- 1 名前:日本@名無史さん [2014/08/05(火) 22:00:32.53 .net]
- パート2立てました。
前スレ awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1384515586/
- 235 名前:日本@名無史さん [2014/11/07(金) 07:37:34.29 .net]
- どのスレで聞いたらいいのかわからんのでここで聞くけど
倭王武=雄略の頃って少なくともすでに関東九州の統一は終わってんだよね これって景行天皇の時に征服したってこちょなのかな? 神武天皇は少なくとも日向・北九州・山陽・近畿南部と畿内は支配したんだよな? 崇神天皇の時は東海・関東・北陸・会津・丹波まで 景行天皇の時に出雲・南九州・陸奥の南部までほぼ統一? 邪馬台国が畿内説の場合、その時代は南九州のぞいて西日本統一→景行以前の状態? 邪馬台国が北九州だと、ヤマト朝廷が邪馬台国と別の勢力だったとしても記紀にあてはまる時代がないね 邪馬台国が南九州って説にするなら景行天皇以前の状態には合うが。
- 236 名前:日本@名無史さん [2014/11/07(金) 07:42:54.02 .net]
- 景行天皇から神功皇后までは、
いきなり福岡にワープして、 九州を平定する話ばかりなので、 九州福岡の豪族のエピソードを引き写した話だと思っている。
- 237 名前:日本@名無史さん [2014/11/07(金) 07:46:47.80 .net]
- 現在の日本を見ていてわかる
やってる事が間違ってるからなw
- 238 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/07(金) 08:07:18.68 .net]
- >>236
いきなりワープ? ちゃんとその前の代までに吉備や出雲は征服された話が先行してるじゃん 記紀が描いてる歴史の全体の流れみないで あなたが「いきなりそのページだけみて」感想いってるだけじゃないの?
- 239 名前:日本@名無史さん [2014/11/07(金) 08:09:43.98 .net]
- 景行天皇に吉備や出雲の話、あったっけ?
- 240 名前:日本@名無史さん [2014/11/07(金) 08:14:04.56 .net]
- あれ、スサノオの話だけどw三貴神
- 241 名前:日本@名無史さん [2014/11/07(金) 08:17:16.92 .net]
- 景行天皇から神功皇后まで、
応神天皇が生まれるまでに、 一回くらい畿内に帰ったんだろうか?
- 242 名前:日本@名無史さん [2014/11/07(金) 08:18:22.98 .net]
- 天皇の話なんてあるの?
- 243 名前:日本@名無史さん [2014/11/07(金) 08:23:25.50 .net]
- 天皇と天と、いわゆる神様の天は違うみたいだよ
詳しい人に聞いてみると良いよw
- 244 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/07(金) 09:05:22.51 .net]
- >>239
出雲の話はあるな。 >>241 何度も帰ってるだろ。日本書紀よんだことないの?
- 245 名前:日本@名無史さん [2014/11/07(金) 11:04:28.22 .net]
- 景行天皇は、熊襲退治の時は、7〜8年は帰ってないね。
いきなり下関にワープし、戦を重ねて宮崎に6年仮宮、 さらに熊本、筑後を巡幸、ここでは戦闘なし。 この辺は非常に細かく書かれている。 筑後の浮羽まで行ったところで巡幸終了。 そこにどのくらいいたのかは不明。 また畿内までワープ? けっきょく、下関だけ本州で、あとは九州の事跡だけで終わってる。
- 246 名前:日本@名無史さん [2014/11/07(金) 11:06:41.93 .net]
- 景行天皇の熊襲退治は、
九州内で道筋を書けるくらいに詳しく細かく書かれている。 ただし、畿内への道は全く書かれていない。
- 247 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/07(金) 21:29:29.42 .net]
- >>235
神武天皇の勢力範囲は葛城だけ。東遷も王権の移動というより貴種流離譚に属する流浪の旅と考えたほうがいい。 全国展開するのは崇神から。
- 248 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/07(金) 23:19:03.04 .net]
- >>241
畿内じゃなくて奈良へ帰ったのかなって思うね。 景行は大津に宮を移し、次の成務も大津のまま。 仲哀は敦賀から出発して、宮は九州になっててそこで死んでる。 ヤマトタケルがヤマトを歌ったうたがあるからヤマトにいたんだろうけど。 新羅から帰った時、ヤマトに入れない話があるから拠点はあったのかな。 巻向遺跡は四世紀中頃には廃れてるらしいね。
- 249 名前:日本@名無史さん [2014/11/08(土) 01:40:01.93 .net]
- 倭王武の上表文のような「大征服の時代」っていうイメージは
崇神天皇にはないね。これは完全に景行天皇だろうな
- 250 名前:日本@名無史さん [2014/11/08(土) 11:18:07.25 .net]
- 上表文にある「渡りて海北を平らぐること、九十五国」はいつの時代?
