- 232 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2011/12/24(土) 22:17:41.55 ID:ZTJ412zB0.net]
- >230
山縣が官僚を手なずけて地歩を築いたのは、「陸軍の政治化」を目指したものというより、 陸軍出身の「山縣自身が政治化したかったから」というのがたぶん近いんじゃなかろうか。 それまでの大久保→伊藤・大隈といった、軍事には縁遠い立場から政治家としての手腕によって 明治政府内での地位を築いていた元勲たちの中で、山縣・大山をはじめとした陸軍に足場を持つことで 頭角を現してきた面々は、必ずしも政府部内での主流の位置にはなかなかたどり着けなかった。 山縣自身が伊藤や大隈の持っている資質には「自分は一歩劣る」と自覚していた部分もあったと思う。 その自覚の上で、彼等に対抗するために自己の持つ「実務家」としての手腕に磨きをかけることによって、 その手腕によって政治的な資質を持たない官僚群を味方にすることを狙ったんじゃなかろうか。 だから山縣としては官僚群のなかの一つ、省庁としての「陸軍省」を動かしていた 軍事官僚を味方に付けることは考えていたけど、それはあくまで大蔵官僚や内務官僚などの 重要省庁の官僚を味方に付けることと同列の意味を持って捉えられていたように思う。 陸軍が突出した力を持つようになって他省庁の権益を阻害するような事態が起こると 官僚群全体に渡って構成された「山縣閥」をトータルで捉えると損害が大きいから、 むしろ各省庁(陸軍省を含む)の全体に、山縣の息の掛かった人間が中枢に近い位置に 居るような体勢を作り上げることを目指していたから、陸軍を強力にしすぎることには むしろ抑制するような態度を取りつつあった。 山縣が全盛を誇った大正時代に大規模な軍縮が行われたのはそれを裏付けているとも言える。
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