- 1 名前:人間七七四年 mailto:sage [2007/12/04(火) 23:30:10 ID:z1CL3PCr]
- いろんな興味深い話が語られる戦国武将
そんな逸話を好き勝手に検証してみようじゃないか
- 125 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/03/19(木) 11:17:17 ID:lf/y4yvX]
- だから柳生の嘘を検証してくれと言っている。
- 126 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/03/19(木) 13:21:16 ID:82m7dUyM]
- >>123>>125
「柳生は嘘をついている」と主張しているあなが、史料を挙げて嘘を証明してください。 立証責任はあなたにありますから。 現時点で検証しろというのならしますけどね。 残された史料から言って、柳生が嘘ついたとか捏造したとか言えるものではない。 真実だと断言できるほどのものでもないが、虚偽だと断定できるほどの根拠もない。 一方であなたの嘘をついているという主張には、信憑性のある根拠がまるでない のでとても信じられない。 >そういう逸話が伝わるほど、小野忠明が強かったという事実は変わらない 小野忠明あが強かったことは、誰も否定していませんよ。 問題は、柳生と絡んだ逸話の信憑性であり、さらに言うならば、小野の逸話が 事実だったとしても、それで柳生を剣術流派として過小評価する理由にはならない。 小野忠明には、「どんなに強くても、その強さを他人に教えることが出来ないなら 意味はない」と家康が嫌ったなんて逸話もありますしね。
- 127 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/03/19(木) 13:28:28 ID:+HonyLMQ]
- 悪い話スレにもまだ湧いて出てきているよ、このID:lf/y4yvXというキチガイ…
- 128 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/03/19(木) 14:43:30 ID:lf/y4yvX]
- >>126
それがわからないから聞いているんだ。 証拠があれば信憑性も出るから探しているのに、 どうして先に証拠を出せと言うのか。 あと、一刀流は現代剣道として広く伝わっている。 他人に教えることができないなど嘘もいいところだ。
- 129 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/03/19(木) 19:06:00 ID:k0buJzjW]
- >>128
あなた、根拠も何も無く「柳生は嘘ついている」と主張したんですか? そういうのを妄想・妄言・中傷誹謗というのですよ。
- 130 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/03/19(木) 19:19:05 ID:lf/y4yvX]
- >>129
もう一度言うが、だから柳生が嘘をついている証拠がないかと聞いてるんだ。 あったらこんなところで聞いてない。 それを妄想・妄言・中傷誹謗とか失礼な。
- 131 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/03/19(木) 20:20:47 ID:cfpUWU66]
- 仮にも記録に残ってる事なのに嘘である事を前提で話してるからおかしくなる
というか何で他力本願なのにこんな偉そうなんだ
- 132 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/03/19(木) 22:30:28 ID:DS31a19R]
- >>130
無い。まあ私が知る限りでは、だが。 しかしそんな明確に嘘ついたと判るような別史料があるのなら、とっくに 指摘されていてもおかしくはないと思うが。 根拠もなく「柳生は金で嘘書かせた」なんて言うのを中傷誹謗と言わずに 何と言うのやら?
- 133 名前:人間七七四年 [2009/03/20(金) 00:48:18 ID:5/KCxJFn]
- >>130
もう止めとけよ、これ以上一刀流に迷惑かけるな。
- 134 名前:人間七七四年 [2009/03/21(土) 12:22:09 ID:4nkHw0hu]
- >>121
それ以前は何が主流だったのかねえ
- 135 名前:人間七七四年 [2009/04/14(火) 00:47:59 ID:iHbMPweJ]
- 小牧長久手
本多忠勝を見て、秀吉は泣いたのか?
- 136 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/04/14(火) 16:44:49 ID:7iDNsXpl]
- >>135
合戦記としては史料的価値が高いものとされる渡辺図書頭「小牧御陣長湫御合戦記」にある 「秀吉卿御泪被流」
- 137 名前:人間七七四年 [2009/04/14(火) 18:02:26 ID:bnqkJSL4]
- 工エエェェ(´д`)ェェエエ工
西田局長みたいだな
- 138 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/05/29(金) 13:26:49 ID:y2KVc6io]
- 謙信女性説って、まるっきり荒唐無稽なトンデモ?
