- 318 名前:考える名無しさん mailto:sage [2022/02/02(水) 10:42:13.83 0.net]
- 「こた(応)への『を』、すなわち、呼びかけの『を』に呼応して
それを満足させるう(請)けあ(合)ひ」は、声としては呼びかけの 「を」と同じものであるにも関わらず、「を」−「を」の呼応 関係において明確に呼びかける者とそれに応へる者の非対称性を 表現することになる。この「を」は、呼びかけにおいても、 応へにおいても、現状における欠如/"void"を指し示し、英語で 言えば、"why not?"、ポルトガル語で言えば、"pois não"に 対応し、ポルトガル語のTVドラマをしばらく見ていると、 何かを要請されて、それに応へる"pois não"は、発音としては まったく違うにもかかわらず、その用法から、そのまま日本語の 古語の応への「を」に対応しているものと実感されてくる。 発音としては同じ「を」が明確に非対称的な関係性を表すこと からも分かるとおり、日本語における「を」は、極めて 巧みに用いられ、様々な関係性を表現するように多用され、 それらの用法を関係性を数学やプログラミング言語によって 表現することは、人々に数学表記やプログラミング言語だけ によって日常会話をするような能力が備わっているのでない 限り、不可能だろう。例えば、「梅ををき」という表現には、 「梅」という名詞とそれを対象として指し示す「を」と、 「を・く」という、最初の「を」と語源的には同一の 呼びかけの声である「を」を活用した動詞しか現れない。 にもかかわらず、それによって伝へられる関係性をプログラミング 言語で表現しようとしたなら、とてつもない困難が伴うことに なるだろう。そのことは容易に示すことができる (ただし、今は時間がないので、続きは余裕のあるときにまた 書き込むことにする)。
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