- 1 名前:日本@名無史さん [2014/08/05(火) 22:00:32.53 .net]
- パート2立てました。
前スレ awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1384515586/
- 601 名前:日本@名無史さん [2017/11/20(月) 23:59:58.59 .net]
- 一周したなw
- 602 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:02:02.92 .net]
- >>600
日本書紀、古事記に墓参りの記事がないことも追加で
- 603 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:04:08.45 .net]
- >>587
>現在は、書かれた場所が正確には「どこ」だか不明ってことだ。 だからなぜそんなことが起こり得るかと聞いてる 万世一系なら先祖の墓を語り継ぐなんて当然のことだ 墓という概念が現在と違っていてもモニュメントとしての受け取り方はしているはずだ(あれだけの巨大な構造物ならな) それであるとしたら自分の親の墓については一般的な教養として子に伝えるしその子もその下の代に語り継ぐことはするはず なぜそれをやらなかったと聞いてる これは思い込みでもなんでもない現実として墓と持ち主が一致しなくなってるなんてカルトな状況になってる それはなぜか?と聞いてる 万世一系、皇統、そしてやんごとなき身分の人間は教育レベルも当然その時代時代で高いはず それならなぜ自分の近い先祖の墓(繰り返す。墓じゃなくてもモニュメントとしての興味でいい)がデカデカと存在するなら それについての関心や好奇心もあるだろうしそれを知識として得て自分の子孫へ伝えるのは容易なはず なぜそれをやらなかったのか?を聞いてる
- 604 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:04:48.84 .net]
- >>588
いやインドじゃ紀元前からの風習だが
- 605 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/11/21(火) 00:06:57.12 .net]
- 日本書紀にも延喜式にも陵墓の位置は記載されているのに
何をもって「実際はそうなっていない」というのか? 陵墓以外の豪族の古墳なんて、ごく一部を除いてまったく伝承されてないのに
- 606 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:08:49.08 .net]
- >>599
あれだけの巨大な構造物を大勢の人間で作っておいて大事にしなかったは無理がある それなら盗掘で済むどころか古墳そのものが現在まで残ってない さすがに古墳は大事にされてなかったは為にする無意味な暴論だぞ
- 607 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:09:11.68 .net]
- >万世一系なら先祖の墓を語り継ぐなんて当然のことだ
決めつけ >墓という概念が現在と違っていてもモニュメントとしての受け取り方はしているはずだ 決めつけ >それであるとしたら自分の親の墓については一般的な教養として子に伝えるしその子もその下の代に語り継ぐことはするはず 決めつけ
- 608 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:10:29.69 .net]
- >あれだけの巨大な構造物を大勢の人間で作っておいて大事にしなかったは無理がある
決めつけ >それなら盗掘で済むどころか古墳そのものが現在まで残ってない 決めつけ
- 609 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/11/21(火) 00:12:02.14 .net]
- 日本書紀にも延喜式にも誰の陵墓がどこにあるかは記載されている
- 610 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:12:38.66 .net]
- >>600
大事にする=メンテナンスというのは違う それは自分に都合よくするための牽強付会にすぎない 先祖の霊を敬って墓の内部や周辺は禁忌として近寄らず日常的に遠くから祈りを捧げることだって「大事にしていた」ことになる
- 611 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:14:27.16 .net]
- >>610
その証拠をあげてみろ
- 612 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/11/21(火) 00:16:25.42 .net]
- 大事にしてたはず、ってのこそ
「自分に都合よくする」ための牽強付会にすぎない
- 613 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:21:16.02 .net]
- >>609
正確な情報として後世に伝わっていない 万世一系がほんとうなら日本書紀を編纂した動機でもある天皇と日本の権威付けのために正確な先祖の墓の位置は重要になるから 子孫はそれを調査して後世に記録として残しておくはず 明治政府がやったように国や集合体の権威付けのためには歴史を再確認し内面化する必要がある それをやらなかったのはなぜか?
