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戦国ちょっと悪い話44



514 名前:2/3 mailto:sage [2017/01/14(土) 12:20:23.81 ID:rE+exn0h.net]
十一番には於伊満の前であった。出羽最上殿の息女であり、十五歳になられた。東国第一の美人であると
伝え聞かれ、秀次より様々に仰せになり、去る7月上旬に上洛したが、旅の疲れにて未だ見参のない内に、
この難儀が勃発し、淀の方より「いかにもして申し請け参らん」と心を砕かれたため、太閤秀吉も黙し難く、
「命を助け鎌倉に遣わし尼にせよ」と言った。これにより伏見から大至急早馬が出たが、あと一町という所で
処刑された。哀れと言うにも余りある、最後の際、やさしくも
 『つみを切る 弥陀の剣に掛かる身の 何か五つの障あるべき』

十二番には阿世智の前であった。上京の住人秋葉の娘であり、30あまり、月の前、花の宴、事に触れて
歌の名人であったとか。最後の時も先を争ったが、目録どおりとのことで仕方なく、辞世に
 『迷途にして君や待つらん 現とも夢とも分かず面影に立つ
  彌陀たのむ 心の月を知べにて 行けば何地に迷あるべき』

十三番には小少将の前であった。備前国本郷主膳が娘にて、24歳になられた。彼女こそ関白の御装束を
賜った人である。
 『存へば 猶もうき目を三瀬川 渡るを急げ君や待つらん』

十四番には左衛門の後殿であった。岡本某の後室で、38歳であったという。琵琶、琴の名人で、歌の師匠も
されていた。是ぞ今わの気色にて
 『暫くの 浮世の夢の覚め果てて 是ぞまことの仏なりけり』

十五番には右衛門の後殿であった。村瀬何某の妻であったとか。村井善右衛門の娘にて、35歳になられていた。
21歳で父の村瀬と生き別れ、今また重きが上のさよ衣、重ね重ねの憂いの涙。よその袖さえ乾く間もない
 『火の家に 何か心の留まるべき すずしき道にいざやいそがん』

十六番は妙心老尼であった、同坊の普心の妻であったが、夫に先立たれた時も自害しようとしたのを
無理に止めて、尼と成られたのである、最後の供を悦んで
 『先達ちし 人をしるべじ行く路の 迷を照らせ山の端のつき』

十七番は於宮の前であった、これは一の台の娘であり、父は尾張の何某にて13になられた。
母子を寵愛されたこと、ただ畜生の有様であると、太閤は深く嫉み思われたとか、最後の体、おとなしやかに念仏して
『秋といへば まだ色ならぬ裏葉迄 誘ひ行くらん死出の山路』

十八番には於菊の前であった。摂津国伊丹兵庫の娘で、14歳になられていた。大雲院の上人に十念授かり、
心静かに取り直り
 『秋風に 促はれて散る露よりも 脆きいのちを惜しみやはせじ』

十九番には於喝食の前であった、尾張国の住人、坪内右衛門の娘で、15歳であったとか、武士の心で
男子の姿をし、器量類なかったため、稚児の名を付けられた、萌黄に練絹の単衣衣の重ねに白袴を引き、
秀次の首を拝して残る人に向い「急がれよ。三瀬川に待ち連れて参りましょう。」と語りかけ、検使にも
暇乞いをして、西に向かって声高に、こう2,3回吟じた
 『闇路をも 迷わで行かん死出の山 清る心の月をしるべに』

二十番には於松の前であった。右衛門の後殿の娘にて、12歳であったとか。未だ幼く、唐紅に秋の花を
刺繍した薄衣に、練絹をかけ、袴の裾を握りながら、母親の死骸を拝しつつ
 『残るとも 存へ果てん浮世かは 終には越ゆる死出の山路』

二十一番には於佐伊の前であった。別所豊後守の身内の客人、という者の娘で、15の夏の頃初めて見参し、
新枕のあと絶えて召されず、拙き身を恨んでいたが。ある酒宴の折に「君やこじ我や行きなん」と謡ったことで
他に勝って寵愛されるようになった。しかしその後何があったか、事情があり久しく出仕しなかったが、
最後の御後を慕い参られた事こそやさしくも哀れである、法華経を読誦してこれだけを言った
 『末のつゆ 本の雫や消え返り 同じ流れの波のうたかた』

二十二番には於古保の前であった。近江国の住人鯰江権之介が娘にてこれも15の春の頃より寵愛深く、
閨の袖の香浅からず成り染めて、花月の戯れに、後の事は思いもよらなかったであろう。
そしてこの期は大雲院の十念を受け回向して
 『悟れるも 迷いある身も隔てなき 弥陀の教を深くたのまん』

二十三番には於仮名の前であった。越前国より木村常陸守が呼んだ上臈とか。17歳であった。
非常に賢く、浮世を泡のように観念して
 『夢とのみ 思ふが内に幻の 身は消えて行く哀れ世の中』






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