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ニーチェ38



1 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/22(水) 02:46:16 ID:0.net]
「私は、ペシミズム哲学者の正反対であり対極なのである。」『この人を見よ』

※前スレ
ニーチェ37
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1524745783/l50

2 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/22(水) 07:24:53 ID:0.net]
新知恵

3 名前:Der Wille zur Macht mailto:sage [2020/07/22(水) 10:08:05 ID:0.net]
生きるとは、地について己(おのれ)にできることをしようと
試(こころ/心)み(観)ることである。そのように試み続ける
ことが、己を乗り越えようとすることであり、自(みづか)ら/
身づ体/柄/殻(から)の殻を破ろうとする力への意志である。
それが、面複/覆(おもひ)どおりの現存の実現のために
自らを尽くすことである。

"Ich liebe die, welche nicht erst hinter den Sternen
einen Grund suchen, unterzugehen und Opfer zu sein:
sondern die sich der Erde opfern, dass die Erde einst
des Übermenschen werde."

4 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/22(水) 10:56:10 ID:0.net]
思(面)ひ(複/覆)どおりの現世(う[=肤/surface]つしよ)の実現を前に跪(ひざまづ)く

»Wille zur Wahrheit« heißt ihr's, ihr Weisesten, was euch
treibt und brünstig macht?

Wille zur Denkbarkeit alles Seienden: also heiße ich euren Willen!

Alles Seiende wollt ihr erst denkbar machen: denn ihr zweifelt mit
gutem Mißtrauen, ob es schon denkbar ist.

Aber es soll sich euch fügen und biegen! So will's euer Wille.
Glatt soll es werden und dem Geiste untertan, als sein Spiegel
und Widerbild.

Das ist euer ganzer Wille, ihr Weisesten, als ein Wille zur Macht;
und auch wenn ihr vom Guten und Bösen redet und von den
Wertschätzungen.

Schaffen wollt ihr noch die Welt, vor der ihr knien könnt:
so ist es eure letzte Hoffnung und Trunkenheit.

Friedrich Nietzsche: Werke in drei Bänden. München 1954,
Band 2, S. 369-372.

5 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/22(水) 14:36:34 ID:0.net]
ニーチェの表現の理解を困難にしているのは、往々にして、解釈の不足ではなく、
解釈の過剰である。日本語にそのまま置き換えて容易に理解できる簡単な言葉を、
わざわざ、「彩り豊かな」表現に置き換えて、何か特異な独自の思想を伝えよう
とするものとして解釈してしまうのだ。それにより、「下りゆく/下降する/
降りる/落ちること」が「没落」に限定され、「力」が専ら「権力」を表す
ものとされ、「力をふるう」ことが「暴力」として道徳的に評価され、
「主(ぬし)」であることが「(他者を服従させる)支配者」であることに
偏って理解されることになる。さらに、表現の大意を伝えることよりも
詩的に響く言葉を選ぶことを優先させるため、「地」がいつでも「大地」
になり、「彩り豊かな牛」が「まだら牛」になってしまう。「まだら」
を検索すると、「色の濃淡、または種々の色が、いりまじっていること」
と説明されているので、合っているように見えるが、一般に「まだら」
という言葉でイメージされるのは、わずかな色が不規則な濃淡で分布
している様子であることが、画像検索をしてみれば分かる。また、
「まだら牛」と訳されている"Bunte Kuh"を画像検索して出てくる牛の
姿を、日本語で「まだら」とは普通、呼ばないだろう。なぜ、そんな、
一見、つまらないことが問題なのかと言えば、それは、人々/社会が
「色とりどり」であることについて、ニーチェが別のテキストにおいて
考察を述べているからである。より詩的に響くというだけの安易な置き換え
により、ただちに思い浮かぶはずのテキスト間の関連が失われることになる。

6 名前:考える名無しさん [2020/07/22(水) 22:06:44.78 0.net]
余震が終わった。大震災が終わった。原発再開。福島以外
避難計画はバス増やす。避難場所確保明確化。避難場所、市町村完全指定

7 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/22(水) 22:15:59.14 0.net]
南海トラフ、福島以外全て動く。電力わけ与える

8 名前:考える名無しさん [2020/07/22(水) 22:17:14.36 0.net]
原子力30パーセントの割合

9 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/22(水) 22:37:37.58 0.net]
避難場所、地図配布。完全指定。

10 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/22(水) 22:50:06.12 0.net]
ニーチェ対グレタ



11 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/22(水) 23:24:46.80 0.net]
愛知原発稼働

12 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/22(水) 23:26:23.75 0.net]
グレタさんのおかげ

13 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/22(水) 23:54:42.50 0.net]
>>10
w

14 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/22(水) 23:55:08.73 0.net]
ニーチェ対ビーガン

15 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/23(木) 09:42:44 ID:0.net]
とても簡単で、誰にでも理解できることではないかな。
人々の集団的な定住生活は、植物の栽培と動物の飼育を基礎として成立していて、
その基礎なしには成立しない。ところが、植物の栽培も動物の飼育も、人々に
とって有用な動植物の育成を有利にするエコ贔屓そのものであり、人々に
とっての有用性/有害性にもとづいて特定の動植物種が有利にされたり、
許容されたり、排除されたりする。したがって、生物全体としての
エコロジーの最適解というものは存在し得ず、人類が時空を超えてあらかじめ
規定できるのでない限り、人類全体にとってのエコロジーの最適解という
ものも存在しない。あたかもそれが存在し、それが専門家によって見出され
ており、その最適解に合うようにすべての人々が自らの生活を規制すべきである
というような欺瞞が政治経済政策として実施されるとすれば、そのような
最適解を自らに有利なように規定する特定の人々による専制を皆が認める
べきであるということになる。

16 名前:現(う[=& mailto:sage [2020/07/23(木) 11:03:41.12 0.net]
Die Erde, sagte er, hat eine Haut; und diese Haut hat Krankheiten.
Eine dieser Krankheiten heißt zum Beispiel: »Mensch«.