- 614 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:21:52.52 .net]
- 563日本@名無史さん2017/11/18(土) 14:59:09.56>>576
勝手に無検証の前提条件を決め付けて それへの適否を論拠にして自説を展開するのは トンデモ電波ガイキチさんによく見られる
- 615 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/11/21(火) 00:23:12.65 .net]
- >>613
だから延喜式の時代まではやってたんだよ
- 616 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:24:41.93 .net]
- >>611
おまえこそ大事にされてない証拠を上げたらどうだ 古墳は現在に残ってるこれが何よりの証拠 上のほうでそのこをを誇ってた奴もいただろう 今になって墓なんて大事にされてなかったはないだろ牽強付会くん
- 617 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:25:53.62 .net]
- >>616
立証できないんだねw
- 618 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:27:42.77 .net]
- >>615
それは今の時代の人間には正確なことはわからないな そもそも記紀だって天武や持統にとって都合よく書かれている可能性もさんざん指摘されてる 延喜式に書かれたことが絶対正しい真実だ!なんてのはロマンがあって微笑ましい思考だとは思うよ
- 619 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:28:28.79 .net]
- >>617
古墳が現在に残ってる=これが証拠 はい次おまえの番 大事にされてなかった証拠は?これはすごいな学会もびっくりな新説だ
- 620 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/11/21(火) 00:29:02.55 .net]
- >>616
>墳は現在に残ってるこれが何よりの証拠 小さい古墳でも掘り崩すのはかなりの労力が必要 そんなところに労力を投下するのは無駄
- 621 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:29:44.78 .net]
- さぁ議論できない日本人の悪い部分が出てきたぞ(笑)
- 622 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:30:51.08 .net]
- 実際、機械が導入された戦後になってからあまたの古墳が消滅してるな
- 623 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:31:24.03 .net]
- 答は応仁の乱のせい
多分 きっと
- 624 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:32:39.26 .net]
- >>620
だったら古墳を作ることこそ最大の労力の無駄だろ ほんとに古墳を大事にする文化がないならあんなにボコボコ古墳は作られることはなかった 大事されない=権威付けにならない、となれば当然古墳なんて作られない はい次お前の番 逃げずに大事されてない証拠を出せ
- 625 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:32:46.81 .net]
- >>619
>これはすごいな学会もびっくりな新説だ 大事にしてたって主張してる学者をあげてみろよ
- 626 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:33:52.63 .net]
- ていうか天才だろ?死んでたレスを必ず加速させる
- 627 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:34:12.28 .net]
- >>625
>>624
- 628 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/11/21(火) 00:34:33.62 .net]
- >>624
>だったら古墳を作ることこそ最大の労力の無駄だろ お前は古墳時代の人間の思想が読み取れるのかよ 学界もびっくりだなw
- 629 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:36:20.22 .net]
- >>624
>大事されない=権威付けにならない 決めつけ 作ることに意義を見いだしていた時代だと評価されているがな
- 630 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/11/21(火) 00:37:50.80 .net]
- で、延喜式は確認したのか?