- 139 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/05/29(金) 15:57:43 ID:R94rzlYE]
- 幼少の頃寺に預けられた事が嘘になる
普通幼女は政略結婚の切り札になるので寺には出されないし それを担ぎ出して兄に挿げ替えようという豪族もいないだろ 女とバレた途端、かついだ神輿が神輿で無くなるからな
- 140 名前:人間七七四年 [2009/05/29(金) 18:59:41 ID:LHoeir8i]
- そういえばそうだな
いまだに女説出してるやつってなんなんだろ
- 141 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/05/29(金) 19:22:58 ID:lK84txWP]
- 一種の陰謀論者と一緒で、変な夢を見たいんだろうな。
- 142 名前:人間七七四年 [2009/05/29(金) 21:29:12 ID:v/dwBp3v]
- 結論に導く事柄しか言わないしね。
なんで不犯なのかから飛躍したんじゃね?
- 143 名前:人間七七四年 [2009/05/29(金) 21:42:50 ID:IRsz9UBN]
- 卑弥呼みたいに呪術的才能が謙信にはありそうだが。
- 144 名前:人間七七四年 [2009/05/29(金) 21:59:44 ID:LHoeir8i]
- 最後がかっこわるい、謙信
- 145 名前:人間七七四年 [2009/06/16(火) 00:29:59 ID:thP3ts4S]
- 大坂で真田が家康を追い詰めたという話は有名だけど
あれも実は創作だという話もあった 実際どうなの?
- 146 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/06/16(火) 00:39:26 ID:RGwtTNf7]
- >>145
毛利勝永軍の活躍を真田の物と勘違いしていたという説もあるな。 つか、夏の陣はぶっちゃけ良くわからない部分が多い。 ま、旗本の旗が倒れた云々くらいはあったかもしれないが、 家康が切腹を覚悟するほど追い詰められたとか言うのは、明らかに後世の作り話だな。
- 147 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/06/16(火) 01:10:33 ID:/G84xFGM]
- 確か榊原家の文書では真田信繁は夏の陣の最終戦で戦わずに逃走を企てたってのがあったね
嘘だろうけど
- 148 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/08/01(土) 16:51:57 ID:gk/qKclB]
- 妙向尼が本願寺救った話って嘘?
- 149 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/10/13(火) 11:32:45 ID:htYa/qqu]
- ここにある話は本当なわけないよな
ttp://2chcopipe.com/archives/51290750.html 関が原後、徳川の覇権が確立した頃の事 江戸城に出仕した上杉景勝。広間に座っていると、そこに結城秀康がやってきた。 関が原の折直接対峙した二人ではあるが、互いに尊敬しあっている 間柄である。 そうはいっても、秀康はいまや天下人の息子であり、景勝は敗軍の将である。 景勝は座を立って秀康に 景勝「…」 秀康「?」 兼続「秀康様、殿は『秀康殿、どうぞ上座にお座りください』と申しております。」 秀康「いやいや、景勝殿の方が先に着座なされていたのだ。どうぞそのまま。」 景勝「…」 兼続「『ここは江戸城でござる。身分も同じ中納言であれば、家康公のご子息である 秀康殿が上座にあられるのが当然』と、申しております。」 秀康「何を言われるか。同じ中納言とは言っても任官されたのは景勝殿の方が先でござる。 後輩は先輩を立てねばなりませぬ。それに私は今は結城家の者。結城家と言えば、 世が世なら関東管領たる上杉家に従わねばならぬ家。ささ、お気になさらずどうぞご着座を。」 景勝「…」 兼続「『かたじけない思いやり、痛み入る』と申しております」 このようにして景勝は江戸城内において恥をかくことなく、徳川の世になっても、上杉家の 体面を保った。景勝のことを尊敬している秀康も、その事がとても嬉しかった。 そして秀康はいつも思うのだ。直江兼続の翻訳は、本当に正しいのか?と。
- 150 名前:人間七七四年 [2009/10/13(火) 18:52:42 ID:DwIVxu2/]
- 初めて見た
- 151 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/10/13(火) 19:02:32 ID:YR4zQCpX]
- 間に入ってる兼続の通訳はともかく、
秀康が景勝に席次を譲った話は実際にあるな。
- 152 名前:人間七七四年 [2009/10/25(日) 22:51:57 ID:5CXNaq/1]
- 竜造寺に攻め込まれそうになった有馬の救援要請に対しての家久の言動
本当なら泣きそう
- 153 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/10/26(月) 07:57:52 ID:79upCue1]
- >>152
「我に余剰戦力無し。現有戦力を持って戦域を死守し武人としての本懐を全うされたし」?
