- 915 名前:ピリア [2019/04/11(木) 02:14:19.57 ID:jhi3iQXs.net]
- 順番だ。こういうのには多分順番がある…。役を降りても、誰かがすぐに代りを演じ始める。どうりでこの世からなくならねぇわけだ…。
いやはや。まったくもって。 サネスの役は汚れ役だったが、 これはクーデター編全体のテーマだと思う。 壁の外に出るには、遮るものを越えて自由になるには。 中心で引きつけるもの、王をなんとかしなくては。 …でも、王様ってそもそもなんだろう、 どうやったら越えたことになるんだろう、 と諌山創は相っ当考えながら描いたんじゃないかなー。 ちょっとあのへんごちゃごちゃしてるとこもあるもんな。 アニメでは良く編集されて見やすくなってる。 王という役。 それ自体を廃止、破壊するのはあまり望ましくない。 国という総体は、人という集団は、なんていうか、 中心をもって回転したい、みたいな本能、希求、機能をもっている。 waになって踊ろう、っていう曲があるけど、 あれ歌詞ほぼサビ以外意味ないのに流行ったよね〜。っていうかサビにこそ魔法がある。 輪になって踊る。 これは世界中で、人類普遍で、自然発生的にみられる原始祭事の基本的な形だ。 人の輪の中心には火を焚いたり棒を立てたり、 大岩や祭壇があったり、色々だ。 人がいることもある。祭祀、指揮者だ。 円形か、まあ半円形だったりもするけど。 それが象徴だ。回転の中心、そういう意味だ。 これは総体の意識が必要としてる基本的な形なんだろうな。 だから中心という役の、中の人は、役者は、 入れ替え可能なユニットということになる。 そして、誰かがその位置につかなくては、という見えない力が働く。 集合的無意識の力だ。
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