- 1 名前:日本@名無史さん [2014/08/05(火) 22:00:32.53 .net]
- パート2立てました。
前スレ awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1384515586/
- 226 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/03(月) 14:38:11.17 .net]
- 第一皇后の狭穂姫は垂仁天皇即位後2年目
第二皇后の日葉酢媛命陵は即位後15年目 即位したのが30として45歳
- 227 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/03(月) 15:42:31.58 .net]
- >>225
見たいと思ったら奈良かよ…。さすがに東京からはいけねぇな
- 228 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/03(月) 16:40:43.82 .net]
- >>226
140歳を信じるのか。驚きだ。 サホヒメが死ぬ前に言い残したんだから、その時にお年ごろですぐに 嫁にもらったと普通は考えるけどな。
- 229 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/03(月) 19:50:49.14 .net]
- 『釈日本紀』に引く『尾張国風土記』逸文では誉津別皇子は7歳になっても話すことができなかったとある
即位したのが30歳とする 狭穂姫との婚姻を即位直後(日本書紀は2年目)として 誉津別が生まれたのが32歳、7歳の時に垂仁は39歳 狭穂彦の乱直後(日本書紀は10年後)日葉酢媛と婚姻したとしても39歳 日葉酢媛2皇子・2皇女を産んでいる(15年以上か?)ので垂仁39歳〜54歳 十分晩年と言える
- 230 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/04(火) 21:43:08.20 .net]
- なんで7歳で乱になるのさ。
乱の時に生まれてすぐと書いてあるじゃん。
- 231 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2014/11/04(火) 23:18:17.37 .net]
- 日本書紀には誉津別命は壮年になるまで話さなかったとある
日本書紀を信じるなら誉津別命は30歳以上 尾張国風土記逸文を信じるなら7歳以上生きたことになるね
|
![](http://yomi.mobi/qr.gif)
|