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■■本能寺の変徹底考察スレA+■■



1 名前:サイコメトリー [2008/06/22(日) 15:50:25 ID:z2hlhln/]

前スレは皆さんに様々な知識やご意見を頂き、本当に勉強させて頂きまして
ありがとうございました。
自分は、支持する桑田忠親説に関して少し固執する所があった事、お許し下さい。

もう語る事無いだろうと仰る方も居るでしょうが、自分としては、もう少し
皆の意見を聞き楽しみたく、またスレ立てしてしまいました。
ここまでの流れとしては、複合説が主流となってきていますが、新たな方の新た
なご意見を求めます。

また、お題にプラスを加えさせたのは、変時の信長の統一構想も少し、語って
行きたいなと思った為です。宜しくお願いします。


88 名前:人間七七四年 [2008/06/24(火) 17:55:20 ID:I0ZGWlIX]
>>87
>少なくとも、天正10年1月では光秀は信長の自筆の掛け軸をかけたりして、神扱いしているから、
>自分の地位に満足していたといえる。

むしろ、そうまでして忠誠心を示さねばならなかったんじゃないかな。

遡れば、変の丁度一年前に家中に軍法を発布しているのも然り。
暫らくして信長のお気に入りだった妹が死んでいるから、その頃から光秀は
信長との関係に気を揉む様になっいたと考えられる。

長宗我部との関係が拗れ始めたのもその頃だしね。

89 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/24(火) 18:24:38 ID:Ol4E/mKz]
藤本鈴木本というのがまだ最近であまり論評されてるところを知らないからなんだけど、結構前からそういう光秀野望説みたいなのはあったんだよね。
ただ戦国の世だし、今だって会社で出世していくのを出世欲がある、なんてことさら強調しないから、光秀独自の野望、って意味でもないのですよね。
主君を乗り換えていくぐらいだから当然そういう欲求は人一倍あったと思うし。
あくまでよくある、一山あててやろぉ、ってなもんで、そういう意味でも本能寺は格別な謀反とも思わないのですよね。

だもんで、黒幕どころか謎ともあまり思わないし、光秀おめでとの変、ぐらいにしか思わないのですよね。




90 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/24(火) 18:26:02 ID:HnhFlg0b]
>>87 総見寺資料だったかな 序列と関係ある共ない共いえません
私は7本槍みたいなものじゃないかと想像してます
滝川や丹羽が入っている理由は私などにはわかりませんw
他の部分に佐久間林の名もあるらしく関東の頃以前の話みたい

91 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/24(火) 19:12:09 ID:0uRENEWQ]
光秀に野望があったのは事実だろうが、野望といってもいろいとあって、立身出世を望むのも
野望なら、自分が天下人になるというものまで。

>>86
信長が生きていたら、秀吉は織田の一武将で終わったでしょう。それは買いかぶりのしすぎです。

92 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/24(火) 19:28:55 ID:Ol4E/mKz]
>>91
反論ではないですけど、もし秀吉が1武将で終わって、どこかで信長が先に死んでたら天下を取ったかも、というのは買いかぶりと思うのですよね。
何ですけど実際に先に信長が死んだら見事に天下を取った、ということは秀吉の実力と言うのは事実なわけですよね。
それもここでは繰り返しませんが、マイナスの状態からたった3年で関白にまで上り詰める。
家康がいたのにもかかわらずです。
ということは、秀吉は光秀以上に、殿があぼ〜んしたらわしのもんだがや、と思ってた可能性はあるでしょうし、もしかして自分が変を起こしていたかもしれないわけです。
買いかぶり、というのは信長のためにあるようなもので、秀吉や家康にはそれでも足りないぐらい、そのように思います。

このあたりは、誰が先に死ぬか、で戦国の地図が変わってきたでしょうが、信長が一番長生きして朝廷滅ぼして信長王国作ってた、みたいな仮定をしない限り結局は同じような展開、誰かが幕府を作って戦国の終焉を迎えた、そのように感じます。

93 名前:人間七七四年 [2008/06/24(火) 19:39:01 ID:CqZNQmww]
方面軍司令官という概念は史料的根拠が無いから、序列を語る上では使わない方がいいんじゃない?

94 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/24(火) 20:20:31 ID:FawkqCaI]
>>92
あんたの秀吉贔屓が気持ち悪い。

95 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/24(火) 20:29:48 ID:sAyQLnQG]
まあ光秀がどうあろうとそれを可能ならしめたのは、信長の完全な油断だわな。

「信長公は武田信玄が死んでから気が緩んだ」細川幽斎

確かにそんな気がする。

96 名前:サイコメトリー mailto:  [2008/06/24(火) 20:35:52 ID:WrSiOTL4]
方面軍とい言葉を初めて使ったのは、高柳光寿氏だそうです。
確かに>>93が仰る通り、その言葉を用いて序列を計る事は一概に出来ませんが、
1582年当時、柴田・羽柴・明智が織田家で最も所領を預かっていた事も事実です。




97 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/24(火) 21:07:12 ID:0uRENEWQ]
>>92
>58 参照。
史実の秀吉が「信長と信忠が同時に死んだから」その状況を利用して天下を取れたことと、
仮定として「信長が死んで信忠が健在でも」秀吉は天下を取れたかはイコールにはなりません。

これは秀吉の能力の問題ではありません。秀吉には「本能寺後」の状況から天下を取る能力が
あったことは史実で証明されていますが、「本能寺がなく信長から信忠にスムーズに権力が継承
された」状況でそれでも天下が取れるとするのは贔屓のヒキ倒しです。
これは家康も同じことですが。

98 名前:人間七七四年 [2008/06/24(火) 21:29:06 ID:Kk6VIf9O]
96
97
に同意。
どう考えても、その三人がTOP3だと思う。佐久間が筆頭だとするスレもあるが‥。

秀吉の力は認めますが、信忠生きてたら、彼は力を出せない状況でしょ。
仮に画策しても、与力武将以外が靡くはずがない。

99 名前:人間七七四年 [2008/06/24(火) 21:35:17 ID:BPqSorVJ]
95
その幽斎の言葉、信長の死後でしょ?
エケイのたか転びと変わらないレベル。

100 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/24(火) 21:47:07 ID:Ol4E/mKz]
てす

