- 101 名前:Ψ [2009/11/12(木) 00:03:55 ID:YZdXfIh20]
- >>93
周の伝説がすごいとおっしゃるなら日本の皇室は周王朝の血縁ですよ。 周王朝初代武王の曾祖父である古公亶父には3人の優秀な息子がいました。 中でも末子の季歴が誉れ高く長子・太伯(泰伯)と次子・虞仲(仲雍)はその末子に跡継ぎの座を譲り国を出ました。 そして建国したのが呉です。 季歴は2人の兄を呼び戻そうと使者を送りましたが2人は体に刺青をし帰還を断わりました。 当時の中華世界では刺青は蛮族の証とされていたのです。 魏志倭人伝にも邪馬台国の因習として刺青が描かれていますね。 さて、この呉が越に滅ぼされた紀元前500年頃に日本では様々な中国南部渡来の遺物が発掘されています。 漆椀や鉄器や弩で惨殺された縄文人の遺骨などが出土し環濠集落なる戦乱を思わせる集落も出現しています。 要するに国を負われた呉の人々が日本列島に移住してきた痕跡なのです。 日本から出土する青銅器はなぜか世界でも殷周時代にしか使われていない特殊な鉛成分が同じく含まれているのです。 呉の人々は大切な青銅の宝物を日本列島に移住する際に持ち込んだのでしょうね。 出土する日本の青銅器はそれらの青銅を再利用したので特殊な鉛成分によって由来が明らかとなったわけです。 周は姫姓ですし皇室も同じく姫姓ですしね。
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