広開土王碑の時代かな?
- 251 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/08(土) 17:01:17.95 .net]
- 事績で重なるのは
大乱〜崇神 信長 景行〜応神 秀吉 雄略〜継体 家康
- 252 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/08(土) 23:35:21.40 .net]
- >>250
もっとずっと前。卑弥呼よりずっと前。
- 253 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/09(日) 01:52:12.06 .net]
- >>235
神武の頃はそこまでいってないだろ ヤマトで地盤固めしてるくらい
- 254 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/09(日) 02:13:20.05 .net]
- 古い神社の伝承って面白いね。
そういうところの周辺を発掘したらおもしろそうだけどなあ
- 255 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/12(水) 17:41:16.69 .net]
- 考古学って面白いね。
寺沢氏なんか「ヤマトには纏向を生むものは何もない」って言い切ってる。 どこかの勢力が来たんだよな。 でも、なんで纏向だったんだろうな。 あの一体は、纏向以前は荒れ地だったらしい。縄文晩期に洪水が起きて、 弥生時代は人も住まない荒野たっだんだとか。
- 256 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/12(水) 21:49:57.39 .net]
- 川からはずいぶん離れてて不便そうだし、何より平地の真ん中になんか作るってのが奈良以前の日本人の美意識から見て不自然なんだよな。
- 257 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/13(木) 00:47:54.90 .net]
- ん?南北を川で区切られた地域だし、中にも水路は多いと思うが?
- 258 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/13(木) 12:47:03.09 .net]
- 学問板でなに言ってんだよ
- 259 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/14(金) 11:39:07.68 .net]
- 纏向のことなら平地の真ん中ではないな。
山裾の小高い扇状地の裾というか。
- 260 名前:日本@名無史さん [2014/11/15(土) 18:37:05.14 .net]
- >>255
>寺沢氏 の本は何か読んだけど、まったく内容に記憶がないほど、 印象がなかったけど、 「ヤマトには纏向を生むものは何もない」 ならば、 東海の土器が多いから、そこら辺りから来たとかいう、 デンパに近い研究者だったか。
- 261 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/16(日) 08:21:43.89 .net]
- 東日本住民における顔面平坦度度の地域差と時代変化
ir.library.tohoku.ac.jp/re/bitstream/10097/22721/1/M1H160074.pdf 川久保善智 東北地方や関東地方の集団では縄文時代から古墳時代にかけて平坦さが著明に 増加する変化が認められた。この平坦性の増加は渡来人の遺伝的な影響である 可能性がすでに指摘されているが、本研究においても顔面骨に著しい平坦性が 認められる西日本弥生人と東北地方や関東地方の古墳時代人の類似性が認めら れた。 その結果、全ての平坦指数において北海道では縄文時代から近世までほとんど 変化がみられなかったが、関東地方や東北地方では縄文時代から古墳時代にか けて著しく平坦性が増し、その後再び立体的になるという時代変化が認められ た。東北地方や関東地方において縄文時代から古墳時代にかけてみられた時代 変化は先行研究によって遺伝要因の関与が指摘されているが、古墳時代より後 の時代変化には環境要因も大きく関わっていることが明らかになった。
- 262 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/16(日) 11:54:18.63 .net]
- 環境要因で顔が立体的になるの?
