- 1 名前:人間七七四年 mailto:sage [2016/08/10(水) 07:53:50.85 ID:N3newNEx.net]
- 戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう
戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ iiwarui.blog90.fc2.com/ 書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください 前スレ 戦国ちょっと悪い話43 hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1452933689/ 姉妹スレ 戦国ちょっといい話44 hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1469664777/ このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
- 938 名前:人間七七四年 mailto:sage [2017/07/07(金) 20:37:56.91 ID:PrBVm7dg.net]
- 城巡りをしている鹿児島の親戚が「鹿児島には夫を殺した怖い姫様がいる」と言ってたので調べたらこんな話があった。
薩摩藩の「本藩人物誌 国賊伝」より 祁答院(けどういん)河内守良重、妻に殺されること 祁答院氏は渋谷氏の一族であり、良重は13代当主で妻は島津薩摩守(島津家の分家)義虎の姉。 「人となり驍勇にして能く強弓を引く」 入来院、東郷、蒲生等と徒党をなして数年島津貴久公に叛いていた。 蒲生氏が島津の加治木城を攻め、島津貴久が良重の籠もる岩剣城を攻めたところ、 良重の嫡子重経が蒲生軍とともに2千人を引き連れて、貴久と戦うが戦死。 岩剣城が陥落したため良重は逃亡、帖佐城、祁答院と落ち延び、蒲生や東郷とともに再起を図るが 島津貴久軍に敗北。 永禄九年正月十五日、良重夫人の為に殺せらる。 良重、生来放逸荒淫。夫人、その所業を諌めれども用いず。 ここにおいて、この夜酒を勧め酔い伏したるを夫人、手ずから良重を刺殺す。 この時良重が小姓、村尾亀三、左右に宿直す。 則ち屏風を以て夫人を押さえ、また刺殺す。 ここに至りて祁答院氏滅ぶ。享年四十一。祁答院の所領悉く入来院重嗣の有となる。
- 939 名前:人間七七四年 mailto:sage [2017/07/08(土) 21:00:33.50 ID:s4VGcAwR.net]
- >>930
伊賀伊賀守って野比のび太とかオレンジレンジみたい
- 940 名前:人間七七四年 mailto:sage [2017/07/08(土) 23:27:44.34 ID:PtOrjCfS.net]
- 関ヶ原の時、三河岡崎の田中兵部大輔吉政の子民部少輔長胤(吉次)は、
父大坂に同心したりといふを聞きて、宇都の小山を忍び出で、居城岡崎に帰りけるを国清公(池田輝政)聞し召し、 竹村半兵衛を召され、「我吉田に帰るまで民部を牛窪に押へとどめ置け」と仰せらる。 竹村、「これは安き事には候はねども、いかさま計ひて見候はん」とて道に出迎へ、 鉄砲の者を百姓の家に隠し置き、具に支度を言ひ含め、其の身は山のせばみに出で出で待つ所に、長胤来られり。 竹村、「池田三左衛門ひそかに申せと申すことの候てこれに出で候」といへば、 長胤馬廻りの人を遠ざけられしかば、竹村静かに歩み寄り、 「別の子細も候はず、押留め申せと三左衛門下知したるよ」といひもあへず、 左の手に長胤をひしとらへ、一尺ばかりの脇差を抽いて長胤に押し当てたり。 従者ども、「こは口惜しや」と怒れどもせんかたなし。 竹村言葉をかけ、「近く寄られなばわれは殺さるるとも民部殿をば刺貫き申さん。 唯押留め申すのみにて、別の事は候はず」と呼ばりける処に、 百姓の家に伏せ置きたる鉄砲の者ども駆集り、鉄砲を長胤に差しあてて、 「竹村を討たんならば忽ち民部殿を打落とさん」と声々に呼ばはりけり。 長胤力無く竹村に従ひて百姓の家に入れば、押止めて四方を堅く守りけり、 かくて東照宮聞し召し、「父は既に味方になれる上は許し候へ」と仰せられしかば、 長胤則ち出でられけり。 (常山紀談)
- 941 名前:人間七七四年 mailto:sage [2017/07/09(日) 07:58:19.55 ID:2VY1cRSN.net]
