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【栄光の】トレビゾンド帝国総合スレ【東ローマ】



1 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2010/09/12(日) 21:18:15 0]
一千年に及ぶ繁栄・衰退を誇ったビザンツ帝国史について語るスレの亡命政権です。
基本はsage進行。バルバロイは適当に無視して下さい。
現代トルコ・ギリシャの話はできるだけ他所でやってください。
ニカイア帝国がログを復活させたらそのうちひっそりと滅亡します。

381 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/09(木) 21:04:29.67 0]
首尾よくミリオケファロンを切り抜けられても、調子に乗って東に進軍したら
隙を狙って西からノルマンやヴェネツィアが乗り込んできそうな気がする

382 名前:世界@名無史さん [2012/02/09(木) 21:05:10.73 0]
塩野七生
「ビザンツなんて何の魅力があるのよ?
精々、ユスティニアヌス1世を妻のテオドラが後押しした時期にちょっと盛り返しただけで
後は約1000年間大した役割も果たさなかった弱小国家じゃない!」

383 名前:世界@名無史さん [2012/02/09(木) 21:18:06.62 0]
>>382
それは余りにも酷い勘違いだ。

東ローマ帝国は偉大だ。

384 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/02/09(木) 21:22:10.06 0]
>>381
そもそもマヌエル1世はずっと西側にばっか目を向けてたからね。
ルーム・セルジューク朝も攻めたけど神聖ローマ帝国やヴェネツィアなどのほうが、
マヌエル1世にとってはより大きな敵対勢力だっただろうし。
あまり東にばかり目を向けるとそれらの勢力に付け入れられるかも知れないね。

385 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/09(木) 21:47:19.81 0]
敵作りすぎだよなマヌエル1世はwお友達はベーラ3世ぐらいじゃないかな。
皇帝の没後、手のひら返しされちゃったけど

先帝ヨハネス2世はそこのところ上手くやってたのは流石だ

386 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/09(木) 21:55:46.79 0]
>>382
これ、本当に塩野さんが言ったの?いくらなんでもちょっと信じられないんだが。

387 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/09(木) 22:33:35.23 O]
まあお塩は口ではっきり言わなくっても、
ローマ人の物語最終巻で地図見せてそういうことにしたいこと言っちゃったしな

388 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/09(木) 22:34:28.50 O]
387修正
言っちゃったしな→示しちゃったしな

389 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/02/09(木) 23:35:01.75 0]
>>385
ルーム・セルジューク朝、神聖ローマ帝国、ヴェネツィア共和国、シチリア王国など、
かなり色んな国と敵対してるからね、マヌエル1世は。外交戦略が好きな皇帝だったから、
それでも彼の時代はなんとかやっていけたんだろうけど彼の死後は一気に衰退してしまうし。
長期的に見れば彼の外交政策はあまり良い結果を残さなかったと思う。



390 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/10(金) 23:47:13.01 0]
帝国本土だったアナトリアのかなりの部分を奪われたままだったのだから、
マヌエル1世は対ルーム・セルジューク朝に専念すべきだったよね。
ユスティニアヌス1世ではなく、やはりバシレイオス2世を手本とすべき状況
だったはず。


391 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/11(土) 00:26:10.19 0]
周辺世界がいろんな意味で「ローマ帝国」の時代とは変わってたもんね

392 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/11(土) 00:34:32.81 P]
戦争しながらよしなにやってたセルジューク相手に本格的な武力制圧なんてできるはずないだろ
どれだけつながり深かったと思ってんだよ

393 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/11(土) 01:45:48.77 0]
広大な領土であった「ローマ帝国」の時代とは違い、「コムネノス朝」の時代
には属州がなくアナトリアとバルカンはともに本土だった。
「ローマ帝国」の時代ようにダキアやブリタニアように捨ててもいい属州が
コムネノス朝にはもはやなかった。

394 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/02/11(土) 06:27:18.83 0]
>>390
彼はどちらかというと西欧のほうに目を向けてたからね。
まぁ、シリアやキリキアのほうにも遠征して一定の成功は収めてるから、
全く東側に興味がなかった訳でもないんだけど。
内政に関しては結構西欧かぶれにみえるところがある。