- 631 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:39:40.61 .net]
- 古墳築造はエジプトのピラミッドのように働く代わりに食事を支給する公共事業だったのかも
- 632 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/11/21(火) 00:41:22.82 .net]
- >>627がまったく的外れな件
- 633 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 00:44:29.61 .net]
- >>623
それ以前から朝廷の陵墓管理は崩壊してるぞ つまり、答えは死穢のせい
- 634 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/11/21(火) 00:52:33.20 .net]
- 自分の無知を認められないばかりに恥を上塗り
462日本@名無史さん2017/09/11(月) 15:51:05.23 誰か教えてほしんだけど 確か日本書紀を編纂する頃にはもう「どこどこの古墳が誰の墓で〜」とかわからなくなってたんだよね? でも天皇の墓だけならわかるんじゃないの?先祖の墓なわけでしょ? 仮に文献を残す習慣がなかったとかしても自分の親と祖父の墓ぐらいは知ってるはずだよね? そしたらそれぞれ下の世代にそれを伝えていけばその知識が蓄積されて結果自然と歴代天皇の墓は遡れるようになってるわけで なんでそれが途中でわからなくなるわけ?万世一系なんでしょ?先祖の墓でしょ? 463日本@名無史さん2017/09/11(月) 16:09:10.84 >>467 歴代天皇の陵墓は日本書紀に網羅されてますよ。
- 635 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/11/21(火) 01:02:54.06 .net]
- その後の展開を考えると、無知ではなく結論ありきの思想による行動かと
- 636 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 09:11:05.86 .net]
- 3世紀から古墳が作られだして、石碑も文書もなく
似たような古墳が畿内周辺に何百と作られてたら 子や孫までの代ならともかく、それ以降は誰の墓かわからなくなっても別に不思議じゃない 古墳製造からすでに何百年何十年たった記紀や延喜式の記述は 正確な部分もあるだろうが、誤記もかなり含まれていると考えるのが妥当
- 637 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 16:20:28.31 .net]
- 文字も無いような国はその後滅ぼされたよ。
- 638 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/11/21(火) 21:14:10.14 .net]
- 祖霊信仰の強い日本に於いて皇室の先祖達が葬られている古墳が不明になるのは異常なこと
きっと現皇室とは関係のない人たちが埋葬されているのだと思う
- 639 名前:日本@名無史さん [2017/11/21(火) 22:21:12.14 .net]
- >>622
ちょっと失礼。 古墳=禁止足地の御神体としてその前段に社殿が造営された神社は意外と(特に田舎には)多く残っています。 例えば、但馬一宮の粟鹿神社(朝来市山東町粟鹿)や、 大阪府富田林の朝日ヶ丘に鎮座の崇神天皇の民の反乱=大蛇の神話と深く係わる、 美具久留御魂神社(祭神は崇神天皇自ら創建に関わり神号をも奉呈した美具久留御魂大神/出雲大神荒魂=大国主神。三輪山のほぼ真西にあり、二上山を挟んで対峙するような形式) 淡路一宮のイザナギ神宮等は、元来粟鹿神社と全く同様な円墳の前段に社殿(本殿)を営んだ形だったのを明治政府があな恐れ多くも古墳を破壊更地にして大神さま方の石室を露にして周りに人工基段を造りその上に本殿を造営(クサイものに蓋をした ) 因みにイザナギ神宮は飛鳥の宮を中心にして同じ緯度に東には伊勢神宮(内宮)とほぼ同じ距離、経度の1度で配置されています。
- 640 名前:日本@名無史さん [2017/11/23(木) 09:24:27.94 .net]
- >>628
>そんなところに労力を投下するのは無駄 おまえこそ古墳時代の支配者の気持ちわかるのか?思い込みが激しいな(笑)
- 641 名前:日本@名無史さん [2017/11/23(木) 09:26:28.43 .net]
- >>629
>作ることに意義を見いだしていた時代だと評価されているがな どの学派や学者がどのぐらいの割合で評価してるのかソースを出せ お前のご都合主義の決めつけの相手してると時間が無駄
- 642 名前:日本@名無史さん [2017/11/23(木) 09:27:01.35 .net]
- >>632
>>624
- 643 名前:日本@名無史さん [2017/11/23(木) 09:28:18.65 .net]
- >>636
つまり万世一系があったと言いたいのか?結論を書けよ
- 644 名前:日本@名無史さん [2017/11/23(木) 09:29:27.69 .net]
- >>638
そういう正論を書くと愛国者()くんが必死に噛み付いてきて議論にならないんだ(困ったものだ)
- 645 名前:日本@名無史さん [2017/11/23(木) 09:34:13.71 .net]
- >>628
>古墳時代は墓を大事にしていない 早くこの根拠と証拠を出してくれ 必死にアンカーつけて顔真っ赤なのはお前だけだぞ 大事にされてないのになぜ権力者たちはあんなにも古墳をボコボコ作ったんだ? 誰も大事にしないなら権威付けにもならないし先祖の供養にもならない それなのになぜ古墳はあれだけ作られて尚且つ今も残ってるんだ? これは決めつけや思い込みじゃなく現実の話だ さぁ言葉尻を捉えて逃げるんじゃなく俺の質問にしっかり答えてみろ 怯えなくていいから冷静に大人の対応でレスを返してくれよ?
