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【考古学】「邪馬台国畿内説」に弾み 卑弥呼宮殿の一角とみられる特異な張り出し柵や建物跡出土 奈良・纒向遺跡
- 1 名前:依頼スレの353@おっおにぎりがほしいんだなφ ★ [2009/03/23(月) 07:06:25 ID:???0]
- 邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、
3世紀前半の建物跡(柱穴)や凸字形の柵(さく)が見つかり、市教育委員会が20日発表した。 過去に見つかった建物跡とあわせ、3棟が東西に整然と並ぶことも確認。 当時、方位に合わせて計画的に建てられた例は極めて珍しい。 女王・卑弥呼が活躍した時期とほぼ一致しており、卑弥呼がまつりごとを行った 宮殿の一角との見方が浮上、邪馬台国畿内説に弾みをつけそうだ。 調査は、約100メートル四方の高台のうち、西端約400平方メートルで実施。 新たな建物跡は一辺が6メートル以上あり、昭和53年に見つかった建物跡(一辺5メートル)の 東側で見つかった。その西側で以前、見つかっていた柱穴は同様の建物跡と分かった。 3棟が高台の西端に位置することから、さらに東へ発掘を進めれば、 神殿のような中心的な建物が見つかる可能性がある。 柵は、全体の長さが約40メートル。53年発見の建物跡を凸字で囲むように南北へ伸び、 東に折れ曲がっている。 3棟は、西端の一棟がある「外郭(がいかく)」と、凸字形の柵に囲まれた2棟がある 「内郭(ないかく)」に分かれた宮殿構造だった可能性もある。 市教委は「建物群が特別な施設であることは間違いない」としている。 ソース:産経ニュース sankei.jp.msn.com/culture/academic/090320/acd0903201931003-n1.htm 纏向(まきむく)遺跡(手前)。黄色いポールが建物の柱跡、白色ポールが柵の跡とみられる sankei.jp.msn.com/photos/culture/academic/090320/acd0903201931003-p2.jpg sankei.jp.msn.com/photos/culture/academic/090320/acd0903201931003-p3.jpg sankei.jp.msn.com/photos/culture/academic/090320/acd0903201931003-p4.jpg
- 201 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 10:49:34 ID:9YPPPKiU0]
- 卑弥呼って名前は日本の史書には出てこないから、個人名じゃないね。
俺が考えるに 御姉→姉御→アネゴのように 御姫→姫御→ヒメゴ→卑弥呼(シナ人の耳) 下町界隈では親しみをこめてヒメゴと呼んでたんだよ。
- 202 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 10:50:44 ID:4BycqeW6O]
- >>197
縄文式土器を使ったのが縄文人。 弥生式土器を使ったのが弥生人。 みんな洋服を着たから日本人はいなくなったみたいな珍説は通じない。 弥生人と言う種族が侵略し、日本を併呑した証拠はない。
- 203 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 10:54:10 ID:3BKHFrdI0]
- >>202
あるんだってw おまえ何にも知らないんだなw
- 204 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 10:54:49 ID:kd/iK0RnO]
- >>197
それはずいぶん昔の説。 2003年に学界全体で弥生時代の開始時期が、約600年さかのぼり、今は連続していたと考えられている。
- 205 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 10:55:11 ID:v/SWf6wDP]
- ここまで今回の発掘結果に誰も言及してなくてワロタ。
実際大したものは何も出てきてないです。 柵がちょっと大きめなくらい。 >>165 吉野ヶ里は大きな遺跡ですが、 三世期頃には縮小してしまっているんです。 大和だと鍵・唐古が全く同じ状態です。 弥生晩期以前は環壕もあって戦闘状態だったことが分かるのですが。
- 206 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 10:55:56 ID:vVtFtoGPO]
- そろそろ邪馬台国や卑弥呼にマジレスするのは止めるべきだろう。
そのアプローチだと永遠に解けんよ。
- 207 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 10:56:26 ID:f9VCsq4HO]
- 大量とみられるほどにいわゆる弥生系の特徴を持つ人骨は出土していない。
水田稲作の定着による人口爆発が起きたとみる方がまだ自然である。 また、そのころの九州のいわゆる縄文系の弥生遺跡が見つかっている。 争いもあったが、弥生系による虐殺でもなかった。
- 208 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 10:56:38 ID:rOfzLF5b0]
- まぁもっと古墳を発掘できたらいいんだろうけどな
陵墓だなんだとみみっちいこと言ってないでさ
- 209 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 10:57:46 ID:biQopti30]
- >>205
>弥生晩期以前は環壕もあって戦闘状態だったことが分かるのですが。 それが魏志にある「倭国大乱」なんでしょうな
- 210 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 10:58:18 ID:03v0XpCj0]
- >>205
詳しいレスありがとう 吉野ヶ里、一度行きたいけど遠いんだよなー 三内丸山はがんばって行ったけど、遺跡ってよりも公園だった
- 211 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 10:58:34 ID:zX0Aw1Mp0]
- 卑弥呼
- 212 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 10:58:46 ID:P+VZh1gu0]