>>391
だからこそ、彼はローマ帝国の威厳を保とうとして積極的な外交政策に乗り出したね。
国際政治の場でリーダーシップをとることが彼の基本方針だったらしいし。

>>392
確かに途中までビザンツ帝国はセルジューク朝となあなあな関係を築いてたからね。
むしろ、マヌエル1世がそれを壊してしまったと言えなくもない。

>>393
なるほど、だからどの領土も守るために多方面に外交政策を展開して、
そのせいで敵を作りすぎたと言えなくもないか。
かつてのローマ帝国の頃とはもはや事情が違いすぎるからね。

395 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/11(土) 19:20:26.06 0]
>>380
根津先生がそれ書いてたのは『ビザンツ 幻影の世界帝国』だっけ。
兵力や国力の損害自体は痛手じゃないけれど、"不敗神話"が崩れたのは政治的にマズ過ぎるでしょ。
せめてもう一度どこかでルノー土下座に匹敵する大勝利を挙げることができたら、
しばらくは帝国に直接手を出そうとする動きは無かっただろうけれど……。

396 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/02/11(土) 19:39:42.30 0]
>>395
そう、その本。最初、タイトルだけ見てビザンツ帝国の通史かと思って読んでみたら、
マヌエル1世しか書いてなくて驚いた覚えがある。まぁ、わりと面白かったけど。

不敗神話が崩れたのもマズいけどそもそもルーム・セルジューク朝を敵に回したこと自体、
政治的には失敗のような気がしなくもない。それまではそれなりに平和的関係だったからね。
まぁ、マヌエル1世はイタリア遠征なんかにも失敗してるから不敗とは言いにくいんだけど、
軍事的な失敗以前に外交に力入れすぎて逆に敵作りすぎたほうが悪影響大きかったと思う。

397 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/02/11(土) 19:40:27.56 0]
×逆に敵作りすぎたほうが悪影響大きかったと思う。
○逆に敵作りすぎたことのほうが悪影響大きかったと思う。

398 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/11(土) 19:47:10.74 P]
それっぽいことそれっぽく言うだけの糞コテ死ねよマジで

399 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/12(日) 15:32:56.72 0]
一つの敵と決着をつける前に、前の味方を敵に回して、次の味方作っちゃうからなぁ
対バルバロッサを見据えた外交戦略の一環で、イングランド王ヘンリー2世や
フランス王ルイ7世、ハインリヒ獅子公とも手を結ぼうとしてたな。

雄大すぎるだろw地中海大戦でもおッ始めるつもりだったのかw>マヌエル1世



400 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/12(日) 16:24:47.03 0]
まあガチ大戦ではなく、外交成果で大国っぷりをアピールしたかったようではあるようだが
本人の外交戦略や対処能力が不足していた
中途半端に国力が伴っていたのもマヌエルを勘違いさせた一因だな

401 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/02/12(日) 17:30:43.85 0]
>>400
実際、彼の時代はビザンツ帝国もそれなりに国力あったから周辺諸国に対して、
自国の大国ぶりを見せ付けたところで不自然ではなかったしね。
それをやりすぎて国際政治に首を突っ込みすぎたから衰退を招いてしまった。
まぁ、それ以前のコムネノス朝もそれなりに狡賢い外交戦略は練ってたけどね。

402 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/12(日) 19:59:22.23 0]
何なんだこのコテ
粘着してるけど

403 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/12(日) 20:38:16.59 0]
人が書いたこと言い方変えて反復してるだけだし、正直邪魔

404 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/12(日) 20:39:40.45 0]
〜だね


405 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/14(火) 22:02:46.40 0]
>>399
足利義昭とはそこが違うな。
あくまでも義昭は敵を信長1人に絞っていた。

406 名前:世界@名無史さん [2012/02/15(水) 16:03:33.99 0]
歴代トラペズース帝国の皇帝とその系図とを
誰ぞ教えてたもらぬか。

407 名前:世界@名無史さん [2012/02/15(水) 20:56:03.72 0]
根津先生がアレクしオス1世の改革についての本を出すようだが
値段が高いのなんの。

408 名前:世界@名無史さん [2012/02/19(日) 00:46:30.01 0]
歴代トレビゾンド帝国の皇帝とその系図とを
誰ぞ教えてたもらぬか。
それとも誰一人知らぬとお言いやるか?

