつは祖母の棺桶に入れ、残りは私が食べました。 すっぱかったけど、いままででいちばんおいしいさくらんぼだったように思います。
- 809 名前:わらいの絶えない人生 mailto:sage [2007/08/23(木) 10:18:36 ]
- 死んだ話で涙を誘うのが多いな
確かに人(や生き物)の死が泣けるのは肯けるけど ちょっと食傷気味だね もっと『セピア』な泣ける話か読みたいもんだ
- 810 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/08/26(日) 14:26:58 ]
- 兄が生まれつき骨の具合が悪いせいで整形外科に入院してた、小学4年ごろの話。
私はよく知らなかったんだけど、同室だったある女性と仲が良かったらしい。 その人が個室に入っても、部屋まで遊びに行ったりしていた。 手術の前の日には、怖くて怖くて不安だったその人の手を、兄はにぎってあげた。 兄自身、たった一人きりの入院や手術は不安で仕方なかっただろうに。 そこはガキパワーで強がってたみたいだけどww お互いに退院しても、連絡は取り合っていた。 我が家のある市に用事があると、必ず家まで来てケーキなんかをくれた。 遊園地のチケットもくれたなぁ。 いつも「あの頃は○○君(兄)には本当に救われたんです」という。そういうとき兄は毎度照れてる。 その人は結婚してるんだけど、子供は授かっていない 兄はもちろん、妹の私まで可愛がってくれている。 その人は自宅で絵を書いている。 市民共同の展覧会に出品した時、見させてもらったけど凄く大きくて立派な絵だった 私も絵を書く方なので、そんな大きな絵を書くその人は凄い人だと思う 旦那さんも、こっそり私の写真を撮ったりしているのを見ると、娘が欲しかったんだろうな、と思う。 家族はみんなその人に感謝している 兄の入院が、ただ家族にとってしんどいものにならなくてよかった 出会えてよかったと思っています。
- 811 名前:大人になった名無しさん [2007/08/29(水) 23:02:52 ]
- >>1-810
- 812 名前:大人になった名無しさん [2007/08/31(金) 13:16:45 ]
- あげ
- 813 名前:大人になった名無しさん [2007/09/09(日) 13:59:48 ]
- age
- 814 名前:girl [2007/09/10(月) 01:55:40 ]
- あいつが死んでから、2、3週間は食べ物がのどを通らなかった
笑うことも泣くことも怒ることも楽しむことも無かった それでも、時は待ってくれない ある時、友人が「外に出ろ」といわれ、言われるままに外に出た 外には、白く冷たい雪があった。私は公園へ行った 公園で友人に言われた 「あいつがお前を見たら、殴りかかってくるだろうな」 私も言葉を返した。 空が暗くなってきた。最後に友人が一言いった 「あいつがいなくてもさ、またいつか俺達、笑ったり、泣いたり、楽しんだりできるといいな」 心に染みた 「また、いつか」この一言で私の人生は変わった。 あれから10年つらいこともあったけど、私は落ち着きを取り戻した 「ねぇ・・またいつか・・・」
- 815 名前:大人になった名無しさん [2007/09/11(火) 22:59:33 ]
- 親父が亡くなりまして。
正直なところ親父が大嫌いで、「この偏屈じじい」と思ってた。 オレも所帯持って子供が2人できて、去年七五三。親父はえらくよろこんでた。 したら、この夏いきなり腎不全で死んじゃった。 もう壮絶な最期で、人間が死ぬってのは大変なことだとわかった。 大好きな人だったら素直に泣けるのに、なんであんなに嫌いだったのか、 もう少しどうにかできなかったのかと思うと悔いばかり残る。 何言っても、相手はもういないしね。 親不孝してきたツケというのはこういうところで来るんだね。 多分、一生かかえていくのかな。 ごめん、泣ける話じゃなかった。死んだ話で涙を誘う気ではなかったんだが。
- 816 名前:大人になった名無しさん [2007/09/11(火) 23:05:05 ]
- てか、セピアじゃないじゃん!最近じゃん!
