- 132 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/06/26(木) 13:36:23 ID:z3EfWzGu]
- >>129
天皇譲位を天皇側が望んだ、のは事実のようですが、それは1581の馬そろえの後の話ですよね。 父親の信秀は内裏修理の時にどえりゃぁ金額を納入します、しかし義昭を奉じて信長が最初の上洛をした時に信長は天皇側と 接触をあまりしません。このあたりから天皇側は信長を異質な存在、よ〜わからんでおじゃる、と思っていたでしょう。 で、1573ぐらいに信長から最初に天皇に譲位を提案、天皇もいったんは快諾はします。 このあたりは、「お金は出すなも」「お気持ちは受け取っておくでおじゃる」と最初のジャブ、かけひきであったでしょう。 その後は講和の仲介とかいろいろあったわけですが、信長が無官であったこと、強大な力をつけたこと、安土城を作ったこと そしてなんといっても誠仁親王の皇子を猶子にしたこと、などから天皇側がやっぱり信長に脅威を感じていたように思います。 そのギリギリの駆け引きが1581の、自分から譲位を言い出した、ことだと思うのですよね。 「本当にお金をだしてくれるでおじゃるか」と。これはつまり、主と臣の確認というか、かなり天皇側もせっぱつまった状態だったと 思います。 ちなみに馬そろえで天皇が喜んだ、というのも、圧力におびえてたり弱みをみせないための、まさにギリギリのかけひきであった、 そのように思えてしまうのですよね。 史料には友好的に解釈できるようにもあるわけですが、それをそのまま受け取るのは少し危険な感じもします。 このあたりは室町以来の大名、武家、と天皇とのやりとり駆け引きそういうのから判断したりするとわかりやすいですよね。 なんといっても、義満、という前例があるわけですから。
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