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もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら



1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/20(金) 12:05:22 ID:buAV4pyy]
もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら、その後の歴史はどうなってたか?
逃げ延びた秀忠の逆襲?
宇喜多執権体制?
三成ら五奉行主導政治?
毛利幕府成立?

167 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 16:57:16 ID:0LMRetc9]
しかし、幸村がやったとすると
じゃなくて
しかし、信繁がやったとすると
の間違い

168 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 17:12:41 ID:93b8NQy9]
教科書では本能寺の変は明智と家康の共謀ってことになってるが真偽は分からん。

家康は意外といい奴だったかもな。でないと逃亡説が真実だったとしても、
協力者なしには逃げられないだろうし、そもそも東軍にあれだけの兵力を揃えられんだろ。

ちと判官びいきかな。

169 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 18:10:19 ID:0LMRetc9]
>>168
本能寺云々は、豊臣史観ってやつだな。

でだ。本題だ。
東軍がかったら、どうなったか。
大きく分けると、
1、毛利を中心とした西軍の巻き返し
2、豊臣秀頼のもと、家康による執権政治
3、家康による政権簒奪
だろうか。
勝ち方にもよるし、なんともいえないけれど。

170 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 18:34:40 ID:T/0UquDv]
謙信と並んで律義者の代名詞の家康だよ?3はねーよ

171 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 18:55:20 ID:ISvsN5Bg]
 家康は関が原の敗北後逃走中に捕縛されて六条河原で処刑されている。
が、公式文書には徳川家康ではなく世良田二郎三郎元康なる名前で記載されており
これが影武者徳川家康であるといわれる理由だとか・・

>>169 漏れは1だと思う。徳川家康といえば蒲生氏郷に天下を見る器じゃない
ケチと酷評されてたからな・・恩賞出し渋って東軍諸侯にも離反され
追い落とされて戦国乱世というのが妥当かと。
歴史家は家康率いる東軍が勝っていたら戦国乱世が続き
天下泰平な豊臣の世は訪れなかったという見方で一致してる。

172 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/26(木) 20:11:58 ID:0LMRetc9]
うーん、色々考えてみたけれど、家康の思い通りに行ったとして、家康による執権政治、なのかな?
律儀っていうのもそうだが、組織のナンバー1よりナンバー2の方が安全そうだし、家康の性格にあっていると思う。
豊臣の嫡流が絶えたら、鎌倉幕府を参考にして、摂関家の人物や親王を戴いて、完全に傀儡にしてもいいんだし。

173 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/27(金) 01:00:43 ID:N+zkxr2K]
そういや江戸夏の陣で自害した秀忠の生存説もあるよね。
確か忠勝が逃がして、島流しになる前に正則が逃げてた黒田領
にいたって話。

もっとも、後年はアル中になって煙たがられてたらしいがw

あと秀忠の息子は島原の代官だかで、善政敷いてた天草時貞
って人らしい。

174 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 02:17:40 ID:qUhh+pri]
花の様なる秀忠様を、鬼の様なる黒田が連れて、引きも引いたり筑前へ
ってやつね。

本当に生きていても、大勢に何の影響も無いだろうがな。


175 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 02:37:08 ID:rttSb7on]
ごめん、ド忘れしたんだけど姫路宰相って誰だっけ?



176 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 02:41:06 ID:inK75Drw]
たしか立花宗茂だったような
まあ、すぐに改易されるんだけどな

177 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 02:46:46 ID:qUhh+pri]
宗茂って、東軍についていたら(なおかつ勝ったら)、
秀康あたりと気が合って、五奉行クラスにはなっていたような気がする。


178 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:age [2006/10/28(土) 08:09:12 ID:hZwp3gGj]
宇喜多大納言秀家様が
関白になられるそうな

179 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 12:51:39 ID:IWLPsJ0Y]
宇喜多といえば現在でも宇喜多財閥で有名だけど石田公爵家ってどうなっちゃったの?

180 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 14:01:03 ID:qUhh+pri]
石田「侯」爵家な。
よくしらんけど、二次大戦後の財産税でほとんど傾いたんじゃない?
最大90パーセントの税率だってよ。

181 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 16:25:22 ID:yPH5RRO+]
宇喜多財閥は解体されて宇喜多グループになったんじゃなかったっけ

182 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 18:29:04 ID:/mXzYU7p]
そうか、財閥解体後は「財閥」と呼ばずに「グループ」と呼ぶのか。
マジで勉強になった。

183 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 19:26:43 ID:YNLVemCq]
>>178
 それは当時の俗説だったような。
当時は「石田様には及びもせぬがせめてなりたや関白に」と歌われる
三成全盛の時代だったから。
関白になって秀頼に政治への関心が無かったせいか
関白秀頼に太閤三成ありといわれてる。
 
