- 1 名前:サイコメトリー [2008/06/22(日) 15:50:25 ID:z2hlhln/]
-
前スレは皆さんに様々な知識やご意見を頂き、本当に勉強させて頂きまして ありがとうございました。 自分は、支持する桑田忠親説に関して少し固執する所があった事、お許し下さい。 もう語る事無いだろうと仰る方も居るでしょうが、自分としては、もう少し 皆の意見を聞き楽しみたく、またスレ立てしてしまいました。 ここまでの流れとしては、複合説が主流となってきていますが、新たな方の新た なご意見を求めます。 また、お題にプラスを加えさせたのは、変時の信長の統一構想も少し、語って 行きたいなと思った為です。宜しくお願いします。
- 625 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/15(火) 18:03:12 ID:AlKY6CLr]
- だから朝廷論やりたい奴は自分でスレ立ててそっちでやれよ気持ち悪い。
- 626 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/15(火) 19:04:56 ID:2xW7bVuu]
- >>624
そちらこそ、高柳、今谷あたりからちゃんと読んでおかれたほうがいいと 思うよ。 なんか堀を1冊読んだと言ってそっから引用されてるのにはびっくりした。
- 627 名前:人間七七四年 [2008/07/15(火) 19:53:58 ID:uG+H7ZnT]
- >>626
むしろあなたが中世史全体(特に朝廷関係)の本を読むべきだと思いますよ
- 628 名前:人間七七四年 [2008/07/15(火) 20:09:14 ID:p1YtpfCm]
- 朝廷はない。
光秀の突発犯行?はおかしいな。 周りに織田勢力がわらわらいる。 信忠だって討てるとは限らなかった。 なら、信長勘違い自殺説を取るか。
- 629 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/15(火) 20:19:39 ID:2xW7bVuu]
- >>627
例えば藤原摂関政治とか義満の行動とかを知ってれば 「猶子問題がどうして皇位簒奪につながるのかわからない」 とか「そんなに重要かわからない」とかそういうレスはかえって こないはずです。 今の自分たちがどう思うか、ではなく「当時の朝廷がどう判断したか」 が重要だからですね。 決して非難しあうのが目的ではなく、そういった面から語り合いたいのですが 「可能性論はやめてや」と言われると話が進みません。 その「可能性の重要性」の説明から始めないといけなくなって どうしても、よそでやれ、になってしまいますよネ。 なのでタイミングを見計らってそういう「共通理解のある方」に レスするようにしてますが、やっぱりすぐにとまってしまう。 ま、急ぐわけでもなし、ゆっくりでいいのですがね。 ちなみに最近は鈴木本を皆さんが読んでおられるようなので その批判をかわすことから初めてます。 なんだけど案外桐野、京子ちゃん、小和田あたりの論を知らずに ただ鈴木本に書いてあったから、みたいな論調が多いのでどうしてもズレてくる。 というわけで、「金持ちの社長の女孫が変な男に夢中になったら」 当然、「財産目当てか」とか疑うわけで「親王の子を猶子にした」というのが 「どのくらい重要か」はご理解してほしい。 そうすれば、変に直接関わる話で、決して、気持ち悪い、とか、もう来るな なんてレスにはならないと思うのだけど。 ごめん、いっぺんに書いたからまた厳しいこと言われるだろな・・
- 630 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/15(火) 21:03:02 ID:shxuC4SW]
- >>628
秀吉&光秀の突発犯行でいいんじゃない さすがに光秀単独行動でことを起こしてたら 計画性なさ杉 細川筒井が裏切ったってーのは 事前に裏で誰かが操っていたから
- 631 名前:人間七七四年 [2008/07/15(火) 21:06:32 ID:+aALiqCa]
- 幕臣の細川は、朝廷にも相当の人脈があったらしいな。
- 632 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/15(火) 22:00:37 ID:97s6smGj]
- >>629
藤原摂関政治は天皇家と一体化であって、簒奪ではない。 何故義満の事例と同列に並べるのか判らない。 >今の自分たちがどう思うか、ではなく「当時の朝廷がどう判断したか」が重要だからですね。 まことにその通り。あなたのこれまでの主張からは現代人の知識と常識から解釈された 思い込みが多々見られます。 当時がどういう時代だったのか、それまでどういう時代だったのか。当時の人がどう考えていた のか。是非学んでから発言してください。
- 633 名前:人間七七四年 [2008/07/15(火) 23:17:31 ID:LXyQlBNX]
- >>628
信長さえ討てば何とかなると思ったんじゃないか 俺は光秀の発作的突発的犯行だと思う 津田信澄、細川忠興、筒井順慶も味方になってくれるとあどけないほどに信じていたようだから 実際、近畿にいた丹羽・池田・蒲生・信雄は光秀と戦えなかった
- 634 名前:人間七七四年 [2008/07/15(火) 23:39:15 ID:rOOqYe/p]
- >>633
機内を掌握して征夷大将軍の宣旨でももらって、 各地に遠征している織田諸将の軍を立ち枯れに するつもりだったんだろうか。 滝川一増みたく。
- 635 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/16(水) 00:39:28 ID:xCCLPxhU]
- 当時の倫理観で「主殺し」というのはどうだったのか?
