- 758 名前:人間七七四年 mailto:sage [2017/04/29(土) 21:30:59.16 ID:D4Uk5VwP.net]
- 上杉謙信が小姓より引き立てた侍の内、河田豊前守長親という人物は、元近江国守山の、地侍の子であった。
永禄四年三月、謙信は上洛し将軍足利義輝に謁見したが、この時清水において、この河田が、当時14歳であったが これを召し連れ越後に帰国し、後には四十万石の知行を与えた。 これは男色の寵が類無かった故である。 ある時、謙信は河田を叱責し、刀を抜いて今にも成敗せんとしたが、河田はその場を退かなかった。 謙信は刀をおさめて言った 「私が河田をこれ程秘蔵に思っているのに、これを成敗すると言い出せば、『私が身代わりに成ります!』と 言って出て来る者があるべきなのに、誠の忠臣と言うものは居ないものだ。」 そこに一人出て「某を誅されよ!」と、頸を差し出して出た。謙信はこれを赦免したという。 (士談)
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