409 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/19(日) 00:52:47.71 0]
ウィキ見りゃいいだけの話じゃない。いくら糞ウィキといえどもその手の情報「だけ」は正確なんだし。




410 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/19(日) 01:21:12.49 0]
それっぽいキーワードでググったら一発で出てきたぞ
トレビゾンド帝国皇帝一覧&系図

411 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/19(日) 01:23:24.90 0]
トレビゾンド帝国といえば、クリミア・ゴートとの関係があるようだね
初期はグルジア、後期はジェノバとの関係の方が強いようだけど
ゴート族が影響を及ぼしていることが少し意外だった

412 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/19(日) 01:49:01.22 0]
クリミアにはトレビゾンドの親戚筋のテオドロ公国もあったそうやね
en.wikipedia.org/wiki/Principality_of_Theodoro
ジェノバのユダヤ人のギソルフィ政権とかもあったりして
en.wikipedia.org/wiki/Ghisolfi
クリミアゴートと関係もってたようで
en.wikipedia.org/wiki/Crimean_Goths

413 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/24(金) 22:25:58.24 0]
George T. Dennisのマヌエル2世のテッサロニキ統治時代の本読んでんだけど
これに出てくるDemetrius Cydonesって人の名前って
日本語文献で一般的な表記は何?
洋書でビザンツ本読むの初めてで難儀してるんだ、このスレの皆の力を借りたい

414 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/02/29(水) 22:25:13.99 0]


415 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/05(月) 00:57:33.76 0]
コテがいないと伸びない落日のビザンツスレ

416 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/06(火) 13:04:26.43 0]
コテに依存しなければスレが伸びないのは名無し住民のレベルが低いと言うこと。

417 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/06(火) 13:06:08.64 0]
無論、必ずしも「コテなしでも伸びるスレは住民のレベルが高い」ということではないが。

418 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/06(火) 18:01:08.82 0]
アホ丸出しのクソコテがまーだ根に持って名無しで書き込んでるのか
涙拭けや

419 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/15(木) 18:24:44.11 0]




420 名前:世界@名無史さん [2012/03/16(金) 12:33:08.69 0]
ageてみよう

421 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/20(火) 14:17:41.97 0]
tddss

422 名前:世界@名無史さん [2012/03/21(水) 11:46:58.86 0]
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423 名前:世界@名無史さん [2012/03/22(木) 21:52:23.86 0]
パレオロゴス朝の時代のように衰退していくビザンツスレ

424 名前:世界@名無史さん [2012/03/22(木) 23:09:49.59 0]
結局ユスティニアヌス時代かバシレイオス2世かどっちが最盛期なの

425 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/23(金) 07:14:19.42 0]
アナスタシウス1世の治世が東ローマの最盛期

426 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/03/23(金) 08:57:06.28 0]
>>424
普通はバシレイオス2世になるでしょ。ユスティニアヌス1世は領土を広げこそしたものの、
逆に国力を疲弊させてしまったと言う人もいるし、彼の時代はまだローマ帝国最後の輝きという感じで、
ビザンツ帝国ではないと言う人もいる。ビザンツ帝国の最盛期と言えばバシレイオス2世の時代でしょ。

>>425
アナスタシウス1世は初期の東ローマ帝国の中ではかなり名君のほうだね。
ユスティニアヌス1世が広大な征服事業を行なえたのも彼のおかげと言われてるし。

427 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/23(金) 23:38:52.87 0]
パレオロゴス朝でもマヌエル2世とかは時代が違えばうまくやってた気がする

428 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/03/23(金) 23:46:28.74 0]
>>427
ティムールとの戦いで疲弊したオスマン帝国を混乱させるために、
オスマン帝国内のスルタン位争いに介入したりするなど、外交手腕もそれなりにあるしね。
文化的にも名高いから、生まれる時代が違ったら名君だったと良く言われてるね。

429 名前:世界@名無史さん [2012/03/23(金) 23:49:10.62 0]
なんやこの糞コテ
まだ粘着してんのか



430 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 02:51:10.93 0]
「ビザンツ帝国は西ヨーロッパと違って古代のギリシア・ローマ文化を
水準を落とさずに維持していた」という
「ビザンツ先進国神話」が根強く残ってるな。
本当はそうじゃないんだろう?

