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【考古学】「邪馬台国畿内説」に弾み 卑弥呼宮殿の一角とみられる特異な張り出し柵や建物跡出土 奈良・纒向遺跡



1 名前:依頼スレの353@おっおにぎりがほしいんだなφ ★ [2009/03/23(月) 07:06:25 ID:???0]
邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、
3世紀前半の建物跡(柱穴)や凸字形の柵(さく)が見つかり、市教育委員会が20日発表した。

過去に見つかった建物跡とあわせ、3棟が東西に整然と並ぶことも確認。
当時、方位に合わせて計画的に建てられた例は極めて珍しい。
女王・卑弥呼が活躍した時期とほぼ一致しており、卑弥呼がまつりごとを行った
宮殿の一角との見方が浮上、邪馬台国畿内説に弾みをつけそうだ。

調査は、約100メートル四方の高台のうち、西端約400平方メートルで実施。
新たな建物跡は一辺が6メートル以上あり、昭和53年に見つかった建物跡(一辺5メートル)の
東側で見つかった。その西側で以前、見つかっていた柱穴は同様の建物跡と分かった。

3棟が高台の西端に位置することから、さらに東へ発掘を進めれば、
神殿のような中心的な建物が見つかる可能性がある。
柵は、全体の長さが約40メートル。53年発見の建物跡を凸字で囲むように南北へ伸び、
東に折れ曲がっている。
3棟は、西端の一棟がある「外郭(がいかく)」と、凸字形の柵に囲まれた2棟がある
「内郭(ないかく)」に分かれた宮殿構造だった可能性もある。
市教委は「建物群が特別な施設であることは間違いない」としている。


ソース:産経ニュース
sankei.jp.msn.com/culture/academic/090320/acd0903201931003-n1.htm
纏向(まきむく)遺跡(手前)。黄色いポールが建物の柱跡、白色ポールが柵の跡とみられる
sankei.jp.msn.com/photos/culture/academic/090320/acd0903201931003-p2.jpg
sankei.jp.msn.com/photos/culture/academic/090320/acd0903201931003-p3.jpg
sankei.jp.msn.com/photos/culture/academic/090320/acd0903201931003-p4.jpg

2 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:07:13 ID:0vt/43t50]
卑弥呼か

3 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:07:24 ID:7JD8P8o/O]
九州泪目

4 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:07:53 ID:qVNPju/l0]
〈丶`∀´〉 邪馬台国の起源は・・・

5 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:08:16 ID:DyZAb3A40]
邪馬台国はどこですか?


6 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:08:55 ID:m54OKOdyO]
ぼくのチンコもマキムクしてきますた

7 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:10:34 ID:lokq+4uQO]
卑弥呼が有名なだけで当時似たような国が百国くらいあった件

8 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:11:09 ID:yfYCMOUiO]
↓ここでハニワ幻人が一言

9 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:11:27 ID:qWKBcpKu0]
こういうのが発見されて
徐々に歴史が解明されていくのは面白いね

10 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:12:06 ID:F7V4CVolO]




11 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:13:44 ID:vBKMlmX00]
この時代って、天皇はなにやってたの?

12 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:14:49 ID:xxSbpGMyO]
アメリカの漫画ネタで、社会の大きなニュースがあると、
視聴者の興味は、それがセレブの生活(パリスヒルトンとか)と、
どう関係があるのか知るのが最優先だ、というのがあってな。

日本のマスゴミの歴史報道が、まさにそれなんだよ。
なんでんかんでん卑弥呼卑弥呼、パリスヒルトン報道と同じや。

13 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:15:29 ID:ZCnWLMcji]
狭い日本とは言えまだまだ未解明の歴史ってのはあるもんだな
邪馬台国は九州だとずっと思ってたよ

14 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:15:50 ID:9ETmkIKj0]
記紀に神武東征として語られているように、
九州から畿内に移動したものと考えれば何の不思議もないのに、
なんでこんなことでずっともめてるんだろう。
みんな暇なんだな。