- 154 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/10/26(月) 08:23:23 ID:hgd0GVAj]
- >>153
それ、某皇帝のお言葉では?w
- 155 名前:人間七七四年 [2009/10/26(月) 18:08:50 ID:LY/a0yRU]
- 義久<兵力が足りんから無理だ!
家久<頼られて放置は島津として恥、俺だけでも生かせてくれい! 義久<数は出せんぞ 家久<承知の上!武士として死ぬなら本望 みたいなやりとり?
- 156 名前:人間七七四年 [2009/10/26(月) 18:09:32 ID:LY/a0yRU]
- 誤字ったけど気にしない
- 157 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/10/26(月) 18:28:00 ID:79upCue1]
- >>154
つい書いてしまったw 実際家久が述べた言葉を知ってるなら教えて欲しいが。
- 158 名前:人間七七四年 [2009/10/26(月) 21:02:32 ID:JG55OZsU]
- あれだろ、家久の息子の兜の緒の話
- 159 名前:人間七七四年 [2009/10/27(火) 00:12:15 ID:tPhvgjnB]
- >>155という話を某サイトで見たんだが、
それがその歴史サイトの人の創作なのか 書物に残ってたものかが分からない そしてそのサイトのURLを見失った・・・ その真偽を知りたい
- 160 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/10/30(金) 10:05:31 ID:z5Hr6dGo]
- >>149
最後の一文…www
- 161 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/01/01(金) 23:59:15 ID:MN5c12zD]
- 向こうで書くと大荒れ必死なのでこちらで
>ある日のこと、彼が妻の八重、妻の妹のサクラと こういう嘘をさらっと入れると台無し というか一気に信憑性がマイナスになる もしかしたら逸話じゃなくて創作話なのかも
- 162 名前:人間七七四年 [2010/01/13(水) 23:11:32 ID:gx8bAr7z]
- 駄作大河では救出後千姫は家康を嫌っていたが
実際は家康は助けたかったんじゃないか? 秀忠の方は秀頼とまとめて殺してもかまわないと思ってたほどで
- 163 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/01/13(水) 23:14:10 ID:64mCZX0X]
- >>162
そうだよ。 今更あんな大河のことを語るのもうんざりだが。
- 164 名前:人間七七四年 [2010/01/13(水) 23:59:32 ID:gx8bAr7z]
- やっぱ孫は可愛いよなあ
早く嫁が欲しい(´・ω・`)
- 165 名前:人間七七四年 [2010/02/06(土) 02:53:46 ID:AH/lYaYT]
- よくある仮定の話だけど、
大和大納言がもう少し長生きしていればって実際どーなの? 秀長存命中の秀吉の理不尽な粛清や虐殺、 文治派と武断派の対立ってあった?