- 筑後守(田中吉政)嫡子民部少輔吉次は、岐阜城攻め等の節軍功もあって公儀との関係も良く父子の仲も良かった。
しかしいかなる心が出たかはわからないが、父・吉政に対して不義の行いがあったので 吉政は激怒し、公儀へ願い出て廃嫡をし勘当し追放すれば京都へ退き寂しく住んでおられた。 (田中興廃記)
- 942 名前:人間七七四年 mailto:sage [2017/07/09(日) 15:56:30.04 ID:OLx2PEl6.net]
- 「田中興廃記」ってなんか笑ってしまう
- 943 名前:人間七七四年 [2017/07/09(日) 22:20:50.89 ID:1EgqCX8r.net]
- >>938
小姓の村尾亀三は後に義久公に召し上げられ、元服後は村尾源左衛門と名乗る。 (祁答院記) 元服後、村尾源左衛門と名乗り、入道の後は笑清と名乗る。義弘公の下高名 を得る。(宮之城記) 祁答院良重についてこんなサイトを見かけました。 秋津島舞(アケスメロ)(鹿児島県さつま町) www.senjudou.com/blog/ppBlog/index.php?UID=1377062519
- 944 名前:人間七七四年 mailto:sage [2017/07/09(日) 22:32:02.21 ID:XNinJIxW.net]
- 貴久、義久に通じていた村尾が二人を殺して
「夫人が良重様を殺したから自分が夫人を討ちました」 と偽装工作した、てことだったりして
- 945 名前:人間七七四年 [2017/07/11(火) 18:03:36.07 ID:aeyCj/OX.net]
- 前田肥前守利長なる者がいる。加賀大納言の子である。前田はその姓である。
大納言は、もともと、家康と官爵勢力ともに相等しかった。 秀吉が死に臨んで、秀頼を肥前守に依託して、「そこもとは、備前中納言秀家とともに、秀頼を奉じて大坂に居られよ。 諸事を調護するのは、そこもとにこれを一任する」と言った。 秀吉がすでに死んで、大納言も戊戌年冬に死んだ。 肥前守が、越中・加賀・能登の三州の地を襲ぎ、秀頼を奉じて、大坂に居し、その威勢は家康に劣らなかった。 高く門楼を建て、それが大坂内城と斉しいほど高かった。 彼はひそかに、上杉景勝・伊達政宗・佐竹義宣・宇喜多秀家・加藤清正・越中守らと、 家康を殺してその土地を分けようと謀り、血を啜って同盟し、盟約がすでに定まってから越中に帰った。 石田治部少輔が、たまたま家康にとがめられて、その領地である近江州に退いていた時に、 その謀を知り、ひそかに書面で家康に告げた。 家康は、己亥年9月9日、秀頼に挨拶するとかこつけて虚に乗じて大坂城に入って拠りどころとし、 肥前の家来を呼んで、その門楼を毀たせようとした。 家臣たちはみな、「わが主君は外におられ、まだ何の命令も聞いてはおらぬ。 死はただ一度のこと。内府の[命]令に違って死ぬとしても、 我が主君の命に違って死ぬことはない」 と言ってその命令に従わなかった。家康の怒りはますます激しくなった。 肥前の妻の甥であった秀家が行って肥前の家臣を喩し、撤去させ、 「そち達の主が私に言いおいた言葉がある。私が責任を取ってやろう」 と言った。 家康は、遂に関東の諸将に[命]令して、肥前が倭京に上ってくる道を塞ぎ、 又、石田治部少輔[三成]に[命]令して、近江州の要害を防備させた。 肥前守も城や隍を修理改築して固守の計を取り、 ひまひまには、狩猟にかこつけて、精兵数万を率いて越中・越後などの地に出没し、 景勝などともひそかに相互援助の盟約を結んだ。 群倭が家康に和解を勧めているが、家康は多分聞き入れないであろう。 思うに、この勢いでは、戦わなければすなわち和解するであろうし、和解しなければすなわち戦うしかない。 和解を、幸いにして、成立させないですませたならば、醜奴[倭]の方城はまさに一つの戦場になるであろうから、 わが国にとって幸いであるのはことさら言うまでもない。 (看羊録) ※前田利家が死んだのは己亥
- 946 名前:人間七七四年 mailto:sage [2017/07/14(金) 21:21:52.34 ID:cbMwyOMP.net]
- 小田原の陣の時、秀吉が三島に陣を据えていた折、堀尾帯刀(吉晴)が、山中城の出丸を乗っ取りたいとの