15 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:18:19 ID:UcajQhGT0]
邪馬台国は、大韓航空畿内にあります。

16 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:18:20 ID:IQr3kMzs0]
捏造してたカス考古学者は今何してんだろ

17 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:18:24 ID:eX9QJVBm0]
纏向遺跡は全国からの土器が出土されるんでしょ。

18 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:18:59 ID:CNqB/Ry20]
神武東征を信じると、邪馬台国は九州から近畿に行った
後ってことなのかな。

19 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:19:02 ID:JXOO+58S0]
>>11
まだ天皇はいないんじゃないの

20 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:19:51 ID:KjhCWvdS0]
畿内にあったのを九州からきた神武一族が滅ぼしたのかなn



21 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:21:05 ID:IlTsjFq90]
>>11
畿内の豪族だったんじゃないの?
最初期の日本って大和国や吉備国なんかの豪族による連合国家だったはずだし。

22 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:21:09 ID:6YsYL+UHO]
バカチョンが卑弥呼は韓国人ニダ!!って言い出しそう。
もう言ってるか!?

23 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:21:14 ID:84iy+S330]
世の中に、南紀に いらないもの 売国奴 二階俊博経済産業相 害毒

ことごとく はずす 東大地震研究利権 3000億

NHKの津波の映像 東海、東南海・南海地震のような海溝型の大地震

スーパー林道  農林利権の1兆円

同和利権  15年で 15兆円

高速道路 8キロの新宮 勝浦ー二階俊博 バイバス 1240億円 

熊野ー新宮 活断層の巣 地すべりだ !! 



24 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:21:57 ID:3gzrekg70]
もうかなり前から
纏向が邪馬台国の本命と見られていた


九州説論者のみなさん残念でした

25 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:22:11 ID:3yihmBCoO]
奈良県民だけど間とって四国でいいよ

26 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:22:21 ID:kd/iK0RnO]
>>11
ここが邪馬台国の都確定なら、天皇は卑弥呼の弟か卑弥呼の夫で王(国政担当)

27 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:22:31 ID:AWvJTC230]
劉備=燎宇
燎宇=卑弥呼の恋人

28 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:22:33 ID:f9VCsq4HO]
戦後直後の反皇国史観といわゆる自虐史観と階級闘争史観が主流となった歴史学
会では記紀はろくな研究をされず否定された。
その影響の一つが邪馬台国論争。

29 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:23:07 ID:iKxiDRGG0]
ゴッドハンドは誰?

30 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:23:25 ID:PThb3DkR0]
>>11
記紀では崇神朝最末期
大和王権の確立を議論するには少しだけ早い時代かも
(もちろん四道将軍実在説とかもあるけど)

続く神功・応神朝が実在のものとするならば
その元になった豪族権力が中央王権としてではなく、
一豪族として存在していたと考えることは不可能ではないなのかな…



31 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:24:21 ID:LKbtJhTuO]
外国のいいかげんな記述をもとにしたものを正史に組み込むんじゃねー
だあほ

32 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:24:38 ID:WpGwEuDPO]
おいおい、出雲が鼻で笑ってますよ。

33 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:24:52 ID:qVNPju/l0]
>>22
もう言ってます

34 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:26:24 ID:AIR7LY1AI]
Ghgj

35 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:28:07 ID:3gzrekg70]
>>26
実際、この地が邪馬台国だったとすると
同じ三輪の地に都を置いていた崇神天皇は
卑弥呼となんらかの血縁関係にあった可能性がかなり高い

そういう意味では
、卑弥呼の一族が皇室の直接の祖先だったかもしれない

36 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:28:11 ID:IlTsjFq90]
>>30
広開土王碑の内容を考えると
神功・応神朝は実在した可能性が高い気がする。

37 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:30:41 ID:vitsSjZxO]
>>1
【話題】苅谷俊介発掘
anchorage.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1237541625/