遺骨が残る身分のサンプリングの違いな気がする。
- 263 名前:日本@名無史さん [2014/11/16(日) 17:30:03.31 .net]
- >>261
遺伝子的にも形質的にも >西日本弥生人と東北地方や関東地方の古墳時代人の類似性 が認められる、ということは、 崇神の四道将軍派遣以降、ヤマト王権がますます 関東、東北(といっても福島、宮城あたりまでだろうが) 及んだことの証左でもある。 文献的(記紀)にも一致する。
- 264 名前:日本@名無史さん [2014/11/18(火) 15:25:53.51 .net]
- 漢字以前の日本の歴史が曖昧なのは今の国境区分けでは受け止められない
入り乱れた状況があったからかも知れない
- 265 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/19(水) 19:55:15.07 .net]
- 文字のない時代の歴史が曖昧なのは当たり前だろう。
- 266 名前:日本@名無史さん [2014/11/19(水) 23:30:33.28 .net]
- 以前、>>73で
>三国史記の将軍「于道朱君(ウチシュクン)」が武内宿禰で葛那古は葛城襲津彦 って話があったけど、葛那古は5世紀に新羅征伐に半島に渡った蘇我韓子の可能性もなかろうか? 三国史記の時系列や編年があってるかどうかもきちんと検討されていないみたいだし、 新羅の記録や伝承の混乱、創作もありえると思う
- 267 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/23(日) 19:53:41.50 .net]
- >>261
専門家によって言い方が違うんだよな。 「近畿の人間は朝鮮人にそっくりだから遺伝的にも近いに違いない」 とかいう専門家と、この違いはなんなんだろ。
- 268 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/23(日) 20:35:18.60 .net]
- メスリ山古墳に登ってきた。
- 269 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/24(月) 00:02:05.15 .net]
- >>267
挑戦がらみとか武洛がらみとかになると学者も平気でころころ主張かえるよ 学者ってのは院生から這い上がるまで想像を絶する苦労してて 性格が捻じ曲がってるからな 血みどろでつかみとった地位を絶対捨てなくないと思うし。
- 270 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/26(水) 19:08:44.19 .net]
- どうでもいいことかも知れんが、古代の「ヤマト」は磐余地域ってのが定説
らしいけど、いつから定説になったんだろう? 奈良の人間なんだが、どうも違和感があるんだよなあ。 葛城山の麓の方がふさわしいというか。 両方含んでいたような気もするけどね。 そこに立って周りを見回すと、ここがヤマトタケルの故郷だと実感するんだ。
- 271 名前:日本@名無史さん mailto:uge [2014/11/29(土) 02:04:50.42 .net]
- >>262
環境要因でもなる そもそも寒地に適応して平坦顔になったんだから
- 272 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/29(土) 13:20:32.36 .net]
- 斉藤某が出雲でDNA調査をしたらしいな。
調査はいいけど、結論の導き方がいいかげんなんだよな。
- 273 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/12/01(月) 00:08:39.38 .net]
- ■古代の測量に関連するページ
www.geocities.jp/yasuko8787/0-0kodainosokuryou.htm
- 274 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/12/01(月) 23:44:26.78 .net]
- >>270
そういう説があるのはもちろん知ってるけど 別に定説になってるような感じもしないと思うけどな…? 元来のヤマトは奈良盆地の南半分なんじゃないの、普通に考えて。
- 275 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/12/03(水) 19:22:47.49 .net]
- >>274
そうか。 たまたまなのかなあ。最近読んだ本に2つもあった。 いつの間に定説になったんだ?と不思議で。 最近南の方へ行くようになって葛城山(含む金剛山)の存在感に圧倒される。
- 276 名前:日本@名無史さん [2014/12/05(金) 06:12:05.10 .net]
- ヤマト王権は最初は磐余を含む奈良盆地南東部、
それから葛城地方などの南西部を収めて、 崇神の時代以前にすでに奈良盆地全体を掌握していたのだろう。 のみならず、奈良盆地に近接する地域も婚姻によって、 勢力圏になっていたのは、妃の名(出身地)でわかる。 河内はもともとが物部氏が大きな勢力を占めていた。、 当初のヤマト王権は奈良盆地南東部を中心に河内をも収めていたから、 ますは南西部の葛城地方を支配下に置くのは、 当然の流れになるだろう。
- 277 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/12/05(金) 19:44:08.69 .net]
- >>233
>ここでいう結婚ってのはあくまで正式な結婚だろ 現代的な意味での「結婚」という概念は当時なかったと思うが そもそも当時に正室や妾という中国的な概念があったかどうかすら怪しい 通い婚が基本だし
- 278 名前:日本@名無史さん [2014/12/05(金) 22:41:22.64 .net]