- 646 名前:日本@名無史さん [2017/11/23(木) 15:44:39.32 .net]
- >>645
>>620 >小さい古墳でも掘り崩すのはかなりの労力が必要 >そんなところに労力を投下するのは無駄 というのに対して、 >>624 >だったら古墳を作ることこそ最大の労力の無駄だろ ってのは言いがかりでしかない 言葉尻をとらえて子供っぽい反論をしたって 誰も感心しないよ
- 647 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/11/23(木) 21:00:25.06 .net]
- 記紀執筆当時の人間が歴史だとみなしていたのは雄略記以降で
それ以前の記は日本列島内外の時代も定かでないさまざまな逸話を フィクションの糊でつなげた後から追加されたお話なんだよ だから記紀は「仁徳」の古墳の認定を「間違えた」んじゃない お話をこさえた後で適当に嵌め込んだだけのこと
- 648 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/11/26(日) 07:34:06.30 .net]
- 平安時代延喜式どころか
陵墓祭祀が南北朝時代まで行われていたことも知らないバカがいるのか
- 649 名前:日本@名無史さん [2017/11/27(月) 11:07:47.85 .net]
- おまえら、新しいスレがニュー速プラスに立ったぞ 全員集合!
【歴史】陵墓に眠るのは誰なのか 宮内庁と学者の見立てに相違 https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1511726842/ 1 名前:紅あずま ★ [ageteoff] 投稿日:2017/11/27(月) 05:07:22.41 ID:CAP_USER9 陵墓に眠るのは誰なのか 宮内庁と学者の見立てに相違 朝日新聞:2017年11月27日03時02分 www.asahi.com/articles/ASKCL5R38KCLPTFC00F.html www.asahicom.jp/articles/images/AS20171121004799_comm.jpg 陵墓に眠るのは誰? 大阪府の百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群が世界文化遺産の国内候補になったことで、「仁徳天皇陵」や「応神天皇陵」などの陵墓が注目されている。 だが、宮内庁が被葬者としている天皇や皇族には、学術的には疑問も少なくない。 陵墓とは、歴代の天皇・皇后の墓である「陵」と、皇族が葬られた「墓」の総称だ。 宮内庁のホームページによると、同庁は現在、188の陵と555の墓、46の陵墓参考地(陵墓の候補地)など、計899件を管理している。 堺市の百舌鳥古墳群と、大阪府羽曳野市・藤井寺市の古市古墳群は、古墳が最も巨大化した5世紀を中心に築かれた、計88基の古墳からなる。 このうち、宮内庁が陵墓として管理しているのは46基。 全長486メートルと日本最大の大山(だいせん)古墳(仁徳陵古墳)、同425メートルで第2位の誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(応神陵古墳)をはじめ、全長200メートル以上の前方後円墳10基は、すべて宮内庁管理の陵墓古墳だ。 宮内庁は一般の人の陵墓古墳への立ち入りを禁止している。 百舌鳥・古市古墳群が世界遺産候補となった際にも「引き続き皇室の祖先のお墓として、地域と協力をしながら適切な管理を行っていく」としており、登録が実現しても一般公開などは難しそうだ。
- 650 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/11/27(月) 15:24:37.91 .net]
- あんなもん世界遺産にせんでもええんや
- 651 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/11/28(火) 19:52:36.60 .net]
- いくら近畿地方の府県で世界遺産が無いのが大阪府だけとは言え、
わざわざ古墳を世界遺産にせんでも…って思う
- 652 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/11/28(火) 19:59:57.34 .net]
- ちゃんと先祖祀って管理してたんなら、なんであんな草木ボーボー生えるに任せたままにしたんだろう?