- 166 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/02/06(土) 03:24:43 ID:NoMs5Lwj]
- >>165
晩年の秀吉は完全な独裁者であり、仮に秀長が生きていたとしても、 秀吉の意向を掣肘するような行動を起こせばたちまち排除されていただろう。 秀吉は 秀頼>>>>>>>>>>>>>>>>豊臣体制 という意向だった。 秀長がもしその間も生き延びることが出きたなら(個人的にはその可能性は非常に低いと思うが) 秀吉死後の状況は変化しただろうが、秀吉の在世中に関しては、その残虐行為が より凄惨なものになった可能性すらあると思う。 あと文治派武断派なんて明確な派閥は存在しない。 個々の武将のその時その時の立場でなんとなく別れた、ってくらいのもの。
- 167 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/02/06(土) 16:29:55 ID:s0KGK69J]
- 秀吉の暴令に困った大名が秀長に相談して秀吉をいさめて解決って立場を
秀長死後にできたのは家康か利家なわけで 諸大名をかばうことが豊臣政権下での権力奪取につながる。 そういう意味では秀長の延命は 家康への求心力一極集中へのタイミングはずれたかも試練ね。
- 168 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/02/06(土) 19:25:29 ID:dZnF2llD]
- >>17最近では現在伝わってる直江状は内容はほぼ原形をとどめてると
言われてるよ。豊臣奉行衆が家康に「直江は田舎者だから怒らないで」 って諌止してる書状もあるし。 怪しい逸話は鳥居と家康の涙の別れかね。三成が挙兵すると思ってたに しても、伏見城を捨てるなんてリスクが大きすぎる。 最近言われてるように、三成の謀反を過小評価してたんだろう。それを ごまかすためにこんな逸話が生まれた。
- 169 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/10(水) 16:11:28 ID:+fs0BLaT]
- >>9
大谷の茶会エピソードは明治以前に遡れないのが現状 福本日南の『英雄論』『豊太閤』がいまのところ初出で 英雄論には呉起の逸話が元ネタと書かれてる 秀吉(or三成)を持ち上げるために作られたものじゃね?
- 170 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/10(水) 16:17:56 ID:+fs0BLaT]
- >>167
ただ、それを秀頼誕生後も秀長がやっちゃうと 秀次と同じようなことになったんではないかと思う で、秀長が誅殺されてしまうと、それこそ決定的に家康や利家に奔る大名が増えるわけで やっぱり結局は同じようなものじゃないかと思うんだよな
- 171 名前:人間七七四年 [2010/03/10(水) 22:52:12 ID:+zUevwW1]
- >>169
茶を飲んだ というのも三成だけでなく秀吉だったという説も有ってこれまたぶれてるし それにいくら親友といっても、膿を飲んでしまうものなのか・・・
- 172 名前:人間七七四年 [2010/03/10(水) 23:27:51 ID:UtW+MrMR]
- >>140
不犯の他にあまり戦国武将が読みそうにない源氏物語を愛読してたからとかあるようだが >>170 いつも思うんだがもしその辺りでifをつけるとしたら もし秀長が生きてたらとか淀殿が死んでたらじゃなく もし秀吉がまともな頃にねねとの間に子供が生まれてたらだと思うんだがなあ
- 173 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/10(水) 23:33:15 ID:3W7heOj6]
- >>172
> あまり戦国武将が読みそうにない源氏物語を愛読してたから それは現代の感覚で、当時は源氏も立派な、男子の教養の一つだわな。
- 174 名前:人間七七四年 [2010/03/11(木) 20:42:28 ID:olHo0f7S]
- 寺で修行してたっていうのは男の証拠なんじゃないの?