101 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/24(火) 21:55:13 ID:Ol4E/mKz]
>>97
よくわかりますよ。すべてあくまで仮定の話ですからね。
ただ、からむわけではないですが、信長から信忠にスムーズに継承されたとしても
その状況がどこまで安定して続いたか、信忠の能力もふくめて、やっぱり仮定の仮定とも
思うのですよ。
とすると、その仮定の二乗の状況下で、秀吉が単なる1武将で終わった、というのもあくまでも
可能性のひとつでしかない、そのようにも思うのですよ。

仮定続きで申し訳ないけど、信長がもう少し長生きして継承がうまくいく、そういう可能性というのも案外少なかった
そのようにも思うのですよね。
まあ、あくまで生きていたら、の話なのでそれが信長の限界とも思えてしまいます。

102 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/24(火) 22:01:57 ID:Ol4E/mKz]
よく信長の油断といますが、視点を変えると、信長が部下の能力と本質を見誤っていた、という言い方はできませんかね。
まさか光秀に反乱されるとは夢にも思ってなかったでしょうし、
その後ハゲネズミが関白になるなんて夢にも思ってなかったでしょう。
だもので、結果を知ってると油断とかどうして軽武装で京に入ったか、なんて謎扱いしますけど、
信長が部下のそういう重要な点を見誤っていた、それまでのことであるというか。

言い過ぎかもしれませんが、自分がそうやって策略、計略で勝ち上がってきた、しかも浅井とかの裏切りも経験している、
にもかかわらず、すぐ近くの光秀にはそういう可能性を感じとれなかったのは、油断と言うより、まさに信長の力量そのもの
、限界、そういうように思うのですよね。
さらに言うと、ハラに一物もってるくせに、へへ〜っ、と仕えてきた光秀のしたたかさ、そういうのを感じます。


103 名前:人間七七四年 [2008/06/24(火) 22:13:15 ID:BPqSorVJ]
↑それが油断と言う。

よく本能寺なくても、いずれ信長は家臣に裏切れたっていうけど、ない、ない。

104 名前:爆音小僧 [2008/06/24(火) 22:16:03 ID:+2tijk1b]
信長は秀吉にころされたんだ!!

105 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/24(火) 22:18:01 ID:sAyQLnQG]
まあ、少なくとも長篠以降の信長は散漫な印象を与えるなあ。
既に太平の世の天下人気取りと言うか。

106 名前:人間七七四年 [2008/06/24(火) 22:28:19 ID:Kk6VIf9O]
ほぼ天下人じゃん。
だからこそ、油断があって本能寺じゃん。



107 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/24(火) 22:29:00 ID:sAyQLnQG]
>>106
「太平の世の」な

108 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/24(火) 22:29:28 ID:ft31LFhF]
サイコさん一応切り取り次第ではありますが越中50万石を貰い
本能寺前日に切り取った佐々は軍団長では無いのですよ

109 名前:人間七七四年 [2008/06/24(火) 22:36:26 ID:/a/nvbmc]
>>93
地方の攻略を任され、一職の令を受けた軍団が存在したのも事実。便宜上使用するのは問題ないと思われる。

110 名前:人間七七四年 [2008/06/25(水) 06:19:45 ID:buteCGPK]
>>109
ということは本能寺時点で光秀に攻略を任されている地方は無いから、方面軍ではないってことだよね

111 名前:人間七七四年 [2008/06/25(水) 06:43:27 ID:E6RlVTZP]
>>110
近畿

112 名前:人間七七四年 [2008/06/25(水) 07:11:07 ID:buteCGPK]
>>111
近畿というのは畿内周辺という意味かと思うけど
紀伊以外終わってたじゃん
光秀は紀伊に関わってないし

113 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/25(水) 09:38:50 ID:6xO+29P3]
>>108佐々前田らの最強寄騎を付けられている柴田がやはり名実共に1ですね

114 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/25(水) 10:19:30 ID:sjbbxhg/]
マジですけど、ササナリマサの直系の子孫と一緒にバイトしたことがあります。
何気に歴史の話したら、どえりゃあ告白をされてびっくりしました。
ただその時はまだ戦国はあまり知らなかったのですよね。
もう少しお知り合いになっておけば良かったな。

115 名前:冬広 mailto:sage [2008/06/25(水) 12:36:25 ID:zaTUmH0H]
>>88
>暫らくして信長のお気に入りだった妹が死んでいるから
あやつけるつもりはないが、これは違うだろ
確かに、「きよし」を「気好」(お気に入り)だとする論者はいるけど、ほかの資料で「信長の妾
が光秀の妹と確認できないから「御旨」(心配した)と解釈すんのが自然っていう桐野氏の見解に
賛成したいね。

>>89,>>102
>光秀おめでとの変、ぐらいにしか思わないのですよね。
>さらに言うと、ハラに一物もってるくせに、へへ〜っ、と仕えてきた光秀のしたたかさ
身もふたもない意見だが、案外これが真理をついているのかもしれない。
「五月かな」の歌を謀反に関連づけて解釈するのも、本能寺って事件をわれわれが知っているから
にすぎず、本人は単に五月の風景を詠んだだけかも知れないしね。
紹巴にあやつけた秀吉も案外そんな気持ちかも…

>>112
紀州は織田信張がいるね。規模は小さいがこいつは紀州専従なんで光秀は無関係。
いわゆる近畿方面軍は丹波平定後の天正8年に組織されるも、9年の因幡援軍・10年の甲斐後詰・備中援軍など、
結成後に方面軍の主体的関わりが全くできてない。畿内にあるという地理的特殊性を加味しても、他の方面軍
にはない地味さ。「方面軍」って認識がそもそも誤りなのかも知れない。>>110にやや同意。


光秀の地位は低下ではなくむしろ上昇していたのではないか?
光秀は天正8年以降に、大和検地・馬揃え・丹後検地を行っている。私見では馬揃えは単なるお祭りと考えるの
で、(差出)検地が重要な任務と考える。
検地は課税対象の確定を目的とするものであるから、織田家の財政の中枢に関わる任務といえる。注目すべきは
大和検地で(奉行は光秀・一益)、大和は従来守護不設置の国である点である。現に「多聞院日記」では奈良の
僧侶がブチ切れて光秀を閻魔王よばわりしている。
また、組下は軍事指揮権のみ司令官に従属するので、光秀の組下の所領である大和検地・丹後検地は司令官によ
る越権行為である。本来ならば、和泉検地を行った堀のように吏僚が派遣されるはずだが、かかる権限を付与さ
れているのは光秀が中枢に関わっているからといえる。
馬揃えに政治的意味を見出す論者であれば、中枢関与はより補強される。
よって、地位は上昇したと妄想してみる。 



