- 33 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2017/12/02(土) 09:14:26.33 ID:TD4JPMMV.net]
- >>24 『無疑曰信』も拾ってみた、すべてへぼ文書の御義口伝。。
(御義口伝巻上) 1.信は『無疑曰信』とて疑惑を断破する利剣なり 2.一念とは南無妙法蓮華経『無疑曰信』の一念なり 3.無明を対治する利剣は信の一字なり『無疑曰信』の釈之を思ふ可し (御義口伝巻下) 4.修行とは『無疑曰信』の信心の事なり 5.信とは『無疑曰信』なり 6.此の疑を断つを信とは云うなり、釈に云く『無疑曰信』と云えり ※1から6まで全部一緒、法華経=信、と決めつけて、 疑わないことがイコール法華経信心、というすりかえの論理で、 じわじわと考える力を奪っていく、、。。 日興はやり手の確信犯ですけど、元ねたの天台大師は、 (法華文句) 眼耳鼻舌身意。凡有所對悉亦如是。 『無疑曰信』。明了曰解。 是爲一念信解心也。若坐思惟。随所思惟豁然開悟。 五感と心の思いは、じつはそれぞれに仏であって、 そのことに、間違いないっ! となればそれが「信」、 そのイメージがハッキリとしてくれば「解」となり、 その確信と理解をする対象は(なむなむではなく) 一念というもののためにあるので、 一念は座禅して (瞑想の中で ) 探せば、広々とした 開けたものを見つけるかもしれません。 「なむなむ」じゃなくて座禅しろとあって、致命的な行法違いですな。。。。
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