まさかそれも逸話・・・
- 175 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/11(木) 20:45:26 ID:5K9XAPPc]
- >>174
寺に入れられてたのは確か。 たまに頭の可笑しい女性説論者が 「寺に入れられてたのは別人でそれと娘を入れ替えたんだよ!!」なんて言うが。
- 176 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/12(金) 08:26:41 ID:xG9G233L]
- >>173
源氏講だっけね 公家や守護職なんかの重要な知識だわな
- 177 名前:人間七七四年 [2010/03/12(金) 20:01:25 ID:PEopFBfN]
- 細川幽斎の、勅命による助命
あれって実際どうだったのかね ドラマ的要素はものすごいんだけど 古今伝授はなにも幽斎だけのものでもなかったのに という意見もあり だから天皇ではないが将軍の落胤説にも繋がるのかな
- 178 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/12(金) 20:05:11 ID:IvZ7/+J4]
- >>177
どうも同時代的にはあの和睦はかなり評判が悪かったらしい。 武士の癖に全力を出して戦わずに海上するとは何事かと。 息子の忠興もかなり恥ずかしい思いをして相当頭にきていたようだ。
- 179 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/12(金) 20:28:43 ID:a4xUrIVN]
- >>173
前田慶次も九条植通から源氏物語の講義を受けて、米沢で講釈していた。
- 180 名前:人間七七四年 [2010/03/12(金) 21:00:35 ID:PEopFBfN]
- >>178
第三者から見れば十分だと思うけどねえwww 戦力差といい、戦略的意味といい
- 181 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/12(金) 21:21:41 ID:IvZ7/+J4]
- >>180
あれが戦略的に意味があったのは最終的に東軍が勝ったからで、 やはり余力を残した上での開城と見られるのも仕方が無かったと思う。
- 182 名前:人間七七四年 [2010/03/12(金) 21:26:57 ID:PEopFBfN]
- 関が原自体が、家康から見て、「賭けに近かった」と見れるし、
「勝算があったものだった」とも見れるし これがまた実話・噂・推測含めて語れる題だしねえ
- 183 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/13(土) 08:05:03 ID:6ODTbUsi]
- 戦で100%なんてないからなあ
予想はある程度つくかもしんないが勝算なんてむしろなければやんないだろうし 現代の選挙とかだって確実な予想なんてできないのと同じで 結果を知ってから語ってる我々にはたぶん想像もつかない部分もあるんだろうな
- 184 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/13(土) 09:54:23 ID:pZhksPyE]
- 「内府ちがひの条々」を送り付けられた時なんかは相当焦っただろうな。
『慶長記』でも「上方が全部敵になった」とか書いてるし、 平尾氏の記録では「徳川オワタ「\(^o^)/」と噂された。
- 185 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/13(土) 13:56:34 ID:bk22E319]
- しかし西軍は恐ろしくもろかった。実質的に家康が赤坂に旗印を上げた瞬間崩壊していた。
- 186 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/13(土) 15:30:50 ID:raSMTy10]
- 蒋に一番大事なのは、人望なんだろうなぁ。
- 187 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/13(土) 22:07:36 ID:lugcaHrp]
- 上に立つ者の器量で勝敗が決まった例と思う。
- 188 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/13(土) 22:08:21 ID:0GBrakTQ]
- 仕込み八割の一例
- 189 名前:人間七七四年 [2010/03/14(日) 02:51:26 ID:yT8nXfTP]
- 本当は戦わずして勝つのが良かったんだろうけど
あのときはそれは無理だったんだろうなあ 三成嫌いが興奮しちゃってたし だからこそ精一杯の裏工作だったんだと 吉川を止めたのはまさにそこが成功
- 190 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/14(日) 03:00:17 ID:gIaXg5e+]
- 関ヶ原といえばこれ見ると
iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3813.html 毛利は最初っから領地削減の条件で大阪城退去したように思われるな。
- 191 名前:人間七七四年 [2010/03/14(日) 03:17:14 ID:lGq3Rrh1]
- ツタンカーメンの死因は近親相姦による虚弱体質での病死ってのが明らかになったように
陰謀論のある不審死って大抵本当に事故死、病死だと思う。 四条天皇とかもありえねーバカ過ぎる死にっぷりのせいで陰謀論も出たが、やっぱ事実なんだよな。
- 192 名前:人間七七四年 [2010/03/14(日) 12:19:47 ID:zxI7Mv5F]
- >>191
近親相姦なら半島が当たり前のようにやってるが それほど病死とか早死はないよ
