- 103 名前:人間七七四年 mailto:sage [2009/02/17(火) 19:40:02 ID:HZEj7cyK]
- >>102
「醜いから嫌われた」と言うのは後世の創作の可能性が高いと思う。 特に忠輝に関してはそう。彼はタイミング的に損をしたことはあるが、 基本的には家康に溺愛されたと言っていいほどの扱いを受けている。 「顔が醜い」と言う理由は家康が神君となって、秀康に関しては家康も含めたその生母の男性関係、 忠輝に関しては家康の育成に対して、表立った批評が出来なくなったために、当時の 合理的な思考として「顔が醜かった」という理由付けがなされたのだと考えられる。 どうも家康マンセー論のように思われてしまったのだけど、言いたいのはそっちの方じゃなかったんだよね。 家康に限らず信長でも秀吉でも信玄でも、容貌が醜かったり体が欠損したりしている人間を、 それだからといって差別しないのが特徴なのですよ。徹底して実力で見ている。 当然だよね。軍の中には負傷しカタワになった人たちがたくさんいるんだから。 そういった意識を家康は秀康に伝えようとした逸話であると思ってあの話を書いたのだけど、 どうも文章力が足りなくて旨く伝わらなかった。残念。 > 940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 19:19:55 ID:Y5rSdwle > >>923 > 参考になったよ > という事は信康が家康と秀康を対面させた逸話も江戸時代以降のもの? 信康が対面させたって件はおそらく事実。ただ、家康が認知しなかったのは醜いからと言うより、 家康の、秀康の母親への疑念、ぶっちゃけ「ホントに俺の子か?」って部分が大きかったと思う。 それで秀康だけど、秀吉の所に養子に行った時のエピソードには、「流石家康殿の子だ」 見たいな評価がやたら出てきて、どうも、秀康は、顔形も含めて家康に似てたらしい。 三歳で認知されたと言うのは、信康が「顔似てるからやっぱり父上の子ですよ」って事が あったんだと思われる。
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