- 447 名前:人間七七四年 [2016/12/20(火) 23:24:58.34 ID:hzpAUNNI.net]
- 薩隅の戦国食べ物? ねったぼ
ねったぼは蒸した唐芋(サツマイモ)と餅、砂糖などで作る餅で、ぼったぼったと練ってつくことから その名がついたといわれる、鹿児島県や宮崎県の都城地方などで食べられている郷土料理です。 (砂糖の入ったきな粉をまぶして食べます。餡子が入っている場合もあります) 地域により、からいもんねったぼ、からいものねったぼ、からいもねったぼ、ねったんぼ、ねったくり、 からいも餅、ねりくりとも呼ばれます。 サツマイモの食べ物の話だと、スレ違いではと思われるかもしれませんが、 徳田大兵衛(侏儒どん)のことを書いている文で気になるものがありましたので・・・ 「大兵衛殿は五十歳余りの時、都之城なる北郷殿宅にて年かさの餅を喰はせられ、咽喉に引き懸かり、 即ち相果てられし人にて候由」(薩藩舊傳集) 侏儒どんが現在の宮崎県都城市の北郷殿の屋敷で出された「年かさの餅」を咽喉につまらせて なくなったとありますが、鹿児島で「年かさの餅」(鹿児島弁では「とっかさ」)とは 正月の餅を搗くとき、最後の一くぼ(餅米一臼分)に、煮たさつまいもを入れて搗きあげたもので、 ねったぼと同じものなのです。昔と今とでは違うのではと思われるかもしれませんが、 侏儒どんの話がまとめられている「日当山侏儒戯言」にも、 「年かさの餅とは薩摩独特の唐芋と餅とを搗きまぜたものだという説もあり」と書かれています。 (侏儒どんがなくなったのが、寛永十一年正月十六日(1634年2月13日)) 前に鹿児島大学の焼酎学の先生から、 1611年に琉球征伐の後始末に残っていた薩摩の兵が薩摩芋を土産に持ち帰った。 1615年には琉球から種子島家に薩摩芋が送られた。 と聞いたことがあるので、栽培は出来てなくても手に入れることは出来たようなので、 貴重なものとして、正月用の祝いの餅にまぜこんだのかもしれません。 「日当山侏儒戯言」では、 「侏儒が正月北郷殿へ行って餅か出た時、ナニ此の位のなら唯一口で喰はれるとか何とか言って 喰ったところが、ソレが咽喉に閊へて遂に命を落としたのではあるまいか、若し予の想像通りとすれば、 彼は遂に滑稽の為に死んだのである」と書いてあって切ない。
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