38 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:32:01 ID:mlsUoLCiO]
卑弥呼さまー

39 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:32:17 ID:C7+5uNGu0]
鋼鉄〜ジ〜グ〜

40 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:32:57 ID:M1eFVeL60]
伝統の国とか自慢してる割には歴史が浅いよね。
町おこしとか余計なノイズを排除してさっさとケリをつけてくれ。



41 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:33:24 ID:4ReZxfwr0]
皇国史観=古代朝鮮人支配史観

42 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:34:37 ID:ETjwokYQ0]
大和朝廷の成立は4世紀前半ぐらいだと思うが、それ以前に畿内から九州に
またがる連合国家が存在していたことになるな。
それともヤマト=邪馬台=大和なのか? 
卑弥呼に該当する人物は誰だ?

43 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:36:32 ID:IlTsjFq90]
>>41
日本は伽耶の任那日本府を通じて百済、新羅を属国にしたと
高句麗も記録してるし、隋も百済、新羅は日本を大国と見なすって
隋書に書いてるから、日本が古代朝鮮人を支配してたのは間違ってないだろうけどさ。

44 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:38:23 ID:PThb3DkR0]
>>36
問題はその三韓征伐が九州の勢力によるものか
近畿の権力主導によるものかですよね。
当時の近畿と九州の関係は「敵-味方」「支配-被支配」のような単純なものでは
割り切れない微妙なもののようですね。
神功皇后は九州人か、近畿人か、あるいはそのどちらにも所縁をもつ人物なのか…。
興味は尽きません。

45 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:38:25 ID:CNqB/Ry20]
畿内から北九州は瀬戸内海を伝っていけばすぐだし安全な航路だから
交流も深かったし姻戚関係もあったのかもわからんね

46 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:38:28 ID:9sxdcCFSO]
俺は考古学は無知だが、どんな大規模な建物跡が出土しようが、遺跡群が発掘されようが、文字の記録が残っていない以上結局、学者の推測の域を出ない答えがない水掛け論だと思うんだが。

47 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:39:02 ID:IiVP8m8T0]
なんか閃いた、この形のパチンコ台設計していいか稟議あげてみる



48 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:39:20 ID:3gzrekg70]
>>42
卑弥呼の陵墓ではないかと思われる
箸墓の主とされているヤマトトトヒモモソヒメなんかはどうかな

記紀の系図上では崇神天皇の大叔母にあたる

49 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:41:11 ID:ZPFjWXFe0]
>>42
邪馬台国畿内説とは表現を変えれば大和王権の
2世紀末〜3世紀初頭成立説とも言える。
九州説は、大和王権の4世紀成立説。

考古学的には、2世紀末から3世紀初頭にかけて大和王権が完成していった証拠が
次々と発見されている状況で、これに伴い邪馬台国畿内説が徐々に優勢になりつつある

というのが今の考古学会の趨勢だな

50 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:45:10 ID:6JVxEeFCO]
こういう論争はいいよね。
ロマンチックだよ。
でも俺、九州だから九州説も頑張ってほしい。



51 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:47:16 ID:PThb3DkR0]
>>46
宮内庁管理の陵墓を発掘できたらいいんだけどね。
地面の下に埋まってるこうした遺跡とは
比べ物にならないほどの質と量の遺物が出てくるでしょうね。

ただ、天皇陵発掘は日本人にとってパンドラの箱になりかねないような気も。
着手の前に国民的コンセンサスが必要なように感ぜられます。
そうしたものを構築していくためにも、こういう地道な調査は大切でしょうね。

52 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:48:58 ID:kd/iK0RnO]
記紀や古墳などを考慮すると、ここと出雲と日向(宮崎)の首長には、この時代にはすでに血縁関係があったとしか考えられない。

53 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:49:13 ID:s+H6o8Gt0]

