- 37 名前:132人目の素数さん mailto:sage [2017/01/07(土) 02:32:28.22 ID:L6KWr1Lh.net]
- >>34
> そういうあなたはその議論に付き合ってくれた方でしょうか? はい。当時も勉強させてもらいました。 > その時、示したかったことは「当てれる」理由です。 > rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1471085771/478 > > また、非可測などで確率が計算できないことは「当てれるのに、当てれないと思ってしまう」ことの説明にはなりえても、 > > 「当てれる」ことの説明にはならないように思います。 > > 私は納得できる「当てれる」理由を探しています。 無限を認識する超越的能力はgame1と2において共通の前提です。 なので"当てられる理由"としては説得力があります。 特にgame2においては上記能力以外に怪しい点がありません。 ただ"超越的能力"と"数字を当てられること"を 結びつけているカラクリはもう少し掘り下げたいところです。 特にgame1の独立性はどこへ行ってしまったのか? 通常の確率論では各箱の数字は独立だが、 内外測度を用いた確率論では条件次第で"独立"でなくなる、 みたいな面白い話があるといいんですが。 ところで、 > > また、非可測などで確率が計算できないことは「当てれるのに、当てれないと思ってしまう」ことの説明にはなりえても、 とあります。おそらく積分順序の混同による勘違いのことをおっしゃっていると思います。 しかし逆の見方をするほうが一般的かなと思います。 つまり、(通常の)測度論的確率P(d(r1)≧d(r2))で勝ち負けを定義している人達は 我々のことを「非可測ゆえに当てられるか不明なのに、当てられると勘違いしている人たち」 と思っているだろう、ということです。 勝ち負けを(通常の)確率変数dで定義するかぎり 確率を語ることができないというのはその通りであると考えています。 > 「実際はGAME1でのようなパラドクスは起こっていない。なぜなら確率的にではあるが > 構成的にも混合戦略を行うことができるから。」と ここはちょっと分かりづらかったのでもう少し考えます。
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