 処刑直前に鯛の天ぷらを振舞った三成が用意したタイは目白鯛だったといわれ
三成は祝いの席には必ず目白鯛をだした。
あと三成の館の庭には大きな池が用意され高価な鯉が泳いで、これをよく
来客に自慢していたそうな。

ここから「目白の闇関白」といえば影の最高権力者やキングメーカーへの呼び名
となり、権力者は三成にならって屋敷には鯉を泳がせるのがステータスとなった。




184 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/28(土) 19:43:34 ID:sEvLGe2g]
三成は鯉の刺身の食いすぎで寄生虫にやられて死んだんだっけな

185 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/29(日) 01:06:15 ID:Wa/a91GY]
このスレの住人は、東軍が勝つ可能性なんて考えたくも無い、
豊臣派ばっかなのか?

俺は、東軍が勝ったら、家康は世界に先駆けて共産主義国家を設立したと思うぜ。
朝廷からは将軍に任命されて、
家来が家康を呼ぶときは、「われらの同士にして偉大なる家康大将軍さま」ってよぶの。




186 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/29(日) 01:09:14 ID:hFHKdlaB]
>>185
俺は根っからの東軍派だ。
律義者の家康だから東軍が勝っても豊臣家は残りそうな気がするんだよな。
秀吉子飼いの将も健在な訳だしな。
ただ統治者としての家康の能力は未知数。

187 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/29(日) 03:47:48 ID:74P/dEmQ]
>>186
関東入りを調べて貰えればわかるけど結構なものだよ。
前年まで敵国だった北条領を上手く切り盛りしつつ発展させてる。
ただ、家康の関東での功績は全部直江兼続の手柄になっちゃってるけどね。

188 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/29(日) 10:02:32 ID:rQY7L0vz]
西軍が勝ったおかげで、合議型政権だったけど、どうなんだろうね。
毛利は部下は優秀だけど、大将が優柔不断。
石田は頭が切れるけど、石高少ないし、敵が多いし。
上杉、前田は天下取りの野望がなかったし。
どこか一つでも真面目に天下取りを目指していたら面白かったかも。

東軍が負けたことで多くの武士が海外に逃亡。
いまだに東南アジアでは、武士のよろいと言えば、赤が標準だと思っているらしい。



189 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/29(日) 11:11:26 ID:dILkd55o]
>>186の言うように豊臣が残るとすれば、やはり京都が政治の中心地かな。
古来、京を守る軍勢は負ける、という例も多し、家康は京には定着しないと思う。
その代わり、岡崎・浜松あたりを取り上げて、そこに本拠を移すんじゃないかな。
地元だし、京に比較的近いし。


190 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/29(日) 21:24:31 ID:t6IAag6d]
家康は三河の時代から「三奉行」制を敷いたり、
関東入りのときには伊奈忠次のような能吏を登用したりしている。
家康の政治家としての能力は武将としての力量を上回ってるよ。

ただ、家族的結合の強い譜代の三河武士が家臣に多いのも事実。
その処断を誤れば秀吉政権とたいして変わらなかったかもしれない

191 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/29(日) 22:58:56 ID:JdCWAV0x]
家康を甘く見ないほうがいいのでは?
彼の模範としたのは鎌倉幕府だぞ?
鎌倉幕府の執権北条氏みたいに徳川が執権となって
豊臣家を謀殺してしまうのは目に見えてる気がする。
 あの狸は結構したたか、実の息子殺すくらいだぞ。

 ただあの家康は全国の仕置きは無理なのは自明だろ。
今でいう農本主義っていうのか
米とか田畑のことには精通していても、商業とか興味ないと思うので
西国とか到底治めきれないと思う。
家康の代は何とかなっても苦労知らずな秀忠か、その子の代には
毛利とか島津や小西とかの連中が商業資本や朝廷と結託して
時代錯誤な徳川を追い落とすようになると思うな。

192 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 01:21:25 ID:QYvHAPNE]
秀康、代わりに頑張れ。反徳川はみんな打ち殺せ。
忠輝、おまえも頑張れ。反徳川はみんな叩き潰せ。

193 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 01:29:43 ID:E1biS4yn]
>>191
タヌキはしたたかですか。
どうもアンチ西軍という訳ではないですが豊臣家の実権支配を明確にする為に
立ち上がり破れ滅んだという鮮烈なイメージが頭にあって
どうしても家康は律義者って意識が脳内補完されがちでしてね。


194 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/10/30(月) 04:00:40 ID:tnibKoJm]
そろそろ豊臣史観から抜け出してもいい頃だな

195 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 08:41:07 ID:EgDM0xQp]
東軍が勝ってたら、徳川氏の本拠地の江戸が発展しただろう。
今頃、100万人を超える大都市になってたかも。



196 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 09:49:03 ID:bD49R1dw]
>>195
江戸市もこのたび浜松市とともにめでたく政令指定都市になりましたが

