1 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/24(土) 01:05:20.70 0] スワヒリ語圏の歴史、文化について語るスレです。 対象地域は現在スワヒリ語使われている地域、 かつて使われていた地域です。 また、スワヒリ語圏だけだとネタが少ないので、他のバントゥー語群(ショナ語や ズールー語など)の話もあっていいかと思います。 主な対象国、地域: タンザニア、ケニア、ウガンダ、紅海南部、アラビア半島南岸、ペルシャ湾岸、コンゴ民主共和国、 ルワンダ、ブルンジ、ソマリア、コモロ、モザンビーク、マラウイ、マヨット島等
2 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 09:04:22.37 0] 今じゃ、中東側はスワヒリ語まったく使われて無いんだよね? ソコトラ島辺りで話されていたらおもしろかったんだけど。
3 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 09:10:46.72 0] スワヒリ語って、使用人口増えてるの?減ってるの?
4 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 09:13:46.24 0] オツガイが来るとスレが伸び、こないと伸び悩む法則
5 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 09:28:57.67 0] スワヒリ文明って、ブラックアフリカでは珍しく文字があったんだから、 ヨーロッパ人が来る前の記録もいろいろ残ってて良さそうなもんなんだが、 アフリカ史の本読むと、他の地域と同じぐらい大雑把なことしか書いてないよね? あんまり研究が進んで無いだけなのかな。
6 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 09:36:59.51 0] インド洋の歴史 logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/whis/1253671468/
7 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 09:48:13.19 0] >>5 長期的に記録を残したいような場合は、アラビア語で書いたんじゃないの? スワヒリ語って商業言語だし。 16Cのキルワ年代記だってアラビア語で書かれてるしね。
8 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/24(土) 09:51:35.10 0] 東アフリカはえらい人口爆発地帯のようですが、スワヒリ語も増えるのだろうか
9 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 09:53:13.48 0] そうなの? どの国の人口が増えてる?
10 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/24(土) 10:05:25.15 0] スワヒリ首都たるザンジバルのあるタンザニアは増加率2-3%、近年でも下がらない状態 なのでこのままだと数十年で2億とか3億になっちまうとか
11 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 10:19:41.60 0] 先頭に立ってスワヒリ語を普及させているタンザニアの人口が増えてるんなら、 当然スワヒリ語人口は拡大だろうな。
12 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 10:39:49.14 0] ここに出てくる『キルワの慰めの書』って初めて聞いたんだけど、 キルワ年代記とはまた別に、そういう記録があるんだろうか? kokkaron.web.infoseek.co.jp/2003_rep.html
13 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 11:51:18.05 0] 関連スレ 【サハラ以南】アフリカ史総合【ブラックアフリカ】 awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1296298389/l50
14 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 11:57:33.87 0] イスラム世界って南はどこまで知られてたん? 喜望峰を周航したのは本当にヴァスコ・ダ・ガマが最初なのか?
15 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 12:31:09.78 0] ヴァスコ・ダ・ガマは単に、キリスト教徒で最初ってだけ。
16 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 15:08:45.39 0] これいいよ。 これだけの情報をただで公開してくれているのはありがたい。 旧海洋イスラーム王国キルワ島にみるスワヒリ海村の構造 ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/10227/1/ キルワ島スワヒリ海村.pdf
17 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 15:17:16.18 0] >>11 あとは、スワヒリ語を積極的に採用する国が増えるかどうか。
18 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 16:22:06.39 0] ペルシャ人、ペルシャ語文化圏の歴史 awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1329219743/l50
19 名前:世界@名無史さん [2012/03/25(日) 14:07:16.54 0] 気 あ を の 付 民 け 元 主 .ろ 朝 党 鮮 .員 人 圖 ∧_∧ ( ´∀`) ( ○ ) 280 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 12:26:01.31 ID:sGoAT50E 三年前ごみんすに投票した連中、今どんな気持ち? 287 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 12:27:00.18 ID:P8V2Yy+50 >>280 橋下様なら何とかしてくれるとお経上げてるよ。 09年の選挙では 民主なら誰でもよかった 今度の選挙では 維新なら誰でもよかった 幾らB層でも流石にこうはならないな
20 名前:世界@名無史さん [2012/03/26(月) 16:29:39.05 O] オツガイ流石に守備範囲外か
21 名前:世界@名無史さん [2012/03/27(火) 10:06:31.61 0] >>7 >長期的に記録を残したいような場合は、アラビア語で書いたんじゃないの? >スワヒリ語って商業言語だし。 やはり表現力でだいぶ劣るのかねぇ。
22 名前:世界@名無史さん [2012/03/27(火) 10:32:49.11 0] 571 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/01/27(金) 21:38:12.17 0 イスラーム化した海岸諸民族は、他の民族と区別されアラブ人と同一の社会を構成した。 その場合14?15世紀に薄いスワヒリ語を媒介とした連帯が16世紀に完成したと見なす。
23 名前:世界@名無史さん [2012/03/27(火) 13:37:44.96 0] スワヒリ文明って言い方もあるんだねぇ。 初めて知った。
24 名前:世界@名無史さん [2012/03/27(火) 16:07:41.79 0] 単に言語だけでは無い、共通の文明基盤があるってことなのかな?