Und eine andere dieser Krankheiten heißt »Feuerhund«: über den
haben sich die Menschen viel vorgelogen und vorlügen lassen.

[...]

»Heraus mit dir, Feuerhund, aus deiner Tiefe!« rief ich, »und bekenne,
wie tief diese Tiefe ist! Woher ist das, was du da heraufschnaubst?

Du trinkst reichlich am Meere: das verrät deine versalzte Beredsamkeit!
Fürwahr, für einen Hund der Tiefe nimmst du deine Nahrung zu sehr
von der Oberfläche!

Höchstens für den Bauchredner der Erde halt' ich dich: und immer,
wenn ich Umsturz- und Auswurf-Teufel reden hörte, fand ich sie gleich dir:
gesalzen, lügnerisch und flach.

Ihr versteht zu brüllen und mit Asche zu verdunkeln! Ihr seid die besten
Großmäuler und lerntet sattsam die Kunst, Schlamm heiß zu sieden.

Friedrich Nietzsche: Werke in drei Bänden. München 1954,
Band 2, S. 385-388.

17 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/23(木) 11:06:10.89 0.net]
現(う[=& ◆PYgRePXWYuLn
   👇
現(う[=肤/surface]つつ)を抜かす

18 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/23(木) 13:23:15.21 0.net]
発狂さんと愛称が良い

19 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/23(木) 18:09:21.94 0.net]
グレタさんの負け。イギリス30基、スエーデン6基、ロシア8基、ドイツ30基、フランス12基、アメリカ37基、日本27基、
廃韓国炉作業中。世界で169基廃炉作業中、廃炉終了は17基
動かないじゃん

20 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/23(木) 18:13:01.82 0.net]
ヨーロッパの人より小泉議員が正解。顔力に騙された



21 名前:考える名無しさん [2020/07/23(木) 18:15:15.50 0.net]
いかに自民党、数の論理が正しいか

22 名前:考える名無しさん [2020/07/23(木) 18:46:17.33 0.net]
原発15基の廃炉が決定 一基380億円 廃炉ビジネス活発

ttp://www.thutmosev.com/archives/60535470.html

23 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/23(木) 20:11:12.89 0.net]
一基6000億円の利益があるから赤字ではない。黒字

24 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/23(木) 22:28:25.18 0.net]
一基につき380億円、国内総生産の増加に貢献しているということですか?

25 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/24(金) 20:46:36.92 0.net]
してるよ

26 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/26(日) 00:22:01.80 0.net]
さんちゃんさみしいの。

27 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/26(日) 00:29:24.21 0.net]
千葉すずとかけてコマネチととく。その心はビートたけしの間の間の間
ねたにしろ。現代が進み過ぎてびっくし。スマフォでレジよりもTポイントカードに
入金して買うかnanacoカードに入金の方が安全だよ。どっちもチャージでええやん
車のドライブもいまのままでいいよ開発終了。NTT光は本数増やせば速いっしょ

28 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/26(日) 00:43:00.63 0.net]
ネットを本当か嘘か見抜けないヤシはネットする資格ねーヤシ
誹謗中傷もネットあかんで。ツイッターもあかんねんで
ラインでええやん

29 名前:空気を読む mailto:sage [2020/07/26(日) 22:57:28.87 0.net]
哲学において詩的な感性はどのように用いられるべきなのか。
具体例から考えてみよう。

図書館で借りてきた「Also sprach Zarathustra」を日本語訳の本には、
その訳が「これ以上なく哲学的に厳密」であると謳われている。
私自身のドイツ語の能力は初歩的なものでしかなく、存在する複数の
日本語訳を比較検討したわけでもないので、その翻訳の優劣について
論じる立場にはない。それでも、訳語として用いられている表現が、
「哲学的に厳密」であることを基準としているかどうかを検討して
みることはできる。

30 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/26(日) 23:16:45.85 0.net]
さて、日本語の表現において、「大事にする」ことや「大切に扱う」ことと、
「いたわる」ことは同じだろうか。相手の健康を気遣って「お大事に」
と言ったなら、それは「ご自愛ください」と言い換えることができ、
「自身を『いたわる』」」ように相手に伝えているように思え、
「大事にする」や「大切に扱う」を「いたわる」に置き換えても、
何も問題は生じないと考えられることは十分にあり得るだろう。

ところで、上記の翻訳本、『ツァラトゥストラかく語りき』では、
"schonen"というドイツ語の動詞がそのように「いたわる」と訳されている。
では、「哲学的に厳密」に検討した場合、この「いたわる」という日本語の
表現は、ニーチェが"schonen"という表現を用いたことにおける、推測される
意図を適確に反映しているだろうか。