116 名前:サイコメトリー mailto:  [2008/06/25(水) 12:54:32 ID:Wz5gEOIM]
>>108
佐々成政、確かに本能寺直前で越中一国を預かる形になってましたね。
申し訳ない。ちょっと調べたサイトでは越中石高約38万石だったよ。

www.asahi-net.or.jp/~MH6H-ECG/ksn/kssouran.htm
もしくは、戦国スレの『戦国大名、初期〜中期〜後期の石高』

本能寺の直前の佐々成政の越中一国預かりは、一時的なものだったと思われます。
越中半国を預かっていた神保長住の失脚により、成政の一国統治となったわけだから、
石高を利用した動きが当時は取れないと思う。その点が他の3人とは違うね。

信長存命なら、佐々成政は織田家の重臣中の重臣になった可能性はあるね。
なんか、言い訳くさくなってスマン。





117 名前:人間七七四年 [2008/06/25(水) 13:56:26 ID:t4wjmvn3]
>>115
おやおや、最新の研究動向をご存知ないのかな。
光秀の妹のおツマキは、天正四年に前久の長子・尊勢が興福寺一乗院で得度する際、
信長からの上使となっているんだよ。

確かに側室ではなかったけど、かなりお気に入りの女性であったことは、『言経卿記』
の記述からも明らかなんだけど。

118 名前:冬広 mailto:sage [2008/06/25(水) 14:53:56 ID:zaTUmH0H]
>>117
全然知らなかった。指摘d!
兄妹そろって優秀だったんだね。
ぜひ読みたいので、どの研究論文・書籍に載ってるのか出典を教えてくだされ。


119 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/25(水) 18:19:35 ID:0SHe8Twd]
高柳はもちろんのこと、桐野でももう古いってとこなのかな。
ただ、最新の研究が正しい、とは限らないのがこの世界の難しいところ。

120 名前:人間七七四年 [2008/06/25(水) 18:49:33 ID:z6A0M79t]
冬広さん
光秀が奉行を努めた『馬揃え』が単なる祭だというのに異論。

馬揃えは、確かに形としては祭典だが、実際はもう織田の天下だよと朝廷衆・京衆・地方大名に見せ付ける政治的パフォーマンス。

京でやる事に意味があり、光秀は更に公家衆と親密になった事だろう。この手の仕事は出来る人間が限られる上、家柄+故事典礼+ある程度の地位所領が必要となり、織田家で光秀以上の適任はいないでしょうね。
検地も大事ですが、今も昔も権力者にパフォーマンスも大事な様です。

121 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/25(水) 19:40:25 ID:0SHe8Twd]
祭りも政治的パフォーマンスもある意味似ているところはあると思うけど、それをさらに強力にした朝廷恫喝説
なんてのはさすがにもう流行らないか。
ただ天皇のリクエストに応えて2回もしてるからか、信長ー朝廷仲良し説というのもどうかというところ。

このあたり最新の解釈はどうなってるのかな、他でも聞いたのだけどちょっと中途半端になっちゃってて。
対立とまではいかない微妙なバランス、というところでいいのかな。

とすると政治的意味合いというのは単なるパフォーマンスでとどまらずに、信長側から見るとある意味メッセージとも
言っていいぐらいに思うのだけど。
暦、東大寺切り取り、みたいにいろいろ仕掛けてるのは信長のほうだしね。

なかなか面白いテーマですよね、このあたりは。

122 名前:人間七七四年 [2008/06/25(水) 20:04:52 ID:t4wjmvn3]
>>118
Yahoo掲示板の光秀トピで紹介されているから見てご覧。


123 名前:110 [2008/06/25(水) 21:14:39 ID:kg3pybh+]
>>115
「軍事司令官は吏僚の役割をしないもの」という理屈には、
「堀は近江衆の指揮官でもあった」という反証ができます。
さらに塙の例もあることから「光秀の比較対象は堀や塙の方が良い」
という結論になってしまいます。
大和検地を中心に光秀と一益を比較するのが良いのではないでしょうか?

124 名前:人間七七四年 [2008/06/25(水) 22:50:59 ID:NJ6n1y8q]
大和検地で光秀と一益を比較って‥‥。

125 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/25(水) 23:18:26 ID:vXzkvdnQ]
Q太郎応援したいけど
仕事が伝書鳩みたいな感じだからな

126 名前:冬広 mailto:sage [2008/06/26(木) 01:25:44 ID:QdOuaZD7]
>>123
塙か〜、いいとこに目をつけますね。
光秀と塙は、行政手腕もあって軍隊の指揮もそこそここなす点が似ていると思います。
谷口・親衛隊本に事跡が詳しく掲載されているが、大和守護として筒井・松永を左右に
従えて能を見物している場面は象徴的ですね。
大和検地の評価はあくまで妄想だとエクスキューズしているので、逆に110さんに
聞きたいのですが、検地=中枢の仕事っていうそもそもの認識は共感できますか?
研究者で指摘しているのは管見の限り高柳本だけで、氏も単に検地があったという
事実しか挙げず何ら評価を加えていないので、どうにも自信がなくて…

(この時期には彼は長浜城主ではないという前提で)堀が指揮官ってのはどうかな?伊賀征伐
で旗本率いたから指揮官には違いないけど、自前の兵隊なんて知れているし、この点は留保です。
塙・滝川を比較対象にすることには異論はありません。

>>120
確かに政治的パフォーマンスの効果はあったでしょう。だからこそ「信長公記」の馬揃えでの
牛一の喜びようはハンパない。
でも、馬揃えで何らかの政治的変動は生じていない。
たとえば、朝廷と不和だったのが融和したとか、意のままにならない朝廷がペコペコしだし
たとか、支配権の及んでいない遠国の大名を参加させたとか、参加させようとしたとか、
そういう事実があれば祭り以上の成果があったといえるが、特に思い当たらないので「祭り」
と表現しました。政治的パフォーマンス(今なら、ガソリン値下げ隊)意図までは否定する
趣旨ではありません。