431 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/24(土) 03:00:10.05 O]
なぜそう思ったか書けよ

432 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/03/24(土) 08:24:11.80 0]
>>430
とりあえず、アンナ・コムネナはコンスタンティノープルにやってきた十字軍の連中を、
野蛮な連中みたいな感じで書いてるね。当時のビザンツ帝国には西欧よりも自分たちのほうが、
進んでるという優越感があったんだろうね。教科書などでは古代ギリシャやローマの学問は、
イスラーム圏に伝わり保存され、それが西欧に伝わりルネサンスになったと良く言われるけど、
ビザンツ帝国もその保存に役立った。特に文学面の保存はビザンツ帝国の功績が大きい。
これらの点を考えるとビザンツ帝国のほうが西欧より先進的というのもそんなに間違いではないでしょ。

433 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/24(土) 08:38:27.45 0]
国民の半分以上が字を読み書きできて、ナイフとフォークで食事をし、お風呂にも入っている時点で、
同時期の西欧より洗練されていると思うけれど。

そういえば古代ローマ式の大浴場は姿を消してしまったけれど、市民達はどこで入浴したんだろう?
より小規模な銭湯が流行ったのか、自分の家に浴室があったのか。

434 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/03/24(土) 09:23:33.66 0]
>>433
神学論争もビザンツ帝国のほうがかなり広くで行なわれてたと言うしね。
基本的に先進的な社会だったことに異論はないね。

浴場については、自分の家で小さな風呂に入ってた程度なんじゃないかな。
ビザンツ帝国で小規模な銭湯があったという話はあまり聞かないし。
もしかしたら今のハマムみたいのが存在してた可能性も否めないけど。

435 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/24(土) 09:30:10.21 0]
ビザンツじゃなくローマと言え

436 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/03/24(土) 09:36:10.03 0]
>>435
まぁ、自称はあくまでローマだけど研究者ですら「ビザンツ」という呼称を使ってるからなぁ。
ビザンツ帝国の魅力はローマ帝国と大きく変わりながらもローマ帝国の体裁を守ろうとした点だしね。
個人的には、ユスティニアヌス1世の頃ぐらいまではぎりぎりローマ帝国と言えるけど、
ヘラクレイオス以降はビザンツ帝国と言わないと違和感がある感じ。

437 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 10:15:48.88 O]
この板の書き込みでは「繁栄してたのは首都だけで、他のギリシャは停滞した
」みたいなのがよくあるが。

438 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 10:30:46.28 0]
「ローマ帝国史」という本が出るとしたら西暦何年から何年まであつかうつもりだ?
紀元前から1453年までか?うん?




439 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/03/24(土) 10:41:02.14 0]
>>437
まぁビザンツ帝国は首都一極集中型だったからそういう意見は一理あるけど、
コンスタンティノープル以外にもそれなりに大きな都市はあったよ。
有名どころだとテッサロニキやアドリアノープルとかかな。



440 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/03/24(土) 10:42:54.59 0]
>>438
本にもよるんじゃないかな。普通は西ローマ帝国の滅亡辺りで筆を終わらせるだろうけど、
場合によってはコンスタンティノープル陥落まで一気に書く本もあるかも知れない。

441 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 10:52:29.92 0]
国名は現代人が歴史をあつかうときに便利であるかどうかという一点で決められるべきで、
当時の人間がどう名のったかはその国名を決める際に考慮すべき一要素にすぎない。
ビザンツ帝国も含めてすべてローマ帝国という名前で呼ぶことに、何かメリットはあるのか?
あつかう時期が長すぎて何もメリットがないだろう。
それに比べれば、ビザンツ帝国という名前でそれ以前のローマ帝国と切り離して
あつかうほうが何かとやりやすい。

442 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/03/24(土) 11:15:57.42 0]
>>441
確かにローマ帝国でまとめると長すぎて研究するのも本を書くのも大変だ。
まぁ、ビザンツ帝国で分けても1000年近くあるから、扱う時期はどっちみち膨大な長さだけど。
それでも、古代と中世で分けることでそれなりに分かりやすくなることは確かだ。

443 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/24(土) 14:12:37.42 0]
普通に東ローマ帝国と呼べばいいでしょうに