25 名前:世界@名無史さん [2012/03/27(火) 19:17:07.35 0] アフリカの言語2 awabi.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/1330324412/l50
26 名前:世界@名無史さん [2012/03/27(火) 21:15:05.68 0] >>24 文明基盤とまではいかなくても、いろいろと共通点は多かったのだろうね。
27 名前:世界@名無史さん [2012/03/28(水) 10:00:01.61 0] >>1 ショナ語と言うと、ジンバブエ、モザンビーク、ザンビア、ボツワナ ズールー語というと、 南アフリカ共和国、ジンバブエ、レソト、マラウイ、モザンビーク、スワジランド だから、かなり広範囲だね。
28 名前:世界@名無史さん [2012/03/28(水) 15:33:37.56 0] ジンバブエ awabi.2ch.net/test/read.cgi/africa/1228299733/l50
29 名前:世界@名無史さん [2012/03/28(水) 18:44:07.55 0] 81 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/02/02(水) 12:20:26 0 それとオマーンは半島起源だが、一時期はザンジバルの方が栄えていたらしい。 1960年代のアラブ人追方騒動以来はアラブの影響激減したろうとおもうけど。 85 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/02/02(水) 13:39:03 0 >>81 サイイド・サイードの時代には、ザンジバルを拠点とし、ソマリアの南部からケニア、 タンザニアにかけての沿岸部を支配していたな。 この時期の東アフリカでは、沿岸部の港町と内陸を結ぶ通商がいっそう盛んになった。 またサイードは、通商以外の経済の育成にも熱心で、クローブの木を導入して 栽培させ、これが輸出されて多くの利益をもたらした。 1834年のイギリスの報告書によれば、サイードの歳入は年25万ドル(マリア・テレジア銀貨)で、 うち15万ドルがザンジバルからのものであり、本国マスカトからのものは10万ドルでしかなかった。
30 名前:世界@名無史さん [2012/03/28(水) 19:57:40.69 0] >>21 スワヒリ文化の土台は、12〜13世紀に形成されたと考えられているけど、 スワヒリ語の文献で現存しているものは18C以降なんだよね。 大体その時代に、アラブ人とアフリカ人の間のコミュニケーション言語 としてスワヒリ語は重要度を急激に増してきた。
31 名前:世界@名無史さん [2012/03/28(水) 20:15:07.87 0] 現存している最古のスワヒリ語文献は、インドのゴアで発見された書簡文。 1711年〜1728年にキルワから送られたものと推定されていて、アラビア文字で書かれている。
32 名前:世界@名無史さん [2012/03/28(水) 20:23:52.52 0] タンザニアでも、ケニアでも、スワヒリ語人口と言うのは少数派なんだよね。 少し古くて1972年の資料(Black Africa A comparative Handbook)だけど タンザニア: スクマ語 141万 ヤオ語 123万 ジグア語 69万 スワヒリ語 64万 ケニア: ギクユ語 189万 ルオ語: 139万 ルヒヤ語: 129万 カンバ語: 109万 スワヒリ語(海岸地域その他のバンツー語を含む): 50万
33 名前:世界@名無史さん [2012/03/28(水) 20:44:54.47 0] 『エリュトゥラー海案内記』にも、この地域のことは結構出てくるよね。
34 名前:世界@名無史さん [2012/03/28(水) 23:29:14.04 0] エリュトゥラー海案内記があるのはありがたいとして、そのあとは15世紀まで何も記録が無いのが寂しい。
35 名前:世界@名無史さん [2012/03/28(水) 23:36:35.62 0] 三大陸周遊記が、14Cのキルワについて書いてくれてるだろ。
36 名前:世界@名無史さん [2012/03/29(木) 09:41:12.57 0] オマーン国 (the Sultanate of Oman) Part.1 ikura.2ch.net/test/read.cgi/news5/1327170229/
37 名前:世界@名無史さん [2012/03/29(木) 11:48:29.22 0] スワヒリ語は商業用語としてだけではなく、文学にもかなり盛んに使われてるよ。 現存するスワヒリ詩の最古の写本は、『タブクの戦いの書』(1728年)
38 名前:世界@名無史さん [2012/03/29(木) 11:55:35.80 0] フレディー・マーキューリーがいなかったら、ザンジバルは今ほど有名な地名じゃなかったかもな
39 名前:世界@名無史さん [2012/03/29(木) 12:05:25.66 0] >>34 鄭和の艦隊が遠征したときの記録もあるし。
40 名前:世界@名無史さん [2012/03/29(木) 13:45:24.80 0] ザンジバルって、元々はポルトガルの拠点だったってことでいいんだろうか? それがどのようにしてオマーンの拠点に移り変わったり、またイギリスのものになったのか、 ざっくり流れを語ってくれる人がいるとありがたいんだが。
41 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/29(木) 15:41:26.56 0] >>38 パールシー(在印ゾロアスター教徒)がイギリス統治の後ろ盾でザンジバルいってただけだからなぁ。 当人はどれくらい郷土意識があったものなのか・・・
42 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/03/29(木) 20:32:27.93 0] >>40 オマーンとザンジバルの関係はここのサイトが詳しいよ。 ザンジバル共にオマーンの歴史もわりと詳しく書かれてる。 www.kaho.biz/at.html
43 名前:世界@名無史さん [2012/03/29(木) 21:37:48.26 0] 四十五分戦争に燃えるな!
44 名前:世界@名無史さん [2012/03/30(金) 16:57:32.70 O] >>42 ありがとう。いろいろ勉強になった
45 名前:世界@名無史さん [2012/04/01(日) 09:15:36.90 0] マーチンは、ラム群島の歴史案内書『過去の探求』の中で、10Cの ペルシャ湾の船乗りの伝承として次の話を紹介している。 ある船乗りがオマーンから船出し、恐るべき嵐にあって黒人国(ジンジ)の浜辺に打ち上げられ、 黒人たちによって彼らの王のもとへ連れて行かれた。 姿のよい王は船乗りたちの話を聞き、難破船の荷を自分の土地で商うようにとすすめる。 そして船の修理も終わり、船乗りたちが立ち去る日に、別れを告げるためにみずから船を訪れた。 そこで王の立派な装束が奴隷ひとりの値よりもずっと高いことに気づいた船乗りたちは、 欲心をおこして彼を連れ去ってしまう。 それから何年かの後、くだんの船乗りの船はふたたび漂流し、ジンジの土地にたどり着き、 自分たちが奴隷として売ってしまった あの王を玉座に見出して仰天し、もはや命はないものと覚悟をした。 ところが、王は憎むべき誘拐者たちを、前にも増して歓待するのだった。 王は、メッカ巡礼者の従僕に売られた後、カイロへ行く隊商に加わり、そこで逃亡してナイルを遡り、 ジンジの国へ戻ったのだと話す。 そして、自分がイスラムに改宗したことを告げて言った。 「アラーはわしに微笑を給うた。ジンジの国で、わしほどアラーの恵みに浴したものはいないだろう。」
46 名前:世界@名無史さん [2012/04/01(日) 09:26:52.87 0] シンドバットの話のなかで、この地方のことを伝えた話ってどれになるんだろうね?
47 名前:世界@名無史さん [2012/04/01(日) 14:11:04.99 0] >>41 港湾都市の住人って、どこでもそんなもんでしょ?
48 名前:世界@名無史さん [2012/04/04(水) 17:36:18.32 0] www.ustream.tv/recorded/21515843
49 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/04(水) 19:44:58.81 O] ザンジバルは交易が盛んってきくけど商品は何を扱ってたの? 奴隷?