- 側室がいたんだから正室は7年まって再婚したっておかしくないって言い分に
結婚という概念や正室や妾という概念があったかどうかわからないって返答は答えになってねーだろ たとえ側室が居ようと7年も待つ必要はないって答えればいいだけだろ
- 279 名前:日本@名無史さん [2014/12/06(土) 00:00:45.43 .net]
- 九州の幾何学模様壁画の古墳がまったく話題にならないのはなんでよ。
- 280 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/12/06(土) 00:01:53.98 .net]
- 文献の紀年が正しいか矛盾してるかのはなしをしてるんで、正室側室とか七年とかは本質じゃない。
- 281 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/12/06(土) 00:03:09.98 .net]
- >>279
異端の学者の領分だから。 常世に通じてたりヒルコが出てきたり。
- 282 名前:日本@名無史さん [2014/12/06(土) 06:30:33.54 .net]
- 鹿児島県の霧島温泉の近くに、「熊襲の穴」というのがあって、
洞窟の中に装飾古墳みたいな落書きが書いてある観光スポットがある。 装飾古墳って熊襲の文化じゃねえよな、とか思いつつ、 「西の正倉院」とか、観光のために捏造される地方史には辟易させられる。
- 283 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/12/06(土) 21:04:08.36 .net]
- 妃というのはあるが「皇后」という概念があったかどうかは分からんね。
天皇も皇后も、後に作られた用語だし。 中世の天皇の妃だって、出路に応じた身分が付くが、正妃というのは特に ない時期もある。 天皇家には、正妃と側室という区分けはないよね。 すべてが臣下であり、対等な関係はないんだろ。 唯一、天皇の娘を妃にした時はそれが第一婦人になるが。
- 284 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/12/06(土) 21:08:00.26 .net]
- >天皇家には、正妃と側室という区分けはないよね。
そんなことはない
- 285 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/12/07(日) 13:10:15.99 .net]
- >>283
桓武天皇とか源氏物語とか、母の出自と地位が問題にされる例はたくさんあるが。
- 286 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/12/08(月) 02:10:04.22 .net]
- >>283
古い時代になると天皇や皇族の母の名としてしか夫人の名が残らなかったらなのか、後の天皇を生んだ妃を後から皇后だったと呼んでる感がある
- 287 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/12/08(月) 19:52:56.16 .net]
- 成務天皇とか清寧天皇の皇后がいないことになってるのって、
子供がいなかったからその母親たる皇后も名前が伝わらなかったのかもね
- 288 名前:日本@名無史さん [2014/12/10(水) 08:20:24.71 .net]
- >>287
その二人は皇后を娶れる歳以前に亡くなったんじゃないか?
- 289 名前:日本@名無史さん [2014/12/10(水) 10:20:57.69 .net]
- >>283
古代大王家では皇族出身の大后が強い権力を持ち 皇位継承に第一の発言権を持ち夫の死後即位した例も多い 推古天皇、皇極天皇、持統天皇、すべて大后(皇后)出身 藤原道長らが娘の立后にこだわったのも 正后とその他大勢の女御更衣とではまるで妃の待遇も発言力も違ったため 室町時代には天皇家にも公家にも金がなく摂関家も娘の入内に消極的だった そのために正后が立てられず天皇のお手付き女官が次代天皇を産んでいた 江戸時代、明治時代にも正后とそのほかの側室たちとは全く扱いが違う
- 290 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/12/10(水) 10:25:22.35 .net]
- >>287>>288
成務天皇は子供いるよ 女子のみだが 母親の名前も記紀に書かれてある いずれも豪族の娘で皇后は立てられなかったようだ 清寧は41歳まで生きている 生まれつき白髪の虚弱体質でおそらく童貞で生涯を終えられた
- 291 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/12/11(木) 13:02:09.75 .net]
- うまくは表現出来んが、江戸時代の武家のような、御台所と側室というような
区別はないように見えるね。 将軍家が前田と伊達と黒田から妃を迎えているような感じ。
- 292 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/12/11(木) 13:06:11.79 .net]
- 后位についてもっとよく調べた方がいいんじゃね
- 293 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/12/11(木) 18:35:36.22 .net]
- 古墳時代のスレなのに、律令国家の制度や平安を引き合いに出すのって変。
- 294 名前:きんき創生クラブ mailto:kinki.sosay.club@gmail.com [2014/12/15(月) 09:38:53.54]
- 以下講演会紹介します
特別セミナー開催 飛鳥で新型古墳!! 奈良のピラミット・蘇我稲目の墓か?