- ライバルの南にあった狗奴国が大和に侵入した神武王朝って説もあったな・・・
- 213 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 11:02:24 ID:3ScQ7Tub0]
- >>208
ソレダ! 古墳を弄れたら色々わかりそうだものなぁ。 どうせ、いずれは掘るんだから、早いとこ許可しないと、 無駄な論争で人生終わる学者多すぎるw
- 214 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 11:04:24 ID:co4ldTxPP]
- >>208
別に解明を急がなきゃいけない理由はまったくない。 今発掘しても、高松塚古墳やキトラ古墳のように、 破損してしまうのがオチ。 保存技術が確立してから発掘すればいい。
- 215 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 11:05:44 ID:UkWe8CB+O]
- >>201
ひめみこ、とかじゃないのかなあとときどき思う
- 216 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 11:05:55 ID:CNqB/Ry20]
- 大量殺戮の跡と言ったら居徳遺跡が思いつくな
- 217 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 11:06:08 ID:xxSbpGMyO]
- 小出しに発掘するから、学者がいつまでも研究で食えるんじゃんか。
天皇陵の発掘は、いよいよネタが無くなった時のためにとってあるのよ。
- 218 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 11:06:52 ID:f9VCsq4HO]
- 倭国大乱があったとみられる時期には世界的な気候変動がありあちこちで混乱が発生している。
神武天皇は日向の田舎ではうだつが上がらないと豊かな土地を求め一族郎党を率いて出国した。 先祖は筑紫はいいところだと降臨したのにだ。
- 219 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 11:10:08 ID:/J1KrmmR0]
- >>205
そうですね、物証みたいに報道されていますが、 状況証拠のそのまた推定程度の確認ですね。 ただ、この地域にそれなりの文化を持った 集落が割と大規模にあったことの裏づけとは言えます かね。。。? >>206 興味や疑問がある限りアプローチすべき事だと思うし、 決して解けない問題でもないと思うけど。
- 220 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 11:12:24 ID:5YMO3ECpO]
- 8('A`)8
- 221 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 11:12:54 ID:bjkDUO5/0]
- 手塚治虫の「火の鳥」はどこまで信じたらいいですか?
あと諸星大二郎の「暗黒神話」はどこまで信じたらいいですか?
- 222 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 11:18:57 ID:03v0XpCj0]
- >>220
ワロタ
- 223 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 11:24:52 ID:aDQ4SF270]
- バンバラババンババンバンババンバンバラババンババンバンババンおーれがやらねばバンババン
- 224 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 11:26:48 ID:kd/iK0RnO]
- >>221
火の鳥の元になった騎馬民族征服説自体が、今では荒唐無稽のトンデモ説。 暗黒神話は、ああいう解釈もありでしょ。傑作。
- 225 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 11:27:40 ID:7QVIzMHE0]
- >>187
カシスシャーベットを貰おうか。
- 226 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 11:33:27 ID:uMC+sFHS0]
- この論争は税金のムダ使い
邪馬台国はヤマト国に決まってんだろ 卑弥呼は姫子か姫皇子に決まってんだろ 学者は馬鹿すぎ 論争で熱くなりすぎて天皇陵を発くなんて馬鹿なことすんなよ糞学者ども
- 227 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 11:36:57 ID:8pwS54k0O]
- >>226
前半完全同意 どう考えてもヤマト=ヤマタイw
- 228 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 11:38:47 ID:P7bKDYPq0]
- >>220
不満そうな顔すんなw
- 229 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 11:41:04 ID:sWlSnPxV0]
- 九州は一致団結しないと関西人には勝てないぞ。候補地大杉。
纒向は宮殿を見つけようとしているようだから、 もし、それらしき物が見つかれば万事休すだ。
- 230 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 11:41:13 ID:uMC+sFHS0]
- 8<丶`∀´>8
- 231 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 11:43:45 ID:v/SWf6wDP]
- >>210
> 三内丸山はがんばって行ったけど、遺跡ってよりも公園だった 乾燥すると崩壊してしまうので、遺構は埋め戻すんですよ。 写真のたくさん載った本をしっかり読んでから行った方がおもしろいよ。 この二つは話題になったから古本屋にたくさんあるよ。 吉野ヶ里、三内丸山はすごく広い範囲を保存できたし、 まだ発掘するところは残ってるし、国の宝。
- 232 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 11:43:58 ID:uMC+sFHS0]
- >>229
VANKを見習おう!
