- 676 名前:人間七七四年 mailto:sage [2017/03/18(土) 15:20:21.58 ID:L6OBA41M.net]
- >>675
正確には、奈良時代には広まっていた肥前国であったとされた伝説が元ネタですね。 万葉集では別れを惜しんで山に登って領巾を振る光景を主に詠っていますね。 どちらでも、佐用姫は加部島に行かないし石にもならない。 ついでに、佐用姫と秀吉の逸話をもう一つ投下 豊太閤が名護屋の御城におられた時、加部島を逍遥された。 浜辺に一つの石があったので、しばし休もうと腰をかけられると、 この石が温かくなってむくむくと動いた。 太閤は驚き、 「これは怪しい石である。きっと由縁があるに違いない。」 と古老を呼んで尋ねられた。 「あれは佐用姫の御形石です」 との答えがあったが、太閤は 「どうしてそのようなことがあろうか」 と尿をかけられるた。 すると沖の方からにわかに大波が来てこの石を洗い流した。 さすがの太閤も大変感じ入り、自らの無礼を詫びられて、 古人平野某を召して神司とし、 その場で百石の証文を授けて佐用姫の霊に仕えさせるよう 大谷吉隆(吉継)に仰せられた。 今もその例により、徳川家から代々百石の朱印を授けられている。 『松浦の家つと 安政六年(1859年)序 明治三十一年(1898年)刊 著者 岡 吉胤』
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