- 738 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2009/07/24(金) 18:24:18 ID:am61ZKyh0]
- >>727
芸術家に「」をつけた意味を理解しようね。 ID:C2+8rho/0が、プラトンから「クリエイター」についての連続した観方があるようなことを書いていたので 引用符「」をつけているわけ。 何度も書いているのに、歴史的にものを考えるトレーニングが欠如しているために こちらが何を書いているのか全く理解していないようだけれど 後にアートという言葉になるラテン語のarsは、中世の段階では未だ技芸や学芸と訳されるものであって 後にいわれるような「芸術」(カッコに注意)ではないわけですよ。 音楽は、中世の末期になると、書物に残されるようなものでも多少世俗化するけれど、 当初は修道院や大学で探究されるような数学の一分野。 そして美術や建築は完全に工芸(工学)の一分野だったわけ。 そして、それをおさめた人は、「芸術家」では全くなく、技巧・技芸に優れた人といった言葉で名指されたのであって、 (しかし、それは今の意味で「芸術家」ではなかったという意味であり、だから劣っていたというような意味では全くない) 近代を通じて作り上げられるような「雲の上の天才」として描写されるような意味での「芸術家」(カッコに注意)では全くなかったわけですよ。 そして、そうした中世の後に、美学史的には、ルネサンスにおけるプラトンの読みなおしが入る。 またその時期、諸分野の実践が発展していく一方で、現在の「芸術家」観につながるような概念の展開の 端緒として、16−17世紀にはじまる「才能」「天才」概念の発展があるわけ。 (厳密には、まだこの時点では揺れがある。 同じ頃に「趣味(判断。美的センスとした方が分かりやすいか)」と「美」が結び付けられて 感覚の対象としての美、が明確に意識される。) それがロマン主義につながっていく形で、さらに発展するのが18世紀。 ここから近代的な「芸術」と「芸術家」が生まれる。 その時代、市民化していく社会の中で、宮廷などで(一方で教会も重要だったけど)パトロン、受容者と顔と顔でつながった形で成り立っていた 作品制作者と作品受容者の関係はくずれ、 まだそれなりに限定された層であるとはいえ、後の大衆的な聴衆(音楽でいえば)につながるような受容者が生まれる。 そうした時代の変化にモーツァルトはついていけず失敗した、というのは良く言われること。 このロマン主義の時代において、「雲の上の人」と持ち上げられるような、上でID:C2+8rho/0が夭折などと結び付けていたような、 受容者とは違った才能(や運命)を持つものとして持ち上げられるような、「芸術家」という概念が完全に流通しだしたのであり 「芸術のための芸術」といった芸術観が成立するのもこのころ。 日本でのゴッホについてみられるような「天才信仰」は、そこからさらに「近代化」の社会・政治的な動きと結び付いた背景があるけれど 少なくともこうしたヨーロッパのロマン主義へと繋がったものでしょ。 >>736 念のため、自分の観点を一応補足しておくと、 パトロンとべったりの時代、もちろん≪当時の民衆から見れば≫作品制作者は「雲の上の人」だろうけれど 一部の教会などをのぞけば、そもそも民衆レベルと、そうした時代の作品制作者は接点がなかった (民衆は作品受容者ではなかった)ので、今の時代から見て、民衆にとって「雲の上の人」だったと記述することは あまり意味がないと思います。 もともとの話もボカロのPとボカロの聴き手の話ですしね。
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