127 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 06:05:10 ID:g/6ZwOlv]
信長ってなんで手元に十分な兵力を残しとかんかったんじゃろ。

128 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 07:29:30 ID:EDgCd3Ax]
陸奥虎彦がいたから

129 名前:冬広 mailto:sage [2008/06/26(木) 10:16:52 ID:QdOuaZD7]
>>121
>信長側から見るとある意味メッセージとも言っていいぐらいに思うのだけど。
天皇譲位のこと?もともと譲位は天皇が望んだんだよ。
また、桐野・堀氏の見解では馬揃え=左義長ー爆竹、のこと。
爆竹をやめたのは、前年に親王の生母が亡くなったことに信長が配慮して祭り
を簡素化したからっていう、氏の見解に賛成したい。
メッセージの内容は権力誇示というより、喪で沈滞している天皇家を楽しませたと
いうのが近いと思う。
蘭奢待切り取りは権力誇示ってのは同意。

130 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 10:50:55 ID:L8e7nbkC]
信長は皇室や公家との交流を相当楽しんでいるよな。
上流階級のサロンに受け入れられて大喜びしている新興ブルジョアジーって感じだ。

131 名前:人間七七四年 [2008/06/26(木) 10:52:24 ID:tzICar30]

少なくとも、一族以外の為に光秀が変を起こした事はまず、なかろうと思う。


132 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 13:36:23 ID:z3EfWzGu]
>>129
天皇譲位を天皇側が望んだ、のは事実のようですが、それは1581の馬そろえの後の話ですよね。
父親の信秀は内裏修理の時にどえりゃぁ金額を納入します、しかし義昭を奉じて信長が最初の上洛をした時に信長は天皇側と
接触をあまりしません。このあたりから天皇側は信長を異質な存在、よ〜わからんでおじゃる、と思っていたでしょう。
で、1573ぐらいに信長から最初に天皇に譲位を提案、天皇もいったんは快諾はします。
このあたりは、「お金は出すなも」「お気持ちは受け取っておくでおじゃる」と最初のジャブ、かけひきであったでしょう。

その後は講和の仲介とかいろいろあったわけですが、信長が無官であったこと、強大な力をつけたこと、安土城を作ったこと
そしてなんといっても誠仁親王の皇子を猶子にしたこと、などから天皇側がやっぱり信長に脅威を感じていたように思います。
そのギリギリの駆け引きが1581の、自分から譲位を言い出した、ことだと思うのですよね。
「本当にお金をだしてくれるでおじゃるか」と。これはつまり、主と臣の確認というか、かなり天皇側もせっぱつまった状態だったと
思います。

ちなみに馬そろえで天皇が喜んだ、というのも、圧力におびえてたり弱みをみせないための、まさにギリギリのかけひきであった、
そのように思えてしまうのですよね。
史料には友好的に解釈できるようにもあるわけですが、それをそのまま受け取るのは少し危険な感じもします。

このあたりは室町以来の大名、武家、と天皇とのやりとり駆け引きそういうのから判断したりするとわかりやすいですよね。
なんといっても、義満、という前例があるわけですから。

133 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 13:47:38 ID:L8e7nbkC]
>>132
そう言う歴史解釈を「我田引水」と呼ぶ。
自分の考えに沿って資料を解釈しようとすれば、もうどんな解釈だって出来るわけで。

134 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 14:04:04 ID:z3EfWzGu]
>>133
自分の考えなんて恐れ多いことはなくて、いろんな研究者の本なんか見ていてわからない点があるので、
詳しい方にいろいろお聞きしたいだけですよ。
特にここ10年ぐらいの本や説はあまり知らないので、最新研究なんかがどうなっているか、ぜひ知りたいわけで。
決して、自分が正しい、と主張しているわけではないので、間違っている点なんかはどしどし指摘してほしいです。
年号や誤字に関してはご容赦を。

135 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 14:19:40 ID:CD2APO94]
私は逆に天皇及び皇太子が公家以外の権力者にこれほど親密な関係を
持ったのは後にも先にも信長ただ一人と見ていますが
豊臣から徳川時代を経て明治に入り天皇家は初めて織田信長を弔った事実があります
色々な見解があるのでしょうけど豊臣徳川の世で何か理由があり弔う事が出来なかった
単純に織田以外の権力者の世では無理と言う話もありますが天皇家は弔える機会を待っていた
に違い無いと思います
ぶっ潰そうと考えていた野心家を祭る事はありえない←これが言いたいだけね

136 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 14:26:05 ID:pEGeW2yU]
>>132
信長と朝廷は、上洛前から接触持ってるよ。
特に美濃を征服した直後の通称「決勝綸旨」こそが、信長に上洛を促したという
見方もあるほど。

上洛戦のときも入京前に朝廷と使者をやりとりしたり、その後も内裏の建造や朝廷
財政の再建に自ら関わったりと、明らかに将軍と別に直接朝廷と結びついている。



137 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 14:33:40 ID:z3EfWzGu]
>>135
井沢流に言うと、怨霊鎮魂のため、つまり朝廷黒幕説、になってしまうわけですね。
と、これは冗談ですが、信長が何を考えていたかもはや歴史の謎でして、本当に天皇家をぶっつぶそうと
していたのか、これはともかく野心家であったことは間違いないでしょうね。

入鹿、高、義満、信長、と天皇に匹敵する強大な権力をもったのは、ぎりぎりのところで
みんな殺され又は死んでてますよね。
半村良の「ネがでた」とはまさに言いえて妙、ってとこですが不思議なものです。


138 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 14:49:05 ID:z3EfWzGu]
>>136
どもです。ちょっと書き方が未熟で申し訳ない。
朝廷と接触していたのは知ってますが、上洛時に天皇には謁見してませんよね。
もし、天皇側から上洛を促すようなら当然謁見の機会はあったでしょう。
にもかかわらずそうしなかった理由がわからなくて。
単に「よくわからんでおじゃる」なんですよね。

上洛してしばらく、公家さんたちが信長の下にみやげを持ってワラワラやってきます。
その時に信長は義昭を同席させなかったりで、ちょっと舞い上がってるフシはありますよね。
義昭から見たら「主役はわしじゃ」と不快だったでしょう。
このあたりまでの信長は朝廷と将軍家の良いパトロンであったでしょうが、このあたりから
さらに上を見始めたというか視界が広がったというか。
決して天下を狙ったという意味だけではなく、地方の成り上がり大名がいい気分になっとる、
そんな人間くささを感じるのですよね。

139 名前:人間七七四年 [2008/06/26(木) 15:33:24 ID:LkUTuIv1]
だから、変には朝廷関係
ないから!