を考察、検証した文献など御存知でしたら教えて下さい
- 636 名前:人間七七四年 [2008/07/16(水) 08:35:18 ID:t4RuYOC4]
- >>634
確かにそういう淡い期待は光秀にはあったね。 紆余曲折様々有るが、とにかく光秀は信長を殺したかった。その動機は他者からの口入れではなく、彼自身の判断。 天皇から何を言われ様が他者からの口添えがあろうが、根本的な光秀自身が信長を殺したかった。
- 637 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/16(水) 10:45:56 ID:i5t6NagU]
- >>626
学会論文の類はいざ知らず、公武対立論に真正面から批判を加えているのは堀で、桐野・谷口 は著書でその論を引用してるだけ。高柳は公武論に全く触れていない。 君こそこれらの本を読んだのか疑いたくなるようなレスをするね。 たくさんの本を読んでも論が緻密になるわけではないが、 >案外桐野、京子ちゃん、小和田あたりの論を知らずに >ただ鈴木本に書いてあったから、みたいな論調が多いのでどうしてもズレてくる。 は君の独善的な思い込みと知れ。
- 638 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/16(水) 11:58:49 ID:d+m9FLXM]
- >>632
禿同。 仮に摂関政治が皇位簒奪の例だったとしても、その前提として信長の娘が入内し男児を出生する必要があり、 その大前提として信長の娘が入内しなければならない。これが摂関政治の「基礎の基礎」。 史実では徳川秀忠がこれをやったから、信長がこれをやるのに障害はない。 なぜ藤原摂関政治が崩壊したのか、ちょっと考えればわかる話なのにな。 次に、義満の皇位簒奪の傍証として息子の義嗣を親王なみに元服されたことがあげられるが、信長の息子・孫で このような元服をした者はいない。せめて、五宮を養子にしてかれが親王宣下を受けていればこの論は成り立ちう るが、このような事実もない。 どうせ、>>629は皇位簒奪の第1歩とか言うんだろうけどね…
- 639 名前:人間七七四年 [2008/07/16(水) 15:50:28 ID:z2S2YFML]
- そもそも黒幕っていうけど、義昭や近衛や吉田神社に光秀をロボットのように操作する力なんてない
- 640 名前:人間七七四年 [2008/07/16(水) 16:32:38 ID:qSMKFEqv]
- >義昭や近衛や吉田神社に光秀をロボットのように操作する力なんてない
正親町天皇本人ならばどうかな?
- 641 名前:人間七七四年 mailto: [2008/07/16(水) 17:01:49 ID:0DGWK42L]
- >>640
そもそも天皇個人がそれほどの力があるのなら、戦国時代にならない。 光秀は叩き上げの人間で苦労して太守を預かる身になった分けで、いくら 天皇とはいえ、鶴の一声で、信長殺しを決断するとは思えないけど。
- 642 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/16(水) 17:12:04 ID:EcgLUtaY]
- が、光秀が主君殺しの汚名を背負ったまま独立するとも考え難い。
天皇なり将軍なりを立てるつもりはなかったのかな?
- 643 名前:人間七七四年 [2008/07/16(水) 17:15:33 ID:qSMKFEqv]
- 明智が実は征夷大将軍に任命されていたんじゃないかという憶測もあるなあ。
公家の日記が破棄されているのもあやしい。
- 644 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/16(水) 17:36:45 ID:Cp2ynN1n]
- >>638
629じゃないが、妄想的質問で悪いが、信長が娘を入内させようとする 動きがあった、とか、察した、から突発的に変に結びついた、というのは どう? もちろん文献なんかはないだろうけど、次に信長がそういう行動に 出たであろう、なんて629は言う気がするもんで。 同じように、信長が五宮を親王宣下する前に朝廷が動いた、みたい なのはどうだろ。 皇位簒奪の過程の真っ最中だった、と言われると、あんたの妄想だ、ぐらいしか 反論できないもんで。 よろ。
- 645 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/16(水) 17:52:27 ID:/y3vOSvA]
- 信長のような強力な後ろ盾が出来たら朝廷も大喜びだろうよ
- 646 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/16(水) 18:01:06 ID:i5t6NagU]
- >>642>>643
もし、そういう事実があったとしたら、組下すら掌握できずに八方塞がりだった光秀は、書状で絶対に「将軍・天皇カード」を使うと思う。 しかし、かろうじて将軍カードを使ったと思われる文書は偽書説が有力な小早川宛文書。 また、改竄前の「兼見卿記別本」には、光秀と謀反の存分を語り合った記事があるほど親密な吉田が、最大のビッグニュースである 光秀将軍任官の記事を記していない。 憶測は憶測の域をでないと思うけどな。
- 647 名前:人間七七四年 [2008/07/16(水) 21:15:19 ID:z2S2YFML]
- >>643
光秀が征夷大将軍になるなら、現役の将軍だった足利義昭を解任しなくちゃいけない その痕跡はない また光秀は毛利家と親睦を深めようとしており、毛利家が奉戴する義昭を否定するとは考えにくい
- 648 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/16(水) 21:34:22 ID:SMunyL/A]
- 変後に征夷大将軍を任命しようとしたらその前に
あっさりやられてしまった、とか。 それに実際そういう動きがあっても秀吉の追求を 恐れて証拠隠滅を図って、それが公家日記のあやふやに つながってる、というのもあったな。 三職推任の時にも、義昭はまだ将軍の地位にあった、という 論もあったけど、やっぱり無視されてたわけで647みたいな 義昭解任の痕跡が無いから光秀も云々というのはちょっと 中途半端な反論にも思える。
- 649 名前:人間七七四年 [2008/07/16(水) 23:42:45 ID:z2S2YFML]
- 実際に将軍宣下されたら義昭は解任されるわけだから何らかの痕跡は残るんじゃないか
- 650 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/16(水) 23:52:41 ID:qvfFlJuP]
- 将軍宣下は出典が
・『明智光秀公家譜覚書』 ・『明智氏一族宮城家相伝系図書』 ・『明智軍記』 という時点でなぁ…。
- 651 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/17(木) 00:48:44 ID:TQ2fxwfC]
- 何せ、将軍解任なんてのは例がないからな。
朝廷側はもう足利のことなんか忘れてたりして。 だから、宣下された、というのではなくて落ちついたら ゆっくりと将軍宣下の予定だった、みたいなほうが 話がすっきりする。 そうなると、朝廷密約はなかった説もまた別の論理で 朝廷と光秀の関係のなかったことを説明することになる。 話が進んだかな。
- 652 名前:上総介 [2008/07/17(木) 05:19:32 ID:Z2xrVsuE]
- いや、将軍宣下はあったと思う。誰が首謀者かはわからんけど密勅で。
だから伝奏に正式な公家ではない吉田兼見が使われた。 で、本当に光秀が畿内を鎮圧・安定できれば正式宣下だったがあっさり 敗退したので史実や書類等の証拠を隠滅した。だから兼見卿記も本能寺前後 のページが破られている。
- 653 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/17(木) 07:43:22 ID:5g95ZVCp]
- >652
「証拠が無いのが証拠」という典型的な陰謀論だな、それは。
- 654 名前:人間七七四年 [2008/07/17(木) 08:03:58 ID:4X96uyuK]
- 朝廷は「信長が望めば征夷大将軍にするよ」と断言しているわけだから、
事実上義昭は離職状態と見ていたのではないか?