ということで再度ごめんなさい
- 817 名前:大人になった名無しさん [2007/09/12(水) 20:11:15 ]
- 9年ぶりに恩師に電話した。
不登校のときフリースクールで出会った先生。 もとどっかの校長先生だというのにいつも子どもの目線からみてくれた先生だった。 好き勝手やってるように見えても色々悩んで何度も命絶とうとして でもなんとか生きてますけどねwと笑いながら話したら 「そうだったのか、苦しかったんだね」と。 「みんなもそうだよ」とか「色々あるよね」ということばは何度もきいていたけど こんなこといわれたのは初めてで涙が出そうになった。 思えば先生は調理実習のとき私が協調性がなくてばかみたいにポツンとしてても 「ごめんね、気づかなくて」と言ってほかの班に追いつくように用意をしてくれた。 いつも本当に生徒を見下さずに意見を聞いてくれて気遣ってくれた。 そんな先生はもう70歳を迎える。 わたしは今、教員を目指しています。 当時のクラスメイトとは今でも仲良くしています。 貴方がたが結び付けてくれた最高の親友たちです。 来年で出会って10年目なので同窓会を企画しています。 先生ももちろん呼びますから、きてください。
- 818 名前:大人になった名無しさん [2007/09/19(水) 06:39:08 ]
- おお まだこのスレあったか。
半年ぐらい前に うちのかわいいかわいいわんこが 逝って凹んでた時 何度かコメントしたりしたんだが。 とりあえず みんな幸せになれな。
- 819 名前:大人になった名無しさん [2007/09/29(土) 16:40:34 ]
- セピアかどうか分かんないけど書きます。
僕が小学5年の時の話です。 僕は結構小学生の頃、下らない事で兄としょっちゅうケンカしていました。 兄貴といるとムカつくし大嫌いでした。 小学5年に上る時、お父さんの仕事の都合で引っ越しをしました。 引っ越した日は家族皆同じ部屋で寝ました。 正直兄貴と一緒の部屋で寝るのは嫌でした。 その日の夢で僕は坂道でチャリをこいでいて、それを兄貴に馬鹿にされながら抜かされました。 そして、兄貴が優越感に充ち満ちた表情で振り向いた時、兄貴は坂道の横に落ちてしまいました。 坂の横は断崖絶壁になっていて、下はコンクリートでした。 当然助かる訳はありませんでした。 僕は兄が大嫌いだった筈なのに膝をついて泣いていました。 そこで母さんに起こされました。 僕が起きると前には母さんが立っていて、横に兄貴が座っていました。 僕は寝ぼけていたのか、寝ぼけたフリをしていたのか兄貴の膝で再び眠りにつきました。 どんなに嫌いと思っていても、やっぱ“死ぬ”って事は 一人の人間がいなくなる事は辛いって事を実感しました。 今は仲良くやってます。 夢でよかった兄貴大好きだ 。
- 820 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/09/29(土) 23:27:10 ]
- 家族の好き嫌いってそういうもんだろ。
きっと神様かご先祖様が、夢を使って気づかせてくれたんだろう。
- 821 名前:大人になった名無しさん [2007/09/30(日) 00:18:09 ]
- human7.2ch.net/test/read.cgi/wmotenai/1175268126/448-462
↑ 泣けるぞ。
- 822 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/10/07(日) 08:24:17 ]
- sage
- 823 名前:大人になった名無しさん [2007/10/07(日) 15:24:54 ]
- >>820
お前いいこというな、泣けた。
- 824 名前:大人になった名無しさん [2007/10/09(火) 13:45:49 ]
- そういえばオレの兄貴も819と同じような夢(オレが市ぬやつ)を見て夢の中で泣いてたらしいぞ。
オレそれきいたとき感動して泣きそうになった笑
- 825 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/10/10(水) 23:18:49 ]
- >>819
ちょっと泣けた、拙い文章が 俺も兄貴が嫌いだが、やはり兄貴は俺の兄貴なんだ
- 826 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/10/27(土) 19:54:46 ]
