- 682 名前:人間七七四年 mailto:sage [2017/03/19(日) 19:39:01.77 ID:ZMAWX+2P.net]
- 1567年(永禄10年)、豊後の王(大友宗麟)より支那滞在中のニセア司教ドン・ベルショー・カルネイロに送りし書簡
『最も尊敬すべき君 我らは貴方が本年、当地に来られることを大いに期待している。そして貴方の渡海を妨げる原因が小さくないことを 憂いているが、近く相まみえる事の希望を失っていない。 私が常に耶蘇教を庇護したいと欲していることは、既に貴方の耳に達していると信ずる。 私が山口の王(毛利氏)に対して勝利を望むのは、第一に彼の地にパードレ等を帰住せしめ、彼らが受けていたよりも 大いなる庇護を与える為である。 そして、我が希望を実現するため貴方の援助を必要とするのは、日本に硝石の来ることを一切禁止し、 ただ我が領国防御のため、カピタン・モール(官船の司令官)をして毎年品質良好な硝石ニ百斤をもたらす事である。 私はこれに対し百タイス(銀一貫目)、又は貴方の命ずるところの額を支払うであろう。 この方法によれば、山口の暴君は領国を失い、私の元にある正当なる領主(大内輝弘)がその国に入ること 可能になるだろう。私は貴方の手に接吻しよう。 本日陰暦第九月の十五日』 (異国叢書) 大友宗麟が、宣教師に硝石の禁輸を持ちかけていた書状である。
|
|