- 824 名前:日本@名無史さん [2005/10/26(水) 00:07:58 ]
- >>749
「親王家の当主は・・」 江戸時代は明治以降のように、天皇の孫までは自動的に親王位が与えられるのではなく、 四親王家の宮達は天皇の猶子となり、親王宣下を受けた。これは当主の宮のみならず兄弟達も、 門跡寺院に入室する時、同じく天皇の養子(後述)となり、親王宣下を受けた。 親王宣下を受けて後得度した親王を入道親王、得度した後に親王宣下を受けた親王を法親王と言った。 「天皇の養子・・」 親王家の当主は正確には養子ではなく、それより軽い「猶子(ゆうし)」となる。 逆に門跡寺院に入室する宮は前述したように「養子」となり、典侍か掌侍の中から御母儀(仮の母)が決まる。 「将軍かその連枝・・」 将軍の兄弟いう意味で綱吉や綱重を連枝と言っても間違いではないが、 狭義の意味において、大名の家格では、御三家の分家である、高須(尾張)、西条(紀伊)、 高松・府中・宍戸・守山(水戸)の各松平家を「御連枝」と呼び、 越前家や会津家の各松平家の「御家門」とは区別している。
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