- 820 名前:名無シネマ@上映中 mailto:sage [2008/06/20(金) 12:07:52 ID:d7tkGn2t]
- ミッションインポッシブルでもなんでもいいけど、こういう「計画を成功させられるか否か映画」っていうのは
普通は観客も登場人物も「そんなことは無理だろ」と考えている作戦を遂行するものだろ。 誰もが「ふーん、それは成功するだろうね」と思うような作戦が描かれることのほうが圧倒的に少ない。 だから、本筋のリアリティと枝葉の部分のリアリティというのが違ってくるのが当然なんだよな。 「本筋も枝葉も同じリアリティがなければならない」ということになると、どんな映画でも 「そんな無理な作戦を選んだ時点でリアリティないよね」ということになる。 「金が必要だったから」「プライドがあったから」と言われたって、「命より金が大事なの?」「プライド捨てれば?」と 言われればそれまでだ。 この映画の本筋は「俳優を操って、ボスを騙し通せるか否か作戦」なわけだ。 これが起きなければそもそも映画が成立しない。だから、若干の無理矢理があろうとも事件を起こすためには リアリティのハードルは下げられて当然。 次に、この本筋を生かすための枝葉の部分だが、枝葉の部分のリアリティは徹底して「本筋と矛盾しない」ことが必要になる。 「本筋と矛盾しない出来事だけを積み重ねる事によって、本筋の嘘が生きてくる」のである。 「大きな嘘をつきとおすには、細部にこだわらなければならない」というのはこういうことを言う。 つまり「本筋のリアリティ=低くても構わない」「枝葉のリアリティ=本筋と矛盾しないことの積み重ね」なんだよな。 「本筋が無理矢理なんだから、枝葉も無理矢理でいいじゃん」では映画は成立しない。
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