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【NHK大河ドラマ】通説が覆された本能寺の変 『麒麟がくる』はどう描くのか



1 名前:ちくわ ★ [2020/01/14(火) 20:29:10 ID:DBYQ4ngY9.net]
https://news-postseven.kusanagi-cdn.com/wp-content/uploads/2019/12/kiringakuru_nhk_taiga.jpg
https://www.news-postseven.com/archives/20200114_1519339.html
2020.01.14 16:00

「敵は本能寺にあり」──明智光秀が主君・織田信長を討つ際に発したというこの言葉。今年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』(1月19日スタート)ではどう描かれるのか。歴史作家の島崎晋氏が「本能寺の変」の謎について解説する。

 * * *
 本能寺の変が起きたのは天正10年6月2日、西暦でいえば1582年6月21日早朝のことだが、この政変を巡る謎は大きく分けて二つある。一つは動機に関するもので、もう一つは明智光秀による単独犯かそれとも共謀者や黒幕がいたのか、という点である。

 動機に関しては大きく分けて怨恨説と野望説、成り行き説の三つがある。通説となっていた怨恨説は江戸時代から続く見方だが、これに初めて正面から異を唱えたのは戦国史研究の大家である高柳光寿で、1958年刊行の『明智光秀』(吉川弘文館)では、光秀が信長から受けたとされる屈辱のすべてが後世のフィクションと論証され、野心家としての光秀像が打ち出された。

 これに対し、同じく戦国史研究で名を知られた桑田忠親は1964年に刊行した『織田信長』(角川新書)のなかで、イエズス会宣教師ルイス・フロイス著の『日本史』の中に、光秀が安土城で信長に足蹴にされたとの記述があることを根拠に野望説を否定し、怨恨説を主張した。

 どちらの説を取るにせよ、歴史愛好家の間では、本能寺の変が光秀の単独犯行で、なおかつたまたま隙が生じたから実行した突発的出来事とする見方が有力だった。それが一変したのは、1992年に作家の桐野作人による『信長謀殺の謎 織田信長謀殺の朝廷疑惑人脈を追う』(ファラオ企画)が刊行されてからだ。本能寺の変には黒幕ないしは共謀者がいて、かなり前から計画されていたとの説が飛び交うようになった。

 黒幕としては朝廷や追放された15代将軍足利義昭、共謀者としては徳川家康や上杉景勝などの名が挙げられている。が、どれも状況証拠しかないため、以前の大河ドラマでは採用されるには至らなかった。

 しかし、近世国家成立史を専門とする藤田達生(三重大学教授)が1996年に論文「織田政権から豊臣政権へ─本能寺の変の歴史的背景─」を発表し、2001年にそれを膨らませた『本能寺の変の群像─中世と近世の相克』(雄山閣出版)を世に出すと、さらに新たな説が登場した。

 藤田は当時の書状を根拠に、黒幕は足利義昭で、光秀が謀反に踏み切った直接のきっかけは信長の対四国政策の変更にあり、上杉景勝や本願寺、雑賀衆、筒井順慶とも裏で手を結んでいたとする説を唱えた。それ以降、政治的な理由による計画的犯行との見方がにわかに強まることとなった。

 確かに、数々の書状を見る限り、個人的な理由や突発的な行動でないのは明らか。今年の大河ドラマ『麒麟がくる』が藤田説に従うとすれば、本能寺の変前夜の密使のやり取りが入念に描かれることになるだろう。脚本家や製作スタッフがどの説を採用するのか注目したい。






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