197 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 12:21:27 ID:CpuuKXe2]
江戸が大規模都市になってたかもって関東人は夢見すぎだろ
あんな京から遠い僻地に今以上の人が住み着くとは思えないんだけど

198 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 16:54:20 ID:8tTYPQe7]
関ヶ原のIFネタは、関東人は夢見ちゃうからね。
いくら関東入り以後それなりに発展し始めていたとはいえ
当時政治の中枢を移すだけのキャパシティは江戸には無かったんじゃないか?
田中角栄が日本の首都を新潟に移すって言い出すようなもんだと思うぞ。
もし当時の関東に十分なキャパシティがあったなら、関ヶ原以後関東に入封した大名は
後々あんなに苦労しなかったと思う。

199 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 18:07:40 ID:dei1J8hm]
>>198
関東が首都圏になると、京洛から江戸にいたる旧徳川系の地域が
東海道メガロポリスとかになっていたかもね。
そのほうが太平洋に面していた分利便性はよかったかもしれない、
関東なら広いしね。

 でも現実にはいまだに
会津越後から京洛にいたる旧上杉系と前田系の北陸道地域から
 そのまま宇喜多 毛利系の地域である中国筋から北九州にわたる
北越―山陽メガロポリスになってるわけで
大きな影響を及ぼしたのかもな関が原ってのは。

200 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 18:09:53 ID:HaJLMER+]
確かに田んぼしかない静岡にも、大都市が形成されたかも。

201 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 18:35:25 ID:WxQi+2yA]
関東平野の広大な農地のおかげで我が国は食物自給率100%を優に超える米輸出国だからな
あれが農地じゃなくて人口ぎっしりのメガロポリスだったら日本人は何を食えばいいのか
想像するだに恐ろしい

202 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 19:48:56 ID:HaJLMER+]
>>食料自給率100%
米と一部の農作物だけ。

203 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 20:13:26 ID:rzeAhYqU]
オレ、山形生まれなんだけど、上杉が最上を追い出して越後と羽前
を治めてくれたからすげー良いよ。
京からは遠いが、今じゃ東北一の大都市だぜ。
もし東軍が勝ってても、最上は陰湿だからすぐ改易か取り潰し
だったろうな。
さらに北の横手に押し込められた最上ざまーみろw

204 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 20:17:22 ID:RlSVySat]
横手は小野寺だろ

205 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 21:46:37 ID:rzeAhYqU]
>>204
結局取り潰されて、後から小野寺入ったんだよ。
関ヶ原直後は最上。

で、子孫はお情けで大坂の旗本。確か五千石だったかな。
三男の山野辺家は上杉で一万石貰って山野辺城主させられてた。



206 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 22:23:27 ID:RlSVySat]
元から横手の小野寺は何処に行った?

207 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 22:35:08 ID:1C6RIS+T]
小野寺は最上憎しで西軍についたから
旧結城領に加増転封になったんだっけ

208 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/30(月) 23:17:40 ID:MVfTJpr+]
お前ら記憶が曖昧になってきてるぞw

209 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 00:22:08 ID:ebiPd9Uj]
上杉は旧徳川領に移封。
ま、関ヶ原直後ではなく、徳川滅亡後にだけどね。

210 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 01:38:40 ID:ghMn90Eq]
で、会津には加藤清正が入ったと
体よく追い出したな、ホント

211 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 02:22:21 ID:2hYR5n+8]
清正も関ヶ原後はどうなる事かと思ったが
一説には三成に土下座までして許しを請い、会津35万石に返り咲きだからすげえもんだ
江戸の陣での働きもかなりのもんだったけどな

212 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 02:48:26 ID:eMYBnSWJ]
関ヶ原で浪人になって唯一大名に返り咲いた武将なんだよな>加藤清正

213 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 09:21:22 ID:ZAmPea35]
意外に伊達政宗が天下取ったかも
江戸夏の陣では真田を叩きのめし、三成をけっ散らかして秀頼に自害覚悟させたほどだし。
まあ後藤と薄田に討たれてしまったが・・・
やっぱり野心がないから駄目か? 親父の輝宗は野心家だったんだけどな

214 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 09:38:20 ID:+Ame8dEh]
>>212
似たような立場だった市松は改易後島流しだし
関ヶ原で東軍として出陣していなかったのも大きかったのかな
会津もうまく統治してたみたいだし、凄い人だよね

215 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 10:18:20 ID:OH5l2/Po]
>>209
上杉は関東には移っていないぞ。
上杉は関東管領の職責の追認と関東の総取次になったんだ。
 佐渡もあり越後羽前で実高200万石といわれ
日本海交易も盛んで旨みのある場所を
わざわざ移るわけ無いよ。
関東移封は当初は宇喜多が希望していた。が京洛の防備の観点から
宇喜多が加賀に移って120万石
当初関が原において東軍だった為、減封されていた前田を
江戸の陣の戦功と合わせて江戸120万石に据えた。
ただ関東の小大名は全て上杉の軍令下に入るので、その辺は
関が原の東軍参加の影響が後々まで残した禍根だな。