50 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/04(水) 20:42:31.85 0] 香辛料の丁子(クローブ)でしょう。 さすがに20世紀に奴隷貿易を大々的にはやっとらんて。
51 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/04/04(水) 23:48:17.52 0] >>49-50 オマーン領だった時代は奴隷と象牙が主な交易品だったらしいね。 イギリス領になってからは奴隷制も廃止されたらしいけど。
52 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/05(木) 01:54:45.98 0] >奴隷と象牙が主な交易品 いかにもアフリカって感じの品目だなぁ・・・
53 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/05(木) 19:08:13.04 O] マダガスカルって旨味の無い土地なのかなあ 近代までどの国も領有しなかったし。 ヒットラーがその気になればユダヤ人の島になったかもだけど
54 名前:世界@名無史さん [2012/04/05(木) 19:33:16.58 0] ユダヤ人も結構その気になって狙ってたろう
55 名前:世界@名無史さん [2012/04/05(木) 23:28:06.54 0] オマーン海上帝国ってなかなか惹かれるけど、なんせ期間が短いんだよなぁ。
56 名前:世界@名無史さん [2012/04/06(金) 09:02:24.39 0] >>53 いや、アフリカの大半は1870年ぐらいまで(欧米の)どの国にも領有されてなかったんだが。。。
57 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/06(金) 12:17:28.68 O] >>56 結局フランス領になったんだっけ
58 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/06(金) 12:19:39.78 0] >>55 ティムール帝国なみの一代の徒花だからなぁ・・・ シャー・ルフのいないティムール帝国みたいなもん。
59 名前:世界@名無史さん [2012/04/06(金) 17:48:41.15 0] オマーンの歴史自体はそれなりに長い。 ただ最盛期が短かったということで、ポルトガルに近いものを感じる。
60 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/06(金) 20:16:34.29 0] オマーン国 (the Sultanate of Oman) Part.1 [イスラム情勢板] ikura.2ch.net/test/read.cgi/news5/1327170229/134 134 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2012/03/06(火) 02:19:14.33 ID:6SJQ9Uxr Oman–United States relations - Wikipedia, the free encyclopedia (オマーン-アメリカ合衆国関係) en.wikipedia.org/wiki/Oman%E2%80%93United_States_relations > Oman was the first Arab nation to recognize the United States, sending an envoy in 1841. オマーンは、アメリカ合衆国を承認した最初のアラブ国家であり、1841年に使節を送っている。 > The United States has maintained relations with the Sultanate since the early years of > American independence. A treaty of friendship and navigation, one of the first agreements > of its kind with an Arab state, was concluded between the United States and Muscat in 1833. アメリカ合衆国は、独立して間もない頃から、このスルタンの統べる国との関係を持ち続けている。 1833年には、アラブの国と結ぶ条約としては初めてとなる和親と航海に関する条約が、合衆国と マスカット政府との間に締結された。 > This treaty was replaced by the Treaty of Amity, Economic Relations, and Consular Rights > signed at Salalah on December 20, 1958. 1958年12月20日、「親善、経済交流、領事権に関する条約」がサラーラで署名され、前述の 和親と航海に関する条約に取って代わった。 > External links (外部リンク) > * Embassy of Oman - Washington, DC 在米オマーン大使館 [omanembassy.net/] > * Embassy of U.S.A. - Muscat 在オマーン米大使館 [oman.usembassy.gov/]
61 名前:60 mailto:sage [2012/04/06(金) 20:17:10.50 0] オマーン国 (the Sultanate of Oman) Part.1 [イスラム情勢板] ikura.2ch.net/test/read.cgi/news5/1327170229/135 135 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/03/06(火) 02:36:17.10 ID:??? >>134 欧米列強からの開国要求をオマーン全盛期の頃の君主 サイード・ビン=スルタンの治世に迎えられたというのは、 幕末で混乱していた日本とは違って、実に運が良いな。 サイード・ビン=スルタンの死後、後継者問題で揉めて、 マスカット政府とザンジバル政府が分離してしまったが、 もしそうならずに済んでいたら、日本よりも先に列強の 仲間入りを果たしていたかも知れない。
62 名前:世界@名無史さん [2012/04/06(金) 20:21:16.50 0] まさか、スワヒリスレがこんなに盛り上がるとは思わなかったw
63 名前:世界@名無史さん [2012/04/06(金) 20:30:16.62 0] 131 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/02/11(土) 19:27:02.10 0 ザンビアの伝承ではカルルという兎がいて、狡猾なキャラとして描かれている。 アメリカでも一部地域では兎を見かけることは不吉とされているが、黒人奴隷 からアフリカの俗信が伝わったから、という説がある。
64 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/06(金) 21:25:41.61 0] >>62 しかも、ケニアとタンザニア以外の話題の多さにもビックリwww
65 名前:世界@名無史さん [2012/04/06(金) 21:35:07.81 0] 以外っても、ほとんどオマーンじゃね?
66 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/06(金) 21:46:55.37 0] そう言えばそうだなwww
67 名前:世界@名無史さん [2012/04/06(金) 21:53:01.60 0] >また、スワヒリ語圏だけだとネタが少ないので、他のバントゥー語群(ショナ語や >ズールー語など)の話もあっていいかと思います。 と言ってるのに、そっちは全くレスが無いw
68 名前:世界@名無史さん [2012/04/06(金) 22:28:03.18 0] なんと、いつの間にかイタリアスレをレス数で抜いていたw
69 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/06(金) 22:41:11.37 0] アラブの航海者イブン・マジードもスワヒリ語を話せたのかな?
70 名前:世界@名無史さん [2012/04/06(金) 22:45:00.50 0] 時代的に見て微妙かな。 17Cなら確実に話せたと思うが、16C初頭だと、そこまでポピュラーじゃなかったかも。
71 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/07(土) 00:14:47.93 0] >>69 著作はアラビア語ばかりだから、片言くらいじゃないかな?