それとも元からそういう思想のものだったんだろか?
- 653 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/11/28(火) 20:14:14.42 .net]
- 記紀には古墳で祭祀を行った描写がない
- 654 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/11/28(火) 21:37:57.56 .net]
- >>652
完成後管理するという発想が無かったとか? 近所にでっかい丘ができた、くらいの認識だったのかも
- 655 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/11/30(木) 20:01:51.24 .net]
- >>483の続き。
興が雄略である証拠→日本書紀で雄略5年に武寧王が誕生とあるが、 武寧王の陵墓誌より、これは462年と判明しており、倭王興の時代である。 武が清寧である証拠→上表文には、にわかに父兄を失うとあるが、雄略の 死後すぐに、清寧の兄の星川皇子が亡くなっており、記述と完全に一致。 逆に雄略はにわかに父兄を失ってなどいない。
- 656 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/12/10(日) 02:37:42.40 .net]
- その「証拠」なんだけどね
日本書紀執筆当時雄略からの代々の大王についてはいちおうの口承やそれを まとめたできの悪い漢文があったと推測されるけど 大王間の血統関係については不明もしくは相互に矛盾した伝承があったと 日本書紀自らが言明している 史料が限られているなかで何らかの判断・解釈でもって不明点・矛盾点を片付けないと 執筆ができない 日本書紀の執筆者は中国の既存の史書を一通り読んでいるから それらの史書の記述はきわめて有力な判断材料となる だから中国の史書と日本書紀の記述が合致しているときわかるのは 当時の執筆者が「これで行こう!」と決めたという事実であって 史実だとは必ずしも言えない 逆に読んでいるはずの中国の史書の記述と食い違っていてかつ政治的配慮と 無関係な記述であれば中国の史書のそれより信憑性の高い執筆者が 有力だとみなした文書or口承の伝承記録を持っていたと判断できる
- 657 名前:日本@名無史さん [2017/12/27(水) 00:52:42.35 .net]
- 前方後円墳は最初からあの形をを作ろうとしたのではなく、
方墳文化の国と円墳文化の国の合併の象徴ではないか。 合体墳墓を作っている内に女性の性器にデフォルメされて、 生まれてきた穴に埋葬することで再生を願ったのだろう。
- 658 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/12/27(水) 05:48:52.38 .net]
- 中国の天円地方思想をアレンジしたんだと思うよ
- 659 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2017/12/27(水) 20:04:20.07 .net]
- 八角墳はどうなるんだ?