31 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/26(日) 23:30:59.49 0.net]
私は、まともなドイツ語辞典も所有しておらず、手元にあるのは、初心者向け
にごく簡易なボキャブラリだけを記載したポケットサイズの独英辞典だけなので、
一般的な独日辞典に"schonen"の訳語として「いわたる」が記載されているのか
どうかも知らない。そこで、"schonen"+"ドイツ語"でネット検索をしてみると、
ドイツ語を母語とする人が、"schonen"を明確に日本語で「いたわり」と訳して
いる事例がヒットする。
https://edwinahoerl.com/down/schonen_japan_neu.pdf
さらに、東京外国語大学のサイトにも、
>Sie sollten sich mehr schonen. あなたはもっと自分をいたわるべきでしょう。
という例文が記載されている。すると、独語を母語とする人と日本のドイツ語の
専門家の両方によって、"schonen"を「いたわる」と訳すことが適確であることの
お墨付きが与えられたようなものだろう。
しかし、である。そのように考えることは、「哲学的に厳密」であると言える
のか、それが検討されなければならない。

32 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/26(日) 23:48:45.10 0.net]
さて、上にリンクを張った、ドイツ語を母語とする人によるものらしい
文では、"schonen"を「いたわり」と訳すにとどまらず、このドイツ語の
表現に意味を次のように詳しく説明している。

>「Schonen (ショーネン)」. ドイツ語で幅広く使われている言葉だが、
>文脈によって、ʻ大切にするʼ、ʻ傷めな. いように使うʼ、ʻ寛大に取り扱うʼ、
>ʻ保全するʻなどと和訳される。また「sich schonen」という再帰動詞は
>ʻ体を大事にするʼことを意味している。

私には、既にこの時点で何か違和感が生じる。そこで、さらに、ネットの
独英辞典やWiktionaryで"schonen"を引いてみると、対応する英語の表現
としてまず提示されるのは、英語の"spare"であり、ドイツ語の用例と
見比べて見ても、うまく対応しているように感じられる。Wiktionary
の中国語サイトに行くと、英語の"spare"に対応するように「爱惜」という
表現が記載される、それに加えて、日本の漢字表記にすれば、「愛護」
となる「爱护」という表現も記載される。この「爱护」は、中国語辞典
を引いてみると、「大切に保護する」という意味で用いられるとの
ことで、「軍隊は人民を愛護すべき」という訳文が出ている。

すると、私の違和感の正体はもうかなりはっきりしてくる。英語の
"spare"という表現が「いたわる」と訳されることはまずなく、
「軍隊は人民を『いたわる』べき」というのも変な文となるだろう。
何かがずれているのである。

33 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/27(月) 00:04:57.45 0.net]
そこで、次に、今度は、日本語の表現の側から考えてみよう。
旧仮名遣いで「いたはる」と、「いたわる」と明らかに関連する「いたはし」
をネットで検索してみると、次のサイトがヒットする。
https://kobun.weblio.jp/content/いたはる
https://kobun.weblio.jp/content/いたはし

「いたはる」の用例として挙げられる、「気をつかう。苦労する。骨を折る。」、
「病気になる。」、および「いたはし」の用例として挙げられる
「苦労だ。」、「病気で苦しい。」から明らかなとおり、「いたはる」の
「いた」は、「いた(痛/傷)み」の「いた」と共通だろう。したがって、
「ねぎらう。手厚くもてなす。」、「治療する。休養する。」を意味する
ものとして説明される「いたはる」の用法もやはり、既に生じている
「いた(痛/傷)み」≒「苦労/苦痛」を前提として、その「苦労/苦痛」を
「補償する/回復させる」行為を意味すものと理解することができる。

34 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/27(月) 00:19:13.56 0.net]
ここで、ニーチェの表現の翻訳に戻ることにしよう。
『ツァラトゥストラかく語りき』では、ドイツ語の"schonen"が次のように
翻訳されている。

>...手に負えぬ余所者なのだ、人間たちがお前を愛しているときですら。
彼らは何よりもまずいたわってもらいたいのだから。< pp.315-16

>わが最大の危機、それはつねにいたわること、同情することにあった。
そして人間はみな、いたわられ、同情されようとする。< p.319

この訳文を読む限り、ニーチェは、人を「いたわる」ことに対して
否定的であると解釈せざるを得ないだろう。しかし、ニーチェが、
"schonen"に否定的であることは、本当に「人を『いたわる』」こと
に対して否定的な見解を示していることになるのか。それが、
問われるべき「哲学的な厳密さ」であり、哲学において用いられる
べき「詩的感性」の問題である。

35 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/27(月) 00:31:37.70 0.net]
長くなったので、私の結論だけ簡潔に述べよう。
>>32に引用したとおり、
"schonen"というドイツ語の表現は、一般的に解釈すれば、
>ʻ大切にするʼ、ʻ傷めな. いように使うʼ、ʻ寛大に取り扱うʼ、
>ʻ保全するʻ
ということであって、『ツァラトゥストラかく語りき』の文脈に
おいては、人に対する自らの発言において、そのようにする
必要があるというのだから、発言する際に「(相手の気持ちを
気遣って)『傷つけないようにする』」という意味で"schonen"
という表現をニーチェは用いているのではないか。要するに、
人の間にあっては、つねに人の「気持ちを気遣って」、誰も
傷つけないように「空気を読む」ことばかりが求められる、
ということではないのか。それを「いたわり」の否定と解釈
することは、ニーチェの表現の意図を大きくずらして、曲解
してしまうことになるのではないか。

36 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/27(月) 06:25:42 ID:0.net]
>>29
誤:を日本語訳の本
正:の日本語訳の本

37 名前:ツァラトゥストラの猿 [2020/07/30(木) 07:00:51 ID:0.net]
ニーチェが拒絶すべきものとする"Mitleid"は、検索してみる限り、多くの場合、
日本語で「同情」と訳されているようである。私が図書館で借りてきた
『ツァラトゥストラかく語りき』の場合も例外ではない。

