- 235 名前:神も仏も名無しさん [2010/04/21(水) 00:40:48 ID:bxVN26SY]
- >>231(つづき)
>>224>>229>>231のように、神が火や煙とともに現れて「祝福の約束」や「戒めの契約」 の場面で用いられていることから、全く同様の場面で使われている創世記15章17節 での使われ方を見て、その「火」や「煙」をこのような意味として取るのはどうみても聖書的 にはふさわしくない、と思われる。 ↓ |>>206 |第12節に「日が沈みかけたころ、アブラムは深い眠りに襲われた」とありますが、 |「日が沈みかけたころ」とは、週末の前の時間と状態を示します。 |それは「日(太陽)」が意味するとこらから明らかです。太陽はその内的意味では |主を示し、愛と仁愛にかんする天的なものを示し、さらに愛そのもの、 |仁愛そのものを示します。したがって、「日が沈む」の、内的意味は教会の終末の |ことで、終末と言われます。「アブラムは深い眠りに襲われた」とは、当時の教会 |が暗闇の中にあったことを示します。 | |したがって、「日が沈み」とは、終末時の異常な時機を言います。「暗闇に覆われたころ」 |とは、仁愛に代わって憎しみが生じたことを言います。みことばで、「暗がり(暗闇)」とは |真理に代わる偽りを示し、「暗闇」とは、善に代わる悪を意味します。同様に、仁愛に代 |わる憎しみをも示します。 | |「煙の吐く炉」とは、極めて濃密な偽りを指します。「燃える松明」とは、欲情の熱気です。 |「煙を吐く炉」と言われるわけは、教会人が真理認識を持ちながらそれを承認せず、心で |否定し、真理に反対して生活する場合、煙のかまどのような現われ方をします。 |「炉」であるとは、「煙」のように憎しみに根ざす偽りを宿していることを言います。 |偽りとなる欲情は、「このような炉から出る火炎」です。 |来世では、憎しみ、復讐心、残酷、姦淫の欲情は、そのような表象物として現れ、それも |策力的な下心に混在しているとなおさらです。
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