216 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 12:36:40 ID:wr132lDs]
おまいら意外に憶え違いが多いですね・・・学校でちゃんと日本史履修したか?w

217 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 14:07:44 ID:Sro662/t]
まあ、高校ではここまで細かくはやらないからな。
資料集なんかには微妙に載っているけれど。

>>213
関ヶ原以後、豊臣と徳川を除けば、伊達と前田が二巨頭。
伊達は米沢や他の領地を得て、いくらか関東に近づくだろう。
徳川はおそらく本拠を尾張〜駿河に移すだろうから、関東は手薄に。
ここまでは多分確実。
家康の死後、伊達が前田と結ぶか、徳川を君側の奸に仕立て上げるのに成功すれば、
関東領有→東海を上るのも可能になると思う。

218 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 16:07:07 ID:OH5l2/Po]

>>217
どうだろうね。前田は関が原に参戦できないわけだし、母親人質にしてる段階で
徳川に対する巨頭なりえない。伊達に至っては上杉と和睦し南部を攻めてる。
これは関が原の勃発前からの行動だから東軍が勝っていても
伊達は潰されたんで無いの?

>>216
そもそも関が原がマニアックなんだから仕方ないわなw
学研の「異説関が原」でちょっと2ちゃんねらーの歴オタに
注目されただけだしなwww
本能寺の変でならイフの歴史も成り立つが
関が原は「西軍が勝つべくして勝った戦」東軍の勝つ要素が低すぎる。
万一東軍が勝っても、豊臣恩顧と家康はギクシャクしてたようだし
まして家康とその周辺は商業とか上方に疎い田舎侍ばっかだw
まず天下を治めること不可能
蒲生氏郷が家康はケチと看破したように恩賞ケチってブーイングの末に
失脚したのは確実だろう。
そして戦国が続いて西欧列強の植民地がオチだろうな。
大概関が原で歴史に詳しいものがイフを語れば
東軍が勝ったら日本は戦国で疲弊した末に西欧の植民地ってのが
お決まりのパターンだ。

学研の「異説関が原」のように
家康が三国志のトウタク、秀康がリョフの役どころとなったのと
同様の結末を辿ってってのはちょっと笑えるが・・
淀殿を二人を離反させるチョウセンにするのは無理ありすぎだろうww

219 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 16:24:52 ID:betcpCJB]
関ヶ原で東軍が勝ってたら、東軍の逆転劇とかで大注目されたのかな?
確かに東軍が勝てば面白いことは面白いが、現実的に難しいんだよな
後世には「布陣の段階で勝負は付いていた面白みの無い戦」とか言われるし
戦国時代の幕切れとしてはちょっと物足りない感じはある
だからIFを考える人もいるんだろうが

220 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 16:49:34 ID:OH5l2/Po]
戦国時代の幕切れは
ずばり江戸の陣でしょう。

徳川家に改修を命じた方広寺の鐘銘に「国家安康」「君臣豊楽」
を豊臣の姓を切って逆にして呪い奸臣家康の名を祝うものと
安国寺恵瓊長老の難癖同然の横槍が入り
方広寺の鐘銘問題で、なぜか本多正純と秀忠嫡子竹千代の乳母お福を
別に大阪に下向させる。しかも本多を応対した片桐且元が
厳しい叱責を、お福を応対した大蔵卿局が甘い対応をしただけで
本多正純は内応した裏切り者扱いされ追い出され・・開戦。

 江戸城では家康の正統と三成こそ君側の奸ゆえ討つという檄文を
かつての東軍諸侯に送ったが
前田、黒田、藤堂、浅野、最上、堀尾・・いずれもこれを拒絶
参加したのは関が原で国を失った浪人大名(有名どころで黒田長政)と
西軍に遺恨を持つ無数の浪人が集まった。
総勢10万弱

221 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 17:02:00 ID:OH5l2/Po]
大老筆頭石田三成は、このとき大阪城で一人哄笑していたと
いわれる。
 ただちに江戸征討の命がだされ東軍奥羽の諸侯が動員した
総勢18万続いて西国大名の10万が江戸城を包囲
その軍は、毛利、小早川、吉川、上杉、前田、佐竹、島津、浅野
石田、小西、増田、長束、九鬼、宇喜多、長宗我部、蜂須賀、堀尾・・
といった諸侯と片桐且元や大野といった秀頼直参の旗本譜代といった
全日本の兵力の精髄が結集、総兵力は30万をくだらないといわれてる。
 