邪馬台国は、倭=祖国日本=九州 であり、大和は、帰化人GHQの国である。

utukusinom.exblog.jp/9867313/

54 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:49:15 ID:ce1Jn9kJ0]
かなり巨大な建築物だなぁ。
当時としたら凄いものだったろうな。

55 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:49:32 ID:dwOZ11Cz0]
8世紀に書かれた3世紀の出来事にどれだけ真実が含まれている
と思ってんだ?
しかも日本書紀が書かれる100年前まで紙はなかったんだぞ。

56 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:50:22 ID:NhigMceE0]
記紀編纂時でさえ「これって神功皇后かな?」とか正体不明だった卑弥呼を実在の
人物とか思うほうがアホ。

57 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:50:44 ID:/4A/VO+BO]
>30
記紀は年代捏造してるでしょ。
推古帝の時に、推古帝即位から1260年さかのぼって神武の即位年を決めた。
平均在位年数で推計したら神武即位はAD250年ぐらい。


58 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:51:09 ID:sRqoOXUoO]
>>51
知り合いの考古学に詳しい人が言ってたが、掘ったら2ちゃんねらーの好きではない人達が祖先だと判明してしまう為、不可能だと

59 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:51:10 ID:FOU+63As0]
朝鮮人が大阪起源説を推してるんでしょう。
民団は日本人に電磁波を当ててるテロリスト。
東京無線を使って日本人にストーカーをやってます。



60 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:52:09 ID:Z/XC12Mi0]
でも近畿内説は「ゴッドハンド」で半分以上の遺跡がやらせになった。
未だに近畿と九州どっちかはっきりしないのは胡散臭い発見が多すぎるからだ。
捏造なんて朝鮮人だけの特殊技巧と思っていたんだが残念だ。




61 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:53:14 ID:wgV7XgDYO]
邪馬台国はデカくて、九州から近畿までくらいの広さがあったんだけど、本店が近畿か九州かで争ってるっていうことでオケ?

62 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:53:23 ID:IOtbVOQH0]
伊都国や奴国が旧郡のひとつかふたつ程度の領域に広がっていたとするならば
邪馬台連合の30の傍国もそのくらいの領域に広がっていたことでしょう
烏奴国=大野郡、支惟国=基頴郡、邪馬国=八女郡、鬼奴国=玉杵名郡
呼邑国=児湯郡、弥奴国=三根郡、斯馬国=杵島郡・・・
蘇奴国、対蘇国、華奴蘇奴国あたりは阿蘇郡およびその周辺にあった国ではないでしょうか
また大宰府から出てきた文書の「末ロ国より西南百里に島があってそれは伊邪国に属する」という記事から
伊邪国が今の伊万里近辺にあった国であることはほぼ確実だと思われます
邪馬台はこの北部九州一帯の国々を束ねていた国でしょう

この時代、畿内、出雲、吉備、越、毛野などにも
邪馬台連合と同等もしくはそれ以上の規模を持つ連合国家があったことはほぼ確実かと思われます
そのなかでもっとも大陸に近い位置にあった邪馬台が魏や呉に使いを送っていたということではないでしょうか
倭人の条に描写されている風俗からは女王国がきわめて暖かい地域であったことがわかります
神戸生まれ神戸育ちの私には、これは関西の気候を描写したものというよりは
暖かい九州の気候を描写したものではないかという感じがします



63 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:53:38 ID:PThb3DkR0]
>>57
興味深い
それってまさに邪馬台国の時代ですね

64 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:54:03 ID:CNqB/Ry20]
>>50
神武東征ってのがあるから、邪馬台国が近畿でも特に問題は無いんじゃないかね
結局は九州勢力と親戚&同盟関係ってことになるし

65 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:54:42 ID:ZPFjWXFe0]
>>61
いや、邪馬台国畿内説は近畿から北部九州、
ひょっとしたら朝鮮半島南部まで含む大勢力だったって説だが
九州説は北部九州の地方王権だったって説で、それらが争ってる。

66 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:54:59 ID:dwOZ11Cz0]
>>57
推古帝の時に倭に来た髄の使者は天皇は明確に男だと言ってる。
推古帝がいた事も疑わしい。

67 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:57:34 ID:ETjwokYQ0]
卑弥呼死後の内乱で反トヨ派が畿内に移動(神武東征)したという説もある。

68 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:57:51 ID:ZPFjWXFe0]
>>66
聖徳太子を天皇と誤認したんじゃないか?