- 655 名前:人間七七四年 [2008/07/17(木) 08:04:55 ID:4X96uyuK]
- 正親町天皇は岩倉具視みたいな謀略の才能があったように思う。
- 656 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/17(木) 08:14:46 ID:dHDYZa2x]
- もし黒幕論が成立するとしたら、前後の状況から考察するに光秀は
1.協力してくれない陰謀相手のことを窮地に陥っても罵りもしなければ公にもしない義理堅いお人好し か 2.そもそも自分の行動が唆されてのものだとも自覚できないほどのお間抜け としか言いようが無い。
- 657 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/17(木) 10:16:53 ID:hjhXyy8h]
- >永禄12年(1569年)には伊勢国司である北畠具教も降伏させ、
次男・織田信雄を北畠氏の養子として送り込んだ。のち具盛は幽閉され、 北畠一族は殺害されている。 天皇はこんな感じで皇室を乗っ取られてはかなわんとの危機感を持っていたのではないか? 憶測ですまんが。
- 658 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/17(木) 10:46:06 ID:dHDYZa2x]
- >>657
天皇が仮に危機感を持ってたとしても、そのことと本能寺の変の間には深くて暗い溝がある。川だったかな?
- 659 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/17(木) 10:59:03 ID:q86cL6uf]
- >>658
川ですな。 誰も渡れぬ川なれど、エンヤコラ今夜も船を出す
- 660 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/17(木) 13:08:42 ID:Qbeea8za]
- 光秀は自分が将軍になるくらいなら、義昭を立てると思う。
光秀が将軍になれば、義昭を抱える毛利と対立するし、 対信長で同盟していた毛利と長宗我部の間まで微妙になる。 長宗我部は明智につくだろうし。 義昭立てたら、明智・毛利・長宗我部で同盟組めるし、上杉も乗る? これなら、羽柴や柴田たち織田家残党の各個撃破も可能だろう。
- 661 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/17(木) 13:56:26 ID:oWBRhxVK]
- >>656
そういう反論は結果論的意味合いが強くないかな。 変自体、は完全に成功してる。 別に光秀が朝廷にだまされた、とかそういうんじゃなくて 意表をついてワンチャンスで信長を暗殺してる。 信長本人も想定外だったわけだし。 これは重視したい。 細川とか筒井の問題はまた別に論ずるべきかもしれなくて、 ただ秀吉があまりにすごかっただけ、もし毛利に追撃かけ られたり、四国で足止めくらってたら光秀が中央をまとめてた だろう。 実際に柴田も滝川も丹羽もすぐには動けなかったわけだし。 変自体は成功してる、というのをちょっと軽視しすぎ、 ほんでその後の動きを結果論で「準備不足」とか光秀を軽視 しすぎにも思うな。
- 662 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/17(木) 14:53:59 ID:yOiAtmtV]
- >>661
変というのをどこまで持っていくかだなそれは。そして光秀の動機にも関わってくる。 光秀が私怨で行ったのなら、信長を殺した時点で変は成功。その後のことはその後のこと。 しかし動機が野望なり黒幕による別の目的があったのなら、信長殺害は手段というか手順の 1タームに過ぎない。 で、朝廷でも義昭でも本願寺でも南欧勢力でも、光秀が信長を殺した後に協力した形跡が 見当たらないというのが、黒幕説の致命的な問題。 これは光秀使ソウ説でも同じことで、光秀が敗滅すれば自分達の身も危険になるのだから、 積極的に光秀を支援しなければおかしい。なのに光秀が畿内を押さえようとしたときも、 足をひっぱるということもないが、後押しした形跡も全くない。 それとは別に疑問が一つ。朝廷黒幕説でよく公家の日記に改竄隠滅の疑いが出されるが、 よくよく考えると、そういった自分が関わっている、知られたら破滅確定な陰謀を、少し でも匂わせるような記述を、わざわざ日記に書き記すってありえるのかね? あるいは陰謀計画を紙に残すことがあったとしても、そんなことをわざわざこれまで何十年 と続けてきた日記に書いてくなんて、自分なら絶対にやらない。
- 663 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/17(木) 15:34:17 ID:WFIggpty]
- 公家の世俗的な配慮のなさというか
処世の下手さも計算に入れておいたほうがよい。 幕末の薩長の志士も 「公家は変節する」と警戒している。
- 664 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/17(木) 15:51:09 ID:KTNieSch]
- >>635
フロイスの著書「日欧文化比較論」に 謀反は日本ではよくある事で、あまり批難を受けない みたいな表現がある。 フロイスの表現は大げさな表現がしばしば見られるから鵜呑みには出来ない。 しかし戦国期の朝倉宗滴や藤堂高虎の残した家訓や武士道とは、 江戸中期以降の「清廉潔白に主に忠義を尽くす事を第一」とされたものとは違うようですね。 5千円札の新渡戸稲造の『武士道』は現代人の抱いている武士道の根源とされているものです。 菅野覚明 『武士道の逆襲』 佐伯 真一 『戦場の精神史 ~武士道という幻影』 などはそれらのアンチテーゼとして武士道の価値観の違いを提唱してる。
- 665 名前:人間七七四年 [2008/07/17(木) 16:42:16 ID:Ui+05jCn]
- 戦国期と江戸期の武士道はまるで違うでしょうね。
主君をコロコロ変える輩と主君に殉じた者が同じはずがない。
- 666 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/17(木) 17:29:25 ID:r0Rert0V]
- >>652
>だから兼見卿記も本能寺前後のページが破られている。 寝言ですか?「兼見卿記」に別本と正本があるのも知らないのか。 >>662 >わざわざ日記に書き記すってありえるのかね? 同意。 晴豊記の信長討ち談合衆の件やな。 こういう素朴な疑問もクリアできない黒幕・関与説は致命的な欠陥があるな。
- 667 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/17(木) 17:34:07 ID:dHDYZa2x]
- >>661
何を言ってるんだ? 黒幕論の問題点が、 ・黒幕とされる勢力が光秀に協力した形跡がほとんど見られないこと またそれに対して ・光秀が非難してないこと にあることを改めて指摘しただけだよ。 変自体の成功云々は関係ない。
- 668 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/17(木) 17:41:28 ID:dHDYZa2x]
- >>666
そうだね。そもそも日記に陰謀に関する件を記すことなんてあるのかねえ?という素朴な疑問。 例えば変とは関係ないが、光秀陣営と接触した記述があった→なんか秀吉が光秀に協力者がいたんじゃないか?といって公家衆を疑いだした→いちゃもんつけられるのが怖いのでそういった記録を破棄したあるいは改竄した。 こう考えれば別に不審とするに当たらないんだが…… それと日記といっても必ずしも毎日毎日書き綴っていたわけではないんだよね?