444 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/03/24(土) 14:23:14.97 0]
>>443
東ローマ帝国ではなくビザンツ帝国という呼称を多くの人が使いたがるのは、
この国が純粋にローマ帝国の延長にないということを強調したいからだと思う。
すなわちギリシャ化したローマ帝国なんだということを言いたいんだろうね。

東ローマ帝国という呼称だとどこで区切るべきかはっきりするけど(アルカディウス以降)、
ビザンツ帝国という呼称だとどこで区切るべきか学者の間でも意見が分かれるのが問題だね。
まぁ、僕個人は井上浩一氏と同じでヘラクレイオスの治世で区切るのが好きなんだけど。

445 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/24(土) 14:26:14.18 0]
>>444
本来はローマ建国以来変化ない時期などないんだけどね。
極論すれば今のアメリカもローマの後継者と思っているフシがある以上ローマは続いていると言えるのかも。

446 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/03/24(土) 14:35:11.72 0]
>>445
確かにローマ建国以来常に変化してはいるんだけど、後世の西欧人が、
ネガティブな意味も込めてビザンツ帝国と古代ローマ帝国を分けてしまった。
そして、後に研究家たちがそこにポジティブな意味も付け加えたけど、
それでもビザンツ帝国の特異性を表すため、呼称自体は変えずに置いといた。
まぁ、僕自身はビザンツ帝国という呼称もそんなに悪くないと思うけどね。

コンスタンティノープルが陥落した後もオスマン帝国やロシア帝国が、
ビザンツ帝国の後継を名乗ったこともあるからね。そういう意味では確かに、
ローマ帝国は今でも滅んでないと言えなくもないのかも知れない。

447 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 14:36:46.92 0]
ビザンツ帝国時代に「東の」ローマ帝国とするのはどうなの。
単にローマ帝国と呼ぶのが普通だったじゃないの?
当時の人間の呼称に従うなら東をつけるのもダメだと思う。


448 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/03/24(土) 14:38:37.70 0]
>>447
ビザンツ帝国のイデオロギーとしては西ローマ帝国が滅んだ時点で、
東西ローマ皇帝の称号をビザンツ皇帝が持ってることになるからね。
そういう意味では「東」すら付けてはいけないことになるのかな。
あくまで当時の人々の呼称に従うのならという前提だけど。

449 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/24(土) 16:17:58.79 0]
>>447
現代人が南宋と呼ぶからといって、正式な国号が南宋だったわけでない。それと同じだろう。



450 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/24(土) 16:31:31.08 O]
NHKで見ただけだが、バルカン半島のどこかの正教会の教会が堂々とビザンチンの国旗を飾ってビザンチンはまだ滅んでないって言ってたわ。精神面的な意味だったと思うが理由は忘れた。

451 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 17:00:16.10 0]
>>449
東ローマ帝国もビザンツ帝国も当時の人の呼称じゃないじゃん。
ならどっちで呼ぼうが同じようなものだろ。
ビザンツ帝国でなく東ローマ帝国と呼ぶべきという根拠はどこにもとめられるのだ?
ローマってついてれば満足というわけでもあるまい。



452 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/24(土) 17:17:25.02 0]
いつからビザンツなのか定義が適当だからウザいんだよな。
東西分裂前、ビュザンティオンに遷都した時からビザンツ帝国とか、
定義がはっきりしてれば良いのに、何時の間にか
東ローマ帝国からビザンツ帝国に変わってるのが腹立つ。

453 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 17:47:07.47 0]
ヘラクレイオスとか、スラブ人進入時とか。
そういえば、スラブ人追い出してから、
ギリシアの都市は「ポリス」でなく「カストロン」というものになって、
文化程度はひどく落ちたらしい。

454 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/03/24(土) 17:48:49.74 0]
>>450
へ〜。どこの国だろう?
まぁ、正教会はビザンツ帝国によって発展したと言っても過言ではないから、
彼らがビザンツ帝国に帰属意識を感じ、ビザンツ帝国は滅んでないと言うのも分からなくはないけど。