しかも、この江戸の陣には徳川家からも参加してる。
大名からは家康の子徳川忠輝 豊臣家旗本として結城秀康の子忠直、あとひとり
宇喜多公の陪臣といえば明石全登と小笠原権之丞のキリシタンコンビ
この二人は陪臣ながら10万石の領地と官位を賜っているのだが
実は小笠原は家康の子供だったりする。



222 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 17:14:40 ID:OH5l2/Po]
武将としても島左近、真田信繁(幸村)、明石全登・守重、毛利勝永
塙団右衛門、木村重成、薄田隼人、速水甲斐、黒田長政、島左近等
伊達政宗、最上義光など古今の名将猛者が一堂に会してる。
一説には結城秀康と、福島正則も泳いで江戸入城したという。

伊達家も成実が後見で秀宗が家督を相続して存続
最上も上杉家に臣下の礼を取った義康が相続
政宗と義光は黒田長政同様、御家と無関係の浪人として奉公
禁止の沙汰と追放処分を受けていたが、これも入城してる。
この戦こそ戦国の幕切れにふさわしいと思う。

223 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 17:30:59 ID:ZAmPea35]
>>219
ちょっと難しいような
豊臣譜代の西軍大名が根こそぎ寝返るか日和るかすれば別だろうけど
現実的じゃないと思う。
引き分けに持ち込むのが精々じゃないかな。
まーそうなったら伊達とか黒田とか島津とか悪巧みして戦国に逆戻りしそうだけど・・・

ところで武断派率いての負けっぷりとか先行して猪呼ばわりされてるけど家康って本当に猪だったのかな?
小牧で戦略的に負けたりしてるせいで戦しか脳がないみたいに言われてるけど
実際悪賢い古狸とも言われてたんだよね?

224 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 17:41:23 ID:WjokflaC]
金吾が裏切ってたら東軍は勝ってた・・・ってありえんか。
数少ない豊臣一門であり、関ヶ原直後に関白になってる忠臣だもんな。
関ヶ原の後わずか2年後に心労で死んだが関白は激務だったんだろう
まさに豊臣のために働いた若武者だな。

225 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 17:51:46 ID:rnjQi+4m]
>>222
江戸の陣でわざわざ兄信幸ではなく信繁を上げるのか……
武蔵戦記から始まる一連の流れが誇張含みとしてもやはり立役者の一人だと思うがな。
信繁も出来は良いんだが性格か生まれた時期かいかんせん父と兄に食われた感があるから。

しかし江戸の陣と言えば三成は場内に真田が入ったと聞いて昌幸の遺策ではないかと関ヶ原
同様腹を壊したという逸話があったよな?
既に三年前に亡くなっているにも関わらずこれだから、案外本当に上杉辺りと組んで何か画策
してたんじゃないぁ、妄想だけど。



226 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 17:59:05 ID:OH5l2/Po]
>>225
しまつたーっ「真田日本一の兵ぞ」といわれた立役者の信幸忘れてターッ
一番肝心な将ではないか・・・欝だ_| ̄|○

227 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 18:00:18 ID:WjokflaC]
このスレの人たちが、他の考察スレに比べてうっかりしすぎな件wwwww

228 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 18:00:29 ID:Sro662/t]
>>220-222
解説お疲れ。
しかし文章が錯綜気味で、よくわからん。
特に>>222のところで、篭城組と攻城組がごっちゃになっとるな。気をつけよう。

229 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 18:12:27 ID:betcpCJB]
>>227
ちょいと範囲が広いからな。他スレはもう少し限定してるとこが多い
日本全国の多くの大名が関わってるからえらい複雑になるし、あんまり
メジャーじゃないとこも語ってるからねぇ
それぞれ詳しくない範囲も語ろうとすると間違いも混ざるのは致し方ない
みんな、間違いを見つけてもやさしく訂正してあげようwww

230 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 18:16:57 ID:betcpCJB]
>>229
○それぞれ詳しくない範囲も語ろうとすると間違いも混ざるのは致し方ない
×それぞれ詳しくない範囲も語ろうとすると勘違いも混ざるのは致し方ない
にしといて
そういう俺も随分前に大間違いして突っ込まれたさ〜orz

231 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 18:20:32 ID:rnjQi+4m]
元々ifネタ妄想スレだし気楽に書き込める雰囲気作りにわざと間違えてる人とか
便乗してる愉快犯も居る気がする。
まぁどうせ2chなんてID変われば別な人なんだし、恥ずかしい事なんてないさ。

232 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 19:29:17 ID:2hYR5n+8]
このあたりは黒船来航のときに資料とか全部焼かれちゃったからな
多少食い違いがあるのもしょうがねえ

233 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 19:51:13 ID:Sro662/t]
そうだな。
まして負けた側の記録となると、全部、とはいかずとも本当に数少ない。
二次記録となってしまうが、このころの史料でお勧めなのは、「武功夜話拾遺」。
最近、民明文庫になったから、読んどくといい。