- 669 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/17(木) 18:03:03 ID:r0Rert0V]
- >>669
その好例が「兼見卿記」。 改竄前の「別本」は6月12日に絶筆になって、光秀と朝廷・兼見との関与を窺わせる記述を排除して 1月分から書き直したのが「正本」。 後世に両方とも残ったお陰で、どこを改竄したのか一目瞭然になったよね。 「晴豊記」は4月から10月分まで欠損していて、1970年代にその部分が「天正10年夏記」として発見 されている。
- 670 名前:人間七七四年 [2008/07/17(木) 21:36:02 ID:sn0wUQes]
- 光秀は「京都の主」になったわけだから公家との接触はあっただろう
ないほうが不自然だと思われ
- 671 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/17(木) 22:28:29 ID:yOiAtmtV]
- 天正以降、信長は京に村井貞勝をおいて行政・朝廷交渉の一切を任せた。
つまり、言い方が悪いが織田政権において朝廷の管理は村井が担当しており、 光秀の出番はない。 もちろん彼の支配地は北山城にあり、個人的な付き合いはあっただろうが、 公的な信長との折衝では光秀は関わっていない。その付き合いも、吉田のような 低いもので、もっと上の、朝議を差配するような大物との付き合いは見られない。 そういった存在は信長と直接付き合うから。 変以降は、光秀が京の支配者になったのだから、朝廷や公家が自分達の扱いがどう なるのかと接触をしただろうことは当然の動きで、自分達を認めてもらうために 光秀にある程度便宜を図っただろうこともありえる。ただし、それだからといって、 その公家が事前から光秀と組んで企んでいた証とはならない。むしろ、事変後に そんな接触交渉があったというのは、事前に取り決められていなかった、加担して いなかった傍証にもなりうる。 ただし、光秀敗滅後に乗り込んできた秀吉や信孝からしたら話は別で、当面の敵で ある光秀に何かしらの便宜を図ったというのは、光秀に与する証とも取れるわけで、 そのあたりを調査するのは当然の動きでもある。 例えばの話。細川家が変に(事前から)関わっていないことは史実としてほぼ確認できる。 ただしそれは後世の視点であって、光秀敗死直後には断言できることではない。だから 当然、秀吉からの調査は受けた。しかし秀吉から調査をされたからといって、それが即ち 「細川家が変以前から陰謀をしっており、加担してた」ことの証明にはならない。 これは同じ立場で、光秀死後に秀吉の調査を受けた公家たちにも言える。
- 672 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/18(金) 00:15:25 ID:Di29QUC+]
- >>671
オレも以前同じ趣旨のカキコして「短絡的」ってたたかれたけど、「光秀の朝廷の太いパイプ」ってイメージは幻想だと思う。 多分、以前京都奉行をやったとか、公家の荘園所在地に所領を持っているとか、京都馬揃えの奉行やったとか、有職故実に通じた とか、そこら辺の事実からそういう光秀の虚像ができたと思っている。 吉田兼見って所詮は吉田社の神主で、公家ではないんだよね。
- 673 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/18(金) 00:27:01 ID:zdWOGiYv]
- >>672
吉田兼見は秀吉が死んで豊国大明神造った時に、吉田社に1万石与えられて、 京都の市民から 「太閤は死んで神になられた、吉田の神主は(ようやく)人(がましく)におなりになった。たいしたものだ」 って馬鹿にされてたりするw
- 674 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM mailto:sage [2008/07/18(金) 00:33:13 ID:TMFglFAa]
- 大中臣氏に何の不満が
- 675 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/18(金) 01:04:25 ID:15Qmd4HV]
- >>_672
671とのカキコは基本的でこのスレ的には重要。 ただ、吉田のことを「所詮〜」はいただけない。 535〜537ぐらいを確認しておくれ。 吉田は公家にはなってるから。 673もそうだけど、短絡的すぎる。 「アヤシイ」なんてのは、問題外。 そういう巨視的に見て、「光秀ー朝廷、利害一致説」は まだ否定されてない。
- 676 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/18(金) 01:06:45 ID:zdWOGiYv]
- >>675
否定されてなきゃ肯定されるわけじゃない。 宇宙人が光秀を操って信長を攻撃したと言う説も「否定」は出来ないぞ。
- 677 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/18(金) 02:51:34 ID:TNLTeKuW]
- 愛宕百韻は最初の3句ばかり強調されるけど、他にも見るべきところがある
いとけなきけはひならぬは妬まれて といひかくいひそむくくるしさ 度々の化の情はなにかせん たのみがたきは猶後の親 泊瀬路やおもはぬ方にいざなわれ 深く尋ぬる山ほととぎす 一応は恋愛の情みたいなものを歌う句なんだけど、謀反の心情をもろにかたってるわかりやすい部分でもある。 >いとけなきけはひならぬは妬まれて >といひかくいひそむくくるしさ >度々の化の情はなにかせん は光秀が信長に妬まれることがあっても背くには良心の呵責があること。 それでも度々の仇の情によって実行する事。 >たのみがたきは猶後の親 この部分の紹巴が詠んだ部分の割りに句のつながりが悪い。 正親町天皇の事を指してる気もするけどどう捉えますかね? >泊瀬路やおもはぬ方にいざなわれ 泊瀬というのは天皇家古来の葬送の地。つまり死地にいざなわれるということ。 >深く尋ぬる山ほととぎす 一見意味が解らないかもしれませんが、ホトトギスは不如帰と書きます。 深く入り込みすぎて帰れなくなる。との事だと思います。
- 678 名前:人間七七四年 [2008/07/18(金) 06:25:00 ID:nqA9Xqrn]
- 正親町天皇の事を指してる気もするけどどう捉えますかね?