望みを申し上げたが、秀吉は許可しなかった。それでも堀尾は是非にと申し立てたが、やはり許さなかった。 秀吉が堀尾に許可しなかったのは、たとえ出丸を取ったとしても、結局は本丸を直に攻めなければ山中城を 攻略できないと見きったためであり、またもし許したとしても、堀尾が出丸の攻略に失敗すれば、それは 秀吉の構想が狂うことに成る故であった、という。 (士談)
- 947 名前:人間七七四年 mailto:sage [2017/07/15(土) 08:38:23.91 ID:NrgiGGBk.net]
- 清州会議の後、羽柴秀吉と柴田勝家の対立が深まる中、勝家の家臣・毛受荘助(勝照)が請い受けて
秀吉への遣いとして向かった。これは、秀吉のこれまでの動向は心得がたいものであり、 対面すれば押して刺し違えんと考えたのである。 こうして毛受が到着すると、秀吉は察した 「あの毛受は心早く勝れた勇士である。今度の使節としての来訪も、何らかの心持ちがあるのだろう。」 彼は毛受を招き入れ、毛受が出て来るや、脇差も差さず色代まで不意に現れ 「遠方よりのこの度の使節、浅からぬ思いであるぞ。」 そう言って毛受の手を取り、限りなく懇ろに連れ立って奥の席に招き、先ず勝家の安否、 そして今の互いの考えなどを語り、それから料理を出して饗した。 毛受は秀吉と刺し違えることを決心していたのだが、不意に傍に引き添えられ、様々な懇情を受けたため、 先ずはそれへの謝礼に及んだ。 そしてその後、再び秀吉が近づいてくる事を待っていたのだが、以降秀吉が近づくことは全く無く、 毛受は本意を失って帰っていったという。 この話は事実かどうかは解らないが、秀吉の才用は、かくこそと思われる。 (士談)
- 948 名前:人間七七四年 [2018/02/11(日) 20:57:49.65 ID:x76gX88Jj]
- >>1
文章で読んでも具体的にイメージは湧いてこないだろうから、 実録物の漫画を読んだ方が良いかもしれない。 作者は原資料を歴史家以上に徹底的に読み込んでいるから。
雪の峠・剣の舞 https://www.amazon.co.jp/dp/4063343871/
- 949 名前:人間七七四年 mailto:sage [2018/09/07(金) 11:30:21.17 ID:sbxzu2h+F]
- 天正四年(1576年)、那須家中の重臣大関高増は、大関氏の居城であった白旗城を出ると、那須宗家の居城烏山城の北方に黒羽城を築きここに入った。
この時期の那須氏は白河氏を支援して佐竹と戦う構えを見せていたが、高増は長男の晴増を白河義親の婿養子として送り込むなど那須氏の対外政策の主導権を握っていた。 その高増が築いた黒羽城は東西を那珂川・松葉川に囲まれた丘陵の上にあり、本丸を中の丸・北の丸・三の丸にぐるりと守られた鉄壁の構えを見せており、 家中における大関氏の存在感を存分に見せつける威容を誇った…と言うか、主家の居城を遥かに凌ぐ那須最大の縄張りを持つ堅城であった。
関東戦国史に詳しい諸兄にはご存知の通りその後大関氏は主家を出し抜いて近世大名として名を残すわけだが、居城を見ると既にどっちが那須の支配者なんだか分からない状態となっていた。 大関と佐竹という内外の敵に挟まれた那須資晴もたまったものではなかっただろう、という意味で悪い話。
なお黒羽藩は関東では数少ない外様大名による支配が明治まで続き、黒羽城は大関氏のシンボルとして廃藩置県まで鎮座し続けた。 一方の烏山城は天保元年(1681年)に那須氏の旧領復帰がなされたが、わずか6年後に改易され、以降二度と那須氏の手に戻ることはなかった。
- 950 名前:人間七七四年 mailto:sage [2018/10/23(火) 14:59:55.58 ID:9bYKkABv/]
- 白兵武者シリーズ
https://www.amazon.co.jp/dp/B00KIKM6BS
▼第1話/但馬の山の鬼▼第2話/最強の鎧組み討ち▼第3話/小天狗▼第4話/力道禅真仁智寺▼第5話/白兵の山、風雲急▼第6話/白兵の使命▼第7話/正之進と凛姫と狼▼第8話/白兵出陣!!▼第9話/戦乱の風▼第10話/氷之山の山賊▼スペシャル企画 蝶野正洋緊急特別インタビュー ●主な登場人物/蝶野正之進(最強の白兵武者を目指す若者) ●あらすじ/1550年、安芸・厳島に、戦で焼け出された母子がやって来た。けれども食べるものがなく、母はすぐに亡くなってしまう。独りぼっちになってしまった少年・正之進。だが、親切な島の漁師・嘉平と妻・おたえに引き取られ、彼はすくすくと育っていく。 