しかし、ニーチェが用いる"Mitleid"という表現を「同情」と訳すことは、
明らかにニーチェの問いかけの意図を反映しておらず、それを「誤訳」と
呼ぶことができないとしても、表面上、似て見えるだけで、ニーチェが
発しているのとはまるで別の問いかけに人を導く悪質な誤誘導である
と言わざるを得ないだろう。

38 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/30(木) 07:21:30 ID:0.net]
ニーチェがずっと自らに問いかけているのは、「人は、他人に同情すべきか」
などという問ひではない。うわべだけで、ニーチェの表現をまねるとしても、
"Mitleid"は、「同情」ではなく、「あはれ(憐)み」とすべきであるが、
「人は、他人をあは(憐)れむべきか」というのも、ニーチェの問いかけとは
本質的に異なるだろう。その問ひをどのように表現すべきかは、むしろ、
ニーチェが出した「こた(応)へ」の方から見た方がはっきりする。その
「こた(応)へ」は、次のように表現することができるだろう。

みづか(自)らを含め、人は、憐れむべきものではなく、超えられるべきものである。

39 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/30(木) 07:22:56 ID:0.net]
誤:「こた(応)へ」の方から見た方
正:「こた(応)へ」の側から見た方

40 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/30(木) 07:41:24 ID:0.net]
>みづか(自)らを含め、人は、憐れむべきものではなく、超えられるべきものである。

ニーチェの出した「こた(応)へ」をこのように捉えた場合、問ひかけがどのような
ものであったのかも明確となる。それは、日本語においては、次のように表現する
ことができるだろう:「人は、そのあは(憐)れさを分かち合ふべきなのか」と。

ここで問はれているのは、「他人をあは(憐)れむべきか否か」ではないことに
留意しなければならない。というのも、ニーチェにとって、否、むしろ、誰に
とっても、「人が『あは(憐)れ』である」ことは、所与とされているからだ。
だからこそ、ニーチェの問ひかけは、人は、その「あは(憐)れさ」を
「分かち合ふべきなのか」を問題にしているのである。ニーチェが出した
「こた(応)へ」については、我々は既に知っており、"Mitleid"を「あは(憐)れ
さの分かち合ひ」として捉えることを明示して、簡潔に表現するなら
以下のようになるだろう。



41 名前:ツァラトゥストラの猿 mailto:sage [2020/07/30(木) 07:44:06 ID:0.net]
人のあは憐れさは、分かち合ふべきものではなく、みづか(自)らが超えるべきものである。

Misery of being human is not to be shared with each other,
but to be surpassed on one's own.

42 名前:ツァラトゥストラの猿 [2020/07/30(木) 08:01:57 ID:0.net]
– »Du dientest ihm bis zuletzt«, fragte Zarathustra nachdenklich, nach
einem tiefen Schweigen, »du weißt, wie er starb? Ist es wahr, was man
spricht, daß ihn das Mitleiden erwürgte,
– daß er es sah, wie der Mensch am Kreuze hing, und es nicht ertrug,
daß die Liebe zum Menschen seine Hölle und zuletzt sein Tod wurde?« –

Friedrich Nietzsche: Werke in drei Bänden. München 1954,
Band 2, S. 497-501.

神は、人が十字架にかけられるのを見て、「あは(憐)れみに喉を絞め
つけられて」亡くなったのである。(『ツァラトゥストラかく語りき』
p.444では、「同情のあまり神は窒息した」と訳されている。)

43 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/30(木) 08:02:59 ID:0.net]
>>41
誤:人のあは憐れさ
正:人のあは(憐)れさ

44 名前:学術 [2020/07/30(木) 08:22:34 ID:0.net]
同情しないのもおかしい感情だよ。あれを読むと壊れるからな。

45 名前:ツァラトゥストラの猿 mailto:sage [2020/07/30(木) 09:07:08.13 0.net]
「超人」とは、人であることのあは(憐)れさを人(ひと)自(みづから)らが
超えてゆこうとすることであり、人が人を渡り超えてゆくことである。

46 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/30(木) 11:51:54 ID:0.net]
>>42
ただし、これは、神を失った宗教者の観点の代弁であり、
人のあらゆる醜さを見通して、人をあは(憐)れむ神を、
生かしておくわけにはいかなかった人の観点からは、
ニーチェは、次のように書いている。

– Als aber Zarathustra diese Worte gehört hatte – was glaubt ihr
wohl, daß sich da mit seiner Seele zutrug? Das Mitleiden fiel ihn an;
und er sank mit einem Male nieder, wie ein Eichbaum, der lange vielen
Holzschlägern widerstanden hat – schwer, plötzlich, zum Schrecken
selber für die, welche ihn fällen wollten. Aber schon stand er wieder
vom Boden auf, und sein Antlitz wurde hart.

»Ich erkenne dich wohl«, sprach er mit einer erzenen Stimme:
»du bist der Mörder Gottes! Laß mich gehn.

Du ertrugst den nicht, der dich sah – der dich immer und durch und
durch sah, du häßlichster Mensch! Du nahmst Rache an diesem Zeugen!«

Friedrich Nietzsche: Werke in drei Bänden. München 1954,
Band 2, S. 501-505.

47 名前:現代社会における僧侶とは誰か [2020/07/31(金) 09:27:27 ID:0.net]
>>42-45
「われわれの見るところでは、禁欲主義的僧侶なるものは病める畜群
の予定された救済者、牧者、弁護人にほかならないのだ。」
ニーチェ全集11、信太正三訳、『善悪の彼岸・道徳の系譜』、pp.529-530

「もしわれわれが僧侶的実存の価値をもっとも簡単な一句に言い表そう
とするなら、端的にこういってよかろう。僧侶とはルサンチマンの方向
転換者である、と。」同上、p.532

www.zeno.org/Philosophie/M/Nietzsche,+Friedrich/Zur+Genealogie+der+Moral/Dritte+Abhandlung%3A+Was+bedeuten+asketische+Ideale/11-20
15
Hat man in aller Tiefe begriffen – ...
Das ist kühn genug, falsch genug: aber eins ist damit wenigstens erreicht,
damit ist, wie gesagt, die Richtung des Ressentiment – verändert.

