- 582 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2005/07/24(日) 19:31:16 ]
- 方子氏については年齢が昭和天皇と同い年だったという点で少し不利ではあったとはいえ、一條朝子姫と
並んで一応3大候補のうちの一人として名前が取りざたされていたようです。 それが、検査で方子氏は子供が産めない体だと診断が下され(この診断にも政治的力学が働いてるので しょうが)、皇太子妃の候補から決定的に外れたと書かれてたりしますよね。 そして、子供が産めない方子氏を李殿下に嫁がせれば、李王家宗家の血を絶やせると考えた政府の中の 人間の画策によって、方子氏の縁談話がすすんだとこれもいくつかの本に書いてあったように思います。 当時の日本では朝鮮は日本と同じ国である状態がずっとつづくと考えられていたわけですし、朝鮮のかた といっても王家ですからそれなりのステータスはあった筈で、今振り返って考えるほど李王家に嫁ぐという ことが不幸な事だと認識されていたかはわからないとはいえ、宮家のほうから積極的に望むというのは なんとなく考えにくいように思うのですが。
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