- 233 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 11:44:05 ID:0bWdZ+6bP]
- どー考えても九州ですさようなら www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html
捏造された皇紀2600年やね
- 234 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 11:47:05 ID:v/SWf6wDP]
- >>219
言えないなあ。 同じような遺構が少し西の巻向小学校近辺で、 大量に出ているので、新しい知見はなにもない。 ああまた出たのねって感じ。ただし柵は大きめ。
- 235 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 11:52:00 ID:u21bjBPM0]
- 朝鮮人の祖先は満州族等と同じく
ツングース系のエペンギ族です。 完全な異民族なのでわれわれ 日本人とは全く関係がありません。
- 236 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 11:52:32 ID:4FztnPGq0]
- >>230
そういうのもたくさんいたと思うよ、当時w
- 237 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 11:55:01 ID:u21bjBPM0]
- エヴェンキ族でした。
エヴェンキの文化には、朝鮮民族の文化と類似しているものが幾つか存在する。 チャンスンとエヴェンキの木像、ソッテとエヴェンキの鳥のトーテム、タルチュ ムのタル(仮面)とエヴェンキの仮面劇用の仮面、またムーダンと呼ばれる巫女 とエヴェンキの巫女などが挙げられる。 朝鮮民族とエヴェンキ族の文化の共通点 は更なる研究が待たれる。
- 238 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 12:00:22 ID:NhigMceE0]
- >>197
おまえは鮮人か?どうしてそういう嘘を息をするように平気でつけるんだ?
- 239 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:18:49 ID:o50vyQfG0]
- ヤマタイ国は九州だと思うよ
要は九州勢力が東征して 畿内の巨大都市に遷都しただけのことだろ 明治政府が江戸を東京にしたようなものだ
- 240 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:20:15 ID:IVnp2HR10]
- >>239
遷都するメリットは?
- 241 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:22:39 ID:g5AVdH3/0]
- >>239
大筋では俺もそう思うんだけどなあ。九州説と畿内説って、 学閥とか面子みたいな話なんだろ?
- 242 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:23:02 ID:o50vyQfG0]
- >>240
軍事的にも政治的にもいろいろあるだろ 織田信長だっていろいろ本拠地を変えてるわけだし
- 243 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:24:25 ID:bn/rCt9N0]
- 弥生文化が海外から渡来したというなら
弥生土器が大量に出土する故地が 大陸側のどこかになければ おかしい件について。
- 244 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 12:24:57 ID:QY2M9ORr0]
- >>239
東征はあっても卑弥呼の時代じゃないから。
- 245 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:25:52 ID:o50vyQfG0]
- >>244
だから卑弥呼が東征したなんて言ってないからww
- 246 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:26:43 ID:4BycqeW6O]
- 九州説は科学的な検証方法がない江戸時代に本居宣長らが提唱確立した説。
科学的検証や発掘による新事実で現在は畿内説が有力。
- 247 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:27:31 ID:bn/rCt9N0]
- 古田九州王朝説なら、遷都でなく分家と本家の跡目争いだろ。
尾張徳川家が幕府を乗っ取ったようなもんか?
