- 896 名前:人間七七四年 mailto:sage [2017/06/20(火) 01:38:54.99 ID:Xbr5DYuZ.net]
- こんなことを言わずに謀叛すればいい
家康が諸大名を集めて名古屋城を築かせたときの話。 皆々が寄り合いしていたとき、福島正則が池田輝政にささやいて 「近ごろ江戸や駿府の築城続きで人夫もみな苦労して働いた。しかしながら 天下の押さえとなる城なのでみな苦労と思う者はいなかった。 今度は子の居城を築くようにと命じられる為ではないのだ。 貴殿は大御所の親戚である、我一人の為に言上しろという訳ではない」 と申せば輝政は答えなかったが、加藤清正が奮然として正則を戒めて 「ああ粗忽なことをのたまう人だな、貴殿が普請に苦労することが 不興ならばこんなことを言わずに謀叛すればいい。謀叛が 出来ないのなら、命を違え斯様なことを申すべきではなかったな」 と荒々しく言ったので、正則はそれを恥じて何も言わなかった。 輝政は笑って戯言ということにした。 その後神君(家康)がお聞きになってみなの心を推察し ある日輝政を呼ばれ諸大名に対して 「お前たちが普請を頼まれたくないと言うのを度々聞くが、それならば 国に帰り城を堅く堀を深くして私が行くのを待つがいい」 と仰せがあったので、輝政がこれを諸大名へ申せばみな大いに恐れ 急に人夫を雇って名古屋城の石垣を築き、土地を四面に開いて 二十万人の人夫でもって西海南海の大名共を伊勢三河の大船で運送し 石垣を築き堀を掘れば不日の間に名古屋の城普請は成就した。 ――『武徳大成記』
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