5年後の弘治元年。この地方の統治者・毛利元就を倒そうとする、周防の陶晴賢(すえ・はるかた)の軍が島に攻めてきた。そして嘉平とおたえは、陶軍の者に殺されてしまう。 言葉を失う正之進の前に、坂口征順という一人の僧が現れた。征順は居並ぶ陶軍の兵士たちを、組み討ち技だけで立ちどころに粉砕してしまう。彼の正体は一体…!?(第1話) ●本巻の特徴/鎧ひとつに身を包み、骨をへし折り刀を砕く。正義感にあふれ民のためにのみ戦う、その体すべてが武器の如き男たち。それが「白兵武者」である。征順は、その白兵武者の一人だった。 正之進は戦国の時代を生き抜き、強い男になるために、征順と共に彼らの故郷・但馬にある力道禅真仁智寺(りきどうぜん・しんにちじ)へ。そこで立派な白兵武者になるための厳しい修行を始める。
- 951 名前:人間七七四年 [2018/10/23(火) 15:10:26.43 ID:9bYKkABv/]
- age
- 952 名前:人間七七四年 [2018/11/04(日) 04:20:03.73 ID:yVrf4OcCG]
- 真実は救済されるべきだ。
人の気持ちを考えよう。 人の嫌がる事をやめよう。
- 953 名前:人間七七四年 [2018/11/15(木) 23:09:36.48 ID:yng+zzg5h]
- >>950
ある意味で真実を突いている。
- 954 名前:人間七七四年 [2018/11/20(火) 13:07:27.93 ID:0oOgLI+sE]
- 真実の救済は為されるべきだ。
- 955 名前:人間七七四年 [2018/12/13(木) 15:15:17.35 ID:n9Ko5AJ7u]
- age
- 956 名前:人間七七四年 mailto:sage [2019/02/25(月) 05:56:06.04 ID:KC7pL2XzO]
- >>950
全巻買って読んだ。 感激した。
- 957 名前:人間七七四年 [2019/02/25(月) 06:02:50.99 ID:KC7pL2XzO]
- 生き方が変わる・・・
- 958 名前:人間七七四年 [2019/03/05(火) 16:18:00.57 ID:0wmUxlMec]
- 感動した。
- 959 名前:人間七七四年 [2019/04/23(火) 02:50:32.49 ID:5XE4K9OPe]
- 白兵武者シリーズ
https://www.amazon.co.jp/dp/B00KIKM6BS
▼第1話/但馬の山の鬼▼第2話/最強の鎧組み討ち▼第3話/小天狗▼第4話/力道禅真仁智寺▼第5話/白兵の山、風雲急▼第6話/白兵の使命▼第7話/正之進と凛姫と狼▼第8話/白兵出陣!!▼第9話/戦乱の風▼第10話/氷之山の山賊▼スペシャル企画 蝶野正洋緊急特別インタビュー ●主な登場人物/蝶野正之進(最強の白兵武者を目指す若者) ●あらすじ/1550年、安芸・厳島に、戦で焼け出された母子がやって来た。けれども食べるものがなく、母はすぐに亡くなってしまう。独りぼっちになってしまった少年・正之進。だが、親切な島の漁師・嘉平と妻・おたえに引き取られ、彼はすくすくと育っていく。 5年後の弘治元年。この地方の統治者・毛利元就を倒そうとする、周防の陶晴賢(すえ・はるかた)の軍が島に攻めてきた。そして嘉平とおたえは、陶軍の者に殺されてしまう。 言葉を失う正之進の前に、坂口征順という一人の僧が現れた。征順は居並ぶ陶軍の兵士たちを、組み討ち技だけで立ちどころに粉砕してしまう。彼の正体は一体…!?(第1話) ●本巻の特徴/鎧ひとつに身を包み、骨をへし折り刀を砕く。正義感にあふれ民のためにのみ戦う、その体すべてが武器の如き男たち。それが「白兵武者」である。征順は、その白兵武者の一人だった。 正之進は戦国の時代を生き抜き、強い男になるために、征順と共に彼らの故郷・但馬にある力道禅真仁智寺(りきどうぜん・しんにちじ)へ。そこで立派な白兵武者になるための厳しい修行を始める。
- 960 名前:人間七七四年 [2019/05/11(土) 10:04:25.48 ID:fKHtJGlFA]
- age
- 961 名前:人間七七四年 [2019/06/16(日) 23:46:38.90 ID:kWqW619rN]
- 桜井誠の軍勢(公称15万、徳川、豊臣クラス!)
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