変について語ろうよ。

140 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 15:49:11 ID:aTo34+Km]
「変には朝廷関係ない」ということを証明するためにも、
当時の朝廷の問題を語るのは問題ないと思うけど。

他に語りたい話題があるのなら、自分で話題を提起して議論を誘導すればいいよ。

141 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 16:00:06 ID:L8e7nbkC]
光秀の立場に立って見ると、反乱の「成功」は畿内の軍事的空白状態から言ってある程度見通せたと思うのだけど、
一歩進めて反乱の「成立」、つまり信長を倒すことはあくまで手段であり、信長権力の崩壊後、自分を中心とした
体制(天下政権にせよ割拠政権にせよ)を作り上げることが目的だったはずなのだが、光秀はそれに関しては
どういう見通しを持ってやっていたのだろう?「それを提示する暇も無く滅んだ」と言われるとそうなのかもしれないが
光秀の反乱は、どうもそのあたりが見えにくい。

142 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 16:23:09 ID:KhO54fGh]
そういう見通し、事前準備がみあたらないことが、突発的犯行、の根拠になってるのでしょうね。
ただ、結果を知ってるからそう言える訳で、光秀からみたらやっぱり回りは猿や野蛮人やアホ息子にお坊ちゃん2代目、
こんなだったら自分が中央は押さえられると普通に考えていたのでしょう。
四国とはうまく行ってるし、毛利とは講和を結ぶだけ。
自分が将軍になれないまでも割拠政権の中央を押さえているというのは大きい、そのぐらいまでは思って
いたのじゃないのかな。

ただあまりに回りをナメすぎというか、実質上何も考えてなかった、のは事実ですけど、10日ちょっと
で猿にやられるとはびっくりしたでしょうね。
「是非におよばず」は光秀にも似合うなも。

143 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 16:42:00 ID:KhO54fGh]
>>130
連続で悪いけど、そういう大喜びしてるなんとか、というのには大賛成ですね。
新興ブルなんてもんじゃなくて、もっとロコツに、味噌カツで一発当てて東京進出した社長が銀座で
チヤホヤされて舞い上がってる、そんな風に思えますよ。
なんだけど、だんだん自分がカモにされてることがわかってきて、ちゃんとそれに気づく
このあたりは単なる田舎もんじゃないとこですよね。

右大臣をやめた、というのも、東京銀座商店街の副会長に任命されたんだけど、「バカにされとるだけじゃにゃぁか」と
気づいて「こんなんやめたるがや」ってね。
そうしてみると信長と朝廷の緊張状態とは案外情けないレベルだな。

自分が名古屋だもんで、東京行って「言葉が変」なんていっつも言われるから、よ〜くわかるんだ。

144 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 17:04:56 ID:aTo34+Km]
>>143
勝手にお前如きと重ねあわされて共感されても、信長も迷惑だろうなw

145 名前:冬広 mailto:sage [2008/06/26(木) 17:37:53 ID:QdOuaZD7]
>>139
>だから、変には朝廷関係ないから!
京都馬揃えについてあと一言いわせて。
本来、左義長とは小正月に行われる伝統行事で、内容は今日の「とんど焼き」と同じ。
しかし、信長は左義長を独自にアレンジした。
「信長流左義長」とは、陣列を組んだ馬で行進し爆竹で囃し立て、馬を走らせるというもの。
「信長公記」で「爆竹」の表記に「さぎっちゃう」とカナをふっていることで、それは証明さ
れる。(以上、宮本説より引用)
換言すれば、信長流左義長(とんど焼き)とは馬揃え+爆竹、をいう。
あとは>>129でカキコした通りだが、京都馬揃えが今日の軍事パレードを想起されるのか、朝廷
を威圧したとかいう論者がいるが、かかる解釈は馬揃えの外形に拘泥し、馬揃えが信長流とんど
焼き(の一部)っていう本質を看過したものであるというのが、私の見解です。

>>141
>光秀はそれに関しては どういう見通しを持ってやっていたのだろう?
>>5でも指摘されていたが、細川親子あての文書では「50〜100日で近国を平定できる」
といっている。近国とはおそらく近畿・美濃あたりを指すと思われるが、明智自身は
かつての三好氏・細川管領家のような「天下」を望んでいたのかも知れない。
もしそれ以上の領地拡張を望んでいるなら、同文書で「息子にあとを委ねたい」なんて
呑気なことはいえないと思う。
なお、同文書は花押がおかしいから偽書だって立花氏が言っているから、根拠としては薄弱
かも知れんが。

146 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 17:41:30 ID:L8e7nbkC]
>>145
> なお、同文書は花押がおかしいから偽書だって立花氏が言っているから、

立花氏の資料の読み込みは全く信用できない。



147 名前:冬広 mailto:sage [2008/06/26(木) 17:54:53 ID:QdOuaZD7]
>>146
禿同!あの本なら、八切本のほうが夢があっていいな。
でも、女史は光秀の花押の年次比定研究ではいい仕事やってたんじゃね?