48 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/31(金) 09:33:49 ID:0.net]
ニーチェが「社会全体」のための問題解決策を提案しようとしている
などと考えると、決定的にニーチェの言説を読み誤ることになる。

49 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/07/31(金) 12:27:27.18 0.net]
ニーチェ的な夏の生活とはエアコンを一切使わずに太陽を浴びながらトレーニングに励むことなのだ

50 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/01(土) 15:09:35 ID:0.net]
『ツァラトゥストラ』の秘教的な装ひの語りにもかかわらず、ニーチェの
「思想」とされるものの根幹にあるのは、「本当は誰でも認めざるを得ない
こと」の指摘であり、それを「自らが潔く認めるべきである」ということ
だろう。

それは、「生きる」とは、「できることをしようとする」ことであり、
生きることなしに「善悪」などあり得ないのだから、「できることを
しよとする」ことが先にあって、「善悪」があるのであり、「善悪」が
先にあって、「できることをしようとする」ことがあるのではない、
ということだろう。したがって、「できないことのあは(憐)れさ」を
あらかじめ分かち合ふようにをし(教)へ導くような倫理を説くことは、
生きることそのものに反するのである。



51 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/01(土) 15:10:33 ID:0.net]
誤:「できることをしよとする」
正:「できることをしようとする」

52 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/01(土) 15:32:08 ID:0.net]
Also sprach der Gewissenhafte; aber Zarathustra, der eben in seine
Höhle zurückkam und die letzte Rede gehört und erraten hatte,
warf dem Gewissenhaften eine Handvoll Rosen zu und lachte ob
seiner »Wahrheiten«. »Wie!« rief er, »was hörte ich da eben?
Wahrlich, mich dünkt, du bist ein Narr oder ich selber bin's:
und deine ›Wahrheit‹ stelle ich rucks und flugs auf den Kopf.

Furcht nämlich – ist unsre Ausnahme. Mut aber und Abenteuer
und Lust am Ungewissen, am Ungewagten – Mut dünkt mich
des Menschen ganze Vorgeschichte.

Den wildesten mutigsten Tieren hat er alle ihre Tugenden
abgeneidet und abgeraubt: so erst wurde er – zum Menschen.

Dieser Mut, endlich fein geworden, geistlich, geistig, dieser
Menschen-Mut mit Adler-Flügeln und Schlangen-Klugheit: der,
dünkt mich, heißt heute –«

»Zarathustra!« schrien alle, die beisammen saßen, wie aus einem
Munde und machten dazu ein großes Gelächter

Friedrich Nietzsche: Werke in drei Bänden. München 1954,
Band 2, S. 536-539.

53 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/02(日) 11:49:13 ID:0.net]
ニーチェよりシオランの方が上だよな

54 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/02(日) 11:59:28 ID:0.net]
シオランじゃなくて、チョランじゃないのか?w

55 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/03(月) 09:28:00.95 0.net]
>>53


56 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/03(月) 10:25:42 ID:0.net]
>>29-46
>しかし、ニーチェが、"schonen"に否定的であることは、本当に
>「人を『いたわる』」ことに対して否定的な見解を示していることに
>なるのか。

「いたはる」という日本語の表現を、古語辞典に記載されるとおりに
「ねぎらう。手厚くもてなす。」、「治療する。休養する。」を意味するもの
として理解するなら、ニーチェは、"schonen"に対しては明確に否定的な姿勢
を示すものの、「いたはり」に対しては単に否定されるべきものとしている
わけではない。それどころが、「ツァラトゥストラ」が最後の危険を克服する
ためには、「いたはり」は欠かせないものですらある。そのことは、
ツァラトゥストラに助けを求めて叫び声をあげる「高みを求める人々」に
対してツァラトゥストラが示す「いたはり(ねぎらうこと/手厚くもてなす
こと/治療すること/休養させること)」として『ツァラトゥストラ』にも克明に
記述されている。「最も醜い人」の前を通りかかったとき、ツァラトゥストラは、
「哀れみに襲われて倒れ伏す」が、すぐに起き上がって「哀れみ」に囚われる
ことを拒絶するにもかかわらずである。「哀れみ」の拒絶は、「いたはり」
の否定ではないのである。

57 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/03(月) 10:47:47 ID:0.net]
ツァラトゥストラは、助けを求めるそれぞれの「高みを求める人々」に、
避難所として自分の棲むの洞に向かわせ、そこでそれらの人々を「いたはる
(ねぎらふ/手厚くもてなす/治療する/休養させる)」。ツァラトゥストラの
「いたはり」によって「生きるとはどういうことであったか」に気づかされた
それらの人々は、「いた(痛/傷)み」が癒えて回復し、快活になる。
すると、もはやそれらの人々は、ツァラトゥストラとともにいるべき
存在ではなくなり、消え去るのであり、ツァラトゥストラは、「高みを
求める人々」に対する「哀れみ(≒できないことのいた(痛/傷)みを分かち
合おうとすること」こそが、自らに残っていた最後の危険であったことに
気づく。それまでの「いた(痛/傷)み」は、その存在が否定される
のではなく、また、"schonen"によってあらかじめ回避されるのでもなく、
「できることをしようとすること」によって乗り越えられるべきものとなり、
抱え込まれるような「いた(痛/傷)み」はなくなり、「忘れ去られる」のである。