- 193 名前:人間七七四年 [2010/03/15(月) 01:01:16 ID:b4Pq0ELh]
- >>189
豊臣方にも屈して生き残るチャンスはあったのに その後はたぶん秀頼と淀は切り離されて 若い秀頼をうまいこと丸め込めば 大きな戦いとか日本分裂も無いままいけたんだろうと
- 194 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/15(月) 11:41:23 ID:1n6IBlPD]
- >>190
日付が9/20だし、その後の顛末を見るにやっぱり前久の情報は正しかったんだろう 家康は秀頼を擁した輝元の出馬を恐れてたと言われるが、 恐れるどころか動かないことを計算に入れてたわけだわな >>193 関ヶ原以降の大坂方はほんっとガタガタだからなあ・・・ 「やっちゃいけないこと」を率先してやるような奴らが権力持ってたから仕方ない 大坂の陣までの一連の流れは家康のいない信雄が小牧長久手になだれ込むみたいなもんだ
- 195 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/15(月) 12:27:04 ID:bzFtr2Hn]
- >>194
事前の約束では半分だが、更に四分の一に減らされている
- 196 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/15(月) 12:53:43 ID:v8suGHnw]
- >>195
物事は正確に。 「”前久の情報では”半分だが、実際には三分の一」 これが正しい。あと「更に」の使い方間違えてる。日本語も正確に。
- 197 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/15(月) 15:06:24 ID:bzFtr2Hn]
- 周防・長門2国は慶長5年の検地によれば29万8480石2斗3合なので四分の一が正しい
- 198 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/15(月) 16:50:35 ID:Bodh1Y6z]
- でも、前久の情報では「半分で」ということでも、9月19日の輝元自身や
9月22日の井伊・忠勝の書状では所領を安堵という話になってるんだよね。 9月25日には藤堂や黒田、福島らが22日付書状の内容(所領安堵)を保 証しているし。「2分の1だけど家は存続させますよ」という意味での「安堵」 なのかね。普通はそうは言わないと思うけど。
- 199 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/15(月) 17:38:22 ID:bzFtr2Hn]
- そういうのも含めてあくまで表向きというなんでしょうな>全部安堵
- 200 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/15(月) 20:54:25 ID:FF9cQMqm]
- 吉川は輝元が西軍蜂起に消極的だったことを訴えて所領安堵を求めたけど、
東軍が大坂城を接収してさまざま調べた結果、実は輝もノリノリだったこと が判明して減封になったんでしょう。
- 201 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/15(月) 21:00:35 ID:bzFtr2Hn]
- 20日の時点で、近衛前久の情報網には所領半減という話があった
大坂城で判明した西軍への積極関与で四分の一になった可能性がある
- 202 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/15(月) 21:20:08 ID:BXAZVwvp]
- >194
関ヶ原以降の大坂方はほんっとガタガタだからなあ・・・ 「やっちゃいけないこと」を率先してやるような奴ら・・・ つ「ミンス党とかぶって来て・・・。
- 203 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/16(火) 15:51:53 ID:/azpn7bX]
- なんでネトウヨってどこでも始めるんだろう
- 204 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/16(火) 17:43:54 ID:j0CiFdc1]
- 今じゃあミンスとか言ってる時点で痛い
- 205 名前:人間七七四年 [2010/03/16(火) 17:49:03 ID:G5BUW8Cx]
- チョンは「シュ」と発音できないからね
- 206 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/17(水) 07:50:25 ID:HUDpaXTl]
- チュチェ(主体)思想だから
民主はミンスじゃなくてミンチュじゃないか、と時々思う
- 207 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/17(水) 08:27:55 ID:VM20iWUD]
- ネトウヨ消えろよ
スレ違いだ
- 208 名前:人間七七四年 [2010/03/17(水) 09:02:21 ID:lY/x2iO2]
- >>207
お前こそ消えろボケ!! キムチ臭いクソチョンめ!!!
- 209 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/17(水) 10:12:34 ID:Sz2WDn7y]
- ミンスもチョンもキムチも戦国には関係ないな。自重しろ
- 210 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/17(水) 15:17:44 ID:JM6YCAk2]
- ネトウヨ最近は韓国に負けてばかりで自尊心傷つけられまくって焦ってるのかな?