- 660 名前:日本@名無史さん [2017/12/28(木) 18:36:12.20 .net]
- 古墳墓制は仏教神道以前の道教的不死の思想が背景にある。
伊弉諾が死後の伊弉冉に会いに行った逸話に通じる。 死者が再び出てきてもらっても困るので、死後の世界での充実を願い 鏡や宝物、剣を副葬し、塚を盛り、服喪や殉死者をも送る。 仏教的成仏の思想には遠く、死は所詮汚れであれば 死者が忘れ去られた時、そこに詣でることもなく草木が茂に任すのが吉。 後に成立する神道的には氏神の一人として祀り祖霊となる。
- 661 名前:日本@名無史さん [2018/01/30(火) 14:45:30.02 .net]
- 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』 SOX3C
- 662 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/20(火) 20:08:08.11 .net]
- 「卑弥呼の墓では」巨大な前方後円墳?謎の丘陵 日本最大に迫る全長450メートル [福岡県]|西日本新聞
ttps://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_chikuhou/article/402402/
- 663 名前:日本@名無史さん [2018/05/04(金) 11:59:23.60 .net]
- >>655
雄略は、父を亡くした後、2年も経たないうちに兄を亡くしている。
- 664 名前:日本@名無史さん [2018/05/06(日) 20:15:45.01 .net]
- >>662
古墳じゃないよw
- 665 名前:日本@名無史さん [2018/05/06(日) 20:23:18.29 .net]
- 古墳のおもしろいところは、古墳を墓として使っているのがあることw
一見意味がわからんやつもいるかもしれん。 要するに、古代の古墳を後代の人々が墓地に利用したわけだ。 うまい再利用というか、まさしく正しく使っていると言うべきか。 大きさからすると、その一帯で一二を争うくらい大きな古墳で、かなりの有力者のものと みられるやつもある。子孫たちの墓になってるのか無関係なのか。
- 666 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/05/14(月) 15:28:36.34 .net]
- >>653
騎馬に関する記述もない。 古墳も騎馬も半島由来だから死んでも記紀には書けなかった
- 667 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/06/27(水) 23:37:46.86 .net]
- なぜ?支配者が出自を誇りこそスレ隠す理由はない。
- 668 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/06/28(木) 08:32:12.81 .net]
- なんか半島絡みでおかしな書き込みをするやつがいるな
- 669 名前:日本@名無史さん [2018/07/12(木) 14:16:22.28 .net]
- とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます 検索してみよう『立木のボボトイテテレ』 YSY
- 670 名前:日本@名無史さん [2018/10/03(水) 17:12:22.26 .net]
- >>666
当時、本当に半島が先進地域で、天皇家の先祖がそこから来たのなら、胸を張って そのことを書くだろうな。 あ、古墳は半島起源じゃないよ。 騎馬も違う。
- 671 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/10/03(水) 17:56:02.27 .net]
- 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。 その時代差、約6500年。 その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、 4000年前にはすでに戸建ての時代である。 商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には 瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。 縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。 中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
- 672 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/10/03(水) 23:27:29.30 .net]
- 「中国」という表現がおかしいね
漢族ではない周辺地域からの移動があったかどうかなんだから 漢族の文明がどうすすんでいようと直接の関係はない ちなみに中国人学者が好きな説は山東半島居住の水稲栽培族が 朝鮮半島および日本列島に広がったというもの 人骨は近いだのなんだの言っている
- 673 名前:日本@名無史さん [2018/10/03(水) 23:38:34.93 .net]
- >>672
何らの考古立証もできません。 人種も民族も5流なら、学者も5流のようで(嘲笑
- 674 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/10/04(木) 00:36:39.07 .net]
- 痴呆老人ウヨってまだ生きてるのか
これ以上日本に害悪を及ぼす前にさっさと死んでくれよ 水稲栽培が元々長江周辺の非漢族のものであることは確定事項 これが遠方の朝鮮半島・日本列島まで波及するためには何らかの人の移動が必要 今の我々のほとんどが水稲の種籾と簡易な農具をいきなりもらったところで 収穫は0になってしまうのと同様 水稲栽培以前の人間が種籾を取得したところでやっぱり収穫は0
- 675 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/10/20(土) 19:48:50.35 .net]
-
ゆるキャラと古墳 onyanko.mkosugi.com/30691
- 676 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/10/20(土) 23:31:07.83 .net]
- ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。 商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。 釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。 ja.wikipedia.org/wiki/釜 商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた 商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた 商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた 商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた .
- 677 名前:日本@名無史さん [2018/11/29(木) 01:19:12.62 .net]
- 仲恭天皇陵が現在破壊されとるw
- 678 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/11/29(木) 13:54:15.36 .net]
- 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、 角と耳がありイノシシの顔だ。 www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html .