234 名前:233 mailto:sage [2006/10/31(火) 20:29:29 ID:Sro662/t]
間違えた。「新武功夜話」だった。
「武功夜話拾遺」は別のもの。

ちなみに、今、俺の頭の中に
「でっち上げようとした割には、すんなり語句が頭に浮かぶのでおかしいと思った、と白状せよ」
という怪しげな電波が届いている。

235 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 23:07:03 ID:+49EBhPo]
大河ドラマ「嫌われ山内の一生」もいよいよクライマックスか



236 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 23:47:18 ID:29XbPW0u]
最近山内一豊とか伊達政宗とか負け組のドラマ化多いよね
秀家とか義弘とかドラマ化されたことないし

237 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/10/31(火) 23:59:15 ID:xBqjM/0x]
オマイら日本の標準語は大阪弁やなかったか?

238 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 00:18:10 ID:saWbxiOT]
関東お笑いブームとかで関東弁はかっこええみたいな風潮もあるし
ネットだと関東弁使いたがる厨はようおるよなwww

あとは単純に田舎者なんかもしれへん

239 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 00:19:37 ID:/VchNHJn]
俺は東軍オタが高じていっつも関東弁使ってる。
よくウザがられるけどね。

240 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 00:41:26 ID:z94Mk/Ff]
わざわざPCの変換を打ち直して関東弁を書いてるこの苦労が分かるかーっ
関東弁じゃ未だに、たまにヘンな変換されるんだぞwww

241 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 01:20:02 ID:GTpNU2BC]
生粋の大阪弁と標準語の使い分けでけへんヤシ多いで
ちなみに標準語の場合「できひん」と京都ことばをつかうから

242 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 12:25:39 ID:z94Mk/Ff]
ま、ここは東軍が勝っていたらってスレなんだから、関東弁がデフォでいいんじゃね?
実際に東軍が勝ってても、関東弁が標準語になることは無いと思うが。

243 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:13:09 ID:4vVBy9aO]
 関が原で東軍が勝利できたと主張する輩は、どういう根拠で
勝てたといえるのか?と思うときがある。 
 
 徳川家康は五大老筆頭として天下の政務を太閤秀吉自らに委託されているのを
よいことに、勝手な縁組や難癖つけて征伐敢行とか
大阪城西の丸にはもう一つ天守閣造営
どうみても主家乗っ取りを企む君側の奸にしか見えない。
 朝鮮出兵にも出ていないことから朝鮮出兵は家康が豊家消耗を
狙って秀吉公に吹き込んだという話は教科書にも載ってる有名な話だし
関白秀次に冤罪を、秀長や千利休の死も家康がやったというのは
豊家や諸侯の日記や資料に載っており普通の歴史ドラマの定番。
きっかけの上杉征伐は家康の思いつきによる急な行動なのは歴然だし
西軍決起後は東軍の背後を狙う立場になった上杉は、徳川に協力すべき
最上は腰砕けで屈服、伊達は勝手に和睦したりと到底役に立ってもいない。
 しかも他の東軍諸侯を信用できず関東に篭ったまま清洲の東軍諸侯に
先端を開けというばかりの臆病ぶり。
 しかも家康が実際に戦闘を指揮したのは関が原からだが
徳川は秀忠の率いる主力は遅刻で参加できずw
家康といえば小早川に発砲して西軍総攻撃と東軍壊滅のきっかけを
つくっただけという戦下手っぷりだ。
 それでいて東軍で真っ先に逃亡したのは家康だしさ。



244 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:13:50 ID:Xlcx7llP]
東軍が勝った世界から来た者だけど、
家康は江戸に幕府を開いて250年続いたよ
豊臣は滅亡した

245 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:19:12 ID:4vVBy9aO]
西軍といえば19万石の身代で250万石の大老家康に挑む
義士・三成の義挙で立ち上がり豊臣政権の4大老4奉行が参加
大阪と京洛の上方をがっちり抑え、西国の錚々たる諸侯が
賛同、天下三兵法と謳われる直江兼続、島左近、真田昌幸がそろって
帷幕に加わり、東と西から家康を挟み撃ちという壮大な戦略を実現
兵站財務の天才の石田三成、増田、長束が名を連ね戦中戦後の政権運営にも
兵站他にも支障ない。
決戦の舞台となった関が原でも見事に布陣の段階で勝利は約束されていた。
 西軍敗北の前提条件も名文も理由も皆無じゃないか。

西軍は打倒家康で結束してたのに比べて
東軍は勝手な天下取りを夢想した伊達や如水の無軌道ぶりや
豊臣忠義の福島と徳川に通じる裏切りの黒田長政、藤堂高虎
事態静観の中立的な堀尾、中村、山之内といった
ばらばらの寄り合い所帯だし