こんな板にまで来て工作しなくてもいいのに
- 211 名前:人間七七四年 [2010/03/17(水) 21:11:20 ID:5ChncaJC]
- >>198
たとえ徳川四天王が約束していようが 後の大権現様が「却下」と一言言えば全部パーになったわけでwww こういう点が家康が狸って言われる所以なのかもね しかし家臣もそこを承知で空手形(になるもの)を出してたとも思えるし あの時代、武力だけじゃなくて謀略面で徳川家に対抗できるところってあったのかな
- 212 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/17(水) 21:24:12 ID:UxU4nkXu]
- 家康を「狸」と言い出したのは明治以後。
- 213 名前:人間七七四年 [2010/03/17(水) 23:35:31 ID:5ChncaJC]
- ちぇっ(´・з・)
それも戦国逸話だったのか・・・
- 214 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/18(木) 00:37:16 ID:TyUK/r7l]
- >>211
いや、たしかに家康本人が約束していなくても、徳川奉行衆と おそらく五奉行の代わりとなった福島、藤堂らが認めていれば相当 法的拘束力はあったはずだよ。このころはまだ大権現様なんかには なってなくて、豊臣系の力も大きい。だから毛利も開城したんだろう。
- 215 名前:人間七七四年 [2010/03/18(木) 00:50:52 ID:13hW4nX3]
- 関が原の前と後では権力の大きさは劇的に変わったと思う
大坂で爆発するまで誰も刃向かえなかったところをみると
- 216 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/18(木) 00:54:49 ID:Nh2xrp42]
- なんのかんので征夷大将軍就任が画期。
家康からの「従わせる正統性」以上に、諸大名の側が「従う正統性」を持つことが出来た。
- 217 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/18(木) 08:33:53 ID:wFdOQgyc]
- >>213
逸話というかたぶん立川文庫とかで言ったのが始まりだとオモ
- 218 名前:人間七七四年 [2010/03/18(木) 20:16:37 ID:vDPUampq]
- 秀吉が猿ではなく禿げ鼠だった
ということからも家康も何か言われてたような気もするがなんだろう?
- 219 名前:月孔雀 [2010/03/18(木) 20:36:15 ID:vJMI9D45]
- 狸親父。
- 220 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/18(木) 20:41:32 ID:Nh2xrp42]
- >>218
牛。 関東時代の家康は「関東の猛牛」と呼ばれていた。
- 221 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/18(木) 21:00:19 ID:7txDFl7w]
- デブだからかな?
しかし家康は粗食なはずなんだけどなんで太ってるのかな? これもただの俗説で実はいいもの食ってたの?
- 222 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/18(木) 21:06:07 ID:RzNTfz7S]
- 若い頃は痩せていたが、大大名になったり秀吉家臣になった辺りから
事務仕事が多くなって、運動量が減ったので太った もっとも固太りだとは思うが
- 223 名前:人間七七四年 mailto:sage [2010/03/18(木) 21:28:41 ID:wFdOQgyc]
- んー
下腹が出てたというからメタボ系の太り過ぎだと思うよ いわゆる中年太りというやつ 肥満は遺伝子の問題というのは最近浸透してきつつある学説だし 粗食でも太る人は太っちゃうんだろう
- 224 名前:人間七七四年 [2010/03/19(金) 01:29:57 ID:d98HpCX5]
- 肥満ってのは、脂肪を蓄えるキャパ量だからね。
その生まれもった脂肪細胞の数で決まる。 この細胞の量が少ないヤツは、痩せ型で、脂肪を蓄えるのが かわりに内臓の周りになり、不健康かつ死亡率の上昇になる。 本来は脂肪細胞のキャパがたくさんあった方が生存率的にも優れている。 だから欧米人で超デブでも健康だったりする。
- 225 名前:人間七七四年 [2010/03/19(金) 03:00:52 ID:v0W0DJMx]
- 残ってる家康の着てたものは肥満体向けだったということだから
家康肥満説は逸話じゃなくて実話の方に分類でOKかね
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