- 679 名前:日本@名無史さん [2019/01/08(火) 20:36:58.99 .net]
- 梁書には、倭国の東北七千里に文身国があったといわれるが、実態が気になる。
- 680 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/01/08(火) 21:17:20.50 .net]
- 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。 ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。 そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、 石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、 石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。 ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、 木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。 石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも 伝わっていないのだ。 それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の 耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。 オール木製で。 しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も 日本の最古水田には一切伝わっていない。 日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと 言っているのと同じレヴェルの話である。 ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も 経ってからの事で、やはり木製であった。 石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ 永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
- 681 名前:日本@名無史さん [2019/01/12(土) 12:21:32.24 .net]
- 古墳=邪馬台国の象徴だろう?
- 682 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/01/30(水) 02:48:02.05 .net]
- 2018/10/23
【静岡】函南に伊豆最大規模古墳 「ヤマト王権」との関わり示す 筑波大調査 https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1540289093/ 2019/01/27 【社会】眼前に国宝、驚きの博物館 県名発祥の地、“埼玉古墳群“ のスゴさ 行田市 https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1548562537/
- 683 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/02/03(日) 04:38:27.88 .net]
- 1/31
【奈良】小山田古墳、飛鳥時代で最大の「方墳」と判明 被葬者は天皇か蘇我氏か https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1548932065/
- 684 名前:日本@名無史さん [2019/03/28(木) 00:59:04.16 .net]
- 「千葉県芝山遺跡」と「群馬県高崎市八幡塚古墳」の女子人物埴輪の頭が、
チベットのチャン族(羌族「きょうぞく」)の民俗衣装の頭にそっくり。カモ (?)。 写真で確認したい人は下記 url 。 www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/Grimm's_Law_in_J_20_Tibet.html
- 685 名前:日本@名無史さん [2019/03/28(木) 01:05:25.51 .net]
- 679 は削除 (∵ url が ちょちょ切れた為)。 これと、置換。
「千葉県芝山遺跡」と「群馬県高崎市八幡塚古墳」の女子人物埴輪の頭が、 チベットのチャン族(羌族)の民俗衣装の頭にそっくり。カモ (?)。 写真を見て確認したい人は下記 url を コピペして サイトへ飛んで下さい。 www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/Grimm's_Law_in_J_20_Tibet.html
- 686 名前:日本@名無史さん [2019/03/30(土) 14:20:01.27 .net]
- 古墳は邪馬台国の名残
仏教伝来で古墳終了
- 687 名前:日本@名無史さん [2019/03/30(土) 21:55:14.50 .net]
- >>679
北陸説を押すね 出雲に滅ぼされた古志の国かもしれないね
- 688 名前:日本@名無史さん [2019/03/30(土) 22:56:29.84 .net]
- 897日本@名無史さん2019/03/30(土) 08:55:00.54
>>891 「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」 進んだ文化を持つ中国魏の役人にとって 邪馬台国や倭国群には労をさいて倭人伝に記述してるのに 邪馬台国から東へ渡海した所にある国々(村々?)は 特筆されるものが全くない未開な集落レベルの文化だったから 簡略して短い数行で終りしたとしか思えない記述記録なんだけど どうなんだろう? >>679 有名な史書の魏志や隋書には記述されてないのに 梁書にだけは女王國以東の風俗が残されてるって謎
- 689 名前:日本@名無史さん [2019/03/30(土) 23:22:52.24 .net]
- 行ってないからじゃないの?
- 690 名前:日本@名無史さん [2019/03/30(土) 23:32:54.81 .net]
- 女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種
現代語訳すと 女王国の東(北東?)の海を渡って千余里行くと複数の国があり 其処の国々も倭人系である。 巡察してますね
- 691 名前:日本@名無史さん [2019/03/31(日) 02:21:48.96 .net]
- で、その土地の説明は?
- 692 名前:日本@名無史さん [2019/03/31(日) 03:59:47.57 .net]
- ところで古墳での祭祀について、皆さんどんなイメージ持ってます?