148 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 18:12:33 ID:pEGeW2yU]
>>138
上洛時に謁見の機会ならあった、以上。

>信長は義昭を同席させなかったりで、ちょっと舞い上がってる
何でこれが舞い上がってることになるのか判らん。

149 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 20:26:40 ID:a58o/NXS]
余りにも羽柴秀吉が早く帰ってきたのが、最大の明智光秀の誤算だったと思う。
すぐ側に四国遠征軍がいるじゃないか、という指摘が散々されているが、トップは神戸信孝で、独立した1万以上の軍勢を率いたことはない。
補佐役として、丹羽長秀、津田信澄、蜂屋頼隆が付いているが、皆、独立して軍勢を率いた経験は無かった。
私が調べた限り、1万以上の軍勢を独立して率いたことのある本能寺の変の当時の織田家の家臣は、柴田勝家、羽柴秀吉、明智光秀位。
そして、津田信澄は自らの娘婿である以上、神戸信孝らに敵視され、自らに味方せざるをえなくなる以上、四国遠征軍は分裂必至と読むのはおかしくない。
そして、軍勢を率いる能力は、自分の方が上である以上、自分が勝つと考えるのは、明智光秀の立場に立てば、そうおかしくない。
羽柴秀吉は信長に援兵を求める苦境にある、柴田勝家も上杉が足止めするし、すぐには戻ってこれない。
そうなると、四国遠征軍を打ち破れば、筒井、細川も嫌でも自分に味方する、と明智光秀は考えたのだろう。

結果として、羽柴秀吉が早く帰ってきて失敗したのは事実だが、純粋な野望説でも、そう無理なく成立する余地はあると思う。

私としては、四国政策破綻と自らの老いからくる将来の不安の方が大きいとは思うが。

150 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 20:42:06 ID:L8e7nbkC]
津田信澄は敵通云々ではなく、信長の跡目争いの競争者になると見られて殺された、って説もあるな。

151 名前:人間七七四年 [2008/06/26(木) 21:12:27 ID:Qfj0IZbT]
だが純粋な野望説だと、何故信忠も油断無く殺害しなかったのかという疑問が残る。信長、信忠の二人を殺害しないと乗っ取りにならない。信忠が死んだのは偶然が大きい。

152 名前:人間七七四年 [2008/06/26(木) 21:15:28 ID:LkUTuIv1]
149
対毛利、秀吉は苦境にたってないが、基本的には野望+将来不安って所ですね。
俺も畿内掌握野望なら同調します。老いを気にしてって所は‥‥。

153 名前:人間七七四年 [2008/06/26(木) 21:38:34 ID:/m/YOZuI]
151
そこよ、そこ。全く同意。そこが野望説の難点。

用意周到さを画に描いた様な光秀らしからぬ所。

154 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 21:40:47 ID:L8e7nbkC]
でも結果的に、大物で逃したのは家康くらいで光秀大成功。

155 名前:人間七七四年 [2008/06/26(木) 21:51:27 ID:LkUTuIv1]
光秀よりの考え方したら、信忠の情報把握してたかもね。

156 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 21:52:41 ID:4k7Vhr0p]
149だが、追加。
信忠は、当時、京都にいた。
光秀としては、ほぼ同時に二人を襲えるように計画していたのだろうが、夜間行軍による軍勢の乱れから、時差が生じ、信忠は逃げようと思えば逃げられる状況になってしまったのだと思う。
当時は、伝令を走らせるしか、戦場での通信手段はなく、事前の計画と手筈が狂うのはよくあること。
信長の生涯を概観しただけでも、金ヶ崎の退き口等、信長が危うく命を落としそうになったことはある。

谷口説だと、光秀は67歳、通説でも55歳、今ならともかく、当時としては、そろそろ隠居してもおかしくない。
若いころなら、また別のところに仕官して、とか楽観できるが、老齢の身で、佐久間のように追放されては、下手をすると野垂れ死にしかねない。
四国政策で失敗した、佐久間のように追放され、貧窮の末死ぬかもしれない、それならいっそ、大ばくちを打ってやる、と光秀は考えたのだと思う。



157 名前:人間七七四年 [2008/06/26(木) 21:54:33 ID:Qfj0IZbT]
信忠が妙覚寺から二条御所に場所を移せるって時点で光秀の大失態。それが事実。

158 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 22:11:16 ID:L8e7nbkC]
>>157
妙覚寺から二条御所って同じ洛中の中のたいした事の無い距離の移動が、そんな重要かねえ?

159 名前:人間七七四年 [2008/06/26(木) 22:14:54 ID:Qfj0IZbT]
>>158
重要。信忠側があの光秀なら検問もぬかりなかろうと勝手に勘違いして討ち死に覚悟しただけで、逃げようと思えば有楽みたいになんぼでも逃げれた。

160 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 22:14:59 ID:aTo34+Km]
最低限信長だけでも殺しとけば、なんとかなると思ったんじゃない?
信忠ごとき、信長さえ殺せばなんとかなると。
家督継いでるとはいえ、まだ信長あっての信忠なんだし。
逆にいえば、信忠は逃がしてでも、信長だけは確実に最優先に仕留める必要があったと。

161 名前:人間七七四年 [2008/06/26(木) 22:16:57 ID:Qfj0IZbT]
>>160
信忠がいれば信忠を頭にして家中がまとまるんだから何ともならんと思うよ。

162 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 22:27:52 ID:L8e7nbkC]
>>161
> 信忠がいれば信忠を頭にして家中がまとまるんだから何ともならんと思うよ。

織田家中の内実を嫌ってほど知っている光秀がもし、「信忠はどうでもいい」、と考えていたとすれば、
それは現代の我々の信忠に対する認識を大きく変えないといけないな。

信忠が逃げても、信忠では織田家はまとまらない。との認識があったのかも知れないぞ。

163 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 22:28:54 ID:aTo34+Km]
>>161
だからその「信忠を頭にして家中がまとまる」という根拠も無いよね。
信雄や信孝でもできなかったわけだし。
嫡子というだけで、隔絶した実力・声望があったのかな?
少なくとも、信長とはまだまだ格段に劣ってたとは思うけど。

164 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 22:37:51 ID:L8e7nbkC]
信忠は武田攻めの時の突出などで、信長についている家臣団からは反感を持たれていたって事は
ある程度想像できるな。「お世継ぎが手柄立ててどーする気だよ」みたいな。
そこからはプラス方向にもマイナス方向にもいろいろ想像できるw

165 名前:人間七七四年 [2008/06/26(木) 22:38:12 ID:/m/YOZuI]
有楽等はなから眼中になかろうて。

信長殺しちゃえば、信忠なんてって発想は分からなくもないが、敵の嫡男は例え乳飲み子でも排する時代だからね。お市の嫡男がどうなったか知ってるでしょ。

166 名前:秀吉 mailto:sage [2008/06/26(木) 22:58:16 ID:49XG5lKY]
高松で遊んでる振りして、
ちょっと京でやっちゃった。

信長油断しすぎwww



167 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 23:11:00 ID:pEGeW2yU]
>>163
信長との実力差はこの場合関係ない。
信忠を見逃したら、当然織田の諸将は信忠の元に集って光秀を滅ぼす。