>>452
そうなんだよね。僕はビザンツ帝国という呼称のほうが好きなんだけど、
どこで区切るのかという定義が一定しないのがこの呼称の問題点だ。
東ローマ帝国という呼称ならば東西分裂時から始まるというふうに定義できるけど、
ビザンツ帝国という呼称だとそれがはっきりしない。あなたの言うように、
それより前のコンスタンティノープルに遷都した時からビザンツ帝国だという人もいれば、
それより後のヘラクレイオスの時代からビザンツ帝国だという人もいるからね。
まぁ、個人的にはヘラクレイオスの時代で区切るのが気に入ってるんだけど、そこは人それぞれだ。
ビザンツ帝国史の概説書を見ても本によっていつの時代から記述が始まるかでバラつきがある。

455 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 17:51:47.15 0]
文化的な影響があるから、と言う程度で後継国家になれるのなら
西欧も東欧もみんなエジプトの後継国家になるな。

456 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/03/24(土) 17:53:46.68 0]
>>453
井上浩一氏はスラヴ人の侵入でギリシャの都市が変化したことが、
その後のビザンツ帝国の性格を特徴づけたみたいなことを言ってるね。
今までのポリスを単位とした古代の個人主義的な都市社会から、
首都コンスタンティノープルの皇帝を中心とした一元的な社会に変わった。

457 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 17:57:54.19 0]
ギリシアも帝国の「辺境」に位置づけられたわけだな。

458 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/03/24(土) 18:15:16.30 0]
>>457
そんなところだろうね。ビザンツ帝国は基本的に皇帝中心の国だった訳で、
ギリシャもあくまで皇帝の下に治められる一地方に過ぎなくなった。
都市ごとの自治が消えていって中央集権化が強まったと言えるね。

459 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 19:03:49.79 O]
現在のギリシャの惨状のタネはこの時に播かれたわけか。



460 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/24(土) 21:54:46.36 O]
450だがちょっと気になって自分で調べてみたがアトス自治修道士共和国だったぽい。ここの国章はビザンチンのままで今でも自治が認められてるらしい。

461 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/24(土) 22:00:07.98 0]
アトス山?

462 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/03/24(土) 22:24:49.19 0]
>>460
なるほど、アトス自治修道士共和国か。アトス山はビザンツ帝国中期から、
ギリシャ正教の修道士にとって欠かせない場所になってたからね。
今でも双頭の鷲を国章にしてるとは知らなかったなぁ。
ビザンツ帝国だとニケフォロス2世なんかが特にアトス山を支援してたね。

463 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/24(土) 22:41:09.14 0]
>>459
ペリクレスやらレオニダスやらの頃にすでに播かれていた気がする。

464 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/24(土) 22:59:28.73 0]
>>462
ビザンツじゃなくローマか東ローマといえ

465 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/24(土) 23:27:09.29 0]
個人的にはヘラクレイオスの前後で東ローマかビザンツを使い分けてる
ヘラクレイオスからは領土も減ったしギリシャ化したし

466 名前:世界@名無史さん [2012/03/24(土) 23:34:35.50 O]
>>463
なんで?

467 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/24(土) 23:58:28.12 0]
>>466
労働意欲や責任転嫁などは古代のポリスからの伝統だろう。

468 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/25(日) 00:10:52.97 0]
ギリシャ市民ってのは特権階級で貴族階級で戦士階級だぞ。
現代の一般の国民とは全く異なる存在だ。援用できない。

469 名前:世界@名無史さん [2012/03/25(日) 01:44:32.24 0]
古代ギリシアの高い文明は奴隷制によって支えられていたから、
奴隷制が崩壊したら、自然と高い文明も失われたのだろうか。



470 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/03/25(日) 09:03:22.06 0]
>>464
そこら辺は個人の自由だと思うよ。専門の学者ですらビザンツ帝国という呼称を使ってるし。
個人的にはギリシャ化したローマ帝国というところが好きなのでビザンツ帝国と呼びたい。

>>465
僕も個人的にはヘラクレイオスの時代で区切るのが好き。彼の時代にイスラーム帝国が、
侵入し領土が大幅に減少したからね。この頃に公用語がギリシャ語に変わったそうだし。

471 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/25(日) 11:28:26.20 0]
また呼称問題か、何回繰り返すんだ
古代ローマですら王政時代とか共和政期とか元首政期とかいろいろ分別しているんだから
ただのローマじゃ長すぎてどの時代の話したいのかわからんだろ、2000年以上あるんだぞ