俺の想像はこんな感じ。↓ ・後円部に死んだ奴を葬る ・前方部に後継者とその一族、周辺地域や中央有力者などの来賓がいる。段築の上の方ほど地位の高い人間が位置する。 (つまり来賓が多くなるほど、巨大な古墳を造らないといけない! 金持ちや有名人の結婚披露宴が大勢の来賓を招いて広い式場で行われるのと同じ) ・被葬者から後継者に権力を承継する儀式を行う。 ・円筒埴輪は、 −夜の儀式で篝火を焚く。 −殉葬者の斬った首を入れる。 −各出席者からの供物を入れておく。 −その他 の用途に使われる。 皆さんどう考えてます?
- 693 名前:日本@名無史さん [2019/03/31(日) 04:08:07.42 .net]
- んで、前方部の先っぽの一番高い部分には中央からの来賓など一番地位の高い奴が位置し、
前方部と後円部のつなぎ目の低くなった所には後継者が位置して、来賓に顔を覚えてもらう。 後継者の顔を来賓たちによく見せるために、前方部の頂部はスロープになっている。 こんな感じ。
- 694 名前:日本@名無史さん [2019/03/31(日) 04:18:04.80 .net]
- 古墳での有力者の葬儀と権力承継の儀式は、たぶんその地域の総力を上げた一大イベント&お祭り&ハレの日&蕩尽の日であったと思う。
そして他所の地域への対抗意識もあり、競い合うようになるべく大きな古墳が造られた。
- 695 名前:日本@名無史さん [2019/03/31(日) 04:27:35.20 .net]
- 円筒埴輪が供物の入れ物であれば、儀式の後にそれら(食べ物や酒)は民たちに気前よく振る舞われたことだろう。
想像だが、あれらには酒がなみなみと入っていて、儀式の後は柄杓で飲み放題だったんじゃないかという気がする。
- 696 名前:日本@名無史さん [2019/03/31(日) 04:35:30.40 .net]
- んで民たちは当然のことながら、祭りの後は他地域の人間も交えての大乱交。
何年もかけて地域の総力を上げて古墳を造って来たのは、この日のため。 巨大な古墳を造れば造るほど『祭り』は大規模になる。
- 697 名前:日本@名無史さん [2019/03/31(日) 04:43:36.83 .net]
- 農閑期に、田圃整地の残土を一箇所に積み上げ葺石で固めながら、男たちは、
(こうやってより大きな古墳を造れば造るほど『祭り』は大規模になり、まだ見ぬ遠くの村々の娘たちと乱交できる!)と、胸を高鳴らせていたのではないか。
- 698 名前:日本@名無史さん [2019/03/31(日) 05:16:31.09 .net]
- 古墳は奴隷たちの強制労働で造られたのではなく、
農閑期に田圃や用水路整備の残土を一箇所に積み上げては、 (ウチの首長様。代替わりの『祭り』は、他所に負けないよう盛大にやって下さいよ) と言う期待を込めて造られたのではないか。 また(洪水の時には皆を守って下さいよ)と、避難場所としても使われたと思う。 田圃の真ん中の鬱蒼とした森として、田圃にもされず、住居にもされず、1500年以上残っている古墳を見ると、 それらは(奴隷労働の怨嗟と怨念の跡)(首長の無駄な見栄っ張りのために造られた負の遺産)ではなく、 もっとポジティブな存在ではなかったかと言う気がする。
- 699 名前:日本@名無史さん [2019/03/31(日) 05:34:57.24 .net]
- 田圃整備→副産物としての古墳築造→人口増加・地域繁栄
は古墳時代の『正の成長サイクル』として機能し、当時の技術で開墾可能な田圃をらあらかた造り終えるまで続いた。
- 700 名前:日本@名無史さん [2019/03/31(日) 10:08:05.50 .net]
- >>699
>田圃整備→副産物としての古墳築造→人口増加・地域繁栄 それはすなわち、「忌部はん」 の所業そのものなのである。 @阿波
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