58 名前:考える名無しさん [2020/08/03(月) 10:58:43.09 0.net]
『ツァラトゥストラ』は、「いた(痛/傷)み」が癒えて回復し、快活に
なることによって不要となる「いたはり」を最初から無用なものとして
排除する「から(空)げんき(元気)」(例えば、「死ぬこと以外かすり傷」)を
提唱するようなものではないのである。

59 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/03(月) 11:16:56.48 0.net]
「哀れみ(≒できないことのいた(痛/傷)みを分かち合おうとすること」も、
「いたはり(ねぎらうこと/手厚くもてなすこと/治療すること/休養させること)」も、「いた(痛/傷)みが生じないように大切にすること」もすべて混ぜ合わせて
しまえば、ニーチェが何を伝えようとしているのかさっぱり分からなくなるのは、
当然のことではないのか?

60 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/03(月) 11:25:09.25 0.net]
誤:「いた(痛/傷)みが生じないように大切にすること」
正:"schonen"≒「いた(痛/傷)みが生じないように大切にすること」

「論理国語」とは、そのような区別ができるように母語において
メタ言語を磨くことをを(教)へるべきものではないのか。



61 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/03(月) 11:27:00.85 0.net]
誤:を(教)へる
正:をし(教)へる

62 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/03(月) 11:52:24 ID:0.net]
ニーチェが、「いたはり」を単に無用なものと考えていたなら、
『ツァラトゥストラ』という著作自体、書かれることがなかっただろう
と私には思える。

63 名前:考える名無しさん [2020/08/03(月) 18:55:58.74 0.net]
私のようにドイツ語の初歩的な知識しかなくても、『ツァラトゥストラ』の
ドイツ語に目を通していれば、『ツァラトゥストラ』の注釈書として書かれた
とされる「善悪の彼岸」の日本語訳を読んで、どこがなぜどのように分かり
にくくなっているのか、大抵の場合、見当がつく。

例えば、p.086には、「生まれながらの、誓いもかたい、妬み心も深い、
孤独の友だからである」という表現がある。これは、日本語としてもいかにも
奇妙な表現だが、原文を見ると、"die gebornen geschwornen eifersüchtigen
Freunde der Einsamkeit"と書かれている。ここで問題となるのは、無論、
"eifersüchtigen"の訳であり、「妬み深い神」という表現が分かりにくいこと
はよく知られている。なぜ分かりにくいかと言えば、現代の日本語で「妬む」
と言えば、ほとんどの場合、英語の"envious(≒羨ましいので憎い)"に相当
するような意味で理解され、"jealous"に対応する「嫉妬深い」という日本語の
表現は、反省的にそれがどのようなことであるか、メタ言語において捉えられて
いないからだ。しかし、「嫉妬深い夫(a jealous husband)」というのは、
「妻に対して『独占欲の強い』夫」のことであり、ニーチェがここで用いて
いる"eifersüchtigen"もそのように理解されるべきものであり、この場合は、
直訳すれば、「独占欲の強い『孤独の友』」ということになり、普通の表現に
変換するなら、「孤独を友として、それを奪われまいとする者」ということになる。

64 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/03(月) 19:06:03.81 0.net]
ニーチェの著作の日本語訳は、全面的にそのような変換操作を施すことを
覚悟して読まなければ、しばしば、躓いてしまい、方向感覚が失われて、
一見、分かりやすいように見える「結論」の方から、すべての論述を解釈しよう
とする過ちに陥る。

65 名前:考える名無しさん [2020/08/03(月) 19:16:39.76 0.net]
"die gebornen geschwornen eifersüchtigen Freunde der Einsamkeit"
とは、「生まれながらにして孤独を奪われないように守る友とする
ことを誓った者」である。

66 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/03(月) 19:23:37.28 0.net]
このように、日本語訳においてニーチェの「分かりにくい」表現を理解するのに、
「哲学史の知識」も、「ドイツ語の知識」もほとんど必要ないのである。

67 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/03(月) 19:30:51.09 0.net]
唱えられるお経が理解されないことにより、説法が有難がられる。

68 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/04(火) 17:02:14 ID:0.net]
『善悪の彼岸』は、第5章から急に「偽書」のようになる。
内容、文体、言葉遣いから判断するなら別人が書いたもののように見える。

69 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/04(火) 20:30:15.41 0.net]
そんな大げさな

70 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/04(火) 23:19:21 ID:0.net]
局所的な矛盾があるというようなものではなく、思考のパターンそのものが違う。



71 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/04(火) 23:37:57.41 0.net]
むしろ、思考の習性がまるで違うと言った方がいいかもしれない。

72 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/05(水) 09:10:07 ID:0.net]
学問における「誰々研究」という形態も含め、人格カルトというのは、
それが肯定的に信頼を高めるために用いられる場合も、否定的に
信頼を損なうように用いられる場合も、統制のための手段/手法である。

73 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/05(水) 10:18:36 ID:0.net]
「[大切に守る("schonen")]ような振りをして、殺す手を見たことのない者は、
ぞんざいに人生を見てきた者だ。」『善悪の彼岸・道徳の系譜』、p.120
(信太訳で「いたわる」と訳されている"schonen"の訳語を変更)
というニーチェの言葉は、自己言及的に『善悪の彼岸』という著作にも
当てはまりそうである。