実際に都塚古墳の発掘調査に携わってこられ、また飛鳥周辺数々の古墳の発掘にも加わられ飛鳥に精通されている 西光 慎治先生をお招きし、都塚古墳の発掘状況、明日香の古墳群 蘇我氏との関係についてお話いただきます。
日時:2015年2月7日(土)受付け開始 13:00〜 講演:13:30〜15:30 場所:TKP神田ビジネスセンター4F 401会議室 東京都千代田区神田美土代町3-2 講師:文学博士 西光 慎治 明日香村教育委員会・関西大学非常勤講師 参加費: 2,000円 申し込み:FAX 06-6533-3206 mail kinki.sosay.club@gmail.com (先着順、定員200に名になり次第締め切ります。) 問い合わせ:きんき創生クラブ (なにわ制作技研内) 06-6533-3206
naniwaseigi001.chobi.net/asukaseminar.html
- 295 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/12/27(土) 20:55:42.85 .net]
- 【文化】韓国で形象埴輪出土 日本から伝わった可能性 [12/25](c)2ch.net
yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1419514001/
- 296 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/01/12(月) 01:51:48.07 .net]
- ★各地の古墳時代男性頭骨の弥生・縄文判別関数値
(池田次郎・京都大学名誉教授による) +2.12…畿内 +1.47…南近畿 +1.08…四国 +0.76…東中国・西近畿 +0.70…西中国・北東九州 +0.51…関東・南東北 +0.40…北陸 -0.87…西南九州 ※+は弥生(朝鮮)側、-は縄文(アイヌ)側 ▼札幌医大・松村博文先生(兵庫県出身) www.frpac.or.jp/rst/sem/sem1721.pdf 『近畿人は胴長短足、朝鮮人も胴長短足』 『近畿人は短頭、朝鮮人も短頭』 『近畿人は乾燥耳垢、朝鮮人も乾燥耳垢』 『近畿人は耳たぶが痩せている、朝鮮人も耳たぶが痩せている』 『近畿人は髭が薄い、朝鮮人も髭が薄い』 『近畿人は一重まぶた、朝鮮人も一重まぶた』 『近畿人は蒙古襞、朝鮮人も蒙古襞』 『近畿人と朝鮮人は歯の形が同じ』 ▼形質学から求めた朝鮮人との遺伝的近似性(小浜基次・大阪大学教授による) 頭示数 比肩峰幅 比上肢長 比下肢長 蝦夷人 76.55 23.65 44.60 55.14 東北人 80.16 23.07 44.46 54.33 畿内人 84.98 22.67 43.99 54.23 朝鮮人 85.16 22.35 43.30 53.48
- 297 名前:日本@名無史さん [2015/01/25(日) 08:26:27.25 .net]
- 未盗掘の首長級墓から大量の副葬品!