- 248 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:28:07 ID:uMC+sFHS0]
- >>244
東征前は、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原
- 249 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:28:23 ID:IOtbVOQH0]
- 邪馬台連合30か国のうちのひとつ、弥奴国の遺跡ではないでしょうか
肥沃な土地と暖かい気候に恵まれて非常に豊かな国であったと思われます そこに呪術と鉄器を背景にした「野蛮」な新興国家、邪馬台国が出現し 一気に北部九州一円をわがものにしていったのでしょう 邪馬台は耕作にむいた土地をもたない比較的痩せた土地に出現したように思います 自身が豊かな国家ではないからこそ、他の国々を侵略してゆく必要があったのでしょう
- 250 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 12:29:06 ID:JfSf89A60]
- 東遷があったにしても勇ましいものかどうかは疑問だな 東征ってほど
積極的な理由としては、のちのヤマト王権の及ぶ地域支配をもくろんで、 より中心となるような場所を選んで移ったのかな?とも思えるし、消極的 な理由としては大陸や半島がきな臭くなってきたのでちょっとでも距離的 に離れようかな?と逃げたとかの側面が強いのかもしれん 自国の歴史はよく書くものだ
- 251 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:30:02 ID:o50vyQfG0]
- >>246
畿内がヤマタイ国ってどこに科学的証拠があるんだよ ただ古代都市の遺跡があっただけでしょ 吉野ヶ里にも出雲にあったんだから 畿内だって掘ればみつかるでしょ
- 252 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:32:17 ID:D8RJN+Br0]
- 卑弥呼は東京だろ。最初は地方出身の方がなんとなくいいからって長崎出身としてたが後にばれた
- 253 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:33:27 ID:IOtbVOQH0]
- >>165
邪馬台連合30か国のうちのひとつ、弥奴国の遺跡ではないでしょうか 肥沃な土地と暖かい気候に恵まれて非常に豊かな国であったと思われます そこに呪術と鉄器を背景にした「野蛮」な新興国家、邪馬台国が出現し 一気に北部九州一円をわがものにしていったのでしょう 邪馬台は耕作にむいた土地をもたない比較的痩せた土地に出現したように思います 自身が豊かな国家ではないからこそ、他の国々を侵略してゆく必要があったのでしょう
- 254 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:34:16 ID:o50vyQfG0]
- >>250
俺は軍事的な理由だと思うけどね 本州ですらまだ統一されてたわけじゃないし 中央集権国家だったわけでもないだろ
- 255 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:38:35 ID:g5AVdH3/0]
- >>240
だってさあ、事実として京都が栄えたのは事実なんだし、どこかの時点で 日本の中心は京都になったんだし。
- 256 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:40:44 ID:viLqLPPt0]
- 現在のチョンの先祖は、この頃はシベリアの奥地の土人か
- 257 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 12:41:25 ID:rOfzLF5b0]
- >>221
俺は安彦良和のナムジを推す
- 258 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 12:41:40 ID:co4ldTxPP]
- >>240
総大将(大王)が陣頭に立って日本全土の征服を行おうとしているとしたら、 主戦場に近いところに本営を築くのが中世以前の戦の常道ではないのかな? 遠征先に定着してしまって、そこが本拠地になることだって珍しくない。 遠征先の本営に大王がいるならそこが首都とも言える。 大宰府のことを古くは「大王の遠(とほ)の朝廷(みかど)」と呼んでいたようだから、 大宰府がただの支配地の出先拠点だったとも考えづらい。鎮守府などについては 「朝廷」なんて呼んでないから。 「大王の遠(とほ)の朝廷(みかど)」=「旧首都」と考えるのが自然な気がする。
- 259 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:42:00 ID:z04blDt70]
- 邪馬台国があったんは、東京とちゃうん?
- 260 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:49:17 ID:+nyXhn3nO]
- 証拠も無いのに、遺跡が出たら、邪馬台国に結び付ける報道して、既成事実を作ろうというやり方を
そろそろ改めたらどうかね、学会さんよ。 予測報道が多過ぎ。 年代だけで邪馬台国認定かよ。
- 261 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 12:49:36 ID:co4ldTxPP]
- 『○○たい』ってのは、どう考えても九州の方言だろ!