72 名前:世界@名無史さん [2012/04/07(土) 09:09:55.71 0] その時代、スワヒリ語は文章を書くための言語として確立していなかったから、 著作がアラビア語かどうかは判断材料にならないよ。
73 名前:世界@名無史さん [2012/04/07(土) 10:04:11.40 0] >>68 イタリアが過疎り過ぎなんだよ。 イタリアの古代はローマ帝国になってしまう分、他のヨーロッパの国に比べて歴史が短くなってしまうせいかもしれんが。
74 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/07(土) 10:35:35.47 0] >>73 他のヨーロッパの国だって歴史短いよ。それぞれようやく国家としての態をなしたのは、 西ローマ帝国崩壊以後にフランク王国矢なんかが台頭しはじめたころだろ。 それ以前でローマが健在なころは、ゲルマン人やローマ化が進んでないケルト人など、 奴隷市場で牛馬より安く売られる存在だろ。
75 名前:世界@名無史さん [2012/04/07(土) 10:38:40.67 0] >>67 >>63 を見ろ
76 名前:世界@名無史さん [2012/04/07(土) 12:49:31.33 0] タンザニア旅行記 ザンジバル niger684.blog111.fc2.com/blog-entry-134.html
77 名前:世界@名無史さん [2012/04/07(土) 12:55:29.13 0] >>32 ただ、ザンジバル人はほとんど全員がスワヒリ語が母語。 大陸の言葉とはちょっと違うらしく、ザンジバル・スワヒリ語と呼ばれる。
78 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/07(土) 13:57:06.56 0] 日本でも浜言葉と村言葉と町言葉は近い地域でも随分違うじゃないか。
79 名前:世界@名無史さん [2012/04/07(土) 15:02:07.37 0] なんでそんな微妙な例をw 距離感が違いすぎだろ。
80 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/07(土) 15:18:10.32 0] 江戸弁と長崎弁の差くらいのものか?
81 名前:世界@名無史さん [2012/04/07(土) 17:47:36.91 0] ヴァスコ・ダ・ガマとその乗組員は、荒涼たる地、せいぜいギネア海岸や コンゴでのポルトガル人の経験の繰り返しを予想してやってきたので あるが、彼らがぶつかったのは、堅固な石造の町と海運でにぎわう港であった。 彼らが出会った人びとは、東方の海を航海し、彼ら自身よりも多く航海のことを知っていた。 彼らが見出した都市国家や政府は、ヨーロッパで彼らが見た どれにもおとらず、富裕で洗練されたものであった。 「この地に二日か三日滞在したとき」とダ・ガマの旗艦サン・ガブリエル号 (全長75フィート)の航海日誌は記録している。 「この国の紳士二名がわれわれに会いにやってきた。彼らはひじょうに高慢で、 われわれがあたえたものには目もくれなかった。彼らの国の一青年は --手まねから理解したところでは--遠い国の出身であり、すでにわれわれの 船のような大きな船を見ていた。」 実をいえば、この東方の旅行者はずっと大きな船を見ていたに違いない。 彼はマストのたくさんあるインドやセイロンの船で航海したであろうし、その帆が 「空の大きな雲」のようだといわれた中国の大型外洋船さえ知っていたかもしれない。 この東海岸の文明の多くは破壊されてしまった。海岸地方の北の一部を 除けば、その物質的繁栄は、全然といっていいほど残っていない。 サン・ガブリエル号の航海日誌に記録された「高慢な紳士たち」の都市は、 おそらく今日のモザンビックのクェリマーネであったろう。 約四世紀のち、クェリマーネを訪れた一イギリス紳士は、それが荒涼とした 絶望の地であるとみて、「地上もっとも恐るべき場所」と名付けたのである。 デビッドソン著『ブラック・マザー』
82 名前:世界@名無史さん [2012/04/07(土) 17:57:23.40 0] モザンビーク koyaarchitects.com/travel_mozambique.html
83 名前:世界@名無史さん [2012/04/07(土) 18:07:52.32 0] >>81 モザンビークって、航海時代のポルトガル植民地時代の街並みが、世界で一番よく残ってるところ らしいけど、ってことはつまり、それ以前の街並みが破壊されたってことなのか?
84 名前:世界@名無史さん [2012/04/07(土) 23:06:51.68 0] >>81 クェリマーネってどこ? ぐぐっても全然ヒットしないんだが。
85 名前:世界@名無史さん [2012/04/08(日) 00:05:36.43 0] 下手にカタカナにされると、ぐぐりようがないよなぁ。 元のスペルが分かると、まったくヒットしないってことは無いと思うんだが
86 名前:世界@名無史さん [2012/04/08(日) 00:08:54.97 0] >>84 ケリマネ(Quelimane)の誤訳・読み間違いだろう。
87 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/08(日) 00:12:36.23 0] 近代海岸?
88 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/08(日) 02:35:12.77 0] >>86 訳者や校正担当者は、誰もポルトガル語やスペイン語が分からなかったのか? ひどい話だね・・・
89 名前:世界@名無史さん [2012/04/08(日) 07:26:44.63 0] >>81 の文章自体、イマイチぎこちない日本語だから、あまりレベルが高い翻訳者じゃないんだろうな。
90 名前:世界@名無史さん [2012/04/08(日) 07:52:51.32 0] >>81 公開術の先生は、イスラムじゃなくてインドだったんだな。
91 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/09(月) 00:39:45.24 0] 専門外だったら、ポルトガル語やスペイン語が分からなくても仕方ないけれど、 分からないものを当てずっぽうで訳してしまうのは、翻訳者としてどうかと思う。
92 名前:世界@名無史さん [2012/04/09(月) 19:51:39.50 0] ただ、一昔前の翻訳って、かなりいい加減だったりするよ。
93 名前:世界@名無史さん [2012/04/09(月) 20:23:28.07 0] >>87 どう言う意味?
94 名前:世界@名無史さん [2012/04/11(水) 19:59:26.36 0] 素朴な疑問なんだけど、なんでケニア、ナイロビって20Cになってあんなに栄えてたの?
95 名前:世界@名無史さん [2012/04/11(水) 22:36:00.45 0] ケニアッタのお陰?