例)ローマ軍は徴兵された市民からなる歩兵の小集団主体だよな

1.いや密集陣形ファランクスだろ(ケルト襲来以前の王政・共和政ローマ)
2.徴兵じゃなくて志願兵だろ(マリウス以降)
3.そもそも歩兵主体じゃねーだろ(帝政後期以降)
4.ほとんど傭兵しかいねーよ(ビザンツ後期)
5.ローマ軍?そんなんいるなら余の首刎ねろよ(コンスタンティノス11世)

みたいになるだろ

472 名前:世界@名無史さん [2012/03/25(日) 11:51:03.56 O]
ビザンツは当然のようにギリシアとローマを自身のルーツとして扱っているが、
正史ではギリシアはアレクサンドロス、ローマは帝政期しか扱わなかったらしい。
こういう考え方により、ギリシアは衰退したんだろう。

473 名前:世界@名無史さん [2012/03/25(日) 12:09:06.77 0]
テマがあるのに中央集権で首都だけに一極集中、
というのがよくわからん。

474 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/03/25(日) 13:04:40.21 0]
>>471
確かにローマ帝国はいつだって変化してる訳だからね。
ビザンツ帝国への変化もその1つと捉えられなくもないか。
ただ、西欧が西ローマ帝国の滅亡でローマ帝国の歴史を終わらせ、
それ以降のビザンツ帝国の歴史をネガティブな意味で捉えてたことが、
ビザンツ帝国を独自なものとして扱うようになった原因なんだろうね。
今ではもうビザンツ帝国へのマイナスイメージ払拭が盛んになってるけど、
それでもビザンツ帝国という呼称そのものはまだなくなってない。

>>472
ビザンツ帝国の想定するローマ帝国は皇帝による専制支配がされてる国であり、
共和制期はそういうビザンツ帝国のイデオロギーには適さなかったんだろうね。
だから、ビザンツ帝国では帝政期以前のローマ帝国は良く扱われなかったんだろう。

>>473
時代にもよるからね。7世紀頃だとビザンツ帝国はかなり危機に陥ってた時期で、
中央政府の力も衰えてた。だから、テマ制というものが成立したんだしね。
9世紀頃からビザンツ帝国の国力が回復するようになると、中央の官僚機構も整備され、
皇帝の専制支配が強まった。もっと後になるとテマ制を支えてた自立農民の力が弱まり、
貴族が登場するようになるから、皇帝の専制支配の形もまた変わることになるんだけどね。

475 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/25(日) 13:24:51.01 0]
専門の学者だからビザンツって呼ぶんだよ。「ビザンツ」は歴史用語。
>>471の言うとおり。

中華史だってそう。
「東晋は東晋なんて自称してないから晋と呼べ!」とか「蜀漢じゃねーよ、漢って呼べ」って
専門家がほざいてたら論文の一本も書けんだろ。

476 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [2012/03/25(日) 13:29:01.49 0]
>>475
確かに、専門家が歴史を書く上でビザンツ帝国という呼称を便宜的に使ってる訳だからね。
わざわざ当時の自称で呼ぶ必要性は全くないんだし。

477 名前:世界@名無史さん [2012/03/25(日) 17:32:36.69 O]
分裂前か神聖ローマかよくわからんし
分裂前とは全然違うしビザンツの方がいい

478 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/25(日) 18:48:28.89 0]
さすがにローマと言われて神聖ローマを第一に思い浮かべる奴はそうそうおらんやろ

479 名前:世界@名無史さん [2012/03/25(日) 23:10:57.52 0]
もし西ヨーロッパも西ローマ帝国が存続するとかで、
首都ラヴェンナだけに全ての富が運ばれる中央集権国家になれば
ビザンツ程度の繁栄は出来たんじゃないの?
他のところは停滞する一方だろうが。



480 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/26(月) 22:06:08.95 0]
なんでコムネノス家は同じ東ローマのくせにラスカリスやパレオロゴスと仲良くしなかったんだ

481 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2012/03/27(火) 12:06:22.38 0]
>>473
テマができ、その中で大土地所有者が台頭して貴族になる。

11世紀の危機からコムニノス朝成立に至る流れの中で大貴族達が帝都へ移住。

自分達の領地を単なる属州、収奪の対象としかみなさなくなる一方で、その富を帝都で散財するから帝都はますます大きくなる。

ざっとこんな感じで根津先生が新刊の中で説明してた。






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