- 262 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 12:51:29 ID:rOfzLF5b0]
- >>261
いや、○○台って新興住宅地の定番だろ
- 263 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:55:00 ID:nrHfx8WU0]
- 韓国のせいで歴史を純粋に楽しめなくなった。
- 264 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:55:25 ID:bn/rCt9N0]
- 「楽浪海中に倭人あり、分れて百余国」
卑弥呼は三十国連合のアタマに担がれてただけ、「百余国」全体は統べてない。 倭国王あつかいして貰えたのは、 魏(曹氏)→晋(司馬氏) の政変で いちはやく晋(司馬氏)を支持する使者を送ったことで 外交的配慮してもらえただけ。 この三十国連合は大和朝廷に直に発展した勢力でなかったから 古事記日本書紀から記録が削除されてるという事。 だから卑弥呼の邪馬台国も三十国連合も畿内でなかった可能性が高い。 www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_01.html 奴国 伊都国 卑弥呼 邪馬台国 >司馬懿率いる魏軍によって公孫氏一族は滅ぼされる。238年のことである。 > 「倭国」はそれまでおそらく公孫氏に帰属していたと思われるが、 >卑弥呼は機を逸せず翌年直ちに魏に遣使朝貢し、魏への服属を誓った。
- 265 名前:うりゃ [2009/03/23(月) 12:57:41 ID:QW3vYY2O0]
- <女王国より北は、特別に一大率を置き、
諸国を検察させており、諸国はこれを畏れ憚っている。 常に伊都国で治め、国の中では刺史の如くある。> この記事からする限り、どうみても耶馬壱国は 北部九州だと思うんですが。 伊都国が吉備や河内とか西日本一帯を監視 できるのかどうか。 あと耶馬壱なのか耶馬堆なのか
- 266 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 12:58:29 ID:LdmzdNPXO]
- 苅谷俊介発進!!
- 267 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 12:58:32 ID:f9VCsq4HO]
- まあ、日本書紀は「一書に曰く」と複数の資料があれば列記し、よくわからない
ものがあれば、後世の研究に委ねるという意味の言葉を付けている。 かなり素朴に編纂され、中国的な史書と趣が違う。 いわゆる魏志倭人伝でも魏略という先行史書からの書き写しがあり、これは魏志 にその旨書かれていないが、後世の学者が付けた注釈に書かれている。 こういうねが普通なわけ。 今の学会は日本書紀の編纂者の意図にたいして捏造だ創作だと穿ち過ぎではない かと危惧する。 日本書紀の編纂は、天皇の正統を求める意図が中心である。 しかし、内容は矛盾が多い。創作や捏造をしたならもっと整合性があるだろう。 用語の統一などは編纂時に行われているが、内容は国内外の資料の整理をしただけに見える。 年齢なども伝承のままとし繋ぎ合わせた結果が皇紀2660年ではないだろうか。 魏志と突き合わせた時、卑弥呼の時代に当たるのは神功皇后の頃だった。 しかし、皇后には即位の伝承が無い。しかし、天皇が崩御し一時的に代わりを務めた逸話はある。 二つの伝承を突き合わせた結果、皇后には特別に「紀」を立て、魏志からの引用をもって疑問としている。 他にも一時的に天皇の代わりを務めた女性皇族はいたが「紀」は立てられていない。 やはり、魏志との突き合わせの結果ではなかろうか。 編纂者は現代の学者より真面目に見える。
- 268 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 12:59:37 ID:V0A/xtq50]
- えー、八幡平じゃないの?
- 269 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 13:02:57 ID:89en0aXMO]
- >>264
>「楽浪海中に倭人あり、分れて百余国」 この文句懐かしい。 大声で叫びたい
- 270 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 13:11:28 ID:+we3jiXaO]
- >>25同意
近所に住んでたけど、こまごました古墳が有りすぎて、ロマンがない。 九州にあってくれたほうが、ロマンを感じる。
- 271 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 13:11:29 ID:VfRZ4eiC0]
- 邪馬台国が畿内にあったとしたら,
馬も無い時代に,どうやって九州を支配できたの?