96 名前:世界@名無史さん [2012/04/12(木) 21:59:21.52 0] マウマウ団の乱に惹かれる。 名前だけだけど。
97 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/14(土) 14:10:25.09 0] >>93 modern beach
98 名前:世界@名無史さん [2012/04/14(土) 14:18:56.73 0] だから、単語で書くなって。 何がしたいんだよ。
99 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/15(日) 14:24:05.74 0] >>94-95 ケニアッタが親米・親西側諸国の政策を貫いて、 ケニアッタ以降もそれを踏襲したからだろうね。
100 名前:世界@名無史さん [2012/04/15(日) 18:03:25.13 0] アフリカの日本と言ったところだな
101 名前:世界@名無史さん [2012/04/15(日) 21:54:54.28 0] アフリカの日本ってマダガスカルだろ。 ヨーロッパの日本がイギリスな。
102 名前:世界@名無史さん [2012/04/15(日) 22:09:24.52 0] 島国って以外、なんの共通点もない。
103 名前:世界@名無史さん [2012/04/15(日) 22:19:22.80 0] キルワって、失楽園にも出てくるぐらいだから、ヨーロッパではかなり知られていたんだな
104 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/15(日) 22:20:32.68 0] マダガスカルはオーストロネシア語族だから、民族で判別するとまったくのアウトサイダー ブリテン島や日本列島どころの話じゃない
105 名前:世界@名無史さん [2012/04/16(月) 21:32:38.80 0] 初めてオマーンに行った日本人は、江戸初期のペトロ岐部らしい。
106 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/16(月) 22:11:13.41 0] ほー、喜望峰経由の小西行長の孫らとは別れて、一人ホルムズ経由の陸路を選んだんだ この人が日本人初踏破の場所って山ほどありそうだな
107 名前:世界@名無史さん [2012/04/16(月) 22:30:49.88 0] はっきりと記録には残ってないらしいが、状況証拠では可能性が高いらしい。
108 名前:世界@名無史さん [2012/04/19(木) 22:30:27.57 0] >>103 失楽園のどの辺に出てくるの?
109 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/21(土) 06:11:29.22 O] >>106 日本人初のエルサレム巡礼者だよ。 イラクを北上、ダマスカスから南下してエルサレムに入り エルサレムを南下してアレクサンドリアから海路イタリアへという道のりだったらしい
110 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/21(土) 13:56:12.78 0] >>96 『大帝国』ってゲームでアフリカに「マウマウ」ってキャラが出てるんだけど、 マウマウ団の乱から取ったのかな? って、いま初めて思ったぜー
111 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/21(土) 13:58:01.75 0] >>110 『大帝国』に登場するマウマウ www.shuroka.com/html/daiteikoku_maumau_img.html www.shuroka.com/image/daiteikoku/maumau/maumau_001.jpg
112 名前:世界@名無史さん [2012/04/21(土) 14:54:26.21 0] だろうな。 偶然ってことはないだろう。
113 名前:世界@名無史さん [2012/04/21(土) 18:42:45.09 0] >>94 簡単に言うと、開発の時期がアフリカの中でもかなり早い方だったからだと思う。 ケニアに初めて定住したヨーロッパ人は、ドイツの宣教師クラップ。 (1年遅れてレープマン) 1848年にレープマンがキリマンジャロを、1849年にはクラップがケニア山を、ヨーロッパ人として初めて目にした。 リビングストン等がアフリカ内陸を探検したのは、意外に遅くて19世紀後半になってから。 それもケニア周辺だった。 探検ブームのあと、欧州諸国は陣取り合戦を始めた。 1888年までのアフリカには、ほとんど欧州人が支配する土地はなかったが、それから1902年までの 間に欧州5カ国にほとんどの場所が統治されることになった。
114 名前:世界@名無史さん [2012/04/21(土) 18:46:50.42 0] イギリスは1888年に東アフリカ会社を作り、1896年にはモンバサから ビクトリア湖に向けて鉄道敷設(ウガンダ鉄道)工事を始めた。 1899年には現在のナイロビ近郊に達した。 ウガンダ鉄道完成後、多額の出費を行なったイギリス政府は、採算を取るため鉄道の有効利用を図り 移民を呼びかけた。 ケニアは高地なので気候もよくて、土地も肥えていて、ヨーロッパや南アから次々人が押し寄せた。
115 名前:世界@名無史さん [2012/04/22(日) 09:09:42.62 0] ウガンダとケニアとタンザニアって、なんで3つの国に別れたんだろう。 どれも同じようにコモンウェルスで、東アフリカとして開発されたのに。
116 名前:世界@名無史さん [2012/04/22(日) 18:53:33.42 0] ウガンダは保護領、ケニアは直轄植民地、タンザニア(タンガニーカ)は信託統治領と、それぞれ異なる形態でイギリスの支配下にあった。
117 名前:世界@名無史さん [2012/04/22(日) 20:10:51.30 0] で、その違いってどういう経緯から出てきたの?
118 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/22(日) 21:42:24.67 0] タンザニアは第一次世界大戦前はドイツ領東アフリカだった
119 名前:世界@名無史さん [2012/04/22(日) 22:31:13.24 0] そこから国際連盟の委任統治領という形でイギリスの統治に移管し、国際連合の信託統治時代を経て独立時にイギリス保護領のザンジバルと合邦。 ウガンダにはイギリス人が現れる以前からかなり集権的な黒人国家が存在していて、基本的にその版図がイギリス領時代の行政区分に引き継がれている。
120 名前:世界@名無史さん [2012/04/22(日) 22:31:55.72 0] ほー、詳しい解説サンクス
121 名前:世界@名無史さん [2012/04/24(火) 22:17:40.45 0] マウマウというのは、部外者(多分イギリス人)がつけた名前。 自分達では、ケニア土地自由軍KLFAと呼んでいた。
122 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/28(土) 14:35:00.76 0] >>99 ケニア人からアメリカの大統領も輩出しているしな
123 名前:世界@名無史さん [2012/04/28(土) 21:21:16.31 O] 安楽死合法化
124 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/04/29(日) 10:45:23.92 O] エチオピアやソマリアは立地条件はオマーンとそう変わらない気がするが何故貿易大国になれなかったのか
125 名前:世界@名無史さん [2012/04/29(日) 20:11:23.00 0] モザンビーク旅行レポート www.yuzurand.com/diary5.html
126 名前:世界@名無史さん [2012/04/29(日) 22:09:50.74 0] >>124 ソマリアは元から各部族が争いあった状態で統一国家でなかった。 エチオピアは本拠地が内陸の方にあって沿岸部(現エリトリア)はイスラムのティグレ人やアファール人の領域。 都市単独としての貿易拠点はあったが、そもそも貿易大「国」になるには国でなければならない。
127 名前:世界@名無史さん [2012/04/29(日) 22:51:19.10 0] 香港とかシンガポールみたいな貿易都市が出来ればよかったんだけど、 そもそも後背地が無いとなぁ。
128 名前:世界@名無史さん [2012/05/02(水) 20:10:12.15 0] スワヒリ語のベースは、バンツー語系の話し言葉。 そこにアラビア語(ペルシャ語も少し)の語彙が加わって成立した。 数字の6、7、9はアラビア語と同じ(シタ、サバ、ティサ)。 もう少し複雑な数、20〜90と1000、1/4、半分もそう。
129 名前:世界@名無史さん [2012/05/02(水) 20:19:58.79 0] >他のバントゥー語群(ショナ語やズールー語など)の話もあっていいかと思います。 ショナ語って、ジンバブエのショナ族が使ってた言葉?
