- 760 名前:人間七七四年 mailto:sage [2017/05/03(水) 23:16:46.81 ID:lqY/8zPQ.net]
- 関が原の合戦で敗れた石田治部少輔三成が、家人をも召し釣れず、落ち行く勢の内に紛れていたのを、
田中兵部(吉政)の家人、田中伝左衛門が発見した 「治部殿こそおはしけれ!今は御運の尽きんとする時と覚えて候、留まり給え!」 そう言って走りかかり押しとどめた。しかし三成は否定した 「いやいや、名もなき下人なり、治部にはあらず。人違いし給うな。」 「見忘れさせ給うにや、田中伝左衛門にて候。関白殿(秀次)の所で、幾度か見参らせて候ものを!」 そういって押し捕えた。 その場所は近江の古橋という所で、先ずはその身柄を近くの寺に伴い、やがて陣所に引いて行、田中吉政へ 注進した。三成はその時一尺二、三寸の、放し目貫の脇差しを佩き、柿色の帷子一つを着て、袋に入れた 米五合ほどを腰に付けていた。 この脇差しの目貫は黄金の駒であったが、その裏には目貫が無く、伝左衛門が 「これはいかにさせたまいしか」 そう尋ねると、 「家臣が一人、付きまとっていたためこれを抜いて取らせ、これを印としてはや大阪城へ赴くようにと言って 落としたのだ。」 と答えた。そして三成は伝左衛門の方に向かい尋ねた 「父である石田木工、その他の人々はいかになりしや、知っているのなら知らせ給え。」 「木工殿は、妻子を刺殺し、その身は潔く御自害遊ばして候へ。その他の御方々も同じ道にこそ。」 これを聞くと三成は、快くうち笑って「ざっと済んだ」と言ったという。 まや伝左衛門が問うた 「大事の合戦に敗れし上は、何とて御自害候はで、かく捕われとなり給えるぞ」 すると 「潔く自殺などするはおと等の事よ。我等は左様なことはすまじきぞ。」 そうあざ笑っていたという。 (話園)
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