- sage
- 827 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/11/04(日) 19:08:24 ]
- sage
- 828 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/11/18(日) 17:28:27 ]
- sage
- 829 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/12/08(土) 08:39:27 ]
- sage
- 830 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/12/15(土) 17:08:55 ]
- sage
- 831 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2007/12/23(日) 08:48:09 ]
- sage
- 832 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2008/01/03(木) 17:54:55 ]
- sage
- 833 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [2008/01/10(木) 03:13:40 ]
- sage
- 834 名前:大人になった名無しさん [2008/01/11(金) 21:42:33 ]
- 俺が消防の頃の話
同じクラスに黒田平一(仮名)、通称クロベーってヤツがいたんだ。 クロベーの家は母子家庭で母親とクロベーと弟の3人暮らしだった。 クロベーの一家は、親戚の家の離れに間借りして、風呂は母屋のを共同で使わせてもらっていた。 クロベーの母ちゃんは、その親戚の家業を手伝う形で生計を立て、 女手一つで一家を支えていていた、所謂、貧乏な家庭だったんだ。 制服のズボンとかも何年も同じのをはき続けてるから丈が短かったり、 体操着なんかも所々破れたりしてんだ。 しかもクロベーは軽く池沼気味で、ギリ普通のクラスって感じで体も小さく、 万年ハナタレで勉強やスポーツは大の苦手でだった。でも、すげーいいやつなんだ。 いつも笑顔を絶やさず、優しくてクロベーはクラスの人気者だったんだ。 そんで、クロベーは虐められることもなく、無事小学校を卒業し中学校へ進学した。 そして俺は、中学でもクロベーと同じクラスになったんだよ。 クロベーはスケッチが好きで、休憩時間になるとテラスに出て、 よく風景を写生してたんだが、クロベーの場合は太陽を写生したりするわけ。 目を細め、太陽を直視しつつ、すげー色使いで太陽だけをスケッチするんだよ。 すると、この様子を見た他の小学校出身の連中がクロベーを虐め始めたんだ。 虐めっつっても、暴力を振るったり無視したりするわけではなく、 クロベーの突飛な発言や行動をからかったりする程度だったんで 俺もそこまでは気にはいなかった。
- 835 名前:大人になった名無しさん [2008/01/11(金) 21:44:06 ]
- そんなある日、授業参観の案内があったんだよ。クロベーの母ちゃん
は仕事が忙しく、消防の頃から殆ど学校行事に参加していなかっ た。クロベーは運動会の時も、弟と二人教室で弁当を食べていたんだ。 ところが、親戚の粋な計らいで、今回はクロベーの母ちゃんが来るら しい。クロベーは満面の笑みで俺たちに、そう報告した。 そして参観日当日、どこの親も、一張羅でめかし込んで来るわけ。 当然俺の母親もスーツで来てたんだよ。 そんな中、いよいよ授業が始まるって時にクロベーの母ちゃんがやっと登場。 仕事の最中に学校に寄った様子で、ピンクのジャージに紺のヤッケを羽織ってる。 急いで走って来たらしく首に掛けた手ぬぐいで額の汗をぬぐいながら、 場違いな雰囲気に遠慮がちに教室に入って来た。将に貧乏丸出しである。 でも、クロベーの顔を見ると、そりゃー嬉しそうにニコニコ笑って張り切ってたよ。 そんで、授業開始、その日は担任の女教師による日本地理の授業だったんだ。 程なくして、先生がこんな問いかけをした・・・ 「北海道の旭川市は稚内と比べると南に位置するにも関わらず冬季 の気温が低いのはなぜか?」この中学生には難しい問いかけに一同 沈黙する中、なんとクロベーが「はい!!」と高らかに張り切って 手を上げたわけ。 普段からクロベーの突飛な回答に困惑していた先生も「しまった!!」 つー表情。先生は「では、黒田くん」と已む無くクロベーを指したんだ。 クロベーの回答は以下のようなものだった・・・ 「稚内には牧場がいっぱいあって、牛がたくさんおって、その牛の息が 集まって空気が温くなります」と、言い放ったんだ。
