- 312 名前:人間七七四年 [2016/11/18(金) 00:02:23.28 ID:gKlDuncp.net]
- 天吹(テンプク)という薩摩で伝承された縦笛があり、薩摩の武士の間で大いに愛され、吹かれていた。
名称の由来は、大祓いの祝詞「天の八重雲吹き放つことの如く」からきているとも言われている。 一番盛んだったのは、戦国の頃といわれ、戦国ちょっといい話・悪い話まとめ にも 島津の退き口と北原掃部 iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5053.html 天吹についての話が載っております。今回は細部が少し違うバージョンを紹介します。 関ヶ原の合戦に島津方として参加した武士に北原嘉門助をいう者がいた。 島津の退き口の際に、家に代々伝わる天吹を陣中に置いてきた事に気付き、 「このまま置いていっては先祖に申し訳がたたぬ」と彼は天吹を取りに戻りますが、 東軍の兵に捕らえられてしまいます。 「何故、戻ってきたのか?」と問われ「笛を取りに戻ってきた」と答えると 「薩摩にもお主のような軟弱な者がおるのか」などといわれ、首をはねられることと なってしまいましたが、 「この笛を取りに戻ってこのようなことになったのだ、せめて最後に一曲吹かせて欲しい」と言い 天吹を吹くと、その音色と北原嘉門助の堂々とした態度に東軍の者たちは感嘆し、 首を刎ねる事もあるまいとの意見が出てきました。 このことを知った徳川家康の側近の山口直友は「このような者を死なせるには惜しい、薩摩に戻して やってもいいのでは」と考え、家康に進言しその結果、北原嘉門助は薩摩に戻ることが出来、 彼の命を救った天吹は「助命器」と銘打たれて大切に保管されたという。 ・・・これで話が終われば好かったのだが、薩摩に戻った北原嘉門助は 「自分は首を刎ねられるはずだったから」と切腹して果ててしまいました。 一方「助命器」の方は江戸末期までは大切に保管されていましたが、明治になり北原家に 嫁いで来た若奥さんが、ごみと間違え燃やしてしまうという悲しいことになっていました。 ※鹿児島市の城山にある西郷隆盛像と忠犬ハチ公像(初代)を手がけた安藤照氏の母方の実家が 北原家になります。(忠犬ハチ公像(2代目)を手がけたのは息子の安藤士氏) (「明治維新150周年まであと2年!薩摩アフタヌーンティーパーティ」というイベント内で あった「薩摩の楽器「天吹」700年で知る島津の歴史シンポジウム」での話より)
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