74 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/06(木) 12:48:31 ID:0.net]
ペシミズムとは「生きる知恵」である
「ペシミストたちの王」シオラン
この陰鬱な思想家の思索と執筆は、つねに厭世的なことがらに捧げられてきた。怠惰、死、自殺、憎悪、衰弱、病気、人生のむなしさ、生まれてきたことの苦悩……
ことほどさように、シオランは「暗い」
しかし、あるいはだからこそ、彼の清々しいほどに暗い言葉の数々は、生まれ生きることに苦しみを抱く私たちが人生を楽にし、
生き延びるために役に立つ。

75 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/06(木) 22:32:30.45 0.net]
そういうのはどうでもいいんだよ。
重要なのは、原理としてどのように働くのか、仕組みとしてどのように
構成されるのかを適確に記述することだ。ニーチェは、少なくとも
そのような取組みに部分的に成功している(どのような事情によるにせよ、
それがどこまで本当にニーチェ本人に帰せられるかは別として、記述の
取組みが「思想」に取り込まれてしまう限りにおいて、まともに相手に
すべきものではなくなるが)。

76 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/07(金) 07:55:25 ID:0.net]
ニーチェの著作は、その思想ばかりが注目されるものの、思想としては空虚であり、
その殻を解除して(殻しかない場合には、それを捨てて)読む限りで、ニーチェの
こころみ(試み/心観)の有効性が現れてくる。

77 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/07(金) 19:15:53.28 0.net]
ニーチェってなんか言うこと全部痛いよね

78 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/08(土) 01:11:39 ID:0.net]
いま反時代的考察読んでんだけど。

79 名前:オニオン mailto:sage [2020/08/10(月) 21:05:34 ID:0.net]
サドの『悪徳の栄え』はニーチェの思想に通じるものがある

80 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/10(月) 23:00:35 ID:0.net]
>「すべての人間が牢獄であり、片隅である」
ニーチェ全集11、『善悪の彼岸・道徳の系譜』、p.80

正しく訳されてはいても、ニーチェの表現の魅力は伝わってこない。
ドイツ語の原文は次のとおりである。
"jede Person ist ein Gefängnis, auch ein Winkel"

"ein Gefängnis"は、確かに「牢獄」ではあるが、表現の構成としては
「牢獄」ではなく、「とらはれ」に対応する。ドイツ語の"fangen"
という動詞が、日本語の「とら(捉/捕)ふ」に対応し、"Gefängnis"は、
その受動態、"gefangen"、つまり、「とらはれ」の名詞化から派生して
いるからだ。「とらはれ」は、漢字では「囚はれ」と書く。
したがって、"jede Person ist ein Gefängnis"は、「人はおのおの(各々)
がとら(囚)はれ」であると表現していることになり、「片隅(かたすみ)」
と訳されている"Winkel"は、直訳において「すみ(角/隅)」という意味で
あるが、英語で"cornered"が「(角/隅)に追い詰められた状態」を表す
ように、「『すみ(角/隅)』つ(詰)んだ」状態であるものと理解することも
できる。ところで、日本語の「囚(とら)はれ」という表現をあらためて
見てみると、確かに「人」が「□」の中に「とらはれて詰んでいる」。



81 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/10(月) 23:26:27 ID:0.net]
誤:おのおの(各々)
正:おのおの(己々)

82 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/11(火) 08:16:32 ID:0.net]
ニーチェは、「『人はそれぞれみづか(自)ら』が『囚はれ』である」と表現して
いるのであって、「すべての人間が」と表現しているのではない。「とらふ」
という表現を、岩波古語辞典は、「とる+あ(合)ふ」と理解して、相互性を
表現するものと解釈しているが、言うまでもなく(ともはや私には思えるのだが)
「とらふ」は、「とる+ふ」という再帰表現であり、「ふ」は、再帰性を
表すのであって、「反復・継続」を表すわけではない。そのため、「とらふ」
という表現においては、自らが「とる」ことを意味し、その受動態である
「とらはる」においては、自らが「とられる」ことを意味する。このような
明白な事例においてさえ、「+ふ」が再帰表現として用いられているとは
認められないという人々は、知的にまったく不誠実であるか、言葉の表現を
理解する能力が決定的に欠けていると私には思われる。

83 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/13(木) 12:07:13 ID:0.net]
原文は以下のとおりである。
>>73
>Man hat schlecht dem Leben zugeschaut, wenn man nicht auch die Hand gesehn hat, die auf eine schonende Weise – tötet.
Friedrich Nietzsche: Werke in drei Bänden. München 1954, Band 2, S. 625-626.

ところで、ニーチェは、アリストパネースの言語表現を称賛しているが、アリストパネース
の『蜂』(高津春繁訳)を読んでいると、次のようなセリフが出てくる。

>あの大声で喚き立て、人を嚇すクレオーンだって、わしどもだけはちょろまかすことはしない。
それどころか、大事に掌のなかに守護していて、うるさい蠅を追っ払ってくれる。
お前は自分の父親にだってこんなことは一つでもしてくれたことはない。<

ただし、このセリフが引用したニーチェの文と関係しているかどうかは不明であり、
私は、古典ギリシア語を知らないので、「大事に掌のなかに守護して」が原語に
おいてどのような表現であるのかは知らない(きちんと調べれば、検索して
当該の表現をコピペすることくらいはできるだろうが)。

84 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/08/13(木) 13:16:18.08 0.net]
ところで、それとは無関係だが、この『蜂』という題名は、つぎのセリフと
関係している。

>あの老ぼれどもを怒らした日には、まるで胡蜂の巣をつつくも同然だ。
腰には恐ろしく尖った針を持っていて、それでつつく、
そのうえ大きな声で喚き立て、飛び跳ねたり擲りかかったりする。< p.19