「その後」の信忠と政権がどうなるかは未知数ですよ?もしかしたら天下統一できた
のかもしれないし、どこかでヘマして滅んだかもしれない、柴田や羽柴らが能力を
見限って大分裂してしまうかもしれない。
しかし、光秀を滅ぼすまでは、信忠の元に一統される。これははずれようがない。

168 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 23:33:44 ID:aTo34+Km]
>>167
>信忠を見逃したら、当然織田の諸将は信忠の元に集って光秀を滅ぼす。
だから、その決めつけにどれほど根拠があるのかを疑問としてるんだけど。

>信長との実力差はこの場合関係ない。
当主が急に討たれ、実力に隔絶した差がある後継者が残されたとしても、
「この場合関係ない」と言い切れるの?
織田政権なんて、急速的に膨張したものだから、譜代の臣なんてごく一部。
10年そこらの付き合いの近畿地方の諸豪族とか相手に、
信長個人はともかく、織田家自体にそれほど求心力があったのかな?

169 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 23:43:33 ID:L8e7nbkC]
>>168
> 信長個人はともかく、織田家自体にそれほど求心力があったのかな?

だね。織田家と信長権力はある程度分けて考えたほうがいい。
幕府のような政権組織が出来ていない以上、信長のたがが外れると、信忠は濃尾の太守に過ぎないと言う
考え方も出来るわけだし。

170 名前:人間七七四年 [2008/06/26(木) 23:55:10 ID:/m/YOZuI]
信忠がいくらボンクラでも、当主である事には変わりはなく、いくら戦国時代とは言え、おいそれと失脚させる事など出来ない。(あの当時)

ましてや、信孝・信雄と比較する事もおかしい。本人の能力とは別に嫡男ってだけで内外での立場が違う。無能でも嫡男に生まれただけで、当主となる世襲は、幕末まで続いてるのよ。

171 名前:人間七七四年 [2008/06/27(金) 00:10:04 ID:lHPj6x+T]
170に同意。
信忠健在なら、秀吉は台頭出来ないと考えるのが普通でしょ。

それに織田家の求心力希薄って言うけど、信忠の元以外に結集する所、他に誰ん所行くのよ?

信長の仇も取らずに各武将が自領に篭り割拠状態??

考え過ぎだと思います。

172 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/27(金) 00:29:30 ID:k15dXYE4]
>>168-169
光秀の内心の動機がどこにあったかは不明だが、史実として、光秀は信長を倒し、
信長に取って代わることを行動で示した。(それが当初からの目的だったのか、
信長を倒してから生まれた目標なのかはともかく)

つまり、残された織田諸将に対して、光秀は「信長に代わって、これからは俺に
従え」と宣言したようなもの。織田諸将としての選択は二つ。光秀の天下を認めて
従うか、認めずに敵対するか。認めない場合は光秀を倒すしかない。この時に誰を
旗頭にするかといったら、信長の遺児しかないわな。それがすでに成人した嫡子で
軍事力も持っていて実績もあるのなら選択の余地はない。

仮に、この機会を捉えて独立なんて野心を抱いたとしても、まず光秀は倒さなければ
ならない。光秀を認めることは、光秀が信長にかわって自分の主君になることを認める
ことに繋がるのだから。(そんなことを認めたら独立もなにもない)

羽柴とか柴田とかが野望に駆られてか信忠の器量を見限ってかはともかく、織田政権に
反逆をするのなら最低限光秀を滅ぼしてから。

173 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/27(金) 00:31:57 ID:62SP3iBs]
>>148
なので機会があったのにもかかわらず、謁見してない、のが「よくわからんでおじゃる」なんですよ。

で、主はあくまで将軍義昭なのにもかかわらず、信長の方が主みたいに振舞ってしまったわけですよね。
公家さんたちから見ると、お金持ち信長、にへつらってしまったわけだけど、そこは信長が義昭に
気を使ってあげないと。
このあたりが田舎もん独特の舞い上がり方に通じる、そのように思ったわけです。
ささいなことですけどね。

174 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/27(金) 00:46:48 ID:62SP3iBs]
数日前は、信忠が生きていたら秀吉は単なる1武将でしょ、みたいな意見が多かったみたいだけど、
170、171さんみたいなね、やっぱりそれも可能性のひとつであって、まず間違いない、
みたいな考え方は少し信忠と織田家自体を高く評価しすぎのようにも思いますね。

本能寺を聞いて一番近くにいた丹羽&信孝の兵が逃げ出してしまったように、織田家は信長の強力なカリスマ性に
よるところが大きいですから、変の後に信忠がどの程度まで家臣団をまとめることが出来たか。
要は信忠の能力論になってしまいますけど、お坊ちゃん武将であったでしょうし、本能寺の時に
逃げ出してないのがその限界、というか。

で、秀吉の不忠さ悪逆さを思うと、相当なんかやらかしてたんじゃないか、というのがかえって普通のようにも
思いますけどね。

175 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/27(金) 00:51:57 ID:62SP3iBs]
>>146
ちょっと教えてほしいのだけど、京子ちゃんのあの「天正十年夏記」だったかの読み方、
結局どうなりました?
主語が天皇側ではなく、村井にあるって言うの。
確かにあれで180度方向性が変わってしまうから最初に出た時はかなり驚いたのですけど。
よろしく〜。

176 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/27(金) 00:56:14 ID:slnpkwQm]
>>175
答えから言えば、結論出てません。

いまだに諸説入り乱れている感じだけれど、基本的には朝廷と村井との交渉の過程で出てきた
素案、って感じでは、ある程度意見は一致されているんじゃないかな?