宮崎県えびの市・島内地下式横穴墓群 www.nishinippon.co.jp/import/miyazaki/20150119/201501190002_000_m.jpg 宮崎県えびの市教育委員会は19日、同市島内の島内地下式横穴墓群から 2体の人骨と武具や装飾付き馬具など大量の副葬品を納めた 古墳時代中期末−後期初頭(5世紀末〜6世紀初頭)の未盗掘の墓が見つかったと発表した。 副葬品が土に埋もれずほぼ完全な状態で見つかるのは極めて珍しい。 朝鮮半島製とみられる大刀(たち)や、大和政権との関係を示す甲冑一式も出土しており 首長級の有力者が埋葬されたとみられる。 遺体を安置する墓の玄室(奥行き2.25メートル、高さ0.94メートル、幅3,1メートル)には 女性の遺骨1体と男性とみられる遺骨1体とともに、矢羽根周辺に黒漆を塗ったものを含む 約300本の矢や箱に入った状態の鏡など計400点を超える副葬品があった。 銀メッキで鞘などを装飾した銀装円頭大刀が出土したのは九州で初めて。 朝鮮半島=百済ないしは伽耶=で作られた物と様式が酷似しており半島製と判断できるという。 また衝角付冑と短甲、肩甲などが完全にそろって出土した甲冑は、 他の国内遺跡から出土した大和政権下で作られたものと様式が似ており、 大和政権との政治的関係を示している。 玄室が土に埋まらなかった為、馬具や大刀の柄に繊維や革など有機物も残っており 当時の製法や使用法の解明についても期待できる。 調査に当たった鹿児島大総合研究博物館の橋本達也准教授(考古学)は 「武器や馬具の特徴から埋葬された人物は朝鮮半島で軍事や交易の交渉に関わるなど 大和政権と政治的関係を持っていた可能性がある」と話している。 ソース 西日本新聞 www.nishinippon.co.jp/nnp/miyazaki/article/140283
- 298 名前:日本@名無史さん [2015/01/25(日) 08:32:17.15 .net]
- 妄想が膨らんできてるね〜
- 299 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/01/25(日) 17:53:22.10 .net]
- >>296
>『近畿人は胴長短足、朝鮮人も胴長短足』 > 『近畿人は短頭、朝鮮人も短頭』 > 『近畿人は乾燥耳垢、朝鮮人も乾燥耳垢』 > 『近畿人は耳たぶが痩せている、朝鮮人も耳たぶが痩せている』 > 『近畿人は髭が薄い、朝鮮人も髭が薄い』 > 『近畿人は一重まぶた、朝鮮人も一重まぶた』 > 『近畿人は蒙古襞、朝鮮人も蒙古襞』 >『近畿人と朝鮮人は歯の形が同じ』 これって東アジアの人種ならすべて当てはまるんじゃね
- 300 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/01/25(日) 20:38:07.29 .net]
- 手足が長い。
中頭 湿った耳垢且つワキガ 物凄い福耳 髭は普通 奥二重 蒙古襞は有るな 歯はコンプレックスなくらい小さい こんな俺でも東洋人で日本人だ。
- 301 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/01/28(水) 08:50:58.59 .net]
- 統計的特徴の話をしてるんだから、はずれ値は小さくなってなさい。
- 302 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/01/28(水) 09:45:02.86 .net]
- >>297
なんでもかんでも朝鮮半島製ってほんとかよ、とこのごろ思う。
- 303 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/01/31(土) 23:48:17.73 .net]
- 百済ないし伽耶という書き方も不思議であるよなあ
全然わかってない感がスゴイ
- 304 名前:日本@名無史さん [2015/02/01(日) 15:39:19.67 .net]
- 南九州の石積石室墓から発展したのが、前方後円墳だと思う。
外側は違うけど、中の構造がよく似てる。
- 305 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/02/02(月) 06:33:57.26 .net]
- 何か根拠があって「朝鮮半島製」とか「朝鮮半島から来た技術」とか言ってるのかな?
陽線半島の古い製鉄遺跡は発見されていない。 魏志東夷伝に書かれた記事のみが根拠とか。
- 306 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/02/02(月) 07:12:32.77 .net]
- >>296
人類学者が比較に持ち出す「朝鮮人」って、現代人ばかりな気がするなあ。 弥生開始期以前の朝鮮人と比較するならわかるけどさ。 半島南部に倭人が住んでいる、三韓には中国人が移住していると書かれているのに 混じった後と比較してもしょうがないんじゃないかな。 弥生文化が到来した時の遺跡の人骨と、その時代直前の朝鮮半島人が、人骨も 文化も全く同じってならだけど、そんあものはどこにも存在しないんだよな。 鉄は弁辰とかいうくせに、朝鮮で製鉄の遺跡なんか一つも出ていない。
- 307 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/02/02(月) 07:15:11.53 .net]
- 前方後円墳は吉備と出雲が合体説も怪しくなってきたね。
- 308 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/02/02(月) 09:36:53.15 .net]
- >>306
渡来系弥生人の頭蓋骨といって、北九州あたりにおいてある図があるけど、 渡来系というぐらいなら、同時代の半島の頭蓋骨を並べるくらいしろよ、とは思う。 なんていうか、学問的にしょぼい。
- 309 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/02/03(火) 08:11:10.55 .net]
- 絵になってたり比較で持ち出すのって、山口の土井ヶ浜の遺骨が多いんだよな。
あれって、弥生の平均とかじゃなくて、特殊なやつじゃん。 あたかも、「ここに流れ着いた渡来人がその後日本中に広まって弥生人になった」 かのように書いてる奴もある。 弥生時代がというか水稲稲作が始まって随分経ってからの遺跡なのに、未だに 弥生文化をもたらした渡来人そのものかのような扱いは変。 人類学者って考古学を馬鹿にしてるのか知らんが、前後関係とか文化とか 無視して、「人骨が縄文人と違うからこれこそが・・」みたいな決め付けを するから信用できん。
- 310 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/02/15(日) 18:06:12.39 .net]
- 大和古墳群の中でも、北の方の一群に興味があるなあ。
100m超えのがいっぱいあるんだよな。
- 311 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/02/15(日) 19:38:31.09 .net]
- 縄文人と弥生人の区分って使ってた土器による超ザックリしたものだから
人骨で判断なんて無理 割目遺跡みたいに途中から住民が縄文人から弥生人になった場合とかどうすんだって話
- 312 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/02/15(日) 19:43:11.30 .net]
- >>311
そこでいう縄文人と弥生人って、同じ遺跡で土器が混在してるって話? それとも人骨の話?
