- 805 名前:名無シネマ@上映中 mailto:sage [2010/03/08(月) 18:49:09 ID:c5YG7RxC]
- >>796
美しさというのは原作で「美貌」って設定だから、売り文句の一つだけど、 映画で描いてるものはそれではないと思う。 よく、原作を読んでない人の感想や原作をうろおぼえの人の感想で 「ドロドロした内面が見たかった」というのがあるけど 原作の葉蔵って、むしろ他人との衝突や「ドロドロ」になることを恐れて、 そうなりそうになると逃げて死のうとしたり 逃げて、逃げた果てに廃人になった気がするんだよね。 自分の意に反しても両親に否やと反発したことはなく、ただ一度の反抗が 堀木に「君が持って来たらいいじゃないか!」と声をあらげたことだけで、 他人のいうなりにもならないけど、他人に反抗もできない。 他人の態度に敏感だから、他人を故意に傷つけたくたくない、非暴力不服従みたいな。 ただ、他人の顔色をうかがって、逃げ続ける生き方。 自分の臆病な本性がばれやしないかと怯えながら、 皆が自分に優しくしてくれるのを不思議がってる。 「神に問う。信頼は罪なりや。」 「神に問う。無抵抗は罪なりや?」 こういう人間だから、どうしようもない生き方をしても、まわりからは無垢に見えて 「とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、 いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」につながるんじゃないかと そう考えると、映像化された葉蔵はありだと思う。 これは自分の原作の解釈だけれども。
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