史料や残っている手紙からでは西軍諸侯で内応や裏切りが皆無だったのと
比較しても伊達や東軍からの内応や情報漏洩は山のようにあるわけだ。




246 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:24:55 ID:4vVBy9aO]
>>244
 うーん・・東軍が勝ってた場合
戦国乱世が再発してたというのが予想できるところ。
せいぜい家康一代の天下だろう。
250年も続くとも思えん。

247 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:40:15 ID:aLCtYd1s]
後を継ぐのがアホの秀忠だもんな
関ヶ原で負けたのもこいつの援軍が間に合わなかったせいだし、
江戸の陣で惨めな最期を遂げたし、期待できないな

248 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:56:09 ID:RTbOn5oT]
東軍が勝ったらどうなるか、というのは、勝ち形によってまったく変わると思うから難しいな。
たとえば
「西軍の将兵が平氏のような腰抜け、東軍の将兵が荒くれた坂東武者だからあの布陣、兵力でも勝てた」
というんだった、そのまま勢いで東軍(の誰か)が天下を取れると思う。
実際にはそんなことないけれど。

>>244
豊臣をつぶして長期間天下を取るなんて…。
親王を関白か征夷大将軍にでもして執権になったのかい?
あるいは天皇家の外戚にでもなったのかい?
外国の力を借りたのかい?
アメリカと戦争して勝ったりするのかい?
やはり近代科学よりも錬金術の方が発達しているのかい?

249 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 18:59:54 ID:SR5uapn0]
秀忠はそんなに出来悪くはないぞ、減封後の領国経営の手腕はなかなか見事だった。
軍事面でアホなのはもう上田と江戸の件だけで十二分に分かるけどな……。

ていうかむしろ関ヶ原と江戸の陣という戦国時代でも五指に入る華やかな戦場で二度も
醜態をさらすはめになったのが可哀想とすら思う…・・・世の中得手不得手があろうものを。
家康がもうちょっと我慢して秀忠に譲ってれば、案外しっかりきりもりして国力を蓄え、
二、三代後には豊臣の乗っ取りくらいできたかもしれないのに。
家康には頼りなく見えちゃったんだろうかなぁ。

250 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/01(水) 21:16:44 ID:GTpNU2BC]
二代目はボンクラなのが多い。親父の築いたものを食い潰す。
秀忠もだが、石田重成だって似たようなもの。


251 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 21:21:52 ID:RTbOn5oT]
でも最終的には、家康にたいしたものを残してもらっていないからなあ、秀忠は。
そういう意味では、重家や重成と並べるのはかわいそう。
残されたものがおおければ、249の言うような別の顔を見せたかもしれない。
(よろしくない片鱗は見せていたけれど)

252 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/01(水) 21:51:41 ID:h+WCh3TW]
江戸の役敗北の最大の責任者は
於江与君だよな
同じ姉妹でも慎ましやかで聡明な淀の方とは対照的。
いくら亭主がボンクラとはいえ
女が戦の采配を揮っちゃ勝てないよ

253 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/01(水) 22:29:29 ID:QvJOjK9/]
江与君もだが、竹千代の乳母の斎藤氏の責任も大だろ。
この2人が主導権争いに明け暮れた所為で江戸方は大混乱。
むしろその状況で浪人衆はよく戦ったよ。

と、江戸方贔屓の俺が言ってみる。

254 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage バーボンかと思ったw [2006/11/01(水) 23:37:26 ID:FDWEeoDr]
おまいらスゴい詳しいね。
最近関ヶ原辺りの時代背景に興味を持ち始めたんだけど、オススメの文献や小説を教えてくれないか?

255 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 19:19:50 ID:iamMBXO6]
>>254
影武者徳川家康をオススメする。
これは東軍が勝利していたらと言う世界を斬新な切り口で
考察した小説。
 まあ分かりやすく言えば、家康を暗殺して西軍勝利を確実にせんと
あせった三成が家康を暗殺した為に、戦下手な本人から
政戦両面に才のあった影武者が活躍してしまい東軍が勝利してしまった
という世界。
 当時の俗説だった
小早川秀秋の裏切りや吉川毛利の不戦の密約疑惑ももっともらしく
描かれている。
 
 がラストの家康が東照宮という神社で神として祭られているという段になると
ちょっと徳川贔屓が過ぎる気がしないでもない。
いくら神君秀吉の嫡子秀頼公に仇なした奸臣として墓の造営も禁止され
後に遺体を掘り起こして鞭打ちして曝したという扱いへの同情が
あったとはいえ・・・・・。

 



256 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 19:36:43 ID:qgLwcN0D]
司馬遼太郎の関ヶ原もなかなかだぞ
まあ司馬の家康びいきがすぎるけどな
三成とか左近は大悪人みたいに書かれてる

