- 269 名前:人間七七四年 mailto:sage [2016/11/01(火) 17:53:18.23 ID:FXCUFiSz.net]
- 慶長5年8月10日、会津・上杉征伐の途中、江戸にあった徳川家康はこの日、非常に機嫌がよく、
午の刻(正午ころ)に「鶴を料理しよう」と、鍋を持ってきてそれを火にかけ鶴鍋を作った。 前には本多中務(忠勝)、某、全阿弥の3人が呼ばれ馳走され、特に中務は暖炉裏の家康の すぐ近くに座っていた。 この時、どこから到着したのか、いかにも細かく書かれた書状が家康に渡された。 家康はこれを読んで、誰へともなく呟いた、「伏見城が、落城した。」 そして西の方を見て、はらはらと泣き始めた。 本多中務はこれを見て、御前を走り出て、次の間に逃げた。 全阿弥も逃げ、某も逃げた。 その後家康は、「中務はいるか?」と思って探した所、殿中からそのまま宿舎の方まで退出したと いうことであった。 (慶長年中卜斎記) 家康が鶴鍋を前に泣き出したら何だか知らんが忠勝はじめみんな逃げた、というお話
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