- 272 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 13:11:49 ID:I+KisjBd0]
- 邪馬台国とは関係がない気がするが
大和朝廷の起源を明かす重要な物だと思う
- 273 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 13:12:49 ID:JUsYILkc0]
- 町内会がどこにあったかレベルの話、どうでもいい。
- 274 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 13:13:53 ID:/9H1d/iu0]
- ずばり邪馬台国の遺稿だろう。
- 275 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 13:14:01 ID:JfSf89A60]
- >>269
許可する 顔や体に入墨がわりの文様をマジックで書き散らし、じゃまな毛唐の 衣服を取り払って街に出て大声で叫べ 古代人の熱狂を今に伝えろ
- 276 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 13:14:28 ID:eDZL0a440]
- 古墳を調査すれば一発でわかる話なんじゃないの?
宮内庁は知ってる?
- 277 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 13:14:57 ID:Pv01gzSQ0]
- 宗教観念が、古神道と邪馬台国では違い過ぎるというのも、
魏志倭人伝が捏造の可能性が高い理由の一つ。 神道は不浄を嫌うが、邪馬台国では不潔な奴隷を神に捧げる。 また、邪馬台国の人々は全身に刺青をしていたそうだが、 日本書紀には犯罪者に罰として刺青を入れるという記述がある。 刺青が珍しくないのだとすれば、罰にはならないだろう。
- 278 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 13:15:47 ID:co4ldTxPP]
- >>271
馬がないと広い地域を支配できないの? インカやマヤは馬がないのに日本列島より広大な地域を版図にしていたんだが?
- 279 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 13:16:16 ID:JfSf89A60]
- >>270
ウチの近所の小さな古墳も普通に蜜柑山だしな カキとかも植えてるし 某前方後円墳の掘りもだたのザリガニ釣りの池にすぎない たいそうな名前がついてるが
- 280 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 13:16:32 ID:D5zY6JwX0]
- 邪馬台国ジャマイカ説はどうなった?
- 281 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 13:17:57 ID:HAReYwl/O]
- 邪馬台国は韓国が起源ニダ
日本人は韓国を宗主国とした奴隷国家ニダ(>`∀´< )
- 282 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 13:19:36 ID:JfSf89A60]
- >>277
後半のなんか普通に中国の影響を受けただけでもなんら不思議はないな 魏の時代と記紀の時代にどれだけ時間差があるか 江戸の終わりの丁髷廃止なんてあっという間だぞ
- 283 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 13:20:48 ID:KPh4qS0JO]
- だから古墳を掘って親魏倭王の印授を探そうぜ
- 284 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 13:22:09 ID:rOfzLF5b0]
- >>272
資料がほぼないから、その辺の解明は古墳を直に掘るしかないよね
- 285 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 13:25:00 ID:UDucQ9wO0]
- 時砂の王を教科書に載せるべき
- 286 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 13:27:05 ID:2Fb5aEooO]
- 畿内説
筑紫説 肥後説 但馬説 出雲説 鹿島説 沖縄説 台湾説 インドネシア説 エジプト説 次は、あなたの町にも邪馬台国を。
- 287 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 13:38:28 ID:bn/rCt9N0]
- >>267
日本書紀は大陸側にも持って行き朝廷の権威の正当性を示す狙いもあって編纂された。 ところが大陸側にはすでに魏志倭人伝があり卑弥呼が「親魏倭王」と明記されていた。 卑弥呼が大和朝廷の祖なら問題はなかったが、 卑弥呼が大和朝廷の祖でないなら、朝廷が新興勢力でしかないと明白になってしまう。 しかしながら、日本書紀の編纂者は皇族ではなく官吏でしかない、 皇族や皇族の祖先について、記録を改竄するのは畏れ多い。 そこで苦肉の策を講じたと推定するのが当然だろう。 日本書紀は西暦でなく干支で記されており、絶対年代を記しているわけではないし、 前後関係も明言されているわけではない。 そこで官吏たちが、ところどころ干支一巡分を前後関係を無視して差し込んで、 絶対年代で60年のずれを読者の勝手な勘違いを誘おうと狙ったのではないか。 単純に逆算すると神功皇后が卑弥呼の時代の人物という事になり、 魏志倭人伝の卑弥呼とは神功皇后の事でないかと読者の勝手な推定を誘う。 だが応神紀は干支二順120年繰り下げると『三国史記』の対応記事と一致するという。 「プラス・マイナス120年構想」に説得力がある。 www3.plala.or.jp/kuranishigakumon/books1.html 倉西裕子の著作1 >本書では、日本書紀の紀年法には、プラス・マイナス120年構想が設定されており、 応神天皇陵や仁徳天皇陵の周囲から出土する埴輪の形式も、単純な逆算より 約100年(120年?)ほど後の編年上の形式のものだと指摘されている。 yamatai.cside.com/katudou/kiroku244.htm