>泊瀬路やおもはぬ方にいざなわれ 泊瀬というのは天皇家古来の葬送の地。つまり死地にいざなわれるということ。 俺もそう思う。 ところで京都の阿弥陀寺の住職は正親町天皇が深く帰依していた名僧なのだが この住職がなぜか変の直後に本能寺に駆けつけている。 正門からは入れなかったが、抜け道から本能寺の境内に入ったと寺伝にあり。
- 679 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/18(金) 09:56:21 ID:KzaGCBJB]
- >>675
無論>>535のレスを前提にいっている。 今谷みたいに「民間人」と言い切るには抵抗があるから、アヤシイというにとどめただけ。 確かに兼見は公卿成しているが、これは一種の名誉職とみるべき。 神祇官にすぎない兼見が朝議に参加した証拠でもあるの? 証拠がない以上「アヤシイ」ていうのに問題なんてないな。 問題外という方が「問題外」。
- 680 名前:人間七七四年 [2008/07/18(金) 11:42:45 ID:VIKh4qYN]
- >>675
>>586
- 681 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/18(金) 12:01:34 ID:KzaGCBJB]
- >>675
>そういう巨視的に見て、「光秀ー朝廷、利害一致説」はまだ否定されてない。 巨視的にみると、変後の混乱で京都の庶民が禁裏御所内に住みついて朝廷が困っているのに、光秀がそれに対して 何ら解決策を示さなかったという公家の日記の記事は「利害一致」の点からどう評価できるの? あと、あなたの思考方法への根本的疑問なんだが、君の論も可能性レベルでは否定できないのは事実だよ。 しかし、可能性が否定できないからこそ、学者先生の論でもいまだに「定説」と言い切れる論が存在しないわけだ。 このスレでは、いろんな可能性を取捨選択して、どの説が「可能性が高いか」を考察したほうがいいんじゃね? いつまでも、「可能性は否定できない」ってレスばっかだと永遠に議論がループするだけだよ。 >>676.>>680 そういう厨房じみたな煽りはやめれ。
- 682 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/18(金) 12:27:02 ID:sBDw1gK+]
- >>681
>>680はともかく>>676は的確な批判だと思うぞ?
- 683 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/18(金) 12:46:23 ID:TNLTeKuW]
- >>681
光秀が勤皇の士であるなら小屋掛けを放置した事が矛盾するということ? 彼が勤皇の精神を持っていたかは解らないけど、朝廷に献金していることから朝廷に媚を売るつもりは最低限あった。 御所の防衛を司る事は他者の接触を遮る事や、朝廷政策の上でも有利となる材料なので可能であれば実行したかった事であろう。 ただ変後の光秀は思ったほどに同調してくれる者に恵まれず、畿内平定に粉骨してる。 単純に御所防衛に割くほど兵力に余裕が無かっただけだと考えられる。 正親町天皇に光秀が完全に操られている前提でならこの小屋掛けの未解決は矛盾といえるだろうけど、 利害一致説の上では別に肯定も否定にも決定打にはならない事かと。
- 684 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/18(金) 13:05:12 ID:sBDw1gK+]
- >>683
その場合、「利害一致」とは単に「信長排除」でしかなく、そこにいたる動機も天皇と光秀では異なり、変後もそれぞれ独自の立ち位置を貫いたということになるわけで。 その場合、果たして光秀と天皇は共闘していた、あるいは天皇が黒幕として存在していたと言えるだろうか? 精々、天皇周辺に信長嫌悪の空気があることを光秀が察し、それが光秀の背中を押した要因の一つになったのかもしれないくらいしか言えないのではないだろうか?
- 685 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/18(金) 13:36:24 ID:KzaGCBJB]
- >>683
>ただ変後の光秀は思ったほどに同調してくれる者に恵まれず、畿内平定に粉骨してる。 ここが重要なんだな。 組下すら同調してくれない切羽詰まったなら、なおさら利害一致した朝廷の権威を利用するんじゃね? 光秀が勤皇が否かは無関係で、朝廷を駒として利用しようとするんじゃないかということ。 朝廷は光秀の数少ない「味方」な訳だからね。 禁裏に入った庶民すら追い出せない(あるいは放置した)光秀の統治能力の低さに、朝廷は「だめだこりゃ」と失望 しないかってこと。兵力云々は関係ないよ。逆に、献金なんか正に儀礼的な行為だよね。 一方で、光秀は京都の民心掌握のために地子銭永代免除という「善政」を行っている。地子銭免除は為政者なら儀礼的に誰でもやっているが、 「永代」というのはかなりの大盤振る舞いである(ちなみに、秀吉が「謀反人の政策など無効じゃ」って免除を廃止したが、猛反発にあい再免除 を余儀なくされ、江戸幕府もこの既得権を承認せざるを得なかった)。 京都庶民への政策と朝廷への政策の間に、アンバランスさ・温度差を感じない?