130 名前:世界@名無史さん [2012/05/02(水) 20:48:52.63 0] 11世紀から15世紀まで、東アフリカ沿岸でもっとも重要な交易地となったのは、キルワであった。 ・・・・・・キルワは黄金の交易を支配し、また貨幣を鋳造した。1350年まではモガディシオを除けば キルワの富と力に対抗できる都市はなかった。 ギデオン・ウェレ・デレック・ウィルソン
131 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/02(水) 20:55:38.36 0] >>107 アラビア半島側にも上陸していたのか。 イラン側を沿岸航行したあと、現在のクウェート辺りに上陸したかと思ってた。
132 名前:世界@名無史さん [2012/05/02(水) 22:50:34.14 0] >>129 多分
133 名前:世界@名無史さん [2012/05/03(木) 09:45:49.21 0] 関連スレ 中世アラビアの生活 logsoku.com/thread/academy2.2ch.net/whis/1079366492/
134 名前:世界@名無史さん [2012/05/03(木) 12:28:49.24 0] ジンバブエからモザンビークまでを支配した、カランガ族のモノモタパ王国は、 完全にこのスレ対象だと思うんだけど、誰か書き込まないかな。
135 名前:世界@名無史さん [2012/05/03(木) 15:35:51.51 0] モノモタパ王国が教科書にまで載っているのは、グレート・ジンバブエとの関連だろうけど、 今では関係が無かったってことになってるんだよね?
136 名前:世界@名無史さん [2012/05/03(木) 22:25:03.96 0] 【マグリブ】アラビア語圏の歴史【マルタ語】 awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1336044467/l50
137 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/03(木) 23:45:05.10 0] >>134 俺も興味あるけど、詳しくないのでwww
138 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/03(木) 23:50:58.17 0] >>1 >他のバントゥー語群(ショナ語やズールー語など)の話もあっていいかと思います。 【セツワナ】 ツワナ語スレッド その1 【ボツワナ】 [外国語板] awabi.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/1323612212/
139 名前:世界@名無史さん [2012/05/04(金) 07:40:03.44 0] 凄いな。 ツワナ語なんて勉強している人いたのか。
140 名前:世界@名無史さん [2012/05/04(金) 09:59:28.81 0] 30 名前:何語で名無しますか? 投稿日:2011/12/20(火) 20:45:25.37 アフリカのほとんどの国は、英語・アラビア語・フランス語・ポルトガル語の いずれかが公用語で、一見して言語のバリエーションが少ないように見えるが、 土着の現地語は結構ある。スワヒリ語とか、アムハラ語とか、ヨルバ語とか… 31 名前:何語で名無しますか? 投稿日:2011/12/23(金) 17:42:37.08 >>30 割と多いのは、 公用語:英仏、アフリカーンス、西、葡、アラビア ピジン:英語系、ジュバ・アラビア語なんてのもある 土着共通語:スワヒリ、ウォロフ、ニャンジャ、ショナ 土着語:ハウサ、ヨルバ、ルンダ、ベンバ、ズールー、コーサ、マンディンカ、フラet で、土着語がそのまま公用語ってのは少ないね 比較的最近公用語になったのはティグレ、ティグリニャ
141 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/04(金) 11:01:27.76 0] 8 名前:何語で名無しますか?[sage] 投稿日:2011/12/11(日) 23:25:25.27 伝統的な政治と社会秩序: 民主主義と協議会の伝統 ttp://www.botswanaembassy.or.jp/japanese/culture/index2_1.html > ボツワナ社会の「生活様式」は、協議会と民主主義の実践において確立された信念です。 > この「生活様式」は、セツワナのことわざ“戦争の最高形態は対話である(ウトワ コロ ケヤ > モロモ:ntwa kgolo ke molomo)”に要約されます。対立的見解に対しての寛容さは長い間に > 確立された伝統で、植民地時代以前からあります。そして、話し合いはいくらやっても決して > やり過ぎはないと一般に考えられています。この特質は、今日のボツワナがなぜ世界で > 最も民主的な国のひとつであるかを表わしています。 信仰、価値観、風習: モレロ(Morero: 話し合いと合意形成) ttp://www.botswanaembassy.or.jp/japanese/culture/index3.html > ツワナの人々は、社会における話し合いの大切さを固く信じています。個人同士、家族、 > 地域社会でのモレロ(話し合い)は、合意を形成し、それを持続させる力をもち、とても貴重な > 財産と考えられています。 > 国家レベルでは、大統領を含め公務員や政治家は、常に国中を旅行し、各種政府事業や > 国家的課題、地域的問題について普通の人々に意見を聞いてまわります。このやり方により、 > 国家の意思決定過程から疎外されていると感じている人はほとんどいません。 > 話し合いをしないと、自分たちは当てにされていない、劣っている、家族の中では話し合う > 価値もない人間だと間接的に言っていると解釈され、否定的な反応を引き起こしかねません。 > 話し合いには時間がかかりますが、話し合いがもたらす合意は、家庭内でも社会全体としても > 大きな調和を創出します。ボツワナの近代的政治制度は、モレロの文化から多大な恩恵を > 得ています。
142 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/04(金) 22:39:07.53 0] 世界史板住人も、外国語板に行って書き込みしてみるか!
143 名前:世界@名無史さん [2012/05/05(土) 01:22:03.30 0] 【Kenya】 ケニア共和国 Part.1 【ケニヤ】 [アフリカ情勢板] awabi.2ch.net/test/read.cgi/africa/1336148171/ ケニアに行ったけれど寒くて大変! [海外旅行板] ikura.2ch.net/test/read.cgi/oversea/1285978330/ ケニア 男子マラソン応援スレ [陸上競技板] kohada.2ch.net/test/read.cgi/athletics/1327881317/ マサイ族の身体能力 [陸上競技板] kohada.2ch.net/test/read.cgi/athletics/1247210330/
144 名前:世界@名無史さん [2012/05/12(土) 10:37:18.60 0] 50 名前:世界@名無史さん 投稿日:03/09/30 15:13 NYでコーヒーは健康に悪いから飲まないの時代があったな ネッスル社がアフリカでコーヒーが栄養万点みたいな不当広告して、赤ん坊が大勢死んだこともあった
145 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/13(日) 00:50:29.84 0] ネッスルてwww 普通にネスレでいいじゃんかwwww
146 名前:!kab 水 ◆TCygujgOWY mailto:sage [2012/05/13(日) 12:53:33.68 0 BE:140080234-2BP(7777) 株優プチ(whis)] ネスレって確かネッスルから社名変更したんじゃなかったか?