- 836 名前:大人になった名無しさん [2008/01/11(金) 21:44:47 ]
- 当然、保護者含め一同大爆笑。するとクロベーの母ちゃんが言った
「いいぞ平一!!」てな。 そんで次の瞬間、無言でクロベーのところにツカツカと寄って来て、 ハナタレだったクロベーの鼻水をチーンと手ぬぐいでぬぐったわけ。 笑い声は一気に静まり返り、一同呆然とする中、クロベーの母ちゃんは 何事もなかったような涼しい顔で教室の後ろへと戻った。 俺は、なんだか妙に感動して、胸がジーンと熱くなるような感情を覚えた。 けど、周りのやつらの反応は違ったね。 この一件は、クロベーの虐めを激化させる引き金となってしまったんだ。 「貧乏人」「不潔」に始まり、クロベーの母ちゃんを中傷するような酷い 言葉を浴びせ掛けられたんだ。 腕力に自信のあった俺と連れのHは、そのたびにクロベーを助け、 虐めている連中を一喝した。 しかし、俺たちの見てないところで虐めは更にエスカレートし、靴を隠したり、 筆箱に残飯を入れたり、無視したりと陰湿なものに移行していった。 しかし、クロベーは気にする様子もなく、淡々と笑顔ですごしていたよ。
- 837 名前:大人になった名無しさん [2008/01/11(金) 21:45:15 ]
- そんなある日、クラスで盗難事件が発生した。
ある女子生徒が、鞄の中に入れていた、現金の入った封筒を盗まれたと 騒ぎ出したんだ。 すると、クロベーを虐めてた連中の一人が「貧乏人の黒田に違いない」 と騒ぎ立てやがったわけ。 移動教室の時、おっとりしたクロベーはいつも最後まで教室に残ることが多く、 それが疑われる要因になったってこと。 俺とHは必死に「クロベーは人の物を盗んだりするようなヤツじゃない」 と訴えたが、生活指導の強面教師は、クロベー犯人説を真に受けて クロベーを尋問しやがった。 身に憶えのない容疑に、クロベーは「知らない」と否定したが、 状況証拠のみでクロベーの尋問は続き、語彙の乏しいクロベーは、ただ 「知らない」と言い張るばかりで、生活指導の教師の心証を悪くしたようである。 そして下校時間を過ぎ、その日の取調べは一端終了し、クロベーは仮釈放となったんだ。 ところが次の日、あらぬ冤罪を掛けられた息子を弁護すべく、クロベーの 母ちゃんが職員室に乗り込んで来たんだよ。噂を聞きつけた俺とHは、 急いで職員室に様子を見に行ったんだ。 そしたら、クロベーの母ちゃんは嗚咽して、生活指導の教師にすがりつき、 泣きながら叫んでるんだ。 「あの子じゃありません!あの子は人の物を盗むような子じゃないんですっ!!」てな。 噂はあっと言う間に全校を駆け抜け、野次馬達が集まって来たんだ。 汚い格好で嗚咽するクロベーの母ちゃんを見て「あいつら共犯に違いない」 などと心ない噂が学校中を駆け抜け、クロベーに対するイジメや中傷は更に激化したわけ。 この事態にさすがのクロベーもシュンとした様子だった。俺とHは、 クロベーを励まし勇気づけ、更に冤罪を晴らすべく真犯人を探し聞き込みを開始したんだよ。
- 838 名前:大人になった名無しさん [2008/01/11(金) 21:45:41 ]
- しかし、なんの手がかりも掴めず、クロベーに容疑が掛かったまま一週間を過ぎたある日、
担任の先生から思わぬ報告があったんだ。 紛失した現金入り封筒が見つかったと・・・・ なんと紛失したと思われていた封筒。実は、その女子生徒の勘違いで鞄の奥にあったんだよ。 でもあまりに騒ぎが大きくなったんで今まで言い出せなかったが良心の呵責に苛まれ、 その子は、泣きながら担任に事の顛末を告白したんだ。 「黒田くん、疑いを掛けてごめんね」と担任から報告を聞き終えた瞬間、 Hのヤツが突然立ち上がり「うおっー!!」叫びながら走り出し、クロベーが犯人と最初に 疑いを掛けたヤツにいきなりドロップキックをブチかましたんだ。 続いて俺も立ち上がり、助走をつけて、そいつにラリアットをブチかましたんだよ。 