- 686 名前:人間七七四年 [2008/07/18(金) 15:00:07 ID:llcqVKnL]
- 秀吉と対立した豊臣秀次も朝廷に献金したよな
京都にいれば公家達から挨拶されるだろうし、朝廷に献金するのは勤皇家じゃなくても思いつくことだと思うが
- 687 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/18(金) 15:41:58 ID:TNLTeKuW]
- >>685
小屋掛け問題を少々曲解してないかな? 朝廷は禁裏から「庶民を追い出せ」とは命令してません。。 戦乱から逃れるために禁裏に逃げ込んでくる庶民を哀れに思って光秀に京都の治安回復を命じたんです。 光秀は朝廷の要請「京都の治安維持」を要請されてそれを上洛時に引き受けています。 京に禁制札出した事からも実行を確認できます。 後に治安回復したにも拘らず居心地が良かったためにそのまま居つく庶民がいた。 それを秀吉が追い出した。ってのが小屋掛けの問題。 別に光秀は朝廷を蔑ろになんかにしてないし、記録を見る限り朝廷、光秀間は良好な関係にあったようですが。 光秀が天皇を絶対視する勤皇の士であるなら、聖域である禁裏に入り込む庶民をその場で追い出すくらいの事 するだろうけどそうでは無かったってだけでしょ。 それが後の世でどう捻じ曲がったのか、小屋掛けを秀吉>光秀の相対評価に使われた史観で捉えてませんか?
- 688 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/18(金) 16:12:05 ID:KzaGCBJB]
- >>687
指摘d。 曲解も何も桐野の受け売りだからね〜 いま大学にいるので、帰宅したら10年6月の公家の日記を再度確認してみるよ。
- 689 名前:サイコメトリー mailto: [2008/07/18(金) 17:58:32 ID:9N7CpPdo]
-
自分も含め、どうしても水かけ論に終始してしまう傾向にある様ですね。 >>681さんに同意です。一度、整理しましょうよ。 皆さん、それぞれのご意見、支持説、異論が有るでしょうけど、本能寺の変に 関する物(者)おいて、『これは確実に間違いない』と断言できる事柄を再考察 していきましょうよ。
- 690 名前:人間七七四年 [2008/07/18(金) 18:42:14 ID:VnCVjGLV]
- >>689
〇光秀が信長を好きではなかった事。 〇信長を襲える状況だった事 〇各地の織田軍が簡単に京に戻れないと思っていた事。
- 691 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/18(金) 18:55:26 ID:4xn8lRuF]
- >>690
>〇光秀が信長を好きではなかった事。 これは、確実だと断言できることなの? 個人間の心情なんて、それこそ推測の世界のものだと思うけどなあ。
- 692 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/18(金) 19:06:28 ID:nie64DlP]
- ○近江をはじめ畿内平定を進めていたことから野心はあった事
○変後においては朝廷と接触した形跡がある事 ○特に何らかの上位者を旗印として掲げた形跡は無いこと
- 693 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/18(金) 19:20:55 ID:pd8Pxaml]
- >>690,692
> 〇光秀が信長を好きではなかった事。 > ○近江をはじめ畿内平定を進めていたことから野心はあった事 これはどうかなあ?
- 694 名前:人間七七四年 [2008/07/18(金) 20:01:44 ID:VnCVjGLV]
- 信長の事は好きじゃあないだろうよ〜。
襲ったから嫌いとか単純に思ってんじゃないよ。
- 695 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/18(金) 20:44:13 ID:pd8Pxaml]
- >>694
具体的な根拠はあるの?
- 696 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/18(金) 20:49:56 ID:zdWOGiYv]
- >>695
自分の事を心底嫌っているような人間を、信長ともあろうものが何年も飼っておくかよ。
- 697 名前:人間七七四年 [2008/07/18(金) 21:28:50 ID:llcqVKnL]
- もしも朝廷が黒幕なら、秀吉及び信孝追討の勅命を光秀に与えるはず
兵力差は大きく開いていると知っているはずだが、その手はなかった また光秀が将軍に任官されれば、天皇から節刀を下賜され源氏の白旗を使って出陣しそうなもんだがそれはない
- 698 名前:人間七七四年 [2008/07/18(金) 21:29:01 ID:X6iEANp6]
- >自分の事を心底嫌っているような人間を、信長ともあろうものが何年も飼っておくかよ。
大久保利通や伊藤博文はかって自分を暗殺しようとした陸奥宗光を 有能だとの理由で部下として平然と使っていた。
- 699 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/18(金) 21:35:31 ID:zdWOGiYv]
- >>698
陸奥は別に、大久保や伊藤を嫌っていたわけじゃないぞ。
- 700 名前:人間七七四年 [2008/07/18(金) 22:55:26 ID:o1eyNW2y]
- 陸奥宗光は西南戦争のどさくさにまぎれて
大久保・伊藤・木戸を皆殺しにしようとしたからな。 明智光秀みたいなキャラだったのかもしれない。
- 701 名前:人間七七四年 [2008/07/18(金) 23:18:10 ID:MauKouEM]
-
7月18日(金) 26:50〜28:40 フジテレビ ミッドナイトア-トシアタ-・アニメ 「時空の旅人」 あれだよ。昔、ファミコンゲームになっただよ。 正直、時をかける少女より面白い。 ゲームがまれにみるクソゲーだったんで、見たこと無い人多いだろうけど。 すげえ、面白いよ。 作画も半端じゃない。80年代としてはオーパーツ並にキレイ。 織田信長がもし本能寺で死ななかったら…? の if作品。 原作は眉村卓のSF小説。
- 702 名前:人間七七四年 [2008/07/18(金) 23:58:43 ID:llcqVKnL]
- 立志社の獄を言ってるのか?