って、そういえば聖徳太子も実在が疑われてたな。
じゃあ蘇我馬子で

69 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 07:59:47 ID:x78vVDPW0]
>>65
真実はいいから、とにかく朝鮮半島はいらない
それが事実でも、なかった事にしよう
どうせ本当に真実なんて誰も判らないんだから
連中が参加してきてウザい

70 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 07:59:54 ID:PThb3DkR0]
>>56
卑弥呼は魏志倭人伝に登場するわけで、
少なくとも「魏国に使者を送った倭国権力者」は実在するでしょうよ



71 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:00:18 ID:aGblBUK2O]
火巫女

72 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:00:24 ID:LeUT7XrE0]
>>66
使者はちゃんとチンコ確認したの?

73 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:00:36 ID:IlTsjFq90]
>>64
神武東征は作り話の可能性が高い気がするけどなぁ。
個人的には畿内の豪族が天皇家になったんだと思うよ。
故郷が九州ってのは、ある意味プリンス・オブ・ウェールズ的な話なのかも。

74 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:01:31 ID:IOtbVOQH0]
>>44
あるいは神功皇后は朝鮮半島人ではないでしょうか
半島南部にあって歴史から忽然と姿を消した多羅国
そこの亡国の王族たちが大挙集団を引き連れて九州北部に上陸したのではないかという感じがします
上陸地点は「筑紫の日向の小戸の・・・」と祝詞にもその名を残す現福岡市西部の小戸ではなかったでしょうか
その近くの神社に祭られている壱岐真根子は壱岐国の王であったような気がしてなりません
タラシ系の侵入者たちは壱岐で王を人質に取り、地元の航路をよく知る壱岐の海人たちに
筑紫までの水先案内をさせ、上陸後用済みとなった王を人気の無い海岸で斬ったのではないでしょうか
あのあたりには神功という地名が最近まで残っていましたし
「姪浜」という地名も神功皇后の上陸伝説にその由来を持つといいます


75 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 08:02:39 ID:dwOZ11Cz0]
>>68
誤認ではなく蘇我馬子とされている人物がその時代の倭王
だったと思ってる。

76 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:02:48 ID:F+4+XZk4O]
奈良地方で遺跡が発掘されると、
すぐに邪馬台国と結び付けたがるよな。
マスコミって。
発掘した当人たちが否定的であってもさ。

77 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:03:59 ID:rtwIZJPaO]
纏向以外に考えられんだろ

78 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:04:53 ID:aGblBUK2O]
和の民の火の巫女、大和にあり

79 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:05:06 ID:DzltMuQr0]
>>60
藤村は旧石器時代専門だろ。
卑弥呼関係ねーじゃん。

80 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 08:06:08 ID:uZBksgTMO]
そもそもヒミコって個人名なのか?



81 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 08:07:11 ID:CNqB/Ry20]
>>69
まぁ少なくとも大和の豪族は加羅の国王兼任ってのが多いから
何かしら関係があるのは間違いないんだけどね

82 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:09:22 ID:kd/iK0RnO]
>>57
古代日本の暦の基準が今とは違うという説が有力になってきてる。

>>73
ここと時代も形も相似形の古墳が宮崎にあるのよね


83 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 08:10:08 ID:3gzrekg70]
>>80
そりゃあ個人名ではない可能性はある
隋書でも天皇の日本語称号を
姓はアメで名がタリシヒコと思ってるぐらいだし

84 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 08:10:57 ID:/hTypVW5O]
そもそも邪馬台国は実在したのか?
結論ありきでは見誤りかねない。

