- 696 名前:人間七七四年 mailto:sage [2017/03/24(金) 00:17:52.08 ID:Sxykn2tM.net]
- 天正19年(1591年)豊臣秀吉、フィリピン諸島に入貢を促したる書
『予が国は恐ろしい戦争が100年余り行われ、諸人甚だしく背馳し、交通並びに書状に統一が なかったが、この時、この世界を治め嘆賞すべき和合に導くため、予の大いなる誕生が有った。 予は年少の頃より国務に任じ、10年を経ずしてこの小国(日本)を尽く服従せしめ、三韓琉球、 及び他の遠方の諸国は既に予に帰服して頁を納めている。 予は、今支那に対し戦をなさんとしている。しかしこれは予の力に因って行うものではない。 天が予に与えたものである。 其方の国は未だ予と親交を有せず、よって予は行きてその地を取ろうと欲したが、原田孫七郎が 予の寵臣に告げるには、商人の船舶がその地に往返し、彼自らもまたその国に赴いたことがあって、 諸事に通じていると言うので、故に彼を派遣してこの事を報じさせる。 これは100レグワを隔てても、諸事を探求し実相を明らかにすることを得るためである。 こういったことは、古人の一人の言葉にあり、価値を持つ。 これ故に、原田は身分卑しき者では有るが、予はこれに聴き、暫く時を与え、諸将を派遣し 大いなる軍隊を率いて高低尽く平坦にするための命を下さなかった。 今は旗を倒して、誠に予に服従すべき時である。 もし服従することを遅延すれば、予は速やかに罰を加えるだろう。後悔すること無かれ。 この他告げる要は無い。 天正19年9月19日 日本国の関白』 (異国叢書) マニラのフィリピン諸島長官、ゴメス・ペレス・ダス・マリニヤスに宛た、豊臣秀吉よりの服従勧告である。
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