そんな大規模なものじゃないだろ
- 703 名前:人間七七四年 [2008/07/19(土) 00:24:50 ID:VTQmEZdE]
- 信長嫌い、って一瞬短絡的に聞こえるけど、いつの世にも当て嵌まる人間の本質じゃん。
感情論は黒幕云々より、よっぽど説得力があるよ。
- 704 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/19(土) 01:46:05 ID:DJw1eTcB]
- >>703
今は「『これは確実に間違いない』と断言できる事柄を再考察 していきましょうよ。」 というテーマなんだから、断定できるような事じゃあないだろ、とつっこまれてるのに 「黒幕説より説得力ある」と言われてもねえ
- 705 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/19(土) 02:13:32 ID:xajQCAlt]
- 少なくとも黒幕説よりはよほど説得力があるのは確かだが
- 706 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/19(土) 02:46:32 ID:OL9wp6fy]
- 「信長の事を好きじゃないだろう」も「説得力」も「確実に断言できる事柄」では無い
- 707 名前:人間七七四年 [2008/07/19(土) 07:30:12 ID:lTA8miNd]
- 美濃源氏フォーラムの東京六本木講座で9月20日に、光秀の子孫と称する
明智憲三郎とかの輩が、「私の本能寺の変研究」と題し講演するらしいね。
- 708 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/19(土) 07:52:46 ID:em7yqV0V]
- ネット検索をかけましたが、うまく引っかからなかったので、私の記憶間違いだったら、すみません。
昔見たテレビで、織田信長と明智光秀がそれぞれ書いた書状(手紙)を分析し、それぞれの性格を分析した歴史番組がありました。 たかが書状で性格が分かるか、と言われそうですが、私から見ても、その人の書いた手紙やメールというのは、その人の人柄を結構、表します。 sの番組によると、本能寺の変の数年前までは、信長は孤高の有能なトップで、光秀はその忠実な補佐役という、ある意味、理想の性格同士だったそうです。 ところが、本能寺の変のあった頃には、信長は凶暴な夫や主人、光秀はそれに忍従する妻や奴隷という状況にあったとか。 孤高の有能なトップが、凶暴な主人に変わることはよくあるそうですが、秀吉や勝家より、光秀の方が、信長の側にいます。 信長の凶暴性に、ついに光秀の堪忍袋の緒が切れたのが、本能寺の変のきっかけとなったのではないか、とその番組では述べられていました。 書状という根拠も示されており、なるほどと、私は思ったのですが、いかがなものでしょうか。
- 709 名前:人間七七四年 [2008/07/19(土) 07:58:29 ID:kLii4Kxm]
- 信長については精神医学の専門家もけっこうコラムみたいなの書いているね。
「優秀精神病者」とかいうらしい。 外国だとロベスピエールなんかもそうらしい。 狂人と天才のボーダーライン上にいた信長だが 最晩年にはだんだん狂人のほうにシフトしていったとか。 英雄の晩年は狂気に走ることも多い。
- 710 名前:人間七七四年 [2008/07/19(土) 08:01:18 ID:kLii4Kxm]
- 信長の書状といえば、
信長から家康にあてた手紙の形式は「同盟者への書状」から 最晩年には「部下への書状」みたいになっていると、なにかで読んだことがある。
- 711 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/19(土) 09:25:32 ID:DJw1eTcB]
- >>709
むしろ、信長や本能寺に限って、この手の精神面や心理面でのアプローチが多いのが気になる。 「狂気を含んだ天才」とか「孤高の君主」とかのイメージがあるから、その手の人が飛びつくわけで 所詮ほとんどが「まず結論ありき」な分析にすぎない気がするなあ。 >>708みたいな、手紙からの性格分析なんてのになると、 その手法自体に、まず眉に唾つけちゃうなあ
- 712 名前:人間七七四年 [2008/07/19(土) 09:31:35 ID:b38RUr4V]
- >手紙からの性格分析なんてのになると、その手法自体に、まず眉に唾つけちゃうなあ
でも精神科医に言わせると、それなりに信頼できる手法だそうだ。
- 713 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/19(土) 11:03:52 ID:xajQCAlt]
- 信長の晩年は狂気と言うよりむしろ、どんどん平凡になって行ってるだろ。
若い頃の暴走の貯金(笑)でそのへん過大評価されてるきらいがあるけど、晩年になればなるほど 角が取れて行ってる。 晩年の狂気って言うのなら秀吉のほうがよほどだ。
- 714 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/19(土) 11:16:45 ID:xYtFL7uT]
- 若い頃にやったような、無茶は年を経て、
自分の勢力が強大になっていく毎に必要なくなった(機会が無くなった) ってことじゃないのかな? 特に年を取ったら平凡になったとも思わないけど、 (どちらかというと、人生のどこから変わったということもなく、 終始一貫してる人物のようにとらえてる) 本能寺の時、なんであんなに油断してたの?って話があるけど、 信長って、若い頃からずっとあんな感じだよな、 自分の身の安全とかを徹底的に保障してから動くようなタイプじゃない。 ほんの数騎を従えて飛び出したみたいな、話がちょくちょくでてくる人物だし。 そうだったから、あの短期間で、尾張の1/4程度の領土しかもたなかった 小大名が、天下人といっていいほどになったんじゃないかな? (用心深く注意深くの性格だと、30年に満たない期間で、あそこまでのし上がれない)
- 715 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/19(土) 11:25:59 ID:ujPURHeI]
- >>710
花押から「天下布武」の印章に薄礼化したとか、文末の「恐々謹言」って言い回しがもっと軽い文言になったとか そこらへんから信長の家康に対する扱いの変化は証明できるよね。 「可能性が高いか」ってテーマでは ○四国政策の転換で信長と光秀がバッティングしたこと ○フロイスの足蹴りの記事から天正10年5月に二人が何らかの要件で衝突していたこと はどう?
