- 586 名前:名無シネマ@上映中 mailto:sage [2008/06/18(水) 13:39:54 ID:vu1txPjH]
- >>582
> それは三谷映画だけではなく、ファレリー兄弟だって、 ファレリー兄弟の場合は、たとえば「メリーに首ったけ」においては「メリーがどれだけ魅力的か」ということは ストーリーの最大テーマですから、「メリーがどれだけ魅力的か」を数多く重ねることこそがその映画の全てです。 というよりも「メリーの過剰な魅力」の描写の繰り返しこそがあの映画そのものになっているわけです。 しかしこの映画において、惚れた腫れたのお約束は導入部だけのもので、途中から明らかに「映画愛」 「映画とは、人生とは」というようなものがテーマになってきますので、惚れた腫れたのお約束に時間を費やしても、 テーマとは直結しなくなると思うんですよね。 > 三谷が範とするワイルダーだってルビッチだってやってること。 > そうした人たちの映画を見ると、説明が冗長ではなく説明こそが面白くなってるでしょ。 これは時代だと思います。 40年代頃の映画の観客と、21世紀の観客は、「映画とは何か」「フィクションとは何か」「お約束とは」ということについての 認識が異なると思います。「お約束」を「お約束」として、説明なく受け取れる度合いが強いのは現代の観客の方でしょう。 僕自身は、テーマに直結しない枝葉のエピソードは、それ自身がギャグやネタなどになっていれば楽しめますが、 「余談ですが、裏ではこんなこともあったとさ」というようなエピソードには冗長性を感じることもあります。
|
|