- 288 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 13:43:41 ID:iwJOOnda0]
- 今思ったけど
邪馬台国って実は無かったんじゃないか? もとは大和朝廷が出来る過程で 勢力争いが起きて、九州と大和に 分裂して、卑弥呼の派閥と今の天皇の基となる勢力 に分かれてたとか
- 289 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 13:45:21 ID:XVmxz58u0]
- >>260
新聞の文化欄担当が畿内派で占められておって 十年一日のごとく同じことをぐだぐだと書き続けている。 てのが鬱陶しい。 三角縁神獣鏡(笑)とか。
- 290 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 13:48:06 ID:Pv01gzSQ0]
- 中国人は、漢字の「音」ではなく「意味」を重視する。
卑弥呼なんて名前は、とにかく外国を貶めようとして作り出したものだ。 こんな事をするのは品性下劣な証拠だが、これが中華思想というものだ。 捏造伝記の作者も、まさかこの文書をありがたがって 卑弥呼を無理矢理に日本語読みにし、ひみこ→日巫女だ! なんて超解釈をされるとは思っても居なかっただろう。
- 291 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 13:53:01 ID:03X1H7sK0]
- 邪馬台国のあった時代って、俺の想像よりもずっと文明的だったんだね。
布切れ被って、粗末な槍持って、高床式の宮殿を囲むように配置された竪穴式住居に住んでるイメージだったんだが。 海を渡った中国まで遣い送れるし、中国の情勢は早く入ってくるし。海渡れるってことは地図なんかも存在したんだろうね、その地図の範囲はどの位のものだったんだろうか。 後の時代でも難破したりして大陸まで渡るの大変だったと教わった気がするのに、古代人すげーよね。
- 292 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 13:55:43 ID:J1CgLaNj0]
- >>281
異常だな。何でそんなに韓国にこだわる。
- 293 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 13:58:14 ID:rOfzLF5b0]
- >>290
え、中国って漢字の音を同じ読みで違う語に転じさせるのって好きじゃないか? 韻を踏んだりするのもその流れでしょ
- 294 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 13:58:26 ID:bn/rCt9N0]
- >後の時代でも難破したりして大陸まで渡るの大変だった
白村江の戦いで唐に完敗して 大型船の建造を禁止された説あり。
- 295 名前:やるぽ ◆Lck3x2OY72 [2009/03/23(月) 13:58:26 ID:yfW+dDy00]
- 邪馬台は「ヤマト」の音を当てただけだと思うんだが
- 296 名前:やるぽ ◆Lck3x2OY72 [2009/03/23(月) 14:00:39 ID:yfW+dDy00]
- ついでに言うと
卑弥呼は「姫ひめ」を当てたんだと思うな
- 297 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 14:02:44 ID:qO/3kQZi0]
- >>286
伊豆半島の山の中の洞窟が卑弥呼の墓だって言い出した人がいましたね。 大昔、トゥナイトっていう番組で特集をやった。 TVの記者が現地へ行って、言いだしっぺの地元のオヤジを一緒に 伊豆の山中にある洞窟へ探索に行った。 洞窟前で記者がオヤジに「何でここが卑弥呼の墓だとわかったんですか?」 のお質問に、オヤジは「そうだったらいいなぁ〜と思ったからです」と答えた。
- 298 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 14:03:19 ID:64DYsBw10]
- お前のそのイメージは、縄文時代と混じってるぞ。
- 299 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 14:03:40 ID:JfSf89A60]
- >>289
鏡の数がおかしいことを問題にしてるの? 最近だって中国にもらったトキは合計でも7羽なのにいまでは121羽だぞ
- 300 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 14:05:34 ID:ni9z1+750]
- 考古学者の言うことなんて信用できんわ。これはいつ埋めたんだ?
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