257 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 19:44:00 ID:iamMBXO6]
史実のように毛利、上杉、宇喜多、前田、小西や石田の連立政権
合議型公儀だったからこそ、まがりなりにも天下は平和になったが
 この本の言うように東軍が勝っていたら生き残るのは
大老徳川による独裁政権だから、逆に纏まりはなくなり天下は
麻の如くに乱れるだろう。
豊臣恩顧は健在、前田は手が出せない。伊達は長期戦の間に巨大化してるだろうし
上杉も越後最上は併呑してるだろうから容易に手が出せなくなってるのは確実。
毛利も本土が無傷しかも大阪城を抑えている。西軍が敗戦しても毛利が
すんなり大阪を出るはずも無い。せいぜい家康は伏見で政治を見るくらいだ。
西国諸侯も無事、黒田が巨大化してる・・
こんな状況で家康が勝っても、家康独裁ということは徳川への協力者も
皆無ということだから、なおさら孤立無援になって
徳川は失脚、天下は混乱であろう。
 徳川の天下で世が治まったというラストは、やはり小説でしかないんだがね。

258 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 20:57:59 ID:7gBYPgG6]
家康の孫で日本全国をぶらついてる爺さんの話しらない?

259 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 23:16:50 ID:9LA0q/d7]
>>258
講談かなんかで人気の出た創作だよね。

今の子は知らないだろうな。いや、パチキのあいだでは大変な人気だそうだ。

260 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 23:35:35 ID:yJ1RMaE1]
さあ?
自分は聞いたことが無いな
江戸の陣の後秀忠の息子が長崎に落ち延びて天草某になったとか言う伝承は有名だが

261 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/02(木) 23:50:17 ID:iDzaSH6E]
>>258
260が知らんのも無理ない。
モデルらしいモデルすらいない、完全な架空の人物だからね。
その爺さんどころか、爺さんの父(つまり家康の息子)とされるやつも、存在しないから。

262 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/03(金) 01:57:22 ID:o5ZajyRW]
関が原西軍勝利後、豊臣政権の特別職『大目付」を秀頼公より拝命した石田三成は、名を『石田大成」

と改称。豊臣政権の検事総長になって、徳川征伐と徳川100万石に減封を画し

たが、いまだ、その願いは、加藤清正、福島正則らによってはばまれている。

が、加藤清正は、寝返りの遅すぎ、福島も見物に転換のため、それぞれ、9万石

となる。石田三成の処刑願いが、毛利輝元に一括され、助命減封となった。

そのかわり、石田三成は、『豊臣家」のため、豊臣が危ないときはいつでも、徳川

征伐に立ち上がることができるようになった。徳川家康は、引退させられ、

秀忠は『豊臣家の朝廷工作で失脚」『結城秀康が二代目の徳川を継ぐことに

なった、」秀康は豊臣秀吉が,一心に寵愛した人物で、秀吉公に信服。秀頼

とも近い。むここに豊臣傀儡の徳川が誕生。次第に、徳川の本来の土着性の

団結力、勢力は弱められ、あと、20年もたてば、今の半分の100万石に

なるであろう。秀康が徳川二代目である限り、豊臣は安泰。政権を維持できる。

石田は終生、豊臣の検事総長として、行く末は、大老職をも拝命するであろう。

よかったね。豊臣が勝って。これで、日本は欧米と肩を並べて、大陸進出、植民地

を得ることができ、『民族自決」の時代に大陸進出をするという、時代おくれをせず

いち早く、現地民族を日本に併合。西欧と仲良く、支那を分割でき、日本も自存自立

できた。よかった。よかった。豊臣勝って、本当によかったね。

263 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [2006/11/03(金) 05:09:38 ID:8hQr0Tmu]
石田側の約束では

小早川秀秋が西軍勢につけば

小早川秀秋は関白になれていた。

264 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 06:20:29 ID:mKNRONuK]
金吾は実際に関白に就任してるじゃないですか。わずか二年間だけど。

265 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 07:01:20 ID:1hNAfVG1]
よかった、よかった。
……検事総長って!?



266 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 17:03:11 ID:kxIQYvuk]
小早川秀秋が死んでなければどうなってたんだろう?
三成が責任もって暗殺したって説もあるが
生きてれば豊臣にとっても結構面倒なことになってたんジャマイカ

267 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2006/11/03(金) 17:22:55 ID:EqpxFoTR]
しかし織田秀信も損だよなぁ。
戦後、三成に「もう少し岐阜で足止めしてたら濃尾二国の国持ち」
と皮肉られ、故地である福島正則旧領の尾張半国だもんなぁ。
しかも正室が徳川家光の伯母ということで相当警戒されてみたい。
江戸の陣でも大阪城留守居役だし。
その中で所領を守りきったことはやはり名君だと思う。






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