まるで、ゴディ・ウイリアムズ組みてーな見事なコンビネーションでな。 続いて、その取り巻きのヤツら含め3人をボコボコにしてやったんだよ。 すると心の優しいクロベーは俺達を止めるべく「やめて!!」と割って入ってきて、 俺達は「おまえは悔しくないんか!!」とクロベーを払いのけ、更に連中をどつきまくったんだ。 そんで、俺達は駆けつけた生活指導の教師に取り押さえられたわけ。 当然、死ぬほど怒られたよ。俺達は何度も生活指導の教師にぶん殴られたんだ。 そんで親も呼び出されこっぴどく怒られた挙句、俺達がどついたヤツらの家を一軒一軒、 親と一緒に頭下げて回らさせられたんだ。 行く先々の家で俺たちは罵倒され、それでも親に無理やり頭を抑えつけられ俺たちは頭を下げた。 正義のヒーローのつもりが、自分の親にまで迷惑を掛けてしまい、俺はその理不尽さに 一人悔し泣きしたんだ。
- 839 名前:大人になった名無しさん [2008/01/11(金) 21:46:06 ]
- ようやく、ほとぼりも冷めたある日、クロベーが俺とHの所にやって来て、こう言った。
「今日うちの母ちゃんが二人にご馳走したいって、だから遊びにおいで」と言うんだ。 別に用事もなかった俺達は即座に了承したわけ。 そんで放課後、俺達はクロベーの家に行ったんだ。だが、まだお母さんは仕事から帰ってなくて、 家にはクロベーと弟しか居なかったんだ。 俺達は仕方なく、ファミコンはおろか、テレビすらないクロベーの家で母親の帰りを待ったんだよ。 いい加減に待ちくたびれた18:00を過ぎた頃、クロベーの母ちゃんが帰ってきた。 「みんな遅くなってごめんね、いまご馳走するからね」と手に下げた買い物袋をテーブルに置くと エプロンを付け何やら料理を始めたわけ。 暫くすると「ぷーん」とカレーの匂いが漂って来た。 「やったカレーだ!!」クロベーの弟が嬉しそうに叫んだ。 程なくして、クロベーの母ちゃんが「おまたせ!!」と鍋に入れたカレーを持ってきたんだよ。 それと餃子も出て来たんだが、よほど好物だったのか、クロベーも弟も餃子に歓喜の声を上げたんだ。 俺達にとっては、ご馳走と言うには、ほど遠いメニューだったが、貧乏なクロベーの母ちゃんにしたら 精一杯のもてなしだったことだろう。 腹も減ってたんで俺達はとりあえず食べることにした。 カレーに肉はなく、刻んだ魚肉ソーセージと玉ねぎとジャガイモニンジン、そして、なぜかシイタケが 入っていたが、どうやらこれが黒田家のデフォルトらしい。 だが、味はうまかったので俺達は豪快にカレーを流し込んだんだよ。 そんで暫くするとクロベーの母ちゃんがスプーンを置き、静かに口を開いて俺達にこう言ったんだ。 「あんた達、平一を助けてくれてありがとう、これからも友達でいてね・・・」 そう言うと、声を上げて、うぉんうぉん泣き出したんだ。 俺もなんだか悲しくて、そして嬉しくって、涙が溢れて来て、声を上げて泣いたんだよ。 Hも釣られて、みんなでカレーの味も判らなくなるほど泣きじゃくったんだ。 一言もしゃべらず、ただカレーを食べながら声をしゃくりあげて泣いたんだ・・・・ クロベーだけは笑ってたな。
- 840 名前:大人になった名無しさん [2008/01/11(金) 21:46:31 ]
- そんで、それから中学校3年間、俺とHはクロベーを守ったんだ。
そして、卒業を迎え、俺とHは地元の高校に進学、クロベーは県外へ就職することになってたんだ。 俺とHはクロべーに別れの言葉を告げたんだ 「もう俺達は、おまえを守ってやれない、これからはお前が母ちゃんを守っていくんだ」 そうクロベーに言った「わかった」と力強い言葉がクロベーから返ってきたんだ。 その言葉に俺達は安心してクロベーと別れたんだ。 それから数年後、県外に落ち着いたクロベーは、母ちゃんと弟を呼び寄せ、 3人で一緒に暮らしはじめたんだ。あのクロベーが、なんと頼もしいことだろうか。 だが、俺の記憶はあんときのままだ・・・。 今も思い出すクロベーの屈託のない笑顔。あいつには幸せになる権利があるんだ。 あれから四半世紀が経ち、今は、俺も家族を持ち、子供を育てる父親となった。 俺は子育てで悩んだ時、いつもクロベーの母ちゃんの事を思い出す。 親ってのは、どんなにブサイクで恰好悪くても、子供の味方して守っていかなくちゃならないんだと・・・。 長文、駄文失礼しました。おわり・・・
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