147 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/14(月) 00:44:34.30 0] >ネスレって確かネッスルから社名変更したんじゃなかったか? ( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
148 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/05/19(土) 11:45:16.64 0] 【Comoros】 コモロ総合スレ Part.1 【Comores】 [アフリカ情勢板] awabi.2ch.net/test/read.cgi/africa/1336794928/12,14-16 12 名前:人類発祥の名無しさん[sage] 投稿日:2012/05/16(水) 23:45:11.23 ID:StpoNY5G ちっぽけな島国なのに、なぜイスラム教が主流なんだろう? 14 名前:人類発祥の名無しさん[] 投稿日:2012/05/17(木) 22:19:24.16 ID:ll2Dac+h >>12 アラブ人がインド洋の航海に強かった時代、どんどん移住したんじゃなかたっけ? 15 名前:人類発祥の名無しさん[sage] 投稿日:2012/05/18(金) 07:41:37.97 ID:cByo+0hx ああ、イブン・マージドがいた頃の時代か 16 名前:人類発祥の名無しさん[sage] 投稿日:2012/05/19(土) 11:43:53.58 ID:IpHprv+z Ahmad ibn Majid - Wikipedia, the free encyclopedia en.wikipedia.org/wiki/Ahmad_ibn_M%C4%81jid 同アラビア語版 ar.wikipedia.org/wiki/%D8%A3%D8%AD%D9%85%D8%AF_%D8%A8%D9%86_%D9%85%D8%A7%D8%AC%D8%AF upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/13/%D8%A7%D9%84%D8%B9%D8%A7%D9%84%D9%85_%D8%A7%D9%84%D8%B9%D8%B1%D8%A8%D9%8A_%D8%A3%D8%AD%D9%85%D8%AF_%D8%A8%D9%86_%D9%85%D8%A7%D8%AC%D8%AF.JPG
149 名前:世界@名無史さん [2012/05/19(土) 14:19:19.90 0] 945 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/02/20(月) 14:49:52.08 0 南アフリカの場合は土着の民族は東部のスワジ族とかズール族とかくらいで あとは北の方から流れてきた流民や白人やインド商人に連れてこられた奴隷で ルーツとしての民族集団を持たないのが問題 アメリカ大陸に連れ去られた奴隷と同じ立場
150 名前:世界@名無史さん [2012/05/21(月) 00:49:18.03 0] www.batoto.net/read/_/97290/minamoto-kun-monogatari_ch29_by_mundomanga-kun/3
151 名前:世界@名無史さん [2012/05/26(土) 11:46:41.86 0] アンゴラの女王 Queen Nzinga of Angola www.youtube.com/watch?v=TO22jFE5EVg
152 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/06/02(土) 23:59:15.41 0] オマーン国 (the Sultanate of Oman) Part.1 [イスラム情勢板] ikura.2ch.net/test/read.cgi/news5/1327170229/176 176 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 23:56:08.86 ID:??? 〜オマーンのマスメディア (Mass Media in Oman) 〜 ONA (Oman News Agency) www.omannews.gov.om/ona/english/index.jsp www.omannews.gov.om/ona/ - Arabic Sultanate of Oman TV www.oman-tv.gov.om/tveng/default.asp www.oman-tv.gov.om/tvara/default.asp - Arabic Sultanate of Oman Radio www.oman-radio.gov.om/rdeng/ www.oman-radio.gov.om/rdara/default.asp - Arabic BusinessToday Oman www.businesstoday.co.om/ OER (Oman Economic Review) www.oeronline.com/index.php Al-Shabiba www.shabiba.com/ - Arabic Al-Watan www.alwatan.com/ - Arabic Jaridat al-Uman (Oman Daily) main.omandaily.om/ - Arabic
153 名前:世界@名無史さん [2012/06/03(日) 18:34:28.31 0] 877 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/06/03(日) 17:31:33.25 0 旧ドイツ領のタンガニーカではイギリスの委任統治に移行してからもドイツの苛烈ながらも 公正な統治を懐かしがる黒人なんてのがいたんだよ。 878 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/06/03(日) 17:33:44.52 0 イギリスの支配がよほど酷かったと見える。
154 名前:世界@名無史さん [2012/06/14(木) 23:11:28.19 0] 【文学】歴史・時代ものの創作物【映像】 awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1339422379/l50
155 名前:世界@名無史さん [2012/06/21(木) 22:17:00.51 0] 941 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/06/20(水) 20:07:47.27 0 ウガンダ ttp://gigazine.jp/img/2011/12/03/uganda-kampala/35.jpg ttp://gigazine.jp/img/2011/12/03/uganda-kampala/37.jpg ttp://gigazine.jp/img/2011/12/03/uganda-kampala/42.jpg ttp://gigazine.jp/img/2011/12/03/uganda-kampala/44.jpg ttp://gigazine.jp/img/2011/12/03/uganda-kampala/45.jpg ケニア ttp://gigazine.jp/img/2011/11/19/kenya_nairobi/33.jpg ttp://gigazine.jp/img/2011/11/19/kenya_nairobi/38.jpg ttp://gigazine.jp/img/2011/11/19/kenya_nairobi/51.jpg ジンバブエ ttp://gigazine.jp/img/2012/03/10/zimbabwe-us-dollar/33.jpg ttp://gigazine.jp/img/2012/03/10/zimbabwe-us-dollar/47.jpg アフリカの角みたいな慢性飢餓地帯のイメージだけで語ってないか? アフリカの大半は適当にやっててもメシだけはあるから発展しないんだよ アフリカ人は富は勝手に湧くものと思っていて、作る、稼ぐという概念が欠けている だが土地自体は豊かなんで、今や中国やアラブ諸国、インドなど世界中がアフリカの農地を求めて殺到している 逆にパキスタンから北アフリカにかけては水源枯渇で水紛争リスクが最も高い 942 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/06/20(水) 20:22:39.83 0 ケニアのマータイさんだったかな 日本人のもったいない精神に感動して、そういった活動をしたくらいだからな
156 名前:世界@名無史さん [2012/07/06(金) 22:47:44.46 0] 542 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/06(金) 05:21:48.85 0 ソマリア政府―というものが有れば、のことだが―に貨幣発行能力あるのか? 544 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/06(金) 15:02:30.96 0 一応誰がどのような権限で発行しているのか知らんが ソマリア・シリングというのがあるみたいだ ただし、偽札が横行したため、今ではドルやサウジアラビア・リアルが主流とのこと、 それとソマリランド・シリングのほうは比較的安定した価値を保っているそうだ
157 名前:世界@名無史さん [2012/07/10(火) 23:25:16.16 0] 先日BS1でやっていたが、タンザニアは今ゴールドラッシュで、アフリカ第3位の金の産出国らしい。 で、貧富の差が広まった結果、呪術師が大流行だとか。
158 名前:世界@名無史さん [2012/07/16(月) 19:35:31.44 0] ケニアとエチオピアばっかりマラソン強いのは、人種的なもの?