この「尖(とが)った針」でつつく行為が、日本語の「とが(咎)」や
「とが(咎)める」という表現にそのまま対応することを見て取ることは容易だろう。
時代、場所、言語が互いに異なっていても、物事の捉え方が似通っていることはよくある。

85 名前:考える名無しさん [2020/09/01(火) 00:14:04 ID:0.net]
age

86 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/09/08(火) 21:04:27.91 0.net]
「キリスト教は「大衆」向きのプラトーン主義だ」←何言ってんだこいつ…

87 名前:◆yxoSe0qFeA mailto:sage [2020/09/13(日) 04:26:26.00 ID:6B2pvHHWZ]
>>86
Hellow, ...Give you Flowers ! from>>87
キリスト教徒プラトン主義というかプラトン哲学の共通点は、
原初思想において、神秘主義を突っ切った先の形而上学があっ
たことではないでしょうか。キリストは革命家とかハクチとか
言われることがありますが、有無を言わさぬ目で瞬間的な速度
でメタファーやサンボリズムを乱射していた人なわけで、大工
の仕事の手伝いをし、カンナで木を削る段階で既に、チャクラ
6までが開口され、頭頂葉てんかん発作で7が開いて解脱したの
ではないでしょうか。

大衆へパウロやペテロを通して降る時、おそらくですがパウロ
については、キリストの霊性ばかりを見て、数分の内に悪霊を
豚に取りつかせ崖から落とすような悪魔的な厳しさを知らずに
言行伝に書かれている通り、そこらの弱者どもに触れ回ったん
でしょう。ラキーチンみたいに……←さすがに冗談ですまぬ。

で、プラトンはまた今度! >>900あたりで乱入するで!!!

88 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/10/15(木) 14:42:27.36 0.net]
今日は誕生の日だぜ。ニーチェを産んでくれてありがとう。神さま。

89 名前:考える名無しさん [2020/11/03(火) 20:42:05.99 0.net]
哲学者たるもの、ざっとこうでなければならない!

90 名前:考える名無しさん [2020/11/04(水) 06:00:11.86 0.net]
こうして、ニーチェの没落が始まった



91 名前:考える名無しさん [2020/11/04(水) 12:46:04.09 0.net]
プラトン主義はニヒリズムだ

92 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/11/04(水) 16:21:21.77 0.net]
>>90
むしろこれからじゃね

93 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/11/15(日) 00:43:54.91 0.net]
日本でニーチェやニーチェ思想が流行ったことなんてないじゃん

94 名前:考える名無しさん [2020/11/25(水) 22:43:36.58 0.net]
ニーチェの永遠回帰になっちまう
安保法
集団的自衛権行使が可能に
ttps://mainichi.jp/articles/20160329/k00/00m/010/039000c

95 名前:考える名無しさん [2020/11/27(金) 20:02:42.69 0.net]
『善悪の彼岸』(中山元訳)を読んでいて気になる記述を見つけました。

闘技場につめかけたローマ人、十字架の恍惚に身をこがすキリスト教徒、火刑の薪の山や闘牛を見守るスペイン人、悲劇に向かって進み続ける今日の日本人(中略)−これらのすべての人々が享受し、秘密に満ちた情熱で飲み込もうとしているもの、それは「残酷さ」という大魔女の魔酒である。
p.324

ニーチェはなぜ、当時(1886年)の日本人を「悲劇に向かって進み続ける」と捉えていたのでしょうか?
ご存知の方がいらっしゃれば、ご教授ください。

96 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/11/29(日) 19:07:43.27 0.net]
>>86
禁欲的でありつつもパンやワインや奇跡の描写が庶民受けするから

97 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/11/29(日) 19:58:31.34 0.net]
己の罪を代わりに担ってくれる
これほど便利な神様はいない
白人どもが平気で罪深いことするのはキリスト教のせい

98 名前:考える名無しさん mailto:sage [2020/12/01(火) 00:54:54.09 0.net]
一人の人が十字架に架かっただけで騒ぐ人っておもしろい。

99 名前:◆yxoSe0qFeA mailto:sage [2020/12/01(火) 12:27:44.52 ID:gGPhJ4Hnx]
どっちかといったらここ最近はX字架だったような気がしました。

罪を担った者は唾液と胃液で消化して昇華したら芸術作品だってできる!

Have you heard ‘STONE TRIANGL Yukari Trial’ by Jean on #SoundCloud?
https://soundcloud.com/user-86211809/white

ワインはコロナ禍であれば、皮膚の内外問わず、適量であればいいと思います。
ディオニュソスは野蛮でありながらマイナデス達を赤ワインで消毒殺菌してた説。

100 名前:◆yxoSe0qFeA mailto:sage [2020/12/01(火) 12:33:04.25 ID:gGPhJ4Hnx]
>>95
明治維新、幕末、戦争、第一次大戦。
明治から大正・昭和にかけての躍進で、鎖国から解き放たれ、
日本の心臓=日の丸は鳳凰の翼を手にしたと錯覚したんでしょう。

そのあまりに過剰な自信の奔逸が、やがて軍部で民族的恍惚となり、
無敵の意志と変わり果て、強者故の国粋過大視により、さらなる
恍惚を求め、東条のような半気違いが現れた。

ナチスと手を組んだ東条や八咫烏? はどう考えてもイタリアよりも戦犯であり、
反反ユダヤ主義つまり反ナチスを貫いて発狂したニーチェの預言は、
第二次世界大戦で見事に的中していると思います。








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