- 313 名前:日本@名無史さん [2015/02/23(月) 19:41:58.75 .net]
- 割目遺跡は縄文時代から弥生時代まで時代をまたいで存在した集落の跡だよ
途中からこの集落の住人は縄文土器から弥生土器を使う「弥生人」になったが 生活遺物は断続の跡が見られず縄文時代からいた人々の子孫とみられている
- 314 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/02/25(水) 13:50:58.43 .net]
- 古墳時代の豪族の館が南北朝時代の武士の館と同じに感じた
古代からぜんぜん発展してないのかね 三ツ寺T遺跡 www.ranhaku.com/web04/c4/1_04miniature.html
- 315 名前:日本@名無史さん [2015/02/27(金) 18:24:48.79 .net]
- >>313
つまり人骨の話じゃなくて土器の話ね >>309 いや、全国的なのは土井ヶ浜タイプのほうで、 吉野ケ里タイプのほうが北九州に局所的なものと聞いたが…?
- 316 名前:日本@名無史さん [2015/02/27(金) 20:03:38.85 .net]
- 南北朝の武士の館より古代の豪族居館のほうがレベル高いぞ
土台が高いし堀幅も広いし何げに横矢もあるからな
- 317 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/02/28(土) 13:39:18.86 .net]
- >>316
劣化してるのかw トイレとかどうだったんだろうね
- 318 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/03/08(日) 10:21:40.09 .net]
- 土井ヶ浜の方が例外だろ
- 319 名前:日本@名無史さん [2015/07/08(水) 08:51:14.68 .net]
- 【文化】東日本最古の古墳が壊される!? 卑弥呼と同時代...道路は本当に必要か [転載禁止]©2ch.net
daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1436311542/
- 320 名前:日本@名無史さん [2015/07/09(木) 15:54:19.42 .net]
- >>313
誰だったか学者が書いてたね。 遺跡が出た時に違いを強調するあまり、それ以前(縄文)からの伝統を軽く表現しすぎた というようなことを。実際は、伝統的な縄文の文化にちょっとだけ新しいもの が加わるだけらしいけどさ。 新しいものだけを取り上げると、あたかも渡来人がやって来たかのような印象を 受けるんだよな。支石墓なんかはまさに朝鮮半島からの到来文化だと思うけど、 埋葬されていた人骨は縄文人っぽいとか。 ここらへんが、発掘する考古学者は全体を見てるようだけど、人類学者とかは 一部だけを取り上げて自説に都合よく解釈しているとしか思えないんだよ。 松菊里型の住居跡も、それが出てきたことしか書いてないと、渡来人だけのムラ が本州一帯に進出したような印象になるんだよ。
- 321 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/07/09(木) 21:42:24.11 .net]
- 神戸女児殺害事件 宗教 ←絶対検索するな!