177 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/27(金) 01:04:23 ID:62SP3iBs]
>>176
なるほど、ありがとう。
で、思うけど、新説に少しでも問題点があったらそこをつっこむのがそれまでの「定説派」。
にもかかわらず結論が出てないと言うのは、かなりいい線いってるということですかね。

京子ちゃんは資料の読み方というより結論に難点があるのではないかな。


178 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/27(金) 01:13:34 ID:62SP3iBs]
連続で悪いが、サッカはじまるまでひまだもんで。

>>145
馬そろえで、朝廷威圧説、というのは決して今日の軍事パレードからの想起ではなくて
それまでの信長の行動、朝廷との関係、そこから導き出されたものです。
なので、失礼ですが、信長流左義長と言ってその行事性や細かい内容にその意味を求めるのは
少し方向性が違うのではないか、そのように信長ー朝廷友好説には疑問を感じております。
あくまで私見なのでご容赦を。


179 名前:人間七七四年 [2008/06/27(金) 01:20:24 ID:rH1JPeZh]
>>169
あなたにとって戦国時代とは北斗の拳のモヒカンのような世界なのでしょうね

180 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/27(金) 01:24:57 ID:62SP3iBs]
>>179
例えるなら北斗の拳より花の慶次が適切では。



181 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/27(金) 01:30:38 ID:k15dXYE4]
>>178
それまでの信長の行動や朝廷の関係って、例えばどんなところが、対立していると
判断しているんですか?
おそらく、あなたが考えているそれらは、現在は否定されているようなことばかり
かと思われます。

すでに出ていますが、馬揃えは天皇の要望で行われたもので、後日に忌みで見学
できなかった東宮の希望で、規模は縮小したがもう一度行われています。さらに
このパレードには公家衆も参加しています。

天皇は威嚇されるためにわざわざ要望したんですか?脅迫行事に公家も参加した
のですか?

182 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/27(金) 01:48:23 ID:62SP3iBs]
>>181
前にもちらほら出てますが、1573に譲位を言い出した件、無官になったこと、
誠仁親王の皇子を猶子にしたこと、これらは朝廷側から見ると異質で自分たちの
管理下からはみでようとした行為ですよね。

天皇からの要望、というのも、まさにギリギリのかけひきだったと思いますよ。
威嚇されるため、というより、承知で臣下の順をこちらから言い出した、こちらが主であり
信長は臣である、言うこときくがよいでおじゃる、ってね。

現在否定されている、というのに関心があって、本なんかだと質問できないので
こうやって疑問をカキコして、教えて頂けるととてもうれしく思います。


183 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/27(金) 01:49:24 ID:slnpkwQm]
>>177
つーか、あくまで読み方の問題でしかないから、解釈次第でどうとでもなっちゃう。

184 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/27(金) 01:55:02 ID:62SP3iBs]
>>183
あ、そか、読み方ってそういうことね。
でも京子ちゃんは一応用例なんかを細かく調べてそこから結論
出してるわけですよね。
村井が主語のほうがより確実であろう、って。

ま、あんまり言うとこっちがヤバいかな。

185 名前:163 mailto:sage [2008/06/27(金) 05:47:48 ID:zT9wAJ9c]
昨日のID:aTo34+Kmだが、一部どうも話が妙な方向にいってそうな気がする。
俺が疑問を示してるのは、信忠への対応の遅さを大失態とみなし、
信忠も確実に殺さなければ織田家乗っ取りは成り立たず、ひいては野心説への否定にまでつなげている点。

それに対し、光秀にとっての重要度は、圧倒的に信長>信忠であり、等価とはみなされず、
最悪信忠を逃がしてでも、確実にまず信長だけは仕留める必要があった。
その光秀にとっての優先度の差じゃないか?という反論の提示。
そりゃ、信忠も同時に殺せたらベストなのは間違いないが。

>>171みたいな「信忠健在なら、秀吉は台頭出来ない」とかは全く別問題。
大軍を擁した実力者はみな地方で大敵にあたり、早々戻ってこれないはず。
というのが光秀の勝算の一つと考えられるよね。
その状況で仮に信忠が逃げたとしても、信長さえ討てば勝算ありとふんだとは考えられない?
実際のとこ、摂津諸将が秀吉につかず、筒井が旗幟を不鮮明にしたのも、
織田家の威光じゃなく、秀吉という実力者の、予想外の早期帰還だったよね。

186 名前:163 mailto:sage [2008/06/27(金) 06:08:37 ID:zT9wAJ9c]
>>171
>信忠の元以外に結集する所、他に誰ん所行くのよ?

だから、それは単純に明智につくという選択肢じゃない?
繰り返すが、尾張時代からの譜代の臣なんて、急激に膨張した織田政権ではごく一部
上洛以降、織田家の(信長の)勢力に服した、せいぜい十年程度の付き合いの豪族も多数いる。
そうした連中が、信長の死後、織田家という名分よりも、光秀という実力者に鞍替えしてもおかしくない。
というか、そう光秀が読んでたとしてもおかしくないんじゃない?



187 名前:人間七七四年 [2008/06/27(金) 06:58:50 ID:effBV0k7]
>>181
>馬揃えは天皇の要望で行われたもので

実際には天皇が要望する以前に信長は光秀にその指示を与えており、
前久(信尹か)を介してそのように仕向けたというのが真相だと思われます。

また、『お湯殿の上日記』によれば親王もそれを楽しみにしていたことが窺われますが、
果たして当日の演出(信長を住吉明神にも中国皇帝に凝らす)を天皇を素直に喜んだかは疑問だし、
二回目の馬揃え(※親王が望んだものではありません)の様子(朝廷側)はとても牛一が『信長公記』に
記したようなものではなく、『お湯殿』の記述も素っ気無く、またそれを親王がお忍びで見学したのは、
興味はあったが正式に見学することを「良し」としなかった(※)ものと見られます。

二回目の馬揃えは、最初の馬揃えにこめられたメッセージとそれに対する朝廷の対応(左大臣推任)を受けての
「駄目押し」であった観があります。

信長は、先に親王の五宮を猶子とし尚且つ二条御新造を贈っおり、また今回、譲位の件を持ち出すことで、
朝廷に対して自らの立場(真の上位者が信長であること)を認識される目的があったと考えられます。

188 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/27(金) 07:19:16 ID:16wxOwQG]
信忠が京都から結果的に逃げようと思えば逃げられたのは事実だが、その後を光秀軍が追いかけないというのは考えにくい。
なぜなら、信忠は、信長の跡取りであり、逃がしたのでは、反明智の旗印になる。
確かに有楽は無事逃げているが、それは、有楽の重要性は低く、光秀軍が追いかけなかったから。
史実と異なり、信忠が京都から逃げ出し、光秀軍が追いかけ、山科あたりで信忠が殺されていたら、このスレでは、京都でなぜ正々堂々と信長の跡取りらしく死ななかった、と叩かれていたような。






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