159 名前:世界@名無史さん [2012/07/16(月) 22:21:04.67 0] どうだろう。 確かにケニアは、マサイ族の血をひいている選手もいたりしそうだけど。 それより、国土全体の標高が高いので、自然と高地トレーニングになっているという点が大きいかも。
160 名前:世界@名無史さん [2012/07/19(木) 10:42:22.77 0] 【サハラ】アフリカ史総合2【以南】 awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1342660447/l50
161 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/19(木) 19:19:18.34 0] >>67 そういう相手探してるんだが、やっぱいないもんだなw ちなみにベンバ語とショナ語やってる
162 名前:世界@名無史さん [2012/07/19(木) 20:38:09.74 0] 601 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/13(金) 22:09:49.77 0 スーダン中央部では、19C半ばまで盛んに布貨が使われていた。 布貨と言っても、額の大きさによってざっくり3種類に分けられた。 一番高額なのは衣服。 次がちょっとうろ覚えだけど、確か筒状にした布 一番安いのが、短冊状に切った布。 衣服は分かると思うが、2番目の筒状の布というのは、服を作る部品のようなもので、 その地方では衣服は筒状の布を縫い合わせて?作られる。 3番目の短冊状の布は、布としての実用性は無いが、小銭のように使われていた。 19C以前、宝貝、金属貨幣などが外から入ってきたが、布のメリット(軽くて丈夫で、 希少性が高い)が大きかったので、結局定着しなかったらしい。
163 名前:世界@名無史さん [2012/07/20(金) 00:30:22.35 0] 中央部というとアラブ人地域かな?それとも19世紀半ばまでだとまだその辺もナイル系などの別言語が話されてたのかな
164 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/20(金) 00:36:55.53 P] >>162 布貨というのがあるのは初めて知った いろいろあるもんだ 紙幣の古形態 ひょっとして世界最古の貨幣なのかも
165 名前:世界@名無史さん [2012/07/20(金) 12:04:59.46 0] >>157 アフリカでは結構、真光が流行ってるらしい。
166 名前:世界@名無史さん [2012/07/20(金) 12:19:33.24 0] ブラジル経由で、アンゴラに強固な信仰集団を形成しているね>真光 真光だけでなく多くの日本の新宗教教団が一部は戦前から、多くは1960年代からブラジルでの布教を開始、成功し アフリカ系宗教やカソリックから入信してくるものが絶えない。 彼らブラジル人が経済成長著しいアンゴラに内戦時代から布教に入って、強固な集団を形成していた。 経済成長著しい今のアンゴラで爆発的に広がる兆しと、アンゴラを拠点にアフリカ全土に布教線を拡大していこうとしている。 すでに数年前から、研究書や論文がいくつも日本語でもでていますね。
167 名前:世界@名無史さん [2012/07/20(金) 12:34:57.19 0] >>164 その話、嶋田 義仁の『黒アフリカ・イスラーム文明論』で紹介されているよ。
168 名前:世界@名無史さん [2012/07/20(金) 12:47:41.26 0] >>164 >紙幣の古形態 別に紙幣の古形態なわけじゃないだろ。 衣服はそれ自体に実用価値があり、かつ貴重品であることから通貨に選ばれたんだよ。 (当然、耐久性もあり、軽くて運搬しやすいというメリットも大きいが。)
169 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/20(金) 17:03:19.94 P] >>166 金光かと思ったらそういう宗教もあるんだ 昔、オームのロシア布教がニュースになっていた 韓国の統一協会は南米でやっていてパラグアイだっけでは 国を乗っ取るくらい拡大してらしい
170 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/07/20(金) 17:04:24.26 P] >>168 なるほど、納得
171 名前:世界@名無史さん [2012/07/20(金) 17:51:19.03 0] >>169 真光は、昭和初期に大本教から分かれた新興宗教。 手かざしという気功のような方法で、病気治しをすることから、 貧しい人々を中心に人気が集まった。 それが病院に通う金も、薬代も無く、呪術とか、呪術的医療の人気が 根強いアフリカで受けてるんだろう。 オウムとか統一協会のようなカルトでは無いから、特に規制を受けたりすることも無い。
172 名前:世界@名無史さん [2012/07/20(金) 20:15:00.70 0] >>158 陸上競技板から 42 名前:ゼッケン774さん@ラストコール 投稿日:2012/04/26(木) 20:54:17.62 なぜケニアは強いのか。決定的な理由が謎のままなのがいやらしい。 43 名前:ゼッケン774さん@ラストコール 投稿日:2012/04/26(木) 21:43:40.82 単一的な要因から生まれたものでなく遺伝的、環境的な要因が輻輳的にからんで生まれた強さなわけでしょ? 決め手ってのは無いと思う 44 名前:ゼッケン774さん@ラストコール 投稿日:2012/04/30(月) 15:31:58.77 高地に住んでいる種族が強いしね
173 名前:世界@名無史さん [2012/07/21(土) 05:26:24.48 0] >>165 一方でナミビアのコイサン系民族ナマクア人にはイスラムが広まりつつあるらしい en.wikipedia.org/wiki/Islam_in_Namibia 今の信者数は3000人から5000人の間とか 歴史は最初の改宗者から32年
174 名前:世界@名無史さん [2012/07/31(火) 21:01:20.10 0] ウガンダでエボラがアウトブレイク。 首都にまで
175 名前:世界@名無史さん [2012/08/02(木) 03:29:05.08 0] エイズを抑え込めたと思ったら。神の解放軍とやらはまだ暗躍してるのかな