www.youtube.com/watch?v=976we5VS9Is www.youtube.com/watch?v=XCPrileOmPE www.youtube.com/watch?v=DziSsepgGnQ www.youtube.com/watch?v=aAD7LoFLdiY
- 322 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/07/09(木) 23:22:25.21 .net]
- 古墳ギャルのコフィーというアニメがあってだな…。
あれは衝撃的だった。
- 323 名前:日本@名無史さん [2015/08/02(日) 20:56:29.16 .net]
-
お世話になります。 私、責任者の加茂と申します。以後、宜しくお願い致します。 www.apamanshop.com/membersite/27009206/images/kamo.jpg 浪速建設様の見解と致しましては、メールによる対応に関しましては 受付しないということで、当初より返信を行っていないようで、今後につい てもメールや書面での対応は致しかねるというお答えでした。 このように現在まで6通のメールを送られたとのことですが、結果一度も 返信がないとう状況になっています。 私どものほうでも現在までのメール履歴は随時削除を致しております ので実際に11通のメールを頂戴しているか不明なところであります。 s-at-e.net/scurl/common-list2.html
- 324 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/08/02(日) 22:31:30.67 .net]
- まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww 縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、 稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。 同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、 小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が 初めて裏付けられる資料」としている。 inoues.net/science/wan.html 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
- 325 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/08/02(日) 22:31:59.99 .net]
- まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww 岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の 考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が 行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。 このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の 下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。 www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
- 326 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/08/04(火) 01:16:09.70 .net]
- うちの所有する山に古墳らしきこんもりした盛り上がりがあるのですが確信はできないので放置してます。こういうのって何処かに言えば古墳か調べて貰えるのでしょうか?すぐ近所には邪馬台国の時代の古墳もあるので何となくロマンを感じてます…
- 327 名前:日本@名無史さん [2015/08/07(金) 22:36:59.96 .net]
- >>318
は? 何を根拠にいってんの?
- 328 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/08/07(金) 22:51:38.70 .net]
- >>326
地元自治体の教育委員会の埋蔵文化財担当部署へ行って遺跡地図を見せてもらえ すでに古墳として認知されているならば遺跡地図に表示されているはずだ 遺跡地図に載っていなかったら担当者に古墳らしいものがあると話して、見に来てもらえばいい 考古学を学んだ人間ならば人為的に造られた遺構なのか自然地形なのかはだいたい見ただけで判別できる
- 329 名前:日本@名無史さん [2015/08/10(月) 12:52:05.93 .net]
- >>326
邪馬台国時代の古墳が有るってすごいね。 全国でも数少ないのに
- 330 名前:日本@名無史さん [2015/08/10(月) 14:24:18.45 .net]
- 古墳とアレって言うブログ?でうちの土地の古墳が載ってる…。絶対許可とってないしぜひ見学をとか書いてあるし迷惑だ。でも土地バレしてるから嫌がらせされても困るし。愚痴です、すみません。
- 331 名前:日本@名無史さん [2015/08/12(水) 13:41:22.64 .net]
- 土井ヶ浜は、あれこそが難破して漂着した徐福一団の一部じゃあなかろうか。
- 332 名前:日本@名無史さん [2015/08/17(月) 14:15:36.32 .net]
- >>331
時代があわない。却下
- 333 名前:日本@名無史さん [2015/08/18(火) 19:28:59.52 .net]
- >>329
つか邪馬台国の時代って古墳時代?弥生時代? 弥生時代なら古墳じゃなくて弥生墳丘墓だよね、実質同じかもしれんけど
- 334 名前:日本@名無史さん [2015/08/18(火) 23:49:46.04 .net]
- >>290
ワカヌケ皇子とか男子もいたろ
- 335 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2015/08/19(水) 00:08:26.42 .net]
- 古墳時代・・それは、国譲りで敗北した先住出雲族の誇り・・それが、古墳である。
古墳の建造、神社の修復は、先住出雲族のみの技術だった・・。 出雲大社の修復は、古来より杵築大社の元々の司祭家である神門臣家の者しか修繕改修を許され無い神聖に職業。 また、南関東国造家を記紀では、三字以音(散自出雲)と自称する者たちが、東京湾周辺の神門古墳群を形成した。 この、南関東国造を島族と言い、親筋が、伊勢志摩の志摩国造家に当たり、この志摩国造家の島(直)氏=斯摩宿禰将軍と言い 斯摩宿禰が神門臣家の子筋の先住出雲族とされており、南関東の散自出雲族の親が神門臣家で一致する。 東海道上の古墳群は、この散自出雲族=島族が造ったと、ほぼ、断定可能なのです。
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