- 243 名前:神も仏も名無しさん [2010/04/21(水) 00:58:21 ID:bxVN26SY]
- >>235(つづき)
ですから、その延長上で述べられている、 ↓ |>>207 |「二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた」とは、教会のおかげで主とともにあった人たちが、 |分離されたという意味です。第10節に「真っ二つに切り裂き」とは、主と教会を切り離したこと |を意味します。なぜなら「三歳の雌牛と三歳の雌山羊と三歳の雄羊」とは、教会の天的なもの |を表象します。ここで「動物」はなものをさし 的なものをは霊的なものを指します。 |したがって、動物を真中で切り裂いたとは、天的なものにかんしての均衡性と相応を意味する |ものです。 この部分も、全く創世記15章17節で主張されている契約の意味でのいけにえの内容とは まったく無縁のスエデンの想像や空想の解釈に過ぎないと結論しなければなりませんね。 つまり、本質的に「祝福や契約のしるし」としての「火」や「煙」を無視して、「それらは教会に巣食 った情欲や憎しみや偽り、復讐心や残酷や策力的な下心の混在によって教会が主から分離して しまうこと」だというような、まるで無関係の解釈に到達することになっていたわけで、 これらは聖書の解釈ではなく、あくまでも「スエデンボルグの信念の押し付け」です。まさに、 「聖書のコンテキストを無視した独善的解釈による暴論」でしかありません。
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