- 716 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/19(土) 12:12:29 ID:ZCYKOs7P]
- >>697
>もしも朝廷が黒幕なら、秀吉及び信孝追討の勅命を光秀に与えるはず 朝廷が一枚岩でないことは黒幕説賛否両者共に主張してるよね。 勅命というのは朝議を通さねば下す事ができないのですよ。 公家衆の中には信長に旧領を回復してもらって恩顧の念を持つ者だっている。 『秀吉及び信孝追討』というのは一方的に謀反人である光秀に肩入れするようなもの。 このような名目では朝議には通しにくい。 ならば『京頭之儀』ということならどうだろうか? これならば恩顧の念を持つものにも京都の治安維持が名目であるのだから反対のしようがない。 これを受ける光秀にとっては京周辺での戦いを朝廷の後ろ盾で正当化することが出来るのである。 それでも結果的に負けたんだけどね。
- 717 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/19(土) 12:49:21 ID:f6Exmk2G]
- >>715
708ですが、四国政策の転換と、斎藤利三の件が、本能寺の変の最終的な一押しを、明智光秀に与えたと思っています。 まず、斎藤利三の件ですが、織田家の陪臣が、別の織田家の家臣に勝手に仕える。 例えば、柴田勝家の家臣が、勝手に羽柴秀吉の家臣になるというのは、本来は許されません。 斎藤利三が、稲葉一鉄の下を去って、明智光秀に勝手に仕えるというのは許されないことだったわけです。 とはいえ、急速に所領が増え、優秀な家臣が大量に必要な光秀にとって、斎藤利三は必要な人材でした。 そして、光秀の中で、稲葉一鉄は自分より格下ではないか、という思いも少しはあったのではないでしょうか。 ところが、信長は一鉄の訴えを認め、光秀に斎藤利三を一鉄に返すように命じます。 更に、四国政策が追い打ちをかけます。 長宗我部にしてみれば、四国切り取り次第、を信長は書面で約束しました。そして、困っていても援助もろくにありませんでした。 そして、独力で讃岐や伊予まで切り従えたのに、伊予と讃岐、阿波半国は没収を、信長は宣言したわけです。 見ようによっては、ハルノートよりひどい条件です。三好は信長に服属したではないか、と言われそうです。 しかし、三好よりも長宗我部の方が古くから信長に従っています。せめて、現在の所領は長宗我部に認められるべきではないでしょうか。 これに対しては、四国に巨大勢力が出現し、織田家の脅威になるという反論があります。 でも、それをいうなら、毛利家の方が巨大です。そして、水軍力からいっても毛利家の方が強力です。 四国政策で、面子をつぶされ、性格的にも追い込まれた光秀が本能寺の変を起こしたと思うのです。
- 718 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/19(土) 13:03:08 ID:ZCYKOs7P]
- >>697
加えて征夷大将軍も朝議でのよくよくの詮議が必要です。 簡単に出来るはずもないですよね。 ちなみに下賜というのは天皇の意思だけでもすることが出来ます。 秀吉、信孝は山崎の合戦の後、太刀拝領をしていますね。これはかなり異例の出来事。 天皇からの節刀の下賜というのは征夷大将軍のみに行われていた儀式です。 慣例を無視した行為を朝廷側が自主的にするとは到底考えられず、これは秀吉側の圧力を受けての行為だったと考えられます。 つまり秀吉は朝議不要にして武家の統領たる資格を受けたわけですね。
- 719 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/19(土) 14:13:11 ID:OL9wp6fy]
- 謙信も天皇からもらってなかったか?
- 720 名前:人間七七四年 [2008/07/19(土) 14:40:58 ID:GCnBo/x5]
- >>715
ほぼ確実な線だね。 特にフロイスの件は、あまり信憑性が高くないとよく言われるが、表現の仕方は別として、少なからず信長光秀間にいさかいがあった事を現認したのだろうね。 俺が確実だなと思う件は、 〇信長の奢り 〇信長の影響力の誤認(光秀)
- 721 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/19(土) 14:45:29 ID:cfTk4EqR]
- >>715
文末の「恐々謹言」は全ての大名に対してそう使うようになっただけでしょ 謙信に出した手紙も同じ
- 722 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/19(土) 16:33:43 ID:YuRGBh1G]
- 朝廷が一枚岩でないことは誰も否定していない。
正親町天皇が個人技で光秀を説得して動かした可能性の有無についての議論だと思う。
- 723 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/19(土) 18:06:22 ID:4f8dBGBk]
- >>722
> 正親町天皇が個人技で光秀を説得して動かした 具体的にどのような手蔓があったんだ? また光秀なら乗ってくるとどうして思えたんだろう?
- 724 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/19(土) 18:40:00 ID:ZCYKOs7P]
- >>719
そうだね、原則とでも付け加えるべきだった? まあ拝領したのは太刀ではなく小刀で、添えられた宣旨ではなく綸旨なので この時はしっかりと政治的配慮がなされていたんですよ。
- 725 名前:人間七七四年 mailto:sage [2008/07/20(日) 01:22:56 ID:QtvmNFZd]
- んと、言いだしっぺなんだけどいい?
戦国とか信長だけじゃなく、中世全体の専門家の本を紹介する。 本郷和人、って人の本であくまでこの人の個人的感想ね。 「天皇制最大の危機は信長と第二次世界大戦」っていうの。 つまり、信長は、皇位簒奪をしたであろう、ってのはこのスレで言われてるほど、 妄想とか関連がない、じゃなくて、あくまで普通に類推すればそういう結論に なるのではないか、ということ。 この人、東大史料編纂所の人だから、「可能性論はやめてな」 みたいな反論じゃなくて、もう少しこのスレ的な「信長の意思は重要、朝廷もそれを理解してたに 違いない、だからこそ、光秀と朝廷の利害の一致、」そういう感じでどうだろう。 1568から1581の馬そろえまで、光秀は何を考えていただろう。 同じく、秀吉も。 「野心説」がすべての基本と思う。実行したんだから。 変の時、光秀は何歳だったか、みんなパッと言える? 朝廷の後押し、回りはみんな出払ってる、最大のライバル、なんてこれこそ テレビのみすぎですよね、光秀から見たら自分がナンバー1としか 思えなかったんじゃないかな。 征夷大将軍、じゃなくてね、もうウハウハ、ですよ、明日にでも死ぬかもしれない のがあの時代、目の前に最大のワンチャンス、ここで仕掛けるのって、そんなに おかしいですかね。 愛宕百韻のカキコもわしなんだけど、本音がポロッ、だと思ってる。 自分が、「幕府を開けるかもしれない」、これって、普通と思うのですけどね。 あんまり理屈っていうのじゃなくて。 ちょっと調子にのりすぎた。やさしく反論して。
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