85 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:11:31 ID:h/BiPDvW0]
>66
神武の即位年捏造のくだり
kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/051/0462/05106230462024a.html

○参考人(直木孝次郎君) の発言

86 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 08:14:31 ID:PThb3DkR0]
>>81
朝鮮南部の鉄資源確保が
王権の確立には必須であったという話も聞きますね

87 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:15:35 ID:W5Jj/FNs0]
邪だの卑しいだの
中華思想は昔からろくでもないな

88 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:17:58 ID:BgjBACEZ0]
魏志の記す時代に畿内に関東から九州までの物資を集められる強大な権力が存在した。
これが考古学上の真実、これが邪馬台国であり後のヤマト王権であることは状況証拠から明らか。
魏志の記述の矛盾など、この「真実」に前では僅かな綻びにすぎない。

89 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:18:53 ID:Q4rxGv5H0]
映画まぼろしの邪馬台国の評価がまた一段下がりました

90 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:19:25 ID:KEaOQppe0]
卑弥呼は朝鮮半島を起源とする巫女姫(神子姫)一族のなかの
一人に過ぎないことが最近の研究により判明している

当時、地方の一蛮族である倭族を統括するために韓半島より
派遣された巫女である。

その事実を隠蔽し、倭王の起源と結びつけようと工作している
右翼勢力は恥をしるべき。

もう一度いうが、卑弥呼等の巫女姫達の起源は朝鮮半島である。
そして、それら巫女姫の頂点に君臨していたのが火病呼という名の女王である。
倭人どもはゆめゆめ忘れてはならない。



91 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:22:15 ID:Yc6sKDbTO]
倭も背の低い人って意味

92 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:24:26 ID:IOtbVOQH0]
>>83
隋書に出てくるアメノタリシホコは九州王朝=倭国の王である可能性があるのではないでしょうか
唐・新羅の連合軍に倭・百済の連合軍が負けたときに九州王朝=倭も滅び
東にあった日本が倭を併呑したのではないかという感じがします
万葉集にその名を残す柿本人麻呂(柿本沙流)や山上憶良などからは
その名の響きから九州人=倭人であった可能性を感じます
九州北部には背振(セブリ)、早良(サワラ)、加布里(カフリ)など半島系の音を残す地名が散らばっています
あるいは任那、加耶と呼ばれている地域はこの九州王朝の領土であったのかもしれません
というより半島南部と九州北部は対馬海峡文化圏とでも呼ぶべき地域なのではないかという感じがします

アメノタリシホコ=蘇我馬子=聖徳太子であるという説もあるようですが
あながち大きく外れてはいないような感じもします


93 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:29:50 ID:rJiWIJlHO]
妄想、捏造、感覚でものをいう


素人の浅ましさ

94 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:30:26 ID:3H9F+4fbO]
>>91
おとなしいって意味だよ

95 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:34:24 ID:loc5+vIB0]
>>46
『親魏倭王』の金印が出れば別だろうが。

96 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:37:45 ID:BgjBACEZ0]
曹操の息子が卑弥呼に送った金のハンコか……たとえ出土しても偽物だと言い出す奴が出て結局、水掛け論になるようなw

97 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:38:56 ID:kd/iK0RnO]
>>92
今となっては、九州王朝説の根拠は、倭人伝ぐらいしか無いのよね
実証的・考古学的根拠が無い。

98 名前:名無しさん@九周年 [2009/03/23(月) 08:39:53 ID:tblRNBbY0]
卑弥呼さんにはお世話になった・・・・。

99 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 08:40:09 ID:3gzrekg70]
>>95-96
邪馬台国は魏のあとの晋にも朝貢してるから
そのときに親魏倭王の金印は返した可能性が高い

100 名前:名無しさん@九周年 mailto:sage [2009/03/23(月) 08:41:33 ID:XOo2AaIc0]
跡って穴ぽこだけなんだな
大変だな、発掘する人も








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