- 392 名前:人間七七四年 mailto:sage [2016/12/08(木) 22:25:27.26 ID:J91C5wri.net]
- 江戸御城は、道灌のみに非ず。高虎縄張の事併道灌風流、桜楓の事
ある人が語るには、 江戸の御城は、初めは太田道灌が興したというので今は何事も道灌に帰しているようだが、 道灌が築いたのは今の西の丸で、御本丸は藤堂高虎と諮られて御新築されたという。 よって『駿府政事録』には、"新城"とあるのだそうだ。 また道灌も流石は風流人であって、 今の桜田という辺りには多く桜を、今の紅葉山という地には楓樹を植えて、 春秋の詠を専らとしていたという。 今増上寺の門前に流れている小川を桜川と呼ぶのも、その源泉は桜田から出ているので、 その年からこう言っているのだという。 この事を林老(述斎)が聞くと 「桜楓のことは同意しない。桜田はもとから村の名で桜を植えたからではない。 御城外の桜田から今の桜田町まで行程はかなりある。 その年にどうして一年間で花木を植えることができようか。 また紅葉山は駿府に有った名を移されたものである。」 と話された。 (甲子夜話続編) 松浦静山の頃には、かなりの誤伝が広まっているのだと思われます
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